ㅤ初めは、ただの興味だった。ひとまず"勝ち馬"を高いところから探すため、『展望台』を目指して移動していた漆原と花沢。その道中、誰かが膨大な魔力のような何かを放出するサマが遠目に見えたから、寄り道がてら様子を見に行ったまでだ。

ㅤ漆原と花沢、どちらにとっても知っているヤツの攻撃じゃ無かったし、殺し合いに乗っているヤツがいるのだろう、程度の認識。佐々木千穂が殺された地点で魔王も勇者も、姫神の言うことなんざ決して聞きはしない。影山茂夫は、元よりこんな催しに乗る性格ではない。そういう意味で、二人の探し人はどちらも信用されていた。

ㅤだからこそ、目の前の光景が信じられなかった。遊佐が殺し合いに乗っているというだけでなく、そのターゲットが悪魔でもその他の異形の類でも何でもない、人間であるということに。

「どうしちまったんだよ。」

ㅤ漆原から遊佐へのこの問いは、二度目だ。一度目は、日本で宿敵のはずの遊佐と真奥がまるで腐れ縁のように馴れ合っていた時のこと。高潔なる勇者と残虐無慈悲なる魔王は何処に消えたのか、困惑を込めてそう尋ねた。そして今回は――その時とは真逆の意味合いで用いられている。しかし、一度目よりもいっそう驚いている自分がいた。

「佐々木千穂が殺されたんだぞ!ㅤそれなのに……お前は、そんな奴じゃなかっただろ!」

「黙れっ!」

ㅤ遊佐の全てを理解していたとは思わない。何千、何万年という天使の寿命の中のたかだか数ヶ月を共にしただけだ。何かのキッカケで人は変わる。聖なる加護を得た天使ですら退屈を前には堕天した。いわんや、遊佐は勇者とはいえ人間。変わることだってあるだろう。

ㅤ勇者が悪魔を攻撃する、それはハブがマングースと戦うくらいに当たり前の事象だ。心変わりの範疇で有り得るものではあると、理論上は理解している。だけど、それを認められない自分もいた。

ㅤ遊佐は漆原の方を向くと、迷いも見せず斬り掛かる。木刀・正宗を介して暴走した怒りが、本質的に向いている先にいる存在。思い出よりも怒りが先行する。したがって、誰よりも率先して斬り伏せにかかる。

「天光炎斬っ!」

「おい、せめて話を聞けって!」

「天光風刃っ!」

ㅤ狂乱、されど一心不乱。長きに渡る過去の宿命と、その期間に負けない程度には積み上げてきた思い出、その両方をふるい落とすかのように遊佐は斬撃に身を任せる。

ㅤ戦いたいのか、戦ってもいいのか。思考はもはやぐちゃぐちゃだ。戦い――否、戦いですら無いのかもしれない。とにかく目の前の現実に身が入らない。遊佐の斬撃が既に眼前に迫っている。こんな形での決戦なんて、お前も望んでいなかっただろうに。

「漆原さん!」

ㅤ気が付けば、漆原を据えていた木刀・正宗がいくつもの線状の念動力の塊に絡め取られている。その力の主は花沢。変わり果てた遊佐と元からの知り合いでなく、誰よりも客観的に現状を俯瞰していた彼は、かつて寺蛇からラーニングした空鞭(からぶち)で漆原への攻撃を遮る。

ㅤ遊佐が剣をさっと凪ぐと、一瞬で全ての空鞭が解かれる。格下に用いるべき空鞭では、今の遊佐は止められない。

「感傷に浸ってる場合じゃ無いみたいだよ。」

ㅤしかし、漆原が覚悟を決めるまでの刹那の時間稼ぎには充分だ。

「……悪い。」

ㅤ目の前にいるのは、かつて敵対したエミリアでも、ましてやかつて共闘した遊佐でもない何かだ。信じたくないが、認めざるを得ない。

「でもここからは僕も、ちゃんとはたらくよ。」

ㅤ背からは堕天使を象徴するかの如き黒く染まった翼。背丈の低い漆原が持てば頭に届くほどのリーチを持つ三つ又の槍<トライデント>を自身の一部のごとく振り回す。人間、漆原半蔵ではなく、悪魔大元帥ルシフェルとしての頭角を現した。紛うことなき臨戦態勢である。

「あは……あはははははっ!」

ㅤ人が恐れ、畏怖するべき悪魔。それを見た遊佐は、高らかに笑う。いつもの遊佐とは明らかに違う様子だ 。武器を叩き付けるかのように荒々しい剣技も、繊細にこちらを詰めるいつかの遊佐のそれと大きく違っている。

