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[[◎市民の政策局の本棚07・08]] から [[◎市民の政策局の本棚]] #contents #comment *学力と階層―教育の綻(ほころ)びをどう修正するか [著]苅谷剛彦[掲載]2009年2月8日 [評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)  学力低下論が席巻していた01年、著者は『階層化日本と教育危機』を出版して衝撃を与えた。「だれの学力が低下しているのか」を実証的に明らかにし、社会の階層化と不平等化という文脈に教育を位置づける挑戦だった。学力低下から教育格差へ。その後人々の教育問題へのまなざしに生じた変化は、著者によって問題がとらえ直され、再定義された結果だといっても過言ではない。  この本は前著の続編であり、主に03年以降に著者が折々の教育問題を分析した論考を集めたものである。タイトルは『学力と階層』だが、狭い意味での学力格差が主題ではない。いまや獲得された知識のストック(学力)ではなく、知識獲得のためのスキルや学習能力が重視される「学習資本主義社会」の時代が到来した。著者の関心は、学習意欲や態度を含む「学習資本」の階層間格差にあり、その形成にかかわる教育費の配分や教員の勤務実態にまでスコープは広がる。  著者の分析は看過することのできない知見を次々に明らかにしていく。出身階層によって子どもの努力(学習時間)には差があり、しかもその差は近年拡大している。もはや努力主義(「がんばれば誰でも……」)は結果の平等をもたらすことのないイデオロギーに過ぎない。自己責任が強調され、個人の失敗が努力の欠如によって説明されるようになれば、階層間格差を隠蔽(いんぺい)することになる。  義務教育費国庫負担制度の変更にも容赦なく批判を浴びせる。この制度は結局、国の負担率を2分の1から3分の1へと引き下げてその分を地方に回すことで政治的決着を見た。少子化によって地方の財政負担は将来減少するという「常識」が国の負担率を減ずる有力な根拠だったが、著者の分析は正反対の結果を示す。子どもの数は減っても教育費は減らないどころか、教師の大量退職などにより増える。しかも財政力の弱い地方ほど多額の教育費を要する。どの地域でも義務教育の条件は変わらないというスタートラインの平等は崩れ、教育機会の不均等化が進むことになる。 出版社:朝日新聞出版  価格:¥ 1,890 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200902100138.html *失われた場を探して [著]メアリー・C・ブリントン[掲載]2009年2月22日 [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)  日本でバブル経済が崩壊した、1990年代に学校教育をおえた世代が、なかなか正規雇用の職にありつけない。この、いわゆるロストジェネレーション問題は、外からはどう見えるのだろうか。  アメリカの社会学者が、丹念な調査を行ってまとめた本である。そこから浮かびあがるのは、むしろ、高度成長期から80年代までの日本社会を支えていた、特殊なしくみにほかならない。  学校という「場」から、会社という「場」へ。年齢に応じて「場」の間を、順序どおりに移動するのが人生の標準型とされる。高校での就職斡旋(あっせん)や企業の終身雇用といった制度が、その「あたりまえ」さを保証していた。  しかし90年代には、産業の中心が製造業からサービス業や小売・卸売業へと移り、他方で高卒者の正規社員としての採用が減った。その結果、学力水準の高くない高校を出た若者が、会社の「場」に安住する道は狭まってしまう。ニートやフリーターの増加の原因を、本書はここに見る。  この変化をうけとめ、若者が、学校に必ずしも頼らず、自分で職を選ぶための感覚を磨くこと。そして周りの社会がそれを助けること。「場」の喪失がもたらした不透明さを語りながら、そこに新たな希望を、著者は見いだそうとする。 出版社:エヌティティ出版  価格:¥ 1,995 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200902240078.html *社会的排除―参加の欠如・不確かな帰属 [著]岩田正美[掲載]2009年3月8日 [評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)  グローバリゼーションと脱工業化という新しい経済社会状況に移行する中で、古い福祉国家の諸制度が対応できない新しい社会問題が登場してきた。「社会的排除」概念の価値は、セーフティーネットからこぼれ落ちてしまう人々が出現する過程を説明し、問題を解決する方策を「社会的包摂」として明らかにしようとするところにある。  