フォレスト・オブ・マッドネス 28KB
「フォレスト・オブ・マッドネス」
「……それで、せっかくアメリカまで研修に行ったのに、皆から頼まれてたお土産を買うのを忘れちゃってて。
挙句、『俺が元気な体で帰ってきたことが何よりのお土産です』なんて言うもんだから、どつかれてたわ」
「あはは、そりゃそうっすよ」
2人の男が談笑している。
「そういうおにいさんも、わりとほんきでなぐってたわ」
いや、訂正しよう。2人と1匹だ。
彼らがいるのは、上空100メートルを飛行するヘリコプターの中。
窓の外では、山の稜線を朝日が照らすところだった。
操縦桿を握る男は森林管理署の署員で、先ほどから聞き役に徹している。
その隣に座り、同僚の笑い話をする男の膝の上にはゆっくりゆうかが抱かれていた。
「あいつはああ見えて頑丈だから、大丈夫なのよ」
そう言ってゆうかに微笑むと、男は眼下に広がる森を見渡した。
この地域一帯は自然遺産に登録されている国立公園だ。
1週間前から降り始めた雪が広大な森林を覆い、緑と白の対比が大地に美しいコントラストを描いていた。
彼の職業は、対ゆっくり専門の「自然保護官」であり、ゆうかは仕事の相棒である。
今日は森林管理署のヘリに同乗させてもらい、定期的に行う監視活動に従事していた。
「今日は付き合わせちゃって、ごめんなさいね」
「いいっすよ、どうせ俺も暇でしたし。
それに保護官の皆さんにはお世話になってますから」
同じ自然保護を仕事とする者同士、それぞれの機関は協力関係にある。
ゆっくりは森林地帯にその多くが生息し、希少な植物を食い荒らすこともあるため、森林管理署にとっても悩みの種であった。
この時期、野生のゆっくりの多くは冬眠、あるいは永眠している。
例外として活発に活動するのは、れてぃやちるのなど一部の希少種だけだ。
ついでに言えば野生動物もその多くが活動休止中。
つまりこの監視は形式だけで、特に神経を尖らせるような仕事でもないのだ。
とはいえ、雑談に興じつつも保護官とゆうかは地上への注意を怠らなかった。
「この地域のゆっくりたちは、まだ生態系を破壊するには至っていないのよね?」
「ええ、大人しいもんっすよ。このまま静かに暮らしてくれれば一番なんすけどね……」
異常はどこにも見当たらない。
まるで遊覧飛行をしているかのような、気楽な時間が続く。
1時間ほどで予定のコースを周り終え、帰還する旨を本部に連絡したとき、「あら?」と保護官が声を上げた。
地上に何か蠢くものが見えたような気がした。
「高度を下げてちょうだい!」
「えっ、はい」
指示されるまま、操縦士はヘリを地上から30メートルのあたりまで降下させる。
しかし、地上には動くものなど何も確認できなかった。
聞こえてくるのはヘリ自身が出す爆音と木々のざわめきだけ。
「何かいたんすか?」
操縦士の問いかけには答えず、保護官はあたりを見回す。
やはり、小動物の1匹さえ見えない。
―普通に考えれば“あれ”が今の時期に現れるはずがないのよね……。
―錯覚? でも……。
「だいじょうぶ? おにいさん」
ゆうかの声で我に返ると、保護官は操縦士に答えて言った。
「……ごめんなさい、見間違いだったみたいだわ……。戻りましょう」
そう言う保護官の顔はどこか晴れない。
心配したゆうかが声をかけようとした瞬間、
「あ、そういえば」
それまで相槌を打つだけだった操縦士が、唐突に喋りだした。
「俺、実は基地に恋人がいるんすよ」
「「……え?」」
突然の話題に驚く保護官とゆうか。
操縦士は彼らの怪訝な表情に気付いているのかいないのか、構わずに続ける。
「戻ったらプロポーズしようと」
「ちょ、ちょっと……」
「花束も買ってあったりして……」
「ちょっと! なんでいきなりそんな話始めるのよ?」
「え、いや、なんとなくしなきゃならない気がして……」
その時だった。
ヘリの後方の木々の間から一条の光線が放たれ、テイルローターを掠めた。
猛烈な火花を噴き上げ、破片を撒き散らしてテイルローターが吹き飛ぶ。
バランスを失ってたちまち制御不能に陥るヘリ。
自らの生み出す抗いがたい力に掴まれ、ゆっくりと旋転しながら降下し始めた。
操縦士がマイクに向かって叫ぶ。
「メイディ、メイディ、メイディ!!
