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空憂 愛のキャラクター説明

泡-BUBBLE-


 両親は、金に狂っていた。
 愛は貧しい家庭に生まれる。

   ◇


「将来、俺がせってぇ幸せにしてやる!」

 男は女にそんな約束をした。
 男は女の兄であり、女は男の妹であったが、二人は互いに互いを愛し合っていた。
 周囲の視線を撥ね付けるように、男は懸命に努力する。
 勤勉。その言葉がよく似合う人であり、女も、そんな男を甲斐甲斐しく支えていた。
 しかし、生活は一向に豊かにならず、それもあってか、二人はまるで、互いに互いを慰めあうかのように愛を紡ぎ合っていった。

「すまん」
 男が女に謝る。男の名は、亜貴、女の名は有為という。 
 有為は赤ん坊を抱いていた。赤ん坊の名は愛。二人は愛の両親だった。
 有為は微笑む。
「まだ、お祖父ちゃんから借りたお金があるから」
 しかし、亜貴の顔は深刻だ。彼には仕事がない。
 以前まで働いていた町工場は、有為とのことが噂になり、退職を勧告された。
 亜貴は必死に工場に残れるよう掛け合ったが、周囲の視線は冷たかった。
 噂は尾ひれをつけて、瞬く間に広がる。もはや、この町に亜貴と有為の居場所は無かった。
「本当に、すまん」
 亜貴は有為に頭を下げる。いや、下げることしかできなかった。


「……クソッ」
 亜貴は独り公園で呟いた。
 空には満月が輝いている。夜風が冷たく彼の頬を撫でた。
 日中、面接を受けにあちこちをまわったが、どこの会社もその反応は芳しくない。
 小さな町だ。どこに行っても、亜貴は有為との関係について尋ねられた。亜貴はなんとかそれを濁そうとしたが、かえって不信感を抱かれ、さらに言及された。
 言及されれば、正直に話すしかない。なぜなら、亜貴は、有為との関係を否定したくなかった。
 自分たちは間違ったことはしていない。
 亜貴はそう固く信じることで、妹との関係を正当化し、この貧しく辛い生活の中で自分を保つことができていた。
(どうして……! どうしてなんだよ……! 俺たちが何したって言うんだ……!)
 だが、亜貴も気づいてはいた。自分たちはまだ若く、現実は甘くはない。だが、それを認めた瞬間、有為との関係は終わりを告げる。
 彼らの両親は、車の事故で亡くなっていた。彼らは祖父の元に身を寄せることになったが、祖父と両親は互いに絶縁状態であった。祖父は両親に対してと同様、亜貴と有為に対しても冷たく当たった。一緒に暮らすことさえ拒んだ。そして、祖父は二人を屋敷から追い出し、二人に学校の側にあった古い空き家を買い与える。
 二人はまだ学生であり、二人っきりではさすがに生きてはいけない。そのため、祖父は最低限の学費と生活費は毎月、使いのものに渡すよう申し付けていた。
 だが、その額は文字通り最低限であり、二人が目いっぱい節約してようやく食べていけるかいけないかという額だった。
 二人は祖父に、頭を必死に下げ、共に暮らせるよう頼んだ。そんな二人を、祖父は嘲り、容赦なくあしらった。そして、自分の住む屋敷には、二度と顔を出すことが無いよう命じた。

 亜貴と有為は、一つ屋根の下で二人きりになった。
 二人の関係は、このときから狂い始める。ただの仲の良い兄妹でしかなかった二人が、これをきっかけに互いを異性として意識し始め、男と女になった。

