一、スライム族の誕生 原初時代 前25万年~前8万年
スライムは、魔族の分岐初期に生まれた種族です。その当時は虫や木の実を食べ、群れを作って暮らしていました。分布は(現実の中央アジア地域)周辺が中心でした。
当時のスライムには吸収器官がなく、物体の性質を吸収することは出来ませんでした。
当時のスライムには吸収器官がなく、物体の性質を吸収することは出来ませんでした。
二、原初スライムの大移動と進化 西部時代 前8万年~前5万年
前8万年頃、(現実の中央アジア地域)の乾燥により、原初スライムの大移動が起こります。乾燥が進んでいない西に移動したスライム族は、天敵や環境の変化で急激に数を減らすことになります。
そのような状況であったスライム族に、吸収の出来るようになる突然変異の集団が現れます。これにより環境の変化に適応できるようになり、天敵への対抗手段も出来たため、スライムは個体数を急激に増やしていくことになります。この時期のスライムを、初期スライムと呼びます。
そのような状況であったスライム族に、吸収の出来るようになる突然変異の集団が現れます。これにより環境の変化に適応できるようになり、天敵への対抗手段も出来たため、スライムは個体数を急激に増やしていくことになります。この時期のスライムを、初期スライムと呼びます。
三、スライムの高知能化 発展期 前5万年~前1万年
スライムの個体数が増加し、群れの中のヒエラルキーに変化が起き始めます。力強さがほぼ均等になっていたため、知能が高い個体がヒエラルキーの上位に立つようになったのです。知能が低くヒエラルキーが下の個体は天敵に食べられることが多く、スライム全体の知能が上がっていったのです。
四、スライムの広がりと人類との接触 接触期 前1万年~200年
知能の上がった中期スライムは、個体数が急激に増えていき、それにより生息域も急激に広がります。温暖な西には更に急激に広がっています。当時人類も拡大を続けており、その頃に人類と接触しました。当時人類はスライムを敵として認識しており、体の大きい人間を吸収することはできず、スライムは戦わずに逃げていました。
五、人類との和解、文化の同化 同化期 前1万年~200年
敵対していたスライムと人類でしたが、前1万年頃、人類側きスライムの知能の高さに気付き、対話を試みる者が現れます。その試みは成功し、便利な人類の言葉は瞬く間に普及し、人類との敵対も徐々に鎮静化していきました。言葉が浸透したスライムと人類は急激に文化が同化していきました。そして発展した言葉が浸透したことにより群れの統合が進み、人類の国家に近いものが形成されていきました。
六、スライム族大移動 撤退期 200年~700年
国家を形成したスライムですが、危機が訪れることになります。オーク帝国の西方大移動です。当時オーク族は大族長を束ねる皇帝にしたがっており、人類から見て東側中心に暮らしていたスライム族は西方への移動を余儀無くされました。それにより現在の帝国西部にスライム族が集まり、大規模な国家を形成することになるのです。それが、現在のスライム選帝侯領に繋がっています。