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癌とは、唐突に発生する『悪』ではない。
人間の細胞は、分裂し分化し増殖する遺伝子を様々持ち合わせている。そこに癌遺伝子も含まれている。
即ち、癌は既に人間が所持する『悪』。
複数ある要因が重なり合った結果、ようやく癌は増殖を促進するに至る。
簡単に例えなるなら『バランスが崩落した』時だ。
★
夢の中で夢見るとは、鏡合わせの領域を覗きこむような奇妙な感覚に陥るかもしれない。
少なくとも、
ラッセル・シーガ―。
彼は慣れていた。
聖杯戦争が始まる前から、あるいは聖杯戦争に迷い込む前から。
肉体が朽ち往きつつ、永遠の夢を望んで、瞼を閉じた瞬間より続く夢である。
――何故なら、彼が望むものは現実にないからだ。
ラッセルは黒い星を見た。
妖艶な美しさに魅了されるラッセルの精神が弱いのでなく、彼の世界にこれほど美しいものが存在しなかったのだ。
緩やかに靡く金の髪と、彫刻を彷彿させる肉体を持つ『悪の救世主』が優しく声をかける。
「ラッセル。何故、夢を見ているのかな。君の事を教えて欲しい」
最初は、正直ラッセルも口を開く気は毛頭ない。
過去を語ったところで、無駄だからだ。ラッセル自身、良い気分にもならない。忌々しく醜いものを思い出すだけ。
ポツリポツリ。
段々と速度をつけながらラッセルは話す。
自分が犯したものを。
自分が味わったものを。
自分が下した決断を。
救世主は、時折相槌をする程度で、基本は黙ってラッセルの話を聞き続けていた。
そして、ラッセルが語り終えた時。
彼は深く息をつき、ゆったりと口を開く。
「残念だ……君が私と巡り合えなかった事が、非常に残念でならない。
そういう運命だったとしても、私は君に手を差し伸べられなかったことを、残念に思う」
残念?
手を差し伸べる?
つまりそれは、助けてくれる意味なのだろうか。
ラッセルは分からなかった。
罪悪感を理解し、だからこそ夢の世界を選んだ少年には、救世主の言葉がただの偽善にしか聞こえない。
この瞬間までは――
「ラッセル」
美貌とは真逆の不敵な微笑を作った彼は言う。
「今からでも遅くは無いさ。私が、君を―――『罪悪感』という檻から開放してあげよう」
ラッセルの胸の奥底で『何か』がざわつく。
救世主を待ちわびたように、歓喜をありったけの思いで上げ続ける。
その感覚に、ラッセルは混乱した。どうすればいいのか。否、これはあってはならないんだ。
傍らで、救世主は続けた。
「本来――君には罪悪感はなかった。それがあるべき君の姿だ」
少年は息を飲む。
夢だ。
早く目を覚まさなくては。
「君は最期の最後まで彼らの実験に『利用』されただけだ。
君に投与された薬は、多くの悪を苦しめる為に
あるいは敵対者を苦しめる為の拷問に使われ、画期的な精神破綻薬として世界の裏側で活躍するだろう」
「つまり、君がどうなろうが知った事ではなかった」
「君が夢を見続けようが」
「君が自殺に走ろうが」
「君は―――それをどう思う?」
「さぁ、ラッセル!」
★
住宅街の一角にあるアパート。
そこに住む少女。マスターの一人でもあるジリアンは都合良く一人暮らしだった。
家族が居ない事で、自ら補わなければならない部分が必ず産まれる。不便な点も幾つかある。
だが、聖杯戦争の渦中に居る身としては、都合が良い。
中学生とされているジリアンが一人暮らしであるのは、実に奇妙だが。
不思議な事に『珍しい』と偏見は抱かれないようだ。
何故なら、彼女以外にも中学生でアパートかマンションで一人くらしする者が複数いるようなのだ。
どうしてか?
