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地中海、血に染めて その1

オデッサの戦いに敗北した欧州方面の公国軍は、戦力をすり減らしながらさらに後退し、残存部隊はクリミア半島へと追い詰められていた。
半島すべてが要塞化されたこの地で連邦軍の攻勢は一時的に頓挫し、公国軍は与えられたわずかな時間のうちに脱出作戦の準備をしなければならなかった。
作戦はクリミア半島の西南端にあるセバストポリから始まり、ボスポラス、ダーダネルスの二海峡を突破したのち、スエズを守る友軍に合流することを目的としていた。
だが連邦軍はこの二海峡打通作戦を察知し、オデッサの戦いを終えたばかりの部隊を急遽アフリカ北岸へと送り込んだ。その傷だらけの部隊の中に、ブラックハウスの姿があった。

オデッサ作戦中に重大な損傷を負ったブラックハウスは応急修理を済ませ、本格的な修理の為にジャブローへと向かうはずだった。しかしあずにゃんはムスカ大佐から予定の変更を告げられた。
彼女が受けた命令はアフリカ北岸に回航し、現地の公国軍の後方を撹乱することであった。第4軍団の他の部隊はクリミア半島から脱出してくる敵を迎えうつため、アフリカに着いたら北に向かって展開することになる。
これは元々アフリカにいる公国軍に背中を見せる格好になるため、ブラックハウスが敵を撹乱することで後ろから撃たれる可能性を減らそうという戦略であった。あずにゃんは愕然とした。ブラックハウス単独で出来る任務ではない。
彼女の手元にあるMSのうち、WhiteCatは大破しパイロットの乃人も負傷したためシロネコの出撃も不可能、そしてBlackCatは両腕と頭部と最大の武器たるアームストロング砲を失っている。ブラックハウスにしたって穴だらけのボロボロだ。
マスパ、ブラックサンヤラナイカの三機で、強大な敵をどう撹乱しろと言うのだ。

「とても不可能ですムスカ大佐。ブラックハウスの窮状は大佐もご存知のはずです。」
「もちろん知っているナカノ小佐。だがジャブローは君たちをニュータイプ部隊と認めたのだ。過度な期待がかかるのもいたしかたない。だいいち君たちが撹乱に失敗すれば我々だって背中から狙われる羽目になる。状況はみんな変わらんよ。」
「しかし…」
「これは命令だ。わかったな?」

ムスカはそれ以上話さなかった。あずにゃんは失意のままブラックハウスに戻った。

「なんて説明すればいいんだろう…」

思わず泣きそうになる。いけないとわかっていても涙が止められない。すでにたくさんの部下を死なせてしまったのに…。

† † † † †

わたしはブラックハウスの居住区画にある病室に向かっていた。決死の特攻でブラックハウスを救った乃人がいる部屋だ。本来なら後方の病院に送られるような怪我なのに、ブラックハウスはそんな暇もなく移動を始めたのだ。
部屋に入ると、乃人はベッドに身を起こして本を読んでいた。本を持つ手に巻かれた包帯が痛々しい。彼女はいつもポニーテールにしている髪を、今日はほどいて下ろしていた。これはこれで乙なものだ。

「おはよう。傷の具合はどう?」
「猫さん、わざわざ来てくれたんですか。傷ならたいしたことないです。と言っても、肋骨にヒビが入ってるとか…痛みはないんですけど。」
「そんな重症なのにブラックハウスから降ろしてもらえないなんて…ひどい話だよね。」
「でもブラックハウスにいられて嬉しいですよ。猫さんとも会えるし。」

乃人はそう言うと朝日を受けて笑った。凛々しい笑顔がとても素敵だ。思わず飛びつきたくなる。と言うより、飛びついてみる。

「乃人かわいい!!」
「ちょ!猫さん!!」

ベッドに横になって乃人の首筋に顔を埋めると、これまたいい匂いがするんだな。ずっとこうしていたい。

† † † † †

その頃、シン・アスカもまた、乃人の病室に向かっていたのだった。彼が部屋に入ろうとすると、中から突然声が聞こえてきた。

「ひゃんッ!そこ、だめぇ!!」
「あ~乃人はここが弱いんだ。どれもう一度…」
「ら、らめえぇぇぇぇぇぇぇ!!」

シンの心臓がひときわ大きく鳴った。なんだこれは。こんな朝から、この病室の中では一体なにが起こっているんだ。シンは廊下の壁に張り付き、そっと病室を覗き込んだ。
ベッドの上に何者かがうごめいているが、布団をかぶっていて何をしているかわからない。声からして乃人と黒猫がいるらしいが、二人でなにをしているんだ!?

