基底一章:聖杯大戦(前編)

「――状況は、はっきり言うと最悪に近い」

 苦々しげな顔で言うのはカルデアが誇る万能の人(ウォモ・ウニヴェルサーレ)、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
 ブリーフィングルームには立香とダ・ヴィンチ、マシュといういつもの面子の他に三騎のサーヴァントが同席していた。
 昨晩の騒ぎの現場に最初に駆け付け、状況を確認したエレシュキガルと燕青。
 そして、立香の介抱をしつつ酔い覚ましの心得のあるサーヴァントを探しに奔走していた望月千代女。

「キミも知っての通り、イシュタルとケツァル・コアトルはこのカルデアの最高戦力だった。
 英霊の強さを出力と霊格だけで論ずるのは愚かなことだが、あの二人に関して言えば文字通り格が違っていたからね。こういう形容も誤りではないだろう」
「……でも、二人は」
「そう。カルデアを襲撃した何者かに敗北し、消滅したか、連れ去られた」

 劣化しているとはいえ、女神。
 ステンノやエウリュアレのように戦う力を持たないわけでもない、正真正銘の武闘派二人だ。
 それを纏めて相手取り勝利するなんて、どう考えても尋常な相手ではない。
 これまでの旅の中で立ちはだかった敵の中でも、間違いなく上位に君臨する力を持った危険な手合いなのは間違いあるまい。
 これで手掛かりも足跡もまるで残されていないとなれば最悪だったが、幸い、カルデアを襲った某かは分かりやすい足跡を残していってくれた。
 ……尤も、その"足跡"が最大の問題なのであったが。

「残された手掛かりは、これ見よがしに残された虹の"門"だけと来た。さて立香ちゃん、これをどう見る?」
「百パーセント罠、だよね」
「イグザクトリィ。今ホームズとBBが解析に当たっているが、わざとらしいという言葉を使うのも躊躇われるくらい露骨な誘いだ。
 先に言っておくけれど、飛び込むなんて無茶なことは言わないようにね。少なくともホームズ達が戻るまでは大人しくしているように」
「っ……」

 藤丸立香というマスターは、サーヴァントは道具であるという認識を持たない。
 彼らは仲間であり友人。カルデアでの長い時間を共にした、家族のような存在だとすら思っている。
 そんな彼女だから人理を救えた。そんな彼女だから、曲者揃いのサーヴァント達に離反されることもなく今日の日を迎えることが出来た。
 そんな彼女だから――イシュタル達の安否が気になって仕方ない。
 無論、ダ・ヴィンチも立香の人となりはよく知っている。
 彼女が虹の門に飛び込んででもイシュタル達を追いかけようとするだろうことが、万能の人には手に取るように分かった。

「どこの誰だか知らないが、本当に傍迷惑なことをしてくれたものだよ。査問会が来るまで、もう日にちがないっていうのに」

 ダ・ヴィンチが頭を抱えるのも無理はない。
 くどいようだが、武力が必要となる局面とは金輪際おさらばした筈なのである。このカルデアという組織は。
 これからは武力ではどうにもならない世界。交渉、謀略、コネクション、そんなうんざりするような言葉が並ぶ神秘とは縁遠い戦いが始まる。
 カルデアの一区画が吹き飛んだ程度ならば、まだ残っているサーヴァントに頼み込んで収拾をつけることも出来よう。
 しかし、女神二柱の消失だけは別だ。彼女達ほどの大神霊を下し、最悪の場合利用してくる可能性があるような存在を野放しになどしておけるわけがない。
 そしてそれを追う為には、恐らく高確率でレイシフトを初めとしたカルデアの各種設備に頼らねばならなくなる。
 こうなってしまうと、査問会相手に隠し切るのは難しい。ただでさえ分の悪い状況が更に数段悪化する、というわけだ。

「……下手人のアテのようなものはないのでござるか? 残された魔力の波長、濃度。そうしたものから大まかな当たりを付けることも、このかるであならば可能でござろう」
「そこについても、BB達が調べてくれている。お恥ずかしい話だが、その手の解析はカルデアよりも彼女の方が遥かに優れているらしくてね。
 こっちの設備では、せいぜいそれが"非常に高い神性の持ち主"であることしか分からなかった」

 ダ・ヴィンチの口にした手掛かりに、侠客燕青が肩を竦める。

「言いたかないが、そいつは分かりきった話だからなあ。イシュタルの嬢ちゃん、ケツァルの姐さん。あの二人を同時に相手取って勝てるなんざ、同格以上の神サマに限られるだろうよ」

 言葉に出すのは簡単だ。こんなこと、魔術の領分に対してさしたる知識を持たない技術スタッフにだって分かる。
 しかし、この確信はあまりに重い。無敵無双を誇った二柱の女神をねじ伏せた神を、残存の戦力だけで果たして越えられるかどうか。
 エレシュキガルも、燕青も、千代女も、ダ・ヴィンチも。マスターの手前口には出さなかったが、誰もが難しいだろうと踏んでいた。
 本当に――最後の最後に、とんだ厄ネタが降ってきたものだ。藤丸立香の旅路は、そう簡単には終わりを迎えてくれないらしい。