(だから別人だと割り切れればいいんだろうけど。)

ㅤ生憎、白髪を揺らめかせるその姿は紛れもない勇者エミリアだ。

(まったく、やりにくいったらありゃしない。)

ㅤ確かに武器の相性だけで言えば、リーチの問題で槍は剣に強い。しかしそれは命の取り合いである場合に限る。

ㅤ最終的に遊佐を殺せと言われれば、漆原はそれを実行出来るだろう。だが、その場合は遊佐に何が起こったかを知る数少ない手がかりを失うこととなる。それに――仲間とまでは呼べずとも、少なくともある程度は"味方"であったはずの遊佐を殺すのは好ましくない。現状は殺意があるのが遊佐だけである以上、リーチの差は有利にならない。むしろ近距離に入るのをどうしても許してしまう分、槍側の不利とさえ言える。

ㅤ漆原の繰り出す槍を潜り抜け、懐に潜り込む遊佐。

「させるかッ!」

――サイコ掌打

ㅤそこに花沢が割り込み、遊佐へ念動力を叩き付ける。人数だけは明確に遊佐に勝っている点だ。吹き飛ばされた遊佐は草原を転がり、しかし痛みも感じさせぬような勢いで起き上がり、再び漆原へと斬り掛かる。

「僕のことなんて眼中に無いとでも言いだけだね。」

ㅤ攻撃しても、攻撃しても、相手は決して自分を見ない。視線だけではない。相手の世界に、ハナから自分という登場人物が居ないかのように。相手から見た自分が、"その他大勢"ですらないような疎外感。突き放されたような孤独――花沢の脳裏に映るのは、一人の男の姿。超能力以外の自分がいかにちっぽけな凡人であるかを思い知らされた大切な出会いであり、しかし同時に心の底に渦巻くトラウマでもある邂逅。

「でも君は、彼の領域にはほど遠いよ。彼は、人を傷つけるような人間じゃない。」

ㅤ花沢が向けた手のひらの向く先の空気が爆ぜる。しかし手応えは無い。爆風の勢いをも利用した天光瞬靴により漆原の背後に回っていた。

(眼中に無いどころか、戦闘環境として利用されている……!?)

ㅤ漆原が"勝ち馬"と謳っていただけのことはある。2対1の状態でも上手く立ち回れる戦闘センス。相手の技を利用して自分の利に落とし込む適応力。まるでこれまでの人生を戦いだけに費やしてきたかのように、その全てが高い水準にある。

「天光炎斬っ!」

ㅤそのまま繰り出されるは瞬間火力に秀でた渾身の一撃。

(だけど、負けるわけにはいかないんだ。)

――重層バリア

ㅤ次の瞬間、漆原に何重ものバリアが貼られる。

ㅤ一枚、二枚、三枚……瓦のように砕けていくバリアも、漆原の振り向きざまの反撃も合わせて遊佐の斬撃を防ぎ切る。

「ふっ……やっと気づいてもらえたみたいで嬉しいよ。」

ㅤそのバリアの源が漆原ではなく、"もう一人"にあると分かり、遊佐は花沢を睨み付ける。

「どうやら僕でも、君と同じ舞台には立っているようだ。」


(これは……助かった……のか……?)

ㅤ一方、遊佐から殺される直前でその矛先を変えられ、小林はどう動いていいやら分からずにいた。小柄な少女とはいえ、傷の浅くない伊澄を抱えて遠くに逃げられるほど力持ちではない。

ㅤ迷っていると、伊澄が掠れた声で何かを伝えようとしているのに気付く。

「あの人は、木刀・正宗に操られているんです。」

「木刀・正宗?ㅤ大層な名前だけど、要はあの木刀が原因ってこと?」

ㅤ伊澄は小さく頷いた。

「おそらくはあれを壊せば正気に戻るはずです。」

ㅤ勝機、というよりは誰も死なずに済む希望が見えてきた。乱入者との会話から察するに、旧知の仲であるようだ。元々の遊佐がどんな人物なのか、小林は知らない。しかし漆原の反応を見るに、殺し合いに乗っている方が不自然な人物であると推察はできる。

「その木刀を壊せ!ㅤそれで元に戻るかもしれない!」

ㅤ声の掠れた伊澄に代わり、小林が大声で伝達する。こちらの目標を遊佐にも聞かれてしまうが、あらゆる攻撃が目まぐるしく交錯するあの戦場に密談できる距離まで接近できる小林では無い。

