レクイエムは誰がために(中編) ◆92mXel1qC6
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
轟音が鳴り響き、巨大な建造物が崩れ落ちる。
朋也達が逃げるきっかけとなったようなビルによる圧殺を狙ってのものではない。
そんな手が通じる相手ではないということは、カルラは既に理解していた。
だから今回ビルが崩れたのはただの余波だ。
少女の鉄壁の防御を打ちぬかんと繰り出し続けたより大威力の攻撃の余波に過ぎない。
……いや、余波などという格好のつくものではないか。
これは残骸だ。天使を害そうとして成し得なかった哀れな破壊の使徒、その残骸だ。
「つくづくデタラメですわね、あなた」
ため息混じりにカルラが天使を賞賛する。
皮肉ではない、うんざりもしていない。
カルラはただただ、自分の攻撃を真っ向から受け止めきれる珍しい存在に感心しているのだ。
「……? えっと、ありがとう?」
派手に吹き飛ばしはしたものの、瓦礫を跳ね除け立ち上がって来た少女は案の定無傷だった。
いや、流石にカルラの改心の一撃を受けて無傷ということはなかった。
ただ、せっかく防御を突き抜けてつけた傷も、次に繋げる前に回復されたのは刻まれなかったのと同じだ。
(惜しい、ですわね。もう少しこの剣が頑丈ならもっともっと楽しめましたのに)
カルラは己の得物に視線を落とす。
彼女に支給された剣――エグゼキューショナーズソードは悪い得物ではない。
処刑用に作られただけあって、ただの一撃で首を落とすことを目的とした剣は、力の伝達効率の点で他の武具に抜きん出ている。
転じて、怪力を武器とするカルラにとっては相性がいい武器だ。
だが。
相性は良くとも、カルラに相応しい武器かと問われれば否だ。
脆いのだ。
首どころか、一撃で人間一人を木っ端微塵にするだけの筋力を誇るカルラにとって、エグゼキューショナーズソードは余りにも脆すぎるのだ。
恐らく、全力で振るえるのは一度や二度が限度だろう。
そして、その力の使いどころは、今ではない。
今ではないのだが……惜しいものは惜しいのだ。
(いけませんわね。武器のせいにするなんて無粋もいいところですわ)
せっかくの待ちに待った歯ごたえのある強者との戦いだ。
楽しまないで何とする。
全力で眼前の敵とぶつかり、そして勝利を主人に捧げるのみ!
武器を言い訳になどしない、させもしないとカルラは笑みを浮かべる。
対する少女もどこか楽しげなのを察し、ますます気を良くする。
カルラは笑顔のまま、今度こそ、その防御を突き崩してみせると剣を構え、少女に向かって駆け出そうとしてふと気付く。
そういえばまだこの少女からは名前を聞いていなかったと。
互いに全力で打ち合うのが楽しすぎて、すっかりと聞きそびれていた。
あれだけ大きな声で宣戦布告をしたのだから、こちらの名前は知っているだろうけれど。
自身の信念や誇りを述べる前口上や名乗りもまた、戦場の華だ。
これだけの腕のたつ相手を前にして、一方的に名を名乗りっぱなしというのは風情がない。
「一つ教えてくださいな。わたくしの名はカルラ。あなた様はなんという名前でして?」
カルラは一度足を止め、剣をおろし、少女に名を聞くことにした。
「奏。立華奏」
少女もまた、剣を降ろして答えてくれた。
律儀なものだ。
こういう人物が相手なら、敵同士であれ、普段なら、一時戦いを中断し、酒を飲みかわせたものを。
正直にそう告げると、奏もまた、私は麻婆豆腐が好きらしいから一緒にどう? と場違いな言葉を返してきた。
本当におかしな人ですのねとカルラは更に笑みを深め、先ほど、シルファにもした問い掛けを奏へと続けて口にした。