ブラックホークダウン! ブラックホークダウン!」
「これのどこがブラックホークよ?! ベルじゃない!
本部、こちらっ……!」
「アイムイジェクティン!」
「出来るわけないでしょっ!! 黙っててよ!!」
「ふたりともおちついてっ……!」
そんなやり取りの間にも、ヘリはどんどん高度を下げる。
回転翼が空しく大気を切り裂く。
地面はすぐそこまで迫ってきた。
保護官はゆうかを強く抱きしめ、衝撃に備える。
そして、
「きめぇ丸ーっ!!」
「ゆうかっ……!」
「おにいさっ……!」
ズズン……。
三者三様の悲鳴を飲み込む鈍い音と共に、ヘリは墜落した。
◇ ◇ ◇
人間が生み出した鋼鉄の鳥が身を捩るようにして苦しみ、咆哮を上げて落ちていく一部始終を見ていたものがいた。
先ほどヘリのテイルローターを破壊した怪光線、「ドススパーク」を撃ったドスまりさである。
「ゆふ、ゆふ、ゆふふふふ……」
ヘリの撃墜を確認すると、不気味に笑いながらドスまりさは森の中へと消えていった。
◇ ◇ ◇
俺の仕事は自然保護官だ。
今日は同僚と一緒にこの国立公園の監視にやってきたのだが、
ジャンケンに負けた俺はパートナーのゆっくり共々、管理署の施設でデスクワークをするハメになった。
ちなみに俺の横で報告書の資料を仕分けしているのが相棒の「かなこさま」である。
冬眠した「すわこさま」とその世話を頼まれてくれた「さなえさん」は家で留守番している。
「少し休憩するか……」
「そうだね、お兄さん!」
報告書の作成が一段落つき、背伸びする。
せっかく自然遺産にまで来たというのに、朝から活字ばかり見ている。
外の景色でも眺めようかと席を立ったとき、内線の電話が鳴った。
同僚の保護官とゆうか、それに操縦士の乗ったヘリが消息を絶ったとの報せを受け、俺たちは通信室に飛び込んだ。
数人の職員が慌しく動き回り、ヘリとの通信を試みていたが繋がる気配はない。
その内の1人から詳しく事情を訊くと、現在の状況はこんな感じらしい。
―最後の通信内容から、機体に何らかのトラブルが発生したことは間違いなく、恐らくは墜落したものと思われる。
―山向こうの天候が悪化しており、駐屯地から救難隊が到着するには何時間かかるか分からない。
―そして管理署に常駐する職員は少なく、救難隊や自治体との通信の必要もあって捜索に乗り出すことは出来ない。
ならば、俺たちの出番だ。
「そんな、無茶ですよ! 何が起こったのかも分かっていないのに……!」
「だからこそだ。俺たちはこういった時の訓練も受けてるし、経験もある。
今は危険な野生動物はいないし、無茶もしない。頼む、行かせてくれ」
職員を説得し、俺たちは出発の準備を始めた。
俺は素早くライディングスーツに着替え、かなこさまにも耐寒・雪中装備を施す。
装備を整えた俺は、管理署のスノーモービルに跨り、かなこさまを後ろに乗せた。
予測されるヘリの遭難地点は、ここから6キロほど北上した所だった。
直径およそ500メートルの円の中のどこかに、同僚たちがいるはずだ。
「行くぞ!」
「いつでもいいよ、お兄さん!」
天候が変わらないうちに、なんとしても発見しなければならない。
俺たちは鬱蒼とした森の中へと入っていった。
◇ ◇ ◇
墜落したヘリの中で、最初に意識を取り戻したのはゆうかだった。
保護官の屈強な体に包まれ、奇跡的に軽傷で済んだのだ。
自分を守ってくれた保護官に、必死に呼びかける。
「おにいさんっ! しっかりしてっ! おにいさんっ……!」
ややあって、「う……」と目を開ける保護官。
だが次の瞬間、その顔は苦痛に歪む。
「……ッ! 足が折れてるみたいね……。ついてないわ……」
むしろその程度で済むことが凄いのだが。
隣を見ると操縦士が計器に頭を突っ込んで気絶していた。
保護官が体を揺すっても、目覚める気配はない。
もとより、引っこ抜けそうになかった。
異臭がするので、ゆうかが後方をチェックすると燃料が漏れていた。
しかし雪が積もっているので大事には至らないだろう。
実際のところ、墜落時の衝撃を吸収してくれたのも雪だった。
「……でもその雪が、今はネックなのよね……」
通信機器は完全に壊れ、人間2人は移動不可能。
唯一動けるゆうかは、雪の上を長時間跳ねることなど出来ない。
「助けが来るのを待つしかないわね……。でも……」
