飯野賢治

いいの けんじ

日本で活動していたゲームクリエイター。作曲家。故人。
株式会社インターリンクでのゲーム製作を経て、1989年にゲームの下請け会社EIM(Entertainment Imagination and Magnificence)を設立。
『わんぱくコックンのグルメワールド』などを製作するが、EIMはゴーストデベロッパー的な会社のため当時はほどんど無名だった。
1994年に株式会社ワープ*1を設立。『Dの食卓』・『エネミー・ゼロ』といった斬新なゲーム性による作品を次々に製作。
『エネミー・ゼロ』以降セガと関係を持つようになり、セガのハードであるドリームキャストの名付け親になる。
メディアにも積極的に出演するなど、次世代を代表するゲームクリエイターとして時代の寵児となった。
1997年に文化学会大賞を受賞、1998年には『ビジネス・ウィーク』誌が選ぶアジアの50人「THE STARS OF ASIA」に選ばれた。
2000年代に入ると一時ゲーム製作から離れるが、2008年頃からゲーム製作を再開し『newtonica』や『きみとぼくと立体。』などをリリース。
2013年に心不全のため42歳の若さで亡くなった。

飯野氏は作曲家としての面もあり、自らゲーム音楽を制作することもあった。
インターリンク時代に『SDヒーロー総決戦 倒せ!悪の軍団』のサウンドを担当したほか、『Dの食卓2』の音楽を自ら作曲した。
また『鉄拳2』のサントラアレンジに参加したり、『セガラリー2』に楽曲を提供したりもした。
飯野氏は「ビジュアルよりも『音』に力を入れたゲームを作りたかった」と語っており、飯野氏の作品にはサウンドに力を入れたものが多い。
音が重要な『エネミー・ゼロ』や、映像が無く音だけでゲームが進む『リアルサウンド 風のリグレット』などで飯野氏のこだわりが見て取れる。

担当作品の一例



外部リンク

INTERVIEW : 音のある世界で
※飯野氏のインタビュー。ゲームでの「音」に対するこだわりについて語っている。
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最終更新:2024年11月02日 23:11

*1 後にスーパーワープ→フロムイエロートゥオレンジと社名を変更