「ゼロいぬっ!-42」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

ゼロいぬっ!-42」(2007/11/08 (木) 22:14:53) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

『マリー・ガラント』号の甲板に出来る人だかり。 しかし、その興味のほとんどは傾いた世界樹と押し流されていく巨人に集中している。 もはや飛び乗ってきた彼の事など眼中にない。 それに元の姿に戻った今、蒼い怪物がどこに行ったかなど誰にも分かるまい。 その彼に接近してくる人影があった。 「よう。やっぱりテメェかデル公」 「また会ったな、親父……だよな?」 親父の声に振り返る彼とデルフ。 その二人の目前に立っていたのは体中を包帯で覆うミイラ男。 片腕は折れて首から布で吊り下げられている。 何があったのか?と問うデルフに、思い出したくもないと親父は返した。 まあ大体の見当は付いているのでデルフも詳しく聞こうとはしない。 「しかしこれから戦場に行くってのに、もう戦場帰りみたいな姿になってるな」 「ほっときやがれ! それに俺は戦場までは行かねえよ、しばらく港町で療養だ」 「は? 何言ってんだ、金もねえのにどうやって…」 頭を打たれすぎたのかと心配するデルフの前に親父がずしりと重たい袋を差し出した。 その中身は眩いぐらいに輝く金貨の山。 「例の剣が言い値で売れてな、こいつはその代金って訳だ」 おおっ!と驚く二人を前に自慢げに親父は語った。 もっとも高く伸ばそうとしても親父の鼻はへし折られている。 だが、これだけあれば良い水のメイジの医者にもかかれるだろう。 城下町に拘らなければ店の再建だって夢ではない。 しかし、そうなってくると湧いてくる疑問が一つ。 「なら何でアルビオン行きの船なんかに乗ってんだ?  もう無茶して稼ぐ必要もねえんだし、その気も無いんだろ?」 「ああ、それなんだがな…売った相手が、ちょっとな」 そう言うと親父は荷の中から一本の剣を持ち出してきた。 なんでも『あの剣』を買った奴が前に使っていた物を引き取ったらしい。 それをデルフの前で刃を引き抜いて見せる。 「なるほど…。こりゃヤバイな」 「俺も売った後で気付いてな、今更取り消しも出来ねえし」 それは染み付いた血脂の痕跡。 手入は行き届いているのだがそれでも全ては消し切れない。 デルフも得物を見る機会は多い方だが、これだけ人を斬った物も珍しい。 まず軍人でもそうはない、あるとすれば山賊ぐらいなものだろう。 加えて、剣の腕も並の剣士とは一線を画している。 斬り合いになれば普通は刃筋が乱れるものだ。 お稽古事のように綺麗に剣が振れる筈も無い。 その為に斬れなくても相手を叩き殺せるだけの重みを剣は持っている。 だが当然それで刃がガタガタになる事も多い。 しかし、この剣はそれがほとんど無い。 それはこの剣の持ち主が技量と胆力共に秀でている事の証明である。 「こんなのに追われたら命が幾つあっても足りねえな。それでとんずらか?」 「ああ。ほとぼりが冷めた頃に戻ろうかと思ってな。 念には念を入れてトリステインじゃなくてゲルマニア辺りにでも」 「ああ、そうした方がいいな。何なら貴族のお仲間入りするか?」 「へっ…バカ言うな。貴族様なんて柄じゃねえよ」 親父と笑い合いながらデルフは僅かに安堵の吐息を漏らした。 もし賊の中にその剣士が混じっていたらギーシュ達は危険だった。 しかし、あの剣を振るっているなら問題無い。 鋼鉄も断ち切るシュペー卿の鍛えた剣って触れ込みだが、実際の所は飾りも飾り。 「何しろ大根も切れねえ代物だからなあ……」 「ま、物の価値を決めるのは買う側って事さ」 「ほう? 