墜落の直前に見たあの光。あれは恐らくドススパークだ。やはり見間違いではなかったのだ。
どうしてこんな時期にドスまりさが活動しているのか、何故いきなり攻撃してきたのかは、皆目見当もつかない。
本部に報告できなかったことが悔やまれた。
保護官はゆうかを抱き上げる。
ドスまりさがこのヘリを発見しないこと、そして救難者たちがドスまりさに遭遇しないことを祈りつつ、
彼らは静まり返った森の中で、体力の消耗を抑えるしかなかった。
◇ ◇ ◇
スノーモービルで森を突き進む俺とかなこさま。悪路を何とか突っ走る。
木々の間を斜めに差し込んでくる陽の光は、常緑樹の葉に濾過されて眩しさを感じさせない。
その光によって、森の中の空気はどこまでも透き通っているようだ。
出発してから5キロほどの地点だった。
何かしらの手がかりはないかと周囲に気を配っていたら、不意に横合いから白い物体が2個、飛び出してきた。
バレーボールくらいの大きさだ。
「うぉっ!」
轢きそうになったので、慌ててスノーモービルを停止させる。
よくよく目を凝らすと、雪にまみれた黒帽子のゆっくりまりさに猫耳二尾のゆっくりちぇんである。
まりさとちぇんは俺たちの姿を見るや否や、
「……! にんげんさんっ?! たっ……たったったすけてぇぇぇぇぇぇ!」
「わからないよぉぉぉぉぉぉぉ……!」
必死に助けを求めてきた。
俺たちは困惑するが、まりさたちはそれ以上に恐慌をきたしていた。
雪道を跳ね続けたせいで、体もふやけていた。
とりあえず携行していたタオルで包んでやると、何とか話せる状態まで落ち着いた。
俺はまりさに訊ねる。
「一体何があった? 冬篭りはどうしたんだ?」
「……まりさたちは……」
まりさは自分たちの身に起こった出来事を話し始めた。
◇ ◇ ◇
まりさたちの群れはとてもゆっくりした群れだった。
賢く強いドスまりさの庇護の下、秋の早い段階から越冬のための食料も充分に集めることが出来た。
慢心して、新たに子供を作るゆっくりたちもいなかった。そして何よりみんな仲良しだった。
絵に描いたようなゆっくりプレイスで、まりさたちは冬の到来を迎えた。
「みんな、はるになるまでゆっくりしていってね!」
「むきゅ! まりさたちもゆっくりしていってね」
「は……はるになったら、げんきなかおをみせなさいよね!」
群れの全てのゆっくりが春に再会することを信じて疑わなかった。
みんな笑顔でそれぞれの巣穴へと入っていく。
まりさは番のゆっくりれいむと、子まりさと子れいむが1匹ずつの家族と一緒に巣穴に入り、入り口を塞いだ。
中は真っ暗だったが、子供たちの賑やかな笑い声と、れいむの歌声のおかげでとてもゆっくりできた。
「おちょーしゃん。はるしゃんはいちゅきゅりゅにょ?」
「まりしゃ、はやきゅありしゅたちとあしょびちゃいよ!」
「おちびちゃんたちがゆっくりしていたら、すぐにきてくれるからね!」
「そうだよ! それまで、おかあさんといっしょにおうたのれんしゅうをしようね!」
「ゆぅん、ゆっきゅりりきゃいしちゃよ!」
「おうたはゆっきゅりできりゅね!」
暗闇に家族の明るい声が満ちて、楽しい時間が過ぎていった。
それは突然に起こった。
冬篭りを開始してだいぶ経った頃、眠っていた一家は親れいむの呻き声で目を覚ました。
「……? れいむ……? どうしたの……?」
「……ぐぅ……! ぎゅ……ぎょぉ……!」
母親のただならぬ様子を感じ取ったのか、隣で寝ていた子供たちがれいむに擦り寄った。
「おきゃーしゃん? どうしちゃにょ?」
「ぽんぽんいちゃいにょ? ゆっきゅりしちぇにぇ? しゅーりしゅーり」
懸命に呼びかける子供たち。
その優しさを嬉しく思いながらも、れいむを心配したまりさが口を開こうとしたときだった。
「おぐぉ」ミチリ。バリバリッ。「おきゃーしゃ……?」グチャッ。グッチャッグッチャッ。ゴキュ、グキュ。
「ゆう? れいみゅ? れいみゅどうし……?」ズグシュ。ズチュルズチュル。ジャク、ジュプ、ギチャ。
何かとてもゆっくりできない音がした。
「れいむ……? おちびちゃ……?」
言いかけてまりさは口を噤んだ。
凄まじい悪臭が漂ってきたのだ。ゆっくりの忌み嫌う死臭に似ていた。
そして、れいむたちがいたはずの所から、ズル…ズル…と“何か”が近づいてきた。
「なに……? どうしたの……?
