いい加減に目を覚ませ、マスター!
「――はいっ!?」
藤丸律花が意識を取り戻した時、傍に立っていたのは赤き外套を纏いしアーチャーが一人。
状況を飲み込むために空を見上げればカルデアの天井では無く、青空が一面に広がり、下に視線を落とせば大地が映る。
そして周囲を見渡せば――人、人、人。
それも全身を武装した万を簡単に超える人間が武器を手に取り争っており、文字どおりの戦争最中にやって来たと藤丸律花は認識する。
「もしかしてレイシフト……!? だから戦争……って戦争!? あの時は……マシュ!? アーチャー! マシュは!?」
「落ち着き給えマスター。残念ではあるが私も事態を把握していなくてな。力になれずすまない」
認識が済めば納得に無条件で移行することも無く、断片的な記憶を整理しマシュに辿り着いた思考を束ね、彼女の安否を確認する。
しかし、アーチャーとてこの状況はイレギュラーであり、彼の立場からしても情報が欲しい所であるのが現実だ。
マシュの身体を乗っ取り、藤丸律花に接触し、彼を翻弄し、アーチャー諸共独力でレイシフトを実行した謎の存在。
全てが謎に包まれ、マシュの身体を支配していたことから性別も不明。そして――サーヴァントか或いは人間か。それさえも正体は掴めない。
「頭がぐちゃぐちゃだよ……夢じゃない、これは夢じゃない。じゃあ僕達がやるべきことはこの特異点を……ここは特異点?」
緊急事態であれどその度に泣き言を言っていたは前に進めぬ。仮にも人理を救いしマスターだ。記憶の中に漂う欠片を拾い上げ、解答を手繰り寄せる。
レイシフトと似た状況とすれば解決先も同じと仮定、ならば特異点の解決と同義。つまりはこの時代に発生した歴史の溝を見つけ出し、その先に眠る聖杯を奪取すること。
そして特異点と云えどこの世界を把握していなくては、全てが始まらない。そもそもこの世界は世界として成り立っているのか。
マシュの身体を支配した存在の魔術――信じたくは無いがその可能性は捨て切れない。
「特異点であることに間違いは無い。君が眠っている間に新たな特異点が観測されてな、残念ながら時代までは特定出来ていない。
いや、一歩手前と言うべきか。解析の直前にカルデア内に突如として観測史上初の魔力反応があり――その地点である君の部屋に駆け付けたという訳だ」
「観測史上初の魔力反応……?」
「魔術王を超える反応だ。そしてそれは間違い無くあの存在だろうが――ふむ、気張れよマスター。長話は次の機会にしよう。投影――開始」
此処は戦場。黙って突っ立っていれば格好の的であり、愚かさの象徴。
双剣を掴むアーチャーが見据えるは此方に攻め込む兵士。数は五。しかし周囲は何処も互いの覇道を競い合う。
藤丸と会話出来たのも奇跡だろう。彼らの足元にすら転がる死体が物語る。この戦争は遊びであらず。血で血を洗う血戦也。
「私から離れるなよマスター。この人の数だ、気を抜けば簡単にはぐれてしまう」
「おい! 立ち止まるな、敵は目の前だぞ!!」
「……味方になった訳では無いのだがな」
弓兵の言葉を遮り横を駆け抜けたのは名も知らぬ兵士が一人。後世に残す名を持たぬ一人の兵士が果敢に戦場を駆ける。
後を追うように剣を、槍を、弓を持つ兵士が一人、また一人と進軍し、敵を倒し、殺され、仲間の意思を無駄にさせぬため、己が身体を奮い立たせる。
「鎧も纏わずに余所見とは舐められたものだな!」
弓兵の左方から斧を担いだ男が飛び出しその首を斬り落とさんと豪快に一閃。重さを感じさせぬ疾き一振りだった。
奇襲に対し弓兵は顔色一つ変えることなく片の刃で防ぐと残る刃で男の上体へ縦一文字を刻み込む。
「余所見をしているつもりも無いが、舐めているつもりもない」
「がぁ、ここで終わりかよ……へっ、勝利の時まで戦わせ、ろ……」
此処は戦場。人が死ぬことに意味を見出す暇があるならば剣を取れ、槍を穿て、矢を放て。
倒れた男の亡骸に涙を流す存在などこの場にはおらず。屍を踏み越え兵士が一人、また一人と弓兵へ駆ける。
「正当防衛だ、悪く思うなよ」
飛来する矢を造作もなく捌くと迫る剣の兵士の攻撃を刃で受け止め、滑らせるように後方へ往なし、体勢が崩れた上体へ蹴りを放つ。
踏ん張る足腰の土壌すら整っておらず剣の兵士は大地を転がるように飛ばされ、代わるように槍を持つ兵士が弓兵の顔へ打突を行う。
握る刃は剣、柄で槍先を叩き落とし大地へ突き刺さると両腕が完全に下がった状態の兵士は生身も当然。容赦なく鎧の上から刃を滑らせる。