わざわざ違和感ある学生を複数配置したよりも
見滝原には元より『そういった』世界だったのかもしれない。
(戦闘を行ったサーヴァントが二騎、ですか)
ジリアンは、アヴェンジャーの念話による報告を聞いていた。
彼女のアパートよりも距離を置いた都心側で早速、戦闘が行われたらしい。
更に加えるなら『変身能力』を秘めたマスターの存在が脅威的である事。
能力が皆無である少女と比較すれば、能力を保持するマスターは十分危険にも関わらず。
『変身』と一言で済む話だが、相手とするなら厄介な能力だ。
(サーヴァントであれば、マスターがステータスを認識し看破出来るが……
『アレ』が普通の人間に……いや。あの時は『犬』に化けていた。どこまで可能かは不明だが
最早、周囲の警戒は重視するべきだ。……私が思うに――)
(そのマスターが、見滝原中学の生徒に化ける可能性ですよね……)
(嗚呼、十分ありえる。しかしもう一つ。アレこそが巷のウワサとなった『怪盗X』ではないか)
(! 怪盗――)
ジリアンの世界じゃ『悪魔』が並の世界よりもメジャーな認知されているように。
『怪盗』を名乗るのも、少々違和感を覚えていた。
これが魔法ファンタジーでなく、推理小説だったらまだしも……
否。確か、ジリアンが調べたウワサの中に『怪盗』がいた筈。
(変身能力……確かに変装みたいだ)
常識も平凡もを凌駕した超人が敵。
底知れぬ悪がマスターだから『マシ』なのだ。これがサーヴァントだった場合、手に負えない部類に属しただろうに。
赤い箱のウワサ通り。
人を箱に詰めるのは観察、よりかは。
変身する為に相手を観察する過程の一環だと考えれば、少しは納得する。
遠くより物音は聞こえた。
睡眠中の人間にも、その程度で目覚める場合もあるが、夢現を彷徨い続ける場合もありうる。
ジリアンは、どちらでもない。
彼女は就寝せず、ベッドの上で横たわりながら主催者からの書類を眺めていた。
閑静な住宅街にて響く喧騒は、酔っ払いの仕業があった。
聖杯戦争のマスターに覚醒してから神経質に、周囲を警戒し続けたが、結局今日まで何事もない。
故に、今日こそは動きが見られるかもしれない。
……と誰も考えるが、ジリアンは改めて見直してみる。
(多分……聖杯戦争が始まるまで、時間はあったけど……
アヴェンジャーさんを信じるなら、ボクがマスターだと気付かれた覚えはなかった……)
討伐令にかけられた『
暁美ほむら』が見滝原中学校の生徒であると判明し。
明日から、複数の主従が注目するのは必然だろう。
しかし、今日まで見滝原中学校が注目されていたかは別だ。
『暁美ほむら』を除いて一体どれほどのマスターが中学校に潜んでいるかは、全て暴かれていない筈。
少なくとも――ジリアンが酷く注目された覚えは皆無。
(これを上手く利用すれば……)
警戒されない一般人を、どう装えるか。
『いつも通り』にする事。
無難な策はソレで尽きるものの、果たしてどこまで『普通』を貫き通せられるかが問題となる。
ガラスの破壊音。
ジリアンは思わず体を起こす。
自室にあるベランダのガラス越しから様子を伺えば、
独特の鳴き声を上げ徘徊する中型の肉食恐竜が群れを為して移動していた。
★
感染。
ねずみ算に増加していく手駒。恐竜化を扱うサーヴァントの真骨頂の一つ。
見滝原の住人たちが次々と『変貌』してゆく有様を傍観しながら、魔法少女・スノーホワイトは関心する。
このサーヴァントは非常に魅力的だ。
無辜の人々を巻き込む躊躇さがないうえ、能力も集団戦のみならずある程度の索敵能力も有している。
再契約候補の一つに注目した。
だが……
肝心な事にサーヴァントは確認出来なかった。
(宝具の効果範囲も広いなら、尚更優秀なサーヴァントと言える……)
スノーホワイトが『魔法』を発動させるが。
周辺の恐竜に恐怖する人々の声ばかりで、サーヴァントらしきものは無い。
否、異なる問題のせいだろう。
サーヴァントには『対魔力』がある。
一定ランクまでの魔術は無効化してしまうスキル。それを持つ英霊にはスノーホワイトの魔法も効果を発揮できにくい。
