基底四章:宮殿にて

「飲まないの? 毒なんて入ってないよ」

 立香は不夜城、という建造物を知っている。
 かの女帝の城は絢爛豪華を地で行く、目に悪い類の輝きを持ったそれであった。
 あちらが激しい権力の象徴ならば、立香達が此度招き入れられた宮殿は、静かなる権力の象徴と言うべきだろう。
 気品に溢れた静謐の大宮殿。されど材質、構造、造り、いずれも質素な倹約家のものでは有り得ない。
 見る者が見ればこの世のものとは思えないと形容するだろう、建築上一切の妥協が存在しない神の居城。
 立香達は今、そこの食堂で饗されていた。湯気を立てる紅茶とクッキーを出され、楽園の神と対面している。

「………」

 促され、立香は渋々といった様子で眼前のハーブティーを口元へ運んだ。
 ん、とその顔色が変わる。あまりにも美味で、上品な風味だったからだ。
 カルデアにもかなり良い紅茶が常備されていたが、この一杯の前には敵うまい。
 思わず二口目を啜ってしまう立香を、女神はニコニコ微笑みながら見つめていた。

「……それで? 早く本題に入ってくれるかしら。
 新参者とはいえ、敵である私達を自分の城の中に招くような真似をして。何か要件があるのでしょう?」
「せっかちだなあそっちの女神は。ポンコツ委員長気質ってやつ?」
「し、ししし失礼な! ポンコツではないのだわ!!」

 肩を竦めて軽口を叩く黄金の女神に、面白いように顔を真っ赤にして抗議するエレシュキガル。
 その様子は微笑ましく、牧歌的なバックミュージックが聞こえてきそうなものだったが、しかしエレシュキガルの言う通りだ。
 自ら六神話の一つに属すると認めた以上は、こうして弱り目の敵神話を助ける理由など一切思い付かない。
 ただ一つ、此方に利用価値を見出している場合を除いては。

「まあ間違ってはないんだけどね。少なくとも私は、キミ達の神話に価値を見てる。
 【憐憫】の獣を退け、四つの残骸を乗り越えて此処まで来たキミ達とただ無為に敵対するのは勿体ないって、そう思ってるんだ」
「含みのある物言いだな。おまえ達は今、独断で動いているとでも?」
「正解。だからあんまり騒がないでね、大目玉食らっちゃうからさ」

 口の前に指を一本当てて、静かにね、と示す女神。
 今のところ、この宮殿の中に他のサーヴァントの気配は感じられない。
 大方、出払っているのだろう。そしてその出払っている面子は、カルデアにとって友好的な考えは持っていないらしい。
 あくまでもこの接触は独断。他の神に隠してでも成したい、或いは進めたい計画(プラン)があるのだと、立香達は理解した。

「まず、だ。藤丸ちゃん、私達がどの神話に名を連ねてるかは分かるかな? 原典の話じゃなくて、この聖杯大戦においての話ね」

 立香はこれまでの道のりを思い返し、王冠のキャスターが語った聖杯大戦の縮図に当て嵌め考える。
 天帝陵墓とアバドンはまず論外。バアルが首領を務める神聖冥府も、この船上に広がる楽園じみた光景とは結び付かない。
 熾天の冠も、恐らくは違う。となると、消去法で答えは一つしかないわけだ。即ち――

「……四終、だよね?」
「はい、せいかーい。いかにも私達は四終です。
 私とこの子で構成員の半分かな。四つの終末譚の内の二つ、高純度高品質の神霊様ってわけ」

 四終。カルデアが此処まで唯一関わっていない、最後の神話。
 曰く四つの終末譚。その仰々しい形容と目の前の女神はとても結び付かないが、力があることは疑うまでもなく分かる。
 問題は、聖杯大戦の一角を担う勢力に属していながら、独断でカルデアに何か持ち掛けようとしている彼女達の腹の中だ。
 何を考えている。利用か、共闘か、或いはもっと質の悪い話か。
 いずれにせよ警戒は必須だ。まんまと嵌められ利用され、傀儡として旅を終えるなど笑い話にもならない。

「そんな怖い顔しないでよ、傷付くなあ。
 別に取って食おうってわけじゃないんだよ? 私達はね、あくまでウィンウィンな形での協力関係を持ち掛けたいのさ。
 ある目的を達成するまでの間、お互いに持ちつ持たれつの関係でいようってわけ。勿論それが達成されたら、関係は解消ってことになるけど」