れいむ? おちびちゃん? へんじをしてね!」
悪臭を放ちながら近づいてくる“それ”は無言のまま、にじり寄ってくる。
視覚に頼ることが出来ない闇の中で、恐怖だけが膨らんでいく。
大自然に暮らすゆっくりの生存本能が、まりさに告げた。
逃げろ、と。
「う……うわぁあああああああああああああっ!!」
弾かれたように跳び、“それ”の脇を素早くすり抜け、まりさは入り口を塞ぐ「けっかい」をぶち破った。
久しぶりの陽の光に目が眩んだが、必死に巣穴から離れる。
家族を残してきたことに罪悪感がないわけではない。
それを上回る感情がまりさを突き動かしていた。
雪の冷たさなど感じなかった。一刻も早くこの場から逃げなくては。
まりさ以外にも悲鳴を上げるゆっくりがいた。
「わっからないよぉおおおおおおおおおっ!!」
「ちぇ……ちぇえええええん!」
ちぇんも同じく“何か”に襲われそうになり、巣穴から飛び出したところでまりさと合流した。
2匹はひたすらに逃げ続け、今に至る。
「ふむ……」
保護官としては極めて興味深い話だが……今の俺たちは捜索隊だ。優先すべきことがある。
俺はまりさたちに質問する。
「ところでお前たち、大きな音を出して空を飛んでいくものを見なかったか?」
ヘリの行方を掴む手がかりがあるとすれば、森に棲むゆっくりだ。
本当はれてぃなどを探していたのだが、こいつらも何か見ているかもしれない。
「みたんだよー! こっちにとんでいったんだよー!」
ちぇんが示す方向は、奇しくもちぇんたちの群れの巣がある方角と一致した。
結局、行くしかない、か。
俺はまりさとちぇんをそれぞれ腹と背中にくくりつけ、スノーモービルに乗り込んだ。
俺たちは再び森の中を疾走する。
「すごい! はやいよ、にんげんさん!」
「きもちいいよー!」
さっきまでの泣き顔が嘘のようにはしゃぐまりさとちぇん。
ゆっくりらしいといえばゆっくりらしいが、俺はそんな2匹のことをどこか微笑ましく思った。
仕事柄ゆっくりを駆除することが多いとはいえ、俺個人としては善良なゆっくりは嫌いではないのだ。
雪の上に500メートルほど轍をつけたところで、木々に囲まれた広場のような空間に到着した。
自然のカーテンが途切れ、太陽が直接俺たちの顔を照らす。
「「「「え……?」」」」
そこはゆっくりプレイスなどではなかった。
純白の雪は、餡子、カスタード、生クリームその他諸々で染め上げられ、散らばっているのは色とりどりの飾り。
そして、バラバラに引き裂かれ、原形も保っていないゆっくりの死骸がその隙間を埋め尽くす。
ざっと100匹はいたのだろうか。異様な臭気が漂ってくる。
僅かに残った頭髪や、瞳の色からおおよその種類が判別できるが、それに何の意味があるのか。
巣穴の悉くが破壊されており、中にいたゆっくりたちが引き摺り出されたようだった。
「う……うわぁあああああああああああああ!! みんなぁあああああああああああああああ!!」
「わからないよぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
悲痛な叫び声を上げるまりさとちぇん。
その瞳はいっぱいに見開かれ、止め処もなく涙が溢れ続ける。
「これは……」
「……」
俺も凄惨な光景に圧倒され、しばらく動くことが出来なかった。かなこさまも絶句している。
ようやっとスノーモービルのエンジンを切り、かなこさまを降ろした。
かなこさまの底部には、タイヤをキャタピラに換装した特別製のすぃーが装着されている。
かなこさま寒冷地仕様、通称「がんきゃなこ」だ。これなら雪も怖くない。
俺1人で2匹を抱えるのは無理なので、ちぇんをかなこさまに乗せる。