実際、
リンクと
ブローディア。二騎の英霊に『魔法』は意味を為さなかった。
マスター二人の意図を読み、彼らを対主催者陣営と判断したのである。
(周囲に居ないのか。私の魔法が無力化されているのか、分からない)
思考が読めない意味で再契約するのに躊躇はあるが………
サーヴァント次第。
魔力の優れたスノーホワイトを優秀な魔力源として認めてくれれば問題ない。
(一つだけ……宝具の性質から考えて、基本的には生物を恐竜にする戦法を取るとした場合。
今のように人や生き物を『確保』する必要があって。これらが『尽きた』瞬間、狙われ易いこと)
それを補える技量や、もう一つの宝具を取得しているなら良いのだが。
現時点の評価はここまでにしておき。
電柱上という高所から恐竜の群れが去るのを確認するスノーホワイト。
彼らを追えば、自然とサーヴァントに合流出来るだろう。
(私に気付かない――)
恐竜達はスノーホワイトを華麗に見逃していた。
所詮、動物だから索敵に優れているとは言い難いのか? と彼女は考察していたが。
実のところ、スノーホワイトは無意識に現状を観察し続けていた為『動かなかった』せいが強い。
『動くもの』には俊敏に反応する。
しかし『動かないもの』は認識できない。
恐竜の弱点を全て見抜けなかったスノーホワイトだが、改めて恐竜の追跡をするべく電柱より降りた。
そして、駆ける。
動作を行った瞬間に、スノーホワイトの世界は盛大に回転したのだ。
『声』どころか『魔力』や『気配』すら感知できない。
彼女には予想外極まりない不意打ちだった。
「……まさか」
スノーホワイトは己が『境界』を通過したのでなく――『踏み込んだ』と分かった。
彼女の記憶が正しければ、道路に点在する『マンホール』に足が接触した瞬間。
ここに転移された。
屁理屈を言えば『マンホール』も立派な境界線になりうる訳だ。
スノーホワイトが突如として虚空から、地面に落下する状況に合いながら。
冷静に着地の体勢を整え、足をついたところで、周囲を見回した。
ゴチャゴチャとした資料に満たされた部屋の中。
不敵な笑みを浮かべた金髪の少年が居た。
★
懐かしさを感じる……焼却炉には、ちょっとした思い出があってね。
昔、そこに犬を放りこんだ。
大した理由でやったんじゃあないが。お陰で私の怒りは収まったのさ。
☆
固有結界に迷い込んだのは、スノーホワイト以外にもいる。
ブローノ・ブチャラティと彼のサーヴァント・セイバー。
彼らは、魔法少女とは異なり明確な攻撃を受けている最中だった。
最低限、道中に現れる奇怪な色彩と形状の『怪物』との戦闘を回避しつつ、ブチャラティは幾つか気付いた点があった。
ブチャラティのスタンド『スティッキィ・フィンガーズ』。
触れた対象にジッパーを取りつける能力。スタンドを切っ掛けに、固有結界に侵入する事が叶った。
空間支配においてサーヴァントが上手である。
侵入時のように、虚空にジッパーを出現させたり、あるいは地面や木、建物もジッパーを上手く取り付けられない。
だが、どういう訳か。
『怪物』にジッパーを取りつけられるのは通常通りに効いた。
ブチャラティも幾つか考察したが……恐らく固有結界・サーヴァントの支配する空間そのものにジッパーはつけにくい。
そして、サーヴァントは『怪物』を産み出せるが、それらは完全に支配下に置かれていない。
以上の通りなら。
紛れも無く、敵サーヴァントは『わざと』ブチャラティを侵入させ。
ここで始末する魂胆だと理解できた。
……一方で。ブチャラティ達に敵意もない、普通に『暮らしている』様々な住人の存在も理解できた。
敵を葬る罠じゃあなければ、奇妙な生活を過ごせるだろうくらいの場所。
『こんなところで』生活する身は想像しにくいが、薄々ブチャラティも意図を読めた。
「やはり敵サーヴァントのマスターが、ここで生活している可能性が高いな。
この空間に幾つかの村があり、敵意ない存在が居る理由がそれだ。
奴にとっての絶対領域……見滝原にマスターを置くよりも安全という訳だ」
……ならばマスターの方は?
