命を捧げる ◆Ok1sMSayUQ
恐らくそれは、降って湧いた機会であると同時に覚悟を迫る最後通知であるに違いなかった。
見知った顔が空を飛んでいる。いや正確にはふわふわと浮いていると説明することが正しかったのだが、
『彼女』をよく知っている彼からすれば飛んでいる以外の何物でもないのだから、飛んでいるのだった。
「……」
その隣では、彼と行動を共にする少女がぽかんと口を開けていた。間違いなく、彼女にとっては理外の沙汰に違いなかった。
『彼女』をよく知る彼であるからこそ、あの行動は『彼女』らしくはあり、しかし馬鹿げている行動であり、
直後会場に響き渡った声と共に、彼に決断を促す材料になった。
息を吐いて、彼は当て所もなく動かしていただけの足を、はっきりとした意思を伴う形にして動かした。
行かなくてはならない、と思ったからだ。
「あれ」
「……うん、間違いない。カミュ様だ。らしいといえばらしいけど……危なっかしいな」
「そうでなくって」
グラァの苦笑に返ってきたのは呆れ声だった。偵察目的だろうとはいえ姿を発見されやすい上空に飛翔するのはいかがなものか……。
彼女も、ミチルもそう思っていたと考えていただけに、グラァは冷や水をかけられた気分になった。
「飛んでたんだけど」
「……そりゃまあ」
「いやおかしいから。人は空を飛ばない」
ミチルが腕を振り下ろす。手刀だった。幸いにしてそれほど痛くはなかった。
が、なんとなく叱られているような感覚ではあったため「ご、ごめん」と己に非があるわけでもないのにグラァは謝罪してしまっていた。
「説明。……と言いたいところだが……、あの人、知り合いか何かか」
「知り合いというか……護衛対象?」
言ってから、いや濁す必要などないだろうという己の声が聞こえてきたのだが、普段のカミュの姿を幾度と無く目撃しているだけに自信は持てなかった。
肩書を思い出す。オンカミヤムカイの第二皇女。紛れも無くやんごとなき血筋のお方である。しかしその実態は……。
「……護衛対象?」
「なんで二度言った」
再び手刀を振り下ろされた。幸いにしてそれほど痛くはなかった。
「とにかく、僕た……僕が守らなきゃいけない人達の一人だよ」
「……ふーん」
見ていた限りでは、カミュは誰かを抱えて飛んでいたように見えたが、そちらについてはグラァの知るところではない。
パッと観察した限りでは、女性のように見えた。カミュは人懐っこい性格であり、誰とでも仲良くなれそうなので意気投合したのかもしれない。
そこまで考え、今は戦の最中だよな、とその状況に疑問が浮かんだのだが、説得したのだと思うことにした。
「お前ってSPか何かなのか?」
「……えすぴー?」
「ガードマン」
「がー……?」
聞き慣れない単語の連続に首を傾げると、ミチルは難しい顔になってこめかみに指を当てた。ミチルの國では護衛役をそう言うのだろうか。
えすぴー。がーどまん。どちらかを選べと言われたら言葉の響き的に考えてがーどまんの方がまだ良さそうに思えた。
「軍人」
「……大枠だとそうなるかなあ」
その枠に当てはめるなら、オボロ軍団の弓術隊隊長……という事になるのだろうか。グラァにその自覚は薄かったため、やはり自分では護衛というのがしっくりくる。
弓と言えば、弓が手元にあれば良かったのにと今更ながらに思う。弓があれば、対応して矢を上空に打ち放ち、合図のようにすることもできたはずだった。
弓と矢の調達は優先すべきかもしれない、と頭に入れたところで、とりあえずの納得を得たらしいミチルの目と目が合う。
信じられない……。と訝るような目だった。侮られているとは思わなかったが、体格が小さめなのでそう見られるのは仕方のないことではあった。
実際、上背だけ考えてもグラァは僅かにミチルよりも低い。
「これでも実戦経験は豊富に積んでるつもりだから」
「実戦……」