 有為が亜貴の子を妊娠していると知って、祖父は待っていたと言わんばかりに二人を勘当した。
 そして、二人に無断で二人に与えた家を引き払い、彼らの居場所を奪う。
 絶望する二人に、祖父は金を貸した。返す必要はない、という言葉を添えて。
 それは、二人を思いやっての餞別などでは決してなく、単なる手切れ金としての意味合いしかなかった。そのときの、祖父の自分たちを蔑むような眼差しを見て、亜貴と有為は、祖父と決して分かり合うことなど出来ないと悟る。
 亜貴と有為の関係は、祖父の手によって、学校にも広まっていた。学校は有為に、亜貴の子を堕ろすよう告げる。
 しかし、学費も払えず、これから先の見通しもない彼らにとって、我が子は希望だった。
 亜貴と有為は高校を退学し、祖父の手から逃れるようにして、遠くの町で暮らし始めた。
 亜貴は大学への推薦が決まっていたが、それを蹴って有為と暮らす道を選んだ。
 二人の幼馴染であり親友であった男は、亜貴の代わりに有為の面倒を見てもいいと言ってくれた。その男は信用のできる友であったが、亜貴は一点においてその友を信じることができなかった。
 親友は、有為のことを愛していた。また、有為も自分と関係を持つ前は、親友に対して恋心を抱いていた。
 亜貴は不安だった。
 有為が自分から離れて、親友の元に行ってしまうことが。
 その不安は無意識なものであり、亜貴はその不安に気づけなかった。そのため、責任と強情を混同し、親友の提案を蹴った。


(お金がいるんだ……! 俺は父親なんだ……!)
 愛の将来のためにも、貯蓄をしておきたい。しかし、今の亜貴の収入では、どれだけ切り詰めても貯蓄などする余裕はない。
 アルバイトでも何でもすれば、収入の面では何とかなるかもしれないが……。それでも将来の不安は残る。まだ幼い愛を残して、一人出稼ぎに行くわけにもいかない。
 それに有為は、母親だが、まだ自分からすれば子どもだ。できるだけ自分が側にいて、有為の心の支えになりたい、と亜貴は考えていた。 
 しかし、この現実を前に、あれもこれもとなすには、亜貴もあまりにもまだ子どもだ。
 亜貴は今になって、有為を受け入れてしまったことを後悔しそうになる。
 本気で頑張ればなんとかなる……そう考えていた。祖父の言葉が蘇る。

『お前みたいな若造に何ができる?』

 祖父が正しかったのかもしれない。
 だが、その祖父の言葉を受け入れていれば、今頃、有為を、そして愛を抱きしめることはできなかった。
 そう考えると、やはり祖父の言葉は受け入れられないのだ。
(何、考えてんだよ)
 亜貴は自分の中の弱い心を打ち消すように、大きく声を張り上げた。
 こんなことじゃダメだ。
 頭ではそう分かっている。しかしこの先いったいどうしたら……。
 亜貴は頭を抱える。そのとき、視線の先に、何か紙切れのようなものが落ちているのに気づく。
 亜貴はそれを拾い上げた。
(何だこれ?)
 よく見ると、それは宝くじだった。日付を確認すると、恐らくまだ期限は切れていない。
(……これも運試しか)
 亜貴はそう思い、それをポケットに入れる。
 一万でも当たっていれば、そんな些細なことを祈りながら。

 ・
 ・
 ・


(夢じゃないッ! 夢じゃないんだッ! 俺たちは見放されてなんかいないッ……!)
 亜貴は全力で家へと走っていた。
 その手には、あのとき拾った宝くじの券が、固く握られている。
 亜貴は思った。これで、有為と愛を幸せにしてやれる。
 早く、有為にこのことを伝えたい!
 興奮のあまり、亜貴は早まる気持ちを抑えられなかった。

 そこには一千万があった。
 有為も亜貴も、その大金を前にしたとき、この先、自分たちの将来に疑いを抱かなかった。きっと、このお金さえあれば、自分たちは幸せになれる。
 だが、彼らの信じた幸せなときは、わずか二年のうちに泡のように消えた。



 何が悪かったのかを数え上げればきりがない。、
 彼らはその大金で、夢のような贅沢を堪能した。
 もちろん、初めのうちはその使い方も可愛らしいものであったが、日が経つにつれてしだいにエスカレートして行く。有為と亜貴は、まるで湯水のようにその大金を使い始めるようになった。

