テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
Theobald von Bethmann Hollweg
(1856年11月29日 – 1921年1月1日)
陛下、私は自身の渾名を不名誉には感じておりません。陛下の白き輝く心が私の黒を癒し、その白さを分けてくださった…と解釈しているためです。
――"灰色の猊下" テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
基本的なプロフィール
性別 |
生まれた年 |
出身 |
特徴 |
史実/オリジナル |
男性 |
1856年 |
ブランデンブルク |
立派な髭 |
史実 |
帝国連邦の帝国宰相にして連邦宰相。大戦争勃発時の宰相であった。
彼は政治家ではあるものの、派閥には属さず自分の信念をもとに活動した。
幼い帝国連邦皇帝に仕え、皇帝からの強い信任を得る。
元々、宥和的かつ対立勢力の融和を掲げて政治を行っていたため、大戦争勃発時から議会や軍部との意見が合わないようになり権力を失う。
帝国連邦の宰相を辞したあとも皇帝の側で仕えていた。
来歴
各章のプロフィール |
前史"白く輝く楽園" |
年齢 |
1872年 |
16歳 |
1900年 |
44歳 |
職業 |
政治家 |
所属 |
ブランデンブルク州内務省→知事 |
第1章"立ち込める白煙" |
年齢 |
1910年 |
54歳 |
1918年 |
62歳 |
職業 |
政治家 |
所属 |
帝国連邦宰相 |
第2章"灰色の雨" |
年齢 |
1919年 |
63歳 |
1921年 |
64歳 |
職業 |
なし |
所属 |
なし |
第3章"崇高な黒" |
死亡 |
後史"暗黒の30年" |
死亡 |
前史"白く輝く楽園"
年 |
出来事 |
1856年 |
プロイセン王国、ブランデンブルクの ホーエンフィノウに生まれる。 |
1882年 |
帝国連邦プロイセン行政区内務省に入省。 |
1899年 |
帝国連邦プロイセン行政区知事に就任。 |
1905年 |
帝国連邦内務大臣に就任。 |
1907年 |
帝国連邦国務大臣に転任。 |
1908年 |
後の帝国連邦皇帝と出会う。 |
1909年 |
帝国連邦宰相に就任。 |
第1章"立ち込める白煙"
年 |
出来事 |
1914年 |
サラエボ事件(黒き手事件)。 大戦争。 |
1917年 |
帝国連邦宰相辞任。 帝国連邦皇帝と離別してしまう。 |
1918年 |
帝国連邦崩壊。 |
第2章"灰色の雨"
年 |
出来事 |
1919年 |
帝国連邦の元皇帝と再会。 以降、常に元皇帝の傍に仕える。 |
1920年 |
12月末に体調を崩す。 |
1921年 |
肺炎のため死去。 |
関係のある人物
出世街道を歩みつつも、漫然と「国のため」とどこか晴れないベートマンを目覚めさせたのが皇帝であった。
灰暗い雲の下にいた、心が曇っていた彼に光を差し、その温かい手が灯を灯すように…。
それ以降、皇帝のために彼は帝国連邦の宰相になる決意を固め政治を取り仕切る。
平和のために諸外国との緊張会話に努め、国内の対立勢力間に妥協点を見つけて協和を図った。
全ては皇帝のため。諸民族の国民のため。平和のため。
しかし、大戦争がすべてを壊してしまった。
権力を失い、宰相を辞任したことが全ての間違いであった。
帝国連邦崩壊後、ようやく皇帝と再会できた。
国が滅んでも彼にとって皇帝だ。皇帝こそ彼の故郷であると、プロイセンを発つほど。
ずっと皇帝の傍に居続け、慰め続ける。
自分の罪の贖罪のためにと。
だが、ベートマン自身も老齢。
永遠は存在しない。
ベートマンは皇帝の拠り所だった。
彼の死は、本当の全ての始まりであり、本当の終わりでもあった。
1919年、皇帝と再会して間もなくのハンガリー議場で邂逅する。
ベートマン自身、敵対心など微塵もなかった。
ハンガリー人も元々は帝国連邦の一員なのだから。
政治家を辞めた彼女は皇帝と彼の使用人として仕え、皇帝とともに談笑する機会が多くあった。
ベートマンとエルヴィーラは2人とも、元政治家、同じく故郷を捨てた身、同じ人物を敬愛する点から深いシナジーを感じていた。
自身も既に老齢の身。皇帝の将来を案じた彼は、彼女に頼みごとをする。
「私が居なくなったら、次は君が彼の傍にいてあげて欲しい…」
しかし皮肉にも…この言葉が後に、彼女のとある迷い、善良な人間として最後の一線を越える機会となってしまう。
皇族の中でベートマンを最も理解している人間であった。
そしてベートマン自身、この国の精神を支える最も大きい人物であると理解していた。
大公は前皇帝ルドルフ2世の遺志を継ぎ、皇族と議会のバランスを保とうとしていた。
そしてあまりに理想的すぎる帝国連邦の理念と皇帝に対しては、理想の難しさを理解しつつも突き放すことは無く、むしろ現実的な観点から体現させようと試みていた。
そこに彼は共感していた。宰相としては議会の立場も皇帝の立場も大事であり、双方無くしてはこの国が保てないと感じていたためである。
だからこそ、彼を失ったのは全てにとって、あまりに致命的であった。
最終更新:2025年06月13日 19:55