「なーんだ、そんなことか。」

ㅤ小林のメッセージを受け取った漆原はあっさりと了承する。解決策のハードルがあまりにも低く、拍子抜けしたか。しかし幾分かは振るう槍も軽くなったように感じられた。

「分かりやすくていいじゃんか。倒すべきものがハッキリしてるなんてさ。」

ㅤシリアスな雰囲気醸し出して損したなぁ、と。洗脳された知り合いを前にしたにしては不自然なほどに軽口で、笑い飛ばす。改めて、目の前に存在する者が宿命の深い"聖剣の勇者"ではなく、ただ洗脳された凡人一人であることを、意識する。

「来いよ。聖剣以外を扱うお前に負けるわけがない。」

ㅤ聖剣――その名を聞いた瞬間、何かが遊佐の頭を駆け巡る。常に頭を支配しているこの感情。今まで、そこには別の何かの声が響いていたはずだ。それは、あの憎き魔王を殺すことを躊躇させる要因、そして思い出。己を母と慕うあの声を、遊佐は思い出せない。暴走する怒りの邪魔となる感情は、脳の隅に追いやられている。

「天光飛刃っ!」

「効かないっての。」

ㅤ槍の側面で飛ぶ斬撃を弾く。攻撃の精度はいつもより荒い。集中すれば、むしろ対処はいつもより楽であるとすら言える。

ㅤ漆原の魔力弾を縦横無尽に回避しながら、反撃の機会を伺う遊佐。撃てる魔力弾にも限りはある。遊佐ではなく、本当の敵のために温存したいのが本音だ。魔力と聖法気のぶつけ合いだと、お互いに消耗が激しい。

「あはは……ずっとこの時を待ってた……!」

「お前はもう……」

「父さんの仇と、どっちかが死ぬまで殺し合える……この時を!」

「……黙ってろよ!」

ㅤ聴きたくのない、遊佐の形をした何かとの会話を拒むように流された魔力の波。なまじ遊佐の出生を語り、少なからず彼女自身の願望が混ざっている言葉である分、それが木刀に膨張された感情であると分かっていても気分が悪い。

ㅤ遊佐は身を屈めたまま後進。余波を軽減しつつ距離を置く。だが、花沢がそれを逃がさない。

「引き剥がすよ!」

ㅤ両手合わせて十の指から、それぞれに空鞭を形成する花沢。一本一本の強度は足止めできるものでなくとも、敵の注意が自分にも向いた今、僅かにでも注意を逸らすことはできる。

ㅤ木刀・正宗だけでなく、両腕、両足、胴体――すなわち全身を拘束するために空鞭が迫る。

「天光氷舞ッ!」

ㅤその全ては一瞬で凍り付いた。魔を凝固させ、繋ぎ止める力は念動力に対しても存分に機能する。そして横凪ぎに一振り、空鞭がバラバラに砕かれる。

「今だっ!ㅤ漆原!」

「分かってるよ!」

ㅤ細かい氷塊と化した空鞭が崩れ落ちる道を、少年は翔ける。その手には一本の槍――かつては調和を護るドラゴンが扱っていた三つ又の竜槍。空鞭の対処に用いた木刀に向け、投擲する。

ㅤ花沢の念動力で後押しされた槍は又の間に木刀・正宗を括り付け、遊佐の手から木刀・正宗を剥がし、その先の地面に落ちる。

「――空突……閃!」

ㅤこのまま制圧する――そう思い進む漆原の腹に聖法気を込めた遊佐の拳が叩き込まれた。木刀にすら殺傷力を付与する聖法気。拳に纏えば、やはりそれも凶器となる。

「っ……!」

ㅤ媒体となった木刀・正宗を落としても、体内に明智の魔力は残っている。それが尽きるまで、遊佐の暴走は終わらない。そして、暴走する遊佐の身体能力は健在。

「ぐっ……!」

「死ね……漆原っ!」

ㅤ仰向けに倒れた漆原に、遊佐がマウンティングポジションを取る。先の一撃では止まらない。空突閃の雨、空突連弾への接続が始まる。

「させるかっ!」

ㅤ自由に動けるのは花沢のみ。空鞭で両腕を絡め取り、振り下ろされようとしている腕を止める。そこまでは成功した。ただし、そこから先は根比べ。

(力が……強すぎるッ……!)

