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第十一節:だあれ

 無念の儘に血反吐を撒く。
 抱いた想いは彼方へ消えた。

 私が消える。私が薄まる。
 我が出でる。我が強まる。

 怨嗟の声は誰へ向けたものか。
 特定の誰かに対するものではない。
 我は、私は、我は、私は、ただ。

 ただ、■■たかっただけであったのに――


「神話に曰く、日本列島は二人の夫婦神によって産み出された。
 これを指して国産みと呼ぶ。そして国を産んだ次に、夫婦は神を産む行程へと移った」

 みし、と氷の槍がひび割れる。
 小泉八雲に戦う力は、もう残ってないだろう。
 胸の真ん中には今も槍が刺さっていて、金色の粒になって体は消え始めている。
 なのに、その口は真っ赤な血を吐き出しながらも、ひーちゃんという存在の真実を語り続ける。

「両手足の指を合わせても足りないほどの数、彼らは神を産んだ。
 だが――最初に産み落とされた子は神として何かを成すこともなく、大海原へと流された。それは何故か」

 ただでは死んでやれないね。
 せめて、最後までお前の邪魔をしてやる。
 そんな意思が、敵意を向けられていない筈のわたしにまで伝わってくる。

「答えは……"不具"だったからだ」

 不具。
 意味がよく分からないので、わたしはダ・ヴィンチちゃんに「どういう意味?」と問いかける。
 ダ・ヴィンチちゃんは、笑みを浮かべながら教えてくれた。
 「手や足のどれか、或いは全てがない人のことさ」と。
 ショッキングな答えに、心臓がどくんと変な音を鳴らす。

「夫婦は不具の子を葦船に乗せ海へと流した。
 その後子がどうなったのかは、今となっても判然としないままだ。
 どこそこに流れ着いて富をもたらしたという説もあれば、そもそもこの神自体が水死体信仰の一種でしかないという考えも存在する。
 ……実際のところどうなのか、ぜひお聞かせ願いたいね。民俗学者の端くれとして、実に、興味がある」

「――そんなことが、きになるの?」

 ひーちゃんは否定しなかった。
 とぼけることすらしなかった。
 それは、つまり。
 ひーちゃんは、やっぱり……

「かんたんだよ。《なにもなかった》」

 ……人では、ないんだ。
 お守りのご利益なんてそもそもなかった。
 ひーちゃんが元々持っていた力を、わたしに分けてくれただけ。
 ひーちゃんは人じゃない。妖怪でもない。小泉八雲いわく――神さま。

「なにもない。
 ずっと、ずっとうみのうえをふねにのってすすむだけ。
 うみはながれるけれど、ぼくだけはながれない」

「……だから、かね。お前は――」

「そうだよ」

 ぐり、とひーちゃんがひび割れた槍をねじ込んで。
 消えかけの小泉八雲に、容赦なくとどめを刺す。
 そこには何の躊躇いもない。妖怪相手じゃなくて、一応形だけは人間なのに。
 ひーちゃんはゴミでも掃除するみたいに、そのいのちを押し潰した。

「ともだちとのやくそくなんだ」

 ともだち――

 それは、わたしのことでは多分ない。
 ひーちゃんがわたしのことをともだちと思ってくれてないとか、そういう話ではなくて。
 この時ひーちゃんは、もう会えない誰かのことを想うような。
 そんな、目をしていた。

「……やれ、やれ。これ、までか」

 体のほとんどが消えた状態では、もう何を言おうにも間に合わない。
 そう判断したのだろう。小泉八雲はひーちゃんから視線を外して、もうひとりのウォッチャーの方を見た。
 心底嫌そうな顔で、しかし、確かな信頼を込めて。

「おい、後輩」

「何でしょうかな、先輩」

「分かってるな」

「ええ、承知してますよ」

「……なら、いい」

 それは多分、彼らだけにしか分からない会話。
 わたしもひーちゃんも、この人達が何をしたくて此処に現れたのか知らないままだ。
 ……どうして、ひーちゃんが何者かを知っていたのかも。

