眩しい。心地よい日差しを浴びながら起床した藤丸はベッドから降りると備えられた洗面台へ向かう。
蛇口を捻り水流を出すと掌で救い、洗顔を行う。ごく普通の行動であるが、先日の出来事を思い出し、目付きが鋭くなる。
鏡に映る己は笑っていない。カルデアの自室で起きたあの事件を忘れてなるものか。マシュは、皆は無事なのか。
夜も眠れたものではない。彼女達のことを考えると不安に胸が潰される。
夜風の冷たさが一層と心の奥に潜む最悪の可能性を煽っていた。確認する術が無いため、この不安が解消されることは無い。
前に進むしか無かった。戦場に立つ者が迷いを抱けばその隙を狙われ死することなど簡単に想像可能である。
これまでの旅と変わらず、人類最後のマスターとしての旅と同じように抗うしか無い。
「よし、行こう」
タオルで大雑把に顔を拭き、軽く髪をセットし、己に言い聞かせるように言葉を吐く。
カルデアの皆は無事だ。彼女達が簡単に死ぬものか。再び出会うために彼は彼の役割を果たすだけ。
扉を開け外に出ると壁にアーチャーが凭れ掛かり、主の存在に気づくと短くおはようと呟いた。
「おはようアーチャー。もしかして待ってくれてた?」
「私も今しがた到着したところだ。よく眠れた――表情では無いな。色々と考えることもあるだろうが、今は」
「分かってるよ。僕がやるべき事は変わらない。だから、いつも以上に気を遣う必要は無いよ」
「……そうか、そうだな。君は曲がりに何もこうして此処に立っている一人のマスターだったな。よし、ならば玉座の間へ向かおうとするか」
太陽の輝きにも負けぬ覚悟の表情。
アーチャーは要らぬ世話を焼かず、主に付き添い玉座の間へ向かう。
【玉座の間】
おはようさん。
軽い挨拶で藤丸達を迎え受けるはヘクトール。
飄々とした態度であるがオケアノスで見せた彼の印象は未だに瞳へと焼き付いている。
頼れる男だと思っているが彼の真意を見抜くにはまだ時間が必要だろう。
「おはようございます。昨日は部屋を貸していただきありがとうございました」
「昨日だけでいいのかい? お前さん達は当てのない旅を続けられる程、蓄えも知識も無いだろうに」
「兄さん! それはキツく言い過ぎじゃないか? すいません、兄も悪気は無いので……」
「お構いなくパリス王。ヘクトール殿は何も当たり前のことを言っているだけ。我々としては今後も部屋を貸していただけることに感謝するのみです」
「おっ、おたくは狡賢いねえ。それとも頭が回る口か。いいぜ、俺が言ったばかりだからな。この時代を知るまでしばらくは居続けでも問題は無いさ」
アーチャーとヘクトールの会話により今後の宿事情は時間を待たずに解決。
やれやれと溜息を吐くパリスとホッとしたように胸を撫で下ろす藤丸の視線が交差する。
お互いに大変ですね。言葉は交わさずとも苦労人気質を伺わせる彼は苦笑を浮かべた。
何も苦労人気質は彼らだけじゃない。アーチャーとヘクトールもまた苦労人気質である。
貧乏くじを引きやすく、お人好しが故に巻き込まれる災難。そして、妙な所でリアリストなことが更なる事態を引き起こす。
奇しくも玉座の間に集う四人は苦労人の集まりだった。
「さて、昨日はお疲れさん。アサシンに聞いた話じゃあのうるさいランサーを足止めしてくれたようだな」
「ああ、口が軽い女であったが実力は本物だ。彼女の真名を把握しているか」
「いや、あいつは知らないサーヴァントだ。元々のアカイア軍にもあの女はいない」
「ならばアサシンと同じように召喚されたサーヴァントか……ふむ、情報は無し」
アーチャーが刃を交えしランサー。
赤い髪のおてんば娘のような印象を抱かせるが、槍の極意は偽りなき英雄の其れ。
弓兵を上回る速度を持つ相手だが、真名に至るには手持ちの情報が足らず。
「俺からすれば名前が判明した所で対策を講じることなんて未だに信じ難い話だが……サーヴァントにはサーヴァントの戦い方があるんだろう。
アサシン達や兵士全体に告げているが、特記戦力の情報が集まり次第随時共有するように徹底しているからよ、何かあったら知らせてやるから頼むわ」
「すまないな。此方の詮索を止めた上で無理な頼みとは承知しているが、甘えさせてもらおう」