「わたくしはあるじ様の為に戦っておりますわ。カナデの矜持はなんでして?」
「……矜持?」
「何のために戦うのか。あなたは何を願って剣を手にしているのか。そういうことですわ」
小首を傾げる少女に、カルラは易しく言い直す。
奏はそういうことと頷いて、どう言葉にするか迷っているかのように黙りこくる。
その様は歳相応以上に幼く見え、カルラは、既にこの世にいない者達を幻視した。
(可愛らしいお人ですこと)
そのまま待つこと数秒。
奏は話慣れていない口調ながらも、ぽつぽつと、静かに自らの願いを教えてくれた。
「わたしは、みんなに満足して欲しい」
「満足?」
「ん……。わたしは昔、動くのもままならない身体で、そんな時に、わたしを助けてくれた人がいて。
わたしは、満たされた。とてもとても、幸せになれた」
「……そうですの。あなた、可愛らしいだけでなく、いい子ですのね」
葬送の歌で送った一人の少女のことを思い出しながらも微笑むカルラ。
少女がカルラを相手に真っ向からのぶつかり合いに付き合ってくれていたのは、自分が楽しいからだけではなかったのだ。
強者と戦えることを喜びとするカルラの趣向を汲み取り、カルラが満たされるために全力で相手をしてくれていたのだ。
けれども、奏はふるふると首を横に振った。
「そうでもない。さっきは満足してもらえなかった」
「どういうことですの?」
「さっき、すごく強い人に戦いを挑まれた。負けた。
少しすっきりした様子だったけど、わたしがもっと強かったら卒業してくれたかもしれない」
どこかしょんぼりとする奏。
カルラは卒業の意味するところは知らなかったが、自分と互角レベルの奏でさえ勝てないであろう人物を一人知っていた。
「……その御方、ゲンジマルという名前ではなくて?」
こくり、と少女は頷く。
最悪の想像が的中し、カルラは僅かに顔をしかめた。
ゲンジマル。
最強のエヴェンクルガにして最強の武人。
カルラの父の宿敵にして、仇。
戦乱の世だ、父を殺したことをとやかく言うつもりはない。
エヴェンクルガはその驕り故に滅んだのだと、カルラは納得してさえいる。
それでも。
カルラにとつて最強の代名詞であった父に勝ったゲンジマルは、いつか超えねばならない壁だった。
奏を襲ったらしいことからも、あの男もまた、主君のために戦っているのだろう。
エヴェンクルガ族は“義”を貫く一族ではあるが、“義”には大義もあれば、忠義もある。
シャクポコルの先王に仕え一つの国を滅ぼしたくらいの男だ。
驚きはしない。
(もっとも、同じエヴェンクルガでも、もう一人のほうがどうしてるかは、五分五分としか言えませんわね。
まあどちらの道を選んでいようとも、うっかりなことだけは変わらないは確実ですわ)
とはいえ、この付近にゲンジマルがいるというのなら、装備に不足のある今、逃げねば負けだ。
加えて、万一出会ってしまった時のためにも、体力の消耗は極力抑えるべきだ。
装備も、体力も万全の状態ですら戦って勝てる確率はごく僅かなのだ。
認めたくない話だが、未だ、思い出の中の父にさえ勝てない自分では、ゲンジマルにも届かないのが現実だ。
(仕方ありませんわね。もう少しカナデとの戦いも楽しみたかったのですけれど……)
カルラは戦いの継続を放棄し、撤退することを選ぶ。
相性上、決着がつくとすれば互いに一瞬ではあろうが、その一瞬を掴み取るまでは千日手になりかねない。
普段のカルラなら、望むところではあるが、今は状況が状況だ。
優先順位を間違えてはならない。
この身の全ては主の為に。
(それに、カナデの言うように“うっかり”満たされてしまっては浮気になってしまいますわ。
わたくしの体と心を満たしてよろしいのは、主様だけでしてよ?)