 一方的なものではなく、双方に利のある協力関係。
 こう聞けば聞こえはいいが、まだ信用するにはとてもではないが値しない。
 疑問点や不自然なことが多すぎる。問わねばならないことも、また然り。
 だが口を挟む間もなく、女神は続けて本題を口にした。
 ……立香も、そのサーヴァント達も。絶対に聞き流せないような内容を、底意地の悪い笑みと共に言い放ってのけた。


「単刀直入に言うよ。私達は、悪神ロキを排除したい」


 ……沈黙が、空間を支配する。
 こくこくという、女神が紅茶を嚥下する音だけがマイペースに響いていた。
 次に鳴ったのは、立香の生唾を飲み込む音。
 普段なら大袈裟なくらいのリアクションであるが、事が事だ。誰もそこを指摘しようとは思わない。

「……ロキを?」
「そう。詳しい説明はもう少しお互い信用し合えるようになってから話すつもりだけれど、私達はあの道化とちょっと良からぬ因縁があってね。
 言うなれば私怨の延長線で叩き潰したい、っていうのが一つ。それに――そうでなくたって、常識的に考えて目障り過ぎるでしょ? アイツ」

 女神の口調に棘が宿った。それだけではない。おちょくったような掴みどころのないその声色に、確かな敵意の色が灯ったのを、立香達は感じ取った。
 良からぬ因縁、などというさらりとした表現ではとても形容しきれない。そんな深い怨恨の存在を、この可憐な女神の背後に見た。
 そして後半の話については、立香も全く同意見だった。彼女でなくとも、ロキを知る者ならば誰もが同じ感想を抱くだろう。
 古今東西あらゆる神話の中でも、間違いなく指折りの悪名を持ったトリックスター。欺き、陥れ、嘲笑う道化の神。
 聖杯大戦なんてただでさえ混沌とした状況で、そんな何をしでかすか分からない存在を野放しにしておくなど遠回しな自傷行為にも等しい。

「協力関係の終了条件はロキの殺害、もしくは完全な無力化。
 それまでは、私達は上の目を盗みつつ可能な限りキミ達に力を貸したげる。
 さっきは天帝陵墓と揉めてたようだけど、あのデカブツにお礼参りするとかでもやれるだけのことはやったげるよ」
「……解せんな」

 女神の言葉を受けて、エミヤ・オルタが口を開く。

「それではあまりに此方に有利過ぎる。ロキが優先して潰したい脅威というのは同感だが、今おまえが口にした同盟条件で得をするのは概ね此方だ。
 オレ達を監視していたようだが、ならば既に把握している筈だろう? うちの雇い主殿は、聖杯大戦そのものの解体を掲げている」
「監視しなくても分かる話ではあるけどね。人理を救った英雄ちゃんが、この期に及んで聖杯を欲しがるとか炎上モノのダブスタでしょ」
「いずれにせよ、だ。おまえ達の言う"上"の意向に背いてまでオレ達に忖度する意味はなんだ? 
 その辺りを吐いて貰うまでは、悪いが信用するのは無理な話だね。余計な不穏分子を抱えるのは御免被りたい」

 こういう局面では、やはりこの男は頼もしい。
 鋭く容赦のない指摘で以って、妥協なく追及する。
 お人好しで騙されやすい立香にとって、彼のような人物の存在は重要だ。
 現に立香は今、「あれ? すごい得な条件だし、頷かない理由がないのでは?」と呑気に喜んでいたのだから。心の中で。

「……正直、そこについては信じて欲しい、としか言い様ないんだけどなあ。そんなに胡散臭いかな、私達」
「そりゃもう十分に」

 燕青が笑いながら言う。
 それを受けて、あちらも補足が必要だと認識したらしい。
 面倒臭そうに嘆息してから、女神は再び語り始めた。

「信じてもらえないのは承知で言うけど、深い理由はないよ。
 私は何としてもロキを排除したい。多少どころか、そこそこ致命的な不利益を被ったって構わない。落とし前をね、付けさせたいのさ」
「………」
「で、独断でキミ達に接触した理由。こっちの方は、ちゃんと納得行く理屈を用意できる」

 彼女がロキに恨み骨髄なことは、此処までの会話の中で既に分かっている。
 間違いなく、演技ではない。この女神は、ロキに何らかの強い怨みを抱いているのだ。
 それこそ、自分が割を食ってでも――何としても怨みを晴らしたいと思っている。
 だから思わず警戒心が湧くほどの手厚い支援をばら撒くことにも躊躇いはない。
 エミヤ・オルタのような理詰めを地で行く人物には納得出来ない話かもしれないが、立香は実のところ、そこについてはすんなりと飲み込めた。
 問題は、この交渉が彼女の完全な独断だという点だ。どうせやるなら陣営全てで協力し合った方が何かと都合がいいだろうに、何故"上"を頑なに関与させたがらない?