「猫さん、ダメだって…んッ!」

シンの呼吸が荒くなってきた。そういえば軍医のアベは治療と称してあらぬ行為に及んでいると聞く。これもその一種だろうか。シンが意を決して部屋に突入しようとしたその時、背後からナガモンの声がした。

「何してるんだそんな所で?」
「な、ナガモンさん!?いや、あの、部屋の中から変な声が…」
「声?どれどれ?こいつか?」

ナガモンは部屋に入ると、躊躇せずベッドの布団をはがしにかかった。シンは仰天した。そんなことをすれば、めくるめく官能が露になってしまう!
ナガモンが一気に布団をはがすと、乃人に巻き付くようにしながら包帯を持っている黒猫がこっちを向いた。

「何してるんだ?」
「乃人の包帯巻きなおしてたんだよ?」
「くすぐったいのに猫さんが無理矢理やったんですよ?ついつい笑っちゃって。」
「乃人って手のひらくすぐるのに弱いんだよ。」

黒猫はそう言うと実際に乃人の手のひらをくすぐった。

「あんっ!だめッ…!」

乃人は悶えるようにして笑いをこらえる。シンはがっかりしたようなほっとしたような、複雑な心境だった。ようやく黒猫が包帯を巻き終えたところへ、魔理沙がやってきた。

「あずにゃんが皆を呼んでるぜ?あ、乃人はそのままでいいって。」

身を起こそうとした乃人を両手で制し、魔理沙が言った。パイロット達は乃人に別れを告げ、あずにゃんの待つ艦橋へと向かった。

艦橋にはあずにゃん、京の他のMKⅡとLv.57の姿もあった。

「それで、BlackCatの修理の進行具合は?」

京がMKⅡにきいた。

「とりあえず両腕はつけたけどトンガリコーンとアームストロング砲はパーツがないから直せないね。それと頭部はWhiteCatから移植しようと思ってる。乃人はまだ出れないんでしょ?」

今度はMKⅡがナガモンにきいた。

まだ操縦は無理だな。アベ軍医の話では全治2週間で済んだらしいが…本人は元気そうだけどな。それで艦長、新しい任務は?」

そしてナガモンはあずにゃんに質問した。

ブラックハウス戦闘団は解消し、ブラックハウスと搭載MSはまたブラックハウス隊として単独行動をとることに決まりました…。敵の後方の撹乱が任務です。」

あずにゃんはこの中で階級が一番上なのに、一番か弱い声でそう答えた。思わず漏れた皆のため息があずにゃんをますます苦しめた。

「どうにかならないんですか?ブラックハウスの戦闘能力は限界まで来てます。船もMSも修理すべき箇所は山ほどあります。この任務はとても無理です。」

京大尉があずにゃんに言った。

「それはわかっています。ムスカ大佐にもそう言ったんですけど、取り合ってくれませんでした…本当にごめんなさい。」

あずにゃんは部下達に頭まで下げた。しかし、京大尉の言葉は続く。

「艦長、船がここまで傷ついたのは艦長がオデッサで下した判断に原因があります。私もこんなことは言いたく有りませんが、はっきり言ってあの坑道を調査したとき、早急に後退していればこんなことにはならなかった。クルーに多数の死傷者を出し、MSにも重大な損傷を負ったのは艦長の責任です。」
「あの時ブラックハウスが後退していたら、ナガモンさんは坑道で孤立してた!副長はナガモンさんを見殺しにするべきだったって言うのかよ!!」

シンが京に食ってかかった。京はシンを真っ直ぐ見据えて答える。

「そうは言わない。私だったナガモン中尉が生きて帰ってきてくれて嬉しい。だが実際問題としてあの時退いていれば今の窮状はなかった。」
「やっぱり見殺しにするんじゃないか!」
「やめろシン!!」

ナガモンが一喝し、シンも京も黙った。二人は黙って睨みあっていたが、あずにゃんがおずおずと喋り始めるとそちらを向いた。

「…もう一度、ムスカ大佐に意見具申をしてみます。このままジャブローへ直行できるとは思いませんが、せめて単独行動ではなくなるようにしてみせます。本当にごめんなさい。でも、喧嘩はしないで下さい…」

