庭師KING
生まれた時から、私の周りには幾億幾兆の命があった。
この世界は、命に満ち溢れていた。
だから自ずと、私は自分が大きな世界の中の確かなひとかけらであることを、実感していた。
私の内と私の外とを、幾憶幾兆の命が絶え間なく呼吸する。
私の輪郭は命の間に融けて、どこまでも広がり、またどこまでも狭まった。
どこにも境などない。
四方を囲むのは、まるで魔法のような支援だ。
だから自ずと、私は自分が大いなる仲間たちの確かな一員であることを、実感していた。
『キング、いよいよでスね』
『へへへ、この「アクロバティック・アーツ」の“初お披露目”ってとこだな』
『息巻くのは後にしておこうよナイト君。まずはしっかり、有冨所長を仕留めないとね』
『うふふ、有冨さんって優しい人かなぁ? ちょっとは遊び相手になってくれるといいなぁ』
私の周りではその時、4頭の同胞が朗らかな唸り声を上げていた。
地下に造られた『HIGUMA』たちの国――ヒグマ帝国に生まれた私は、
穴持たず204番という通し番号を持っていた。
彼らは、私の少し前に造られた、私の仲間たちだった。
『有冨所長と――、あと残る研究員は布束特任部長だね。指示通り、やり遂げましょう』
ポーン、ルーク、ビショップ、ナイト。彼らはチェス駒の名前をもじって命名された。
そして私は、キングと呼ばれて、彼らから慕われている。
有り難いことだ。
私の持つ能力は、ヒグマ帝国でも珍重された。
『ピースガーディアン』などという洒落た名前で、私たちは持て囃された。
だからこうして、今も私たちは重要な役目を任されている。
先に生まれていた指導者の方々や仲間たちに信頼されるということは、私に自ずと、同族を救うという使命感を芽生えさせてくれていた。
仲間たちの期待と信頼に応える。
それこそが、私の生きがいになった。
私が奮起して働けば働くほど、彼ら仲間たちは喜んでくれた。
助けてくれた。
信頼を深めてくれた。
実に、心地よい感覚だった。
『ああ、“了解”だぜ、キング』
『ここでス。この突き当りの扉が、最後の研究室でスね』
『ほんとだ! 美味しそうな人間の匂い!』
『えーとねぇ……中の電気信号を見るに、扉のすぐ前に一人、部屋の奥にもう一人。パソコンかなんかの機械が一台だけついてるようだね』
『……よし、じゃあ私が、開いた瞬間にやるよ』
ルークたちが研究所の廊下で私の背後を固めていた。
私たちは、自分たち『HIGUMA』を作り出した企業、STUDYの研究所で、目下反乱を起こしている。
秘密裏に隠蔽しながら規模を広げていた私たちのヒグマ帝国は、研究所がとある『実験』を敢行するのと同時に、主要なメンバーで一斉に蜂起した。
あらかじめ調べておいた各研究員の動線を塞ぐように、建築班や軍事班のヒグマたちが一丸となって研究所の壁をヒグマ帝国側から破壊し、研究所を制圧していた。
主要な研究員、職員、保護室に入っていた人間などは粗方殺害が完了したと、私の元にも報告が入っている。
あとは、私たちがこの作戦に、終止符を打つのみだった。
「ははは……。今度彼らと話す機会があったら、覚えておくよ。
布束砥信」
研究室のドアが、軽い音を立てて横にスライドした。
眼鏡をかけた細面の青年が、そこには微笑みを浮かべたまま立っていた。
目の前に構えていた私の姿を確認して、彼の目は微かな驚きを帯びた後、もう一度笑う。
そしてドアを開けて一歩、その白衣の青年・有冨春樹所長が拳銃を構えるより早く、私は自分の爪を振り下ろして、彼の命を刈り取っていた。
『有冨所長の殺害、完了しました』
『いよっしゃあ! “任務達成”か!?』
『あとはあのお姉ちゃんだよね! 遊んでいいかなぁ?』
『良いんじゃない、あとは適当でもさ。どうせ逃げられるところはないしね』
『最後まで気を抜かないようにシましょう……。全員で囲みマスよ』
緩い波のかかった髪の毛を俯かせて、壁際の機械を背にして震える少女が、研究室には残っていた。
情報が確かなら、彼女がSTUDY研究員の最後の1人、布束砥信特任部長だ。
彼女は計画の途中で、急遽アメリカから帰国してSTUDYに復職し、実験に参加していたという。
私たち『HIGUMA』を生み出すための技術の主要部は彼女が開発したものらしい。
恩義のようなものを感じないわけではないが、それでも、ヒグマ帝国と私たちの妨げになるのならば、殺すのは仕方のないことだった。
仲間であるヒグマたちの期待と信頼に応え、繁栄させる。
それこそが、私たちの目的なのだから。
「本当……。最後まで『夏休みの工作』のつもり……?
あなたたちは自分が有能なことを、どうしてこんな手段でしか自覚できなかったの……?
後始末は、いつだって私に押し付けるんだから……」
私たちに、周囲を半円状に取り囲まれながら、少女はそう呟いていた。
『ん? こりゃあ俺たちに言ってんのか? 俺たちが“有能”だってよオイ』
『イヤ、どう考えても有冨所長に対して言ってマスよネ……』
『しょうがないんだよお姉ちゃん。私たち、こういう役目だってヒグマ帝国から言われてるんだもん』
『ははは、まぁヒグマ語で言ったところで分からないでしょ。どうするポーン? 僕の電気で麻痺させて、君のお人形にしてあげようか?』
『わぁい、するするー!』
4頭の仲間たちが任務の緊張感も解けて騒ぎ合う中、私の前で俯く少女の口元が、ふと薄ら笑みを含んだように見えた。
彼女は顔を上げていた。
極限まで見開かれたその眼球。
瞳孔がまるで点に思えるほどの、感情の見えぬ爬虫類のような四白眼であった。
その瞳は、私たちをまるで小動物の如く飲み込んでしまうようにすら、私には思えていた。
「Well, こうしましょう」
仲間たちが彼女の声に反応した瞬間、少女の手は背後の操作盤を勢いよく叩く。
『は――!?』
研究室の天上から、爆発のように真っ白い閃光が降り注いでいた。
最大限度まで光度を上げられた照明が、真っ暗だった研究室の内部を一瞬にして白く塗りつぶす。
目の前で最後に、彼女の牙が白々と宙に煌めくのが見えた。
――眩惑……!