「でもさ」

 唇を噛み締めて、すぐにでも飛び出したい衝動を堪えていた立香が厳かに口を開く。
 四騎の英霊の視線が、つい二年前までは一般人だった、人類救済の英雄に集中する。
 万能の天才、冥界の女主人、百八魔星の一、呪を纏う巫女。そのいずれもが、この無力な少女の言葉に耳を傾け、続きを待っていた。
 そのなんと凄まじく、偉大なことか。もしこの場に優れた魔術師が居合わせたなら、目を見張って驚いていただろうことは間違いない。

「私はそれでも、二人を助けたいよ」
「……お館様」
「理由は色々思いつく。あの二人の力を悪用されたら、人理の破綻なんて子供の手でも引き起こせるよね。
 それはカルデアが、私達が止めなきゃいけないことだ。この二年間ずっとそうしてきたし、今回も変わらないと思う。
 ……でも、ほら。私は頭がよくないし、馬鹿だから。こうも考えちゃうんだ」

 どこか遠くを見る、目。今立香の脳内には、イシュタル達と過ごした日々の思い出が去来していた。

「私は――私のサーヴァントと、こんな別れ方はしたくない」

 サーヴァントとマスターの関係は永遠ではない。
 いつか必ず終わりが来る。これは必定で、幾多の不条理をなぎ倒してきたカルデアのマスターと言えど逆らえない自然の摂理だ。
 けれど。別れ方を選ぶ権利くらいはあるだろうと立香は思う。
 今までいろいろなことがあった。そのいろいろなことのおかげで、とてもじゃないけど楽とはいえなかった、二年間の旅路を乗り越えられた。

「私なりに覚悟はしてたんだよ。みんながいなくなること。二年前、カルデアにやってくる前の日常に戻ること。
 泣いちゃった夜もあったけどね、自分の中で線は引けた。どんなお別れでも、最後くらい笑顔で見送ろうってね。
 けどやっぱり駄目。私は、納得できない。だってそうでしょ、出来るわけないじゃんこんなの!!」

 藤丸立香はお世辞にも使えるマスターじゃなかった。そんなことは自分でも分かるから、最後に文句を言われたって構わなかった。
 でも、これは何だ? 横から割り込んできたどこの誰とも知れない輩が、私の思い出を掻っ攫っていった。
 人理も確かに大事だ。人理が崩れてしまったら、人はどうやっても生きられない。
 だけど違う。違うのだ。私はそんなことよりも、人の"お別れ"を手前勝手に奪われたことに腹が立って仕方がないのだと、立香は憤りを隠さない。

「そういうのは――」

 口数が増え、言葉も早くなる。
 そんな立香の口が、突然止まった。
 誰かに止められたわけではない。
 彼女自身が、思い出したのだ。口にしようとして、その時のことを。
 今から凡そ半年ほど前。似たようなことが、確かにあった。

「そういうのは、もう……もう、たくさんなんだよ……!」

 伝承の地底世界。カルデアから反応が消え、変質してしまったサーヴァント。
 フランシス・ドレイクとヘラクレス。彼女達をカルデアに連れ戻すことは、出来なかった。
 ドレイクはダユーとして、ヘラクレスはメガロスとして討ち倒し、それきりだ。
 元の召喚難易度も有り、結局最後の最後まで、立香は彼女達と再会することは叶わなかったのだ。
 アガルタでは、悲しんでいる暇はなかった。というよりも、そうする余裕さえなかったというのが正しい。
 けれどカルデアに戻ってきて、見慣れた相手の不在を意識しだした時。
 藤丸立香にとって、彼女達の一件は明確な"トラウマ"となった。

「BB達が来るまでは待つし、話も聞くよ。だけど今回は、多少の無理はするつもり」
「……"今回は"って。"今回も"の間違いでしょう、アナタは」

 エレシュキガルが苦笑する。燕青も同じだった。
 千代女はただ小さく頷く。お館様が行くのなら何処へでもお供するのみだという、淡々としてすらいる意思がその挙動からは見て取れた。
 困るのはダ・ヴィンチだ。彼女はカルデアの責任者であり、藤丸立香という人間を色々な人物から託されてもいる。
 だから、立香の背中を押すことはまだ出来ないし、BB達の報告がどんなものであったとしても気が進まなかった。
 たとえ立香が行かなければ解決のしようがないとしても――今回は、嫌な予感がするのだ。何か、致命的な悪い予感が。
 もちろん、そんな抽象的な話を憤りに燃える立香の前で言うわけにはいかない。

「あららら? なんだか少年漫画チックな匂いがしますけど、これってそういう作品でしたっけ?」
「メタフィクションの領分に私を引きずり込もうとするのは実に迷惑だが、物語の形式に当て嵌めるならば、その路線が妥当なのではないかな」

 さて、どう宥めたものか……ダ・ヴィンチが考えているその時だ。BBとカルデア第二のブレイン、シャーロック・ホームズがブリーフィングルームの扉を開けたのは。

「ホームズに……BB! どうだった、何か分かった!?」
「いつにも増して前のめりだねミス・リツカ。まあ、私もキミの冒険をほぼ一年間見守ってきた身だ。躍起になるのは分かるが落ち着きたまえ」