「うちのトップと余りの構成員は、一言で言うと厄いんだよ。出来るならお近付きになりたくないタイプ。
 特に首領様が良くないんだよね、今回の話だと。気狂いに刃物っていうか、なんというか」

 ……此処まで見てきた首領達の中で明確に碌でもなかったのは、そもそも組織になっていないアバドンを除けばロキのみだ。
 天帝は強大だったが理知的だった。バアルは、前に関わったのが復讐に燃える魔神柱の姿だったこともあって相対的にまともに思えた。
 だが四終の首領は、話の通じる存在ではどうもないらしい。それも彼女の物言いから察するに、ロキやアバドンとはまた別なベクトルで。

「あの堅物は、危険度より数で物事を考えるんだ。要は究極の効率厨。どの道皆殺しにするなら数を重視して減らした方がいい、って考えね」
「……それは」
「そういうこと。協力関係なんて提案しようものなら、この交渉の場で速攻殺しに掛かるから話を通す理由が全くないんだ。
 おまけに馬鹿みたいに強いから始末に負えないよ。弱かったら下剋上の一つも考えるんだけどなあ」

 成程確かに、そういうことなら話は通せない。むしろ通さないのは賢明だ。
 何としてもロキを殺したいから人手を求めているのに、遅かれ早かれ殺すから今は数を優先、などと言いながら鏖殺――これでは話にならない。
 一切例外なく皆殺しという行動方針も、カルデアにとっては不都合極まりない。
 ……疲労困憊の今、出くわさなかったことを心から喜ぶべきだろう。
 この状態でそんな実力ある際物と事を構えたなら、今度こそ、まず間違いなく犠牲なしでは済まなかった筈だ。

「もう一人の方はどんな奴なんだ?」
「……一言で言うと、"苦手な相手"かな。
 話は通じるんだけど噛み合わない。大人しく見えるけど、その外面をちょっとでも信用したらもう術中。
 純真な藤丸ちゃんに会わせるには、ある意味一番危険な奴かもね。思想も首領寄りだから、まあ進んで関わる理由がないよ」

 つまり、四終の中で話が通じる相手は目の前の二柱……事実上一柱のみということか。
 目の前の状況だけで見るなら安堵すべきなのだろうが、後々のことを考えると気が重くなる。
 聖杯大戦を止めて人理を守ろうとする以上、四終の突破もまた必須事項。
 正真の神霊をして此処まで言わしめる相手など、どう考えたってお近付きにはなりたくないのだが。

「理屈としてはこんなところかな。これでもまだ信用出来ないっていうんなら、残念だけど今回の話はなかったことに、だね」

 これが提示できる最善だと、暗に女神は言っている。
 というより、これ以上を提示する手段がないのだろう。
 協力の度合いについては信用して貰うしかなく、他の終末譚を持ち出せない理由は示した。
 となると、次に考えるのは立香の方だ。
 話を受けるか、蹴り飛ばすか。
 ……どう答えるにしろ、よく考えなければなるまい。間違いなくこれは、カルデアの命運を分かつ重大な"選択"になる。

「……如何にする、お館様」
「うん、そうだね――」

 ハーブティーを口に運ぶ。
 芳醇な味わいと、鼻腔を突き抜ける柔らかな香り。
 四終の女神を信用していいのかどうかは未だ判然としないが、この気品溢れる紅茶は立香の混乱した脳味噌をよく整理してくれた。
 ロキ。悪神。道化の神。カルデアに突如として襲来し、女神二柱を攫ったトリックスター。目下、最大の敵。
 ロキと相対したことはまだない。だがそれでも、その強さには想像が付く。間違いなく、規格外だ。強くて、何より質が悪い。
 聖杯大戦を止めるということは、大義を持ってこの戦いに参じている全ての神話を敵に回すことと全く同義である。
 カルデアはいずれ全ての神話を倒すことになるだろう。ロキも所詮はその一つ。されど、重要度ならば桁が違う。優先順位が違いすぎる。