私がその思考に至った時には、蛇を思わせる少女の四肢が、カミソリのように空間を裂いて私たちを襲っていた。
ポーンの顎が右の手刀で切り上げられる。
ビショップの鼻先に左の肘が入る。
ルークの腹に右脚のソールがめり込む。
ナイトの脚が水面蹴りで払われる。
そして私の胸に、鋭い痛みを伴って彼女の掌が叩き込まれていた。
たたらを踏んで数歩後ずさった私の周りで、バタバタと何かが地面に落ちてゆく音が聞こえる。
「……『寿命中断(クリティカル)』」
明度の戻ってきた私の視界が捉えたのは、一様に気を失って床に倒れ伏している4頭の仲間と、真正面で私を睨みつけている少女の姿だった。
彼女は暫く私の様子を伺いながら、私を攻撃した掌の感触を確かめているようだった。
「菌類……、そうか、57の例があった……」
少女は一人、微かに唇を噛んだ後、手をはたき合わせながら泰然とした態度で私に『唸りかけていた』。
『……今のが私の能力よ。私を襲うのはやめておきなさい。あなたも、この4頭も、いつでも殺すことができるのだから』
『なっ……、ヒグマ語!? なぜ人間が話せるんだ!?』
『羆の音声による情報伝達構造を解析して、あなたたちが使いやすいよう拡張してプログラミングしたのは斑目よ。研究員である私がバイリンガルでいて何がおかしいの?』
驚く私をよそに、彼女は、蛇のような眼差しで私を見つめたまま、私の胸の毛皮に指を這わせて来る。
『……私に突然襲い掛かって来なくて正解だったわよ、あなたたち。私の「寿命中断(クリティカル)」は、一度触れた相手ならいつでもどこでもその命を絶つことができるものなの。
意識的に手加減するのも骨が折れる、厄介な能力よ。急に襲われていたら、いくら私でも、勢い余ってあなたたちを殺してしまっていたかもしれないわ』
『な……、ポーンたちは、死んではいないのか……!?』
『よく心音を聞いてみなさい。思考にかまけすぎると、あなたたちはすぐに自前の感覚情報を無視しがちになるんだから』
少女の言う通り耳を澄ますと、確かに、4頭は気絶しているだけで、呼吸も拍動も整然と続けられていた。
しかし、それではこの研究員の意図が見えない。
少女に目を落とすと、彼女は既にその瞳を眠たげな半眼にして、飄々とした笑みを湛えている。
『私はね、最初っからあなたたちヒグマの味方をしてあげるつもりだったのよ。
ヒグマ帝国といったかしら? 随分と見事な反乱作戦を立てたものじゃない。あなたたちはそこで生まれた新入りってところでしょう?』
『あ……、ああ、そうだ。な、ならば、お前の目的は、一体なんなのだ……! 彼らを人質に私を脅すような真似をして……』
『脅しているわけじゃないわ。あなたを残しておいたのは、そのヒグマ帝国という組織の上層部に、私を迎え入れて貰えるよう口利きをして欲しいからよ』
『そ、それは本当なのか……!? 人間が、私たちに協力すると!?』
『おかしい? あなたたちの同胞にも、元々人間だった者は沢山いるじゃない。何なら手伝うわよ色々と。あなたたちも機械の操作とかは流石に慣れないでしょうから、手ほどきしてあげても良いわ』
布束砥信というその研究員は、確かな口調でそう語った。
その時、外の廊下から2頭のヒグマの足音が聞こえてくる。
『キングさん、首尾はいかがですかー?』
『終わっていたらカーペンターズの方で通路拡張しますけど……って、これは一体!?』
研究室の中で倒れているポーンたちの姿を見て驚いているその2頭は、ヒグマ帝国の建築班の一員であった。
穴持たず89・パクと穴持たず99・ハクと呼ばれている彼らに向けて、布束砥信が私の脇から顔を出して彼らに唸りかける。
『ああ、ちょうど良いところに来たわね。彼らを連れて行って手当てでもしてあげなさい』
『なっ、なっ……、なんで研究員の方がヒグマ語でそんなことを!?』
『私はあなたたちヒグマに協力してあげるつもりでいるのよ。これはちょっと、私の実力を彼らに実感してもらっただけ。命に別状はないから』
『ひぇ、ひええ……。そ、そうなんですかキングさん……?』
『あ、ああ……。どうやらそういうことらしい……』
ヒグマ帝国の擁する臣民の中でも実力者である『ピースガーディアン』が一様に昏倒していることで、2頭はたじたじとした様子だった。
恐る恐る室内に入って4頭を連れ出す彼らに向けて、布束特任部長はなおも声をかける。
『ああ、他のヒグマに会ったら言っておいて。STUDYの布束砥信研究員は協力者です。って』
『は、はいぃ、わかりましたぁ!!』
ヒグマ帝国内で隈なく建築を行なっている『穴持たずカーペンターズ』の情報網ならば、その噂は瞬く間に伝わるだろう。
手早く既成事実を作ってしまったその少女に向けて、私は呆然とした顔を晒すことしかできなかった。
彼女は立ち去ってゆく彼らを見送った後、眉を寄せたまま、ドアの脇で倒れている有冨春樹所長の死体へと歩み寄っていく。
『あなた……、キングという名前なのね。ヒグマ帝国の長なの?』
『あ、いや……、必ずしもそういう訳ではないんだ。それなりに期待と信頼を寄せられていることは確かだが……』
『……いい? ある程度の役職や、上に立つってことには、自ずと「責任」というものがついてくるのよ』
布束特任部長は、私に背を向けたまま蹲り、有冨所長の眼を閉じてやりながら呟いていた。
振り向いた彼女の眼差しは、海のような深い色を湛えて私を見据えている。
『ヒグマが国を作る……。それは良いわ。自分たちの主権を守るために実力を行使する。それも当然のことでしょう。
でも、そうして他の者を束ねるなら、王は自分の「責任」を果たさねばならない。他の者が見習いたくなり、着いて行きたくなるようにしなければならないわ』
ヒグマ帝国の王は、私とは別にいる。『ピースガーディアン』全員が纏めてあのお方に謁見した時、私はあのお方の理想と力、そして恩情に心を撃たれた。
私の能力は、水と空気と、そしてわずかな光さえあれば、私の周りを豊かな命の庭に変えることができる。
研究所の目を忍びながら仲間を支えるには、うってつけの力だった。
あのお方が下賜して下さった水耕栽培の道具や設備で、必ずや同胞を救うのだと、私はその時に固く誓っていた。
『あなたは名前だけのお飾りなのかも知れないけれど、あなたにはその名前や信頼に応える「責任」がある。
……よく考えなさい。あなたはこれから、何をするべきなの?』
布束特任部長は私の真正面にまで近寄り、私の瞳を見つめていた。
その真っ直ぐな眼差しに、私はあのお方の意志を思い出す。
STUDYが島の地上で執り行っている実験は、我々ヒグマの将来の如何を問う、大切な実験であった。
そのため、研究所を制圧した後も、実験は粛々と運営され続けなければならない。
まだ指導者の方々から自分たちの元には、その運営監督者がどうなるかの連絡は来ていない。
だが――。
私の爪には、有冨春樹所長から剥ぎ取った、幾憶幾兆の命が、未だに犇めいている。
『……私は、この実験(ゲーム)をこれからも運営していく。その進行役をしなければならないだろう』
『それは……、ヒグマ帝国の意志なの?』
『そうだ。主催者の有冨所長を殺した下手人は自分だ。だから――、当然、彼の責任も、私のもの。そういうことですよね?』
『そこまでは解らないわ。私の方こそヒグマ帝国なんて寝耳に水なんだから。内部事情を教えて欲しいのは私よ。
代わりに、放送機器や首輪の傍受方法とか、教えるから』
『それは助かります、布束さん。私は――、仲間たちと偉大なるヒグマ帝国を護っていきたい。
だから、そのためのことなら率先してやりますよ。放送の事、教えてください』
そうして、私は布束特任部長を連れて研究室を後にした。
彼女が我々の味方だという言葉に、嘘はなかった。
私に、パソコンの操作や周辺機器の扱い方を親身に教えてくれたし、行き来する新たなヒグマたちにも恐怖や動揺などを一切見せずに毅然と対応していた。
ツルシインさんが頭を悩ませていた
艦これ勢の要望にも、関村研究員が引き出しに隠していた独自資料を蹴り開けて、工場を工廠へ改造するための図面を引いてくれた。
反乱前にシロクマさんなどから伝え聞く情報だけでも、その見習いたくなる仕事振りは一部の仲間たちに熱烈な憧れを抱かせるものだったのだ。
それこそ、上に立つ者の態度であり、責任の果たし方であったのだろう。
