キメラの群れを相手にするはアサシン単騎。
後方に控える魔女の存在を考えれば、戦力は彼女に割くべきだろう。
アサシン、ライダー、アーチャー、藤丸律花の意思が言葉を交わずとも一致した結果だ。
装束が風に靡き揺れる前髪の奥からキメラを見据える。
共に戦ったトロイアの兵士は一人残らず、キメラへと変貌した。
獣を殺す事は彼らの命を消す事と同義。共に戦場を駆け、背中を預け、志を共にした仲間だ。
アサシンが召喚され間もない頃から親身に接してくれた彼らに情を抱いている。
「解放してあげますから――あの世で、ゆっくりしてください」
故に殺す。
誇り高きトロイアの兵士として彼らを死なす。
束縛からの解放だ。キメラとなった仲間を見過ごすなどあり得ぬ。
クナイを引き抜き、先頭を走るキメラへ接近すると抉り取るように首を斬り裂いた。
切断こそしていないものの、鮮血を撒き散らし呻き声を轟かせながら一頭のキメラが倒れる。
「まず一人……僕がこの手で貴方達を解放します。さぁ、かかって来い!」
「気合い入ってんなあ……ま、俺も仲間をやられて結構キテるから他人の事は言えないけどよ」
木陰に佇む魔女へ聞こえるようにライダーは遠回しで怒りを伝える。
仲間をキメラに変貌させられ怒りを覚えぬ者などトロイアに在らず。ライダーもまたアサシンと同じ。
軽い態度や言動に変わりこそ無いが、彼の鋭い視線が魔女を射貫く。
「価値も無い人間をキメラに変えてやっただけの事。不良品は不良品らしく哀れに吠えてればいいもの」
銃声が響く。魔女の発言を止めるように放たれた弾丸は彼女へ一直線に吸い込まれて行く。
首を貫通し後方にある大樹の幹に直撃。サーヴァントと云えど急所に弾丸を貰っては致命傷を避けられない。
勝負あった――と言いたいライダーであるが、そう簡単に決まるなど誰が予想するものか。
蜃気楼のように消えた魔女は気付けば藤丸律花の正面へ現れていた。陳腐な表現をするならば正に瞬間移動。
当然のように現れ、首を見ても弾丸の痕跡どころか傷一つ見当たらない。
「カルデアのマスターか。トロイア側に荷担するとは馬鹿な男よ。今からでも遅くは無い……こちら側に来い」
「じゃあお前はアカイア側に召喚されたサーヴァント……」
「そうだ。クラスは見えているのだろうがキャスターとしてこの時代に少しだけ早く名を馳せることになった。
カルデアも水流に飲み込まれた今、劣勢なるトロイアなど放っておけ。人理を修復するならば――歴史に抗うな」
心臓が跳ね上がる。
目の前の魔女は今、何を言ったのか。
藤丸律花の鼓動が急激に加速する反面、彼の脳内は自分でも驚く程に冷静。
目の前の魔女はあり得ぬ事を口にした。それを知っているのは自分かアーチャーか――当事者か。
「どうしてカルデアが水流に飲み込まれた事を知っているんだ……!?」
藤丸律花はカルデアの素性を誰にも明かしていない。
ヘクトールにさえも、現状を説明しておらず、その実態を知るのはカルデアの人間のみ。
マスターとアーチャーを除けばこの時代に知る存在はいない。故に目の前の魔女が口走る行為その物が有り得ないのだ。
「まさかお前がカルデアを――マシュをッ!」
「それはどうかな? 知りたければ私の口を無理矢理開かせる事だな」
「いい提案だな。是非とも乗らせていただこう」
口を割らぬならば吐かせるまで。
駆け寄ったアーチャーの双剣による一撃が魔女の背中を襲う。
連撃が肉を斬り裂く音を響かせながらも、血は舞わずに剣にも付着していない。
「こっちだ」
空間が歪む。
蜃気楼が消えた先に現れた魔女の右手には炎が、左手には氷が纏われている。
「ふ、フレイザー」
「そんなことがあってたまるか」
マスターの前に立つアーチャーが魔女から感じる魔力は宝具にも匹敵する存在感を放つ。
此方も相応の防御手段を用いなければ、身体を焼かれるか、生命活動を凍らされてしまうだろう。
右腕を翳し詠唱を――唱えようとした瞬間だった。
「俺を忘れんじゃねーよ」
二重螺旋を描き大気を抉るように迫る魔術と標的であるアーチャーの間に割り込む一つの影。
