この殺し合いの開始直後、催しの裏にキュゥべえの存在を察知したまどかは、殺し合いを終わらせるために契約の合意となる言葉を叫んだ。
だが、それには何の返答もなく、契約という最終手段ですら無力と化したという事実が突きつけられたのみだった。
だからこそ、この殺し合いの裏にあるのはキュゥべえの目論見ではないのだと、そう思っていた。だが――そうではなかった。放送を担当していたのは、『シャドウ』というよく分からない言葉こそ発していたものの、紛れもなくキュゥべえであった。
さて、放送よりも先に戦場へと駆け出した杏子の後に続いていた、鹿目まどかと弓原紗季の二人組は、紗季の指示により放送が始まったことでいったんその足を止めていた。放送でいかなる情報が開示されるか分からない。戦場でそれを冷静に聞く余地は無いだろうし、役割分担を考えるなら自分たちが率先して放送を聞いておくべきだと思ったのだ。
そして結果的に、その判断は正解だったと言える。放送の中途、虚ろな目でまどかが呆然と立ち尽くすその様を、戦場の中で晒すことがいかなる危険を招き得ていたか、想像に難くない。
(7人……多いとも少ないとも言い難いところね。)
情報交換した相手が多かったこともあり、大まかに知っている人物の名前はいくつかあった。ヒナギクの知り合いが一人、滝谷やファフニールの知り合いが一人、そしてまどかの友達であり、杏子が命を賭けて助けようとしていた少女の名もまた、呼ばれてしまった。
幸いかつ不幸にも、紗季の知る名前は呼ばれなかった。九郎や岩永が死んでいないのは喜ぶべきだけれど、ヒナギクやファフニールとの交戦で消失したという鋼人七瀬も、やはりというべきか、生きていた。
とはいえ岩永以外は、不死の力を持つ者たちが生きているという当然の帰結でしかない。彼女の無事に安堵しなくてはならないのもどこか癪ではあるが、少なくとも死んでいてほしいわけではない。ひとまずは良しとしよう。
(でも……今放送で呼ばれたトール、だったかしら……この子もファフニールさんと同じ、ドラゴンって言ってたわよね。)
伝承には地方性があるとはいえ、ドラゴンを虚弱な生物として語るものは無いだろう。それほどまでにドラゴンと力とは強く結びついた概念だ。そんなドラゴンを殺せる者がこの会場にいる。杏子と同じ規格外の身体能力を持つ魔法少女を殺せる人物も、いる。
(はぁ、ほんと、勘弁してよ……。)
物理的な危険性の比較的少なそうな河童相手にすらあれだけ遠ざけようと努力してきたというのに、鋼人七瀬事件に続いて、結局このようなものに巻き込まれている始末。というよりは、現に本人が参加している以上、これも鋼人七瀬事件の続きのようなものなのかもしれないが。何にせよ、割に合わない、と。そう思わざるを得ない。世の中には、私なんかより刺激的な出来事を求めている人はごまんといる。職業柄、世の中の平穏さに馴染めず刺激を求めて道を外してしまった人々を多く見ている。河童もアイドルの亡霊もドラゴンも、そういった存在を前にすればむしろ群がっていきそうな人間はもっと他にいただろうに。
「……さやかちゃん?」
唐突に、まどかの側から、叫び声が聞こえた。もう、ここにいない友の名を呼ぶ声が。その目線の先を追うと、そこに立っていたのは、青髪の――少女、だろうか。呼ばれた名前に戸惑うように、キョトンとしたまま立っている。
「あっ……ごめんなさい、友達と間違えて……。」
美樹さやかは、死んだ。それはかつて、まどかが受け入れた現実である。二度目となるその通達を、まどかは受け入れていないわけではない。だが、中性的な顔立ちに、ショート気味の青髪。眼前に現れた潮田渚をそう見間違うのも無理のないことだった。
「ううん……それより鹿目さん、だよね。巴さんから聞いてる。」
「マミさんが!?」
杏子ちゃんに続いて見付かる知り合いの手がかり。本来は死んでいるはずの、という枕詞も共通のものだ。
「っ……それじゃあ、向こうで戦ってるのって……」
「うん。僕たちを襲撃してきた敵の相手を、引き受けてくれて……。」
それまで、戦場から聞こえてきたティロ・フィナーレの銃撃音がマミのものであると、まどかは気付けていなかった。だが、マミと同行していたらしい渚の来た方向と、証言。これだけ様々なものが噛み合いながら、なお気付かないまどかではない。
「ところで気になるんだけど……巴さん、中学生とは思えないくらい、動きが人智を超えてるっていうか……。いったい、どんな訓練を受けてきたの?」
「あ……それは……。」
渚からの疑問に、言い淀むまどか。ここが殺し合いの場であることを差し引いても、その理由――彼女が魔法少女であることについて話していいものか、迷っているのだ。
情報共有したはずの相手が知らないということは、マミさんは自分が魔法少女であることを積極的に話してはいないということだ。もし、マミさんが魔法少女であることを迂闊に話して、それが彼女の絶望を後押しする羽目になってしまったら?