 熱くなった立香をスマートに宥める手腕は、流石に英国紳士と言うべきか。
 ダ・ヴィンチが炎のような有能さならば、ホームズは氷のような有能さを持つ英霊だ。
 故にこそ、ロマニ・アーキマンを欠いたカルデアにとって彼の存在は大きかった。
 そしてダ・ヴィンチとホームズの二人をしてもカバーしきれない領域にまで手を伸ばせるのが、もう一人の少女。
 ブレインというよりはチーター、影の支配者、そんな言葉が似合う後輩系エクストラクラス。BBである。

「とはいえ、情報共有は急務だ。話してあげてくれ、ミス・BB」
「むう、このBBちゃんをまるでワトソン扱いとは……これが某緑の人だったなら虚数空間でしゃぶしゃぶしてあげるところですが、仕方ありません。
 今回は説明役のお仕事、甘んじて承りましょう。いやあ、まあ。実のところわたし、感心しているのです」

 感心? と首を傾げる立香に、そうです! とBB。
 豊満と呼んでいい胸を張って、馬鹿にしたようにムーンキャンサーは笑う。

「よくもまあ、普通に生きてるだけでこんなに厄介事と出くわせるものだなと!
 ……詳らかに明かせたわけではありませんけど、これ、相当ヤバいことが起きてますよ?
 "あの時"と比べても遜色ないくらい。少なくとも以下ってことは、ないでしょうねえ」
「あの時?」
「はい、本題に入りまーす!」

 ダ・ヴィンチの訝しむ声を無視して、BBは強引に本題へと入る。
 彼女の言う"あの時"の話について知っているのは、カルデアの中でも立香とBBしかいない。
 ホームズと彼の仇敵ならば嗅ぎつけてはいるのだろうが、少なくとも此処で明かすことではないのは確かだろう。
 ……ちなみにBBがホームズのことを苦手としているのは、そういう事情あってのことだったりする。

「皆さんも予想してたこととは思いますが、やらかしてくれた御仁は高位の神性存在で間違いありません。
 イシュタルさん達とも、"片方ずつなら"十分喧嘩が出来るでしょうね。あくまで片方ずつなら、ですが」
「だろうね。具体的なデータはどの程度取れた?」
「微妙です。とても微妙。少なくとも、どこそこ出身のどの神、とか割り出してたら下手人さんの目論見が成就しちゃうのは間違いありません。
 ただ、どういう神様なのかはなんとなく分かりました。――"ろくでなし"です。それもとびきり。人類史を逆さにしてひっくり返したとしても上位争い出来るくらい」

 ろくでなしの神様。
 一般人ならおかしいと笑うところだろうが、姿を消したイシュタルがそもそもこれに該当する。
 色々な神話に触れれば分かることだが……神様と呼ばれる存在はむしろろくでなしの方が多い。
 ギリシャ神話のゼウスなどが良い例だろう。全能神と言えば聞こえはいいが、やっていることは現代換算したらとんでもない下衆野郎だ。
 しかし、BBほどの人物がわざわざこう形容したということは、まず間違いなく並のろくでなしではない。
 というよりも、立香達の価値観に合わせたなら"外道"が正しくなるだろう。

「このわたしですら、あんな魔力を見たのは初めてでした。幾何学模様ですよ、おまけに線の一つ一つが山ほどのぶつぶつで出来た集合体なんです。
 苦手な人に見せたら全身に鳥肌立てながら失神するんじゃないですかね? なかなかどうしてすんごかったです」

 セイレムで聞いた、邪神という単語が脳裏を過る。
 そして尚更、逃げることは出来なくなったなと立香は思う。
 そんな神が企んでいることなんて、人類に害を成すものでない筈がない。

「おっと、まだステイですよーセンパイ。貴方が乗り込まなくちゃいけないのは、わたしもホームズさんも調査開始時点から思ってましたから」
「そう、故に問題は乗り込む先。"虹の門"の話になる」

 虹の門。
 カルデアに乗り込んできた悪しき神が、これみよがしに残していった何処かへのポータル。
 立香自身あからさまな罠だと称したし、ダ・ヴィンチを含めてあの場の誰もが同意見だった。
 されど、現実問題あの門以外に事態を進展させるものは存在しない。
 イシュタル並びにケツァル・コアトルの奪還。謎の神の野望の打破。
 どちらを成すにも門を通ることは不可欠だ。

「初めに言っておくが、門を経ずに追い掛けることは不可能だ。
 神性存在が残していった足跡はあの向こうに通じていたし、門の向こう側はどうやら正常な時間軸とは切り離された異界らしくてね。
 制裁覚悟でレイシフトを使えるようにしたとしても、カルデアのレイシフトでは、あの異界を捕らえるのは難しい」
「……亜種並行世界。下総国みたいなもの?」
「似て非なるものだね。虹の門の先にある世界は、並行世界ではなく製造された世界。剪定とも編纂とも異なる、真実の意味での異界なのさ」

 険しい顔をして、ホームズは続ける。

「私達はアレを門と形容しているが、正確には"あちら"が用意してくれたレイシフト機構と呼ぶのが正しい。
 件の異界にだけ安全に転移出来るレイシフトシステム。ああ、これも言っておかなければね。安心したまえ、あの門自体は至極安全なものだよ」

 門を潜った瞬間にドカン、だとか。
 先も出口もない異次元空間に落ちて終わりとか、懸念されていたその手のオチはどうやらないらしい。
 立香はまずそのことに安堵する。それが、乗り込んでいく上での一番の不安要素だったからだ。