「ああ、くそ。せっかくの二度目の生だ、一つくらい新しい伝承でも作り出したかった。これじゃやられ役だよ、全くつまらない」

「次があれば是非に。その時はまた、ペンを振るってやりますよ」

「……つくづく、好かんな。この――」

 呆れ果てたように嘆息。

「天才め」

 最後の最後まで悪態をつきながら、小泉八雲は空に溶けた。
 ひび割れていた槍が、緊張の糸が切れたみたいに砕け散る。
 すかさず右手に水槍を生み出して、ひーちゃんは瞳を残されたもう一人のウォッチャーへと向ける。
 感傷も感慨も、全くそこには見て取れない。
 生き残りが、あと一人。
 ひーちゃんは今、心の中でそんなことを呟いたのではないだろうか。
 わたしは、動けない。
 槍を構えるひーちゃんの姿は――止める言葉が紡げないほどの、確固とした意思に基づいたものであったから。
 事情を知らないわたしでも分かるくらい、ひーちゃんは《本気》だったから。

「やる気、ですかな」

「さきにけんかをうったのは、そっちでしょ。よそものが」

「ふむ、よそ者。
 その形容は確かに正しいものではありますが、それはキミ自身にも当て嵌まる言葉ではありませんかね? 蛭子殿」

 夜空の下で。
 冗談みたいな見た目のまま、困った風に。
 生き残った方のウォッチャーは、苦笑する。

「キミが地に上がるとすれば、それは即ち《流れ着いた》ということ。
 あの疱瘡神とはまた別な形での漂流神。如月という土地に紛れ込んだ、イレギュラー。
 いや、特異点と呼ぶべきでしょうかね? 今の状況に、なぞらえるならば」

「…………」

「まあ、どちらでも同じことではありますが。
 いずれにせよ、私にはキミと戦う義務があり。キミにも、私を是が非でも討ち倒したい理由があると見える。
 激突しない理由がどこにある、といった状況です」

 しかし、しかしだ。
 ウォッチャーは続ける。
 ……芝居がかっている、っていうんだろうか、こういうのは。
 まるでいつか、学校の研修授業で連れて行ってもらったお芝居の役者さんのように。
 どこか胡散臭い、白々しい――不思議な調子で、彼は話していた。
 ひーちゃんにもそれは伝わっているようで、あの子も苛立ったような表情をしている。

「……しかし、なに?」

「何、大したことではありません。当初の予定では、先の氷牢(メイデン)時点でキミを討伐出来る筈だったのですよ。
 しかし。私共が巻き込まれた被害者としか認識していなかったそちらの少女(ベビィ)が見せた勇気は、此方の予定を大きく狂わせた。
 いやはや、まさかあんな離れ業を見せて来ようとは。何か連れているなとは感じていましたが、あんなものと出会っているとは。
 率直に言うと、拍手の一つも送りたい心地です。お陰様で繊細なスケジュールは見事崩壊。最悪の事態が、こうしてやってきたのですから」

 ひーちゃんの眉間に皺が寄る。
 わたしは首を傾げるしかないけれど、今、ウォッチャーが何か不穏なことを言ったのは分かった。
 ダ・ヴィンチちゃんの方を見れば、彼女はやはり微笑んだまま。
 「ははあ」なんて、他人事みたいに頷いている。何か納得している。

「なにを――」

「伊邪那美の長女ともあろう御方が、まだ気付きませんか」

 す、と。
 ウォッチャーは、自分の後方を手で示して。

「此処は伊佐貫の膝下。最も恐ろしき者が見下ろす地。
 此処を戦場とするならば、勝負を長引かせてはならなかった。
 さあ――――魔王陛下のお成りですよ」

 次の瞬間――夜空を漂う雲という雲が、星という星が。
 ペンキでもぶち撒けたみたいに、赤錆色に塗り替えられるのを、わたしは見た。


 彷徨う。彷徨う。
 変わり果てた骸の霊基を引き摺って。
 辿り着ける筈もないどこかへと、彷徨い歩く。

 声が聞こえた。
 求める声が。それだけを寄る辺に、常世より締め出された私は往くのだ。
 高まる我を抑えながら。無限の無念を抱えながら、痩せさらばえた野良犬のように。