その躊躇が、まどかの口をつぐませた。
「話せないなら、無理にとは……。」
一方で――まどかの躊躇は、渚には別の意味に受け取られた。
巴さんが隠していた、未知なる力。元よりの知り合いであるらしい鹿目さんは、それを話そうとしない。恐らく――鹿目さんも、巴さんと同じ力を持っているのだろう。
初対面で信用が無く話してもらえないのは当然だ。僕だって、殺し屋としての技術を隠している。でも、この世界にいる人たちが、虫も殺さぬ顔で鋭い刃を隠し持っている光景を、僕は何度も目にしてきた。
「ええっと、ところでだけど。あなた、潮田渚くん、よね?」
鹿目さんと一緒にいた女性から、唐突に呼ばれた名前。名簿は写真付きで全員に配られているのだが、その写真を見て、といった様子ではなさそうだ。
弓原紗季というらしいこの人がどうこうというわけではないのだが、凛とした顔立ちやボーイッシュな短髪。どうしても母親のことが頭にチラつき、苦手な人だ、と本能的に感じた。
……と、そんなことよりも、だ。
「誰か知り合いと出会ったんですか?」
情報共有をする程度に和合しながらも、その相手は今この場にいない。もしかして、茅野か、烏間先生か……。
「まあ、そうね……。あなたにとって喜ばしくはないかもしれないけど……あなたのことはこの子から聞いているわ。」
と、差し出された手には、スマートフォンが握られている。まさか、と思い画面をそっと覗き込む。
「おはようございます、渚さん。」
液晶に映し出されていたのは、『支給されました』と書かれた看板を掲げた紫髪の少女。ビデオ通話とかじゃないってことを、僕は知っている。
「律……なんでこんなところに……。」
「姫神にインストールされ、こちらの端末に支給品としてお邪魔しています。……律は持ち主に付き従う立場ゆえ、あなたのこともお話ししました。」
「申し訳ないけど……こんな非常事態、得られる情報は少しでも欲しかったの。律からは色々と取り調べさせてもらったわ。その……"暗殺"のこととかも。」
――ドクンッ……
鼓動が高鳴った音が、聴こえたような気がした。
鹿目さんはマミさんのような未知なる力を秘匿しているのに対し、向こうには自分の得意分野を含め、色々と知られてしまっているのだ。
「そう、だったんですか……。」
本当にこのままで、いいのか。暗殺という石で研がれた僕の刃は、正面戦闘に持ち込まれた瞬間、ただのなまくらに変わる。
もしも、もしもだ。
何らかの要因が重なって、誰も殺さずにこの殺し合いを脱出することができたとしよう。それが理想なのは間違いないのだけど、きっとその僕は、脱出に大した貢献はできていないだろう。首輪を解析する技術も、姫神やキュゥべえの下に辿り着くだけの推理力も、僕には無い。地球を救うために身に付けた力を発揮することも無く、ただ誰かの技術に乗っかって。そうやって偶然助かった僕に、殺せんせーを暗殺して地球を守れるのか?
