無機質な部屋。簡素な窓と、普通の机と椅子が置かれている。もう少し生活感を演出するような物があればそのような印象は受けないのだろう。しかし、普段使われていないこの部屋が使うことになって。いちいちそんなことを考えることもされなかったのだろう。
「……というわけで、あなたの高校での経験は記憶したまま、今回の事件についての記憶は抹消。よろしいですか?」
「はい。……今回のこと、色々辛いことがありすぎて、忘れたほうが賢明だと思います。……けれど」
「仲の良かった友人。それらの起こした悲劇を覚えておくことが彼らへの追悼。ですね」
「……悪いのは、それを教え込んだ人達です。友人たちを忘れることなんて……できません」
 思いつめた表情をしながらも、少女は迷い無く喋る。
「全部忘れるだなんて、そんなことはできません」
 それを、まっすぐな瞳で突き返す。その瞳には、確かな光が宿っている。
「あんなことがあったとしても、彼らは私の友人です。それを悪いことをしたから見るな、忘れろだなんて私にはできません」
「はぁ、まあいいですけど」
 その熱意をどうでもいいように受け流す。まるで、住んでる世界が違う人間の声を聞いているかのように。
「で、弟さん。十七夜海斗さんのことですけど」
 ぴくり、と少女が―――十七夜たたらが動く。その瞳は先ほどまでと違い、縋るような瞳になる。
「弟さんはいまだ行方の方が掴めておりません。こちら側でも捜索していますが足取りがつかめません。以前報告のあった通り、情報を聞いて保護に向かった部隊が向かった時には既に姿は無く、窓から外へ何者かが逃走した様子が見られましたが、その後の行方は掴めず。……何やら少年を背負った少女の姿が見られたという証言はあるものの、それ以降も掴めず」
 青年の口から流れてくる情報は変わらず、たたらに落胆を与えるのみ。

 あの事件から2日経った。
 UGNは手際よく、『事件』の後片付けをした。聖天文高校は何事もなかったかのように授業があり、F町のどこをみても変わった様子は見られない。
 西京寺財閥に何やら異変はあったが、一般の人が会社の内情に首を突っ込んだりはしない。見た目は何も変わらない。
 F町には再び平穏が戻っている。

「それでも少しずつは進んでいます。おそらく近いうちに弟さんは見つかるでしょう。その点はご安心くださいな」
「本当に、ほんっとうにっ! 海斗は戻ってくるんですよね!? ねぇ!!」
 先ほどとは打って変わって、食いつくように青年に縋る。
「あの子だけが、あの子だけが気がかりなの、何もわるくないのに、ただ、使われてしまったあの子が! 返してくれるって、言ったのに、だから、わたしあんなことを! やったのに!」
「お、落ち着いてください、びーくーる、おちけつ」
「あの子だけが、海斗だけが、あ、あああぁぁあぁ……」
 崩れ落ちるように泣きだす。悲痛な叫び声だけが辺りを満たす。

 十七夜たたらは、弟思いな、正義感の強い高校生だった。
 その心の強さを突かれ、事件に協力『させられた』。
 その時、確かに約束されたこと。「言うことを聞けば彼を返す」
 怖かった。恐ろしかった。人を殺める恐怖。命を握られる恐怖。そして、死という現実。
 全てをこなした。文句ないほどに。一度も舞台袖に引っ込まず、最後まで役を演じ切った。

 それでも、弟は帰ってこなかった。
 最終的に失敗したからか。最後のあがきで、弟を連れて行ったのか。
 それとも、田井中に頼んだのが間違いだったのか。
 あの時、助けてと請うた。彼女は言った。「信じろ」と。
 でも彼女はFH。私たちを追いやった、人殺しの組織。
 彼女は巻き込まれただけ、一緒にするなと言っていたが、やはり口だけだったのだろうか。
 ―――信じては、いけなかったのか。

 突然、大きな音を立てて扉が開いた。息を切らした、メガネをかけた女性が入ってくる。
「報告です! 十七夜海斗さん、見つかりました!」
「なんだって! てか、お前誰」
「やはりFHの方に攫われていたようです! でも見つけてやりましたよ、我々の力で!」
 大声で早口に捲し立てる。少し着崩れたスーツ姿。でも、その顔は。
「何やってんの、田井」
「というわけでたたらさん! さっそく弟さんの所へ向かいましょう! 大丈夫、すぐに会えますよ! あ、あとこれもつけておいてください」
 たたらの手を強引に引き、口に何かを押しあてられる。彼女の顔には少し大きい、マスクのような物。
「おい、ちょっと待て。お前誰」
「新しく配属された佐藤です! ささ、さっさとさささとそれつけて! 倒れられると困るからね!」
「え? ええ? てか田井中さん何して」
「佐藤です!」
「お前のような佐藤がいるか!!」