フランス生まれのこの言葉は、いまやEU加盟国における社会政策上のキーコンセプトに育ったが、その意味は単純ではない。著者は、この概念の特徴をたくみに整理した上で、路上ホームレスとネットカフェホームレスを例に、日本社会のリアリティーに切り込む“社会的排除”の力を示してみせる。日本ではまだ実証的研究は多いとはいえないが、ホームレス以外にも障害者、女性、外国人移住者、いじめや虐待など、多様な社会問題の考察が可能である。  ホームレスの事例研究は日本での社会的排除の形成に二つの形があることを教える。ひとつは、いったんは社会のメーンストリームに組み込まれた人々が、そこから一気に引きはがされるタイプ。失業、離婚と借金、病気など多様な要因が複合的に絡んで、一気に定点を奪う。ふたつめは、メーンストリームに組み込まれたことはなく、途切れ途切れの不安定就労のように、そもそも社会への参加が「中途半端な接合」に過ぎなかったタイプ。いずれも、20世紀日本で作られた社会保険や生活保護制度の網から漏れてしまっている。  いまや海外では、社会的排除概念を使った社会問題の分析が、20世紀型福祉国家の所得保障システムから飛び出て、新しい福祉政策を生み始めているという。グローバリゼーションの中で日本だけが何もしないで社会の亀裂を回避できる保証はどこにもない。社会はその内部から社会に参加できない人々を作り出している。  社会的包摂をめぐる議論の行き着く先は必ずしも鮮明ではない。しかし社会的排除概念の有効性を主張する本書のメッセージは、コンパクトで平明ながら力強い。 出版社:有斐閣  価格:¥ 1,575 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200903100136.html *アンデルセン、福祉を語る [著]G・エスピン-アンデルセン[掲載]2009年2月15日 [評者]広井良典(千葉大学教授・公共政策)  本書は、福祉国家に関する比較研究の第一人者が、フランスの一般読者向けに書いた書物の翻訳である。そう記すと既知の話題の再論かと想像してしまうが、本書の議論は以下のような刺激的な問題提起を多く含んでいる。  第一に親から子どもへの「社会的相続」というテーマ。子どもの認知能力の基盤は小学校に入る前の段階でかなり決定されることが近年の研究で明らかになっており、それには経済的要因にも増して家庭環境の「文化」的要素(たとえば家にある本の冊数)が大きいという。こうした点から保育施設の質的充実など、北欧に代表される早い時期からの公的対応が、子どもにとっての「文化資本」の不平等を是正し、かつ社会全体の生産性を高める投資としても有効と著者は論じる。  第二に「死は民主的でない」という指摘。たとえばフランスでは男性の管理職は工場労働者よりも5年以上長生きするので、結果として高所得層が年金や医療、介護などの給付のより大きな受給者となる。つまり「平等」のための制度がかえって格差を増幅させているわけで、著者は代案として平均寿命に応じた累進課税などを提起する。  第三に「効率性」と「平等」の関係についての掘り下げ。たとえばデンマークの公的社会保障支出はアメリカのそれよりずっと大きいが、保育や医療に関する私的な支出も含めると両者の違いはほとんどなくなる。ならば市場より政府による対応のほうが、平等のみならず効率性の観点からもすぐれているのではないか。これら以外にも、現在の福祉国家に関する鋭角的な指摘が随所にあふれていて興味深い。  一方、“投資としての社会保障”という視点の重要性を確認したうえでなお、著者の議論の持つある種の「生産主義」的な傾向には疑問も残る。現在の先進諸国における慢性的失業の背景には構造的な生産過剰があり、雇用拡大という方向には限界があるのではないか。労働時間削減やワークシェア、賃労働の相対化といったテーマに関する著者の議論も聞きたいと思う。 出版社:エヌティティ出版  価格:¥ 1,890 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200902170092.html
[[◎市民の政策局の本棚07・08]] から [[◎市民の政策局の本棚]] #contents #comment *地球環境46億年の大変動史 [著]田近英一[掲載]2009年7月5日 [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史)  この地球上にいつ「生命」が登場したのか、いつ「生物」が生まれたのか、恐竜はいつなぜ絶滅したのかなど、地球史に関するわれわれの興味は尽きない。これに答える地球史学あるいは地球惑星科学は、過去20~30年間に、驚くべき成果を上げ、急速に新たな知見を蓄えつつある。そして、歴史学では「ビッグ・ヒストリー」と言われる分野が台頭している。  