あずにゃんは今にも泣き出しそうだった。

「…失礼しました、艦長…」
「…すいません…」

京とシンが順番に謝罪し、黒猫がその仲を取り持つように言った。

「それじゃあ二人とも、仲直りの握手ってことでどう?」

京とシンがぎこちなく手を差し出し、互いに握りあった。シンは細身の京の手を握ったとき、不思議なふくよかさを感じていた。この感触、どこかで…。

「…それでは私は艦内を見回って来ます。」

京はそう言うと手を引っ込め、足早に艦橋から出ていった。

「私もムスカ大佐の所へ行く準備をしますね…。ジョーンズ少尉、行程の通りに操艦してください。」

パイロット一同はその時初めて舵を握る男に気がついた。視界には入っていたはずなのに、それまで全く気づかなかった。一同がジョーンズに驚いている間に、あずにゃんも艦橋を出ていった。

「それで、これからどうする?」

魔理沙が一同を見回しながら言った。

「とりあえず整備班を手伝おうか。整備班にも死者が出たんだな?」

ナガモンがMKⅡに尋ねた。

「四人かな…みんな右舷の修理中にミサイルの直撃を受けて…」
「いや、五人です。さっきタニグチ二等が死にました。」

MKⅡの言葉をLv.57が訂正した。艦橋の空気はとてつもなく重かった。

ムスカ大佐が指揮権を掌握したままの連邦軍第4軍団主力は、オデッサから急いでバルカン半島を南下し、地中海を渡ってリビアの沿岸部に展開していた。
クリミア半島の公国軍はここより東のスエズ運河を目的地としていたが、運河の河口はすでに連邦軍の艦隊が海上封鎖を行い、制空権も連邦空軍が確保していた。
このため、クリミアを発った公国軍は二海峡を突破したのちそのまま南へは向かわず、一度スエズより西のここ、リビアを目指すと思われていた。海岸線から 10kmも内陸に入ればその先には広大な砂漠地帯が広がっている。
その砂漠地帯にはジオンのロンメル中佐の部隊がいたのだった。
「砂漠のロンメル」の異名をとる彼の部隊は砂漠仕様のザクを装備し、第4軍団は背後から重大な脅威に晒されていた。それでもムスカ大佐はアフリカにまで持ち込んだ旗艦マルケッティアを地中海に向けて鎮座させていた。
あずにゃんがマルケッティア艦橋に到着した時、ムスカは誰かと電話で話していた。あずにゃんが敬礼すると、喋りながらも答礼した。

「焦ると元も子もなくなりますよ、閣下。第3軍団が無理してダーダネルス海峡で敵を全滅させる必要はないのです。我々第4軍団がここで敵を引き受けようと言うのです。」

電話の相手はレビル将軍らしかった。ムスカは自分と第4軍団で敵を討つことを望んでいるらしかった。彼は会話を続ける。

「増援部隊ですか?それはありがたい。とにかくおまかせ下さい。第4軍団が必ずや敵を殲滅してみせましょう。では。」

ムスカは受話器を奥とあずにゃんの方に向き直った。

「ナカノ小佐、私は君にブラックハウスで待機するよう命令したんだがね。」
「大佐、第4軍団の背後をブラックハウス隊だけで支えるのは無理です。どうか他の部隊も同じ任務につけて下さい。お願いします。」

あずにゃんは一気にまくしたて、頭を下げた。この要求が認められない限り、ブラックハウスには戻れない。しかしムスカは意外な返答をしたのだった。

「増援部隊ならすでに手は打ってある。君たちの支援に回るようにな。その部隊の指揮権を君に渡すわけにはいかないが、まぁ安心したまえ。部隊の指揮官と参謀は君の知り合いだよ。」
「誰ですか?」
「リツ・タイナカ中佐とミオ・アキヤマ中佐だ。」

同じ頃、ブラックハウスのクルー達は、海上から接近してくる巨大な艦影に目を奪われていた。船体からそそり立つ高い艦橋からその大きさをうかがい知ることができた。明らかに巡洋艦かそれ以上のサイズだ。
あずにゃんの留守を預かっていた京は艦橋からその艦影に双眼鏡を向けていた。

「ホバー式の水陸両用巡洋艦って奴だな。こちらに向かって来るが、増援のことなんて聞いていたか?」

京は通信担当のはちゅねみくに尋ねたが、はちゅねは黙って首を振った。その間にも艦影はどんどん迫ってきて、ついに海上から浜辺に上陸してきた。その巡洋艦はブラックハウスの近くまでやってくると減速し、そのまま真横に停泊した。
その途端、短波の無線が飛び込んで来た。

「やっほ~あずさ~!!元気でやってるか~?」
「不用意に無線を使うな!」

元気な声とクールな声が聞こえてきた。二つの声はそのまま口論を始める。

「だって、あずさと会うのなんて久しぶりなんだよー?早く離したいじゃん!」
「だからって敵が傍受してかも知れない地域で無線を使うな!」
「傍受されて困るようなこと話さないもん。」
「だったらなおさら使うな!」

京はあっけにとられてしまった。軍隊の無線とはとても思えないやりとりだ。漫才と言っても良いくらいだ。あずにゃん艦長の知り合いらしいが、一体誰なのだ?