そうと決まれば話は早い。
こんな時の為に投げずにストックしておいた隠し玉をカルラは瓦礫の山より引き摺り出す。
この戦いの開幕時に、散々にカルラが弾幕がわりに投げはしたが、あれは、単に武器として使っただけでなかった。
祐介が、他の者達に脚として使われないよう、敢えて、カルラに提案し、自分達の分以外、街に放置されていた物を破壊させたのだ。
まあ処分方法をカルラに任せた祐介も、まさか、弾幕に転用されるとは思ってはいなかったろうが。
だが結果オーライだ。
いくら奏が生身の速度ではカルラに勝るとはいえ、バイクには追いつけない。
「待って!」
奏もそれを十分承知しており、手を伸ばし、カルラを制止しようとする。
戦闘を仕掛けた側としては、少し、悪い気もするが、背に腹は変えられない。
カルラは少女の願いを聞き届けることなく、バイクに跨り、発進させる。
無論、カルラにとってバイクは乗るどころか見るのも初めての代物ではあったが、大体の概要は祐介より聞いていた。
それに、カルラの気性的には、思うように行かない暴れ馬というのは、中々に好みだ。
下手に人間になついているウォプタルよりも上手く乗りこなせる自信はあった。
その自信に任せて、カルラは一気に、フルスロットル。
行かせないと奏もディレイで追いかけんとするも、ディレイは緊急回避用の技だ。
継続加速には向いていない。
ディレイの効果が切れ、見る見ると速度を落とす奏。
カルラはその姿をバックミラーで目にし、一度だけ振り返る。
「あなた、他の誰かではなく、自分の満足も求めないと、手遅れになってしまいますわよ?」
それは一騎打ちを不意にしてしまったことへのカルラなりの詫びか。
一人の女性として、一人の少女への忠告を残し、カルラは再び前を向く。
ミラーには、既に奏の姿はうつってはいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ちいっ!」
眼前に迫ってくる紅蓮の炎の塊。
舌打ちと共に、祐介は横に跳び、辛くも避けることに成功する。
炎の塊が地面に着弾。
祐介達の周りを紅く染め上げていいく。
(外れたが……それでいいんだ!)
恭介は投げ込んだ火の玉の原因、お手製の火炎瓶が外れた事に落胆はしない。
元々、当てるつもりで投げた訳じゃないのだから。
芳野祐介が見せた隙、隣に居た雪緒の瞳に呑まれていたその隙を狙ったのだ。
当たりはしなかったが、結果として祐介が見せた隙は、更に大きくなり、
「喰らえ!」
恭介は蓋が開いたペットボトルをオーバースロー気味に祐介に向かって投げ込む。
デイバックに仕込んだ火炎瓶が外れることを予測し、前もってデイバックから抜いておいたのだ。
「見え透いた手を!」
それさえも祐介は避けてしまう。
祐介は、恭介が人質である芽衣を奪還しようと考えているのだと思い、警戒していたのだ。
だからこそ、恭介が追撃してくる事も予測し、簡単に避けられた。
投げ込まれた水は、周囲の炎を少しだけ消火し、しかし、直ぐにジュッという音と共に蒸発する。
「……今だっ!」
そう、この時を香月恭介は待っていた。
火炎瓶を避け、ペットボトルの水を避けた後に出来る、この光景を。
芳野祐介が投擲物を避け続けた結果、どうしても生じてしまった隙と“距離”。
先程まで、祐介の足元の傍にあった志乃の遺体とデイバックが、今はもう祐介の傍から離れていて。
恭介の本当の狙いはそこにあった。
志乃の遺体の元へと駆け出していく。
もう二度と、取りこぼさない為に。
「……まさかっ!?」
ようやく祐介は、気付く。
駆け出した恭介の狙いに。
志乃の遺体の傍に転がっていた物の正体に。
ハリセンや名簿を媒介に燃え広がった炎に焼かれ、顕になった彼女のデイパックの中身に。
紅蓮の炎の中、白銀に光る銃――SIG GSRに。
祐介は直ぐさま銃口を芽衣から逸らし、黒鉄の銃を恭介に向ける。
「やらせはしない……芳野祐介ッ!」
だが、もう遅い。
祐介と同じように、恭介もまた掴み取った白銀の銃を祐介に向けていた。
ペットボトルの水でいくらか鎮火された炎の中から拾い上げた銃をしっかりと握り締めて。
祐介から、一瞬たりとも視線を外しはしない。
紅く染まる中、二人は銃を突きつけ合い。
「あいつの……明乃の最期が聞きたいかと言ったな?」
そして、恭介が吐き出すように呟く。
脳裏に浮かぶのは、明乃の姿。
長い間、一緒に居続けた幼馴染。
とろくて、受け身な少女。
きっと、この殺し合いでもそうだったに違いない。
それはどこまでも推測で、明乃を殺した祐介のように事実を知っているわけじゃない。
「そんなこと…………」
けど。
けれど。
けれども。
「―――――そんなこと、お前に言われなくなったって、解かるさ!」
おっとりとした、明るい笑顔を。
ずっとずっと笑っていたあの子は、
「ずっと、傍に居たんだから……解かるよ……そんな事はっ!」
ずっと、傍で、笑って、恭介を想っていてくれたのだ。
そういう子だから、そういう子だったから。
きっと、この殺し合いでも、そうだったのだと言い切れる。
「誰がお前なんかに聞いてやるものか!