 タンッ……

 一瞬だった。さっきまでのコメディのようなドタバタした雰囲気は一瞬で消し飛んだ。
 たたらが確認できたのは、UGNの青年が佐藤、いや田井中に手を伸ばしたところ。
 次の瞬間には、彼の右目に銃弾が撃ち込まれていた。彼の後頭部から割れたように赤い飛沫が飛び散り、部屋を汚す。
 田井中はそちらの方向を全く向かず、たたらと目線を合わせたまま、正確に打ち抜いた。
「うるさいよ、もういい」
 彼が倒れると同時に、本当にめんどくさそうに、田井中はつぶやく。
「まったく、ゴルゴ並にばっちり変装できる! って聞いたからこのメガネ買ったのに。バレバレじゃないの! どういうことなのミスティ!」
「田井中……さん?」
「はー? 演技が下手? 演技なんて必要ないって謳い文句だったじゃないのよもー」
 ぶつぶつと虚空に向かって喋りながら、拳銃に弾を込める田井中。そう言えば、平和なころからも、仲良くできたころにも彼女は虚空に向かって喋るところがあった。……病気、だろうか。
「あ、たたら。マスク付けた? またワーディング張られるから、気絶されると海斗君に会えないよ」
 その言葉を引き金に、呆然としていたたたらは我を取り戻す。
「海斗は!? 海斗は、無事なの!?」
「無事だよ。ただし、まずかった。でも、持ち直した。だからたたらを呼びに来たのさ」
「どういうこと!? 無事なの、どっちなの!?」
「あー、ごめんごめん。無事だよ。私は頼まれたら絶対に曲げないからね」
 無事。
 この2日感、その言葉をずっと待っていた。
 UGNは「懸命に探している、朗報を待っていてほしい」しか言ってくれなかった。
 無事が確認されるまで、ずっと待っていた。心が捻じ切れそうだった。

「ただし」

 田井中が、倒れた青年を指さす。血だまりの中に臥し、うめき声をあげている。……常人なら、死んでいるはずだ。目を撃ち抜かれれば、奥にある脳を破壊する。

「今弟に会いに行くってことは、あの時みたいなことになる恐怖をずっと引きずりながら生きて行くっていうこと。しかも、海斗君が三つ角の役になる」

 それは、想像し難き絶望。

「今ならまだ間に合う。あの事件も、弟が居たという事実も忘れ、正義感の強い立派な女学生十七夜たたらのまま、幸せに生きていくことができる」

 それは、何度か考えた甘い囁き。

「それでもこちらを選ぶと言うなら、躊躇わないほうがいい。余計な感情は自分を殺す。ただ一つだけの信念を持って進めるなら、これを持って進め」

 ゴトリ、と無骨な音を立てて重たい物が目の前に置かれる。
 テレビや写真でしか見たことが無い。否、一度だけ、あの時に手にした物。
 軽い力で人を殺せる兵器。確かにある現実。