「だが、潜れるのはミス・リツカを含めてあと四騎が限度だ。援軍を送るのは不可能だし、カルデアからの通信も恐らく届かない。真の意味で外界から隔絶された異空間、というわけだね」
「ちなみにわたしは同行出来ませんので、あしからず。センパイ達が通った後、あの門がいきなり不安定になって消滅……なんて三文芝居みたいなオチもないとはいえませんから。
 どうせこれが最後ですし、しょうがないからこのBBちゃんが門の維持なんて地味~な裏方仕事を引き受けてあげますよ」

 門が不安定になるかも、なんてのはあくまでも仮定の話。
 万全を期すに越したことはないが、杞憂に終わる可能性も十分にある。
 だが、BBは備えなかったならそういうことになると確信しているように見えた。
 解析作業の一環で、おぞましい魔力を目視した彼女だからこそ誰より深く理解しているのか。此度の黒幕は、そういうことをやる奴だと。

「……話は理解した。ご苦労だったね、ホームズにBB。
 うん、私の感じた嫌な予感はどうやら正しかったようだが――情けない話だ。結局、今回もまた立香ちゃんに頼らなければならない」
「今更でしょ、ダ・ヴィンチちゃん。それに今回は、ダ・ヴィンチちゃんが止めても行くよ。絶対行く」

 力強く断言する立香に、ダ・ヴィンチは困った子だと肩を竦める。
 だけど、そんなキミだから世界を救えたのだろうね――その後半部分は、言葉に出すことはしなかったが。

「分かった、ならこれ以上はお互い言いっこなしだ。
 サポートらしいサポートも出来ないのが心苦しいけど、何か手助け出来ることがないかカルデアで模索を続けておくよ。
 それと――」
「うん。誰を連れて行くか、だよね」

 まずBBは先程の理由により同行は出来ない。
 ダ・ヴィンチとホームズも、カルデアに残ってこそ最も力を発揮できる部類のサーヴァントだ。
 となると。立香はこの場に居合わせ、静かに話を聞いていた他の三人……エレシュキガル、燕青、望月千代女に目を向ける。

「エレちゃん、燕青、あとちーちゃん。いいかな?」

 少なくともエレシュキガルの抜擢は確定事項であった。
 敵が神霊であると割れている以上、イシュタル、ケツァル・コアトルを欠いたカルデアに残された唯一の神霊サーヴァントである彼女を連れて行かない理由はどこにもない。
 燕青と千代女については、単純な話。立香にとってこの二人は、カルデアの中でも一緒に出撃した回数が特に多い顔触れであるからだ。
 超一級の危険が伴うレイシフトだからこそ、戦力もそうだが、共に戦った経験の多いサーヴァントを連れていきたい。立香のそんな感情が表れた人選であると言える。

「……ていうか、此処で私を置いていくなんて抜かしたら天罰を下していたわ。
 別にイシュタル達のことはどうでもいいけれど、人理が揺らぐ企ては女神として見過ごせません。
 相手がどこの誰だったとしても、きっちり報いを受けてもらうのだわ!」
「もちろん、良いよぉ。なんてったってカルデア最後の大一番だ。侠客としても無頼漢としても、蹴っ飛ばすにはちと惜しいねえ」
「お館様が望むのならば、拙者はどこまでもご随伴致します」

 無論、断る者など居る筈もない。
 とはいえ、連れて行ける限界数は四騎である。
 わざわざ一騎少ない状態で向かう余裕が今のカルデアにないのは、語るまでもない周知の事実。
 では、最後の一騎は誰にしたものか。立香がそう考え始めた、その時だった。

「手が足りないならば、オレが出よう」
「……エミヤ・オルタ」

 開け放たれたままの扉に凭れ掛かるようにして立つ、色黒な男が一人。アーチャーのサーヴァント、エミヤ・オルタだ。
 確かに彼は、戦力としては非常に優れたものを持っている。膨大な場数に裏打ちされた戦闘論理は、燕青のそれとはまた違った恐ろしさで敵を撃滅する無情の刃であり弾丸だ。
 門の向こうの戦いに連れて行くには、成程うってつけの人材だ。しかし立香としては、彼が自ら進言してくれたことへの喜びよりも驚きが勝っていた。それは何も、彼女に限った話ではない。

「何だ、珍しいなあオルタの兄さん。アンタは、あれだ。こういうことに自分から首を突っ込んでくるタイプじゃあないと思ってたんだが」
「ホントですよデミヤさん。何か良いことでもあったんですか?」
「その呼び名は止めろ。このやり取りをする相手は、喧しい猫だけで十分だ」

 心底うんざりしたように嘆息するエミヤ・オルタ。
 カルデアに集ったサーヴァントの中では、彼は一匹狼の部類である。
 他の英霊とはつるまない。そもそも、普段どこに居るのかすら分からない。
 辛辣な皮肉屋。そんな印象を抱いている面々が多数だろう――五月の一件を知る立香を除いては、だが。
 そんな彼だが、一度任された仕事は確実にこなす。あらゆる敵を屠り、罠を破り、為すべきことを為す。
 あくまでマスターの指示ありきで動く戦闘者。それが、大半の英霊やカルデアスタッフにとっての彼の印象だ。
 故にこそ誰もが意外と驚く。エミヤ・オルタが、自ら進んで"仕事"へ名乗りを挙げたことに。

