こんなの、怖いに決まってる。
悪い大人たちを相手にするのも、何故かモルガナの声を聞いた明智から捜査されているのも、殺し合いに巻き込まれたのも、全部、全部が怖い。
ましてや敵はメメントスを徘徊するあの超強力シャドウ。これまでは次のフロアまで逃げていれば何事もなく終わっていたけれど、しかし今回ばかりはそうもいかない。
ㅤ命をかけて戦ってる人がいるから。刈り取るものという圧倒的強者を前にして、今にも掻き消えてしまいそうな弱き者の声が聞こえるから。それを見捨てて逃げるわけにはいかない。弱きを助け、強きを挫くは怪盗の美学。友人を傷付けた鴨志田への、そして自分への怒りから芽生えた反逆の意志。今もなおそれに従って突き進むからこそ、杏のペルソナは彼女と同じく、前を向く。
「ペルソナッ!」
ㅤ掛け声とともに杏の背後に顕現した影――カルメンはアギラオを放つ。その狙いは当然、刈り取るもの。業火が敵の身にまとわりつき、死神は僅かに仰け反る。
(効いてる!ㅤうん……私たち、強くなっているんだ!)
ㅤ今はもう、鎖の音を聴くだけでモルガナカーを全力発進させて逃げていた頃とは違う。怪盗団も世間に注目され、操るペルソナも強くなっている。
「まだまだッ!」
ㅤ追撃とばかりに、手にしたマシンガンを乱射する。その一撃一撃は刈り取るものに対し決して重くはないが、しかし着実にダメージを与え続ける。それを脅威と判断したか、はたまた偶然か、刈り取るものの銃口は杏に向かう。
「ヤバッ……」
ㅤ同じ銃という業物を持ってしてもその性質は異なる。連射に長けたマシンガンとは違い、刈り取るものの長銃はその一撃で確実に相手の命を奪う。片腕と片方の銃を落としていたとしても、弾丸一発の脅威は何も変わらない。
「私が……相手だぁっ!」
ㅤその時、射線上に割って入ったエルマの剛力から繰り広げられる斧での斬撃が、刈り取るものの長銃とぶつかり合う。力という分野においてはドラゴンの中でも最上級のエルマ。刈り取るものがどれほど高位のシャドウであろうとも、エルマのドラゴンとしての力が大きく制限されていても、単純な力では正攻法で敵わない。長銃を押し退け、そしてエルマは食らいつく勢いでもう一撃を加えんと迫る。
――空間殺法
「なっ……!」
ㅤ瞬時に、刈り取るものはエルマの背後に回り込んでいた。同時に、エルマの身体に刻まれる裂傷。
ㅤドラゴンという種族は、次元が違う。己の強さに絶対の自信を持っているため、基本的に搦め手を用いないし、用いるまでもない。魔法の中でも比較的簡単な部類である『認識阻害』ですら、覚えること自体が軟弱と見なされかねない。そしてエルマも、さほど極端でなくともその例に漏れない。良くも悪くも純粋であるが故に、『スキル』に対しても真っ向勝負で挑む。
「痛ったあぁ……!」
人の基準だとどう見ても痛いで済む傷では無いのだが、エルマがドラゴンであることが幸いしたか。図らずもエルマの肉体は『タンク』として機能する。
「今だああっ!」
ㅤスキルを使った直後の隙を見出し、さやかが前線に立つ。裏付けるは、先ほどの応酬から来る経験則に由来する一撃入れられることへの確信。
「……!ㅤ何かが来る!」
ㅤその時、戦場を俯瞰していたカルマからかかる制止の声。しかし、すでに前進を始めていたさやかは止まれず。
「なっ……!」
――ブフダイン
ㅤ刈り取るものを取り囲むように、歪に尖った氷塊が降り注ぎ、さやかの身に突き刺さる。上方からの攻撃はソウルジェムに命中することはなかったが、右肩に受け、剣が持ち上がらずに刈り取るものには届かない。
「大丈夫?」
「むっ……すまん、助かった。」
ㅤカルメンのディアラマでエルマの治療を終えた杏はその超人地味た耐久力に驚きつつも、さやかの治療に向かう。しかしさやかは無用途ばかりに左手を突き出して制止し、自身の魔法で右肩を癒す。回復、と言うよりもむしろ再生に近いと杏は感じた。機能不全に陥るほどの傷を容易く治癒している。癒しを願いとしたさやかの魔法は、杏の扱う備え付けの回復スキルよりも効果が高い。
「さぁて、もいっちょやっちゃいますか。」