 泡銭の一千万など、ちっぽけな額であった。
 彼らは豪遊の果てに、その一千万を、わずか二年のうちに使い切る。
 有為と亜貴の勤勉さは、所詮、極貧の環境の中でそうせざるを得なかったというだけに過ぎなかった。
「今日は、何しようか」
 二人は、もう元の勤勉な生活に戻ることができなかった。
 二人は愛の親であると同時に、まだ遊びたい盛りの子どもでもある。今まで我慢していた分、遊ぶ楽しさをようやく知った二人が、以前のような生活に戻るのは容易ではなかった。
「私、お腹空いちゃった」
「なら、いつもの店でご飯にしよっか」
 亜貴はサイフの中身を見た。
「あ、またお金借りなきゃ……」


 喫茶店に亜貴と有為は来ていた。
 テーブルを挟んで二人の正面には、男が座っていた。
「もう、いい加減にしろよ」
 その男は、二人に冷たくそう言い放つ。その男は有為と亜貴の、古くからの親友だった。そんな彼がこんな風に、自分たちを突き放すなんて。彼の言葉を聞いた二人は、信じられないとでも言いたげに顔を見合わせる。
「おいおい。困ったことがあったら、頼ってくれってお前が言ったんじゃないか」
 亜貴は男にそう言う。男は有為の頬をちらりと視線を送る。
 男は有為のことが好きだった。
 男は、亜貴の「有為を必ず幸せにする」という言葉を信じて、有為を亜貴にまかせた。
「僕は、お前を信じてたんだぞ……」
 男は悲しそうな目を亜貴に向ける。
 これで、四度目だった。
 初めて、亜貴に頼まれた額は三万だった。それから二週間もしないうちに五万。そして、その三日後に十万。今回は……。彼は、二人を信じて金を貸した。だが、どんどん堕ちていく二人を前にして、男はもう二人を信じられなくなっていた。
 聞いた話によると、自分以外の同郷の友にも、金を借りようとしたらしい。
「俺も、お前を信じてるさ。それに、十万や二十万、お前なら安いモンじゃないか」
 しかし、男の悲痛な気持ちも一切考えず、亜貴はしれっとそんなことをのたまう。あげく有為を抱き寄せ、
「二人目を作るんだ……。金がいるんだよ」
 と笑った。
 男は有為の方を見た。有為はぽけーっと、亜貴に身を委ねている。
 そこに、かつて男が愛した有為の姿はなかった。
「僕の愛した有為も、亜貴も、もうッどこにも、いないんだなッ……!」
 男はそう呟き、すっと立ち上る。亜貴は慌てて、男の袖を掴んだ。
「金は?」
 男はその言葉に、深いため息をついた。
「本当に、いい加減にしてくれ……」
「親友だろう? なんとかしてくれよ。お前、金持ちじゃないか」
「……」
 男は掴まれた袖を無言で払った。
 そして、そのまま会計を済ませて喫茶店を出て行く。
「お腹、空いた」
 有為が亜貴に縋る。
「……クソッ」
 亜貴は窓ガラスの方に目をやる。その向こうに見えた、男の背に彼は舌打ちした。

「有為はここで待ってろ」
 暗闇の中、亜貴は有為にそう告げた。
 有為は頷く。
 亜貴は、ナイフを握り締めている。
 亜貴と有為は、男の住むアパートの一室の前に来ていた。男は浪人生であり、現在は独り暮らしをしていると、亜貴は以前本人から聞いていた。
 インターホンを鳴らす。亜貴はドアの向こうに耳を傾ける。
 どたばたと、ドアの向こうで物音がした。そして、男は何も知らずに玄関のドアを開ける。
「――――!?」
 かつての友を前にして、亜貴は何の躊躇いも見せなかった。
 亜貴は男の喉元にナイフを突き刺し、その喉を縦に引き裂く。それは一瞬の出来事だった。亜貴はまるで男を押し倒すがごとく、そのまま男の部屋へと押し入る。
 男が信じられないという表情で亜貴を見つめているにもかかわらず、亜貴は口元を笑みで歪ませていた。
「ざまぁ、ないな」
 と男を吐き捨て、男を置いて亜貴は部屋の奥へと向かう。鮮血が男の喉元から、噴水のごとくあふれ出す。
 男は何事かを精一杯叫ぼうとしたが、その喉からゴボゴボと空しい音だけがするだけであった。