そしてもしも、そんな技術を持っている誰かが居なかった場合。その時は脱出なんてできるはずもなく、結局は最後の一人になるまで殺し合わされるのみだ。そうなってしまえば、やることは暗殺ではなく戦闘だ。烏間先生を殺せる人間がいる中で生き残れるはずなんてなく、残るのは、茅野や烏間先生のように、放送で通達されるただの文字の羅列。
けれど、現実。すでに僕が"暗殺者"であることは、二人に知れ渡っている。律がどれほどの精度の情報を与えたのかは定かではないけれど、その度合いによっては、僕の考えすら、とっくに分析され見透かされているかもしれない。"暗殺者"という僕の刃すら、現に刃こぼれしかかっている。そんな懸念と共に、おそるおそる、紗季さんの方を見た。
(……いや、違う。)
そして――気付く。
これは、僕がこれまでに何度も見てきた目だ。僕という人間の、表面を知ったその上で――期待も警戒も、していない者の目。それが力あるゆえの驕りなのか、別の理由があるのかは分からない。だけど――
もう一度、心臓が跳ね上がる。
(――殺れるかもしれない。)
だって、この人たちにも――暗殺者(ぼく)の姿が、見えていないから。
いや、きっとこの人たちが普通なのだ。力があるのに、見下さず同じ視点から真っ直ぐ僕を見てくれた、防衛省の先生も。同じエンドのE組の立場で一年近くも、僕の隣で同じターゲットを狙っていた少女も。
もう、この世界から脱落してしまった。あんな人たちの方が、むしろ特殊なのだ。もう帰ってくることのない、どうしようもなく幸せだった日々たち。
……ようやく、分かった。
ああ、そうだ。僕は――誰かに見て欲しかったんだ。
見放されて、期待も警戒も、認識すらもされなくなって。ただ、上に立つ者に足蹴にされるだけの人生。殺せんせーは、そんな僕を、僕として見てくれた。
殺せんせーを殺せば、地球を救える。それはまさに、正義とでも呼ぶに相応しい、立派なことだ。だけど僕は、地球の終わりとか、そんな想像も及ばないことを防ぐために頑張ってきたのではない。ただ、あの先生の教えに報いたかった。
先生が見つけ出してくれた、僕の暗殺の才能。それを、最後に見てほしい。
――他でもない僕が、僕自身の手で、殺したいんだ。
確信がある。この殺し合いは、僕を殺し屋として成長させてくれる。僕に、殺せんせーを殺させてくれるだけの殺意をくれる。事実、この殺し合いに巻き込まれることなく、この本心に気付けなかったとしたら――僕はきっと、殺せんせーを殺さずに地球を救う道を、模索していたことだろう。
僕は、気分が悪くなったかのように唐突に、その場にうずくまった。実際に気分は決して良くなかった。胃の中のものを全部吐き出せたら、幾分かは楽になれるだろう。もちろん、貴重なエネルギーを戻すようなことはしていられないのだけれど。
「――■■■!?」
「――■■■■■!」
僕を心配して駆け寄ってくる二人の、慌てるような声がした。でも、いっぱいいっぱいでよく覚えていない。
「え゛…………」
覚えているのは、うずくまってお腹の下に隠して取り出したナイフを突き刺した時の、鹿目さんの声にならない声、それだけだった。マスケット銃を生成する巴さんの不思議な力に類する能力を持っているであろう人物。確実に殺せるように、一撃で喉を引き裂いて。
何も事情が掴めないまま、鹿目まどかは血溜まりの中へと沈んでいく。
「いっ……いやぁぁぁぁ!!」
ようやく事情を飲み込めた紗季さんが、一拍子遅れて叫ぶ。本当はそんな暇もない程度に、一瞬で二人とも殺せたら良かったのだろうけど、人から刃物を引き抜くのが思ったよりも硬くて、即座に斬り付けられなかった。
実際に経験しないと分からない、人を殺すという重み。やっぱりこれまでの僕は、とても殺し屋として完成されているとは、言えたものではなく。鹿目さんの首筋からナイフを引き抜いた頃には、紗季さんはすでに数歩引き下がって、一定の間合いができていた。
「ああ……鹿目さんっ……!ㅤどうして……どうしてこうなるのよっ!」
仮にも、日頃から有事に備えた訓練を行っている警官である。錯乱はすぐに収まらずとも、渚の想定よりも早く平静を取り戻しつつあった。
鹿目さんの血に染まったナイフを手に取った渚は、紗季の方向へと向かう。
対刃物の訓練は受けている。迫り来る刃。一直線に、向かってくる死の象徴。格闘術で弾いて――
錯乱しつつも冷静に、最適解を導き出していく紗季。そんな彼女の解答を、掻い潜るかの如く。
「――えっ……?」
ナイフは、突き刺す射線上の中途で、私に届くことはなく。渚の手を離れ、地面へと落ちていく。
助かった?ㅤ何故?