俺たちは広場に足を踏み入れた。
出来る限り死骸を踏まないように歩を進める。
2匹の泣き声が痛々しかった。
周囲を警戒しつつ、俺は考える。
捕食種はもちろん、熊なども今は冬眠中だ。
それ以外でこれだけの数を屠る存在は…。
駄目だ。考えても埒が明かない。
正体不明の“何か”がいるのは間違いない。俺はかなこさまのオンバシラを見る。
俺もライフルを持ってくるべきだったか。
広場の中央付近まで入ったところで、かなこさまが声を上げた。
「お兄さん! あそこで何か動いているよ!」
それはゆっくりぱちゅりーだった。
死骸の山に埋もれて、苦しそうに喘いでいる。
「ぱっ……ぱちゅりぃぃぃぃぃぃぃ!!」
俺の腕の中でまりさがもがき、スポンと抜け出した。
そのままぱちゅりーのもとへと跳ねていく。
「まりさ! 待つんだ!」
慌てて止めようとするも、俺の腕は虚空を切るだけだった。
まりさはぱちゅりーに擦り寄り、必死に呼びかける。
「ぱちゅりー! まりさだよ! ゆっくりしてね!」
「……むきゅ……、まり……さ……? ……にげ……て」
ぱちゅりーが言いかけたときだった。
巣穴の一つから、ゆっくりが這い出してきた。
それを見たまりさが叫ぶ。
「れ……れいむぅううううう!! ぶじだったんだね! よかったよぉお!!」
どうやらまりさの番のれいむらしい。
喜びの涙を流すまりさ。
だが、ちょっと待て。まりさの話が事実なられいむは…。
“れいむ”はまるで感情のない能面のような顔でまりさを見やると、「ゆ」とだけ呟いた。
緩慢な動作でぱちゅりーに向かって言う。
「たべのこしがかえってきたよ。ぱちゅりーにあげる」
ミチリ。バリバリッ。
ぱちゅりーが「むぎゅ」と短い悲鳴を上げると、その顔の中心からアルファベットの「X」を描くように亀裂が走った。
そこから一気にぱっくりと裂ける。まるで蕾の花がパッと咲いたように。
裂けた中からは触手?のようなものが2本伸びていた。
呆然とするまりさと俺たち。
“ぱちゅりー”はブジュル、ブジュルと白い液体を撒き散らしながら、とまりさに近づく。
「……! まりさ逃げ……!」
間に合わなかった。
「ぱ―」
それがまりさの最後の言葉になった。
“ぱちゅりー”はまりさの顔面に飛びつくと、ゴシャグシャ、という咀嚼音を響かせた。
「うわぁああああああああ! まりさぁあああああああああ!!」
「畜生ッ!!」
ちぇんが叫び声を上げると同時に、俺は駆け出していた。
全力で“ぱちゅりー”を蹴る。
予想以上に重い感触が伝わり、“ぱちゅりー”は放物線を描いて宙を飛んだ。
“ぱちゅりー”が離れると、まりさはピクンと痙攣して、仰向けに倒れた。
まりさの顔は跡形もなく消えて、黒い餡子が覗いていた。
「まりさぁああああああ……! どうしてぇえええええええええ?!
わからないよぉおおおおおおおおお!!」
一方“ぱちゅりー”はドチャッ、と音を立ててゆっくりたちの死骸の上に落下する。
生クリームが飛び散った。
だがまだビクン、ビクンと震えている。
そして、“ぱちゅりー”の中から“それ”は現れた。
緑の髪に2本の触覚をもち、底部には簡略化された蜘蛛の足のようなものが生えている。
ゆっくりりぐる。
りぐるは成体でも体長が5センチに満たない極めて小さいゆっくりであり、
通常は他のゆっくりに寄生して、おこぼれに与ることで生きていくことで知られている。
その見返りとして、りぐるはゆっくりにとって害となる毒虫などを排除する。
いうなれば共生生物みたいなものだ。
だが、俺たちの前にいるこいつは何だ? 一体何の冗談だ?
宿主を変形させ、意のままに操り、ゆっくりを捕食する?
