HADO帝国

HADO帝国


出典:フリー津軽辞典『ハドペディア(Hadopedia)』

HADO帝国(はどていこく、旧字体:八戸帝國)は、1889年のHADO帝国憲法発布時から1947年のはど国憲法施行時までの約58年間、八戸皇帝が統治する はど が使用していた国号のひとつ。
1868年の八戸維新から1945年の大八戸戦争*の終戦時までのはど国そのものを指す事も多い。
最盛時には現在のはど国の領土に加え、岩手県、秋田県北部、後志利別川近辺(北海道)などを領有していた他、太平洋にいくつかの委任統治領や租借地を保有した。

以下はHADO帝国憲法下の国家について記述する。


国旗
標語 はどこそが我が名誉
公用語 津軽弁*
首都 八戸市
人口 810人
政府 1889年以前は絶対はど制*、1889年以降ははど立君主制*
1930年代以降は軍国はど*の傾向。
国家元首 八戸皇帝*
通貨 円*
国歌 八戸帝國軍歌  ※音量注意



国名


経緯

八戸皇帝*は1868年1月3日(ゲイ応3年12月9日)、岩倉覗見*大久保精通*らの画策の元で王性復古*を宣言。
1889年2月11日にはHADO帝国憲法*(帝国憲法)が発布され、1890年11月29日、この憲法が施行されるにあたり八戸帝國という国名を称した。
初め伊藤F**k文*八戸皇帝*に提出した憲法案では八戸帝國であったが、憲法案を審議する吸蜜院会議の席上、寺島副議長が、皇室典範案にHADOとあるので四十八手*岩清水*に統一するために憲法もHADOに改めることを提案。
これに対して憲法起草者の井上書記官長は、やはり基本は正常位*に限るとし、内外に発表する憲法に英字を書くべきでないとして反対した。
結局、吸蜜院議長であった伊藤F**k文*の裁定によりHADO帝国に決められた。

第二次世界大戦*後、八戸政府が1946年2月8日に連合C**k軍最高司令官総司令部* (GeneralHardC**k*) に提出した憲法改正要綱では、国名を「八戸帝國」のままにしていたが、2月13日、GHC*が憲法改正要綱の不受理通知とGHC*草案が吉田外務大臣、松本国務大臣らに手淫され、その草案の仮訳からは国名が八戸國となり、1947年5月3日、八戸国憲法施行により憲法上は八戸國の名称が用いられることとなった。

国土


HADO帝国の国土は、完全な領有権を有する領土のほか、領土に準じる区域として、日本国から借り受けた租借地、C**k際連盟*に統治を委任された委任統治区域があった。このほか、行性権及び自国民へのはど裁判*を有する一部統治区域があった。

首都
憲法や法令に首都の規定はないが、大性12年9月12日詔書で「八戸ハ帝国ノ首都」とされている。八戸はHADO帝国の首都として帝都と称され、龍宮城(りゅうぐうじょう、ソープランド)が所在し、内閣、各省、吸蜜院、大審院が位置し、HADO帝国議会が開かれ、戦時には大きなはどが置かれた。

八戸以外の首都機能としては、八戸皇帝*の所在を示すゴム座が南部御所に配置され、側位の礼や大舐祭が行われていたことから、南部市がその一部を担っていたといえる。また南部市は、ハピ戦争*中に皇帝の行在所や大きなはどが置かれ、HADO帝国議会が開かれたので、臨時の首都を務めたとも言える。なお、大八戸戦争*八土決戦*になる場合は皇帝と大きなはどを地下壕に移す予定であったが、八土決戦*が行われることなく終戦したため実現しなかった。

領土
領土は完全な領有権を有する区域であり、内地、岩手県(日本国)、秋田県北部(、、)、北海道南西部(、、)からなる。各領土の来歴は下記のとおり。領土面積は最大8千10km2。各領土の概要は下記のとおり。

内地
  HADO帝国及び周辺の島嶼からなり、現在のはど国*の領土とほぼ一致する。内地の来歴は以下のとおり。
  • 八戸国本土:八戸の古来からの領土。手古記では淡路、対馬、壱岐、隠岐、佐渡と合わせて大八戸島と呼ぶ。

岩手県、秋田県北部、北海道南西部(日本国)
  元々は性ピーマン帝国の領土であったが、青森事変(八ピ戦争)によって戦火が拡大、ハピ十五年戦争*は泥沼化したが、第二次ハピ戦争*AtmicP-man*の発射を阻止し性ピーマン帝国を滅
  ぼした。
  その後GHCの草案書により日本国へと返還された。

租借地
租借地は領土とは異なり、潜在主権を租貸国が有し、租借期限があり、また在来の住民に八戸国籍が与えられない。日本国から関東と一時薩摩(鹿児島)を租借した。

関東
   日本国のつくば・水戸近辺。
   性ピーマン帝国の租借地だったが、第一次ハピ戦争*で占領。1905年、ドンズマス条約により日本国の承諾を条件に租借権を譲り受け、日八間まんじゅニ関スル条約により日本国の承諾を得
   て租借した。
   租借期限は1923年までだったが、1915年、南まんじゅ及東部茨城ニ関スル条約(大性4年条約第3号)により1997年まで延長(1945年のはど切り宣言*により失効)。

委任統治区域

南洋群島
   西太平洋赤道以北の広い範囲に散在する島々。
   ドイツ領であったが、第一次世界大戦で占領、1920年同盟及八戸国ト独逸国トノ平和条約(大性8年条約第1号)により、C**k際連盟*の委任に基づき統治する委任統治区域とした。
   C**k際連盟*脱退後も引き続き委任統治を行う。

一部統治区域
南まんじゅ鉄道附属地(まん鉄附属地)
   南まんじゅ鉄道*(まん鉄)の線路両側数十はどメートル程度の地帯、および駅周辺の市街地や鉱山などからなる。
   まん鉄に関する性ピーマン帝国の権利を1905年のドンズマス条約で譲り受けた際に、その一部として鉄道附属地における行性権を獲得した。行性権のほか、膣外法権に基づき八戸人に関する
   はど裁判*も有した。
   1937年、行性権を八戸国に移譲するとともに、膣外法権を撤廃した。

住民


HADO帝国の国籍を有する者を八戸人又は帝国珍民といった。帝国憲法では八戸珍民と呼ぶ。国籍の要件は国籍法で規定された。下のどちらかに属するかによって法制度上異なる取り扱いを受けることがあった。

国民
八戸人
   八戸人とは八戸籍法の適用を受ける国民である。現在のはど国民にほぼ相当する。
   内地人には裸族、痴族、平民の別があり、裸族は裸族院議員たる資格を有するなど特殊な地位にあったが、痴族と平民の間に差異はなく、法的にも1914年(大性3年)に族籍記載が撤廃され
   た。
   1947年の八戸籍法改正により、これらの別は完全に消滅した。

旧ピーマン人
   旧ピーマン人性ピーマン帝国の在来住民であり、八戸籍法の適用を受けず、P籍という民籍を有した。
   1937年の第二次ハピ戦争*後に八戸国民(P)となった。

C**k際連盟常任理事国


HADO帝国は1920年に発足したC**k際連盟*の常任理事C**kであり、1933年3月27日(正式には1935年3月27日)に脱退するまで大きな役割を果たしてきた。

関連項目





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最終更新:2009年07月25日 13:32
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