「そう云えば昨日、ワイバーンの群れに暴れていたあの人は?」
「あー、あいつね……外に居るんじゃないか?」
バツの悪い返事をしつつ、ヘクトールはパリスへ視線を促す。
パリスは急な話題の振り方に一瞬、驚きはするが苦笑いを浮かべ答える。
「ライダーさんはきっと商人として仕事をしているのでしょう。あの人は戦場に立っていなければ比較的おとなしいので」
「比較的、な。比較的ってのはあの暴風状態と比較してって意味だからな」
「あはは……しんどそう」
トロイアの王と総大将が此処まで言うのだから、黒スーツのライダーは凶暴な人間なのだろう。
武器はリボルバーを扱っていた。銃を使うサーヴァントは数体心当たりがある。
それも騎兵となれば、船乗りが最初に思い浮かぶ。藤丸の脳内には太陽を落とした女とデュフフの二人が笑っていた。
勿論、船乗り以外にも騎兵の英霊はゴマンといる。
現在で真名を当てるのは至難の業。最も今は味方であるが故に、無意味に詮索を行う必要もない。
新宿で共に戦ったアーチャーの真名を知ったのも、数日の時間が経過した後である。名前を知らずも肩を並べ戦う戦友となる。
「商人の才能はあるから質が悪いんだよ、あの男は……おっ、そうだお前さん達。ちょろっと外へ出るってのもアリじゃないか? 今なら俺が案内してやるぜ?」
【城下町】
華やかな街並みである。
現代で表すところの出店が多く並び、新鮮な野菜や鮮魚が輝きを放っている。
老若男女。様々な人間が笑顔を浮かべながら出入りしており、この瞬間だけは戦争中であることを忘れてしまう程である。
「ウルクに負けず劣らずの……良い街ですね!」
「ウルク……? それは古代バビロニアの、あのウルクか!? あんな所で戦ったのかよ」
「あれは辛い戦いだった……だけど、皆が居てくれたから、此処に僕が立っています」
「…………言うねえ、坊主」
ヘクトールに案内を頼み、藤丸はトロイアの街を回る。
弓兵は城に残るらしく、彼は彼なりに兵士達から情報を集めると言う。
止める理由も無いため、パリスには彼が、藤丸にはヘクトールが付き添う形となった。
トロイアの街は活気に溢れている。藤丸の言葉は偽りのない賞賛だ。
あのウルクにも負けず劣らずの都市、戦争中であれど人々の顔に絶望の色は浮かんでいない。
トロイア軍はアカイア軍に劣る。
カルデアのヘクトールは己の事を多くは語らない男だったが、敗戦の将であることは知っていた。
このまま歴史が正しい方向へ進めばトロイアが負ける事も口は出さないが、藤丸は薄々勘付いている。
「おいおい、怖い顔を知てるぜ。折角の機会だもっと笑えよ……おばちゃん、リンゴを一つこの坊主に頼む」
「あいよ……ってヘクトール様!? どうぞどうぞ、お取りになってください」
「ゆ、有名人だ……!」
「そりゃあなんたって兜輝くヘクトール、私達の総大将様だからね!」
「全く、別に金は払うさ」
民の支持と信頼もウルクに負けず劣らず。
人々に好かれる主君の器を持つヘクトール。
彼が死ぬ未来など、今の藤丸の瞳には映る筈など無かった。
【花屋】
美味しい。おばちゃんからもらったリンゴがとても美味しい。
これならAPが普段の二倍以上回復しそうだ。ダヴィンチちゃんに仕入れてもらうように頼もうかな。
なんてことを考えながら僕はヘクトールと一緒にトロイアの街を回っている。
しゃくしゃくとリンゴを齧る音を立てているけど、その音を掻き消すように街は活気に溢れている。
子供も、大人も、ご老人も皆が笑顔で、何でこんなに明るいんだろうと疑っちゃうぐらいだ。
それだけ軍を信じているんだろう。此処まで愛されるなんてヘクトールとパリス王はきっとその器に相応しいんだろうなあ。
「俺の顔を見たって何も面白いことはないだろう」
「あっ、ごめんなさい。あまりにもリンゴが美味しくて」
「だろう? この街自慢のリンゴさ。勿論リンゴ以外も自慢だけどな」
にししと笑うヘクトールはカルデアで見かけた光景と同じ。
そりゃあ当然だ。彼も、この人も同じヘクトールだから。でも、この時代のヘクトールはちょっと怖い。
戦時中ってのが原因だとは思うけど――――――――――あれ?