詳しく聞かせてもらおうか」 「いや大した事じゃねえですが。 鈍らをシュペー卿の剣だって言ったら高く買ってくれた客がいましてね…」 ちゃりちゃりと金貨の感触を指で確かめながらニシシと笑う。 背後に人が立つ気配を感じるものの恐怖はない。 親父がアルビオンに発つ決心をしたのは二人の人間から逃れたかったからだ。 勿論その一人は暴利を吹っかけた相手の剣士。 もう一人は彼を生死の境に追いやった悪魔のような女。 そのどちらもこの船には乗り合わせていないのは確認済み。 だから親父は何の躊躇いも無く全てを話した。 背後にいる人物が誰かも考えずに。 「…そういえば私の勤務している町でも報告があったな。 ある貴族が名工の逸品と偽られ出来の悪い剣を売りつけられた、と」 「まあよくある話ですからね、ところでお嬢さんはどちらから?」 声の感じから若い女性と判断した親父が振り返る。 そして、そのまま彼の時間は止まった。 親父の振り向いた先には短い金髪を揺らす女性の姿。 途端に怪我が熱を持って痛み出した。 それと同時に忘れようとしていた恐怖が甦る。 「…もう忘れたのか? ならもう一度言ってやろう。 私はアニエス。所属は城下町の警備隊、その隊長だ」 それを聞いた瞬間、言葉にならない悲鳴を上げて親父は走り出した。 そして手近な船員を捕まえると必死に懇願する。 「船を…船を戻してくれ! 早く! お願い!」 「む…無理ですよ。第一、戻るにも桟橋があの状態では…」 乗っている筈の無い悪魔の存在に親父は発狂寸前だった。 どうやって乗ったのかなど想像も出来ない。 一刻も早くこの場から離れようと縁に足を掛けて親父は飛び降りようとする。 それを必死に食い止める船員達。 そんな光景を眺めながらアニエスは溜息を漏らした。 「そこまでトラウマになるほど手酷く痛めつけた覚えは無いのだが…」 その彼女の足元では一匹と一振りが恐怖に震えていた。 「…なんという事だ」 コルベールの説明を聞いたオスマンの口から驚愕の声が漏れる。 この事実を聞かされた所で誰も信じるまい。 だがオスマンはコルベールに深い信頼を置いていた。 そして彼の行動全てがそれを裏付けている。 彼を疑う余地はどこにも無かった。 「では彼の力の源は脳に住む小さな寄生虫だと?」 「…はい。それが自分の身を守る為に彼に力を与えているのです」 彼の資料に混じって出てきた小さな虫の情報。 最初はその関連性を見出せなかったが遂にコルベールは気付いたのだ。 その虫こそがパズルの最後のピース…否、最初のピースだという事に。 「だが、その寄生虫もやがては成虫となり卵を産み付け……」 そこから先をオスマンは言えなかった。 宿主の体を突き抜けて出て来た幼虫が世界中に伝染する。 そうなれば人間のみならず全ての生命が滅びる事になるだろう。 重い…あまりにも重過ぎる事実だ。 口にする事さえも憚られる。 それをコルベールは一人で背負っていたのだ。 「…済まぬ。儂は救いようの無い愚か者であった」 「そんな! 学院長は悪くありません!」 コルベールの弁護も耳には届かない。 異世界より現れた彼と書物、そして“光の杖” それが危険である事は“破壊の杖”を知る自分には想像出来た筈だ。 その解析を急ぐあまりコルベール自身の事を考えるのを忘れていたのだ。 もしかすれば世界の命運をも揺るがす事実に遭遇するかも知れない。 それに彼の心が耐えられるかどうかなど判らなかったのに。 しかし彼は耐え、そして真実を胸に秘めたまま隠そうとした。 “竜の羽衣”なら彼を元の世界に帰せるかもしれない。 彼が来た異世界ならば虫を摘出する術もあるだろう。 しかしそれが成せない場合、世界を救う方法は一つしかない。 