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73 名前:fusianasan[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 02:52:17
空を覆う薄闇色の雲と絹糸のように降る雨のせいで十分な視界が確保できぬ中に見つけた姿に少年は息を飲んだ。
力なく地面に蹲り、顔を地面に伏せた様子から確認できるのはその後ろ姿だけだったけれど、己の心には確信があった。
周りを行き来する人々は目の前で少女が臥せっているというのに脇を駆け抜けるばかりで、誰一人振り向こうとも、傘を差し出そうともしない。
駆け寄る人さえいない冷酷な世界の姿に少年の心が震えた。

怒りのままに叫びだしたい衝動を堪え、握り締めた拳を精一杯振ってできる限りの速度で少女の元へと向かう。
自分も傘など持っていなかったけれど、少しは雨よけになってやれるだろうとの気持ちと内に燻る怒りだけが少年を突き動かしていた。
ミシェルからの連絡を貰い、随分と探し回ったために呼吸が苦しく、肺が悲鳴を上げている。
それでも、足を止めようとは思わなかった。
必死で地面を蹴って駆け、そのもとへたどり着くと、アルトは乱れた息遣いのままゆっくりと腰を屈めた。

ふわふわのストロベリーブロンドは雨に濡れて地に落ち、身軽さを失っていた。
いつも力強く動き回っていた少女の面影は不思議なくらい重ならず、別人のような印象を受ける。
自分が目の前に立ったというのに少女はそれにも気づかないようで、顔を地面へ向けたままだった。

「・・・シェリル?」

おそる、おそる名前を呼ぶ。
確かに音を紡いだはずなのに、目の前の少女は動かない。
その静かさが怖くて慌てて肩を掴むと、雨に濡れて冷たいはずの身体がものすごい熱を放っていることが手のひらを通して伝わった。

「シェリルッ!!おいっ、大丈夫か?!」

手の平に感じた熱にアルトが弾かれたように顔を上げる。
慌てて熱を孕んだ身体を揺り動かすと、ゆっくりとシェリルが顔を上げた。
視線が交わるはずなのに、空色の瞳はうつろなままだ。
瞳が像を結んでいないのかシェリルはぼんやりとしたままアルトを見つめる。

生気の感じられない瞳。
言葉を結ばず、微笑まない唇。
白い肌の中唯一まっかに染まった頬が酷く痛々しかった。

「ッ!!」

どうして、こんなになるまでっ!!と唇をかみ締めた瞬間、今確かに触れているはずの身体が記憶の中の美しい母と重なる。
身体を何かが蝕んでいるのだと子供の目にも分かるくらいなのに、必死に幼い自分に悟らせまいとしながら静かに一人逝った母。
自分の中に溶けずに残るしこりのようなものがアルトの胸を締め付ける。
後悔と寂しさで縛られた記憶の欠片が肢体の自由を奪いとっていく。

-失うのだろうか?
-また、自分は何もできないまま失うのだろうか?
-また、自分は守れないのだろうか?

頭の中に幾重にも響く声。
やらなければならないことは分かっているはずなのに、不意に頭に浮かんだ不安に身体が動かくなる。
自分の足できちんと立ているはずなのに、視界がぐらぐらと揺れ、その気持ち悪さに飲まれて、倒れんでしまいそうになった瞬間、音が聞こえた。


「・・・あ、る・・・と?」


と。


耳に馴染む、優しい音。
母とは違う音。
いつも強い意思を持っていた音。

心配そうな、自分を危惧するような声が一気に自分を引き戻す。
はっと我に返ったアルトの腕に瞳を閉じたシェリルが倒れこむのと、遠ざかっていた雨音が戻ってくるのとが同時だった。
その後はよく覚えていない。

シェリルが意識を失ってしまったのだと分かった後は、もう無我夢中だった。
宿舎までシェリルを抱いて走ったのか、それともタクシーか何かを捕まえて帰ったのか分からない。
ただ、腕の中に感じる熱が消えてしまわないことだけを必死に祈っていた。
宿舎に到着した後はミシェルに教えてもらった秘密のルートを通って自室へと戻った。
けれど、運よく誰にも見つからずに済んだのはここまでで、濡れたシェリルをベットに寝かしたところで部屋に戻ってきたミシェルとクラン大尉に見つかった。

