月下の獣(1)

 俺は貴方を愛してしまった。


 己の意思に反し、貴方は薬を投与した。


 抱くは偽りの恋い心――けれど貴方を愛してしまった。











 夢から覚めるほどの衝撃だった。
 寝ている僕を襲った重い音がベッドを軋ませる。
 跡を追うように家屋が崩れ瓦礫が墜ちる音が響く。僕は布団を蹴り飛ばし急いで窓から外を覗いた。

 街から煙りが上がっており、所々に火が点いている。
 月明かりに照らされて僅かながら逃げ惑う人々の姿を見た時、僕はカーテンを閉めた。
 寝間着を脱ぎ捨て、いつもの白い服へ袖を通す。その間にも外から音が聞こえる。

 夜襲は明らかだ。
 トロイアにアカイアが攻め込んだことを想定するのは難しくない。
 民間人を巻き込むなんて卑劣な――とは言わない。これは戦争だ、当然の行いなんだ。

「なにがあったんですか!?」

 部屋から飛び出した僕の前を一人の兵士が走り去ろうとしていた。
 反射的に声を掛け止めてしまったが、後に邪魔をしてしまったと後悔する僕がいた。

「夜襲だ! アカイアの特記戦力がたった一人で攻めてきたんだ!」

 足を止めた兵士の声は廊下の奥にまで響いた。
 そして予想どおりアカイアの夜襲だった。それも一人のサーヴァント。

「今はローランさんが一人で抑えてもらっている。ライダーや君の赤い弓兵達には市民の誘導へ出向いている」

「アーチャーが……情報ありがとうございました!」

「お、おい! 君まで行く必要は」

 要点を押さえた情報を手に入れ僕は兵士へ礼を言うと同時に走り出す。
 状況は理解した。近況は確かめられていない。現状やるべきことは市民を避難させること。
 ローランがアカイアのサーヴァントを相手にしている今が絶好の機会なんだ。今の内にみんなを安全な所へ。

 絶え間なく戦闘音と思われる大規模な音が城を揺らす。
 ローランですら圧倒に手間の掛かるサーヴァントなんだろうか。
 不安と焦りが胸を埋め尽くす中、エントランスホールへ続く階段を降りる僕の前には大勢の市民が居た。

 多くの人が不安そうに城の内部に要るにもかかわらずに奥を目指している。
 完全なパニック状態だ。悲鳴に近い叫び声まで出る始末で、兵士達も対応に手を焼いていた。
 人々の間を縫うように僕は出口を目指す。外へ出るにも必死だ。流れに逆行する中、僕は市民と衝突してしまった。

「す、すいません!」

「いや俺の方こそ申し訳な――君は今朝、ヘクトール様と一緒にいた?」

「花屋の店主さん!? 無事だったんですね」

 城下町をヘクトールと視察した際に訪れた花屋の店主。見知った顔を見た僕は安堵の表情を浮かべていただろう。
 彼の無事が僕の心を少しだけ和らげる。傷も見当たらない。

「外へ向かっているようだけど、君はまさか……?」

 そのまさかさ! 
 って言えればかっこいい。正義のヒーローみたいだ。だけど、言えなかった。

「まだ逃げ遅れている人がいるから!」

 そんなに変わらないかもしれない。かっこつけた台詞だなあと自分でも思う。
 僕は僕自身を奮い立たせていた。アーチャーも傍に居ない中で一人、夜の戦場へ赴く。
 不安だ。心も体も震えている。怖くないと言えばそれは嘘だ。
 でも、暗闇の中に取り残された市民の方が何倍も怖い思いをしているんだ。僕だけが恐怖に侵されているわけじゃない。
 それに慣れっこだ。怖い体験なんて幾らでも味わってきた……慣れっこは言い過ぎかな。人間カタパルトなんて二度とごめんだし。
 走れ、走れと心が叫び足が応える。人混みを抜け僕は外へ出た。


「君はいったい何者なんだ? ヘクトール様と一緒に居たから軍の関係者かと思えば貧弱な身体、それでも強い意志を持っている……か。
 それにしても――貴女の居ないトロイア城へ足を運ぶことになるとは思いもしませんでした。今でもあの花が貴女を忘れさせてくれない」