食糧班の期待の新人としてハニーさんたちを助けたり、指導者たちの連絡網の要として能力を行使したり、そうして他の者たちより幾ばくか高い地位にいる者として、当然、自分にも果たすべき責任があった。
休まずに働く。
皆と共に働く。
仲間の心と体に、全て足りるまで。
そうして決意する時にも、私の周りには幾億幾兆の命があった。
この世界が命に満ち溢れていることを、私は知っている。
だから自ずと、私は自分の果たすべき責任の蓋然性を、実感していた。
艸艸艸艸艸艸艸艸艸艸
「氷漬けになりたい者から前に出なさい、お仕置きして差し上げますわ!」
穴持たず46・シロクマが、凛とした声を張ってそう叫んでいた。
彼女の体は、人間の少女のものである。
壊滅した放送室の中ですっくと立つその姿に流れるのは、腰元まで夜を梳いたような艶めいた黒髪。
取り囲む数十のヒグマたちを睥睨するその瞳は透き通った藍晶石(カイヤナイト)のように、その表情の険しさを差し置いて、見る者を惹きつける美しさがあった。
しかし、その彼女の様子を見つめながら、高所よりせせら笑う存在がいる。
「うぷぷぷぷ……。ここの全員を皆殺しにするつもりかな? 流石に人間様はやることが違うね深雪ちゃん」
「ふざけるな、江ノ島盾子……。私が殺すのは、あなたからです……!」
擬似メルトダウナーという大型戦闘機械に乗り込む、白と黒に塗り分けられたクマ型ロボット、
モノクマだ。
放送室に攻め込むヒグマたちの中央に陣取るモノクマの下卑た嘲笑に向けて、シロクマはその眉根に怒りを灯して牙を噛む。
「この擬似メルトダウナーのビームより、キミの無駄に広範囲な冷却魔法の方が早いってぇ? お笑いだねぇ!!」
「私の干渉力をなめるなッ――!!」
『――いえ。その必要はありません、シロクマさん。どうか怒気を抑えてください』
一触即発だった彼女たちの空気をその時突然、ヒグマの声が割った。
動揺の走るヒグマたちの中から、さして特徴もない一頭が、何か大きな袋を担いで、悠然とした態度で前に進み出てきていた。
怪訝な表情を隠せないシロクマの陰から、今まで恐怖に身を竦めていた穴持たず543が華やいだ声を上げる。
「キ、キングさん!! やった、良かった、いらしてたぁ!!」
「――キングですって?」
『ええ。どうも』
そのヒグマは、度重なる襲撃で瓦礫だらけになってしまった放送室の隅から、鉄パイプを曲げて作った冠を拾い上げて頭に載せる。
穴持たず204・キングヒグマはそうして柔和な笑みを作って、呆然とする一同に振り向いた。
『こうすれば、みなさんも、もうわかりますよね』
放送室を襲っていたヒグマたちが、にわかに騒然となる。
「……え、じゃあ今まで、帝国の最上層のやつが、俺たちと一緒にいたってこと……?」
「わ、全然気づかなかった……」
「新規提督志望の奴だと思って、俺、艦これのこと、かなりあいつに語っちゃったんだけど……」
「え、誰押しで? ちゃんと比叡ちゃんのこと語った?」
「あ、いや、金剛型では霧島さんが好みらしいぜ、あいつ……」
「何やってんのさぁ! みんなチャンスだよ!! あのキングを討ち取るんだ!!」
艦これ勢であるヒグマたちのざわめきを押さえつけるように、擬似メルトダウナーの中でモノクマが叫ぶ。
しかしキングヒグマは、そのモノクマにも穏やかな笑みを振り向けるだけだった。
『――すみませんが、今のあなたでは私に王手(チェック)はかけられません。詰むのは、「彼の者」であるあなたの方だ』
「何言ってんだか! 『原子崩し(メルトダウナー)』を喰らいなぁ!!」
モノクマは叫びながら、コクピット内部のレバーを引く。
その瞬間、そのレバーの隙間から、大量の『苔』が溢れ出てきていた。
「なっ――!?」
バチン、と、弾けるような音を立てて、擬似メルトダウナーの内部で電気回路がショートする。
苔の水分で漏電した電流が機体を駆け巡り、燃料に引火して爆発した。
コクピットが粉微塵に吹き飛ばされたあと、そこには『モノクマ』として機能する物体はもはや存在しなくなっていた。
「あ、あなた、今まで一体何をしていたというの!?
お兄様と一緒に放送をしているはずだと思っていたから、変だとは思ったけど――」
『私は、この反乱を鎮めようとしていただけです。何をしていたかシロクマさんに聞きたいのは私の方だよ』
狼狽を隠せずに尋ねるシロクマに向けて、キングヒグマは溜息をついてその顔を振り向けた。
実のところ、地底湖周囲で巻き起こった反乱の気運に帝国上層部の面子で逸早く気付いたのは、他でもないキングヒグマだったのである。
第二回放送の前、突如
クリストファー・ロビンの首輪の反応が回復し、そこから剣呑な会話と喧騒が漏れ聞こえてくるのを、キングヒグマは捉えていた。
食糧班のハニーを殺し、医療班のヤスミンを排除しようと艦これ勢を煽動しているらしい一部の特徴的な声。
危機感を覚えて、彼は即座に地底湖へ向けて走った。
途中、指導者たちに反乱の発生を伝令しようと逃げていた穴持たず543と出会い詳細な情報を得るや、彼に冠を渡し、キングヒグマは一般ヒグマに紛れて艦これ勢の中に潜り込んでいたのだ。
艦これに興味のある新参者として彼らから話を引き出して行けば、反乱の原因は造作もなくわかった。
食糧の不足。
目標の不在。
自ずと娯楽に流れた無為な彼らにうってつけの餌を与えた『モノクマ』という存在。
そしてその艦これ勢が膨らんだ機会を狙って反乱を煽ったその当事者であるロボットの姿。
放送室に攻め込む彼らに同行しながら友好関係を作り上げた彼は、モノクマが擬似メルトダウナーを駆ってシロクマを狙った隙をついて、その機体内に自らの操る『苔』を侵入させていた。
煽動者を屠ってしまえば、あとの彼ら艦これ勢を鎮める方法は、キングヒグマには分かり切っていた。
『みんなの不満は、先程聞いてよくわかった。これは、今さっき私が畑で採ってきた野菜だから、まずは分けて食べようじゃないか』
「え、野菜?」
『ああ。実のところ、作付していた野菜が育って食べられるようになるより、同胞が増えるのがかなり早くてね。
作物を育てるっていうのは、艦娘を育てて改造するのと同じなんだよ。
時間はかかってしまったけど、ほら、見てごらん。このトマト。
――愛宕・改の、豊かな乳房という趣じゃないかな?』
艦これ勢に向き直って、降ろした袋からキングヒグマは丸々としたトマトをひとつ、取り出していた。
夕陽を閉じ込めたような真っ赤なトマトは、ヒグマの大きな掌に収まってもまだ見劣りしないほどの大きさと、整った形を有している。
その姿に目を奪われたかのように震える一匹の艦これ勢の口から、感極まったように呟きが漏れる。
「ぱ、ぱ、ぱんぱかぱーん……!!」
『愛宕提督ってキミだったよね。ほら、食べてみなよ』
「ま、まじっすか!? いいんすかこんなバランスがとれた重武装ボディにむしゃぶりついちゃって!!」
『当然いいよ。感想教えてね』
その一頭にトマトを投げ渡して、キングヒグマは袋からレタスや小松菜、えんどう豆やアスパラガスなどを次々と取り出して艦これ勢に配っていく。
トマトにかぶりついていた愛宕押しのヒグマは、瑞々しいその果汁を口いっぱいに啜って、眼を輝かせていた。
「うっめぇ~え!! この癖になりそうな甘酸っぱさ……!! ケッコンカッコカリってこんな味なのか……!?」
「ホント? そんなに旨いの!?」
「ほぅわ!? このシャキシャキ感!! やばいわこのアスパラは伊勢さんの砲塔だわ」
「あいやヴァルテン。この豆はマックスきゅんのお豆だと、皆さんはそう認知していただきたい」
「あ~……、龍驤ちゃんのようなこのなだらかな小松菜の芯……」
「そうか、帝国の食糧班は間宮さんだったんだ……」
「ぴょんぴょんレタスだぴょん!!」
『はい。卯月提督にはフルーツ人参もあるぴょん』
「マジぴょん!? やったぴょん!!」
採れたての野菜に嬉々として舌鼓を打つ艦これ勢を前に、少女の姿のシロクマは呆然としたまま立ち尽くしていた。
一通り袋の中の野菜を配り切り、放送室に乗り込んでいた数十頭の艦これ勢全てを遇したキングヒグマは、彼女に向き直って言葉を投げる。
『……ほら、シロクマさん。粛清も攻撃も、する必要なんてありません。彼らの要望を解って親身に接してやれば、敵対する必要などどこにもない』
「なっ、なっ……、それでもっ……!! あなたは、この後の艦これ勢をどうするつもりですか!?