「私は、話に乗ってもいいかな……って思う」

 その上で立香は、こう判断した。
 眼前の女神が信用出来るかどうかは、まだ微妙なところ。
 しかしそれを差し引いても、ロキに限らず様々な局面で力を貸してくれる、という話はあまりに魅力的だ。
 天帝陵墓とアバドンの一件で、ヴァルハラの戦場の過酷さについては十分に思い知らされた。
 だからこそ今のカルデアには、力が必要だ。艱難辛苦に共に立ち向かってくれる、友軍が不可欠なのだ。
 その為ならば、多少のリスクは我慢出来る。それに少なくとも、女神の"ロキに対する憎悪"は、信用に値する。そこについては誰も異論は唱えまい。

「さっすが藤丸ちゃん! 話が分かるぅ! ホントに助かるよ、いやマジで!」
「けど、とりあえず君のクラスを教えて貰ってもいい? "女神"って呼ぶのもなんだし」
「私? 私はライダーだよ。そうだな、しばらくは"四終のライダー"とでも呼んでくれればいいかな」

 四終のライダーと、四終のバーサーカー。
 真名は分からないままだが、戦力として十二分なのは間違いない。
 何しろ神霊だ。通常の英霊とは一線を画した戦闘能力なり、宝具なりを持ち合わせているのだろう。
 ロキを倒すまでという時間制限があるのはともかく、頼もしい味方だ。……少なくとも立香はそう思っている。

「……どうかな、みんな?」
「まあ、いいんじゃないかしら。多分私は貴女と同じ考えなのだわ、立香」

 つまり、信用どうこうを度外視しても、戦力の確保は急務――ということ。
 エレシュキガルの発言に、燕青と千代女も頷く。
 エミヤ・オルタは無言だった。いついかなる時も冷静に構え、対処する彼のことだ。
 集団の総意には従うが、それはそれとして本当に信用に足る連中か見極めていく、というところらしい。

 ――つまり。

「……うん。わかったよ、ライダー。そっちの話に乗る。一緒にロキを倒そう」

 一先ずは、"よろしく"だ。
 名付けるならば、悪神討伐同盟。
 最初から最後まで孤軍奮闘を強いられることも覚悟していた立香にとっては、たとえ一時的でも非常に助かる、肩の荷が下りる思いだった。

「こっちこそ、よろしくね。藤丸ちゃん」

 差し出した手を、女神……もとい、四終のライダーの柔らかな手が包む。
 ぶんぶんと握手した手を振り、喜ぶ彼女はまるで幼子のようだった。
 流石に、森羅万象を虜にした神というだけのことはある。
 そんな様子を見ていると、女神という存在を幾度となく見てきた筈の立香ですら心を奪われそうになった。

「……それで? 計画(プラン)はあるのか、ライダー」

 見かねてか、億劫そうな咳払いと共にエミヤ・オルタがライダーへ問いを投げる。
 何の計画であるかは、言うまでもない。狡猾にして悪辣なトリックスターを、如何にして舞台から蹴落とすか。
 無策で倒せる相手ならばイシュタル達は負けていない。たとえそれが無駄に終わるかもしれなくとも、策は必須なのだ。

「ある。と言っても、あっちから出てきてくれることが前提だけどね」
「詳しく聞かせろ」
「この子は"神殺し"の宝具を持ってるんだよ。何もロキにだけ通じるものってワケじゃないけれど――出自が同じだからね、私達は」

 さらりと言い放たれた台詞に、エレシュキガルの眉がぴくりと動く。
 彼女は今の言葉から、何かを察したようだった。
 この場でそれを口にすることはしないが……真名か、或いはライダー達がアテにする"神殺しの宝具"の銘か。
 その辺りは後でぜひとも聞かせてもらいたいところだが――と、立香が思ったその時である。

 ライダーの顔色が変わった。
 黙って女神に侍るのみだったバーサーカーの肩がピクリと動き、背中の弓に手が伸びた。
 それから一瞬遅れて、立香のサーヴァント達も彼女達の反応の意味合いを理解する。