おまけに体長は20センチ近くある。
突然変異にしたって変わりすぎだ。
「このぱちゅりーはもうつかいものにならないよ」
そう言いつつ、りぐるはぱちゅりーの皮を脱ぎ捨てた。
雪の上に敷かれた醜悪なモニュメントの仲間となるぱちゅりー。
「ひどいよぉおおおおおお……! わからないよぉおおおおおおおおお……!」
ちぇんが泣き叫ぶ。
そのとき別の巣穴からゆっくりが出てきた。ゆっくりありすだ。
ありすはやつれた顔で、何かを懇願していた。
「おねがい……。もぅ……ころしてぇぇぇぇぇぇ……」
直後、ありすの顔面が真っ二つに裂け、りぐるがズルリと出てきた。
「こわれちゃった」
そう言ってこちらにやって来る。
……寄生され、操られても意識は残るのか。
俺はりぐるに訊いた。
「お前たちは、いつからこの群れに寄生したんだ?」
「りぐるたちはゆっくりしてるよ」
“れいむ”の中にいるりぐるも答える。
「そうだよ。りぐるたちはゆっくりしてるよ。
りぐるたちだけじゃなくて、みんなゆっくりしてるよ」
会話が噛み合わない。りぐるたちの目は焦点が合っていなかった。
俺の後ろにいるかなこさまたちに、その虚ろな視線を移す。
「おいしそうなゆっくりがいるね、ぱちゅりーだったりぐる」
「おいしそうだね、ありすだったりぐる」
「ゆっくりしようね、れいむのりぐる」
「「「みんなでいっしょにゆっくりしようね」」」
カサ……カサカサ……カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ……。
3匹の声に呼応して、巣穴から一斉にゆっくりが出てきた。
れいむ、まりさ、ありす、ぱちゅりー、みょん、ちぇん……。
皆一様に生気のない顔をして、足を生やしていた。
その数は10匹。
初めからいた奴を合わせて、全部で13匹のゆっくりが俺たちを取り囲んだ。
りぐるたち―その殆どはりぐるが寄生したゆっくりたち―の目はみな、かなこさまとちぇんに注がれている。
俺はかなこさまに目で合図する。頷くかなこさま。
ガタガタと震えるちぇんに向かって叫んだ。
「ちぇん! かなこさまから離れるな!!」
叱咤すると、一番近くにいたれいむを蹴り飛ばす。
衝撃に耐え切れず飛び出すりぐる。
そこにかなこさまがオンバシラを撃ち込んだ。
パン、という発砲音と共に赤い火線がほとばしり、硬い飴玉がりぐるを砕く。
黄土色のゲルのようなものをぶち撒けてりぐるは絶命した。
仲間の死にも動揺した様子はなく、りぐるたちは無表情のまま群がってくる。
ゆっくりらしからぬ俊敏な動きで。
「ゆっくりしようよ」カサカサ「たすけて……」
「ゆっくりしてよ」カサカサ「やめてぇ……」
「ゆっくりぐる」カサカサ「いやぁぁ……」
微かに残ったゆっくりたちの意識が助けを求める。だがどうしようもない。
「クソッ!」
完全に狂っていた。
俺とかなこさまはりぐるたちを宿主ごとひたすらに蹴り、踏み潰し、撃つ。
グチャッ。カササ。パパパン。ブチュ。
広場に、湿った打撃音と乾いた発砲音が木霊した。
最後の1匹を仕留め、俺たちは周囲を見渡した。
どうやらもう残ってはいないようだ。
緊張を解いたとき、背後の茂みから何かが飛び出した。
「!! まだいたか!」
反射的に回し蹴りの体勢をとる。が、次の瞬間、
「おにいさん……! かなこ……! たすけにきてくれたのね!!」
それは俺たちを見て嬉しそうに言った。
同僚の相棒のゆうかだ。
片足を上げた微妙な姿勢で固まる俺。アホなことをやっている場合ではない。
俺はゆうかを抱き上げた。懸命に跳ねてきたのだろう、全身傷だらけだ。
再会を喜ぶのもそこそこに、応急処置をしつつ、ゆうかに何があったのかを詳しく訊ねた。
ゆうかは、ドススパークによってヘリが撃墜されたこと、同僚たちも負傷はしているが無事であること、
そしてオンバシラの発砲音を聞いてここまでやって来たことを話してくれた。
ヘリはここからそう遠くないところに落ちたらしい。
全員の生存が分かり、ひとまず安心するものの、悪い報せもあった。……ドスまりさ、か。
俺はちぇんに訊く。
「ちぇん、お前たちの群れのドスはどこで冬篭りしているんだ?」
「もりのなかの、どうくつだよー……」
泣き腫らした瞳は真っ赤だったが、ちぇんは気丈に答えてくれた。
「りぐるたちとはいつから一緒に暮らしていたんだ?」
「ちぇんたちのむれにりぐるなんていなかったよー。ちぇんははじめてみたんだよー……」
ちぇんは力無く体を横に振った。