「何も選択しない、は無しだよ。その事実が、永遠にあなたの心にまとわりつく。たとえ、記憶を消されたとしてもね」

 そう言って、田井中は手を差し出す。誘ってはいるけど、あくまで選択は彼女にさせている。

「私に、またこれを選べと言うの……?」

「選択の自由さ」




 少女は、手を取った。辛く悲しい理想へと。






 無機質な部屋に、奇怪な物体が所狭しと並べられている。一見で理解できないその物体は何らかの研究道具なのだろう。必死の形相で端末に何らかのデータを打ち込んでいる人が居て、それと共に物体は何らかの反応を返す。……何をやっているかは分からないが、常識で考えられるものではないのだろう。ただの予感が、妙に的中していそうで怖い。
「……ここは? こんなところに、海斗はいるの……?」
「ツータイム研究施設の一角。こんなところに海斗君はいるよ」
 未知の恐怖におびえるたたら、その中を、勝手を知るように通る田井中。
「海斗は、どういう様子だったの……?」
「見ればわかるよ」
 来るまでの間に何度か交わされた質問。それに対し、答えはいつも変わらなかった。
 沈黙が続く。周りから聞こえる機械音と、取り憑かれたように研究に勤しむ者たちの息遣い。止まったかと思えば、また荒くなるその音は、その場に慣れぬたたらにとって大きな苦痛だった。
「……似てるんだよ、私とたたらは」
「えっ?」
 たたらを引く田井中が、唐突に呟く。振りかえらずに、続ける。
「大切な存在があって。それを守るためなら何をも犠牲にできる心がある。自分の目的のためなら、他者を踏み躙ってでも進もうとする想いがある」
「田井中さん……一体何を?」
「その方法が正義とはかけ離れているとわかっていても、それを承知で縋る。つまり、いざという時に一線を踏み越えられる人間。私達側なんだよ。十七夜たたらという人間は」
 自分をこんな目にあわせたFHと同じ人間。同類だと、田井中は言った。
「わ、私は、そんなことっ」
「あなたは私を撃った!!」
 目の前に銃を突きつけられる。先のUGNの時と同じ。抜いたことを気取られぬ速さ。オーヴァードの力。
「あの時私を撃った。判断力が失われ、目前の定めを失った状況で。人間の深層意識は追い詰められた時こそ信用できる。あなたは何をした? 誰かに話すでもなく、誰かに託すでもなく、弟のために自分で従う道を選んだ!」
「あ、あ、わ、私はっ」
「その道は、大事な友人を殺す道! 弟と友人たちを天秤にかけ、あんたは私たちを殺す道を選んだッ!! それのどこが正義だッ!!」

「やめろ、田井中」

 遮るように現れたのはもう一人の友人。あの後、行方を晦ましていた一人、神座蔵人。
「十七夜が怯えている。脅かすために連れて来たわけじゃあないだろう」
「あ、え? 神座君、何でここに……?」
「ツータイムセル、観察と記録。それが僕の役目だ」
 表情を変えず、いつもの調子でしゃべる。あの後会えなかった寂しさが、うれしさに変わる瞬間のはずなのに、その瞬間は一向に訪れない。
「……あなたも、あいつらの仲間、だったの……?」
「あの事件でどういったことが起こるか。どういった行動が行われるか。それらの観察と記録が僕の仕事だった」
「……頭がぐるぐるしてくる。平静で居られなくなってくるわ……」
「でもこれは信じてほしい」
 神座の、いつもより少しはっきりとした口調。
「田井中は、十七夜海斗を助けてほしいと言った。自分のことを信頼し」
「うわっ、黙れ神座!!」
「ぐむむ」
 言いかけた神座を、慌てて押し倒す田井中。先ほどまでの冷徹な表情は無く、顔を真っ赤にしながら神座の口を押さえている。
 一瞬で、いつもの調子が始まっている。この空気に触れ、たたらは気付いた。

 田井中にとってはあくまでいつもの調子であり、何だかんだ言って場を混乱させて楽しんでいるだけだ。
 それならば、私の役目は一つだ。幸いにも近くに何やら分厚い本がある。
 いつもの呼吸、いつもの間の取り方。……そう言えば、神座君にやった覚えはないし、やる必要はない。……一冊でいいか。

「やめなさい、二人とも」
 ドグッ、と田井中の頭に本が叩きつけられる。避けることも防ぐこともできない一撃。場を収める、たたらだから出来る役回り。
「―――――ッッ!!!」
 涙目になりながら転がる田井中。角である。
「何だかさっきまでの空気が飛んで行っちゃった。ここまで来ておいて何だけど、田井中さんの言うことがどこまで本気なのやら」
「きっと、彼女も全部本気なんだろう。十七夜が居ないで田井中が言ったことも全部」
「そうね……彼女、嘘つけないもの」
 ごろごろ転がっている田井中を見て、二人は笑う。……周りは、先ほどと同じ、無機質な研究所。
「十七夜、ついてきてくれ。海斗君に会いに行こう」
 笑顔のまま、何事もないように神座が答える。十七夜は、ほんの一瞬、弟のことを忘れるくらい日常に戻って居た感覚だった。
「か、海斗! そう、海斗は無事なの!?」
「無事だって言ったじゃん……くぅ、へこんでるかも」
「誰かを助けるのに理由はいらない。そう言ってあの後僕より早く楽園教から救い出した。……勘違いしないように説明するけど、今回の計画に海斗君は関係なかった。だから、関わってしまった海斗君はすぐに救出するつもりだったんだ」
「そう、だったの……?」
「けどまあ、私に頼んだのは正解だったかもよ。私が救出した後に来たのはUGN。あいつらじゃあ海斗君は植物状態ぷっぷくぷーだっただろうしね」
「とにかく。こっちだ、ついてきてくれ」
 神座はいつも通りの落ち着いた口調で、田井中もいつも通りの軽い口調で。十七夜を案内する。
「海斗は、無事なのよね?」
 最後の質問。先までの悲観と希望が混ざった物ではなく、確認のこもった明るい声。
「会えばわかるよ」
 質問の答えは最後まで変わらない。



