新京都攻防戦詳細(10月19日)
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(左上より時計回りで) 市街地で撃墜される輸送ヘリ(どちらの陣営のものかは不明) 東扶砂漠で防衛にあたる大和帝國義勇軍戦車 連合議会議事堂に立て篭もった庶民派議員を攻撃する帝国政府 反撃に転じる共和国軍 |
| 新京都攻防戦 |
| 戦争: 舞羅内戦 |
| 年月日: 2016年10月12日~ 2016年10月16日 |
| 場所: 舞羅帝国中部~東扶砂漠南部 |
結果: 共和国の勝利、帝国軍の壊滅 首都圏の荒廃、庶民派議員の大半が死亡 |
| 交戦勢力 |
正統帝国政府 正統共和国政府 神州大和帝國 |
| 指揮官・指導者 |
坂下門左衛門 遠山明憲
近藤茂久 東雲 桜✝ |
| 戦力 |
兵員20,000 兵員35,000 戦車200 戦車180 航空機240 航空機200 民兵数千 大和帝國義勇軍 戦車数十 |
| 損害 |
兵員8000 兵員1000 戦車140 戦車30 航空機220 航空機25 民間人3000前後 |
新京都攻防戦 (しんきょうとこうぼうせん)とは、舞羅内戦中、旧舞羅連合帝国首都新京都市周辺をめぐり、正統帝国政府(以下帝国)と正統共和国政府(以下共和国)の間で行われた戦闘のことである。帝国、共和国共に持てる戦力のほぼ全てを投入した戦闘の結果、帝国軍は総兵力の7割を喪失する大損害を被り、この内戦における主導権を失った。しかし、共和国もまた政府主要機関庁舎と庶民出身議員の大多数、そして3000を超える一般市民の人命を失う被害にあい、両陣営に深い傷を残すものとなった。
また、この戦闘では共和国側が外国から提供された兵器を積極的に運用した他、開戦後初めて外国(神州大和帝國)の軍隊の直接介入が発生したため、にわかに多国籍戦争の模様を呈した。
帝国側の背景
8日~11日までの攻勢で帝国軍は南舞羅の覇権をほぼその手中に収めた。確固たる勢力基盤を手に入れた彼らにとって、目標は帝国の象徴たる帝都新京都市唯一つであった。
帝国陸軍は8日の御前会議において新京都攻略作戦「王の帰還作戦」の発動を決定し、総兵力(人員30000、戦車・装甲車220、航空機310)のうち8割以上(人員20000、戦車・装甲車200、航空機240)を注ぎ込んで、北舞羅への大攻勢を開始した。
このニュースがラジオで大々的に報道された結果、帝国の勝利を確信した新京都市民の一部は「帝国に味方して戦後に報酬をガッポリせしめよう」と考え、いくつかの反共和国民兵組織を形成し、共和国派の集会を襲撃するなどのテロ行為を開始した。
共和国側の背景
先週の戦闘で北舞羅の覇権を獲得しつつも南部で帝国相手にぼろ負けした共和国議会は、いかにして帝国軍の攻勢を止めるかで大討論を起こしていた。
8日の敗北以降帝国側を上回るスピードで支援を獲得しつつあった彼らではあったが、北舞羅の反乱同盟軍と帝国の2つを同時に相手にする必要があったため兵力に余裕がなかったのである。
長い議論の末、次のような作戦が決定された。
- 1共和国は帝国に対して絶対的な防御態勢を構築し、何が何でも首都前面で帝国軍を食い止める。
- 2帝国軍を足止めしている隙に北部で反乱同盟軍を滅ぼす。
- 3全部隊を合流させ帝国軍を押し返す。
これは東雲桜元経済大臣を中心とする庶民出身議員たちからの強い意向により決定した作戦であり、人口密集地である新京都市周辺に被害を出さないことを第一に考えた作戦であった。
帝国との戦力差を埋めるために彼らは外国からの支援獲得に奔走、結果、クラフティン共和国経由で多くの戦車を獲得し、また、欧州国家である神州大和帝國から戦車数十両からなる義勇軍派遣を取り付けることに成功した。
しかし、それでも遠山明憲大統領を始めとする軍人出身の議員たちはこの作戦に懐疑的であり、「勢いに乗った今の帝国を純粋な兵力において押しとどめることは不可能だ」「そもそも文民出身議員は考えが軟弱すぎる」などと終始反対していた。
両陣営戦力
| 共和国軍 |
数 |
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帝国軍 |
数 |
| PTX01 |
4両 |
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PTX01 |
3両 |
| 27式中戦車 |
14両 |
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27式中戦車 |
15両 |
| 26式中戦車改 |
10両 |
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26式中戦車改 |