「悪いが、気の利いた答えなんて持ち合わせちゃあいない。オレ自身、何故こんな面倒事をやる気になったのか今一つ解らんからな」
「解らん、って――」
「解る筈もない。何故ならそれは、オレが忘れ去ったモノだからだ」

 彼の言葉を理解出来る者は、イシュタルと元を辿れば限りなく同一に近いエレシュキガルのみだ。
 電脳楽土の戦いを彼と共にした立香やBBでさえ、エミヤの言う意味は分からない。
 そしてこの錆び付いた男が、今後誰かにそれを語ることも有り得ない。
 というより、語る術を彼自身持っていないのだ。記憶も経緯も削げ落ちた。
 残っているのは、そういうものがあったらしいという客観的な事実のみである。
 枯れ果てた己へとやけに絡んできた、あのごてごてした女神。
 本来ならば、己と女神の間に縁など存在する筈はないが――あれは本来のカタチをしたイシュタルではない。
 人間の少女を依代とすることで現界した疑似サーヴァント。その現界方法が、誰も予期しない、当人すら忘れ去った縁を繋げた。
 遠い記憶の果て。鉄心の摩耗と汚濁に呑まれ、消え去ったかつての"大切"と、堕ちた英雄はこの辺境で巡り合ったのだ。
 たとえそれが、神と混ざり合った別物であったとしても。英雄自身の脳には既に、思い出の残滓さえ残っていなかったとしても。

「……しかしな、どうにも痒くて堪らない。崩れた霊基の内側で蛆でも這っているような気分だ。
 オレにもまだそんな機能が残っていようとは、心底予想外だったよ。余りに驚いたものだから、らしくもない気紛れを起こしてしまった」

 カリ、と眉間を指で掻く。錆びた鉄片を剥がすように。

「仕事に私情を介入させる癖はない。心配せずとも役目はこなすさ。無論、邪魔だと言うのなら引き下がるがね」  
「邪魔だなんて……そんなことないよ! エミヤが来てくれるなら、本当に心強い!」

 立香はエミヤにたたた、と駆け寄り、その手を握って目を見ながら何度も頷く。
 燕青はそれを見て、苦笑。彼は他の英霊達と違い、亜種特異点・新宿でエミヤと関わったことがある身だ。
 ……尤も彼の真意を知るよりも早く、燕青は特異点から退場してしまったのだったが。
 燕青の知るエミヤ・オルタという男は万人が認める冷血漢。その認識はある意味では合っているが、同時に間違ってもいる。
 錆び、崩れ、病んで尚熱の炉心を止められない。――無銘の英雄の骨子は、今も霊基の片隅に。

「けど、無理だけはしないでね? 私も、その、分かってるから」
「……相変わらず青いな、あんたは」

 エミヤ・オルタは特殊な英霊だ。
 他の英霊と違い、彼の戦いは破滅的の一言に尽きる。
 アンプルを用いたブースト。戦いを重ねる度確かに積まれていく霊基の損傷。
 エミヤを連れて行く上での唯一の懸念はそこだった。
 立香は、この錆びた男が無残に朽ち果てる姿を見たくなかった。

「鉄火場で無様な末路は晒さんよ、善処はするさ」
「約束、だよ」
「ああ」

 カルデアのマスターはサーヴァントの死を忌み嫌う。
 誰に何と言われようと、可能な限りは遠ざけたがる。
 優しいのだ、この少女は。その優しさで、彼女は不可能を可能にした。回避不能の運命を跳ね除け、人類救済の神話を謳い上げた最新の英雄。

「……これで全員揃った。BB、もういつでもレイシフトは出来るの?」
「はい。さっきホームズさんが言ったように、門そのものは絶対的に安全な代物ですから。下手をすると、カルデアのものよりも」
「耳が痛いね」

 幾度となくあったレイシフト時のアクシデントを思い出して、ダ・ヴィンチはばつが悪そうに目を逸らす。

「それにしても、つくづく丁重なお膳立てでござるな。どうやら意地でも我らに介入して貰いたいと見える」
「何か目論見があるんだろうさ。マスターや俺達がやってくることまで含めて計略の内、と。……良いね、良い感じに鼻を明かしてやりたくなる」

 敵が何をしたいのか、何をさせたいのか――それは分からない。
 けれど立香が彼らに言ってやりたいことは一つだ。カルデアを舐めるなと、そう言いたい。
 お望み通り、そっちの土俵に踏み込んでやる。その上で、いつも通りに打ち破る。
 イシュタルとケツァル・コアトルを取り返して、ちゃんと面と向かってお別れする。
 その為に藤丸立香は正真正銘最後のレイシフトへと挑む。狼藉の報いを、悪なる神へ叩き付けてやるのだ。

「準備はいいよね、みんな」

 ぐっと拳を握り、空いた左で魔術礼装の胸元を握り締める。
 必ず勝つのだという、いつも以上の覚悟を誇示するように。
 四騎が頷いた。それを見て立香も頷いた。かくて、旅の準備は完了する。