ㅤ遊佐の元々の怪力に加え、精神暴走による破壊力の増強。空鞭が引きちぎられ、その拳が漆原に行使されるまで遠くない。

(でも、今お前は僕のことをルシフェルじゃなく、漆原と呼んだ。)

ㅤ遊佐の中で何かが変わろうとしている。エンテ・イスラの勇者ではなく、日本で生きた遊佐恵美としての心を、取り戻しつつある。

「負けるな、遊佐。」

ㅤ自分は悪だ。エミリアから父親を奪った魔王軍に所属する一人。彼女でないにせよ、決して少なくない人々の居場所を奪ってきた。許されようなんて思っちゃいない。

「僕のことなんか許さなくていい。真奥のヤツも、芦屋だってそうだ。」

ㅤだけど、それでも。日本で過ごしたあの日々が、空っぽだったなんて言わせない。得体の知れない洗脳なんかに、あの日々を塗り潰させなんかしない。

「だけど……聖剣の勇者以外に裁かれるなんてお断りだ。」

ㅤ天界に比べて出来ることは少ないけれど――少なくともあの世界は、退屈しなかったんだ。真奥や芦屋がいたからというだけではない。敵であるからこそ上下関係もなく遠慮なく接することのできた、お前たちが居たからだ。

「ぐっ……う……私……は……」

ㅤぽたり、と。遊佐の瞳から涙が零れ落ちた。媒体を失って弱まりつつある洗脳に抗っている。その様子を遠目に見て――花沢はある男のことを思い出す。

(影山君。彼女はあの時の君と同じだ。暴走する感情を、止めて欲しいんだろ?)

ㅤ空鞭に全てを込める内、次第に全身の力が抜けていく。それでも念動力だけは緩めない。己の内から込み上げてくる感情に必死に抗って泣いている遊佐の姿が、彼に重なったから。あの時、彼も泣いていた。暴走する力を止めて欲しいと願っていた。

(彼女からも君と同じ、心の底の優しさが伝わってくる。彼女の力を――人に向けさせちゃいけない……!)

ㅤ絶対に止めるという意志。後悔に由来する力は、100%(限界)を超えて発揮される。

「があああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

ㅤしかし、遊佐は止まらない。彼女の、救国の勇者たる功績。それは今は無き聖剣だけでなく、彼女自身の能力に由来するのだ。

ㅤ氾濫する感情。混ざり合って、溶け合って――そして暴走する。実家の畑を焼かれた怒りは。父親の命を奪われた怒りは。とうに限界など、超えている。

ㅤ突如、花沢の身体が浮き上がる。念動力の類では無い物理的な力。一瞬途切れた意識で、空鞭ごと持ち上げられ、振り回されていると気が付く。

ㅤまずい、と空鞭を消す。支点を失ったことにより、遠心力で吹き飛んでいく。そうして落ちた先は、小林と伊澄の居る地点の近く。怪我の浅い小林が心配そうに駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫?」

「あ、ああ……なんとか……。だけど、彼が……」

ㅤ念動力の大部分を浪費して、正直、立っているのも限界だ。だけど問題は、遊佐を漆原の前で自由にしてしまったこと。

ㅤ遊佐は再び木刀・正宗を拾い上げる。絶好の機会に遊佐を止められなかった――僕はまた、力が足りなかった。

「悪魔なんて……許さない……。仇を討つのは……今がチャンスなの……。」

ㅤ睨み合う漆原と遊佐。

「だ……け……ど……」

ㅤしかし、遊佐の様子がおかしい。あの漆原への執着にしては、邪魔者を吹き飛ばした今、漆原以外にターゲットとなりうる相手はいない。だというのに、漆原を殺すように動いていない。そして――

「私……こんな……決着……は……いらないっ……!」

――遊佐は殺意を、否定した。

ㅤまともに回らない頭だからこそ、最も素直で実直な言葉だった。様々に駆け巡り続ける因縁と感情の、その果てにあるただひとつの想い。それが今、引きずり出された。

「エミリアっ……!ㅤその剣を捨てろ!」

「ううぅ……私……私はっ……!ㅤく……うぐっ……!」

「おいっ!」

ㅤ遊佐は漆原に背を向ける。日本での様々な出来事が追憶となって、虚ろな脳裏に駆け巡り、決死の想いで怒りを抑え込んだ。一時的に木刀・正宗を手放したことも機能したか、或いは、佐々木千穂の死が怒り以外の感情をも揺さぶっていたか。