 亜貴は男の部屋の中を見渡す。
 質素な部屋だった。最低限、生活に必要なものしか見受けられない。
 机の上には、ノートや教科書らしきものが広げられている。
 やけに物が少ないため、目的のものを探すのにも、そこまで苦労はしなかった。
「……あった」
 亜貴は男の鞄の中から、分厚い茶封筒をいくつも見つける。その中には五〇万を超えるだろう額の大金がいくつも入っていた。
「やっぱ、お前ん家、金持ちじゃん」
 亜貴はそれを手にして、男の元へと引き返す。男は何かを懸命に伝えようともがいていた。
 だが、亜貴は男に対して。止めと言わんばかりにナイフを突き落とす。
 男はかつての親友にいったい何が起こったのか、それすら理解する間もないまま絶命した。
 亜貴は、血溜まりに沈んでいる男のその肩を叩き、一言だけ、
「ありがと」 
 と呟いた。

「おかえり」
 男の部屋から出た亜貴を有為が出迎えた。
 亜貴は有為の手を握る。
「邪魔が入るまえに逃げちゃおう」
 亜貴がそう言うと、有為はちらっと男の部屋のドアを見た。
 そして、
「うん」
 とだけ頷く。

 二人は手を繋いで走っていた。 
「なんだか、楽しい」
 有為が笑う。
「俺もだ。なんかドラマみたいだな」
 亜貴も笑った。
「どこまでも行けそうだね」
「どこまでも行こう、二人で」
 二人は、互いに固く手を握り合い、立ち止まって唇を重ねた。


 ・
 ・
 ・

「きっと来るから大丈夫だよ」
 保育士のお姉さんは、そう微笑んでいた。
 窓ガラスの向こうには暗闇が広がっている。
 周りには、愛とその保育士のお姉さんしかいない。
「まま、ぱぱ……」
 愛は心細げにそう呟いた。お姉さんは愛の手をそっと握る。
 だが有為と亜貴の二人が、その晩、愛を迎えに来ることはなかった。
 翌日も、その翌日も、愛は待ったが、二人揃って再び愛の前に姿を現すことは決してなく――。

 亜貴だけがその後、無残な惨殺死体となって、愛によって発見される。

犠牲 -SACRIFICE-


 今日は快晴。気持ちのいい空だ。
 いつもの日常、何の変化もない単調な日々。目の前には、仲良しの友達がいる。
「まったく」
 無警戒としか言い様がない。その後姿に私は憤りを覚えた。
 そっと忍び寄り、私は彼女との距離を縮めていく。そして、にゅっと両手を彼女に伸ばした。
「おはよッ」
「ひゃぁぁあああああっ!」
 彼女は声を上げ、びくんッと全身を震わせた。
「な、ななななななななn、何すんのぉッ!?」
 彼女はそう声を発すると、私の手を胸から引き剥がしてしまう。無理矢理。

 あーあ。

 私は思わずそう呟く。
 その言葉を聞いて、彼女はかんかんだ。
 私は単に、おはようの挨拶をしただけだよ……?(笑)
 あ、ちなみに私が胸を鷲掴みにした彼女の名は、水橋 瑞穂。私はみずっちと呼んでいる。