こんなニートのクズみたいなゴクツブシの輩、いない方があんたらヒグマのためにも良いでしょうがッ!!」
「わーっ、わーっ! シロクマさん声大きすぎぃ!!」
シロクマが張り上げた罵声を、穴持たず543が後ろから羽交い絞めにして抑える。
しかし、
司波深雪の体に擬似メルトダウナーで傷を受けた彼女は、未だに頭に血が上っているようだった。
文字通り穴持たず543の爪に噛みつきながら、彼女は端正な顔を歪めて吠える。
「反乱の収拾には、シバさんの手法が最善なのです! 艦これ勢をアイドルオタに転向させて、課金沼に嵌らせて仕事をする正当性を作る!! あなたが余計な邪魔立てをする必要はありません!!」
『……どこで仕事をする正当性ができるんですか? 帝国内政と全く関係ないじゃないの、課金。
たぶん今よりひどい穀潰しになるだけじゃないかなぁ……それは』
「言うことを聞かないヤツは私やシバさんが粛清します!! それこそ、今までやるべきだったことなんですよ!!」
『……シロクマさん』
怒りを収めない彼女に向けて、キングヒグマは眉根を顰めて歩み寄ってくる。
オーバーボディが剥がれて著しく身長の縮んでしまった彼女の元に屈みこみながら、キングヒグマは悲しそうな表情で語り掛けた。
『そんな風に、同胞を理解しようとしていないから、あなたは同胞たちから敵視されたんですよ。
それで純正のヒグマじゃなく元人間だということを今の今まで隠してたんですから、なおさらです』
「はぁ……!?」
『シロクマさん、あなたは北のはずれに、カフェ、作ってましたよね。そこで一度でも、普通のヒグマたちを寛がせてあげたこと、ありましたか?』
「……」
『ありませんよね』
地底湖の西にシロクマが設けた『しろくまカフェ』という喫茶店は、
グリズリーマザーが『灰熊飯店』を設けるよりも先の、ヒグマ帝国建国当初から作られていたものだった。
しかしそこで彼女は、自分の兄が生まれ変わった穴持たず48・シバを招いて二人でくつろぐのみで、他の者をそこに立ち入れさせようとは決してしていなかった。
最初から兄である
司波達也の事しか考えていなかったシロクマにとっては当然のことなのであるが、その光景を隣でずっと見ていた地底湖周囲のヒグマたちの心情はどのようなものだったろうか。
指導者や上層部が、貴重な食材や物資を独り占めして自分たちだけのうのうと遊んでいる。
と、そう考えてしまう心が生まれてくるのは、至極当然のことだった。
……それが二人とも人間だったなんてバレてはなおのこと。
『それに、「彼の者」が艦隊これくしょんをコンテンツに選び、同胞がそれに嵌ったのも、理由があります。
彼らは無意識的に、同じ「作り物」でありながら、自分たちを慕って快活に過ごしている彼女たち艦娘の姿に、救いを見たんだと思います。
ただのアイドルじゃあ、どっちみち靡かないと思いますよ彼らは。関連付けるにしても、恐らく那珂ちゃんは外せない。
……あ、シロクマさんは那珂ちゃんの容姿知ってます?』
「……汚らわしい……。都合のいい空想の女子の尻を追うような者どもの気持ちなんか、解りたくもありません……!」
『……そういう風に彼らをさせてしまったのは、我々の責任じゃないですか……?
特にシロクマさん。あなたは、島内の結界敷設なんかの事務作業でしゃかりきに働いて下さいましたから、私たち役職持ちはあなたの功績を知ってますけど。
自由時間の振る舞いがカフェのあれじゃあ、一般からの信頼は無きに等しいですって……。もっとシバさん以外の方と触れ合ってあげて下さいよ……!』
「ふざけないで下さい!!」
穴持たず543の前脚を振りほどいて、シロクマはキングヒグマに向けてその白く細い指を突き付けた。
「今までこちらが恩情で盛り立ててやっていたのに、私やシバさんに対してご立派に意見など、下手に出ればつけあがること甚だしいですね!
結局この場のクズどもはどう処理するつもりですか! シバさんのやり方以外にないでしょう!?」
『……まだ解らないんですか。良いでしょう。ではそこで見ていてください』
溜息をついたキングヒグマは、司波深雪としての表情を険しく歪ませたままのシロクマから離れ、ちょうど野菜を食べ終わった頃合いのヒグマたちに向き直った。
トマトの旨さに涙を滲ませていた愛宕押しのヒグマを始めとして、彼らは目を輝かせてキングヒグマの元に近寄ってくる。
「う、旨かったっす! こんなん生まれて始めて喰いました!!」
『だろう? 私を始め、食糧班の方々が皆さんのことを想って作っていたんだから』
「……でももう、うーちゃん全部食べちゃったぴょん……。もう終わりだぴょん……」
『卯月提督、終わりじゃないよ。今度は、みんながこれを上回る、美味しい食べ物を作ればいい』
「キングさん、ヴァルテン。それはどういう意味なのだ」
『一緒に、野菜を作りましょう。艦娘たちのために』
静かに話へ耳を傾けられるほどに落ち着いた彼らに向けて、キングヒグマは大きく手を広げる。
朗らかな声で、かつ穏やかに、キングヒグマは彼らに響くように語り掛けた。
『想像してみてください。あなたたちが作った手製の野菜や料理を前にして目を輝かせる艦娘たちの姿を。
あの長門や加賀さんが気分を高揚させて微笑みかけてくる様子を。
ヴェールヌイが恥じらいながら、スパスィーバと囁いてくれるその声を。
雷、電、文月、若葉……、無邪気に、微笑ましく、彼女たちが感謝と共にあなたたちの作ったものを頬張ってくれる姿が目に浮かびませんか……?』
「お、お、お……!!」
放送室に詰まっていた数十体ものヒグマたちが、興奮にどよめきを上げていた。
彼らの脳裏には幾多の少女たちが、ふんだんの料理で満ちる食卓に喜びの声を上げている様が映っていたのだろう。
それは他でもない、彼ら自身が作った食材であり、料理だった。
『ここの南のD-6には、私たち食糧班が育ててきた畑がある。あなたたちの力があれば、ここは間宮さんをも上回る、青々とした収穫の誇りに満ちた国になるでしょう。
未来の艦娘を養うのは、あなたたちなんですよ!!』
「おお……キングさん! やるぴょん! うーちゃん頑張るぴょん!!」
「ヒグマの英知、ここに極まれり……! わかった。カメラードのために、俺も一枚噛ませてもらう」
「愛宕のタンクをもっと充満させるためにも……! やるっす、キングさん!」
彼らの一団を煽っていたモノクマロボットが消滅し、彼ら艦これ勢は思いの根底こそ変わらぬものの、その目的と意欲を180度真逆の方向に発揮しようとしていた。
キングヒグマは、活気に湧く彼らを抑えつつ、放送室の外に彼らを誘導し始める。
『まだまだ暴れてる提督たちがいるでしょう? みんな、他の提督たちに会ったら、何が一番艦娘たちのためになるか、一緒に考えるよう誘っておいてください。すぐ私も行くんで!!』
「了解ぴょん! キングさん、畑で待ってるぴょん!!」
卯月押しの雌ヒグマを先頭にして、放送室を襲撃していた数十頭のヒグマはぞろぞろと波の引くように立ち去っていく。
後に残されたシロクマと穴持たず543の方に振り向いて、キングヒグマは声を落とす。