 つきあたりの部屋の中。そこあったのは人が入れるほど大きな試験管。そしてそれに伝わるたくさんの長いパイプ。
 それを操作する一人の女性。
 試験管の中は謎の液体で満たされ、その中に人間が浮いている。全身に管が繋がれ、顔はマスクで覆われている。
「研究絶好調だねー。無事そうで何よりだ」
 田井中の軽い口調がはずむ。
「安定期に入ってだいぶ経っている。データもほぼ変動なし。こちらの目的でなら、もう終了してもいい状態だ」
 神座が、いつもの通りに喋る。
「……お前たちか。素体としてはシンプルすぎる。取りたてて特筆すべき要素もない。研究材料としては大したものではないな」
 女性が淡々と答える。
「……かいと……?」
 当たり前の状況に、何も考えられなくなる十七夜。
「で、どうなの? 出来そうって言ってたやつは」
「人形と……お前は佐藤だったか」
「田井中です」
 何も聞こえない。何も考えられない。
「オーヴァードを一般人に戻すよう、レネゲイドの力を絞りつくす。……まったく芳しくないな。こいつでも最終的にはレネゲイドの力を完全に取り除くことはできるだろう。長い時間はかかるが」
「いかほどで?」
「204年だ。今最短で198年というデータが出ている。他のやり方を考えたほうがいいかもしれん」
「というわけでさ、たたら」


「うわああああぁぁぁーーーーッ!!!」


「どういうことなのッ、ねえ、海斗が、海斗が、無事だって言ったじゃない、大丈夫だって言ったじゃない、私は、なんでここまで、戻ってくるって、大丈夫だって、ねえ、ねえ!!」
「落ちつくんだ、十七夜」
「いやだ、いやだよ、たすけてよ、わたしはどうなってもいいから、助けてよ! ここまで、どうして! やだやだやだ、海斗が」


「たたらぁ!!」

「もう一度同じ質問だ! あの時の恐怖が来るとわかっていながら、弟と共に世界を裏切るか! 恐怖と弟を忘れ、平穏を生きるか!」
「UGNを頼っていたらこうはならなかったッ! 非道には非道、意識を取り戻すには私たちじゃあないと駄目だった!」
「暴走の恐怖を抱えた植物状態の弟と一緒に過ごしたかったのか! それとも、再び弟と話し、姉と呼ばれる存在に戻りたかったか!」

「う、あぁ……」

「弟は、海斗君はもう普通に戻れない。あいつらがそうした。元に戻す方法は確立していない。でも、和らげ近づかせることはできないことはない。あちらには無い技術だけどね」
「別に海斗君を選んだあと、FHに居ろとかは言わない。むしろ、改めてUGNに話した方が安全な世界で過ごせるだろう」
「もし君たちに害をなす物が居たらいつでも田井中が手を貸してくれるそうだ」

「たたら、選択だ。弟を助けたいか。否か」

「わ、私は……」



「海斗に……会いたい……ッ!!」



 誰も、何も言わなかった。
 女性が、興味なさげに一つのボタンを押す。
 それと同時に、試験管の中の排水が行われ、身体についていた管が抜かれていく。

 試験官が開かれ、中に居た者が目を覚ます。

「ここは……? お、姉ちゃん?」
「海斗……」

「海斗ぉ……!!」


「感動の再会か。まったくもって興味が湧かないな。おまけにどっちも何の素質もない。設備を使った時間を返してもらいたいものだ」
 そう言い残して、女性は去っていく。後に残るは、いつもいた3人と、その弟。
 田井中が、二人に近寄る。

「色々脅したり聞いたりして悪かったけどさ。私はたたらのことは信じてた。けど、一応確認ね。この先辛いことたくさんあるだろうからさ」
「あなたは、手放しで私のことを信じてくれた。自分の死を覚悟しながらも、私を頼った。……そんなこと、めったにできることじゃないよ」
「あなたは私を信じてくれた。理由は、それ一つだけさ」
顔をぐちゃぐちゃにしながら、十七夜が振り返る。
「ありがとぉ、田井中さん、神座君……」
「礼には及ばない。僕は僕のやりたいことをやっただけだ」
「そういうこと。助けたくて助けたんじゃない。頼まれたから、その見返りがあるからやったのさ」
「見返り?」

「その涙と鼻水の顔が見たかった」
「ば、ばかぁ」


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最終更新:2011年03月09日 00:10