敵サーヴァント全貌が把握できない以上に、固有結界での生活を強いられるマスター。
マスターが望んだか。
あるいは、サーヴァントに強制されているか。
刹那。
ブチャラティの傍らで警戒を継続していたセイバーが、反応を見せる。
二人が道なりに移動し、途中に開けた場所に到着したところから続く幾つかの道の一つより。
口論する声が、異様に聞こえる。
恐らく、夜の静けさも相まって遠く離れた場所の音すら、森まで響いていた。
「簡単にマスターやサーヴァントの位置に到着したとは思えないが……」
念の為、ブチャラティは口論の主を確かめた。
彼らが森を抜けて到着したのは、更に開けた場所。坑道らしき出入り口の前で、人じゃあない奇妙な生物達同士で争っている。
固有結界内での同族同士の争いは、少なくともブチャラティは初めて目撃した。
「ど、どうしてソイツを連れて行くニャ!?」
二足歩行の猫っぽい生物が、そう叫んでいた。
坑道へ強制連行されている最中の『猫』は……正常じゃあない。
「ンイギヒィィィ! 『マタタビ』ほじいニャアァ! はやぐ、はやぐぅぅぅぅッ!!」
錯乱状態で暴れ続ける『猫』は、同士たる二足歩行の『猫』たちに抑えつけられている。
――……マタタビ?
ブチャラティも猫が好むマタタビを常識の範囲で知識にある。
あるのだが、どう考えても。
彼自身による直感が、許し難いものを感知した矢先。錯乱状態の『猫』を処理する側が言う。
「こいつの邪魔で、前の『取引』がケーサツにバレちまったニャン!
その落とし前ニャ。即刻『焼却炉』で処分させて貰うニャン!!」
哀れな『マタタビ』中毒猫が、薬の売人だろう『猫』たちに引っ張られていく様を
一匹の『猫』が項垂れて見届けようとしている。
制したものの。中毒者の末路も、売人達の行いにも納得し。
余計な足掻きをせずに、呆然と眺める事しか出来ないのだった。
「『スティッキィ・フィンガーズ』!」
どこかの誰かが夢見るイカれた世界の住人だけの話だが。
第三者は、世界にも有り方にも縛られておらず。彼――ブチャラティ自身『何か』思う部分があったからこそ。
聖杯戦争や、まして敵サーヴァントとも無関係な夢の住人の手助けなど。
遠回りを選択したのだ。
ブチャラティのスタンドでも、『猫』程度であれば造作も無く再起不能にさせられた。
突如介入し、売人達を倒してしまったブチャラティを驚く猫は
言葉を失っており。代わりにブチャラティが告げた。
「ソイツを連れて逃げるんだな……警察に」
ソイツ……即ち、錯乱状態で正気も無く倒れた中毒猫を差している。
猫は漸く口を開いた。
「け、ケーサツ!? アンタは『ケーサツ』ニャのか!!?」
「いいや、俺は違う。ただ……お前達が連中から逃げ切る為の『安全な場所』が警察だ。そうだろう」
「うっ……」
戸惑う猫を傍らで、相変わらず錯乱する中毒猫。
「ぐ、ぐるじいぃぃぃ。息ッ、でぎねぇよおぉぉぉおぉぉ、いぎがうまぐ、アレをぐれえぇえぇぇッ……」
「…………」
すると、売人らが向かおうとした坑道から、セイバーは魔力を感知した。
耳を澄ますと、妙に騒がしい声……二足歩行の猫達らしき叫びが聞こえて来る。
固有結界のサーヴァントもブチャラティらを仕留めるべく、新たな刺客を送り込んだのだ。
先行する事をブチャラティに伝え、セイバーは坑道へ突入する。
ブチャラティは無言の猫に言葉をかけた。
「お前とソイツに何があったか知らないが……少なくとも、お前がソイツを見捨てなかったのは理由があるんじゃあないか」
「………うう」
申し訳なく猫は語る。
「末期に近い症状ニャ……もうじき焼却炉で処分されるのは分かってたニャ。
でも……マタタビで少し落ち着けば、昔と同じ話が出来るんじゃニャいかって」
「………………」
「結局、俺のワガママでコイツが苦しんだだけニャ。早く楽させてやった方が良かったニャ」
「なら最後までワガママを貫き通せ。それがお前の責任だ」
それだけ伝えブチャラティも坑道へ向かう。