「マスター、絶対声を出すんじゃないぜ。出来れば動くのも止した方がいい」
「……!」
「何か……とんでもねえのが近付いてきてる」

 魔術師としてはズブの素人も同然である立香には、それを正しく感じ取ることは叶わなかったが――
 彼女のサーヴァント達が感じ取った気配、正しくは移動に伴う"余波"とでも呼ぶべきものは、ひどく異様なものだった。
 人の英霊とも、神霊とも、アバドンのような獣とも違う。ただただ冷たく、形容し難い何か。
 ただ一つ言えることがあるとすれば、この場の全員にとって、それは覚えのある感覚であった。
 体の内から、いや、もっと深いところから這い上がってくる忌避感。
 にも関わらず、致し方のないこととしてそれを自然に受け止めている自分がいる。
 理解不能の矛盾螺旋。故にこそ、全員が確信した。今やって来ようとしている何かと、藤丸立香を会わせてはならない。

「――急いで"宮殿"を組み替えるね。此処は私の権力が最も強く働く場所。キミ達の気配をカットする程度は造作もないから安心して」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。何なのこれ? まさか……」
「そのまさかだよ冥界の女神ちゃん。……ご主人様(・・・・)のお帰りだ」

 一難去ってまた一難。
 どうやら天文台の行く先には、悉く凶兆の星が輝いているらしかった。




 ――白い、騎士であった。

 一点の穢れもない、不健康なまでに徹底された白い男であった。
 身に纏った鎧は白銀。数千年の歴史を持つ氷壁のように美しく、清らかだ。
 腰に携えた剣が宝具級の業物であることなど、わざわざ抜いて見せずとも分かる。
 だが何より恐るべきは、同じように携えた白き弓であろう。
 此方は紛うことなき規格外級の神秘を宿している。宝具であることは確実。そのランクも、容易に想像が付く。
 色がないのは何も目に見える色素に限った話だけではなく。その表情にも、感情にも、色合いというものは確認出来ない。
 ただただ、一色。穢れなく、飾りもない純白。清らかさの陰に見え隠れする虚無の気配はきっと気の所為ではない。
 邪魔なものを退けた結果の白というよりは、そもそも何もない、誕生からずっと変わっていない"絶無"の白。

 霊格は、高い。
 しかし、神霊ではない。
 それでいて、英霊でも幻霊でもない。
 にも関わらず、神に匹敵する霊基を保有している。
 冠位級、と言えばその凄まじさは伝わるだろうか。
 性質さえまともであったなら、このサーヴァントが冠位(グランド)の称号を得ていたのはまず間違いあるまい。

 彼こそは四終の首領。白い死、絶対勝者にして永劫不変の虚無(ホワイト)。アーチャーである。

「おかえり、アーチャー。どうだった?」
「冥府を三つ潰した。例の如く蜥蜴の尻尾切りで逃げられはしたが、冥王の小細工も見飽きた。次の出撃で、神聖冥府の要は粛清出来るだろう」
「それはそれは」

 そんな男を出迎えたのは、黄金の頭髪を動く度魅惑的に遊ばせる、絶世の美貌を持った輝きの女神だ。
 四終のライダー。かつて世界のほぼ全てを魅了した彼女を前にしても、アーチャーは何ら動じた様子もなく応じる。
 無謬の白色には、そもそも愛するという機能自体備わっていないのか。相対しているだけで息が詰まりそうだと、ライダーは内心毒づいた。

「冥王さえ落とせば、神聖冥府の殲滅は単純な武力行使だけで罷り通る。
 問題は英雄神の奥の手だが――幸い、あれには私が有利を取れる。いざとなれば此方も宝具を抜き、粛清を完了するまでだ」
「……それより、アバドンが暴れてたけど。そっちは大丈夫だったの?」
「多少は飛び火を食ったが、移動に伴う波紋程度なら何ということはない。軽く弓でも射れば事足りる」

 さいですか、と声に出しそうになったが、どうにか堪えた。

「こっちはカルデアと天帝陵墓の小競り合いを観戦してきたよ。
 あの芸達者な天帝相手になかなか食らい付くもんだからびっくりしちゃった。
 アバドンが天帝陵墓に攻め込んだのは、多分熾天の魔女辺りが何かしたのかなって印象だね」

 無論、カルデアと接触した――それどころか現在進行系で自分達の腹中に招き入れていることは伏せたままだ。
 そんなことを口走ろうものなら未来は二つに一つ。
 カルデアを皆殺しにすべく白弓が吠えるか、不遜な裏切り者と判断されて自分が弓を向けられるか、である。
 一応は聖杯も求めている身だ。幾ら関わりたくない相手とはいえ、自分の上司とはなるべく揉めたくない。
 ライダーの報告に、アーチャーはただ一言「そうか」とだけ返した。情報としては受け取っておくが、別段優先順位を変える意味もない、という態度だった。