ㅤそして、何事もなく戦線に復帰するさやか。回復スキルの使い手として、自身より優れたモルガナを知っている杏はそれに何の疑問も抱かない。エルマも人間の魔法使いの存在は知っている。この催しに招かれているだけのことはあり、只人とは一味違う能力の持ち主だ。
しかし、刈り取るものはそれ以上に生物の規格を外れている。現状は誰も欠けることはなく、そして再び死線は繰り広げられる。アクシデントひとつで如何様にも崩れ得る危険な戦いだ。即死級の攻撃の合間に小さな一撃を当て続けなくてはならない。
その場では、この上なく戦いの緊張感が張り巡らされていた。
■
争いは嫌いだ。人と人が勝手に争って、おいしいものを作れる人間がどんどん死んでいく。
ㅤだから私は、それを禁じた。聖海の巫女として人の上に立って、人の枠組みの中で調和を保った。それが正しいと思っていたし、何より彼らが持ってくる料理がとてもおいしかった。
ㅤ杏から聞いた、『心の怪盗団』の話はとても興味深かった。かつての私のように信仰を糧に平和を生み出そうとするのではなく、悪をもって世を正すという発想。混沌勢のようなやり方で、調和を導くというものだ。仮にそれが叶うのならば、ドラゴンの勢力争いの構図すらも一変させかねない。
ㅤ信じたいと思った。権能ある者によって選定された人柱が世の理に抗おうと言うのだ。威信無しに世を変えること、それは私がやろうとも思わなかったことだから。
(戦う理由はそれでいい。だが、勝てるかと言われれば……。)
ㅤこの戦いの中でもエルマは唯一、刈り取るものの多彩なスキルと渡り合っていると言える。しかしそれ以上に、刈り取るものの基礎能力自体がエルマを上回っている。
杏もさやかも、力が一歩及ばずながら拮抗する戦局を耐え抜いている。
「……やっべ。俺、やってることかなり地味じゃね?」
ㅤそんな中、人の常識を超えたこの戦闘に、カルマだけが取り残されていた。
敵に殺せんせーのようなどうしようもない速さがあるわけではない。しかしトライアンドエラーで挑める殺せんせーとは異なり、ここでエラーをしようものなら次はないのだ。
(しかもアイツ、なーんか速くなってるし。)
ㅤ杏とエルマが乱入した辺りからか、或いは腕を斬り落とした時からか、刈り取るものの攻撃の頻度は目に見えて上がっている。しかも、その原因が分からないときたものだ。腕を落とせば殺せんせーの触手なら弱体化するものだが、人智を超えたこの化け物にも当てはまるかは不明。
分からないというのは厄介なもので、今が最大であるのかも不明である。これ以上速くならないという保証すらどこにも無いのだ。
仮に時間経過で成長していく怪物であるとするならば、手が付けられなくなる前に何としても今ここで倒しておかなくてはならない。仮説の正しさの検証すらできないままに、逃走という選択肢は失われている。
(んー、渚くんがいっつも殺せんせーの弱点メモとってたのも今なら分かる気がするなぁ。)
ㅤ思い出交じりの考察を遮るように、刈り取るものの銃口がカルマに向く。
「おっと。」
ㅤ飛び退いて乱射を回避。いつも殺せんせーの速度を追っているカルマ。それより遅い銃弾など、これだけの距離ならばまだ避けられる。だが、距離を詰めれば避けるのは不可能であるし、先ほど受けた超能力のような攻撃も連発されたら相当マズイ。
(やっぱ俺は指揮を執る方が向いているか。)
ㅤ魔法少女であるさやかは現にブフダインを耐えている。杏は背中によく分からないものを使役して戦っているし、エルマもあの攻撃を受けて五体満足ならば大丈夫だろう。だが、自分はただの人間だ。ちょっとした攻撃を受けようものならよくて致命傷、最悪の場合は死ぬ。全員生存を前提とするのならば、離れた位置で”ナビ”でもしているのがいちばんだ。
「……ってのは分かってるんだけどね。」
カルマのその手には、支給されたメリケンサック。カルマの力で人に振るえば、文字通り他者を殺しかねない紛うことなき凶器である。そして、銃弾の届かない遠距離では無用の長物にしかならない武器。装備し、そしてお互いの射程距離内へと向かっていく。
「さすがに女の子三人に丸投げして高みの見物決め込むわけにもいかないもんね。」