「むむむ、この手にすっぽり収まる感じがいいのにぃ!」
「ふ、ふざけんなァ!」
「そんなこと言って、嬉しいくせに……」
「う、嬉しくなんかないッ!」
 みずっちはそうは言うものの、顔が真っ赤だ。私はにやにやと笑みを浮かべて見せる。
 そんな私を見て、みずっちは、わなわなと震えた。
「ねえ、愛ちゃん」
「なぁに、みずっちぃー?」
 みずっちは、ゆっくりと私に詰め寄ってくる。ほんと可愛いやつだぜ。
「知ってる? それされるのってねぇ、すっっっごい恥ずかしいんだよッ!!」
 そう叫ぶや否や、みずっちは私に飛び掛った。
 それを予想していた私は、華麗にそれをかわして見せる。
「へへーん! 悔しかったらやり返してごらんなさい~。できたらだけどねぇ~」
 私はみずっちに背を向けて駆け出した。みずっちは慌てて私の方に手を伸ばすが、空しく空を切った。
「ま、待てェ!」
 背後を振り返り、私はみずっちが追いかけてくるのを確認する。彼女の速さに合わせつつも、追いつかれないように走る。
 みずっちとの差は大分ある。
「ふふん。この私に追いつこうなんて、百年――……」
 ふと道の先に視線を戻す。黒塗りの高級車が目に入った。
 私は思わず立ち止まる。
「――つ、つかまえたぞッ! って、どうしたの?」
 みずっちは私の肩ごしに道の先を見た。黒塗りの高級車が、道の真ん中に駐車している。
 じっとその場で様子を伺っていると、車のドアが開いた。体格のいい男二人が、中から出てくる。黒のサングラスに黒いスーツと見るからに怪しい。
 私はみずっちの方を見た。
「みずっちは先、学校に行っててよ」
 その言葉に、みずっちは心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫なの?」
 そう言うので、私はへらへらと笑って見せた。
「えー、心配しすぎだよ?」
 しかし、みずっちは、なおも暗い表情を見せている。すでに黒服の男らは、私たちのすぐ側まで来ていた、だが、彼らは話しかけてくるでもなく、ただじっとこちらを見つめている。それが一層、薄気味悪い。
「私の、せいだよね」
「みずっち……」
 みずっちが俯く。私は居た堪れなくて、みずっちをぎゅっと私は抱き寄せた。
「なに言ってんの? みずっちは私の大切な親友だもん。そんなこと気にしないでよ」
「……」
「それに、あいつらはみずっちのことが無くても、最期の最期まで、私の能力について知ろうとしたよ」
「愛ちゃん、でも……」
「もうッ、そんな暗い顔ばっかしてると、さっきみたいに襲っちゃうからね!」
 みずっちは顔を上げる。みずっちの瞳は揺れていた。
 私なんかのために、そんな表情をしてくれる。私はそんなみずっちが大好きだった。
 みずっちは、ふるふると顔を左右に振り、袖で自分の顔をこする。
「わかったょ……。私先行く、学校でね!」
「うん」
 みずっちは、チラッと黒服を睨み、そして、一気にその横を駆け抜けて行った。
 みずっちの姿が見えなくなったのを確認して、私は黒服に向き直る。
「おまたせー」
 そう言うと同時に、額に銃口が向けられた。
「ついて来てもらおう」
 私は思わずため息を吐く。
「レディーに対して、そんなエスコートの仕方って無いんじゃない?」
「抵抗すれば撃つ。ただの脅しではない」
 黒服はそう言いながら、引き金に指をかけた。
「のりわりぃー」
 先程のより、いっそう深くため息を吐いた。
 改めて、私は黒服に向き直る。
「例の件に関しては、会長さんとこの前、直接会った際、これっきりにして欲しいと丁重にお断りを入れたと思いますが」
「会長は、お前の能力を必要としている。これは会長の命令だ」
「私の意志は尊重されないんですか?」
「これは会長の命令だ」
「あなたたちの意志も……?」
 黒服は私の肩を無言で押す。私はつんのめり、黒服の方を見上げた。
「立て」
 手を差し伸べるでもなく、そう告げる。
「もっとさぁ、やり方ってもんがあるんじゃないの?」
 そう言うが、黒服の返事は無かった。
 全く、死の迫った老人というのは、かくも扱い辛いものなのかね。

「よく来たね」
 目の前の老人は、好々爺のような笑みを浮かべている。
「何の御用でしょうか?」
 私は改まって尋ねる。
「何、君にとっては簡単なことさ。わしの病を治して欲しいんだ」
「……これが、人に物を頼む態度でしょうか?」
 私の後頭部には、未だに銃口が向けられていた。
「ふふ、君はこうでもしないと、わしの頼みを聞いてはくれんだろう?」
「こういうのを脅しって言うんですよ」
 全く、恐ろしい人だ。この好々爺とした笑みの裏に、この人はどれだけの血を浴び、それを隠しているのだろうか。想像したくもない。
「わしにはまだ、この日本のためにも、やらなくてはならない仕事があるのでな。報酬はいつもの倍だ。文句はあるまいな?」
 恩着せがましい。こういう物言いをする人間は嫌いだった。
 日本のためと言いながら、結局は自分の今の地位を維持することしか考えていない。
「そこにトランクがあるから持っていくがいい」
 老人が部屋の隅を指差す。黒いトランクが一つ転がっていた。
 イラッと来た。