『……わかりましたか。お金なんて概念に変えず、直接彼らに届くような労働への目的を作ってあげなくちゃ』
「あの畜生どもの下賤な思考に合わせろって言うんですか……?」
『いやいや、強要してるわけじゃないでしょ。なんで私にまで喧嘩腰なんですかさっきから。
ただ、反乱の規模からして、そうまどろっこしい手順は踏んでられないんですよ。それなら、彼ら大勢の意識の根底を覆すより、私たちが合わせてあげた方が良いでしょう?』
シロクマは、絶世の美少女であるその顔を俯かせ、高校の制服の整ったスカートの裾を強く握りしめていた。
並の男子ならば、その仕草だけでこれ以上の追及を躊躇してしまうだろう。
しかし、キングヒグマは、完全に種族の違う人間の容姿である彼女の様相に、取り立ててなんの関心もなかった。
艦娘に対しても、キングヒグマはほんの数十分前に本格的な知識を仕入れたばかりで、実際のところその少女たちに何かしらの思い入れがあるわけではない。
ただ、同胞の思いを理解するための道具として、彼は艦隊これくしょん周辺のあらゆる知識をそのわずかな時間で吸収しきっていた。
数時間たたぬうちに研究所の全機器類の操作方法を習得してしまったキングヒグマの学習能力からすれば、容易いことであった。
「……シバさんが、間違ってるわけありません。いつだって、お兄様は正しくて、信頼できるんです」
『島の地上4分の1を同胞ごと吹き飛ばしたり、よくわからない艦娘の敵を造ったり、カードゲームで遊んでいたりした最近のシバさんを、なんでそこまで手放しに信頼できるんですか……?』
キングヒグマはシロクマの言動へ、純粋に理解できないという面持ちで首を傾げていた。
そしてあたりを見回し、その当のシバの姿を探す。
『そう言えばどこに行ったんですかシバさんは』
「……アイドルであり侵入者の、例の
星空凛を、反乱鎮圧の要にするために助けに行ったんですよ。あの、あなたのとこの部下が送ってきた電報の」
『ルークのあれでですか……? 最近のシバさんの考えてることは本当によくわからないな……』
「あなた如き、理解できなくて当然です。あなたがお兄様の何を知ってるというんですか!」
『あなたのお兄さんのことは知りませんが、ヒグマのシバさんのことなら、シロクマさんと同じくらいは知ってますが』
シロクマが決然と言い放った宣言に、キングヒグマは即座に反駁していた。
司波深雪の眦が痙攣したかのようにひくつくのを見て、彼は呆れたように彼女から目を逸らす。
キングヒグマは暫しこめかみを押さえて息を吐いたあと、半ば諦観の混ざった眼差しで踵を返した。
『……まぁ、わかりました。ではシバさんの方はシバさんの方で動いてもらいましょう。流石に連絡くらいくれるでしょうし。
自分は、この艦これ勢たちと一緒に、南側のヤツらを抑えに行きます。帝国の東西にはシーナーさんとツルシインさんがいるはずですから、シロクマさんは北の方お願いしますね』
「はぁ!? それで、さっきのあなたみたいに彼らにおもねろって言うんですか!?」
『だぁあから、なんでそう変な言い方するの!? 適当に繕ってくれりゃいいんですよ!!
暁ちゃんの真似でもして、レディの遇し方とか髪のトリートメントとか教えてあげればいいじゃないですか、折角の人間の体なんだから!!』
「ちょっと待って下さい、誰ですかそのアカツキって!」
『関村さんの資料でも探して見てくださいよそれくらい! 私はもう行きますからね!! お願いしますよ!!』
キングヒグマはシロクマにそれだけ言い含めて、立ち去る艦これ勢の最後尾について廊下を南に下って行った。
司波深雪の肩を怒らせたシロクマは、やり場のなくなってしまった刺すような殺気を鼻から吹いて部屋の温度を下げている。
穴持たず543は彼女の隣から離れつつ、腫れ物に触るようにおずおずと言葉を切り出した。
「あ、あの、じゃあ僕は、念のためシーナーさんかツルシインさんのところにこの状況を伝えに行きますんで……」
「……ああ、どーぞどーぞ、勝手に行って下さい」
人間の容姿となってしまって慣れないシロクマの一挙手一投足が、穴持たず543には恐ろしくてしょうがない。
それでも、気付いてしまったことを知らせておかねば不味いだろうと、彼は決死の思いで箴言の口を開いた。
「あの、それと、シバさんのこと、『お兄様』というのは避けた方がいいかと思いますよ……。
実際にご兄妹なのかも知れませんが、反乱してるヤツに知れたら、それこそ腐敗した閨閥政治だって付け込まれる原因になりかねないかと……」
「いいから早く行きなさい!!」
「ひゃいぃ!!」
穴持たず543が脇目も振らず放送室を走り去った後、その荒れ果てた室内は一気に凍り付いていた。
今のシロクマには、あらゆるものが癪に障って仕方がない。
自分たちを手玉にとっているかのような江ノ島盾子のせせら笑い。
その彼女にいいように踊らされている愚かなヒグマたち。
兄や自分の行いを否定してくるようなキングヒグマの言動。
それらに対するやり場のない怒りを肝臓の周辺に煮えたぎらせながら、穴持たず46・シロクマは司波深雪の体を着て、北の方へと進んでいく。
その足跡は、一歩ごとに凍り付いて行った。
【D-5の地下 ヒグマ帝国:放送室跡 日中】
【穴持たず543@ヒグマ帝国】
状態:健康、焦り
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:危機を逸早く誰かに知らせる
0:シーナーさん、ツルシインさん、あのヒグマ提督の一派を止めて下さい!!
1:シロクマさん怖いよ!!
2:シバさん……的確な判断なんですよね?
3:キングさんお願いします!!
艸艸艸艸艸艸艸艸艸艸
「やられた……!? そんな馬鹿な……、こんな外道に、沈められてしまうの……!?」
研究所跡のとある一室にて、一人の少女が絶望的な面持ちでそう呟いていた。
巨大な擬装を背負った金髪のその少女は、ヒグマ帝国で建造された艦娘の一体、
ビスマルクである。
彼女は目の前で光を放つそれを食い入るように見つめ、身じろぎもせずに奥歯を噛み締めていた。
その彼女の前で、一人の男が豁然と口を開く。
『なに勘違いしているんだ……!』
「ひょ?」
『まだ俺のバトルフェイズは終了してないぜ!!』
その男は、既に死んだはずの参加者であった。
武藤遊戯。
彼が、ビスマルクの前に据えられたテレビの画面の中で、凛々しい瞳を敵へと向けて佇んでいるのだった。
『なぁ~に言ってんだ、もうお前のモンスターは全部攻撃を終了したじゃないかぁ~』
『速攻魔法発動! 「狂戦士の魂(バーサーカーソウル)」!!』
「バーサーカーソウル……!?」
『手札を全て捨て、効果発動!!
こいつはモンスター以外のカードが出るまで、何枚でもカードをドローし、墓地に捨てるカード。
そしてその数だけ、攻撃力1500以下のモンスターは、追加攻撃できる!!』
ビスマルクは、テレビの中で毅然として立つ彼の背中に、食い入るように身を乗り出した。
「ま、まさか、この状況で……! そんなカードを装備に積んでいたというの……!?