29両 |
| 27式対空戦車 |
7両 |
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27式対空戦車 |
8両 |
| テケタン |
45両 |
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テケタン |
55両 |
| ピコタン |
40両 |
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ピコタン |
50両 |
| 26式装甲車 |
20両 |
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26式装甲車 |
30両 |
| 27式自走迫撃砲 |
5両 |
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27式自走迫撃砲 |
5両 |
| 26式重榴弾自走砲 |
5両 |
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26式重榴弾自走砲 |
5両 |
| 不明戦車 |
15?両 |
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| 不明装甲車 |
15?両 |
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| 航空戦力(共和国) |
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航空戦力(帝国) |
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| F-27戦闘攻撃機 |
50機 |
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F-27戦闘攻撃機 |
40機 |
| F27G戦闘機 |
20機 |
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F27G戦闘機 |
20機 |
| F28戦闘機 |
30機 |
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F29戦闘機 |
30機 |
| F29戦闘機 |
50機 |
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FA-27特殊戦闘攻撃機 |
25機 |
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B-26戦略爆撃機 |
15機 |
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FA-26戦闘攻撃機 |
30機 |
| AH-26対地攻撃ヘリコプター |
20機 |
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AH-26対地攻撃ヘリコプター |
30機 |
| H-25輸送ヘリコプター |
30機 |
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H-25輸送ヘリコプター |
50機 |
| 大和帝國義勇軍 |
数 |
| 3号戦車リンセ |
数十両(正確な数は非公開) |
| 5号戦車エレファンテ |
数十両(正確な数は非公開) |
戦闘開始
8日午後、帝国軍の部隊が共和国の防衛線に攻撃を開始した。
共和国軍は作戦通り要塞陣地や塹壕群を用いてのガン防衛を開始。
当初はなんとか持ちこたえていたが、その日の夜になると突如として一部共和国部隊が首都まで後退を開始した。
これを好機と見た帝国軍はその戦線の穴から一気に軍を突進させ、首都へ進軍を開始した。
ただし、その道中では共和国のゲリラ部隊が決死の攻撃を繰り返しており、帝国軍を止めるには至らずも、少なからず消耗させることに成功していた。
一方首都では大統領をはじめとする多くの議員や関係者が軍用特別機で北方への脱出を開始していたが、庶民派の議員たちは市民と運命を共にすると議事堂にバリケードを作り、議場内にとどまり続けた。
市街地線
9日の朝、帝国軍は遂に帝都新京都市に到達した。
その時市内は戦火から急いで逃れようとする市民でごった返しており、その混乱に乗じた帝国派民兵団による略奪が横行していた(このことが後に新京都市民に反帝国意識を植え付けることになる)。