ㅤ普段の暗殺とは違い、ここは命賭けの戦場。さやかだけならまだしも、他二人は安全地帯から指揮を任されるだけの信頼を築いていない。皆が命を懸けて戦っている中、一人避難して口だけ出している奴を誰が信用できるものか。特に自分は渚と真逆、何かにつけて謀を警戒されやすいタイプだ。自分が背後に控えているだけでも杏とエルマが戦闘ばかりに集中できない可能性もある。役立たずであるならまだいい。いや、プライドの問題で決してよくはないのだが、それでも毒にも薬にもならないのなら及第点だ。だが、人死にのある戦場で足を引っ張るのだけは御免だ。
「まったく、何でそこで格好付けちゃうかなぁ……。そんで?ㅤ作戦って何よ。」
杏とエルマの乱入でなあなあになってしまったが、何か作戦があるとカルマは言った。(言語を解するかは不明だが)刈り取るものに聞かれず口頭で伝わる距離まで近づいてきたことでその話題を掘り起こすさやか。
「ん? ああ、あれナシで。」
「……はぁ!?」
「隙を見てアイツの銃口に何かしら詰め物でも詰め込んだら腔発起こして自爆してくれると思ったんだけどね、腕ごと斬り落とせる馬鹿力見せられちゃあ、そっちを頼りにするよ。」
「まあ、それはそうかもしれないけど……」
ㅤどんな作戦でも実行してやると息巻いたさやかとしては、どことなく毒気を抜かれた気分だ。
例えば、水場で殺せんせーを襲撃したイトナに対し水を以て対抗したように。例えば、殺し屋スモッグの所持していた毒ガスをくすねてグリップを撃破したように。カルマは使えるものなら敵のものだろうが構わず戦術に組み込んでいく。そこには自分のものを利用されて負けた相手の悔しがる顏を見たいという悪趣味な思考の癖も兼ねているのだが、この局面でそれを優先する道理はない。
エルマの怪力は使える、それがカルマの導き出した答え。実際、銃口にぴったり詰まるサイズのものを探し出すのもひと手間であるし、それを詰める瞬間はゼロ距離で銃撃を受けるリスクもある。それらを鑑みて第二の刃に即座に切り替える決断力も、暗殺者の素質の一つ。
ただ、カルマが抱いた――否、むしろ「押し付けた」とも言えるエルマへの期待。それには一つだけ問題があった。
現にその怪力を眼前で発揮しているのだから、妥当な期待ではある。しかし、そもそもが人間の常識を超越したドラゴンという存在。さらにエルマはその中でも異色だろう。したがってカルマは気づかない。カルマほどれほどの策士であっても、気づける理由がない。エルマの怪力を補助する、あるひとつの要因について。
(こんな時だというのに……お腹がすいて力が出ないとはっ!)
エルマの燃費はすこぶる悪いということを。
ㅤ銃撃という具体的な危険性を振り撒く腕を何度も何度も狙ってはいるが、刈り取るもの自身の高い耐久性も相まって、なかなか二本目の切断までに至らない。幸いなのは、お腹をすかせてなお単体での戦力を最も有するエルマが腕を集中的に攻撃しているために銃撃が他三人に狙いを定めることが無いことだろうか。
しかしそれすらも、刈り取るものの多種多様なスキルを前には無意味。
――マハフレイダイン
人数差をも物ともせず、辺り一面で核熱の球が爆ぜる。エルマすら防御に回るその威力、カルマも杏も耐え難いほどの激痛に表情を歪ませ、その場に膝をつく。
ㅤ重い。複数人への攻撃であっても、決して威力が分散することなどなく、等しく重厚な一撃を刈り取るものは撃ち出している。
「こんな……ものっ……!」
そんな中で唯一さやかだけが、その痛みを魔法で文字通り「無視」して突っ切る。両腕で剣を肩より高く持ち上げ、思いのままに振るう。
あの時と同じ感覚だ。敵の攻撃が間違いなく自分を打ち据えても、一切痛覚には響かない。危険を通達するはずの痛みが訪れない。こんな戦い方はダメだと、自分を咎める親友の声は痛いほど耳に残っている。まどかに見せれば、きっと痛みを無くした自分なんかよりもよっぽど傷付くのだろう。
でも、自暴自棄になって魔女と一緒に自分までもを壊してたあの時とは違う。まだ自分を人間として見てくれているヤツがいるんだって、少しだけかもしれないけれど、それでも安心できたから――だから、あたしはそれに報いたい。