し、しかも攻撃力低下のマイナス効果をも利用してっ……!?」
『遊戯のやつ、そこまで考えて……!?』
「そうよ! 奇しくも同意見ねハガ! 見てなさい! ユウギはあなたみたいな外道を逃さないわよ!!」
『さあ行くぜ!! まず一枚目! ドロー!』
「きゃぁ~!! きたーッ!! Wunderbar!!!」
『……モンスターカード、クイーンズナイトを墓地に捨て、魔導戦士ブレイカー、追加攻撃!!』
『いびゃああああああっ!?』
「Gutes Feuer!!!」
絶体絶命の土壇場に於いて起死回生の一手を打ち、処刑用BGMとともに奮戦する男の姿に、ビスマルクは我を忘れて興奮していた。
『……二枚目ドロー!!』
『うぅえぇ……』
『モンスターカード!!』
『ふぁっ、ほわぁあああ……!? びゃあああああああっ!!!』
対戦相手は断末魔と共に、残りライフポイントがゼロとなる。
しかし画面の中の武藤遊戯は、それでも追撃の手を緩めなかった。
三枚目、四枚目と彼はカードを引き続け、対戦相手は無残な姿に切り刻まれてゆく。
「よしっ! いけっ……! その外道を逃がすなっ……!!」
「……そういうこと言ってるあんたが外道っぽい?」
「なっ……!? 誰だっ!!」
突如、外からビスマルクに向けて声がかけられていた。
慌ててビスマルクが視線を向けると、そこには、数十匹ものヒグマがぞろぞろと連れ立って、ビスマルクの入っている檻の一室を取り囲んでいる。
シバやシロクマと
戦艦ヒ級の建造スイッチを入れた後、ビスマルクは、より遊戯王について研究を深めるべく、最もそれについての資料の多かった
穴持たず1・デビルヒグマの檻を訪れていた。
火山周囲の地下を取り囲むように、方形に檻や保護室の設置されている研究所跡の北東の端にあるその一室は、ビスマルクの期待通りデビルヒグマが職員経由で買い集めていたDVDボックスなど、膨大な資料が存在していた。
そして資料に目を通していくうち、彼女は完全に遊戯王の虜となり、こんな近くにまでヒグマたちがやってきていることにも気づかなくなってしまったのだった。
彼女を囲むヒグマたちの中の先頭のヒグマが、檻の中に乗り込んできてビスマルクをなじる。
「自分の犯した罪の後始末もせず、こんなところで遊んでるなんて、随分規律が緩んでるっぽい?」
「なっ、なっ、何よ!! 私がいつ罪を犯したというの!?」
「ビスマルクちゃんよぉ……。あんた、自分が轟沈させた同胞のことも忘れたって言うのかい?
いくらあんたでも、マジそれシュテルベンものだぜ?」
「轟、沈……!?」
続けて入ってきたもう一頭のヒグマの言葉に、ビスマルクは当惑する。
彼女がヒグマたちを攻撃したことで思い当るのは、地底湖でヒグマ提督を地上に逃そうと殿を務めたあの時のことしかない。
「なっ、まさか、あの程度、ちょっと稽古つけてやっただけでしょ……!?」
「あんた、自分の性能をわかってないっぽい? デザインは重厚でも頭は空っぽい?」
「馬鹿みたいに夕立の真似してるあなたには言われたくないわよ!!」
語尾にぽいぽいと連呼するヒグマに噛みつくも、そのビスマルクの前に、もう一頭のヒグマが割り込んでくる。
「あんたが良い逃れようのない殺戮を犯したのは事実なんだよ……。穴持たず229と361と、あともう一体……、俺と一緒にビスマルクちゃんの提督を目指してたヤツが死んだ。
……名前は覚えてねぇが、いい奴だった。
あの時だって、暴走するお前を止めてやろうと、真っ先にあんたの元に走ったんだぜ……!?」
ビスマルクに向けて訥々と語りながら、震える顔を上げて彼は叫んでいた。
「それをあんたは、一顧だにせずフォイヤフォイヤボンベフォイヤ!! あいつをヴァルハラ送りにしたのは、他でもないビスマルクちゃん、あんただッ!!」
「なっ……、そんな……」
「罪を償え……! 贖罪もせずにのうのうと遊んでいるようなザマで、アトミラールに顔向けできると思ってんのか、ビスマルクちゃんは!!」
「いや、あのアトミラールは、ヒグマ帝国の敵なんでしょ!?」
「どこまでボケちまったんだビスマルクちゃん!! あいつは、ヒグマ提督は俺たち帝国の仲間だったんだよ!!
それをややこしくしちまったのも、他でもない、ビスマルクちゃんの所業だ!! 全部、あんたが悪いんだよ!!」
ビスマルクは、あまりの衝撃に暫く絶句した。
辺りを見回しても、取り囲む数十体あまりのヒグマたちは一様に非難の眼差しで彼女を見据えている。
孤立無援の状況下で、瞠目した眼差しを、ビスマルクは震えながら目の前のヒグマへと向ける。
「わっ、わたっ、私は……! い、一体、どうすればいいの……!?」
「うぷぷぷぷ……。かぁ~んたんなことだよ~。キミが殺してしまった命で、新たに命を造ればいいのさぁ」
彼女の悲痛な呟きに応じたのは、檻の外から歩み寄ってきた小さなヒグマだった。
そのヒグマは、白と黒に体が半分ずつ塗り分けられたような、見慣れない容姿をしている。
「もう、工廠に準備はしてあるんだよ。あとは『キミ自身の意志』で、贖罪のために新たな艦娘を造る手伝いをしてくれればいい」
「ほ、本当ね……!? 私は、それをすれば許されるのね!? やるわよ、勿論よ……!!」
ビスマルクはふらふらとした足取りで、数十体のヒグマたちに取り囲まれながら、地底湖に隣接する工廠まで連れられて行く。
そこには既に、黒焦げとなった3体のヒグマと、ほとんど肉片しか残っていない、2頭分と思われるヒグマの死骸が安置されていた。
「こ、この二人は……!?」
「それは、戦艦ヒ級に殺された、穴持たず617と639っぽい? 奴はこいつらを殺して帝国から脱走したっぽい。
戦艦ヒ級を造ったのも、他でもないあなたでしょ? こいつらも、あなたが殺したのと同然っぽい?」
「あ、あ、うそ、そんな……」
「深海棲艦が艦娘の敵であることは当たり前だろう!! 『実は建造には反対してました』とか言っても無駄だぞ?
俺たちの憧れであるビスマルクちゃんが、そんなシュテルベンものの言い訳するなんてことはないよな?」
「あ、う、う……、ごめんなさいぃ……」
ビスマルクは、その5名の死者の残骸のもとへ崩れ落ちるように跪く。
もはや超弩級戦艦としての威厳も何もなく、彼女は自分のしでかしてしまった事のあまりの大きさに震えて、涙を零すことしかできなかった。
その彼女の肩を、先程の黒白のヒグマが優しく叩く。
「うぷぷぷぷ……。大丈夫だよ。キミは、彼らの肉体を解体して、ここで建造のための資材にしてくれればいい……。
おっつけ、他の悪人どもの死骸もくるだろうからさ……。うぷぷぷぷ……」
「解体さんを殺したのもあんたっぽい? あんたのせいで私たちヒグマ帝国が受けた被害は計り知られないんだからね?
馬力のあるあんたが、その代わりを務めるのは当然っぽい?」
「俺の信じるビスマルクちゃんなら、当然、これくらいのこと、逃げずに引き受けるよな?」
「ふ、ふひひ……あ、甘く見ないでよぉ……、まだ、やれるわ……、これからよ……!! 償うわよぉ……!!」
3頭のヒグマの言葉は、ビスマルクの脳に反響して、神経を撹拌してどろどろのビール煮にしてしまうかのようだった。
泣き笑いのように顔を引き攣らせる彼女は、ぼとぼとと目から涙を零しながら、狂ったように死肉を引き千切り始める。
精神の壊れてしまったような彼女の後姿を見つめながら、白黒に塗り分けられた小さなヒグマ――モノクマは、にぃ、とその笑みを深くした。
【E-4の地下 ヒグマ帝国:艦娘工廠 日中】
【Bismarck zwei@艦隊これくしょん】
状態:小破、精神的には大破、自分の犯した罪による絶望
装備:38cm連装砲、15cm連装副砲
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ごめんなさいごめんなさいごめんなさい許して下さい許して下さい許して下さい
0:贖罪のために、死体を解体して資材にする
1:勝った方が正しいのよ
2:規律はしっかりすべきよね
3:規律を、守れていなかったのは、私の方だったの……!?