「誰にも話さず自分一人で決着をつけるつもりだったのか」 「……………」 ミスタ・コルベールは火のメイジ。 他人には決してその実力を見せようとはしないがオスマンは知っていた。 彼の魔法はスクエアメイジにすら匹敵し得る物だと。 あるいは炎を苦手とする“彼”を倒せるとコルベール自身も自覚していた。 だからこそ誰にも言わずに黙っていたのだ。 倒すにせよ、救うにせよ彼女の使い魔はこの世界には居られない。 全ての事実を押し隠したまま彼は終わらせるつもりでいた。 たとえ、それでルイズ達から責められようとも…。 「もはや儂等だけではどうしようもない。 姫殿下にこの事を報告し指示を仰ぐしかあるまい…盗難の件も含めてな」 「ミス・ルイズには?」 「彼女には知らせぬ方がいい。事実を受け止めるには彼女は幼すぎる」 「…分かりました」 俯いたまま一礼しコルベールは部屋を後にした。 その姿を見送りながらオスマンは天井を見上げた。 どのような結果になるにせよ誰もが傷を負う。 使い魔を失うミス・ヴァリエールと、その友人達とその使い魔。 真実を隠したまま教え子から使い魔を奪い取り、 自ら禁じた炎の魔法を使う事になるかもしれないミスタ・コルベール。 そして再び主を失うデルフリンガー。 その他にも彼の友人といえる者達は皆悲しむだろう。 だが何よりも哀れなのは彼自身。 生の喜びを見出し主の下で懸命に生きる彼を、 他人の手で望まぬ姿に変えられ命の期限を定められた彼を、 どうしてこの手に掛けなければならないのか…!? 「偉大なる始祖よ。 この世界に生きる者達に遍く差し伸べられる貴方様の御手も、 あの小さな異世界からの来訪者には届かぬというのですか…?」 それとも、これは罰なのか。 六千年もの永き時を掛けて尚も聖地を奪還できず、 同じ人間同士争い殺し合う我々への警鐘だとでもいうのか。 幾ら問おうとも始祖は答えてくれない。 見守っているのか、それとも見放されたのか。 そのどちらであろうとも答えを出すのはいつも自分達自身なのだ…。
「船は出航できないのか?」 「風石の積み込みがまだです」 「必要最低限でいい、後は私の魔法で補う」 船員に手短に指示を伝えて甲板の上を見渡す。 そこにはワルドに命じられるまま準備を進める船員達の姿。 賊に狙われているという虚報、それが彼等を動かしていた。 言葉だけでは信じては貰えなかっただろうが、 街中で暴れ回るフーケのゴーレムを見た後なら話は別だ。 後少しでこの船は他の連中を置き去りにしてアルビオンに向けて発つ。 その予定だったのだが…。 (フーケの奴、しくじったな) いや、ミスではなく予定外の敵が現れたせいだ。 ゴーレムの周りを羽ばたく一匹の竜。 アレに邪魔されて足止めが出来なくなったと見るべきか。 偏在の眼がこちらに近づく彼の姿を捉えていた。 もはや出し惜しみしている場合ではない…! 「相棒、あの世界樹だ!」 デルフに言われるままに坂道を駆け上がってきた。 そして見えてきた物は一本の樹。 そこには果実が成るように船が停泊していた。 桟橋までの距離感が狂ってしまいそうなほどの巨大さ。 船は出ていない、まだルイズはあそこにいるのだ。 刹那、その彼の行く手を一陣の風が切り裂いた。 「な…!? 風のメイジか!」 デルフが驚きを隠せず声に出す。 咄嗟に足を止めた彼の眼前には地面に出来た裂け目。 土のメイジが岩より削り出した石床は固定化も掛けられている。 もし、これが人間相手なら鎧を着ていようが容易く両断されただろう。 視線を感じて彼が頭上を見上げる。 そこには薄っすらと浮かぶ重なり合う月を背にしたメイジの姿。 顔には白い仮面、手にはワルドと同じ戦闘用の杖。 風に外套をなびかせながら男は杖を下に向けて飛び降りる。 