「たあああああっ!」
横一文字、交錯する両者の影。刈り取るものの身体に"critical"の一撃が刻まれる。さやかの魔力を乗せた斬撃。斬りつけた部分から血の代わりに黒いモヤが噴き出す。
「よしっ!」
確かな手応えと共に振り返る。
「なっ!?」
しかし、さやかの渾身の一撃をもってしても刈り取るものは倒れない。さやかの斬撃を脅威と認め、斬りつけた勢いで背後に回ったさやかへ向き直る。
刈り取るものの向いた方向から見てさやかを狙っているのは明白。しかしその場の誰も動けない。マハフレイダインを凌いだエルマも、即座に反撃に動けない程度のダメージを受けている。
ㅤ刈り取るものはスキルを発動する時の所作として銃を天に掲げる。一方のさやか、氷や核熱の次は雷か、それとも風か。来たる一撃に備え、剣を構える。
――超吸魔
ㅤしかし放たれたのは、目に見える現象として言い表せる類のものではなかった。何が起こったのかも分からぬまま、さやかの肉体にもソウルジェムにも一切の傷を残すことなく魔力のみを吸い取った。
驚愕に目を見開きながらその場に崩れ落ちるさやか。元々、痛みを消すのに多くの魔力を用いていた。そこに追い討ちのごとく魔力を奪われ、大部分を失った。
「……ッ!!」
ㅤそれにより、魔法で遮断していた痛みが機能し始める。カルマと杏がその場に崩れ落ちたように、さやかもまた全身を駆け巡る熱さを前にしてどさりと倒れ込む。
ㅤさやかは死んでいない。それがこの場の幸いであり、同時に二次災害を引き起こし得る種でもある。さやかの倒れた場所は刈り取るものが狙わずとも、マハ系スキルの波状攻撃の巻き添えを受ける位置だ。そしてこの場の誰も、さやかを"見捨てる"という選択肢を持っていない。刈り取るものの撃破に先んじて倒れたさやかの"救助"が、最優先事項として立ちはだかる。
「ペル……ソ……ナァッ!!」
ㅤ真っ先に救助に駆け出すのは杏。回復スキルの制限されているこの世界で、この怪我はすぐに癒せるものでは無い。それでも、今のレベルで扱うには手に余るであろう『ディアラハン』を強引に編み出し、自身に施して駆け出す。誰かを救いたい、それこそが杏の戦いの根底にある反逆の意志。
「さあ、行くよカルメン!ㅤアギダインッ!」
ㅤ軽くなった身体で、先の一撃よりもいっそう強力な爆炎を繰り出す。命中した瞬間、炎は『火炎ブースタ』によってさらに激しく燃え上がり、刈り取るものの動きを大きく制限する。
「はあぁっ!」
ㅤ追撃とばかりに、鎖に守られている箇所の隙間から腹に斧を押し込むエルマ。
「このままっ……押し出すっ!!」
斧という凶器を用いてなお、まるで相撲のような光景だった。勢いのままに、怪力を余すことなく発揮し、刈り取るものの巨体をぐんぐんと後退させていく。
刈り取るものの背後にいたさやかよりも、さらに奥へ。マハフレイダインの傷を最も残していながらも走り出していたカルマは、旋回の必要すらなくさやかの下へ辿り着いた。
「大丈夫?」
ㅤ熟れた手つきでヒョイとさやかの身体を軽く抱え上げるカルマ。突き刺さる全身の痛みを感じさせない程度に飄々とした能面を貼り付けて、目指すのは動けないさやかの戦線離脱。無駄の無い挙動で戦場から離れ始めた。
「何が大丈夫、よ。カルマだって傷だらけじゃん……。」
「でも俺は強いから動けるよ。それに……」
「……それに……なに?」
「……んーん、何でも。」
ㅤこの場に中村でもいれば弄り倒されそうな光景だ。というか自分だったら否が応でも弄り倒す。
そんなことを考えている時だった。
「っ!」
ㅤカルマの視界が突然に、ぐらりと揺れた。深い傷の中の運動に加え、たった今加えられたさやかの体重による負荷。ガタが来るのは思った以上に早かった。
ㅤそして、戦線離脱を前に見せたその隙は決して小さくない。
限界を超えて捻り出されたアギ系最高峰の火力を誇る杏のアギダイン。腹を突き破る勢いで振るわれたエルマの斧。さやかの救助に用いられた攻撃手段は決して軽いものでは無い。
しかし、それらをもってしても刈り取るものを停止させるには至らない。
「カルマ、危ないっ!」