彼の正体なんて、どうでもいい。
残された猫には一つの『機転』だと受け入れ、相棒を必死に引っ張り、逃げ去って行った。
どちらも異なる苦難を味わう運命を理解しているからこそ、漸く一歩踏み出せた。
皮肉だが、その一歩はブチャラティが居なければ踏み出す事はなかっただろう……
★
全てを網羅する上位存在。
聖杯戦争の主催者は、見滝原全土を『干渉遮断フィールド』から観測しているのと同じく。
悪魔を『演じている』杳馬は、実際のところ主催者陣営に匹敵する観測機能を所有しており。
杳馬ほどではないが――見滝原の『裏側』を支配するサーヴァントがいた。
壮大たる固有結界を所持する英霊は、
ナーサリー・ライム。
無論。スノーホワイトも、存在を確認していたし。
性質を理解していなかった訳ではない。
しかし、ナーサリー・ライムはキャスターではなく『アサシン』。
気配遮断と結界の『境界』を展開する技量が、スノーホワイトの隙をついたのだ。
『境界』の作成は戦闘行為に分類されず、気配遮断と組み合わせる事で意図も容易くテリトリーに引き込める。
スノーホワイトが導かれた場所は、情報屋の家。
ラッセルの知る『情報屋』を演じるナーサリー・ライムが、警戒する魔法少女を眺め。
それから確信を得た。
「やっぱり。君――サーヴァントを令呪で呼び出せないんだね?」
「………」
「固有結界に巻き込まれたなら、直ぐにサーヴァントをこっち側に移動させるべきなのに。
どういう事情かは知らないけど……仲違いでもしたところかな?」
幾ら魔法少女とはいえ、サーヴァントを実体化させずに一人、夜の見滝原を徘徊している。
ソウルジェムの形式のお陰で、マスターが狙われるのは無きにしろあらず。
スノーホワイトの存在は恰好の的だった。
が。
彼女もただ沈黙しているのではなく、ナーサリー・ライムの思考を読み取っていた。
対魔力のないアサシンなら、彼女の魔法は存分に発揮できる。
――捕まえたはいいけど……魔力源として生かしておこうか。
――人質にして、サーヴァントを脅迫する? 露骨にセイヴァーを倒せって誘導だと怪しいよね。
セイヴァー?
幸か不幸か、どうやらナーサリー・ライムはセイヴァーと接触したか。
あるいは彼を警戒している。否、どうやら天敵らしい。
逆に、ナーサリー・ライムを利用できるのでは? スノーホワイトは話を切りこんだ。
「あの。事情を察してくれたのなら、お願いがあります」
「お願い? 内容によるけど」
「私のサーヴァントが暴走している理由は、討伐令にかけられたセイヴァーにあります。
生前、彼の部下であった私のサーヴァントは、セイヴァーに協力する方針を一歩も譲らず、それで仲違いしてしまいました」
嘘ではない。
ナーサリー・ライム側の能力や宝具が分からない以上、変に冒険する行動は避けるスノーホワイト。
不思議そうに緑色の瞳でスノーホワイトを観察し、間を開けてナーサリー・ライムが言う。
「君はセイヴァーと手を組む事は考えなかったんだ?」
「彼の危険性は、街の噂や私のサーヴァント……バーサーカーの話から十分理解しています。
恐らく、セイヴァーの手中に落ちれば、破滅しかありえません」
まぁ、嘘じゃない。
洗脳状態のスノーホワイトは、プク・プックを崇拝する思考に陥りながらも。
あくまで現実的な意見を述べたのだ。
討伐令にかけられたサーヴァントに味方するなど。
そもそも、討伐令を配布した主催者がどう思うかを想像すれば、避けるべき一手である。
「そして――セイヴァーも相応の強さを保持するサーヴァント。
間違いなく、一筋縄では倒せません。……念の為、令呪は一画も使用していません」
手の甲に刻まれた模様を見せるスノーホワイト。
彼女からして、自身のバーサーカーを処理するのはある意味、決定事項だった。
そして、バーサーカーがセイヴァーと接触し。
自然な流れでスノーホワイト自身が、セイヴァー陣営に巻き込まれるのも御免であり。