「行こう」

 恐れを怒りで掻き消して、いざ神域の死地へ。
 四騎の英霊を連れ立って、人類最後のマスターは虹色に煌めく光の門を目指し、一歩を踏み出すのであった。




「此処?」

 虹の門による異界レイシフト。
 それそのものは実にスムーズに完了した。
 いつものレイシフトがエコノミークラスのそれだとすると、今回のは間違いなくファーストクラス級。
 ホームズとBBが安全と太鼓判を押したのも納得だ。最初あれだけ警戒していたのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
 閑話休題。特異点の地に降り立った立香が最初に口にした言葉は、拍子抜けしたような声色でもって放たれた。

「なんか……思ってたより平和っぽくない?」
「そ、そうね。正直、そこら中でマグマがゴボゴボ言ってるくらいの地獄絵図を予想していたのだけど……」

 藤丸立香一行の周囲に広がっていた光景は、一面の花園だった。
 色とりどりの、しかし目にうるさすぎない、優しい自然の海。
 空は一面の快晴だが、流石に異界であるからか、太陽の輝きだけが欠けていた。
 それでも見ているだけでとめどない幸福感に包まれるような景色だ。
 立香の脳裏を、楽園という二文字が過る。とてもじゃないが、話に聞く悪神が拵えた世界とは思えない。

「エミヤ、どう思う?」

 こういう予想外の事態に強いのは、この中なら間違いなくエミヤだ。
 どんな状況でも慌てず騒がず、的確に事の本質を見据える沈着な男。
 立香に意見を求められたエミヤの口から出た言葉は、しかし。

「どうやら、オレに聞くよりも適任が居るようだぞ」
「えっ? 誰だろ……エレちゃん辺り?」
「わ、私は大したことは言えないわよ!? 強いて言うなら、この花園には一切邪気とか敵意とか、そういうものは感じないことくらいで――」

 ひとつの世界を統括していた、その経歴は伊達ではない。
 エレシュキガルはこの場の誰よりも正確に、この花園の在り方を感じ取っていた。
 邪念がない。敵意がない。まさに楽園、立香が思い浮かべた単語そのままだ。
 こんなところで暮らせたならさぞかし幸せだろうと、神であるエレシュキガルをしてそう思うほどの世界。
 此処は祝福に満ちている。悪性も善性も存在しない輝きの園。
 無理矢理に疑わしい点を捻り出すなら、些か潔癖すぎる(・・・・・)ような気がするが――あくまで無理矢理捻り出すなら、だ。普通に考えて、此処に危険の気配を見出すことは出来ない。
 求められたからにはと自分の考えを語り出すエレシュキガル。されど彼女も、すぐに気付いた。というよりも、千代女と燕青が素早く動いたのを見て、だ。

「お館様。拙者の後ろに」
「ち、ちーちゃん!?」
「堂々たるお出ましだねえ。余程舐めた阿呆か、それとも……」

 さっと立香の前に出る千代女。
 拳を構え、ニヒルに笑む燕青。
 二人の視線の先には、レイシフトが完了し、花園へ降り立った時には確実に存在しなかった人影があった。

「……魔女っ子……?」

 わざとらしいくらいに、それは"魔女っぽい"装いをしていた。
 紫色の三角帽子、綺麗なプラチナブロンドの頭髪。右手には魔女らしく、上部分がぐるぐるの渦巻きになっている木製の杖を握っている。
 衣服も紫のローブと徹底的だ。背丈は、中学生くらいだろうか?
 セイレムのアビゲイルと同じか、それより少し高いくらいに見える。
 千代女、燕青、エミヤ・オルタ。ちょっと遅れてエレシュキガル。
 四者から警戒の眼差しを向けられると、魔女っ子は「やっぱそうなります?」と肩を竦めてみせた。

「ま、そう怖がんないでくださいよ。少なくとも今は、貴方達に危害を加えるつもりはありませんから」
「"今は"と来たか。隠す気は微塵もねえんだな、あんた」
「だって隠したっていずれバレるでしょ? 見ての通り性格良くないんで、猫被るのきついんですよ。疲れるんです」

 ぴゅー、と口笛を吹く姿は愛らしいが、燕青が挨拶代わりにぶつけた殺気を涼やかに受け流す様は彼女が常人でないことを容易く理解させる。

「今の台詞を聞くに……君は敵なんだよね? 何がしたくて、私達の前に出てきたの?」
「案内人、ですよ。何の知識もない丸裸状態で彷徨かせてあっさり死んだらつまらないから、だそうです。
 まったく団長(オーナー)もライダーも、自分がコミュ力ないからって人を使うの本当にやめて欲しいんですよね」
「……イシュタルとケツァル・コアトルを攫ったのは、君達?」
「そうですよ?」

 けろっとした調子で、魔女は自分達がカルデア襲撃の下手人であることを認めた。
 立香の中で怒りが鎌首をもたげ始めるが、此処はぐっと堪えて会話に専念する。
 自分達はあまりに無知だ。彼女が言う"団長(オーナー)"や"ライダー"が言うように、手探りのままあっさり全滅する可能性は十分にある。
 情報を得なければ。情報を得なければならない。エミヤの方をちらりと見ると、それでいい、と言うように彼は小さく頷いてくれた。

「ああでも勘違いしないでくださいね。事を企てたのも実行したのも、私じゃなくて団長のロキとかいうアホ野郎ですから」
「ロ……ロキぃ!?」

 反応したのはエレシュキガルだったが、その名に覚えのない者は此処には居なかった。
 英霊達はもちろん、立香ですら知っている名前。純粋な知名度ならば、今回攫われた二柱を遥かにぶっちぎる。
 北欧神話のトリックスター。ラグナロクの引き金を引いた悪神――ロキ。