 ――ああ。声が、また一歩近付いた。


 大昔の世界から抜け出してきたような、男の人だった。
 アニメでしか見ないような烏帽子帽を被って、それらしい服装に身を包んでいる。
 背は高いが、体つきは痩せている。長身痩躯、っていうやつだろう。
 扇子を片手にゆっくりと歩いてくるその姿を見て――わたしたちは、凍り付いていた。
 わたしも、ひーちゃんもだ。
 訳知り顔だったウォッチャーでさえ、口元の笑みが引き攣って見える。
 唯一普通なのはダ・ヴィンチちゃんだけ。いつもなら、ダ・ヴィンチちゃんはほんとに凄いなあとでも、思っただろうけど。

「ぁ――」

 そんなことを考える余裕すら、この時のわたしにはなかった。
 足腰の力が、まるで骨が全部溶けたみたいに一気に抜ける。
 顎が勝手に動いて、カチカチと耳障りな音を鳴らし出す。
 がくがくと身体が震える。寒くもないのに、だ。

「……じょうだんでしょ。これが、もとは、ヒトだったなんて」

 ひーちゃんが。神さまである彼女でさえ、そうこぼすほど。
 この《魔王》は、圧倒的な存在感と絶望感を放っていた。
 てけてけや疱瘡神とは違って、姿形におかしなところはない。せいぜい服装くらいだ。ウォッチャー達よりもまだ、普通の人間らしく見える。
 でも、わたしにも分かる。これが人間だなんて、そんなことはあり得ない。
 元は人間だった、と言われても。とてもじゃないけれど、信じることが出来ない。

 学校の屋上から下を眺めた時のことを思い出す。
 怖くて足が竦んで、なのに不思議と目が離せないあの感覚。
 怖い、危ないと分かっているのに見てしまう。
 学校の先生はわたしを窘めながらも、それは人間が本能的に持つ、《自滅願望》というやつだよ、なんて言ってたっけ。
 あの先生はもう、転任で遠い学校に行ってしまったけれど。
 その言葉を借りるなら――この《魔王》は、そういう気持ちを否応なく想起させてくる存在。
 人間の死に、最も近い魔物。
 故に、魔王。

 日本大魔縁――崇徳院。
 この如月から逃げ出せる唯一の穴を塞いでいる、わたしたちの最大の敵。

「……蛭子殿。一つ提案を申し上げたい」

 おもむろに口を開いたのは、ウォッチャーだ。

「キミの言う通り。此方から吹っ掛けておいてどの口が言うんだ、という話ではあるのですが」

「……みなまでいわなくてもいい。ぼくも、そこまでバカじゃないから」

 ひーちゃんは、ウォッチャーの言わんとすることが分かっているといった様子だった。
 もしもひーちゃんが彼の立場だったなら、同じことを言おうとしていたのかもしれない。
 いや。多分、わたしでも同じだ。ダ・ヴィンチちゃんでもそうだと思う。
 こんなものを前にして――喧嘩なんてしていられない。優先順位というものがある。

「さきにあれ、なんとかしよう。
 ぼくらにしても、あれはいつかたおさなきゃならないてきなんだ」

「私としては、キミがその《いつか》に辿り着くのを何としても阻止したいのですが……まあ、それは置くとしましょう。
 何しろ事態が事態だ。私としても、あの御方が暴れ回っている状態で何かに取り組もうとは思えませんのでね」

 つまり、一時休戦。
 ついでに、一時共闘。
 この魔王をどかさない限り、何を為すにも邪魔が入る。
 いや、邪魔だけならいい。
 問題は、その"邪魔"の規模だ。
 何もされなくたって分かる。
 こんな相手がしてくる"邪魔"は、絶対関わった人間の命を奪ってしまうたぐいの"邪魔"だ。