[備考]
※ヒグマ提督が建造した艦むすです
※ヒグマ帝国側へ寝返りました。
※艦娘工廠は、現在約50体の艦これ勢で占拠されています。
艸艸艸艸艸艸艸艸艸艸
「なんだよこれ……、折角、食糧庫を見つけたっていうのに……!」
「200体の肉は……? 溜めこんでた食糧は、どこ行ったっていうんだよ!?」
研究所の食糧倉庫を打ち壊した数十体のヒグマたちが、その内部で呆然と立ち尽くしていた。
職員とヒグマを合わせて100名を超す頭数の口を糊するために設えられていたSTUDYの倉庫は、実に広大な空間である。
しかしその内部には、種籾ひと粒、芋のひとかけらすら残ってはおらず、寒々とした空気が澱んでいるだけであった。
「くそっ……! やっぱ支配者のやつらか……!? 俺たちが乗り込む前に、みんな奪ってったっていうのかよ……!」
「赤城ぃ……、ちくしょうっ!! お前に喰わせてやるボーキがッ……!!」
『それは違うよ、赤城提督』
突然食糧庫の外から掛けられた呼び声にヒグマたちが振り向くと、そこには頭に鉄パイプの冠を乗せたキングヒグマが、放送室に攻め込んでいたはずのヒグマたちを引き連れて立っていた。
にわかに殺気立って出入口付近に押しかけようとした赤城押しのヒグマたちの一団の前に、キングヒグマを護るように3体のヒグマが立ちはだかる。
「なんだお前ら!? なんで倒すべき筆頭のヤツの方についてるんだよ!!」
「それは違うぴょん! キングさんはうーちゃんたちの仲間だぴょん!!」
「貴様と言えど、寄らば、シュナイデン……!!」
「キングさんたちは別に、愛宕の胸部装甲とか食糧を独り占めしてたわけじゃないんだよ!!」
「ふざっけんな!! どこにそんな証拠があんだよ!! シロクマとか放蕩生活しまくりだったじゃねーか!!」
制止する3体を押し分けて、食糧庫打ち壊しを行なっていた一団を率いる赤城押しのヒグマが、丸太を構えてキングヒグマの前に仁王立つ。
鼻先に太い丸木を突き付けられても、キングヒグマは落ち着いていた。
『……赤城提督。ボーキサイトって、なにから出来てるか知ってるかな』
「何って……、そりゃ、アルミニウムだろ」
『そう、アルミニウムの鉱石だ。しかし、この火山帯はアルミニウムを産しない。帝国の壁や床に、少しでもボーキサイトがあったかい?』
「くっ……! そんなの、建築班の野郎どもが根こそぎ奪ってるのかもしれねーじゃねぇか!!」
『よく思い返してみろ! 君たちの英雄であるヒグマ提督が作った艦娘たちの中に、一隻でも空母がいたか!?』
キングヒグマに向かって吠えていた彼は、その一言で、落雷に撃たれたように体を硬直させた。
丸太を取り落とし、彼はうわごとのように呟く。
「い、いや、いねぇ……。それどころか、強力な戦闘機や艦載機は、1機も見てねぇ……」
『そうだろう。ヒグマの死体を資材に造ったとはいえ、その成分は、空母や艦載機を維持するには絶対的にアルミが足りない。
最初から、このヒグマ帝国にはボーキサイトなんて無いし、この食糧庫も、中の食糧は君たち一般ヒグマに配給し尽してしまっていて、とっくに底をついているんだ』
彼はキングヒグマの言葉で、地面に崩れ落ちた。
虚無に満ちた食糧庫の床に突っ伏して、もはや叶う見込みも可能性も潰えた嫁艦への思いに涙する。
「そ、んなのっ……ひどすぎるッ……!! 始めっから、終わってたのかよ……!! ここで生まれた俺たちには、もう何もできないっていうのかよ……!!」
『いや、それも違う。むしろ君たちだからこそできることがある』
「なんだって……?」
赤城押しのヒグマに視線を合わせるように屈みこんで、キングヒグマは彼の前脚を取る。
『資材を効率よく手に入れるためには、艦隊これくしょんでは一体、何をする?』
「任務と、遠征……って、まさか……」
『そう、任務、そして遠征だ。ボーキサイトの主な産出国はオーストラリアだ。
手に入れるなら、まずヒグマ帝国が他国と対等に付き合えるほどになるまで国力を高め、そして貿易するための通商路を確保すればいい』
「そうか、他国の……、人間の提督たちとも協力して、やればいいってことか……?」
「そうぴょん! やるぴょん! がんばるぴょん!!」
「カメラードよ。共にここらへんで、奮起しようではないか」
「資材確保まで、長い道のりになるかもしれないっすけど……、それこそ艦むす育成と同じっすよ! 俺も愛宕が来てくれるまで頑張るっす!!」
3頭のヒグマが、キングヒグマと共に赤城押しのヒグマを助け起こす。
彼は、涙の滲んだ双眸を震わせて、キングヒグマの掌を握り返していた。
「わ、わかったっ!! 赤城に、流星や烈風を載せてやって、腹いっぱいボーキが喰えるようになるまで、努力する!!
あんたが俺たちを認めてくれるなら、できる……! きっと、やれるっ……!」
『よし。私はいつだってヒグマ帝国のみんなの味方だ。君たちの信頼には応えてみせるさ。
……一緒に、任務、頑張ろうな?』
「は、はい、キングさん!!」
彼と共に涙ぐむ食糧庫の一同を引き連れて、キングヒグマは通路を更に南下してヒグマ帝国に入っていった。
――私が実験運営の方に回った数時間でこれなのだから、本当に困ったものだ……。
その歩行の最中、キングヒグマは背後の艦これ勢に気付かれぬよう、ひっそりと溜息をついた。
――自分が、実験開始前にきちんと食糧班の管理をしていた時は、多少の困難こそあれ帝国民全員に食糧はいきわたっていたのだ。
それが、ものの半日でここまで憤懣が溜まるほど食糧供給体制が瓦解するとは、どういうことなのだろうか?
この反乱の背後には、『彼の者』と呼ばれる、あのロボットを操っている邪悪な存在がいる。
苔で把握する限り、そいつは、研究所のサーバー、示現エンジン、そして艦娘の工廠と、同時多発的に帝国を攻めている。
指導者たちを混乱させ、精神的・肉体的にタスクオーバーに追い込もうとしているのだ。
その相手の作戦に、どうやらシバさんあたりはものの見事に引っかかってしまったらしい。
この戦いを制するには、如何に相手より早く上手く臣民の心を掌握し、各設備と人員を効率的に防衛できるかがカギだ。
もしかすると、艦これ勢以外にも、『彼の者』には既にその手を回して心理掌握している者が何名もいるのかも知れない。
敵を増やしてはいけない。
三界の全ての父となれるほど広い精神を以て治めねば、この事態に収拾はつけられない。
――シロクマさん、あなたは大丈夫でしょうか?