自重と風の加速を乗せた突きの一撃。 避け切れないと判断した彼は咄嗟に迎撃の構えを取った。 『シューティング・ビースス・スティンガー』 無数に放たれる針は地面に辿り着く前に男を焼き尽くす筈だった。 それが男を取り巻く風に散らされていく。 いかに勢いがあろうとも重さのない針では風の壁は貫けない。 剣と杖、互いの得物が相手へと向けられる。 交錯する一瞬、両者の間に鮮血が散った。 着地と同時に反転しワルドは彼へと振り返った。 ぽたりぽたりと零れ落ちる鮮血。 それは額を抉られた彼の傷口より落ちた物。 そのままエア・ニードルで脳を突き刺すつもりだった。 だが直前で自ら首を捻り突きを逸らしたのだ。 そんな判断を戦闘経験の浅い犬が出来る筈がない。 つまりは…これがガンダールヴの力か。 あらゆる武器を使いこなし達人の域に引き上げる伝説のルーン。 人間ならまだしも犬までもとは何とも規格外な代物だ。  もう少し深く踏み込んでいれば避けようはなかった。 しかし、それはこちらも同じか。 半ばまで裂かれた外套を邪魔にならぬように自ら破り捨てる。 完全に振り切られていれば両断されてもおかしくなかった。 辛うじて制したのは直線である刺突と曲線を描く斬撃の差のみ。 剣を咥えている相手には突きは出来ない。 純粋な剣技となれば僕に分がある。 加えて魔法を組み合わせれば敗北はない。 だが、それは相手がただの犬であったならばの話。 ワルドの眼前で彼の姿が変形していく。 金色の瞳を輝かせる蒼い異形の怪物。 異世界の錬金術師が創り出した狂気の産物にして、 文字通り世界を破滅へと導く魔獣。 その姿を前にして覚悟を決めた。 先ほどの攻防など前哨戦に過ぎない。 ……ここからが本当の勝負だ。 こちらの常識など何も当てには出来ない。 己が持つ全ての能力を駆使し討ち果たす。 最悪、時間稼ぎが出来るならそれでいい。 「バルバルバルバルッ!!」 バオーが吼える。 飛び掛る彼の両足には刃。 『リスキニハーデン・セイバー』 同時に迫る三本の刃を杖で受け流し捌く。 鋼鉄も切り裂く刃を相手にしても、 相手の杖が両断されないのは強度によるものではない。 刃筋を風でずらして受けているのだ。 その技量を間近で見たデルフは感嘆の声を漏らした。 相手は並のメイジではない。 しかし、それを言うなら相棒は並の生物ではない! 「くっ!!」 ワルドの足が徐々に後退していく。 既に次の魔法の詠唱を終えているというのに、 バオーの苛烈な攻めは彼に杖を振る暇を与えない。 普通の人間ならとっくに酸欠になっているだろう。 だが暴走した馬車のように相手は止まる事を知らない。 両足のセイバー・フェノメノンを受け止めた直後、 とん、と軽い音を立ててワルドの背が民家の壁に衝突した。 「しまっ……!」 逃げ場を失ったワルド。 そこに渾身の力を込めたデルフの横薙ぎが放たれた。 固定化を掛けた岩を裂きながら迫る刃を地に這い蹲り避ける。 続けて襲い来る前足のメルティッディン・パルムを躱し宙へと逃れようとした。 だがその刹那、縫い止められたように動きが封じられた。 見れば壁に突き刺さった刃を離し、自分の外套に喰らいつく怪物の姿。 目に映った光景に戦慄が走る。 「うおおおおおお!!」 瞬間、世界が凄まじい勢いで回転した。 まるで人形で扱うかのようにワルドを振り回す。 知らされていたが、これほどのパワーだったとは…! このまま叩き付けられれば壁面を彩る赤い塗料と化すだろう。 意識が吹き飛びそうな加速の中、咄嗟に外套を切り離し今度こそ宙へと逃れる。 そして民家の屋根に飛び乗ったワルドへと再び彼が襲い掛かる。 しかし、それは放たれたエア・ハンマーに弾き飛ばされた。 (……やはりそうか) 迫り来るバオーを迎撃しながらワルドは勝利を確信した。 