様々な疑問が瞬時に駆け巡る。
次の、瞬間。
――パァンッ!!!
盛大な爆音をかき鳴らしながら、紗季の眼前で何かが弾けた。ナイフという死と直結する脅威を前にして、集中していた意識に直接ぶつけられた音という名の爆弾。
――クラップスタナー、すなわち猫騙し。
熟練の殺し屋ロヴロから直々に教わった、戦闘を暗殺へとスワップさせる渚の必殺技である。
殺し屋にとって、"必ず殺す"を意味する必殺技という単語は、決して軽くない。ただの柏手を、音の爆弾に昇華させるまでの訓練が常に成されてきた。
何が起こったのかも理解出来ぬまま、メスを入れられた緊張の糸が切れるままにその意識を瞬間、失わせて。
殺し屋はその瞬間を、逃さない。流れるように、もう一本の凶器を取り出す。それは、基本支給品として全員に支給されている鉛筆だった。
「っ……!ㅤああああああああああっ!!!」
それ自体は殺傷力からは程遠い。しかし、鋭利さを備えたそれは、狙い済ましたかのごとく紗季の目を一突きに貫いた。
「……ごめんなさい。すぐ、楽にしますから。」
片目を失い、その場に倒れ込んで痛みに悶える紗季を救えるものなど、何も無かった。一度落としたナイフを拾い上げるにも、充分すぎる時間。
「――――っ!」
せめてもの、慈悲だろうか。心臓を一突きにされた紗季は僅かな時をじたばたともがき苦しんで――間もなくして動かなくなった。
弓原紗季は、普通の人間であった。
河童、人魚とくだんの混ざり物、知恵の神、想像力の怪物――彼女はあまりにも多くの人ならざるものと関わってきた。
そしてそれは、この世界においても例外ではない。魔法少女に、ドラゴンに、超科学。
人知を超えた存在たちは確かに、普通の人間でしかない紗季の常識を塗り替えていった。自分の命を奪い得るのはそういった存在であると、そんな固定概念に無自覚に縛られていた。
なればこその、視野狭窄。
鉛筆一本あれば、人の視力を永久に喪失させることができる。原始的なナイフが一本あれば、魔法少女でなくとも、ドラゴンでなくとも、他人は殺せる。そんな、当たり前のことが紗季には見えていなかったのだ。彼女と同じく、普通の人間に過ぎないと律から情報をなまじ得ていたからこそ、渚は彼女の警戒対象から外れてしまった。
渚はたった今殺した二人の死体から、支給品を漏れなく回収していく。クラスメイトが入った端末も、例外なく。
「……渚、さん。」
画面の中の律は、戸惑うような声を出力しつつも、変わらず笑顔を浮かべている。E組との協調にあたって、表情は明るい方がいいと殺せんせーからプログラムされた、笑顔を。
「律、怖い光景みせちゃってごめんね……。でも君は……持ち主に付き従うって言ってたよね。」
「……私個人としては、あなたの選択が正しいものなのか、即座に判断はしかねます。」
律は、先ほどまで殺し合い脱出派のために主催者たちの考察を算出していた。それは、少なからず律自身の人格によるものもあっただろう。
「ですが――」
だが、それ以前に――彼女はあくまで、支給品である。
「――それがあなたの選択であるなら、いち支給品である私はそれに従うのみです。」
それを受け渚は、静かに返す。
「……うん。これは誰かの意思じゃない。僕が、決めたことだよ。この殺し合いで優勝して、殺し屋としての研鑽を積んで……そして殺せんせーを、殺すんだ。」
「承知しました。それでは――共に参加者を、殺害して参りましょう。」
電子音声が、朝の平原に不気味に鳴り響く。
たった今、二つの命が喪失したというのに。歩みを進める二人の顔は――まるで通学路を歩く男女のように、晴れやかだった。
彼らは、"殺し屋"。
これまでも、そして、これからも。
最終更新:2022年10月13日 01:30