その逆立った金髪――ライダーはリボルバーとは異なる獲物を握っており、魔術に対しカウンターを放つ。
獲物が魔術に直撃した瞬間、空気を振動させる強い衝撃が響き、魔術は天高く吹き飛ばされた。
「ば、バケツ……?」
ぐわんとライダーの腕を基点に一回転するソレは見慣れた日用品。
何の変哲も無い銀色のバケツだ。藤丸律花の見た光景が真実ならば、炎と氷の二重螺旋を打ち返したのがこのバケツとなる。
星を束ねる聖剣、最果てにて輝く槍――サーヴァントを代表する宝具は多種多様だ。武器に囚われず、生前の逸話すらを己の力とする。
「バケツのサーヴァント……すぷらとぅ」
「そんなことがあってたまるか」
危なげな単語を口にするマスターを制止するアーチャーはやれやれと困り顔を浮かべる。
仮にそうであるならば今頃ありったけのインクが零れている筈。しかし、戦場には水滴一つすら落ちていない。
「バケツを武器として扱う英霊となれば自ずと的は絞られる。最も私は一人しか思い浮かばないがね。
そして何よりも君のクラスはライダー。大海原を舞台に悪逆非道の限りを尽くしたと言われるキャプ――む」
「詳しいなアーチャー。だけどストップだ。サーヴァントたる者、真名をバラして得することなんてありゃしねえ。
だけど、少なくとも今は互いに背中を預ける身だもんな……せめて俺自身に名乗らせろよ。せっかくだからかっこつけさせろ」
流暢な喋りとなったアーチャーを黙らせるために人差し指を彼の唇へ重ねる。
真なる名の解放となれば、それはサーヴァントにとって一世一代の晴れ舞台。好きにやらせてくれとライダーは言う。
帽子を深く被り、敵たる魔女を鋭い視線で射貫く。リボルバーの照準を合わせ、バケツは邪魔になるため解消。
そして一陣の風が過ぎ去り、戦場は一瞬の静寂に包まれた。まるで主役の口上を待つ観客のように。
「あーあ、かっこつけようとしたけどそこのアーチャーがほとんどゲロっちまった。
はぁ……ま、いっか。此度の召喚に馳せ参ぜしクラスはライダー、戦場は海原、我は海賊也。
悪逆非道の船乗りクソ野郎、ウィリアム――いやキャプテンだ。俺はキャプテン・キッド――以後お見知りおきを」
帽子から覗く片目が異様な煌めきを宿す。その視線の先に魔女はいない――って、いない!?
「はぁ? まーた瞬間移動?? 完全に見失ったんだけど???」
拍子抜けしたライダーの間抜けな声だけが戦場に残る。
真名を解放し、さぁこれからだと気合いを注入した所で肝心の相手は消えてしまった。
誰から見ても分かるようにがっくりと肩を落とし、行き場を失ったリボルバーをホルスターへ戻す。
「なあなあなあなあ、あの女はいつから消えた?」
傍に駆け寄った藤丸律花とアーチャーに対しライダーは問う。
近寄れば分かるが想像以上にショックを受ける彼を見たカルデア一行は呆れた顔を浮かべる。
戦闘が終わっただけ有り難い。言葉には出さない。この戦闘にてトロイアの兵士は死んでしまった。
「まさかとは思うけど、俺の名前も聞かないで消えた?」
「いやそこはちゃんと聞いてたよ」
「そっか……ま、ならいっか!」
「よくないぞライダー……君の真名だけが相手に伝わったんだぞ」
魔女が己の名を知ったことに笑顔になるライダーとは対照的にアーチャーの顔が曇る。
当然だ。真名を知られて喜ぶサーヴァントなど滅多に存在しない。
極希に相手に真名を知られることで真価を発揮するサーヴァントもいるが、少なくともキャプテン・キッドにそのような逸話は聞いたことがない。
単なる馬鹿なのか。それとも細かいことを気にしない脳天気な男なのか。
アーチャーの悩める種がここに一つ増えた瞬間であった。
「別に真名を知られたところで、どっかではバレんだからな。それに俺の名前を知ったからって特別な対策を建てれるとも思わん。
アカイアの大将――アキレウスみたいな弱点があるなら絶対に言わないけどな! あいつは例外だ。あんな弱点がバレちまったら怖くて外に出れねーし」
笑い声を豪快に響かせるライダーだが、彼の言うとおり真名が明るみに出るとは限らない。