「……成程、そりゃこれだけのことを仕出かせるわけだ。おまけにとびきりのろくでなしって評価も納得だぜ」

 立香達の想像を大きく飛び越えたビッグネーム。
 質の悪い相手であることは言うまでもない。彼の神話を断片でも知っていれば、考えなくても解る話だ。
 事の全貌が見えてきた。要は、カルデアの襲撃を実行したのはロキで、彼が擁している部下がこの魔女と、詳細不明のライダー。
 他に協力者が居るのかどうか、正確なところは不明だが、魔女の口振りからして四人目が存在する可能性は低そうなのがせめてもの救いか。

「私が心配するのも変だけど、上司の真名をそんな簡単に喋っちゃっていいの?」
「いいですよあんなろくでなし。真名割れて弱点突かれてさっさと死ねばいいと思ってます」
「……そんなに嫌いならなんで、ロキに協力してるのさ」

 立香の問いに、魔女は口角を吊り上げた。
 笑みの形が出来上がる。されどそれは、男女問わず魅了する可憐な笑顔ではなかった。
 あらゆる者に自身の危険性を、悪性を理解させる、黒い笑顔だ。

「"大聖杯"が欲しいからですよ」

 聖杯ではなく、大聖杯。その単語を、立香は聞いたことがある。
 カルデアでも八面六臂の活躍をしてくれた大軍師、諸葛孔明が以前会話の中でぽろっと溢したことのある固有名詞だ。
 まさかその名前がこんなところで出てくるなんて。立香は唇を噛み締めながら、性悪の笑みを浮かべる魔女に続きを促す。

「何を願うかは真名が一発でバレるのでシークレットとさせていただきますけれど、大聖杯を求めてるのは何も私に限った話じゃありません。
 この異界――『ヴァルハラ』に集った五つの勢力。その全てが、大聖杯の獲得という目的に向けて熾烈な殺し合いを繰り返しているのです」
「……ヴァル、ハラ」

 これもまた、非常に有名なワードだ。
 北欧神話における主神オーディンの宮殿。戦死者の館。
 此処が正真のヴァルハラということは考え難いが、死者の集う地、という意味では的を射た名前だ。
 そして、今魔女はこう言った。このヴァルハラでは、五つの勢力が大聖杯を求めて殺し合っていると。

「ロキだけではないのでござるか」
「開いたのは団長ですけどね、私達以外の四派閥はそれぞれ別な英霊なり神霊なりを頭に立ててます。
 ルールは単純明快。最後まで勝ち残った派閥が、遥かなる大聖杯を手に入れられる。そして、大聖杯は」

 一拍、置いて。

「――その派閥が構成員としていた全員(・・)の願いを、等しく叶える」

 大聖杯というだけのことはあり、その機能は通常の聖杯を置き去りにするレベルで規格外らしい。
 成程確かに、この仕組みならば聖杯戦争は個人戦ではなくなるだろう。
 聖杯戦争ならぬ聖杯大戦。それも、広義で言うところの大戦を更に細分化させた代物。
 立香はこれが時空から隔絶された異界で繰り広げられていることに心の底から感謝した。
 こんなものがもし人の世で行われていたなら、人理なんてものの数分で消し飛んでしまう。

「現在存在する派閥は全部で五つ……いや、六つですね。
 一つが、私達の所属する《熾天の冠(セラフィッククラウン)》。
 次に最大の軍力を持つ《天帝陵墓》。
 三体の神格から成る正攻法の怪物、《神聖冥府》。
 四つの"終末"を備えた蹂躙の権化、《四終》。
 最強無敵の《アバドン》。親切心で忠告しますけど、此処は正面突破とか考えない方がいいですよ。マジで次元違うんで。
 そして貴方達、人類最新の救済神話《カルデア》。団長風に言うならば、役者がようやく揃ったわけです。貴方達の到着でね」

 ……新しい情報で頭がはち切れそうだ。
 というより、頭が痛くなってきた。立香は天を仰ぎたい心地に襲われる。
 敵はロキ一派のみではないのだ、魔女の話を信じるならば。
 最大の軍力、三体の神、四つの終末、そして次元違いの"最強"。
 場合によってはこの全てを相手取って打ち倒さねば、事が解決しない可能性すらある。
 ハードモードもハードモード、これがゲームならメーカーに苦情が殺到していたっておかしくない。

「絶望的な顔してるので、せっかくなので追い討ちしときましょうか。
 ええとですね、全派閥に最低でも一柱は神霊クラスの力を持った奴が居ます」
「……最低、でも……」
「言ったでしょう? 冥府なんて三柱ですよ」

 道理で、ロキなんて規格外が参戦しているわけだ。
 かのトリックスターですら、このヴァルハラにおいては氷山の一角。
 他にも無数の神格と、それに並ぶ力を持った規格外英霊が犇めいているというのだから救えない。
 もう一度、思う。この戦いの舞台が異界で、本当に良かった。