彼の決定的な弱点、それは対空能力の低さだ。 空を飛べず、高く飛び上がれば無防備な姿を晒す。 その状態では魔法を避ける事さえ出来ない。 唯一の飛び道具である『針』も風に阻まれれば届かない。 火竜や風竜は彼にとって天敵となる。 「大丈夫か相棒!?」 壁に食い込んだままのデルフの下へと彼が歩み寄る。 剣を手にした所で今更この圧倒的優位は揺るがない。 そう思いながらワルドは眼下の敵を見下ろす。 しかし彼はデルフを引き抜かなかった。 前足を壁へと当てたまま動こうとしない。 何をしているのか?と疑問に思うも下手に動くのはマズイ。 誘っているのかもしれないと警戒しワルドは様子を窺う。 しかし突然、彼の足元がぐらついた。 安普請だったのかという考えは瞬時に否定された。 自分の足下だけではない、天井そのものが崩壊していく。 「まさか…!?」 フーケから聞かされた話を思い出す。 怪物の出す溶解液、それは触れている部分だけではなく全体にも浸透する。 奴はそれを利用して足場を破壊したのか。 触れてさえいれば城でも船でも溶かせるというのか。 何というデタラメ…! 崩れ落ちる民家から離れようとした直後、 剣を咥え弾丸のように迫る蒼い怪物の姿が目に入った。 フライもレビテーションも間に合わない。 咄嗟に受けようとした杖を両断しデルフリンガーが縦に一閃された…! 「っ……!」 偏在から送られてくる感覚が途絶えた。 その直後に見えた映像に自身が裂かれたような錯覚を覚える。 やはり想像以上に恐ろしい怪物だ。 万全の状態で挑んでいても勝てたかどうか…だが! 「…私の勝ちだ」 索を外され船が桟橋より離れていく。 空を飛べぬ身ではもはや追いつけはしまい。 そして私はアルビオンで手に入れる、ルイズと虚無の力を! 着けられなかった奴との決着はその時だ。 奴の弱点と急所を知った今では無敵の存在には成りえない。 次こそ確実に奴を討ち取ってみせる。 切り裂かれた男の身体が風と共に消える。 血飛沫どころか屍も残さずに消滅したのだ。 やはり人ではなかった。 彼は男から異質な感覚を感じ取っていた。 それはフーケの使うゴーレムに近い物。 人の姿を真似ていても人とは決定的に何かが違う。 だからこそ彼は躊躇なく破壊したのだ。 「これは偏在ってヤツだな、多分」 風のメイジが使う分身みたいなもんだ、とデルフは説明する。 それはつまり本体が別にいる事を意味する。 今度は勝てたが次はどうなるかなど予想は付かない。 だが、それは後でもいい。今は一刻も早く桟橋に…! そうして彼が目にしたのは桟橋より離れていく一隻の船。 他に船はない、ならばアレにルイズは乗っているのか。 雄叫びを上げるも届いているのかさえ判らない。 自身の跳躍力を以ってしても船に飛び移るのは不可能。 見上げた彼の視界の端に何かが映った。 それは天にまで届かんとする巨木。 …いや、まだ出来る事はある! 桟橋である世界中の根元に彼は走った。 それに遅れるようにアニエスも桟橋へと到着した。 彼女もまた去っていく船の船尾を見上げて下唇を噛む。 「くっ…間に合わなかったか」 ギーシュから託されていながら何たる体たらく。 次の便はいつになるか判らない。 再び彼女達と合流できるかは疑わしい。 (私にはこのまま見送る事しか出来ないのか) 悔しがる彼女の目に飛び込んできたのは見た事もない蒼い獣。 それを恐れて桟橋にいた連中は次々と逃げ出していた。 「あれも連中の手先か…?」 剣に手を掛ける彼女の下に獣は走り寄る。 来ると警戒した彼女に掛けられる親しげな声。 「よう! アンタも無事だったのか?」 「その声は…デルフか! だとするとコイツは…」 「相棒に決まってるだろ」 「………!?」 