お前は、あいつの何を知ってるんだ!」
ああ、そうだ、そうだとも。
聞くまでもない。
変わらない、変わりはしない。
明乃から恭介への想いも。恭介から明乃への想いも。
芳野祐介“如き”に変えられはしまい!
「俺は、俺は、俺は! 知っている、知っているんだ!。ずっと傍らにいたんだ。いてくれたんだ!」
想いが、廻って、廻って、廻り続けて。
恭介は、哀しくなって、明乃への思いを叫びに変えていた。
身を引き裂かれるような、恭介の切ない叫びが響く。
泣いていないのに、泣いているみたいで。
そんな恭介を見つめていた祐介は、表情を変えずに、言葉を紡ぐ。
「なら……俺が憎いか? 許せないか? 復讐したいか? 香月恭介」
折原明乃を殺した芳野祐介を香月恭介はどう思うのか、問いかけてくる。
「そりゃあ……許せないさ、悔しいさ……けれど!」
頷きたい気持ちもあった。
消え切れない怒りもあった。
だけど。
恭介は、一瞬だけ、儚げな少女を見る。
吸い込まれそうな瞳が其処にはあって。
「護らなきゃいけない人達が居るんだ、護りたい人達が居るんだ!」
恭介はその瞳に吸い込まれないくらいに強い、強い意志を込めて、拳銃を握っていない手を振るって叫んだ。
「もう懲り懲りなんだよ。誰かを護れないのも、誰かを奪わるのも!」
何よりも護りたいのだと。誰かの命を奪うのではなく、護りたい人達を護り抜きたいのだと。
思いの丈を、恭介は祐介に強くぶつけていた。
その叫びに、祐介は、遂に気付く。
二人の少女から銃口が外れたこの構図こそが恭介の真の狙いだったのだ。
芽衣だけを救うのではなく、銃を手にし復讐を遂げるのでもなく。
“二人の少女”を護る、その願いに命を賭け、恭介は相打ち覚悟で立ち向かってきたのだ。
今も恭介は、雪緒を背で庇うようにじりじりと動き始めていた。
祐介はそれを見て取り一言だけ呟く。
「そうか」
その顔には、僅かながら笑みを浮かべていたけれど。
「なら、護りきれ。どんな手を使ってでも。どんな罪を重ねてでも。男なら、愛した女“一人”だけは護りきれ」
告げられたのは切なくも冷たい言葉。
何もかも振り切ってしまった哀しい男の残酷すぎる忠告。
恭介に嫌な悪寒を走らせる、“一人”という言葉を強調したメッセージ。
「それが、もう戻れない先達から、唯一若いお前に贈れる言葉だ」
それだけを言い切って。
芳野祐介は先程と同じように表情を消して。
銃口を向け合っているこの状況にも関わらず、後ろを振り向き、僅かに背を向ける。
銃に無防備な背を晒すというあからさまな隙を作る予想外の行為に、混乱する恭介。
だが、祐介の振り向いた先を祐介は直ぐに目で追い、相手の思惑を察する。
祐介が見つめる先、其処に青い髪をした少年が迫ってきていた。
少年の表情が強ばり、不信の視線が“他人に銃を向けている恭介”を射ぬく。
「気をつけろ、岡崎! こいつらが、春原芽衣を!」
止めとばかりに咄嗟の嘘をつく祐介。
抱えていた芽衣の気管を咄嗟に締め上げ、黙らさせた上での念の入りように恭介はしてやられた。
よりにもよって青い髪の少年――朋也は芳野祐介の知り合いだったのだ。
しまったと思うも時既に遅く、恭介に向かって勘違いに惑わされ、怒りに駆られた朋也が突っ込ん来る。
繰り出された朋也の拳をなんとか避けるも、恭介は見た。
目の前で祐介の唇が動くのを。
「言ったはずだぞ。どんな手を使ってでもと」
声なき声は、確かに恭介の心へと突き刺さった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朋也達は逃げていた。
重い沈黙を抱かえたまま、逃げ続けていた。
カルラからか。
違う。
自分達が死んでいるのなら、自らを殺しに来る人間から、逃げる意味なんてない。
逃げているのは、足を止めることからだ。
足を止め、事態を整理し、事実と向き合うことを恐れ、朋也は走り続けていた。
