Happy Hardcore

Happy Hardcore(Happycore)(ハッピーハードコア/ハピコア)


通常165~180BPM付近の非常に高速なテンポが特徴的なダンスミュージックの形式で、しばしば男性または女性のボーカルやセンチメンタルな歌詞を伴う。イギリス、オーストラリア、スペインを中心に人気があり、他の国でも人気が高まりつつある。”キャンディレイバー(Candy ravers)”とよばれる巨大な熱狂的ファンのグループが存在する。

ハッピーハードコアは1990年代初期のレイブシーンの中で発達し、より高速になり、チープな作りのフェスティバル、強調されたブレイクビーツやベースラインが特徴的なジャングルというジャンルからの独立に合わせて変化していった。一部のアーティストらがジャングルやハッピーなサウンドの要素を取り入れていった。ちなみにそのハッピーなサウンドは、二つの異なるスタイル(ジャングルとハッピーハードコア)に分かれていった当時のシーンにおける”コマーシャリズム(金儲け本位)”の原因とみられている。

「最初のハッピーハードコアの曲はなにか」という議論がしばしば起こるが、有力な説はDJ SlipmattのSMD#1(Soundcloudリンク)で、ピアノやテクノを混合したブレイクビーツでありながらも、ハッピーチューンとしての初めての試みの一つであったと考えられている。DJ VibesWishdoktaForce & Evolution
Billy 'Daniel' Bunterといった数人のアーティストらもこれに続き、1994年あたりにはハッピーハードコアとジャングルが区別化された。そのうちジャングルはのちにドラムンベースとなる。

イギリスでは、ハッピーハードコアのピークは1994~1997年の間だった。ロンドンの海賊版ラジオ局のDream FMはこの時期においてシーンのサポートや発達に重要な役割を果たした。しばらくの間、Dream FMが月刊誌を発行していた時期もあった。数種もの様々なスタイルがあったが、そのころにはブレイクビーツの要素は少しずつ薄れていっていた。1995年、数人のドイツとオランダのアーティストらがさらにボーカルを中心とした大衆向けのハードコアを生み出し始めた。それがイギリスでは大きくヒットし、90年代初期のユーロダンスとはあまりにかけ離れたサウンドであった。

オランダでは、1992年ごろからガバがロッテルダムから発達し、1990年代中期にはさらにハードなサウンドとなった。一方、ハッピーなサウンドを取り入れたガバもまた’ハッピーガバ’として発達していた。スコットランド内のハードコア、通称バウンシーテクノはイギリスのブレイクビーツとオランダのガバシーンにも大きな影響を与え、オランダのアーティストらが多数のハッピー系の曲を、またイギリスのアーティストらもブレイクビーツからさらにキックドラムが強調され、けたたましくバウンシーな作風に移行していった。

1996年、バウンシーテクノは違う起源を持っていたが、二つのスタイルが融合したとされ、90年代後半、スタイルはハッピーハードコアかガバに移行した。後者のガバも、90年代の終わりごろにはダークな作風へと移行していく。90年代の終わりごろ、ハッピーハードコアは主にイギリス、オランダ(より多くの商業的側面があるにも関わらず、多くリリースされていた)、オーストラリア、アメリカ、カナダやドイツといった国々で製作されるようになった。ドイツのHappy RaveシリーズやイギリスのBonkersシリーズといったいくつかのコンピレーションも発売され始めた。後者のBonkersは高く称賛されており、1996年の7月から90年代後期まで続き、2000年代に復活した。

しかしながら数名のハッピーハードコアアーティストら、プロデューサーら、レコードレーベルが他ジャンルへ移り、1998年~2001年までハッピーハードコアの発達や人気はひとまず収まった形となった。

1990年代以降、人気は低下し始め、2000年あたりにはレイブシーンは’死んだ(終わった)’と多くの人々の間で見なされるようになった。ごくごく最近のハッピーハードコアは再出現により、Mixmag(EDMやクラブを取り扱うイギリスの雑誌)に取り上げられるほど主流となった。それによりアメリや、カナダ、イギリス、日本などの国々で新しくレコードレーベルが誕生し、人気が上昇し続けている。

2002年、3年間の休止期間を経てコンピレーションシリーズのBonkersのリリースが再開され、2002年から2005年までに8つのコンピレーションをリリースし、成功を収めることとなった。

21世紀のハッピーハードコアにおいて重要な点は、1990年代にはトレードマークであったバウンシーなシンセサイザーやピアノラインが欠如しているところだ。このジャンルはよりトランスのような印象を受け、90年代後期に、当時は速めのテンポであったにもかかわらずイビザ島で人気だったトランスとはあまりにかけ離れたサウンドとなった。

起源となったレイブミュージックと比べ、現在のハッピーハードコアは主流のダンスミュージックと’バウンシーハウス’といったようなジャンルとの結びつきが強くなった。近年、一部のアーティストらがエレクトロハウスのベースラインの要素を取り入れ、廃れつつあるトランスなサウンドから着実に移行している。2001年から2003年はよりトランス指向のハードコアの復興期と考えられる。

著名なHTIDを含む(イギリスの)新しいクラブやDJら、そして後にBBCは現在のハッピーハードコアをフィーチャーするようになった。ほとんどが2000年から2001年のDJやプロデューサーらによって制作されたものだった。

復興期の間、ハッピーハードコアの本来のサウンドは若干薄くなり、ハードトランスの名の下でトランスに強く影響を受けた作風へと変化した。しかし2003年中ごろになると以前のハッピーハードコアの曲が新しくリミックスされたりオールドスクール風の曲が出現するなどし、ハッピーハードコア本来の要素が復活した。フリーフォーム(Freeform)やハードコアブレイクス(Hardcore Breaks)などの新しいジャンルが、新しいスタイルへと移行していく主流のハードコアから分裂した。いくつかの例では、2000年代に復活した後期のBonkers(2009年に一七弾を突破)やClubland X-Treme Hardcore(すでにシリーズとして存在していたダンス・クラブミュージックを中心としたClublandシリーズから独立)、Hardcore Heaven(もう一方の復活したシリーズ)、Hardcore NationHardcore AdrenalineTrue HardcoreHardcore Undergroundなど、多くのコンピレーションが出現した。近年でも1990年代の曲のミックスをフィーチャーしたオールドスクール・スタイルのコンピレーションが出現し、それが若者の心を惹き付け、ある点では現在も過去の全盛期と同じように人気であるとも言える。Helter Skelterシリーズにもオールドスクールやハードコアブレイクスのミックスが含まれており、以前の曲をリミックスした新バージョンやオールドスクール期の有名な曲がミックスされている。2007年のBest of Bonkersは後期だけではなく、前期Bonkersのベストトラックもミックスされている。

ハッピーハードコアはトランスだけに影響を受けているわけではない。2002年あたりには、一部のハッピーハードコアはハードスタイルのようなスタンピーなサウンドにも近づくようになった。アメリカやイギリス付近の国々では2002年以降、多くのハッピーハードコアアンセムやアーティストらが新しく出現しつつある。
最終更新:2017年03月16日 16:45