本書はこの地球史学の発展の結果、地球環境がどのようなメカニズムで変化するのかを明らかにし、われわれが今日、地球環境を考える際の時間の尺度を一挙に長くして、大きな視野からそれを考えるよう勧めている。  現在われわれは変動絶えない地球史のなかで、過去1万年前から始まった、比較的、気候の安定した間氷期に生きているのであるが、今のように二酸化炭素の急速な排出が続くと、突然かつ急激な大温暖化が生ずる「気候ジャンプ」が待ち受けていないとも限らないと、本書は警告する。だから、われわれは最大限の努力で温暖化の速度を遅くしなければならないのである。  最新の証拠と深い推論とを駆使したわくわくするような記述に引き込まれていくが、その示唆するところは「脅威」である。 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200907070107.html *学力と階層―教育の綻(ほころ)びをどう修正するか [著]苅谷剛彦[掲載]2009年2月8日 [評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)  学力低下論が席巻していた01年、著者は『階層化日本と教育危機』を出版して衝撃を与えた。「だれの学力が低下しているのか」を実証的に明らかにし、社会の階層化と不平等化という文脈に教育を位置づける挑戦だった。学力低下から教育格差へ。その後人々の教育問題へのまなざしに生じた変化は、著者によって問題がとらえ直され、再定義された結果だといっても過言ではない。  この本は前著の続編であり、主に03年以降に著者が折々の教育問題を分析した論考を集めたものである。タイトルは『学力と階層』だが、狭い意味での学力格差が主題ではない。いまや獲得された知識のストック(学力)ではなく、知識獲得のためのスキルや学習能力が重視される「学習資本主義社会」の時代が到来した。著者の関心は、学習意欲や態度を含む「学習資本」の階層間格差にあり、その形成にかかわる教育費の配分や教員の勤務実態にまでスコープは広がる。  著者の分析は看過することのできない知見を次々に明らかにしていく。出身階層によって子どもの努力(学習時間)には差があり、しかもその差は近年拡大している。もはや努力主義(「がんばれば誰でも……」)は結果の平等をもたらすことのないイデオロギーに過ぎない。自己責任が強調され、個人の失敗が努力の欠如によって説明されるようになれば、階層間格差を隠蔽(いんぺい)することになる。  義務教育費国庫負担制度の変更にも容赦なく批判を浴びせる。この制度は結局、国の負担率を2分の1から3分の1へと引き下げてその分を地方に回すことで政治的決着を見た。少子化によって地方の財政負担は将来減少するという「常識」が国の負担率を減ずる有力な根拠だったが、著者の分析は正反対の結果を示す。子どもの数は減っても教育費は減らないどころか、教師の大量退職などにより増える。しかも財政力の弱い地方ほど多額の教育費を要する。どの地域でも義務教育の条件は変わらないというスタートラインの平等は崩れ、教育機会の不均等化が進むことになる。 出版社:朝日新聞出版  価格:¥ 1,890 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200902100138.html *失われた場を探して [著]メアリー・C・ブリントン[掲載]2009年2月22日 [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)  日本でバブル経済が崩壊した、1990年代に学校教育をおえた世代が、なかなか正規雇用の職にありつけない。この、いわゆるロストジェネレーション問題は、外からはどう見えるのだろうか。  アメリカの社会学者が、丹念な調査を行ってまとめた本である。そこから浮かびあがるのは、むしろ、高度成長期から80年代までの日本社会を支えていた、特殊なしくみにほかならない。  学校という「場」から、会社という「場」へ。年齢に応じて「場」の間を、順序どおりに移動するのが人生の標準型とされる。高校での就職斡旋(あっせん)や企業の終身雇用といった制度が、その「あたりまえ」さを保証していた。  しかし90年代には、産業の中心が製造業からサービス業や小売・卸売業へと移り、他方で高卒者の正規社員としての採用が減った。その結果、学力水準の高くない高校を出た若者が、会社の「場」に安住する道は狭まってしまう。ニートやフリーターの増加の原因を、本書はここに見る。  この変化をうけとめ、若者が、学校に必ずしも頼らず、自分で職を選ぶための感覚を磨くこと。そして周りの社会がそれを助けること。「場」の喪失がもたらした不透明さを語りながら、そこに新たな希望を、著者は見いだそうとする。 