相手が生前を知らなければ特段として困る事案は発生しない。へぇ、と呟く藤丸律花のリアクションと変わらないだろう。
しかし、アーチャーの言うことも当然である。サーヴァント同士の戦闘に於いて真名は判明しなければしないほ程有利である。
だが、特異点の旅に於いて相手の真名を知り、生前の逸話を利用した戦闘は多くない。
キャメロットではハサン達がトリスタンに挑んだ時のように、必ずしも有利になるとは限らない。
アーチャーは聖杯戦争に縁のあるサーヴァントである。
故に他の英霊よりも真名に敏感なのだろう。尤も彼の言うことが当たり前なのだが。
「アキレウス……そうだね、分かりやすい弱点を持っている。でも」
「そうさ。あいつはめちゃくちゃ強い。でたらめに強い。馬鹿みたいに強い」
「大英雄と呼んでも差し支えの無い存在だろう」
「あいつが戦場に立てばそれだけでアカイアの士気が高まっちまう。まあ分かるけどなあ。
あんな武人が大将やってくれればそりゃあ兵士もやる気になるって話よ。しかも本人が強いから踵を狙うのもしんどい」
「で、でもトロイアにはヘクトールやローランさんがいるよね?」
「あの二人も英雄よ。ヘクトールは文句なしのトロイアの大将さ。人望も厚けりゃあ政治の才能もあって、当然強い。
ローランも前線に出張ってしょっちゅうアカイアの兵士を根刮ぎ倒してくれるからなあ。
部隊の指揮権こそ与えられてないが、間違い無くあいつが前線の士気を上げてる。分かりやすい武人だよ、あいつはな」
トロイア戦争を舞台とする此度の特異点に於いて大規模な集団戦が主な焦点となるだろう。
現に藤丸律花にとっての最初の戦闘が戦争であり、アカイア側に二体のサーヴァントを確認している。
そして先の戦闘にて魔女を確認し、これで系三体のサーヴァントがアカイア側に存在することとなる。
特記戦力と呼ばれる彼らの実力は特別であり、存在そのものが象徴となっている。
「トロイアには他に切り札って呼べるサーヴァントがいる。アカイアにも勿論、面倒なサーヴァントがまだいるからな。気を付けろよ」
「そうだね……頼りにしてるよキャプテン! それにあさ――――――――アサシン!」
地上に転がるは無数の死体。
身体に多くの欠損が見られ首が残る方が珍しい有様である。
血肉が散乱し生き地獄を現世に再現したその中心に立つ独りの青年。
赤い髪を宿し、細美な肉体に似合わぬ赤黒き血が彩られる。
彼が流した鮮血か。殺した相手の返り血か。判別は不可能である。本人すら忘れてしまった。
足下の死体が全てを物語る。殺し合いだ、正気を失い獣となった兵士達は獲物を食すことだけを考えていた。
脳が働かず、人間としての誇りも捨て去られ、彼らは獣としての本能に従ってしまった。
襲い掛かる獣に罪は無い。彼らは何も不可解な行動をしていない。
本能だ。本能に従った。止まらぬ衝動を抑えられない彼らを誰が責めようか。
全ては彼らを獣へと変貌させた魔女だ。全ての要因は魔女だ。
最後の一頭となった獣の頭部を左腕で掴み、己が眼前へ移動させる。
右腕には小刀が握られ、その刃は本来の輝きが感じられない程に血を吸っていた。
呻き声を上げる獣と一切の言葉を発しない暗殺者。
彼の頬から血が墜ちた時、小刀が獣の首を斬り裂いた。
霧のように空中へ噴出される鮮血。
一斉に浴びる事となった暗殺者は顔色一つ変えずに獣を投げ捨てる。
顔色と呼べる程の識別は不可能だ。彼の顔は血によって染められている。
「最期の一人……仇は僕が討るから、安らかに眠ってください」
小刀を空振りし付着した血飛沫を飛ばす。
嘗ての仲間だったトロイア兵達は一人残らずこの手で送った。
次なる標的はただ一人。此度の主犯である魔女だ。兵士達を獣へと変貌させた張本人。
殺せ。全ての根源たる奴を殺せ。
首を落とせ。骨を砕け。命を抉れ。
魔女を人と認識するな。己を人と思うな。我は悪鬼。
そして風魔小太郎の瞳に藤丸律花の姿が投影された時、彼は糸が切れたように倒れた。
無数の獣の亡骸と共に、赤い血溜まりの中心で。
最終更新:2017年06月12日 20:11