「時に、バーサーカーの姿が見えないようだが」
「あー……アバドンの波紋に巻き込まれたみたいで、ちょっとだけ怪我しちゃってたからさ。
 今は"宮殿"の奥に結界作って回復させてるよ。大したダメージでもなかったけど、別に急ぎの用事もないからね」

 勿論、嘘だ。
 ライダーとバーサーカーはアバドンの嵐の外側で事を見守っていたし、傷付いたことになっているバーサーカーには別室でカルデア一行を護衛させている。
 万一の時の保険だ。もしもアーチャーが事の真相を見抜いて攻撃行動に出たなら、どうにか彼らを逃さなければならない。
 カルデアは大切な協力者だ。何しろ聖杯を求めていないのだから、裏切る可能性がない。こればかりは、他の神話では代用が利かないのだ。
 大切な弟に無理をさせるのは心苦しいが、此処は耐えて貰う。無論――いざという時には、彼の守護を優先するが。
 心臓が高鳴る。神らしくもないと自嘲しつつ、ライダーは眼前の白い終末の反応をただ待つしかなかった。
 されど、幸いなことに。

「くれぐれも気を付けろ。彼は、他の神話を射抜く重要な兵器なのだから」

 アーチャーは、特段それ以上の追及をしようとはしなかった。
 それに安堵しつつ、ライダーはまた心の中で毒を吐く。
 ――あの子は兵器なんかじゃない。お前の都合のいい道具なんかじゃないんだよ、バカ。

 去りゆく背中を睨み付けたい衝動を堪えながら、見せかけだけの空笑顔で白の騎士を見送るライダー。
 そんな彼女の首を、柔らかな感覚が抱いた。

「ライダーちゃんっ」

 母か、姉を思わす穏やかな声色。
 どんなひねくれ者でも、この声と抱擁を前にしては否応なく心を開いてしまうに違いない。
 ……何も知らなければ、という枕詞が付くが。
 彼女の性質の悪さを知っているライダーにしてみれば、ただただ怖気が走る。ある意味ではアーチャー以上に、関わり合いになりたくない相手だった。

「そう怒んないの~。シロくんは、そういう言い方しか知らないだけ。別に悪気があるわけじゃないんだよ~?」
「……分かってるけどね。あの堅物に皮肉言うだけの情緒があったら、一体どれだけやりやすかったことか」

 桃色の髪を持つ、蒼白い瞳の少女だった。
 見た目は十代後半程度か。チャイナドレス越しの豊満な胸の膨らみが、嫌味のようにライダーへ押し当てられる。
 腕を回されている首には、擽られているような感覚があった。
 それもその筈だろう。チャイナドレスの彼女の手足には、草の蔦が絡み付いているのだから。さも、いばら姫にでも倣ったように。

「とにかく、みんな仲良し。仲良しがいいよ~。わたしたちは、同じ目的のために頑張ってる仲間なんだから~」
「……そうだね、キャスター」

 この女こそが、四終最後のサーヴァント。
 四つ目の終末であり、幸福なる死を人にもたらす存在。
 行動に悪意がないという点では、アーチャーも彼女も変わらない。
 だからこそ質が悪い(・・・・・・・・・)。その点において、彼らは気持ち悪いほど一致している。
 イカれているのだ。だが、頷ける話ではある。世界を終わらせ、全ての人を殺そうとする者が、正常である筈もないのだから。

(私も、人のことは言えないか――)

 ――そうだ。
 自分も、人のことは言えない。
 自分もまた、終末譚の一つ。
 正しいか否かに関係なく、歴史という畑を無条件に整地するローラー。
 正しい人理? 間違った歴史? どうでもいい、そんなものは。
 そう、どうでもいい。どうでもいいのだ。
 己には、ただ。


 (かれ)さえあれば、それでいいのだから。
 永遠の真昼を彼と共に過ごせれば、他に何も要らないのだから。


 世界は終わる。
 終わらせる。
 決して救済神話の主役には言えないような志を胸に、四終のライダー・輝きの女神は天文台の旅人達の下へと急ぐのだった。


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最終更新:2018年05月19日 02:36