シルファが足を止めないのも、朋也と似た理由からだろう。
音無は、彼らの心中を測り、何も言わずについてきてくれている。
彼に肩を貸され、連れていかれている形の葉留佳は、ぶつぶつと虚ろな視線で何事かを呟いている。
なんて言っているのかは途切れ途切れにしか聞こえない、聞きたくもない。
だけど否応なしに耳を掻きむしる葉留佳の怨嗟は、朋也の心にも徐々に徐々に影を落としていく。
犯罪者。逃げた親。あいつ。奪った。
(違う、違う、違う! 俺は死んでいない、殺されてもない!)
耳を抑え、眼を閉じても、一度絡みついてきた呪詛は、その侵食を止めようとはしない。
葉留佳が紡いだ最悪の妄言の種が、朋也の中で発芽し、根を貼り出す。
(けど、だけど、万一、俺が死んでいたとしたら。未練を抱かえて死んだのだとしたら、それは、それは、それは!)
音無の語った死後の世界。
それは誰しもが訪れる場所ではないという。
極稀に起きる例外を除き、この世に未練を残した者達だけが、集まるという。
未練。
その言葉に、その感情に、朋也は心当たりがあった。
いや、心当たりなどという生やさしいものではない。
死ぬまでもなく、朋也には、生きているうちから抱えている未練があったのだ。
バスケ――いや、親父だ。
仕事ばかりの父にかえりみられない寂しさを埋めるように、中学生時代、朋也はバスケ一本に打ち込んでいた。
もとから運動神経はいいほうだったし、努力することも嫌いではなかった。
自分の腕がぐんぐん上がっていくのを実感していくことは楽しくもあり、その度にバスケのことも大好きになっていった。
何よりも、バスケの世界で活躍し、自分が注目されるほど有名になれば、父も自分を見てくれるかも知れない。
すごいな、偉いなと褒めてくれて、それがきっかけで父と子の関係を遅まきながらも紡げるようになるかも知れない。
そう信じていた。そう願っていた。願うだけでなくそれに見合うだけの努力もした。
幼いながらも人生の全てをバスケに打ち込んでいたとさえ、臆面も無く言えるほどにだ。
その甲斐もあって、中学3年生になる頃には、将来を期待されるまでの実力を身につけることができた。
大人たちにも認められ、進学校にバスケの推薦入学をもらうこともできた。
嬉しかった。
父と同じ、大人たちに認められたのだ。
あと一歩、あと一歩で、父にも認めてもらえる。
そう思ってた。そう信じていた。
現実はそうはならなかった。
岡崎朋也は裏切られた。
夢も未来も打ち砕かれた。
他ならぬ父の手によって。
バスケプレイヤーの命である、右肩を故障させられるという形で。
父との仲がどうなったかは言うまでもないだろう。
息子の未来を奪ったことを後悔して、父が歩み寄ってくれたのなら、まだよかった。
未来は失いはしたが、ずっとずっと心の底で求めていた父親の愛を得るという夢の方は叶ったと言っても良いのだから。
でも、夢は儚く消えるからこそ夢なのだ。
父は、岡崎直幸は、心の弱い人間だった。
自らが息子の未来を奪ったという自責の念に駆られた末に、息子に対し他人行儀な振る舞いをするようになったのだ。
自分に父親である資格がないと踏んだからか、或いは、他人のように振る舞うことで“息子の”未来を奪った呵責から逃れようとしたのか。
朋也には父の心情は全く分からなかったが、そんなこと、どうでもよかった。
父は、自分の家族であることを辞めたのだと。
その絶望的な事実が変わらない以上、理由なんて、知ったところで意味なんて、ない。
“朋也くんなら分かってくれそうな気がして”
“朋也くんなら分かって”
“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”“朋也くん”
(黙れ、黙れ、黙れよ、おやじ! やっぱり、あんたなのか!? あんたが、あんたが俺を!?)