ㅤ抱えられたままのさやかの声。
ㅤ刈り取るものの銃口が、さやかを抱えたカルマへと向く。
僅かに、静寂――そして次の瞬間には、冷たい銃声がその場の音を奪い去った。
ㅤ久々に、死の感覚を覚えた。殺せんせーを教師として"殺そう"としたあの時よりも、より濃厚な死の色が迫っていた。
死神の名を冠する刈り取るもの、その称号は飾りではない。
ㅤしかし、どうしたことか。その死は未だ訪れない。
「――まったく、情けないですね。」
ㅤ射線上に割り込んだひとつの影が、両腕で銃弾を受け止めていた。その行動だけでなくシルエットすら、人の常識を優に超えている。ヘッドドレスを挟んで頭で主張するは、エルマより多い二本のツノ。身に付けたヴィクトリアンメイドのエプロンドレスからは巨大なしっぽがはみ出て揺れている。
「……ん、メイド?」
ㅤ殺し合いの場にそぐわぬ衣装にカルマは疑問を覚える。
「エルマ、貴方がついていながら何やってるんだか。」
「トール!」
ㅤエルマをはじめとした多くのドラゴンが、人間たちと交わって生活を始めた原因となるドラゴンが、硝煙の中より姿を現した。
このような場面ではこの上なく心強い旧友の出現に、エルマは胸を躍らせる。他3人、その中でも特に杏はエルマから知り合いの話は概ね聞いていたため、エルマと実力が互角らしいトールの来訪には頼もしさを覚えるばかりだ。
「ここは私とエルマで引き受けます。あなた達は下がっていてください。」
「っ……! 大丈夫、まだやれるわ。」
さやかは何とか戦う意思を表明する。それを冷めた目で見下しながら、トールは呟いた。
「本当は、あなた方下等生物がどうなろうと私は一向に構わないんですよ?」
「か、下等!?」
「お、おいトール……そんな言い方は……」
杏はエルマと比べたトールの当たり方に驚愕を見せる。
「でも、小林さんなら見捨てるなと言うでしょうから。だから死なせない、ただそれだけです。分かったら早く失せてください。」
善意とは、程遠い。もしもが起これば、トールはたった今助けようとしている者たちとて皆殺しにしてしまえる。
そして――だからこそ、エルマ以外を突き放す。決して誰かと絆を深めようとはしない。頭の中の小林さんの『助けろ』という声のみに付き従って、その場の者たちを『生かす』ことのみ実行に移す。小林さん以外の人間に、助ける価値なんて見出さないから。
「……。」
黙って助けられろと言わんばかりのトールの主張に、さやかは言い返せない。言い返せるだけの言葉も無ければ、実力も備えていないから。
「行こう。」
「っ……!ㅤでも……!」
同行者のカルマも危険に無闇に飛び込むのは好まないタチだ。実力があり、戦う気概もある者がすると言っているのだ。それを改めて止める気は起こらない。
「杏は二人を連れて行って回復してやってくれ。トールなら大丈夫だ。」
「……分かった。気を付けて、エルマ。」
カルマとさやかの二人は、杏とエルマが到着する前から刈り取るものと戦っていた。ドラゴンとの種族差とかペルソナとか、そういった要因抜きに消耗が激しいのは自明の理。回復が必要なのも当然だ。さやかの治癒魔法の回復力は杏も観測したが、超吸魔を受けたさやかにどこまで治癒が使えるかはわからない。敵は刈り取るものだけではないし、まだ戦える杏もそれに同行するだけの道理はある。
こうして、二人のドラゴンを残し、三人は死神の暴れる戦場から離脱する。その胸に抱くは、最後まで戦いに携われなかったことへの不甲斐なさであり、残した二人のドラゴンの心配であり、そして撤退という手段を用いてでも必ず誰も死なせないという、殺し合いへの反逆の意志でもあった。
逆に言えば――それだけだった。この状況で抱くべき懸念が存在することを、この場の誰も知らない。誰も、知りえない。
ㅤ魔力の大部分を無くしたさやかのソウルジェムが、僅かに見せつつある陰りを。そして、濁りきったソウルジェムが生み出す、魔法少女の末路を――
■
ㅤトールが加勢に来てから、戦局は大きく変わった。
ㅤ範囲攻撃を多く扱う刈り取るものを相手に、人数を揃えることは必ずしも有利に繋がらない。刈り取るものの攻撃に耐えながら、その上で攻撃を続けられる者のみが、刈り取るものと同じ舞台に立つ資格を持つ。
