カール・ハプスブルク=ロートリンゲン

Karl Franz Joseph Ludwig Hubert Georg Otto Maria von Habsburg-Lothringen
(1887年8月17日 – 1927年)
余の願いは民の安寧であり、先の戦禍から民の心が癒されることである。"崇高な黒"は帝国連邦の復活を掲げて、忘れられぬ楽園への道を示し、誘惑し…エスターライヒを再びの戦禍に落とそうとしている。だからこそ今"崇高な白"を結成し、かの者らに対抗せんとするのだ。
 ――"崇高な白" カール1世


1917年のカールの肖像

基本的なプロフィール


性別 生まれた年 出身 史実/オリジナル
男性 1887年 ニーダーエスターライヒ 史実

帝国連邦エスターライヒ王ハプスブルク=ロートリンゲン家の人間であるが、彼は当初エスターライヒ王になるとは想定されていなかった。
しかし、1910年にルドルフ2世が崩御したころには祖父と父は亡くなっており、次の王位継承者であり叔父のフランツ・フェルディナントもサラエボで暗殺されてしまった。不幸が続き、回りまわって自らに王位が継承されたのである。

王位を継承したものの、彼自身戸惑いを持ちながらエスターライヒ王となった。

1914年に始まった大戦争で帝国連邦は崩壊し、エスターライヒで国家の元首として国を治めることとなる。
しかし、彼はエスターライヒの皇帝になるのを数年見送った。それは自分の政治経験の浅さ以上に…家族の不幸で王となり、帝国連邦の崩壊で皇帝になるという事実を受け入れられなかったからである。

1923年、彼は決意しなければならなくなった。ウィーンが"崇高な黒"により占領されたのだ。
国の危機であり、それ以上に"崇高な黒"の正体を薄々感づいていた彼は止めなければならない使命を感じていた。

かつて帝国連邦で元帥を務め、不仲でもあったヘッツェンドルフへ協力を仰ぎ"崇高な白"を結成しエスターライヒの王冠にして帝冠を冠したのである。


来歴


各章のプロフィール
前史"白く輝く楽園"
年齢 1872年 未生誕
1900年 13歳
職業 王室、政治家
所属 帝国連邦エスターライヒ王室
第1章"立ち込める白煙"
年齢 1910年 23歳
1918年 31歳
職業 王位継承者→エスターライヒ王
所属 帝国連邦シェーンブルンサークル
第2章"灰色の雨"
年齢 1919年 32歳
1921年 34歳
職業 エスターライヒ皇帝(未戴冠)
所属 エスターライヒ
第3章"崇高な黒"
年齢 1923年 36歳
1925年 38歳
1927年 40歳
職業 エスターライヒ皇帝
所属 "崇高な白"エスターライヒ
後史"暗黒の30年"
死亡

前史"白く輝く楽園"

出来事
1887年 帝国連邦エスターライヒ王国行政区、
ニーダーエスターライヒ州の
ペルゼンボイク城で生まれる。
1896年 祖父カール・ルートヴィヒが死去、
王位継承順位第3位となる。

第1章"立ち込める白煙"

出来事
1906年 父オットー・フランツが死去、
王位継承順位第2位となる。
1910年 帝国連邦皇帝ルドルフ2世が崩御、
新たな帝国連邦皇帝が即位。
新皇帝とは初対面であり、運命の出会いでもあった。
1914年 サラエボ事件(黒き手事件)、
叔父フランツ・フェルディナントが暗殺される。
大戦争。
エスターライヒ王に即位。
1918年 帝国連邦崩壊。
エスターライヒ独立、
エスターライヒの国家元首となる。

第2章"灰色の雨"

出来事
1919年 数年、エスターライヒ皇帝になるかを悩み続けることとなる。

第3章"崇高な黒"

出来事
1923年 "崇高な黒"により帝都ウィーンが占領される。
カールも命からがらグラーツへ逃れる。
フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフに頼る。
"崇高な白"結成。
エスターライヒ皇帝に即位。
1925年 大ドナウ戦争。
1927年 帝都ウィーンでの戦闘にて前線指揮のさなか、
流れ弾に当たり治療もむなしく崩御する。

関係のある人物

帝国連邦の皇帝

23歳、カールは初めて帝国連邦の皇帝に出会う。
彼は自分よりも13歳年下であり、その幼さに衝撃を受けた。

新たな皇帝を迎えたシェーンブルンサークルで、新しくエスターライヒ王となったフランツ・フェルディナントの元、カールも王位継承者として活動を始める。

皇帝とカールは目指す先や思想が同じであったためか、いつしか親しい存在となっていた。

しかし、1914年にフランツ・フェルディナントが暗殺されると穏やかな風は嵐に変わるように変化した。

目まぐるしい忙しさに頭を抱えながらエスターライヒ王になったカール。
彼はその後の処置、そして始まった戦争への対処に追われ…
以降皇帝と会うことは叶わなかった。

フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ

ヘッツェンドルフはイタリアやセルビアに対しての予防戦争を主張していた人物であり、1912年に更迭されていた。
しかしフランツ・フェルディナントに推挙されて元帥に復職した。

カールにはそれが理解できなかった。
彼の主張は明らかに帝国連邦の理念や自分たちの政治思想とはそぐわなかったからである。

1914年にフランツ・フェルディナントが暗殺されると、ヘッツェンドルフはそれを利用して国内の報復感情を煽り始め…結果的に戦争は始まってしまった。
だが、カールは戦争の対処のために彼を更迭出来なかった。

やがて帝国連邦が崩壊し、ヘッツェンドルフは自然と任を解かれた。

1923年帝都ウィーンが"崇高な黒"により占領されると、カールはその対処に迫られた。
独立後のエスターライヒには全ての軍を指揮する人物がいなかった。
そのため、ヘッツェンドルフのもとへと赴き協力を取り付けようとした。

交渉の末ヘッツェンドルフは了承し、エスターライヒの元帥の任を受けた。
カールはその時ヘッツェンドルフの想いを聞いていた。
ヘッツェンドルフ自身も帝国連邦の崩壊に重い罪の意識を感じていたのだ。よくよく話を聞くと、彼の当時の行動は帝国連邦を思ってのことだったという。
しかし自分の示した道が結果、帝国連邦の崩壊に繋がった。
そこに心を患うほどの責任を感じていた。

カールとヘッツェンドルフは、過去のわだかまりを越えて"崇高な黒"に対抗するため手を取りあった。

フランツ・フェルディナント


テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク


ヴィルヘルム2世


カール・レンナー

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最終更新:2025年06月26日 18:19