 私の能力『d-drager』は、病を引き起こしている病魔を顕現させて引きずり出し、実体化させるだけの能力だ。
 人や獣を治したりできるのは、彼らを物理的に対処、もしくは対話によって納得させることができればの話。能力の本質そのものではない。

 病魔は人を内側から食い殺す化け物。
 その力に強弱はもちろんあるが、病院で治療できる程度のものなら、わざわざ私のところになどやっては来ない。
 こいつらが、私に治せと命じる病は、老人がかなりの高齢であるという点もあり、私一人で処理できるキャパシティをはるかに超えた化け物ばかりなのだ。

 彼らは、本来、生き物の内に引きこもり、外界に出ることを好まない。
 そのような化け物を、無理矢理引きずり出して、事情を言って聞かせたところで、素直に私の言うことなど聞きはしない。
 それどころか、彼らはきっとその矛先は、私に向けるかもしれない。
 私は黙って化け物に喰い殺されるか、彼らに私という新しい寝床を与えてやるしかない。
 そうじゃないにしても、別の誰かが犠牲になる。
 どれにしても、割に合わない。
 この老人にも、このことは以前に説明した。それに、治した結果どれだけの犠牲が出るかについては、この老人だって今までのことから把握しているはずだが。


 黒服の男が、トランクを拾いあげ、その中身を私に見せた。
 札束がぎっしりと詰まっている。
 ちらっと老人の方を見ると、老人はどうだという顔つきで私を見ていた。
 私はつかつかと、黒服に歩み寄り、黒服が手にしたトランクを床に叩き落とした。札が宙を舞い踊る。
 私は、キッと老人を睨んだ。
「報酬なんかいりませんので、あなたの今の地位を捨ててください」
「バカを言うな」
 老人が鋭い目で私を見る。それでも口元に作られた笑みは崩れていない辺りが、この老人の厚顔さを物語っている。
 黒服が私の頭に銃口を強く押し付けた。
 老人は言う。
「出来損ないから生まれたような小娘が、調子に乗りよって」
 撃鉄の鳴る音が頭の中に響く。
「お前は、黙ってわしを治しさえすればいいんだ」
 むかつく。
 こいつむかつく。
「なんで私があんたのために命をかけなきゃなんないの? 調子に乗ってんのはあんたでしょ。ふざけんなッ。あんたなんか死んじまえよ!」
 私はただひたすら言葉を続けた。
「今、ここで生き延びても、あんたはもう長くないよ。死を怖れて先延ばしにしたところで、死神はあんたの喉元に刃をすでに突き立ててる。あんたは結局、死ぬしかないんだよッ!!」
 私の言葉を聞き終え、老人はにっこりと私を見た。
「もう満足か? で、治すのか、治さんのか? お前の選択はどっちだ?」
 老人はじっと私を見つめる。
「……」
「さあ、決めろ」
 老人が迫った。
 こんなところで、こんなやつに殺されたくはない……。
 私に選択肢は無い。


 その建物の地下には、だだっ広い空間が広がっていた。黒服の男が何十人とそこにはいた。
「普段はここで野球でもしてんの?」
 冗談でそう尋ねるが、黒服の男たちの返事はなかった。
「小娘は死なせるな。これからも役立ってもらわなくてはならん」
 老人がそんなことを言う。
 銃口は未だに私に押し付けられている。これについては、脅しではない、と。
 老人が目の前に座っている。その頭を小突きたくなる衝動を堪えて、老人の左胸に掌を当てる。ずぶッと私の手が老人の身体の中に埋まっていく。
(……あ、いた)
 容易にそれは発見できた。発見するのは楽だ。発見が楽ということは、それだけでデカいということ。つまりヤバいやつだ。
「いいの? これ、引っ張り出しちゃって?」
 私に銃口を向けている黒服に尋ねるが、彼は無言だった。
「これ、前のよりずっとヤバいから。止めるなら今のうちだよ……?」
 背後に控えている黒服たちにもそう投げかける。しかし、彼らの返事はない。
 老人が私の手首を掴む。
「いいからやれ」
「なッ……! ダメだって――!!」
 止める間もなかった。老人は私の手を自分の胸から引き抜く。