葉留佳の毒に誘発され、留置所に拘束された父親の姿が脳裏に浮かぶ。
空想だと一蹴するには何故か余りにもリアルだと思える構図。
それが朋也の悪夢を加速させていく。
親子のすれ違いから無理心中を図るというのもよくある話ではないか。
葉留佳の姉妹が葉留佳を殺したように、自分も父によって殺されたのだということも、十分にありえるではないか。
だが本当にそうなのか?
仕事も止め、抜け殻のようになったあの父が?
家族の縁を一方的にあの男が、今更に、“息子”と上手くいかなからと、無理心中なんて選ぶだろうか。
奴を家族として未だに意識しているのはどちらだったか。
家族なんかじゃないと批判しつつも、親父と呼び続けているのはどちらだったか。
朋也だ。
他ならぬ朋也の方が、よほど、先に手を出しかねない。
(違う、違う、俺は、殺人犯なんかじゃない!)
しかし現実として、父もこの殺し合いに参加させられている――死んでいるのだ。
自分の性格からして、無理心中を企てられたところで、はいそうですかと大人しく死んでやりはしないだろう。
そしていざ、朋也と父が戦ったとしたら、肩の故障を抜きにしても、ほぼ確実に朋也が勝つはずだ。
それは、つまり、どちらが先に仕掛けたにせよ、岡崎朋也が岡崎直幸を殺したということではないか?
子どもから愛も夢も未来も奪ったあの最悪の父親以上に最低な存在になり果ててしまったということではないか。
(違う、違う、違うっ! 春原を、先生を、早苗さんを、委員長を、ことみを、有紀寧を殺した奴らと同じであってたまるものか!)
否定したかった、自分は殺人犯なんかじゃないのだと。
けれども肝心の自分が死んだ時の記憶がない以上、否定できようはずがなかった。
そのことが更に朋也を焦らせる。
なんでもいい、なんでもいいんだ。
とにかく殺人犯でないと証明させてくれ!
そう願っていた矢先に、走り続けていた道の果てに、朋也は覚えのある背を眼にした。
遠目だが、あの作業着は間違いない。
祐介だ。
芳野祐介だ。
「芳野さん!」
朋也は縋るように祐介の名前を呼ぶ。
臭いセリフも平気で言うあの人なら、朋也が殺人犯でないと、力強く否定してくれる。
そう思ったからだ。
だが、祐介が振り向いた時、それまで祐介の背に隠れていて見えなかったその向こう側が垣間見えて、瞬時に血が引いた。
銃を突きつけてくる若い男と、祐介に抱えられぐったりとした親友の妹。
「気をつけろ、岡崎! こいつらが、春原芽衣を!」
極めつけにかけられる祐介の言葉。
朋也を動かすには十分だった。
「てめえ、このやろがああああああっ!」
朋也は走ってきた勢いのままに、銃を突きつけていた男――恭介へと踏み込み、殴りかかっていた。
誤解だと恭介は訴えるものの、朋也は聞く耳を持たなかった。
よせ、先走るなと止めようとした音無も振り払った。
知り合いの祐介と見も知らぬ男、どちらを信じるかと言われれば前者だ。
春原の妹である芽衣の苦しげな様に、激昂に駆られ冷静に判断できなかったこともある。
何よりも人殺しを否定したい一心で朋也は、人殺しだと信じた恭介を否定しようとした。
人殺しを殴り否定したところで、自らが人殺しでない証になんてなりはしないのに。
その果てに、人殺しの手助けをしてしまえば、人殺しと変わらないのに。
一発の銃声が響く。
撃たれたのかと自らを見下ろすも、朋也に傷があろうはずはなかった。
何かのはずみで引き金を引いてしまうことを恐れた恭介は、拳を避けながらも、必死で射線を朋也から逸らしていたからだ。