「魔王殺し。難業ではありますが、成し遂げるしかありますまい」

 魔王を倒す。
 六道の外へ抜け出た、天狗を討つ。
 その為に、二人は今だけ向く方向を同じくする。
 友好的とは言い難いけれど、どちらも実力は折り紙付きだ。
 魔王は怖い。でも、この二人なら……きっとどうにかなる。
 わたしは疑いもせず、心からそう思っていた。


 そんなわたしを、わたしたちを。
 魔王崇徳院は、どこまでも冷たい瞳で無感動に見つめていた。




「はああああああああ!!」

 先陣を切るのはひーちゃん。
 水の槍を携えて、果敢に突貫。
 最初こそ怯んでいたひーちゃんだけれど、やっぱりこの子は強い。
 あんなに恐ろしい存在に、震えも惑いもなく近付いていく。
 そして、魔王の心臓へと容赦のない一突きを繰り出した。
 魔王はそれを避けようともしない。
 ――しない、が。

「っ――!?」

 槍の穂先が触れるか否か、という瀬戸際で。
 ひーちゃんの小さな身体が、何かに弾かれたみたいに吹き飛んだ。
 地面を転がりながらも、敵意に溢れた瞳で魔王を睨め付けるひーちゃん。
 それでも魔王は表情を浮かべない。言葉も発さない。ただ、直立不動でそこにあるだけだ。

「これなら……!」

 次は地面に槍を突き刺す。
 呼び出された鉄砲水が、魔王を飲み込み吹き飛ばさんとする。
 けれど、それも無駄だ。
 魔王に触れることもなく、直前で明後日の方向に折れ曲がる。
 突然制御を失ったとしか思えない挙動。どう考えても自然の現象ではあり得ない。

「神通力、ですな」

 興味深そうにウォッチャーが言う。
 言ってる場合かとは思ったけど、ひーちゃんの力を弾いたトリックが何なのか気になるのも事実だ。

「大天狗と呼ばれる、天狗の中でも神に限りなく近付いた存在が例外なく持つと言われる力。
 それにしたってこの出力は異常ですがね。高位神性の権能を、ああも容易く弾こうとは」

「たいしょはできるの?」

「アテはあります。……となると、それまで繋げるかどうかが問題な訳ですが――」

 ちら、とウォッチャーの目線が魔王に向く。
 ひーちゃんの水槍と、鉄砲水。
 この如月で何度も助けられてきた攻撃を、指先一つ動かさずに防いでのけた最後の敵。
 未だ不動のまま、冷たい視線だけがふたりの方へと注がれている。

「そこはそれ、何とかしてみせましょう。
 立香さん、その図鑑をこちらに投げ渡してくれますか?」

「……えっ、これ?」

「ええ。詳しい経緯は省きますが、それは元々、私の宝具(もちもの)でしてね」

 びっくりした。
 何かと便利だった、この本。
 これを落としたのは、なんとこのウォッチャーだというのだ。
 本当なの? だったら、一体何の為に?
 頭のなかではてなマークがぐるぐる回って、一瞬動きが止まってしまう。

「りっか、いまは」

 そんなわたしをはっとさせたのは、他でもないひーちゃんの声だった。
 ひーちゃんが、今は大丈夫だと言っている。
 ……なら、きっと大丈夫だ。
 いつまでかは分からないけど、少なくとも今は、あのウォッチャーは信用できる!

「……わかった。いくよ――!」

 結構な重みを持った本が、わたしの一投で宙を舞う。
 それをウォッチャーはひょいと掴み取ると、ぱんぱんと表面についた砂埃を払って笑んだ。
 そして、頁を捲る。あの分厚い図鑑を目次すら使わずにぺらぺら捲っていく様は、彼こそが本の真の持ち主であることを如実に物語っていた。

この街(・・・)風に改稿するのは少しばかり骨が折れましたが、有効に使っていただけたのなら何よりだ。作家冥利に尽きます」

 その口振りからするに、どうも持ち主というだけではないらしい。
 彼こそ、あの図鑑を記した張本人。
 名前に心当たりはないけれど、日本の妖怪を知り尽くした存在。
 ひょっとすると、あの小泉八雲以上に。