だが、これでもグラァはトゥスクルの中でも最古参のうちの一人にあたる。弓を用いての中距離支援が主な任務だとはいえ、
嵐のように矢が飛び交う戦場では流れ矢に当たって戦死というのも少なくない。戦いの中で、弓を使えず近距離戦闘をしたこともある。
戦場では安全な距離など存在しない。剣を交える距離で、矢が降る距離で、それでもグラァは生き延びてきた。その実績と実力は、多少は結びついているはずだった。
「人を殺したことが?」
「あるよ。周りはいつも戦だらけだったし」
「……当たり前のように言う」
そのつもりで言ったのだが、多少なりとも怯えた雰囲気がそこにあれば、期待していた答えではなかったらしい。逆を言えば、ミチルは戦のない國で生きているということなのだろう。
戦が起こらず、人を殺めなくてもよい國。それはトゥスクルの皇ハクオロが目指している理想であり、グラァには不可知の領域であり、
違うのだな、という感想に行き着くだけだった。
羨望も、嫉妬もなかった。言葉通り生きている場所が違う。トゥスクルでさえ、非戦闘員であっても戦に巻き込まれる例に暇がない。
略奪の横行、家を失くした民が野盗になる。その手の話は吐いて捨てるほどどこにでも転がっていて、グラァ自身もそうした環境の中から生まれてきた。
それが当たり前だったから、ない、というものを想像もできなかったのだった。
「じゃあ、グラァの守りたい人が誰かに襲われたら……やっぱりその誰かを殺すか?」
「それは、そうすると思う」
「……敵だからか?」
敵。これ以上ない程に分かりやすく示された単語に、しかしグラァはすぐ頷けなかった。
その一語を飲み込んでしまえば、敵だと見做したもの全てを殺してもいいのだという考えが働きそうな気がしたからだった。
最初に出会った己の半身にも等しい存在が、「若様以外の全ては必要ない」と見做していたように……。
ではどう答えればいいのか。戦だから? それではドリィと同じだ。そうではないはずだ。
ドリィと対峙することを決めたとき、ドリィの考えは分かっていながら首肯しなかったのは、敵だから、戦だからであるということを超えたなにかがあったからだ。
それを口にしようとして――、遮られた。
『これから、この放送までに命を落とした者達を告げる』
* * *
内容を信じるなら、それは最悪の一言に尽きた。
先ほど目撃したカミュの姉――オンカミヤムカイの第一皇女たるウルトリィ、トゥスクル皇ハクオロの実質的な親族に近いアルルゥ、
……そしてグラァの主であるオボロの、その妹君であるユズハが命を落としたらしい。よりにもよって、としか言い様がない。
いずれも戦闘能力が低く、戦ともなれば真っ先に命を落としかねない人物ばかりで、誰かが護衛についていなければこうなるだろうという予感はあった。
直接的な責任はないとはいえ、守るべき対象を見つけられないままこの時を迎えてしまったことは、グラァには痛恨事であった。
まずいのは、今の通達で影響を受けるであろうカミュがどのような行動を起こすか予測できないことだ。
通達はなされたとはいえ、にわかには身内の死を信じたくないというのが人というもの。事の真意を確かめようと動きを早めることもあり得る。
そうなってしまえば合流はますます困難になる。今だからこそまとまって行動することが必要なはずなのに、離れられるとさらなる死を招きかねない。
合流しなければ――。そう考え、ミチルにも促そうとしたグラァだったのだが、変化は既に彼女にも起こっていた。
「うそ……よっち……このみ……?」
一目ではっきりと分かる、色をなくした表情。力なく垂れ下がる両腕。それはグラァにとって飽きるほどに見慣れた光景でもあった。
焼ける家。血を流し、倒れ伏したままの大人の側で、その子供がひたすら体を揺さぶっている。着の身着のままで、ガリガリに痩せ細った老女が定まらぬ足をふらふらさせている。