最悪の可能性も考えていた方が良さそうだ。
俺はゆうかを抱え、ちぇんを乗せたかなこさまを連れて、同僚たちのもとへ向かった。
◇ ◇ ◇
ヘリは数本の木を薙ぎ倒し、ローターを大地に突き立てる格好で墜落していた。
急いで駆け寄り、同僚たちの無事を確認する。
ゆうかとちぇんを機内に乗せて、かなこさまには見張りを頼んだ。
同僚は足を骨折していたが、命に別状はない。
俺たちの姿を見て、驚きと安堵のため息をついた。
「まさかとは思ったけど、やっぱりあなただったのね。…恩に着るわ。
かなこちゃんも、ゆうかも、本当にありがとう……」
「安心するのはまだ早いぞ。動けそうか?」
「そうしたいのは山々なんだけど、彼を動かせないのよ……」
そう言って同僚が指し示す操縦士は、計器類のパネルに頭をめり込ませいた。
「……本当に生きてるのか?」
「ええ、脈があるもの」
同僚が操縦士の腕を取り、俺も確かめた。なるほど、生きてる。
引っこ抜こうとするもビクともしない。……工具がないと駄目だな、これは。
とりあえず管理署を通じて救難隊に俺たちの現在位置と状況を伝える。
ドスまりさという単語を聞いて驚いていたが、あと1時間ほどで到着するとのことだった。
通信を終え、俺は同僚にりぐるたちのことを話した。
「……そうなると、あたしたちを攻撃してきたドスまりさも、
りぐるに寄生されている可能性が高いのね」
「恐らくな。今の俺たちじゃ対処できんから、救難隊が」
「お兄さんっ!」
かなこさまが叫んだ。
ヘリから飛び降り急いで駆けつける。
ヘリから10メートルほど離れた木立の中に、“それ”がいた。
粘液に濡れ、ヌラヌラと照り輝くドスまりさが俺たちを見つめていた。
ヘリの中の同僚も息を呑む。
「ゆうかたちを連れて逃げて……!」
「出来るかっ!」
そんなつもりなど毛頭ないし、第一この距離では逃げ切ることなど不可能だ。
俺はヘリを背にしてドスまりさと向き合った。
「ドスまりさ……いや、りぐるか? 立派な鎧を手に入れたな」
「なにをいってるの? どすはどすだよ。あんなむしけらといっしょにしないでね」
その声は怒気を含んでいたが、ドスまりさの目には確かに知性が感じられた。
ひょっとすると、りぐるに寄生されていないのだろうか?
僅かな希望を見出し、言葉を発しようとしたとき、ヘリからちぇんが飛び出した。
「どすぅううううううう!! あいたかったよぉおおおおおおおおお!! むれのみんながぁあああ……!」
歓声を上げながらドスまりさに跳ねていくちぇん。その顔は喜びでいっぱいだった。
ちぇんの姿を見た瞬間、ドスまりさは豹変した。
「ゆっがぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
もういやだぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
半狂乱になりながら、ドスまりさはちぇんを跳ね飛ばした。
「にゃあぁっ?!」
大木に叩きつけられゴプッと餡子を吐き出し、そのまま動かなくなるちぇん。
一体何が起こっているのか分からないという表情だった。
巨体をくねらせ、ドスまりさは奇声を上げる。
「ゆひぇひぇひぇひぇひぇひぇひぇひぇひぇ! どすはじゆうだよ!
むれのみんなのことなんかしらないよ! しるもんか! ゆひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
だからもうどすはつらくないよ! かなしくないよ! ゆっくりできるよ!
あああ! でもいるんだよ! たくさんたくさんいるんだよ! まだまだまだまだ、あっちにもこっちにも!
たくさんたくさんたくさんたくさん、いるんだよ! みんながどすをよんでるんだよぉおおおおお!
まっててねみんな! どすがたすけてあげるからね! まもってあげるからね!
だれにもてだしなんかさせないよ! このもりにはいってくるやつはみんなどすがころしてあげるからね!
だからみんなもさっさとしんでね! ゆぎょひょひょひょひょひょひょひょひょ!
ゆ~♪ ゆっくり~♪ しんでいってね~♪
ゆぎゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
その言葉、その表情が、このドスまりさが正気ではないことを物語っていた。
ヘリを撃ち落したのも、ただ単に森に近づいたというのが理由だろう。
あの群れの惨状を見て発狂したのだろうか?