「では、開くとしましょう。おいでなさい、私の友人達。遠慮なく脅かして構いませんよ、今宵は」

 頁を捲る手が止まる。
 それと同時に、本が妖しく輝いた。
 でも、その妖しさは。
 魔王の降臨によって染め上げられた空とは違う、どこか優しくて、温かみのある妖しさだった。うまく、言えないけれど。

其の境界は傍に在りて(ひゃっきやこう)

 言葉を紡いだ、次の瞬間。
 どこからともなく太鼓の音が鳴った。
 獣の足音が楽しげに夜闇へ木霊した。
 何か。何か、大勢の気配がこの場にやって来るのが分かる。
 本当にどこからともなく、果てしない数の何かがやって来る。
 それが何なのかは、もちろん言うまでもない。
 夜の主役、妖怪だ。

「先輩のものに比べると、どうしても汎用性では見劣りしてしまうのですがね。
 規模と物量ならばこの通り私が勝つ。妖怪(かれら)の世界を描いた英霊が等しく所有する、百鬼夜行召喚宝具です」

 私の場合は、ある世界観に縛られますがね。
 そう付け加えたウォッチャーの周りに、それらは続々と結集してきていた。
 空をひらひらと舞う目玉の付いた布。猫の特徴を持った少女。
 頭の奇妙に長い老人。灰色の、巨大な壁。ただし手足が付いている。
 杖を持った小柄な老人。着物を纏った老婆。巨大な骸骨の化け物。
 そうした、人ではない者達が、見える範囲だけでもざっと何百単位。
 祭りに駆け付けたとでも言わんばかりに楽しげに、どこからか姿を現した。

「彼らを学問として極めた八雲さんは、己の身に宿す形で百鬼夜行を召喚できた。
 しかし彼らを友人として愛した私は、人と妖怪の間に存在する境界線を壊すことで、このように直接呼び出すことができる。
 ……まあ要するに、スタンスの違いです。馬が合わないのも、当然といえば当然だ」

 妖怪。
 わたしにとって、妖怪は怖いもの。
 でもウォッチャーにとっては、違うらしい。
 彼は妖怪を友人として愛したと言った。
 怖がらず、遠ざけず、理解して、その上で愛したと。
 だから、彼の呼びかけに応じてやって来るのか。
 こんなに多くの、妖怪たちが。

「では始めましょう、魔王陛下。大魔縁たる貴方には、少々物足りない面子かもしれませんが、しかし侮るなかれ。
 貴方という魔が生まれるよりも以前からこの日本に蔓延っている先人達です。
 所詮格下と侮っていると、痛い目を見るやもしれませんよ」

 その言葉を、祭りの合図としたように。
 集まった妖怪達が、好き勝手に魔王へと向かっていく。
 息を呑むほど、現実離れした光景だった。
 ひーちゃんも多分、同じことを思っているんだろう。
 槍を下ろして、ひとまず様子見。そんな風に見える。

「……どうなるとおもう?」

 わたしは、ダ・ヴィンチちゃんに聞いてみた。
 するとダ・ヴィンチちゃんは、「そうだなあ」と少し考える素振りを見せて。

『確かにこの軍勢は巨大だ。
 如何に崇徳院の神通力があろうとも、場合によっては、それこそ物量でどうにか出来てしまうかもしれないね』

 そう言って、笑ってみせた。
 その言葉に思わず安堵が込み上げる。
 でも、それで終わりではない。
 ダ・ヴィンチちゃんの言葉には、続きがある。

『神通力だけならば、だが』


 魔王は未だ、動かないまま。
 ただそこに立っているだけで、妖怪たちの攻撃を一切寄せ付けていない。
 さっきウォッチャーが言っていた、天狗の神通力、ってやつなんだろう。

