フワフワとした夢見心地の中、ユカリスは家の中にいた。
 いや、実際にこれは夢だった。
 曖昧な印象だけでなく、はっきりと色のついた景色を認識できるが、「この世界は夢だ」と、そう確信できる類の夢だった。
 家は、すでに焼け落ちてしまったはずの、自分の家だった。
 けして大きくはないが、大きな丸太で組まれ、手製のイスや机が並べられ、確かに幸せがあった場所。
 まるで家の中に朝もやが立ち込めているように、それらは仄かに明るくユカリスを囲んでいた。

 いや……と、ここでユカリスは思い至る。
 自発的に寝ることのできない自分が夢を見るのはありえないことだ。
 となると夢を見ているのは?

 そこまで考えたユカリスが前を見ると、ユカリスとまったく同じ姿の幼い子どもがいた。その姿に気づいたとき、ユカリスも同じように幼い姿になっていた。
 前後に何のつながりもない。次の瞬間にはさも当たり前のようにことが進んでいくのは夢の常識だ。
「ユカリス、おはよう!」
 何が楽しいのか、無邪気な笑みを浮かべた目の前の自分に飛びつかれたとき、ユカリスはようやくこれがユキだと気づいた。
「……なんのつもり?」
 むしろ何の冗談なのかとユカリスは聞いてみたかった。ユキが見ているはずの夢に、なぜ自分もいるのか。
「なにが?」
 しかしユキはこれが夢である自覚がないのか、首を傾げる。ユカリスにしてみればなんとも奇妙な感覚だった。
 今まで、ユキとはまともに会話をすることができなかったし、ユキもユカリスも互いに会話をしようと思ったこともなかった。
 もちろん、こうして互いが夢に出るなど、まさに夢にも見なかったことだ。
 ならばこそ、と、思いつくままにユカリスは目の前のユキに訴えた。
「だって二人とも起きてるなんておかしいよ。あんたが起きてこられたんだったら、私は消えなきゃ」
 そもそも、ニセユキを倒す時にユカリスはユキの中から消えるつもりでいたのだ。
 そうだ。そのために世界を旅しながら、ユキが起きてくるのを待ちながら、魔法も覚えたし役に立ちそうな知識も本から吸収してきた。
 自分がいなくなったあと、ユキの糧となるように。
 それがどうしてか、すっかりユカリスの計算とは違う方向へ物事は転がっている。
「いやだよ、まだ一緒にいてよ!」
 その元凶たるユキは、首を振って駄々をこねながらユカリスの腕をつかんで放さない。
 強引なユキにイライラして、ユカリスはその手を振り払った。
「私の役目は終わったんだよ。だったら元通り一人に戻るのが普通でしょ?」
 しかしユキはなおも食い下がってユカリスに掴みかかってくる。ガードとして掲げられたユカリスの両腕が強く握り締められる。
「そんなのおかしいよ! 私はユカリスじゃないんだよ?」
 何を言っているんだコイツは。
 取っ組み合いのような体勢になったまま、ユカリスは言葉に詰まった。ユキの言い分が、まるで理解できなかった。
「それにさ、こうやって話したりとかもできるんだからさ、おトクだよ!」
「明らかにお得の使い方を間違ってる」
 しかしユカリスには、この支離滅裂なユキの言い分を論破するしかなさそうだった。
 荒くなりそうなってしまいそうな自分の声を抑えて、一言一言、ゆっくりとユキに言い聞かせていく。
「だから、私はこれ以上、外に出る必要がないの。ディプスも、フォルアも、テトも、ヴィダスタも、ティマフも、プレアデスも、全部あんたのものなんだよ。……全部、あんたの居場所なんだよ」
 ユキが掴んでいた腕を強引に引く。すぐ目の前、互いの息がかかるほどの距離にまで近くなったユキの顔を見て、ユカリスは他人事のように「キスができそう」だなと思った。
「だったら!」
 さらに取り留めのない考えにまで及びそうだったユカリスの思考は、しかしユキの言葉で止まる。
「だったら、私があんたのものになるから!」
「……は?」
 ぽかんと、口を開けたまま、ユカリスはしばらく何を言われたのか理解できなかった。
 今、ユキはなんと言ったか?
「私が、居場所になる……っから……!」
 混乱するユカリスをよそに、ポロポロと涙をこぼしながら、ユキはなおも言葉を続ける。
「っだから、勝手に……いなく、なる……とかっ、言わないで……!」
「なんでそこまで……」
 ユカリスは、ユキの言葉を否定するために首を横に振った。
 今までユカリスは、ユキの精神崩壊を防ぐために自分がいると思ってきた。事実、決してユキには逆らわず、極力表には出ず、いつかユキが自分を受け入れて強くなる日が来るのを待っていた。
 これでは話が違う。
「あんたが大丈夫だって言ったんだよ! だから私も起きようって思えたの!」
 ユカリスはもう一回、強く首を横に振った。
 しかし首を横に振りながら、ユカリスは確信してしまっていた。
 自分は、もうしばらくユキと一緒にいなければいけないらしい。
「あんたが、いてくれたから……っ」
 ユキの言葉が止まり、掴んでいたユカリスの腕を離す。一歩下がったユカリスも、周りの変化に気づいた。
 家の中が、夕焼けのように赤く染まりだしている。
「ユキ」
 ユカリスは、このあと起こることが予想できてしまった。
 けど夢だと分かっているなら、まだ自由に動けるかもしれない。これからこの家で起こることを見なくていいように、ユカリスはユキの手を引いた。
 しかしユキは彼女の手を握ったものの、動こうとはしなかった。
「……大丈夫」
「……悪い夢が来るよ」
 ユキは頷いた。繋がれていないほうの手で、目が真っ赤になるほど涙を拭う。
「……全部、大事なものだって思いたいんだ」
 幼い姿には似合わない、しっかりと射抜くように景色を見据える目を見て、ユカリスはようやくユキが自分を消さずにいる理由が分かった。
「じゃあ、一緒にいるよ」
「うん」

 これは所詮、夢だ。
 ユカリスは自分に言い聞かせる。
 目が覚めたら、ユキはきっとこのやり取りを忘れている。そして、忘れようもない悪夢だけが残るだろう。
 しかしユカリスは、足が地に着いたような、まるで根拠のない自信を振り払うことができなかった。
 すがるように泣いていた、ユキの言葉が離れない。
 鮮やかな赤色に侵されていく家の中を、ユキと一緒に見据えながら、ユカリスは確信していた。

 私の居場所は、ここだ。
最終更新:2012年03月27日 20:10