 貴女のいない世界に美しさなど感じるものか。


 けれど、その原因は私にある。


 ああ、なんと愚かなことをしてしまったのか。


 貴女はもう、いないのに。傍にある一輪の花が今も私を嗤い続ける。















 便宜上、アカイアの狂戦士と記そう。トロイアの街を破壊する黒い影。
 軽装を身に纏い、黒き肌、逆巻く黒長髪、獣のように裂けた口からは血肉が溢れ落ちる。
 狗のように息を切らし焦点の定まらない瞳は忙しなく戦場をあちらこちらと目移りしており、それは獲物を探す野獣そのもの。
 背中に仕舞われた剣はもはや飾りと同義。肥大した己の身体こそが狂戦士の武器だ。

 鋭利な爪と裂けた口は人間の血肉はおろか、鋼鉄の鎧さえ紙屑同然に塵を化す。

 現にトロイアの城下町は彼一人に半壊状態にまで追い詰められている。
 多くの家屋が破壊され、戦場と化した街に転がるは瓦礫と死体の山。
 たった一人の戦士が挙げる戦果としては充分過ぎる。けれど狂戦士が腕を止めることはない。

 命令されたのだ。彼女に、貴女に。使命を果たすべく狂戦士はトロイアの街を破壊し続けるだろう。

「貴方ほどの戦士が何を血迷ったかッ!」

 させるものかと対峙するはトロイアのセイバーたる勇者ローラン。
 家屋をも一瞬で斬り裂く狂戦士の腕を剣で受け止めつつ、面識があるのか語り掛ける。

「民が悲しむぞ。貴方を慕う全ての生命の叫び声が俺の耳に届く」

 狂戦士の腕は正面から剣に防がれようと、血を走らせようと止まらない。
 狂化故に感覚が死んでいるのか、最初から痛みなど感じないのか、攻撃が通用していないかは不明である。
 剣を通し衝撃がローランの身体に響き渡り、更に彼の身体を通じて路面に亀裂が走る。

「決して折れぬ強き意思を貴方はお持ちの筈だ! 目を覚ませなどと無責任な事は言わん、俺が醒まさせてやる」

 刀身に足の裏を密着させ勢いよく蹴り飛ばす。
 先に立つ狂戦士を後方へ飛ばすと追い打ちをかけるべく陥没した路面から離れる。
 瓦礫の山に突入し態勢を立て直す狂戦士へ休む暇など与えるものか。と、言わんばかりにローランの猛攻が始まった。

 聖剣の一撃を狂戦士は器用にも腕を合わせ全てを相殺。
 迸る鮮血が月下に煌めく。野蛮な獣なれど戦闘に対応する技術は天下一品。
 狂化させられようが戦士としての本質は変わらぬままか――埒のあかぬローランは大振りの一撃と共に後退し距離を取る。

 瓦礫の中から這い出る狂戦士の身体には幾つもの新しい傷が生まれており、当然ながら鮮血が垂れる。
 彼の歩く軌跡が血で彩られる中、本人に疲れた様子は窺えない。狂戦士特有の常識を逸脱した肉体だろうか。

「昨日の戦場で見かけた貴方は誇り高き戦士だった。それが一夜にして変貌――噂の魔女とやらの仕業としか思えないな」

 ローランの瞳に映るは我を忘れ人間を喰らう畜生の獣へと成り下がった哀れな男。
 戦場に名を馳せる英雄の面影一つをも残さない、哀れな男。

 昼間の会議にてカルデア一行から聞き受けた情報の中に一つ、今回に通ずるものがある。
 トロイアの兵士達は魔女の魔術によりキメラと変貌してしまった、と。

「目を醒まさせてやると言ったが、恨むなよ英雄■■■■■■■。貴方ほどの英雄を相手に――手抜きなど出来ん」

 一歩ずつ近付く狂戦士から放たれる存在感、プレッシャー、魔力。
 一時的に魔力を放出するスキルがあるならば、彼が行うは常に魔力を解放し己が肉体へ纏わせている。
 聖剣にも引けを取らぬ拳、血が迸ろうと動く肉体、異常なまでの破壊力――己に貯蓄された魔力が全ての源。
 元より歴史に名を残す英雄からかその魔力と生命力が伴っており、魔女の介入によって更に魔力を上乗せされた存在。

 狂化し能力が底上げされているとはいえ、勇者ローラン相手に三十分程度の戦闘ながら宝具を使わずに生き残るその強さ、伊達に英雄と呼ばれず。

 類い希なる肉体に魔術による異様な介入が伴えば、一跳で距離を詰めるなど造作も無いこと。
 喉元にまで迫る拳を剣にて防ぐローランだが不意打ちに近い形となったため、些か足腰が歪んでしまう。
 しかし力負けなどするものか。肉体一つで猛獣の群れをも倒す逸話を持つ勇者は耐える。
 狂化させられた相手に拮抗するも、彼らの力に路面が耐えられずに陥没。崩れ去る足場から両者は離脱し構え直す。