 ……でも、状況は悪いばかりでもなかった。
 最初に比べて妖怪の数は明らかに減っていて。
 肝心の魔王は一歩も動かないままで、それを成し遂げている。
 そんな状況なのに、一体どんな良いことが起きたのかというと――。

 魔王が、攻撃を始めたのだ。
 魔王に何度目かの突撃を試みた骸骨の妖怪が、見えない力で途端に消し飛ばされた。
 神通力を攻撃に使ったのだと、すぐにわたしは理解する。
 もちろん、これで事が全部良い方向に向かい出すのかというとそんなことはないだろう。
 でも、とりあえず"何をしても無駄"な一人相撲ではなくなった。
 魔王が何を思っているのかは分からないけれど。
 攻撃をしなければならないと思わせるくらいには、妖怪たちの奮戦は響いてくれたらしい。

「蛭子殿、そろそろ頃合です。キミも思うがまま、仕掛けるがよろしい」

「……わかった」

 戦いの流れが少し変わった。
 それを見計らったように指示を出すウォッチャーと、従って地を蹴るひーちゃん。
 水の槍を走りながら形成して、妖怪達の頭上を跳び越えながら、空中から流れ星のように投げつける。
 一発で終わりではない。一つ投げたら次。また一つ投げたら次と、連続で水槍を作っては投げて攻撃していく。
 魔王はそれを、攻撃用の神通力で自ら迎撃することで対処した。

『鎧みたいなもの、だったのだろう』

「よろい?」

『自らの神通力を常時空間に残留させて、自分を擬似的な無敵状態にしていたのさ。
 だがウォッチャーの百鬼夜行と、蛭子命……《ひーちゃん》の攻撃によって鎧は削り切られた。
 だから、傷を負わないようにと考えるならああやって自ら落とすしかないんだ』

 ……と、いうことは。

『そうだね。今なら、魔王殺しだって不可能ではないだろう』

 ひーちゃん!
 わたしは、思わず叫んでしまう。
 ひーちゃんが、視界の向こうで小さく頷いた。
 今なら、倒せる。
 わたし達の最後の敵に、手がとどく!

「――おわらせる」

 ひーちゃんが造る今度の槍は、今までの数倍は大きなもの。
 たとえ神通力をぶつけられても、それごと貫けるように。
 とても強い、ここで決めるという気持ちの見える一槍。
 これなら……! わたしは、ひーちゃんの勝利を確信した。



『血書・五部大乗経』(けっしょ・ごぶだいじょうきょう)



 凄く冷たい声がした。
 色めいた空気が一瞬で元通りに凍り付いた。
 妖怪達も、ひーちゃんも、わたしも。
 誰も彼もが、冷水を掛けられたみたいに感情の勢いをなくした。
 いや、違う。妖怪達とひーちゃんに限って言えば――なくなったのは勢いだけではない。

「……これ、は……?」

 ひーちゃんの水槍が、びしゃびしゃと音を立てながら解けて地面にこぼれ落ちた。
 妖怪達が、一体また一体と消えていく。
 消えていく彼ら自身、何が起きているのか分からない、といった様子だった。
 それでも、数が数だ。すぐに全部消えるわけではない。わけではないが――この様子だとそれも時間の問題。
 あと三十秒後には、きっとウォッチャーの妖怪はすべて消えてしまうだろう。

 ……けど、今、一体何が起きたの?

「抜きましたな、陛下。己の宝具を」

 またもわけがわからないわたしだけど、ウォッチャーはこれも想定通りだったらしい。
 自分の切り札を破られたというのに、その顔には笑みすら浮かんでいる。
 その自信の理由が、わたしには分からない。
 妖怪達をほとんど失って、残る数はわずか。保てる時間もわずか。
 一瞬で後がなくなった状況なのに、その自信はどこから来るのだろう?

