「The Blue Rose」:前日譚Ⅲ ~ Blind Days ~

※小説とは呼べないなにかの続きの続きの続きです。
すごく欝です。注意。








輝石大陸 ステルディア、レインフォース王国ページュ島 ――――

穏やかな波の音に、輝く水面。

海面には魔道船が浮かび、空には渡り鳥が群れを成す。

この北方のステルディアにもようやく短い夏が訪れようという季節だった。


そんなのどかな島の南部に聳える教会の一室でのことだ。
潮風はこの小さな部屋にまで入り込み、優しくカーテンを撫でる。
昼下がりのひと時、窓の外では修道士たちが畑を耕し汗を拭っている。

「茶が入ったぞ」
「………うん」

まるで女性のようないでだちの青年、鴻江 さきらは地元から仕入れた茶を沸かしつつ目の前の寝台に横たわる青年、ネクターに差し出す。
少し前まで、自身よりも遥か生気に満ちていた青年だったが今はその面影はなく、すっかり塞ぎこんでしまっていた。
外を流れる潮風も、波が奏でる潮騒も、人々の声も彼の眼には見えないし、耳には届かない。

悲劇は突然訪れた。

戦士として生きるのならもう長く生きることは出来ないと宣告された彼は、従事していた騎士業も引退し、今はこうして実家にて療養を送る日々となった。
だが、戦いから退いた日々を送れどその容態はよくなるどころか日ごとに悪くなる一方だった。
もはや、自分の足で歩くことすらままならないほどに。

「一人で平気か」
「平気」

さきらはネクターに問うも、どんよりとした口調でこう返された。
このような不自由な体になっても彼はなおも一人で背負い込もうとしている。
弱弱しく、随分細くなってしまった腕で茶を受け取りふーっと息を吹きかけてから口に運ぶ友を見てさきらの心は痛む。

何故このようなことになるまえにと自身を責めた事もあった。

だが、彼の治癒の力に致命的な欠陥があることなどネクター本人も含め知っている者は居なかったのである。

「ふぅ、おいしいね。ラケルタの?」
「ああ、撫子(ネルケ)のな。行き付けの商店に並んでたものだから、買って来たんだ。茶菓子もあるぞ。お前甘いもの好きだろう?」
「それじゃあ頂こうかな」

ほっこりとした笑みを見せるネクターに安堵を覚えつつ、持ってきた包みを開く。
中には瑞々しい水菓子がいくつか収めてあった。
見る限りそこそこ値打ちのものだろうか。

ネクターは寝台に備えてあった小さなテーブルの上に湯のみをことんと置くと、包みの中の羊羹を口に運びながら既に置かれていた新聞に眼をやる。
新聞の一面に記載されているのは、神の名の下に世界の破滅を望む者達の活動だった。

もしも騎士時代のネクターが見たらなんと言い出すだろうか?
正義感の強い彼は間違いなく、“神の名を騙って悪事を行うなんて許せない”といっただろう。
だが、それを哀れんだ表情で手に取ると、その口は弱弱しく思いがけない言葉を発したのだった。

「ねえ、さきらくん。この世界に、神は居ると思う?」
「……っ貴様、突然何を言い出すんだ?!」

友人の突然の告白にあの鉄の男であるさきらも思わず眼を丸く開いた。
あのなルフト教信者であるはずの、ネクターの口からこのような言葉が出てくるとは流石に想像もつかなかったし、何よりも大きな衝撃となったのだ。
ぼんやりとした藤紫の瞳で諦めたかのようにさきらを見やりながら、ネクターは眼を閉じる。

思えば、いつも神様は自分に味方などしてくれなかったと。

どんなに懺悔しても、罪を償おうと努力しても彼はなんの見返りもくれなかった。
自身の正義は力に否定され、救える者も救うことなんかできなかった。
幼き日に負った心の傷も、癒してくれることなく神が廻す運命の輪は残酷なシナリオを自身に授けた。

療養の日々を送るようになってから、己が自身に問いかけるようになった。
この世界には神や救世主なんかいるのだろうか?と。

「いいや、この世界に神は居ない」
「僕はね、今までルフト様を信じてきた。信じていれば、きっと救われると思ったから。救われないのは、僕のせいだって思ってた」

このネクター=ヴァーミュルスという青年は、幼い頃に遭遇した不幸からそうやって常に自分を責め続けてきた。
神の為にもっともっと信仰を、もっともっと働かなくてはと懸命に努力を重ねる青年だった。
そうすれば、きっと救いは訪れるって信じていたから。

だけど、運命はなんとも残酷なものだ。
天使から授かった光霊の力は、今こうして彼を蝕み、死を待つだけの存在にしてしまったのだ。

「今はさきらくんと同じ気持ち。神様なんて、きっと居なかったんだって思ってる」

まさか、元々無宗派の自分はもとよりあのネクターがこのようなことを言い出すなんて。
予想だにしなかった一言は、あのさきらを黙らせるほどの力を持っていた。

彼の絶望は、信じていた神を捨てるほどまでに膨れ上がってしまっていた。

「明日は医者に行くのだろう?私も同行しようか」

ネクターのペースに飲まれてしまったさきらだったがなんとかして話題を変えなくては、とふいに話題を振る。
ラケルタ地方の言い伝えで、病は気からくるというものがある。
長らく迷信だと思っていたが、今のネクターを見るにあながち間違いではないのかもしれない。

「………うん、それじゃあお願い」
「場所はヴァルヴォートのリヴァーサイドでいいんだよな?」
「そう、そこでいい。メインストリートの3番目の角を曲がった所にある小さな家……お金は掛かるけれどあの祈祷師さん腕はいいから」

話を振られたネクターは深く沈んだ声で笑みもなくこう返すと、手にした新聞を広げ虚ろな眼を向ける。
新聞に綴られるは陰鬱なニュースばかりで、読んでいるだけでも気分が沈んでいくようだ。
それらを眼にしたネクターは再び呟く。

「やっぱり、さ。神なんか居ないんだよ。どこにも」
「………ああ」

全てを諦めきったその言葉に、さきらはこう返すしかなかった。
最終更新:2013年06月29日 23:14