セイヴァー陣営が強大化する前に、叩き潰さなければ手に負えなくなるのは、想像出来たのだ。
スノーホワイトは話を続ける。
「セイヴァーと、私のバーサーカー。二騎分の魂を差し上げます。……討伐に協力していただけませんか。アサシン」
「代わりに君を見逃せ、ってこと?」
「正直、私は……セイヴァー討伐の報酬を目的としています。書類に記載されていた『聖杯戦争の離脱』です」
「聖杯よりも帰る方が大事なんて、信じられないなぁ」
「そう思われて仕方ないかもしれません。しかし、私の目的は――帰還です」
プク・プックの元への帰還。
嘘でもないし、案外これも重要な切符の一つとスノーホワイトは思う。
聖杯獲得次第に切符を即座に利用し、離脱する事で彼女の目的は一応成立する。
ここで重要なのは、あくまでスノーホワイトは『自らの立場と事情でセイヴァー討伐令を提案した』こと。
ナーサリー・ライムの事情や思考を組み込んだ上で、提案したのは――誰も知らない。
表面上、違和感無くスノーホワイトはナーサリー・ライムに提案を申し出ている。
故に。
ナーサリー・ライムも魔法少女の要求に、しばし思い詰めようとしたが。
それを制するように『情報屋』の戸を何者かがノックした。
★
……………………………………………………。
さて……気分はどうだ? ラッセル。
心が晴れたとか……肩の荷が下りたような、息苦しさが無くなったという具合に。
ふむ。気分は悪くは無い、良くも無い……つまり『普通』だ。今の君は『正常』なのだよ。
よく分からない?
そうだな。案外、分からないものだろうな。自然体を己が理解するのに時間はかかる。
これから君は『あの村』で『いつも通り』の日常を過ごすのだろう。
毎日繰り返し続けるのは、あまりに退屈じゃあないか。
例えばだが……
★
ラッセルの目覚めは驚くほど落ち着いていた。
漸く気付いたが、似たような覚醒は『夢の更生』の……もっと先、実験が始まる前にあった感覚に酷似している。
自分は『元に戻った』?
彼の部屋は歪でも、血まみれでも、猟奇に犯された風景ではない。
清楚で晴れやかな……普通の部屋だった。
「………」
ただ夢を見ていた、だけだったのか?
セイヴァーが、もしかして夢の世界に現れたのだろうか?
試しにラッセルがベッドから降り、自宅の扉を開けばまだ日が昇らずにいる空と、至って平穏な町の様子が広がった。
忌々しい影も、亡霊も、不気味な生物も居ない。
静かで『普通の』美しい世界だ。
楽しくて幸福を感じる世界………?
ラッセルの中で奇妙な違和感を感じながら、スッカリと冴えた為、何かしようと思ったが。
こんな時間じゃ、誰も眠りついているし。
強いて『ユーミ』は起きてくれるかも。
それにしても静かだ。セイヴァーのみならずサーヴァントが襲撃した様子もない。
朝を迎えれば、タバサが動物に餌をやり、ガーデニアが畑の野菜を収穫し、ユーミは町の巡回を始め……
何故だろう。
ラッセルは少し気が遠くなった。次にふと思いつく。
自分のサーヴァントであり、情報屋と呼称されるラッセルと瓜二つの『役者』のいる建物に向かうラッセル。
扉をノックし、中に入れば。
いつも通りの情報屋と、見知らぬ美少女の姿があった。
「!」
ラッセルの知らない、全く記憶にもない少女を目撃した時。
無性に胸がざわついた。
美しいから、現実味のない魅了があったから、色々理由はあるかもしれないが。
未知への恐怖よりも、興味に方向が切り替わったを実感している。
一方で、情報屋はどこか浮かない様子で尋ねた。
「どうしたの、ラッセル。こんな時間に。……ああ、この子は君と同じ聖杯戦争のマスターだよ」
恐らくラッセルよりも年上だろう美少女のマスターは、表情を崩さずに軽く会釈する。
釣られて、会釈するラッセル。
少女に魅力が無い訳ではないが、それよりも――それ以上に情報屋へ伝えたい事があった。
「……学校に行きたいんだ」
最終更新:2018年10月09日 11:41