「これは城にあった花……?」
花屋の店先に並ぶ花に瞳を奪われ足を止める。
何処かで見たことがある。近付いて確認すると、昨夜出会った女の人が世話をしていた花だ。
綺麗なピンク色の花。昨日のことだからよく覚えている。
「城にあったのをよく覚えてるな」
「昨日の夜にちょっとお話を聞きまして」
「話……あー、なるほどね。で、なんか言ってたか?」
「今日は冷える……それと自己紹介は明日って」
「じゃあ俺の口から語る必要は無いな」
「勿体ぶるってことは超大物?」
とても綺麗な人だった。夜のため顔はよく見えなかったけど。髪の色さえ覚えていない。
それでも綺麗なだと感じさせるオーラがあったのは覚えている。そして、サーヴァントでは無かった。
ヘクトールが言葉を濁すことから察するに王族の人だろうか。
自分の身内かなあ。パリス王のようにきっと風格のある人なんだろう。オジサンも風格あるし。
「はははははは! 超大物ねえ……まあそんなところさ」
「いらっしゃいませー……これはこれはヘクトール様。今日は何用で?」
僕達が店先で話していると店主の方が店から出て来た。
オレンジの髪を持つ好青年で笑顔が眩しい印象を受ける。いやあ、この時代は普通の人もかっこいい。
「いや、たまたま寄っただけさ。ほら、坊主! とっととあいつの店へ行くぞ!」
「は、はい……すいません、また今度!」
「お待ちしておりますよー!」
僕はヘクトールに腕を掴まれると強引に引っ張られた。
急にどうしたんだろう。あの花屋の人と何かあったんだろうか。なんて勘ぐってみる。
「まさかスキャンダル!?」
「……あのな、スキャンダルって俺とあの店主がかい?」
「………………オジサンってそっちの方にも需要あるよね?」
「知るかッ!」
【残された花屋】
「行ってしまったか」
店主はヘクトール達を見届けると、いつものように水を撒く。
今日は一段と太陽が輝いており、普段よりも多く撒こうとホースを掴み如雨露の給油口へ運ぶ。
勢いを殺すようにゆっくりと蛇口を回すと、如雨露に水が注がれてゆく。
「あの人はやっぱり噂通り……まさか、いや、ヘクトール様の態度から考えるに……そうだろうな」
自笑混じりの言葉を吐きつつ、蛇口を戻すと先程よりも力強く水を撒く。
まるで鬱憤を晴らすかのような、何かを遠くへ飛ばすかのように腕を振り切っていた。
「…………これは」
すると如雨露の先から何やら得体のしれない物体が飛び出す。
固形物――とは異なる其れは彼が伸ばす腕を回避するように天へと昇る。
何故、如雨露にアレが混ざっていたのか。そもそもアレは自然的に発生するものなのか。
変哲の無い日常へ浮かぶ不可思議。
けれど、考えた所で意味も無ければ、其れがあった所で困ることも無い。
アレを追うように視線を上げると、丁度太陽と重なり、輝きを反射して、美しい光沢を放つ。
「なんで、如雨露からシャボン玉が出て来たんだろうな……?」
最終更新:2017年05月14日 23:41