しかし、向かってくる朋也から射線を逸らすということは、その向こう側にいる祐介からも逸らしてしまうこととなった。
ここに、拮抗状態は崩壊する。
芳野祐介は、殺人犯は自由となり、そして、その牙は香月恭介――ではなく、音無結弦へと向けらた。
恭介を狙ったところで、朋也が邪魔になり、正確に撃ち抜けたとは限らなかった。
ならば、より確実に始末できそうな朋也の連れの三人、その中でも武器を手にし、男性である音無を、一番厄介そうだと排除することにしたのだ。
葉留佳に肩を貸していたことが災いし、音無は銃弾を避けられなかった。
茫然自失状態が続行中だったシルファは、庇いに入ろうとさえできなかった。
心臓を射抜かれ崩れ落ちる音無。
そのさまを見て、朋也は、ようやっと自分が騙されたことに気付いた。
「嘘、だろ……。なんで、なんで、祐介さんが……」
気付いても、認められようはずがなかった。
「その言葉、この子にも言われたさ。けどな岡崎」
朋也一人が認めないと喚き散らそうと、世界は変わらず、悲劇は続く。
「これが現実だ」
再度銃声が鳴り響き、幼き少女を貫く。
「芳野、さん。わた、わたし、歌、歌が聞きた……です」
「ごめんな。俺はもう、君の、君達のためには歌えないんだ」
今際の際の願いさえ、祐介は泣きそうな声で一蹴。
かつて少女だったものはそれ以上、何も言わず、軽い音をたてて、地に落ちる。
それが、結果だった。
人殺しであることを否定したいばかりに衝動に身を任せた愚かな青年が招いた結末だった。
否、結末だと言うにはまだ早い。
悲劇の幕は降りていないのだから。
「芳野祐介ええええええええええええええええッ!」
明乃と志乃に続き、ちはやと似た年頃の少女達の命を奪った祐介を恭介は許せなかった。
現実を受け入れられず立ちすくむ朋也を押しのけ、恭介は銃の撃鉄を起こす。
けれど引き金を引くよりも早く、巨大な質量弾が恭介を襲い弾き飛ばした。
恭介に押されるがままにアスファルトに尻餅をついていた朋也は、バスケプレイヤーとして鍛え上げた動体視力で、その正体を見抜く。
シルファだ。
シルファが何者かに恭介に向かって投げ飛ばされたのだ。
そして、ロボットである以上、人間より重いであろうシルファを軽く投げ飛ばせる人間を、不幸にも、朋也は一人、知っていた。
「間一髪でしたわね」
響く声は朋也の想像通り、彼らが必死の思いで逃げてきたカルラのものだった。
鬼の如き女は炎を背に妖艶に笑う。
「助かった……と言いたいところだが一ついいか。バイクはどうした」
親しげに語りかけられた祐介もまた、憮然としながらも自然に言葉を返していた。
「わたくしの背後を見てのとおり。……爆発しましたわ」
「おい!」
「やはり慣れぬからくりは使うものではありませんわ。
止められなくなってしまいましたので、なんとか向かう先だけは制御していましたのに。
先ほど、そこな可愛らしいメイドロボを轢いたはずみで、こうドカーンっと」
交わされる言葉と言葉。
頭を抱える祐介と、反省感皆無なカルラ。
それだけを見れば、もう二度と戻ってこない春原との馬鹿な日常を思い出させるやりとりは、しかし、朋也に否が応でも現実を理解させた。
「つまりあんた、恭介にシルファとやらをぶつけれたのは偶然だったのか。
……俺に当たっていたらどうする気だ」
「そこはほら、わたくしが見込んだ殿方ですし、気合でなんとかしたはずですわ」
「……まあいい。バイクはまだ俺の分もある。後で取りに行くとしよう。なにはともあれ、これで」
芳野祐介はあの女とぐるだったのだと。