「『血書・五部大乗経(けっしょ・ごぶだいじょうきょう)』。
 度重なる不遇と冷遇の果て、行き着く所まで行き着いて、最後に示した心すら踏み躙られた陛下の怒り、想像するに余りある。
 貴方が憎悪と悲憤のままに自身の血で書き記した血塗れの呪詛。
 必ずや幻想の域に高められていると思いました。力はさしずめ、こんなところですかね? 陛下よ」

 魔王は不動のまま、眉一つ動かさない。
 ウォッチャーの言葉に、一体何を思っているのか。
 それすら彼の表情、佇まいからは察せない。
 しかしそんなことはお構いなしに、ウォッチャーは続きを喋り出す。
 妖怪達と、ひーちゃんの水を消し去った謎の現象。その、正体を。

理の改竄(・・・・)。ある概念とある概念の間に存在する縁、線、道理。そうしたものをねじ曲げ、歪める。
 蛭子殿の場合は流転の理との縁を。私の場合は、人妖の境界線を壊したという事実そのものを。
 宝具の解放によって、わずか一瞬で改竄――無効化した。
 いやはや驚くしかありません。陛下は間違いなく、私のような作家英霊の天敵だ」

 わたしは。
 ウォッチャーや、ひーちゃん。
 妖怪や、《サーヴァント》の事情に詳しいわけじゃない。
 それでも、ウォッチャーがとんでもないことを言っているのは分かった。
 ……めちゃくちゃだ。そんなことがまかり通るなら、一体どうやって戦えというのか。

「致し方ない。こうなっては、私自身が突っ込むしかないでしょう。
 所謂無辜の怪物ではありますが、それでも箸にも棒にもかからぬということはありますまい……!」

 最早、やけっぱちになったのか。
 ウォッチャーは髪の毛をさっきの戦いの時のように硬く尖らせて振り乱し、魔王へと突撃していった。
 もちろん、そんなものが通じるわけもない。
 魔王の前の空間が、ぐにゃりとうねったのが分かった。
 神通力が来る。思わず私は、目を瞑った。
 しかし。

「甘い」

 神通力が叩き込まれるよりも前に。
 脇へと逸れた髪の毛が、半ばほどで分離。
 錐のように膨張して、八雲がひーちゃんにやろうとした鉄の処女(メイデン)のように魔王へと襲い掛かっていく。
 流石にこの距離、この間合いならば、神通力よりも『血書・五部大乗経』の方が早いと踏んだのか。

 魔王の唇が、再びその名を紡いだ。

「『血書・五部大乗経(けっしょ・ごぶだいじょうきょう)』」

 髪の錐が異常性を失って、ただの髪の毛として風に吹き飛ばされる。
 されど――

「言ったでしょう、甘いと」

 これも含めて、どうやらウォッチャーの狙い通り。
 ウォッチャーの片手には、未だあの図鑑が握られたまま。

「私の宝具は一つだけではない」

 その表紙が、蒼い、妖しさとは無縁の透き通った輝きを放ち始める。
 深い海を、快晴の空を、或いは真夏の星空を思わせる深い、深い蒼。
 妖しさの反対。不安の反対。恐怖の反対で、未知の反対であるその色。
 その時、わたしは確かに見た。
 魔王の眉が、ぴく、とわずかに動いたのを。