 視線が交差すると同時に彼らは宙を舞う。
 穴の真上で繰り広げられるは美技の応酬。まるで大地に足が着いているかのように繰り出される一撃の数々。
 されど両者共に直撃ならず。再度足場に着地すると、穴を中心とし弧を描くように疾走。
 円周の重なった瞬間――互いに獲物を射程内へ収めると空間を抉る一撃同士が火花を散らす。

 大気を振動させる衝撃は街中に響き渡り、崩壊寸前の家屋は役目を終えたように崩れ去る。

「狂化して尚、我が剣戟に対応するその力……なんと愚かな。完成されたと言われても差し支えの無い結晶に泥を混ぜるなど!」

「■■■!」

 互いに引かぬ鍔迫り合いの中で意思さえも衝突し合う。

「怒っているのか!? この俺の言葉に怒りを抱いているのか! ならば何とでも言ってやろう! 愚か者め! 民をも無闇に巻き込むなど落ちぶれたな!」

「■■■!」

「倒すべき相手と守るべき民の区別もつかぬのならば英雄などやめてしまえ! 貴殿に誇りの欠片すら感じぬ、なんと哀れなことか!」

「■■■!」

「悔しかろう、さぞ悔しかろう! 己よりも若造に好き勝手に言われるなど侮辱の極み、その狂った渦中の意思で何か一つでも言い返してみろ!」



「■■■■、■■■■■■■■■――ッ!!」



「耳元で喚くな! 獣に墜ちた貴殿の言葉など俺に通用する訳が無かろうに! そんな事も分からぬのか!」



「!?……!?」



 ローランの意味不明な言動に囚われたのか一瞬動きを止めてしまった狂戦士の隙を逃さぬ勇者はいない。
 刹那、彼の正拳突きが狂戦士の顔面を捉え、爆発とも聞き間違える轟音を響かせながらぶっ飛ばす。

 狂戦士が瓦礫の山に突っ込んだ訳ではない。
 彼が瓦礫の山を造り上げてしまった。路面を捲るように吹き飛ばされ、衝突した家屋をも破壊する。

「■■■! ■■■■■■■■■、■■――!?」

 瓦礫を吹き飛ばし荒れ狂うように咆哮を上げる狂戦士。
 その肉体、血こそ流せど倒れる気配はおろか止まる気配すら感じさせぬ。
 殺せ、殺す。殺意の瞳で獲物たる勇者を捉えた時、予想にしない光景に戸惑いを覚えてしまう。

「どうした、驚くことなどないだろう」

 二の腕を組んで立つ勇者ローラン。
 その腕に聖剣――デュランダルは握られていない。

「今の貴殿は聖剣を使用するに値しない小兵。恥を知れ」

 彼の周囲に舞う魔力の粒子は解除の証。
 真名を解放せずとも、己が代名詞の武器をこの刹那に手放した。

「貴殿が肉体のみで俺に挑むというのなら、それに応えて見せよう」

 二の腕を組み外すと、勇者は腰を落とし構えを取る。
 彼の周囲がまるで蜃気楼のように歪み始め、狂戦士は己が瞳を疑う。
 勇者ローランの闘志と魔力が彼の身体あら溢れ始め、世界を歪ませる。

「それにしても今日は――もったいないぐらいに月が美しい」

 世界を歪ませる現象は自身の存在を理に介入させること。
 一つとしての在り方を持つ世界に、異物たる己の存在を証明すること。
 特異点として完成し、神々から切り離されたこの世界に於いて、新たに歪みを与えること。

「この月光が俺を俺として確立させる」

 言葉を皮切りに鎧の上半身が粒子となり再度、彼の身体を包む。
 裸体に新たな色素――褐色が帯び始め、心なしか筋肉が膨れ上がる錯覚。
 狂戦士は感じ取る。勇者の身体から溢れ出る桁外れの闘志と魔力――まるで新たな英雄が誕生したかのように。







「今宵だけは英雄の名を捨てさせてもらう。我が名は――狂えるオルドランド。
 さぁ、墜ちた英雄オデュッセウスの残滓よ――この月下の元で貴殿の誇りを我が拳が、目覚めさせてやる」







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最終更新:2017年06月12日 20:44