びしょぬれのシェリルを見て一瞬驚いたような顔をした二人に、何と説明するべきか迷ったけれど、二人は何も聞かないでいてくれた。
ただ、『無事でよかった。』とそれだけ言って安堵の表情を浮かべていた。
それを無性に嬉しく感じたのを覚えている。

それから、クラン大尉に風邪を引く前に温まって来いといわれ、服の替えだけを持たされて追い出された。
慌てて食い下がったけれど、そんな自分を一蹴するかのように『女の着替えを覗く気か、いい度胸だな』という声が降り、同じようにして放り出されたミシェルに首根っこを捕まえられてバスルームへと引きづられ、ブースの中へと放り込まれた。
そこまでされなければ動けなかっただろう自身は随分間抜けな姿だっただろう、とアルトは苦笑する。

熱いシャワーを頭から被ってようやく落ち着いたアルトは、シャワーブースを出ると脱衣所に立ったままのミシェルに力なく笑った。
すると、それを見たミシェルがいつものように笑う。
気落ちした様子を繕う余裕すらなく、そのままぺたぺたと裸足のまま歩いていくと、らしくないなっと茶化されるようにタオルの上から頭をわしゃわしゃと撫でられた。

「この後の任務、代わってやるよ。」
「ミシェルッ?!」
「・・・・起きるまで、傍に付いててやれよ。」
「・・・あぁ。悪い・・・。」
「気にするな。貸し、一つだからな。」
「ありがたく借りとくよ。」

予想もしていなかったミシェルの言葉にアルトが驚くと、優しい、こちらの状況を案じているような声が返ってきた。
そのことにアルトがはっとする。
ルカや他の誰もが触れない、自分の痛い、探られたくないところをギリギリでついてきたりするくせに、どうしようもなくなった時に助けてくれるのもいつも彼だった。


-コイツには敵わない。


普段なら、絶対出てこないような感情が不思議なくらい素直に心に落ちてくる。
自分の心境の変化に、アルトは苦く笑った。

簡単に身体を拭いて、SMSの制服を身に着けると随分と身体が軽くなっているのが分かる。
先ほどまで口をきくのも億劫なくらい酷く身体が重かったことを思い返すと、今は幾分か考えを巡らすこともできるようになっていた。
きっと、あのままシャワーに放り込まれなかったら、シェリルを前におろおろしているだけか、見当違いの方向に突っ走っていただろう。

そんな自分が容易に想像できる。
それを思うと無理やりにでもバスルームに放り込んでくれたミシェルとクラン大尉に改めて感謝が生まれた。

「ミシェル。」
「ん?」
「ありがとな。」
「ッ?!。・・・・・・・・あぁ。」

聞きなれないアルトの言葉に、ミシェルが一瞬目を見張る。
けれど、次の瞬間にはそっとその頬を緩ませた。


その後、適当に髪を乾かしてから部屋へと引き上げる。
歩く二人の間に会話はなかったけれど、共有する秘密のせいか緊張感に満ちた沈黙には不思議なくらいの安心感があった。
そのことに驚きを感じながら部屋の前まで戻ってくると、呼び出し音を鳴らす前にクランが扉を開けてくれた。

「着替えは済ませた。ミシェルのは少し大きかったから、アルト、お前のを借りたぞ。」
「はいっ。」
「解熱剤も飲ませたから、もうじき発熱も治まるだろう。目を覚ましたら、もう一度飲ませておけ。」
「了解しました。」

クランの言葉の通り、シェリルはアルトの予備の隊服を身に纏った状態でアルトのベットへと寝かせられていた。
どうやったのか、髪の毛もきちんと乾かされており、いつものふわふわのストロベリーブロンドに戻っている。
表情は変わらず苦しそうだったけれど、面影が少しいつものシェリルに被り始めたことにアルトはほっと安堵した。