戦が起こる場所ではよく見かける光景だ。彼らは一様に、今のミチルのような表情をしているのだ。まるで禍の神がそうしたかのように皆精気を抜かれたようになる。
『親友なら、いるけど』
少し話したとき、ミチルがそう言っていたのをグラァは思い出す。呼ばれたのだ。よりにもよって、とグラァは二度目の感慨を抱いた。
付け加えなければならない。大切なものを失った人は、二種類に分かれる。目の前で起こったことを信じられず、泣き叫び、怒り狂い、目の前を否定しようとするもの。
もうひとつは、まさに眼前のミチルがそうなっているように、一切の気力を削がれて虚ろとなるもの。
……そして両者に共通するものもある。
それは、こうなるとしばらく人間としては使い物にならなくなることだ。
まともな判断、まともな行動、一切合切が期待できない。民草に関わらず、兵士の間でもよくあることだった。
グラァが経験則として覚えたことの一つに、こういうものがあった。
そうなってしまった奴は捨て置いた方がいい。構うと余計な傷を追うどころか、致命傷にだってなりかねない。
錯乱した奴の処置は自分が責任を負うところではないし、領分でもない。戦士の役割は敵を倒すことだ。だから、自分にはどうにもならないから捨て置く。
ただ戦い続けてきたグラァの、それは鉄則にも等しいはずの経験則のはずだった。
こうなってしまったからには仕方がない。連れて行く価値を失くした人の処置は自分の預かり知るところではない。
――では、それでは、敵とは何だ? 捨て置いて、誰を殺しに行く? 彼女は……誰が守ってくれる? 戦を知らない彼女を、誰が。
離れれば、ふたりだったものはひとりだ。誰も助けてなんかくれない。
「……しっかりしろ!」
グラァは、ミチルの肩を揺さぶった。刻がその間にも過ぎてゆく。彼女よりもよほど近しい人がすぐ近くにいて、探さなくてはならないのに。
それでもグラァは、ミチルを一人にすることができなかった。理屈では辿りつけない正体不明の感情に突き動かされて、グラァは正気を呼び戻すように怒鳴った。
優しい言葉なんて分からない。慰める術なんて分からない。ついこの間までただの戦士でしかなかったグラァは、感情に任せて動くことしかできなかった。
「このままでいいのか! このままだと、死ぬぞ! 何もできないまま!」
「あ……」
怯えた視線がグラァを射る。先程とは全く別種の、虚無の底でうずくまりたい彼女の意思がそこに見える。
見たくない。見させないで。憶測でしかないが、そういったものを含んでいた。
知った事か。吐き捨てて、グラァは耳を塞ごうとするミチルの両腕を掴んで言葉を続ける。
「目を閉じて耳を塞いだらそこまでだよ……!」
「そんなのは……っ!」
分かっている、とでも言いたげに掴む腕を振り解こうとしたが外れない。外さない。
細腕に似合わぬ相当な力に一瞬たじろぐ挙動を見せたミチルだが、雰囲気は変わらなかった。
むしろ、グラァを忌々しく思う感情が上乗せされたようで、下唇をぎりっと噛んで「分かるもんか」と震える声で抵抗する。
「人を殺すのを当たり前にしてきたお前に……しん……」
そこまで言い、後は言葉にできなかったミチルは、打って変わって途方に暮れたような表情となってうなだれた。
親友を失った私の気持ちが分かるもんか。類推するに、そういうことを言いたかったのだろうとは伝わる。
言い淀んだ理由までは分からなかったが、少なくとも発せなかったのは、彼女がやさしいからなのだろうとグラァは思った。
恨み事すら満足に吐けないやさしさ。きっとそれは彼女だけが持ちあわせているものではなく、彼女の國に住む人に基本的に備わっているものなのかもしれない。
「……僕は、敵を殺しに来たんじゃない。君を、ミチルのような人を守るためにここにいる」
「なにを……」