ㅤ何かが変わったのだ。遊佐を突き動かしていた動きの、何かが。まるで白昼夢の中にいるかのようにふらふらと、漆原から離れていく。



ㅤしかし――精神暴走は終わらない。

「……?」

ㅤその仕草が、あまりにも今までの精神暴走とかけ離れていたからこそ――何が起こっているのか分からず、漆原は判断が遅れてしまった。

ㅤ天光瞬靴――遊佐の視線の先にいる者たちに気付いた時には、既に手遅れ。漆原に最優先で滾っていた怒りが消滅した今、遊佐のターゲットなりうる者は――

「みんな、逃げろッ!」

ㅤ確かな実力を持って遊佐を妨害した花沢。力は無くとも、遊佐の前に立ち塞がった小林。そして霊力を用いる"悪魔"の如きゴーストスイーパー、伊澄――

「しまっ……」

「これ、マズ……」

「……っ!」

――彼らは全員、同じ場所に集まっていた。

「天光……炎斬ッ!!!」

ㅤ花沢も伊澄もガス欠、そして小林は実力不足。まさに一網打尽の布陣だった。

ㅤ明かりの点り始めた早朝の空を、煌めく紅炎が染め上げた。






ㅤここ数十分だけで、何回死を覚悟したか分からない。たった一つだけ言えるのは――私、小林は結局のところ、まだまだ生き延びているということだ。

ㅤ私に力は無い。何かをした記憶も無い。どう考えても、私の心臓が今も動いているのは、私以外の誰かによるものだ。

ㅤ視界が暗い。目をやられたのかと一瞬思ったが、間も無く何かが自分に覆い被さって影になっているのだと気付く。

ㅤそして次第に、暗闇に目が慣れていく。影を作っていたものの正体が明らかになっていく。

ㅤ小林は気付いた。自分を守っていたものの正体――"ドラゴン"に。

ㅤ役目を終えたドラゴンは霧のように姿を消した。その先に見えるのは、龍の形をした強大な力の塊とぶつかり合い、倒れた遊佐。そして、刀身が砕け、刀としての役割を失った木刀・正宗。そして、私と同じくドラゴンに守られていた花沢。

ㅤそして――タロットを掲げた伊澄。

「術式八葉上巻・神世七代(かみよのななや)……良かった、何とか間に……合っ……」

ㅤ糸が切れたように、伊澄はその場に崩れ落ちる。

「伊澄さん……?」

ㅤ返事は無い。元より霊力が底を尽きていた上で無理やりに呼び出した神世七代――足りなかった霊力は、生命力で補われた。さらにただでさえ負担の大きい必殺技。全てを終えた伊澄は間もなく、その命を枯らしていた。

「……僕たちは、この子に守られたようだ。」

ㅤ歯痒そうに、花沢が呟く。私から見れば段違いの能力を持っているはずのこの少年も、その根本にある気持ちは、おそらく私と同じ――無力感。

(そういえば、これは殺し合いだったんだなあ。)

ㅤそんなこと最初から分かっていたはずだった。それなのに、その実感は何故失われていたのか――少しだけ考えて、理解した。彼女が隣に居たからだ。殺伐とした世界も彼女の空気に引き込んでしまうような、マイペースかつ天然な少女――この世界を形作る悪意なんて言葉からは甚だ遠く、間違ってもこんな残酷な催しで死んでもいいような子じゃなかった。




ㅤゴーストスイーパーとしての才覚に恵まれて生きてきました。悪霊の除霊に苦戦したことはほとんどありません。力を持っているだけに、頼られ、必要とされ――それはもしかしたら幸せなことなのかもしれませんけれど。だけど本当は――ヒーローに憧れていたりもしていたのです。

ㅤヒロインがピンチな時は必ず駆け付けて、助けてくれるヒーロー。だけど私には、生まれもっての力があります。誰かのピンチに駆け付ける側の存在でしたから、いつしかそれは私には無縁なものと諦めていました。

ㅤでも、ハヤテ様と出会った時、思いました。この人は私のヒーローになってくれるんじゃないかって。見た目も、自分の身も厭わずに助けに来てくれたところも、小さい頃にテレビで見た特撮ヒーローにそっくりだったから。……と、まあ結局、ハヤテ様のヒロインは私ではなくナギでしたけれど。それでも、ずっとずっと、胸の片隅にひっそりと抱いてきた夢が、再び膨れ上がったような気がしたのです。

ㅤだから、嬉しかったんですよ。本当に不安だったあの時、あなたが死の危険を顧みずに駆け付けてくれたことが。あの時、私を助けに来てくれたことが。

ㅤきっとあなたは知らない。あなたの勇気に、どれだけ私が救われたことか。私だけのヒーロー、小林さま。守られることができなくてごめんなさい。だけど私は……あなたを守れてよかった。



【鷺ノ宮伊澄@ハヤテのごとく! 死亡】

【残り 40人】



最終更新:2021年03月09日 03:00