「それから・・・・・」

ぼんやりとそんなことを考えている間にもてきぱきと指示を出していたクランが不意に言いよどむ。
伝えるべきかどうか悩む彼女の姿が、アルトの胸に再び不安を生んだ。
そんなに躊躇うことがあるくらい、身体は深刻な状態なのだろうか?
ベットで眠るシェリルにもう一度静かに視線を向けるけれど、アルトに分かるのはシェリルがつらい状況であるということだけだ。
不意に視線を床にずらしたクランの言葉をアルトはただ、じっと待つ。

「アルト、これから話す事は全て事実だ。」

そう言って部屋に下りた沈黙を破ったのは、アルトの背後にいたミシェルだった。
硬いミシェルの声にクランが勢いよく顔を上げ、ミシェルを見つめる。
揃いのエメラルドが心なしか不安に揺れているように見えた。

自分に向けられた真剣な声。
そして、真剣な瞳にアルトが思わず身じろぐ。
けれど、何かがそれを押しとどめさせた。

逃げるな、と。

頭の中に、そんな声が響いたような気さえした。

ぐっと下腹部に力を入れてミシェルの瞳を見据える。
受け止めなければっという気持ちが、アルトを前に突き動かしていく。
それを体言するように唇が一文字に結ばれるのを見たミシェルの表情がほんの少し緩んだ。

これから目の前の彼が踏み出すだろう道先を案じるようでもあり、それを彼らしいと思うようでもある複雑な表情。
そして、彼がどんな道を選び、進んだとしてもきっと支えていこう、と自分への覚悟を決めた表情でもあった。
腹をくくったアルトと同様にミシェルも深く息を吸い込み覚悟を決める。
まだ悩むように引かれた服の裾にきっと大丈夫だから、信じてやってくれという意味を込めて触れると、心配そうなエメラルドが揺れ、再び視線が戸惑うように床へ向けられる。
それでも、信じたいというクランの心を表すかのように、捕まれた服の裾にぎゅっと力が加わった。

クランが自分に託してくれたことにミシェルが息を吐く。
そして、自らの心を落ち着けるためにもう一度だけ深く息を吸った。

これから、自分達の話す事は眠る彼女の"意志"を妨げる行為だ。
話したことがばれれば、きっと激怒するだろうとミシェルは心内で苦く思う。
それでも、と思った。

一人で生きていくには、この世界は冷たすぎる。
誰かを求めずにはいられず、誰かに愛してほしいと誰もが密やかに願っている。
それが一瞬の、刹那の逢瀬であったとしても互いに惹かれ合い、触れ合い、心を通わせることは何事にも勝る力になるのだ。

生きていたい、と。
共に時を歩んでいたい、と。
最後の瞬間まで諦めたくない、と。
そう思わせてくれる。

だから、信じてほしかった。
決して、自ら諦めて欲しくなかった。

"かの人"のようになって欲しくなかった。

ミシェルの脳裏にふわりと美しい女性の姿が浮かぶ。
今でも自分の胸を苦しくさせるその姿に、ミシェルはぎゅっと拳を握った。




"自らの道を選ぶ前に、自分を『振り返って』ほしかった。"
"そして何でもいいから『話して』ほしかった。"
"自分にも『分けて』欲しかった"。



それは、幼心の傲慢。
そして、今でも自分が捕らわれ続けているモノ。
このことが罪滅ぼしになるなどとは思っていない。
それでも残された者として、同じような思いを誰かにしてほしくはないのだ。




『ゴメンネ。』




ミシェルは小さく心内で眠る少女に詫びる。
そして、全てを受け止めようとするアルトへと視線を向けた。
いつも逃げるようにふいっと反らされていたはしばみ色の瞳が、いつの間にか自分の視線と真っ直ぐ交わるようになっている。
そのことに嬉しさとほんの少しの寂しさを感じながら、ミシェルはゆっくりと口を開いた。



最終更新:2010年02月05日 01:06