「もしかして悲観してます?」

 ずい、と。魔女が、立香の顔を覗き込む。
 甘い香りがした。魔女の翡翠の瞳を、立香は真っ向から見つめる形になる。

「……悲観しちゃいますよねえ。そりゃそうです、誰も責めません」
「……っ」
「私も正直意味分かりませんもん、最後の役者が貴方達みたいな残りカスだなんて。
 冥界の女主人ならまだしも、残りの三人は一体どうやって此処で生きてくつもりなのかさっぱりです。
 ゴロツキ崩れに蛇神もどき、放っといても勝手に死ぬような零落英霊。
 いや~、私でもやれちゃいそうで驚きましたよ本当。エレシュキガルさえ居なければ、全員手足千切って転がしてやるところでした。その方に感謝しといてくださいね」
「……!」

 立香の感情が、一瞬で変わる。
 悲観したわけではない。しかし弱気に駆られかけたのは、魔女の見立て通り事実だった。
 が、次に彼女が口にした悪罵は聞き流せない。
 数々の旅路と運命を共にした、サーヴァント達への侮辱。
 それに憤激すると同時に立香は理解する。実際にロキと対面したことはないが、それでも分かった。
 この魔女は、間違いなくロキの同類。悪意に塗れた、どうしようもない邪悪であると。

「あれ、もしかして怒っちゃいました?
 カルデアのマスターさんって仲間思いなんですね。落としやすそうでとっても助かります!」
「その口を、閉じろ……!」
「やーですよ、だって私案内人ですし。もっとおしゃべりしましょうよ、可愛らしいマスターさん。
 貴方可愛いですから、真っ先に呪ってあげますからね。足手まとい抱えたまんま、みんな仲良く破滅の断崖を―――」

 ぺらぺらと饒舌に語る魔女は上機嫌であった。
 彼女は真性の魔女だ。故に、サディストでもある。
 格下の弱者を見下し心を痛め付けることの何と楽しいことか。
 正面戦闘などそもそも無粋。やるならば拷問に限る。
 救いようのない邪悪の少女にとって、藤丸立香という常人は格好のモルモットだった。

「ああ、そろそろいいか?」

 だが、しかし。その台詞は、彼女にとっては不本意な形で遮られることとなる。
 ぶおんと、空を切り裂く音がした。切り裂くという言葉以外では形容出来ないような、鋭利な音だった。
 魔女の三角帽子が、後方に吹き飛ぶ。驚きに目を見開く彼女のすぐ前に、その邪魔者は立っていた。
 生まれついて災厄と業を背負った天巧星。主に失望し、そして新たな主へと巡り合った無頼漢。
 彼は音もなく一瞬で魔女へ接近すると、拳を振るい、その三角帽を吹き飛ばしてみせたのだ。
 無論、あと少し狙いが下に逸れていたなら――どうなっていたかは言うまでもない。

「案内人なんだろ? おたく。拳一つにも反応出来ないような棒立ち晒してる暇があるなら、さっさと仕事してくれよ」
「燕青……!」

 燕青は、嬉しそうに表情を明るくする立香へニッと笑ってみせる。
 カウンターパンチとしては最高に近い形だ。自分が見下した"残りカス"にしてやられたのだから、魔女の矜持もさぞかし傷付いただろう。
 彼に続くように、エレシュキガルが口を開く。

「そういうことよ。出来もしないこと(・・・・・・・・)をあれこれ言う前に役目を果たしてちょうだい。
 貴女達の派閥には、私達は大きな借りがある。必要な情報だけ抜いたら真っ先に潰してあげます。破滅の断崖を転げ落ちるのは貴女達の方だと知りなさい」

 それに対し、魔女は無言のまま踵を返すと。
 吹き飛ばされた三角帽子を広い、ぱんぱんと土埃を払って被り直す。
 彼女は声を荒げるとか、屈辱に顔を真っ赤にするとか、そういう真似はしなかった。
 ただ、悪意に満ちた笑みを浮かべるのみ。その視線はエレシュキガルではなく、最初に手を出した燕青へと向いている。

「顔、覚えましたからね?」
「へえ、そりゃ怖い! 楽しみが一つ増えたな、こいつは!」
「私、見ての通り根に持つタイプなんです。陰険じゃない魔女なんて居ませんからね」

 ……照準は合わさった、というわけか。
 立香はそのことに、今更不安は覚えない。
 どの道彼女達、《熾天の冠》とはぶつかることになるのだ。
 他の派閥がどうであったとしても。ロキが率いる悪鬼の集団だけは、完膚なきまでに叩き潰す必要がある。
 宣戦布告としては十分だろう。幸い、あちらは案内人の役目を放棄して帰るとか、そういう行動に出るつもりはないようだし。

「――いいですよ、付いて来てください。戦場に連れて行ってあげましょう」

 高貴な身分の人間がそうするように、魔女はローブの裾をたくし上げ、わざとらしく一礼する。
 下着が見えるか見えないかの際どいラインまで攻めて来る辺りには、魔女の淫蕩さが表れていると言えよう。この場に黒髭がいなくてよかった。

「それと。"魔女"ではちょっと意味が広すぎますからね……私のことは、こうお呼びください」

 さあ、いざ。戦場へ。

「――――"王冠のキャスター"、と」


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基底序章:トリックスターラブ 廻転聖杯大戦 ヴァルハラ 基底一章:聖杯大戦(後編)

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最終更新:2018年03月06日 20:17