出版社:エヌティティ出版  価格:¥ 1,995 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200902240078.html *社会的排除―参加の欠如・不確かな帰属 [著]岩田正美[掲載]2009年3月8日 [評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)  グローバリゼーションと脱工業化という新しい経済社会状況に移行する中で、古い福祉国家の諸制度が対応できない新しい社会問題が登場してきた。「社会的排除」概念の価値は、セーフティーネットからこぼれ落ちてしまう人々が出現する過程を説明し、問題を解決する方策を「社会的包摂」として明らかにしようとするところにある。  フランス生まれのこの言葉は、いまやEU加盟国における社会政策上のキーコンセプトに育ったが、その意味は単純ではない。著者は、この概念の特徴をたくみに整理した上で、路上ホームレスとネットカフェホームレスを例に、日本社会のリアリティーに切り込む“社会的排除”の力を示してみせる。日本ではまだ実証的研究は多いとはいえないが、ホームレス以外にも障害者、女性、外国人移住者、いじめや虐待など、多様な社会問題の考察が可能である。  ホームレスの事例研究は日本での社会的排除の形成に二つの形があることを教える。ひとつは、いったんは社会のメーンストリームに組み込まれた人々が、そこから一気に引きはがされるタイプ。失業、離婚と借金、病気など多様な要因が複合的に絡んで、一気に定点を奪う。ふたつめは、メーンストリームに組み込まれたことはなく、途切れ途切れの不安定就労のように、そもそも社会への参加が「中途半端な接合」に過ぎなかったタイプ。いずれも、20世紀日本で作られた社会保険や生活保護制度の網から漏れてしまっている。  いまや海外では、社会的排除概念を使った社会問題の分析が、20世紀型福祉国家の所得保障システムから飛び出て、新しい福祉政策を生み始めているという。グローバリゼーションの中で日本だけが何もしないで社会の亀裂を回避できる保証はどこにもない。社会はその内部から社会に参加できない人々を作り出している。  社会的包摂をめぐる議論の行き着く先は必ずしも鮮明ではない。しかし社会的排除概念の有効性を主張する本書のメッセージは、コンパクトで平明ながら力強い。 出版社:有斐閣  価格:¥ 1,575 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200903100136.html *アンデルセン、福祉を語る [著]G・エスピン-アンデルセン[掲載]2009年2月15日 [評者]広井良典(千葉大学教授・公共政策)  本書は、福祉国家に関する比較研究の第一人者が、フランスの一般読者向けに書いた書物の翻訳である。そう記すと既知の話題の再論かと想像してしまうが、本書の議論は以下のような刺激的な問題提起を多く含んでいる。  第一に親から子どもへの「社会的相続」というテーマ。子どもの認知能力の基盤は小学校に入る前の段階でかなり決定されることが近年の研究で明らかになっており、それには経済的要因にも増して家庭環境の「文化」的要素(たとえば家にある本の冊数)が大きいという。こうした点から保育施設の質的充実など、北欧に代表される早い時期からの公的対応が、子どもにとっての「文化資本」の不平等を是正し、かつ社会全体の生産性を高める投資としても有効と著者は論じる。  第二に「死は民主的でない」という指摘。たとえばフランスでは男性の管理職は工場労働者よりも5年以上長生きするので、結果として高所得層が年金や医療、介護などの給付のより大きな受給者となる。つまり「平等」のための制度がかえって格差を増幅させているわけで、著者は代案として平均寿命に応じた累進課税などを提起する。  第三に「効率性」と「平等」の関係についての掘り下げ。たとえばデンマークの公的社会保障支出はアメリカのそれよりずっと大きいが、保育や医療に関する私的な支出も含めると両者の違いはほとんどなくなる。ならば市場より政府による対応のほうが、平等のみならず効率性の観点からもすぐれているのではないか。これら以外にも、現在の福祉国家に関する鋭角的な指摘が随所にあふれていて興味深い。  一方、“投資としての社会保障”という視点の重要性を確認したうえでなお、著者の議論の持つある種の「生産主義」的な傾向には疑問も残る。現在の先進諸国における慢性的失業の背景には構造的な生産過剰があり、雇用拡大という方向には限界があるのではないか。労働時間削減やワークシェア、賃労働の相対化といったテーマに関する著者の議論も聞きたいと思う。 出版社:エヌティティ出版  価格:¥ 1,890 URL:http://book.asahi.com/review/TKY200902170092.html

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