 病魔は……決して宿主を襲わない。
 病魔たちは話していた。

 ――我らにとって宿主は世界だ。

 その言葉が意味するもの。それは、病魔たちは宿主たちを殺すべく、存在している訳ではないということ。
 だが、病魔たちは強大であればあるほど、その性質はエゴイスティックとなっていく。
 顕現した病魔は、宿主を積極的に殺すことは無いが、宿主を生かすために自己を犠牲にすることもない。
 ただし、転移によって、顕現した病魔が宿主を替えれば、元の宿主がその病魔によってそれ以降蝕まれることはなく、その病自体がまるで元から無かったかのように全快する。転移先の宿主に、その状態が引き継がれることになるが。
 一番、安全なやり方は、要するに立ち退きだ。しかし、強大な病魔は、エゴイスティック。こちらの話すら聞こうとせず、顕現した瞬間、暴れまわる。

 手が引き抜かれた刹那――。巨大な質量をもった何かが、私の全身を激しく打ちつけた。あまりの衝撃に、私は宙を舞う。
 眼下には、巨大な黒い影が広がっていた。牛のような二本の角を持つ巨体の病魔。
 黒服たちの悲鳴と爆音とが反響する。

 だから言ったんだ。

 そんなことを思うと同時に、宙を舞っていた身体は地面に叩きつけられた。
「……ッ痛ゥ……」
 体中が痛い。
 眼前では、黒服たちが懸命に戦っている。
 やつらは死ぬ気だ。何せあいつらは……。
 私は立ち上がり、彼らに背を向けた。
「私は、付き合ってられない」
 独り言のようにそう言い残し、私は出口へ向かって走り出した。


 ――私が命を懸ける理由なんて無いから――


「大丈夫?」
 その言葉に目を開ける。
 みずっちが私の髪を撫でていた。
 上体を起こそうとして、全身に痛みが走る。
「あ、じっとしてていいよ」
 みずっちが慌ててそう促す。周りを見渡すと、可愛らしいぬいぐるみがたくさん飾ってある。
 ここは――みずっちの部屋だ。
「午後の授業が始まっても来ないから、心配になって戻ったんだよ」
 私はあの後、なんとかあの屋敷から抜け出ることが出来た。そして、痛みを抱えながらも、なんとか元いた場所までは戻ってこれた。
 しかし、戻ってこれたのはいいが、そこで気を失ってしまったらしい。
 頭がくらくらする。
 私はかけ布団で顔を半分隠した。
「……みずっちの匂いがする」
 みずっちは恥ずかしそうに微笑んだ。
「もう、何言ってんのー?」
「……みずっち、愛してるぜ」
 ちょっとキザっぽい感じでそう言って見る。
「もう、そんな状態で言ったって、全然カッコよくなんかないよー?」
 みずっちは顔を真っ赤にして俯いた。
 そうは言っておきながら照れてるみずっちが可愛くて、私はみずっちをだた黙って見ていた。
 そうして生まれた長い沈黙の後、お互いに顔を見合わせ、プッと噴出しあう。
「私たち、バッカみたい!」
 みずっちがお腹を抱えてゲラゲラ笑うので、
「違うよ、本当にバカだよ!」
 私はそう言ってやる。
 ここが、好き。この空気が大好き。
「みずっち、だいすきだぁーッ!」
 私は起き上がり、ぎゅっと彼女を強く抱きしめる。
 たった、それだけのことで、身体中の痛みがまるではじめから無かったかのように、すぅーっと引いていくように感じられた。
「よしよし、いい子いい子」
 そんな私をみずっちは優しく迎え入れてくれるから。
 だから、ここが私の居場所。