人を殺しておきながら、平然と殺人犯の女と馬鹿なやり取りができるほどに、遠い向こう側へと行ってしまったのだと。
「形勢逆転だな」「形勢逆転ですわね」
その証のように銃を朋也につきつける祐介。
一方カルラは葉留佳の前へと歩を進める。
朋也が前に出、音無が倒れ、シルファが恭介ごと吹き飛ばされた今、葉留佳を護る者は誰もいなかった。
置き去りにされた葉留佳は、いつものように独りぼっちだった。
「や、止めろおおおおおおおおお!」
今まで二度、眼前で行われた光景が朋也の脳裏にフラッシュバックする。
これ以上、自分のせいで誰かが死ぬことは受け止められないと地を這ったまま手を伸ばすも届くはずもなく。
ずしゃり、と。無慈悲に処刑の刃は振り下ろされる。
刹那、生きる気力もなく、されるがまま虚ろに刃を見上げていた葉留佳の口が静かに動く。
紡がれたのは、朋也が肩をかせなかった時と同じ、呪いの言葉。
「やっぱりはるちん、要らない子だったんだあ」
それが神を憎み、姉を恨み、世界を呪った少女が、最後に残した怨嗟だった。
ごろごろ。
こつん。
間の抜けた音と共に、胴を離れた首が、伸ばしたままだった朋也の腕へと転がりつく。
その悲しみとも憤怒とも諦めとも絶望とも取れる顔が言っていた。
お前も父にとって要らない子だったのだと。
「違う、違うんだ! 俺は、俺はこんなつもりじゃなかったんだ!」
頭の中で反響する声を消し去ろうと喚き散らすも、心の声が消えるはずもなかった。
そんな朋也を葉留佳を殺したままの場所からカルラは見下ろす。
「見苦しいですわ。その服装、貴方がフジバヤシリョウの好きな殿方かもと期待していましたのに」
思いも寄らない人物から出てきた名前にびくりと震える朋也。
「とんだ勘違いみたいですわ」
その怯え様に更にカルラは見下げ果てながらも、朋也を絶望に陥れる更なる事実を叩きつける。
「なんで、お前が、藤林のことを……」
「わたくしが殺したからですわ。
彼女は身体は弱くとも、貴方とは違い心は強かった。
最後の最後まで好きな人のことを想い、自分を殺そうとする私のことまでも気遣い続けてくれましたわ」
ほんの僅かに悲しみを滲ませるカルラ。
居場所を失った青年は、死んだ少女に求められていたかもしれないことを知り、更に泣き叫ぶ。
「……さあヨシノ様、送ってあげてくださいまし。
万一彼がリョウの想い人なら、望まぬ形とはいえ、これで一緒にいられますわ」
それを視るに耐えなかったのか、カルラは一度目を伏せ、朋也と知り合いである様子が見て取れた祐介へと場を譲った。
「藤林椋、か。そうだな、俺も知らない仲じゃない。
じゃあな、岡崎。あの世とやらがあるのなら、そこで存分に呪ってくれ」
カルラの心遣いに頷きを返し、銃を朋也に向ける祐介。
死をもたらすであろう一発を前に、朋也は思う。
おかしな話だと。
あの世だって?
既にここは地獄じゃないか。
音無は何か色々難しいことを言ってたけど、どうでもいい。
ここがあの世じゃなくてなんだってんだよ。
ここは地獄だ――全ての希望が燃え落ちる地だ。
だというのに。
それを否定せんと立ち上がり、祐介を羽交い絞めにし、三度放たれた銃弾をカルラの方へと逸らした影があった。
「よう、何勝手なこと言ってんだよ? あの世ってのはな。
あいつが、奏がつくろうとしてたのは。そんな呪いに満ちた世界じゃないんだよ!」
よりにもよってあの男が。
あの世のことを朋也達に教えた音無が、あの世が地獄であることを力強く否定した。
最終更新:2011年09月30日 20:22