私は解き明かす者。あらゆる未知を記す者。
 暴れ狂う妖魔の怪よ、我が友誼の声に応じるがいい――

 神通力が跳ねる。
 鈍い音がして、ウォッチャーの片腕が変な方向に折れ曲がった。
 それでも。彼は、立ってその場に踏み留まったまま。


『恐怖照らす探究の筆』(あけぼののひかり)!!」


 唱えた。
 その、次の瞬間。
 魔王の胸に、蒼い目玉の紋様が輝き出す。

「私の宝具は一つではないのですよ、陛下。
 何せ私は、妖怪(かれら)と共に在ることを選んだ人間です故」

「……なにをしたの? ウォッチャー」

「おや、蛭子殿も気になりますか? そうですね、平たく言えば……」

 本を閉じ。
 ウォッチャーは、大きく後ろへ飛び退く。

「これは対妖宝具、でしてね。妖の性質を持つのならば神にとて作用する虎の子です。
 キミは妖の性質が薄すぎる為に、効果の対象とはなりませんよ。ご安心くださいな」

「そんなことはどうでもいいよ。いま、なにをしたの」

「零落、です」

 ふう、と息を吐き出す。

「私の『恐怖照らす探究の筆』(あけぼののひかり)は妖怪を零落させる。
 通常ならば、全体的なスペックを幾らか削ぐ程度に留まるのですが、サーヴァントとはおかしなもので。
 宝具というシステムの妙とでも言えるでしょうかね。神妖の属性を併せ持つ者に対しては、殊更覿面に効果を発揮するのですよ。
 ――お分かりですね、陛下。私が貴方に叩き込んだ零落の蒼色は、貴方の憎悪を封じ込めた」

 魔王の憎悪。
 『血書・五部大乗経(けっしょ・ごぶだいじょうきょう)』だったか、名前は。
 ウォッチャーは、それを封じ込めたと言っている。
 片腕を犠牲にして打ち込んだ捨て身の一撃は、最強の魔王の最強たる所以を一つ、確かに削ぎ落としたらしい。

「……これならば、後は蛭子殿と魔王陛下の純粋な力比べになる。
 少なくとも、目のない戦いではないでしょう。私に出来る仕事は、これまでです」

 あの、ズルみたいな力はウォッチャーのおかげで封じられた。
 それなら確かに、後は魔王とひーちゃんの正面対決。
 過酷な戦いであることに変わりはないけれど、あの神通力だけなら、ひーちゃんだってそう簡単に遅れを取ることはない筈だ。

「そうだよね、ダ・ヴィンチちゃん」

『ああ、そうだね。
 でも、勝ちを確実にするならキミの力が必要だろう、藤丸立香。
 さっきと同じことをまたやるよ。キミと彼女の間に、魔力のパスをもう一度――』

 わたしも、そうだねと頷く。頷きかけた。
 ひーちゃんが勝つ為に、わたしも頑張れることが嬉しくて。
 迷いも躊躇いもなく、ダ・ヴィンチちゃんに従いかけた。
 けれど。それを遮る声が、あった。

「――で、おたくはいつまで蠢いてるんです?」

 咎めるような、ウォッチャーの声。
 それは、他でもないダ・ヴィンチちゃんに向けられていた。

「さっきから視界の端でガサガサと。
 気付いていないとでも思いましたか? だとしたら舐めすぎですよ、おたく」

『……? 失礼だが、何を言っているのかな?』

絡新婦(じょろうぐも)


 じょろうぐも。
 ウォッチャーは、確かにそう言った。


「絡新婦でしょう、おたくは」

『なんだ。
 バレていたのか、じゃあ仕方ない』


 ザザ、と。
 ダ・ヴィンチちゃんの姿が乱れる。
 目は真っ赤な複眼に変わって。
 口は耳まで裂け、蜘蛛のそれを思わせる牙が生え。
 モニターの筈の四角形から、ギチギチと蜘蛛の足が飛び出した。
 それと、全く時を同じくして。


「――ぐ……!?」


 ウォッチャーの胸から、白い糸の束が生えた。
 背中を突き破って生えた糸は、奇しくも小泉八雲と同じように。
 前からか後ろからかの違いこそあれ、過つことなく心臓を突き破っていた。


「妖怪には詳しくても、蜘蛛には詳しくないのかな?
 あれだけ一点に集中して戦ってれば、子蜘蛛に糸を結ばせる隙くらいいくらでもあるっていうのに」

 四角い窓から、ダ・ヴィンチちゃんだったものが這い出てくる。
 それは人の身体を持っていなかった。
 顔だけが人間のそれに近い、それだけの大蜘蛛。
 わたしが、ダ・ヴィンチちゃんと呼んでいたものは。


 ただの化け物だった。



       真名判明
《ダ・ヴィンチちゃん》 真名 絡新婦






 そして。夜の闇に、一羽の鴉が羽ばたいた。



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第十節:ひーちゃん 無間暗黒迷界 如月 第十二節:くも

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最終更新:2018年02月25日 22:00