「あー、こちらはブラックハウス副長、京大尉であります。現在艦長は不在の為、自分が船を預かっております。そちらの所属をお聞きしたい。」

無線の相手はもまたあっけにとられているらしかった。あずにゃんが不在とは思わなかったらしい。

「し、失礼した。私はこの船の副長をまかされている、ミオ・アキヤマ中佐だ。それでこっちが…」

クールな方の声が答えた。元気な方の声がそれに続く。

「艦長のリツ・タイナカ中佐!よろしく大尉。それで、あずにゃんは今どこに?」
「ムスカ大佐のマルケッティアへ意見を直接具申しに行っておられます。まもなく戻られるはずですが。」
「んじゃあ、二人でそっちに行って待ってるよ。構わないよね?」
「こちらは構いませんが…、あの、そちらの指揮は誰が?艦長と副長が同時に船を離れても大丈夫なのですか?」
「ああ、いーのいーの。ちょうどみんなお茶の時間だし、まだ戦闘にはならないよ。」
「はあ…。」

京はますます困惑してきていた。ブラックハウスのクルーもかなり個性が強いが、この二人も軍人としては異色の存在だ。今からこの二人がこちらに乗ってくるのか…。

あずにゃんがブラックハウスに戻った時、彼女の先輩である二人の中佐はすでに艦橋で京と歓談していた。あずにゃんが艦橋に入ると、まずミオが彼女に気づいた。

「久しぶり。士官学校以来だな。」

続いてリツもあずにゃんの方を向き、言った。

「相変わらずかわいいなぁ、あずさは。」

あずにゃんは二人の姿を見て心から嬉しくなった。自分の顔がほころんでいくのがはっきりとわかった。

「お久しぶりです。まさかこんなところで会えるとは思いませんでした。本当によく来てくれました。」

孤立無援の状態だったブラックハウス隊にとって、リツの巡洋艦はさしのべられた救いの手、あるいはようやく差し込んだ希望の光に等しかったのだ。

「あずさも貧乏くじひいたね。あのムスカの部隊なんて。」

リツが同情するように言った。ミオもそれに同意する。

「同感だな。自分の目的のためなら手段を選ばない男だからな。」
「でも、こうしてお二人の増援部隊を送ってくれましたよ?」
「これはレビル将軍の命令なんだ。私達はムスカの要請でここに来たわけじゃないんだ。」

あずにゃんの疑問にミオが答える。上官に対する不満を漏らすつもりのない京は、話を別の方向へ持っていった。

「ところで、クリミア半島の敵はどうなんです。いつ頃動くと思いますか?」
「早ければ明後日、遅くとも一週間以内だとレビル将軍の参謀本部は考えてる。遅くなればなるほど、包囲が厳しくなるだけだからな。」

ミオはかなり高度な情報まで知っているようだった。軍の組織はあってなきに等しい。優秀な人材があらゆる仕事を任されている。ミオはそれ故にこういった事情にも詳しいのだろう。

「敵の規模は?」
「一個師団にも満たないと思われる。だけど油断はできないな。脱出部隊を指揮しているのはあのアンドレアス・ダールトンらしい。」
「知らない名前です。有名なのですか?」
「キシリア親衛隊の将軍だよ。まさか地上に残っているとは思わなかったけど…」

ミオはそう言って肩をすくめた。よっぽどの強敵らしい。すると、あずにゃんが口を開いた。

「とはいえ、わたし達の任務は砂漠にいる敵の撹乱です。どこまでやれるかまだわかりませんが、先輩が来てくれたからやっていけそうな気がします。」
「うれしいこと言ってくれちゃって、おだてても何も出ないよ?」