無論帝国軍には違法行為を制止するよう訓令が出されていたが、共和国とのゲリラ戦で弾薬食糧の不足していた彼らに首都の治安を回復させるだけの余裕はなかった。
更に、市内各所では背水の陣となった共和国による熾烈な抵抗が発生しており、同じ装備を持った軍同士が入り乱れての大激戦の結果、多くの市民の遺産が焼失こととなった。
そして、ついに帝国軍は議事堂にまで到達し、勧告に一切応じない庶民派議員たちを帝国の戦車が議事堂と一緒に破壊したのであった。
航空戦
全作戦期間を通して散発的な空戦が繰り返された。
基本的な流れは爆撃隊を護衛する帝国軍戦闘機隊とそれを襲う共和国軍の戦闘というものであり、両者の航空戦力は機体の種類、数共にほぼ同じであった。
しかし、この戦いはキルレシオ10:1で共和国側の圧勝に終わった。
主な原因は共和国が地上レーダーと連携した効率的な奇襲攻撃を実施したのと、帝国側が護衛という不利な状況で戦わなければならなかったことにあると説明されている。
しかし、一説には「同属殺し」を躊躇った帝国兵と「略奪・侵略者の撃退」に燃えた共和国兵の意識の差も少なからず働いたとされている。
また、共和国側は帝国側の前線飛行場を航空機や優勢な艦隊兵力によるミサイル攻撃で壊滅させたため、帝国軍航空隊はほぼ全滅に等しい損害をこうむることとなった。
共和国の反撃
状況に変化があったのは13日のことであった。
市内の制圧が粗方完了し、北へ逃げた共和国残党を追撃しようと進撃していた帝国軍主力の前に突如として帝国側を圧倒的に凌駕する補給万端の共和国の機甲部隊と大和帝國義勇軍が出現したのである。
彼らは都市占領と各地でのゲリラ戦で疲弊した帝国軍を包囲するとそれを容易く粉砕し、首都新京都市を帝国勢力から解放したのである。
その時、大統領は果敢にも先頭の戦車に乗って首都へ一番乗りしたらしく、略奪に苦しんだ新京都市民の目からは彼の姿はさながら救世主のように映ったようだ。
結果
帝国軍はこの作戦失敗で機甲部隊がピコタン・テケタンを20両ずつ残して、航空部隊もF29を20機残して全滅するという壊滅的な被害を被り、史上稀に見る大敗北を喫した。
一方の共和国はというと、初戦で兵力を温存していたのが幸いして、極めて少ない被害にとどめることができた。また、大和帝國軍も数人が軽い怪我を負っただけでほとんど損害は無かったという。しかし、首都に立てこもった東雲議員達庶民派議員は殆どが戦死し、首都や市民も大きな被害を被った。
尚、もう一つの勢力たる反乱同盟軍であるが、この戦いの裏で支援が途絶えてしまい、ひっそりと壊滅したという。
ナ ム ア ミ ダ ブ ツ
影響
この敗北により帝国は侵攻どころか戦線を維持するだけの兵力を確保することも不可能になり、戦争の主導権を失った上、近若帝国国境まで戦線を後退する羽目になった。
また、この戦いの直後帝国にとって最大の支援国であったクラフティン共和国からの支援が打ち切られたため、以後共和国との戦力差は開く一方となった。
一方、共和国側では、この勝利への賞賛と対抗野党であった庶民派議員連合の崩壊により、与党最高指導者たる大統領の人気と権限が急上昇した。
また、帝国側の庶民派議員虐殺と帝国派民兵の略奪行為の影響で、帝都市民の間に帝国軍は悪、町を解放してくれた大統領は絶対的救世主という認識が定着することとなった。
憶測
共和国の大勝で終わったこの戦いであるが、いくつかの謎が残されることとなった。
まず1つ目は、なぜ1日目の戦闘で共和国軍の一部が後退したかである。
その後の展開を見るに、共和国軍は大した損害を受けた形跡がないことから、侵攻に耐え切れず後退したとは考えにくく、どうにも何者かの意思が働いたとしか考えられない。
2つ目に、なぜ庶民派議員たちは帝国軍の勧告を受けても誰一人として議場から出てこなかったかである。
そもそも、彼女らは大統領のように、「同じ国の人間にも容赦なく武力を振い内戦を解決させる」という方針に批判的であり、「帝国との和平による解決」という武勇とはかけ離れた思想をもっていたからである。また、帝国軍にも非武装市民を丁寧に虐殺するような余裕はなかったはずであり、証拠とされる写真にも帝国の戦車による攻撃とは考えにくい損傷箇所(ドームの天辺)があるため、巷では様々な憶測を呼んでいる。
3つ目は、共和国反撃時に撮影された写真である。
この写真に写っている戦車は情報が一切公開されていないものの明らかに外国製の戦車であり、いったいどこの国から供給されたのか、ミリオタの間で特定が進められている。
4つ目は大和帝國軍の介入についてである。
そもそも大和帝國は今欧州大戦の真っ最中であり、国土を追われるほど追いつめられた彼らが、なぜわざわざ遠く離れた南米の国に派兵する決断を下したのか、専門家の間でもさまざまな意見が飛び交っている。
最終更新:2018年03月23日 05:08