「『敵だから殺すのか』……。その答え。敵と見たら殺して、そうでなくても邪魔なら放置して、それじゃあいつと変わらない……」
ミチルと視線を合わせる。うなだれていたので腕を拘束しつつ見上げるようなおかしな格好になってしまっているが、この答えだけは正面から伝えなくてはならなかった。
命令ではなく、大義名分のもとにではなく、己自身で考え出した答えだった。
「僕は確かに、殺すことを何とも思ってないけど……。誰のために命を使うかは僕が決める。多分、これは、命令でも変えられない」
「……なんで、私なんだ」
「なんで……?」
「よっちもこのみもいなくなって、もうどうすればいいか分からない私に、何の価値があるんだ。私より大切な人だってグラァにはいるだろう……?」
それでも、私を守りたいって言うのか。途方に暮れたままの、親を失くした子狐のような瞳がグラァを見据える。
確かに、それはそうだ。ミチルは出会って間もない上、重ねられた恩の数で言えばオボロにも遠く及ばない。
グラァの知る価値観で言えば、ミチルの順位など下から数えたほうが早い位置でしかないのだろう。
「……でも、ゆっくりいこうって、言ってくれたから」
きっと一人のままであれば。やっぱりあの時言われたことは正しかったのではないかと思い、敵は誰なんだ、殺すべきは誰だと考えていたのかもしれない。
ミチルがそれを押し留めてくれた。ミチル自体に価値はなくとも、彼女はグラァの価値観を変える切っ掛けになった。
「無理は良くないって、言ってくれたから」
グラァがそう言うと、ミチルは目を見開き、やがて何かを悟ったような顔になって「酷いことを言う……」と呟いた。
「そんなことを言われれば……立ち上がるしかなくなる……」
殺し文句だ、と付け加えられた。グラァ自身にそこまで気障なことを言った覚えはなく、ミチルの声に戸惑うしかなかった。
「離して。もう平気……、それに、近い」
「あ、ああ……」
言われてみれば、両腕を拘束した挙句に息のかかる距離まで近づいて話していた事実に気付き、グラァは慌てて手を離して距離を取った。
もしかすると、状況があまりにも気障なのではなかったか? 思い返せばそんな気がしないでもなく、グラァは赤面する思いがこみ上げてくるのを感じた。
「……そっちが照れてるのはおかしい」
「い、いや……」
言葉に出来なかった。それを見て取ったミチルが、苦笑混じりではあるが表情を崩す。
色が戻った彼女に安心する思いが生まれないではなかったが、それ以上に落ち着かなければいけないのは自分だと言い聞かせ、
グラァは染まりかけた顔を二、三度叩いて仕切りなおすことにした。
「……本当にもう大丈夫? 僕についてこれる?」
「平気……。そっちこそ、私についてきていいのか?」
一瞬首を傾げたが、合点がいった。ミチルを守ると言ったのだから、形式的にはグラァがミチルについていくということなのだろう。
もちろん彼女だって本気でそう思っているわけではないだろうが、一歩先に進むための、それは儀式のようなものなのかもしれなかった。
「うん。僕が君を守る」
だから簡潔にそう言ったグラァだったが、あまりに真っ正直に言ったからなのか、ミチルは少し戸惑い、それでも嫌ではなさそうな微妙な表情になった。
慣れていないのかもしれない。
「……やっぱり、殺し文句だ」
ぼそりと、返事なのか独り言なのか分からない言葉が来るだけだった。
【時間:1日目午後18時00分ごろ】
【場所:C-6】
グラァ
【持ち物:ベナウィの鉤槍、水・食料一日分】
【状況:健康。守れる人を守る。17:30ごろC-5上空に見えたカミュともう一人に合流する】
山田ミチル
【持ち物:コルト ガバメント(9+1/9)、.38Super弾×54、水・食料一日分】
【状況:健康。グラァについていく】
最終更新:2015年03月21日 19:39