リツがあずにゃんをちゃかすように言った。あずにゃんは怒ったように「本気です!」と答えた。

その日の午後、あずにゃんの元にムスカから命令が届いた。曰く、

「ブラックハウス、ヒップギグの両艦は明日午前0時をもって南に向かって進撃を開始。敵を発見し、可能な限りの損害を与えること。ブラックハウスはクリミア半島から脱出してくる公国軍が殲滅された時点で転進し、ジャブローへ向かうこと。ヒップギグは地中海艦隊に復帰せよ」

ヒップギグというのがリツとミオの巡洋艦の名前だ。新しいブラックハウス隊はブラックハウスとその搭載MS、そしてヒップギグで構成される。
クリミアの公国軍が二海峡打通作戦を開始する前に、ブラックハウス隊がロンメルの部隊を引き付ける作戦らしい。困難な任務だが、ヒップギグという仲間を得たブラックハウスクルーは、その士気を取り戻していた。

その頃、クリミア半島のジオン残党は二海峡打通作戦の最終準備に入っていた。どうにか生き残った数少ないガウ、鹵獲したミデアに、虎の子のMSが積み込まれる。一部のザクはドダイYSの上に載せられ、敵の襲来に備えることになった。
ホバー走行のドムは水上を走り抜くことになっていた。作戦開始を2日後に控えて、死地から脱出できるジオン兵達は浮き足だっていた。だが、彼らの脱出行は容易なものではないだろう。
作戦開始と同時にスエズの友軍が二海峡目指して突進することになっていたが、それに割ける戦力はスエズ守備隊にもあまり残されていなかった。結局は自力で二海峡を突破するしかない。連邦軍は二海峡の海上封鎖を完璧に終えていた。
かつてビザンツ帝国が難攻不落を誇った首都の跡地には、無数の対空砲が黒海の方角に向けて配置されていた。今や二海峡一帯は、ジャブローと並んで世界でもっとも多くの火砲が配置された場所となっていたのである。
だが、クリミアの公国軍には他に残されたルートは東しかなかった。輸送機に乗りきれない戦力は東方へと全力で突破する予定だった。この別動隊はやはりキシリア親衛隊のギルフォードという男が率いることになった。

ギルフォードはセバストポリの要塞の一室でダールトンと向き合って座っていた。彼は間もなく自分の率いる別動隊の元へ行かなければならなかった。生きてダールトンと会うのは、これが最後かもしれない。
だが、ダールトンは至って冷静に作戦内容を確認していた。彼は忠誠を誓うキシリアのために、できることをすべてやろうとしていた。そしてそのために彼はあくまで冷静な態度を崩さなかったのである。前途にある希望は儚い。
部隊すべてが連邦の餌食になり、誰も祖国の土を踏むことができないかもしれない。それでも不安を感じさせないダールトンの振る舞いに、ギルフォードは名将の名将たる所以を知ったのである。
特に会話が弾んだわけでもないまま、ギルフォードが出発する時間が来た。ダールトンはギルフォードと握手をかわすと、言った。

「ソロモンで会おう。必ず生きて友軍のもとへたどり着くのだ。」

ギルフォードは強く頷いた。しかし彼はダールトンの言葉の裏に隠された本心に気づいていた。おそらく二海峡打通作戦は失敗する。そうなったらキシリア様のことは貴官が守りぬいてくれ。ダールトンの目はそう言っていた。
ギルフォードはダールトンの為に何か出来ることがないか考えた。だが、ダールトンはギルフォードのいかなる提案も拒絶するだろう。キシリア親衛隊はマ・クベ司令の命令で宇宙に退却する友軍のために最後までオデッサで戦った。
オデッサに取り残された公国軍には奇妙な一体感が生まれていた。クリミア半島にいるすべてのジオン兵が自らをキシリアの騎士と自負していた。これは一重にダールトンの人望の賜であった。
彼は最後までジオン公国兵士として、そしてキシリアの騎士として誇り高く戦い抜くことを宣言し、今日まで陣頭に立って士気を鼓舞してきた。雑多で複雑極まりなかった部隊編成はキシリア親衛隊の指揮下に一本化された。
クリミアの公国軍は今や名実共にキシリアの騎士だったのである。続出していた脱走兵はダールトンが全権を握ってからピタリといなくなった。すでに全部の兵士が、彼の元で死ぬ覚悟を決めていたのだ。
そんな真の名将であるダールトンに対して、今さら自分にできることがあるだろうか?ギルフォードは自問する。答えは皆無だ。ダールトン自身も覚悟を決めている。彼の名誉を傷つけるような真似はしたくない。
ギルフォードは最後の挨拶をかわすと、ダールトンの部屋を後にした。

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最終更新:2010年11月02日 21:37
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