デルフの言葉にアニエスは驚愕した。 ただの犬ではない事は知っていた。 だが、目の前にいるのは正しく怪物。 こんな生物、彼女は見た事も聞いた事もない。 彼の変貌した姿に歴戦の勇士である彼女も怯んだ。 それを判ってか、それとも判らずにかデルフが続ける。 「俺達はあの船を追うけど、アンタはどうする?」 その一言で彼女は我に帰った。 たとえ、ミス・ヴァリエールの使い魔が何者だろうと関係ない。 彼等もまた私やギーシュと同じ任務を果たそうとする仲間。 今考えるべきはこれからの事だ。 つまらない事にこだわっている余裕はない。 「是非もない」 「よっしゃ! じゃあ相棒に掴まりな!」 言われるがままに彼の背に飛び乗り、しっかりと腕で身体に掴まる。 きっと振り落とされないようにしろという意味だろう。 (あれ…?) よく見るまでもなく彼には翼など生えていない。 それで一体どうやって追いかけるというのか。 その疑問は目の前で起きた大惨事に掻き消された。 ラ・ロシェールの象徴ともいえる世界樹が地響きを立てて傾いていく。 「な……なななな…!?」 「地盤は十分に溶けてたみたいだな、これなら行けるぞ!」 アニエスは知らない、この惨事を引き起こしたのは彼等である事を。 メルティッディン・パルムで樹の根元を既に溶かしていたのだ。 そしてアニエスを乗せたまま、樹の幹に飛び乗る。 「行くってどこへ!?」 「船の上に決まっているだろう」 「どうやって!?」 「どうって…飛ぶんだよ」 そこで二人の会話は途切れた。 樹の天辺を目指し彼は幹を駆け上がる。 瞬く間に彼は空気が壁と化す速度に到達した。 筋肉・骨格・腱に与えられた圧倒的な力。 それを総動員し彼は弾丸と化した。 そして助走をつけて空へと撃ち放たれる…! 「引き返して! まだ皆が…」 「落ち着くんだルイズ!」 船員に掴み掛かる彼女をワルドが止める。 涙ぐむ彼女の瞳を見て心苦しく思うが致し方ない。 これが最善の処置だったと自分を諭し説得する。 「君も判っている筈だ、これは任務なんだ。 優先されるのはその達成、他の事に構っている余裕はない」 「でも、それじゃあ…」 「彼等だってそう思っている筈だ。 ここで引き返すのは彼等の思いを踏み躙る事になる。 僕達には一刻の猶予だって残されていないんだ」 「……………」 それで納得してくれたのか俯きながらルイズは口を閉ざした。 彼女も判っているのだ。 今もフーケのゴーレムと戦っている友人達、 宿で足止めをしているミスタ・グラモンとアニエス。 彼女等が何の為に、誰の為に戦っているかという事を。 慰めようとルイズの肩に手を掛けようとした瞬間、轟音が周囲に響き渡った。 船に乗った誰もが甲板に上がり外の様子を窺う。 巨大な世界樹、ラ・ロシェールの桟橋が傾いている。 一体何が起きたのか戸惑う中、それは現れた。 桟橋の上を走る一匹の蒼い獣、その背には女性、口には剣を咥えている。 それを見ていた彼女の表情に喜色が戻る。 自分には見せた事がない本当の笑顔。 そして獣は飛んだ。 恐らくは誰もが目を疑っただろう。 羽ばたく翼も滑空する羽も持たずに宙を舞う。 そんな非現実的な光景を目にしているのだから。 だが、私はそれを受け入れた。 アレは自分の知る常識など通用しないのだ。 だから何が起きようとも驚く必要はない。 そういう生物なのだ、あれは…! 砲弾が描く軌跡のように彼は船上へと舞い降りた。 彼を迎え入れたのは恐怖に慄く船員達でも、 覚悟も新たに見つめるワルド子爵でもなく、 涙を零し自分を抱きしめてくれた主の姿だった…。 ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
記事メニュー
目安箱バナー