トールとエルマはその点において何ら問題は無い。ドラゴンという、人を超越した存在。多彩な属性を纏うあらゆる攻撃を真っ向から迎え撃てるだけの実力を備えている。
「お前と共闘することになるとはな。」
「足だけは引っ張らないでくださいね。」
「ああ!ㅤもちろんだとも!」
刈り取るものという強敵を前にしてもエルマはどこか上機嫌だ。トールが、小林さんを守るためなりふり構わず殺し合いに乗っている可能性を、僅かながらも危惧していたから。こうして再会し、その仮説が否定されたことが喜ばしくて仕方がなかった。
「……くるぞっ!」
再会を喜ぶ暇も与えず、刈り取るものは銃撃で二人に狙いを定める。
「させるかっ!」
素手であるトールの前に躍り出たエルマが斧で銃弾を弾く。その隣を突っ切り、素手ならではの素早さで刈り取るものの身体を抉り出しに走るトール。
――ジオダイン
本気を出した刈り取るものの第二撃の速度は、ドラゴンすらも凌駕する。直進するトールに向けて放たれた電撃の一閃。
「遅い。」
右に身体を逸らして回避する。目の前には、刈り取るものの巨体。勢いのままに、ドロップキックを決める。ドラゴンの剛力にスピードまで加えた一撃。只人ならば即座に命を散らすほどの衝撃が、刈り取るものを襲う。しかし、ロクに効いている手ごたえを感じない。刈り取るものは微風を受けたかの如く動じずそこに佇んでいる。
(なるほど、エルマが苦戦するだけのことはある。)
武器を持ったエルマが倒し切れていない敵ならば、優先すべきは威力よりも手数か。迎撃のフレイダインを回避しつつ、鉄よりも硬い爪を尖らせた両腕でラッシュを叩き込む。
「退け、トール!」
後方から、斧を振りかぶったエルマの追撃が迫る。攻撃の手を止め、退避するトール。
「食べろおおおっ!」
それを言うなら『くらえ』だ。心の中でツッコミを入れるトールをよそ目に、重い斬撃が刈り取るものを縦に断つ。鎖の音を撒き散らしながら銃を振り回し、刈り取るものはもがき苦しみ始める。
どれだけ重い攻撃も、刈り取るものは回避するそぶりすら見せない。まるで鎖につながれた人柱のように、迫るものすべてを受け入れる。攻撃を受け入れてなおそれを真っ向から耐え抜く規格外の生命力。それが、刈り取るものの真骨頂。そんな刈り取るものが今、単眼をギョロリと二人に向けている。
それはまさに、死神の本領。この上なくビリビリと伝わってくる殺意の発露。
「どうやら怒らせてしまったようですね。」
「それなら私も怒っているぞ。殺し合いなんかさせられて、ろくに飯が食えていない。」
「……相変わらずですね。まあ私も、小林さんを巻き込んだことについては逆鱗ベタ触れ案件なのですが。」
死地に見合わぬ軽口。それは本来、ドラゴンが強者であるが故に生まれる余裕だ。しかし今や、それは次第に虚勢でもあった。ドラゴンから見ても、明らかな脅威だ。滅ぼし方が、思いつかない。渾身の一撃を何度も炸裂させてなお、刈り取るものは依然として立ち塞がり続ける。相手の攻撃も、いつまでも凌いでいられるほど温くはない。
敵の強さを改めて実感する。長期戦が必須でありながら、相手の攻撃はこちらの命をお構いなしに狙ってくる。まるでいつか戦ったエヘカトル(ルコア)のように、基礎ステータスの格が違うのだ。それでいて傍観勢からは程遠いスタンスなのだから厄介なことこの上ない。
(私たちはまだいい。ただ、こんなのが小林さんの前に現れようものなら……!)
トールの表情がそっと陰りを見せる。
刈り取るものほどの生物が、他に居ないとも限らない。否、先ほど去っていった3人とて、小林さんを殺そうと思えば容易く殺せるだけの実力はある。それと出会ってしまった大切な人の末路を、苦しいほど想像してしまった。
絶対に避けたい未来――それならば、どうする?
決まってる。危険を排除するために、大切な人を守るために、誰もかも殺せ。破壊してしまえ。混沌の囁きが、トールの心を掻き乱す。
間もなくしてトールは何かを振り払うように、ぶんぶんと首を横に振った。
最終更新:2021年05月01日 01:25