衝撃により槍を持つ兵士が倒れる瞬間、彼の身体を盾に姿を隠した伏兵が矢を放つ。
「遅いッ!」
弓兵は大地の槍を蹴り飛ばし、矢に直撃。
槍は矢を殺し、勢いは止まること無く伏兵の胸に直撃し鎧への衝突音が戦場に響く。
最も戦争の最中、この程度の音など誰も気に留めることは無かった。
そして背中を狙い、立ち上がり駆け寄った剣の兵士の一撃を見抜いたかのように背を向けたまま回避し、止めの一撃を放つ。
交差する斬撃は鎧を砕き、剣を持つ兵士は倒れた。死では無い。倒れたのだ。弓兵の攻撃により絶命した兵士、零。
生命を奪う必要、現地点で無し。
敵と味方を区別出来ぬ以上、相手が人間である以上、無価値に殺す生命などあるものか。
仕上げに踵を返し、伏兵から剥ぎ取った弓を構え――マスターに近寄る兵士へ向け矢を定める。
戦闘前に離れるなと弓兵は告げた。けれど、その命を達成するには彼と同等の力を持たぬ限りは不可能。
巡るめく戦況が動く戦場の中で安地など非ず。個としての単純な武力が劣る藤丸では戦場に立つだけでも危険な自殺行為。
ならば、主を守るのが主従人。名はあれど与えられた称号は弓兵たるアーチャーだ。この一矢、外すことなど有り得ぬ。しかし。
「マスターと兵士が重なっているな……無事でいろ」
このまま矢を放てば兵士を貫き殺し、主にまで危険が及んでしまう。
最悪の未来へ繋がる僅かな可能性を斬り捨てた弓兵は、弓と矢を投げ捨て再び双なる刃を掴み主の元へ駆ける。
距離は二十。間に合うかの瀬戸際だ。リーチに長ける槍を瞬時に拾い上げると、兵士の足を狙うように投擲。
英霊たる存在の一撃ならば、単なる槍の投擲でも充分な威力となり、人間を殺すことに障害などあるものか。
兵士の足に吸い込まれるように飛ぶ槍は風をも斬り裂き、その音が耳に届いたのか近場で戦闘を続ける兵士の視線が集まる。
「あれは……新たな特記戦力か?」
「くっ、どちらの味方だ!? 敵か!? あの赤い男はどの陣営になる!」
戦場に木霊する戯言は弓兵の耳に届かず。
彼の意識は目の前の主のみに向けられており、兵士の言葉など最初から届く筈が無い。
彼が放つ槍が直撃する寸前、兵士は槍に気付いたのか、右足で踏み付けることにより攻撃を回避。
気配を絶った一撃であり、並の兵士ならば気付かぬ前に餌食になると高を括っていた弓兵の顔色が変わる。
戦力を見誤った己に対して非ず、無意味な判断により危険となってしまった主への安否だ。
兵士の刀が藤丸を斬り裂くか、弓兵が駆け寄り兵士を斬り裂くか。
紙一重の刹那の攻防が始ま――らない。
「ストップ! 止まってアーチャー!! この人は敵じゃないよ!!」
藤丸の叫びにより弓兵は攻撃を停止――の更に先へ。
主の言葉を信じておらぬ訳では無いのだが、カルデアの出来事もあり、常に警戒を怠ることは無い。
刃を兵士の首筋へ突き立て、不穏な動きを見せれば簡単にその首を落とせる状態となる。
「敵じゃない……そう彼は言った。少しは信用してくれてもバチは当たらないと思います」
「ならば私の腹へ向けている刀を引き戻せ。これはお相子様だな……この時代に召喚されたサーヴァントよ」
弓兵が兵士の生命へ王手を掛けた時、兵士もまた弓兵の生命を握る。
「じゃあやっぱり藤丸くんはマスターなんですね……僕の名前は風魔小太郎。
真名を隠す必要も無いでしょう、これでこの時間だけは信じてくれると大変助かります。そちらのアーチャーも」
風魔小太郎。
日本に於ける忍者集団・風魔一族の頭領を務めた男。
彼の言葉と同時に纏う兜が、鎧が崩れ落ち顕になるは赤毛の髪と忍者の装束。
幼さを残す顔立ちの少年でありながら、藤丸はその力を知っている。嘗ての特異点にて共に戦場を駆け、人理を守る決戦へも駆け付けた信頼に足る英霊。
「召喚されたばかりでは敵も味方も区別は付いていないでしょう。
僕から説明するよりも――あちらを見た方が早い。この戦争と両陣営、そして気高き英雄を知ることになるでしょう」
赤毛の前髪により風魔小太郎の瞳は見えない。
彼の顔が向く先へ藤丸と弓兵は視線を動かすと、戦場でありながら密度の薄い箇所がある。
その中心に立つ人物は他の兵士とは遠目ながらも、異なる存在だった。
白銀の鎧を纏いし英雄が一人、そして彼が見つめるはこの時代に名を馳せた伝説の英雄が立つ。
最終更新:2017年05月13日 11:43