どうして洞窟から出てきたのか、などと考えている余裕は無さそうだ。
ひとしきり叫んだあと、ドスまりさはゆっくりとこちらを向いた。
憤怒に満ちた目で俺たちを睨みつける。
その凄まじい形相に気圧されて、俺とかなこさまはジリジリと後退った。
背中がヘリにくっつく。
ドスまりさはその場から動かない。
そのとき俺はある臭いに気がついた。この臭いは……。
ドスまりさはゆっくりと口を開け、ドススパークを撃つ体勢に入った。
万事休す。
最早これまでかと覚悟したときだった。
ドスまりさは突如「ゆぐぇえええっ……!」と大量の餡子を吐き出した。
餡子にまみれて出てきたのは、りぐるの死骸だ。
体を支配するには至らなかったものの、体内を食い荒らしていたらしい。
冬篭りをしていたドスまりさが目覚め、狂うわけだ。
俺たちがこんな目に遭う原因となったりぐるに、最後の最後で助けられるとはな。
一瞬の隙に俺はしゃがんで、起死回生の一撃を握り締めた。
姿勢を立て直し、再度ドススパークの発射を試みるドスまりさ。
その口めがけて、俺は足下の雪を固めて作った雪玉を投げ入れた。
俺の意図を測りかね、ドスまりさは構わずドススパークを撃とうとした。
その刹那、ドスまりさの口から炎が噴出した。
ヘリの航空燃料がたっぷりと染み込んだ雪が、ドススパークによって引火したのだ。
「ひゅごぉおおおおおおっ……?!」
口内から溢れ出た炎はドスまりさの顔面をなめ、豊かな金髪と黒帽子に燃え移った。
俺はさらに雪玉を投げつける。あっという間に火達磨となるドスまりさ。
「今だ! かなこさま!」
「わかったよ!!」
焼け焦げて脆くなった表皮に、かなこさまのオンバシラが命中する。
ボロボロと分厚い皮が剥がれ落ち、膨張した目玉がバチュンと破裂する。体中から餡子が流れ出てきた。
オンバシラの連射により下半分の支えを失い、遂にドスまりさは倒れた。
「いひゃひゃひゃひゃ! ゆっくりぃいいいいいいいいいいいいい……!」
哄笑しながら崩壊していくドスまりさ。
その狂った笑い声は、ドスまりさが完全に燃え尽きるまで森の中に響き渡った。
◇ ◇ ◇
俺たちの頭上に、1機のヘリがホバリングしている。
UH-60J―ブラックホークを改修した救難ヘリコプターだ。
降下してくるヘリを見上げながら、俺は同僚に訊ねた。
「……どうしてりぐるたちはあんな変異を起こしたんだろうな」
「さあね、放射線でも浴びたんじゃない? ゴジラみたいに。
あるいは宇宙からやって来た生命体と融合したのかもね」
「……まあ、考えるのは学者の仕事か」
交換研修とやらで日本にやって来た各国のゆっくり研究者・専門家たちは仕事熱心だ。
彼らの嬉々とした顔を思い浮かべる。
救難ヘリからロープが降りてきた。
俺は腕の中で眠るちぇんを見る。
ドスまりさに吹っ飛ばされたちぇんは、俺が持ってきていたオレンジジュースで一命を取り留めた。
独りぼっちになってしまったちぇんをどうしたものか。
ゆっくりらんを飼っている知り合いに打診してみようか。
まあ、俺自身も家族が増えるのは問題ないか。
地上に降り立った救難隊が、同僚と操縦士を搬送するのを見ながら、俺はそんなことを考えた。
再び空を見上げると、いつの間にか雪が降り始めていた。
* * * * * * * * *
森の奥深く、未だ人が訪れたことのない場所に、ドスまりさが棲みかにしていた洞窟があった。
内部には、数万年の時をかけて成長した鍾乳石や石柱が連なっている。
その洞窟の奥でりぐるたちは生まれ、ドスまりさとその群れを襲った。
そしてそこからさらに奥深く、光すら届かない場所に“それ”はいた。
「うにゅん…」
青白く発光する“それ”は、楽しい夢でも見ているかのような笑顔で、静かに眠り続けていた。
(了)
あとがき
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
作者はジョン・カーペンターが大好きです。
やりたい放題やってしまいましたので、次があればまた違った話に挑戦したいと思います。
書いたもの
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このSSへの感想
※他人が不快になる発言はゆっくりできないよ!よく考えて投稿してね!
- エイリアンかと思ったらりぐるでしたか(‐_‐)
-- 2013-07-18 08:10:52
- つまり同僚の言ってた通り、りぐるはうにゅーの放射能を浴びておかしくなったのか(´Д`)
-- 2011-08-02 20:33:22
- エイリアンかと思った!こえぇ…ゆっくりでホラー作品を読めるとは…
面白かったです -- 2010-10-11 17:31:05
- 面白ぇ。ゆっくりたちの特性を生かした良作に仕上がってる。 -- 2010-07-18 04:42:24
最終更新:2009年11月03日 17:02