この世は、自分の体の内外表面だけでも、幾憶幾兆の命で満ち溢れている。
我々は決して、一人で生きているわけではない。
それは人間だろうと、ヒグマだろうと同じことだ。
彼らからもたらされる恵みを受けてこの世に間借りしているだけの自分の存在は、一人ではほんのちっぽけなものに過ぎない。
私の名は、他者の中にある。
私の果たすべき責任という功徳は、その幾憶幾兆の命で担保されたものだ。
だから、私たちは敵を増やしてはいけない。
味方とならなくてはいけない。
自分を形作る他者を敵に回してしまった時、自己という宇宙は簡単に崩壊する。
――シロクマさん。忘れないで下さい。あなたは既に私人ではない。公人だ。
あなたは常に、あなた自身という他者に監視されている存在なのだから。
それらに恥じぬよう、働いていてください――。
キングヒグマは、掌の中の微かな胞子たちを握り締め、正反対の道に分かれてしまった同胞のことを想い、歩き続けていた。
艸艸艸艸艸艸艸艸艸艸
しろくまカフェ。
それは地底湖周囲に屯していた艦これ勢たちの憧れの的であり、そして同時に憎しみの対象であった。
小さいながらも、高級感溢れる調度品で埋められたその店舗は、見る者を魅了する美しさがある。
しかしそこは、魔法に優れたシロクマが張り巡らせた結界で遮断された空間であり、シバとシロクマ以外の何人たりともそこには立ち入れないようになっている。
彼女の我欲と、支配者の驕りで形作られたようなその美しい空間は、垣間見えるシバとシロクマの様子が和気藹々としていればしているほど、ひっそりと妬み嫉みを集めるものとなっていった。
そしてその鬱憤が、今、爆発的に晴らされようとしている。
「うぷぷぷぷーのぷー、っと……。はい、キルリアン・フィルターでの解析完了。
世界の修復力を強めに作用させて……っと、エイドス改変が元に戻るまであと3秒だよ~ん」
体を白と黒の色彩で縦割したロボット、モノクマが、掌に奇妙に光彩を放つ一本の文字列を出現させ、口角を引き裂いて笑う。
その周囲にわだかまっていた数十体のヒグマが、結界のほどけた喫茶店へ、鬨の声を上げて殺到していた。
「うおお!? すげぇ! なんだこの贅を凝らした内装は!!」
「やはり帝国の貴重な資材を独り占めしてやがった!!」
「カクテル用の高級シロップがこんなに!! こいつを奪い尽くせば、少しは飢えがしのげるぞ!!」
「もともと、あいつら指導者のものって訳じゃねえんだ!! 俺たちに返してもらうぞ!!」
「待ちなさい!!」
狭い店内を荒らしながら備蓄品を運び出しているヒグマたちに向けて、遠くから鋭い声がかかった。
その凛と張った少女の声は、艦娘たちのボイスに負けず劣らずの流麗さを以て彼らの耳を惹きつける。
振り向く艦これ勢の視線の先には、彼方で仁王立つ、緑色の制服を纏った少女の姿があった。
「なんだあいつ!? 人間か!?」
「この私の声を忘れましたか!! 私こそ穴持たず46・シロクマです!! 即刻、店の損壊をやめて投降しなさい!!」
「はぁあぁ!? 人間だったのかよ!! じゃあむしろ今までの振る舞いに説明がついたわ!!」
「同胞じゃなかったってんなら、遠慮なくぶっ殺してやる!!」
「いいから落ち着いて見ていなさい、愚か者!!」
殺気立つ艦これ勢を怒声で押さえて、シロクマは司波深雪の肉体を自然体に落として呼吸を整える。
静かに瞑目を始めた彼女に向けて、一体何を始めるつもりなのかと、ヒグマたちの怪訝な視線が集まった。
「……我に七難八苦を与え給え!」
そしてシロクマは、鉦のように整然とした声で叫んだ後、空手の達人のような堂に入った体勢で戦闘の構えを取っていた。
彼女は両手を、銃を撃つかのように前に突き出して、そこに魔法の起動式を展開させる。
瞬く間に、そこには人の体ほどもある大きさの、巨大な氷の弾が形作られていた。
「……てーっ!!」
「うわああああああ――!?」
そのまま、掛け声と共に高速で撃ち出された氷塊は、店の中に詰めていた艦これ勢たちに直撃して砕け散る。
シロクマは、端正なその顔立ちを自信に満ちた力強い笑みに溢れさせた。
「どうです、見ましたか! これで満足でしょう!?」
「このクソアマぁっ!! やっぱりあいつは敵だあっ!! 殺せぇえええええ!!」
「――はぁ!? どうしてです!? アカツキってキャラクターの真似は完璧だったでしょう!!
艦娘と共に戦うような人気提督キャラとか、どうせそんな奴なんでしょう!?」
「暁ちゃんがそんな設定なわけあるかっ!! お子様言うな、クソニワカがぁああああ!!」
体勢を立て直して、丸太を手に手に一挙に攻めかかろうとしてくるヒグマたちに向けて、シロクマは怒りに震えた。
艶々とした黒髪を冷気の奔流に逆立たせて、彼女は酷薄な表情で笑った。
「……折角合わせてやったところでこれですか、畜生ども……。良いでしょう。
ならば、お望みのレディの扱い方とやらを、教えて差し上げます!!」
シロクマは半身になった右腰にしっかりと拳を引き、その周囲に幾多もの輝く文字列を迸らせていた。
「『起動式、展開』!!」
「なっ――!?」
叫ぶや否や、シロクマの体はその場から氷の線条を地面に曳いて、高速でヒグマたちに向けてスライドしていた。
反応できない程の急速な特攻にたじろいだ先頭のヒグマの腹部に、彼女の突き出した渾身の右ストレートが相対攻撃として捻じり込まれる。
「――踊りましょう、舞踏会のように……!!」
「ごは――ッ!?」
凍えるような突風で吹き飛ばされたそのヒグマを追撃するように、シロクマは目にもとまらぬ速さでその手足を中空に躍らせる。
その度に辺りには身を切るような吹雪が吹き荒び、彼女に襲い掛かろうとしていたヒグマたちを悉く叩き、打ちのめしてゆく。
「歯を食い縛れッ、愚か者ーッ!!」
そしてシロクマは、彼ら数十体のヒグマを渾身のアッパーと共に吹雪で打ち上げ、落ちてくるところに巨大な氷塊を叩きつけて、彼ら全員を地下の岩壁に氷漬けとしていた。
彼女はつまらないものでも相手取ってしまったかのように踵を返し、スカートの裾を払って呟いた。
「あなたたちは、死んだことすら気づかない……」
「そりゃキミのことかいっ!!」
「くっ――!?」
背後から風と共に振り下ろされた何者かの拳を、シロクマは即座に出現させた氷を盾として弾く。
向き直る彼女の前に降り立ったのは、先程確かに放送室でキングヒグマに爆破されたモノクマであった。
シロクマは司波深雪の顔で、合点がいったように笑みをつくる。
「……なるほど。あなたが操作するロボットは初めから何体もいたという訳ですね……!
あのシーナーが危惧するわけです、江ノ島盾子……!!」
「あるぇ~? 今頃気づいたのぉ? 案外深雪ちゃんって馬鹿なのかなぁ?」
「なっ――、なにをっ!」
「北風~、こっむす~め、深雪ちゃ~ん。今年も~、兄馬鹿やってきた~」
へらへらと笑いながら、モノクマはシロクマをおちょくるように、煽りに節をつけて歌っている。
シロクマは、声もない怒りと共に、そのロボットに向けて吹雪を叩きつけた。
しかしモノクマはそれをまともに喰らってもただ地面に転がるのみで、平然とした様子で起き上がってくる。
「うぷぷぷぷ……。兄も馬鹿なら妹も馬鹿かい。その程度の単純な衝撃じゃ効くわけないでしょ。
あの天然バカな兄貴を、劣等生でも高校進学までさせたってんだから、四葉家の魔法のクオリティはさぞや凄いものだと思ってたんだけどねぇ……!?」
「お、お兄様を馬鹿にするなっ! 訂正しろっ!! あと、どこで調べたそんな情報ッ!!」
「どこででもだよ~ん。こんな状況でも兄優先なんて、頭の下がるブラコンぶりだわさ、うぷぷぷぷ!!」
「凍れぇッ!!!」
怒りに我を忘れ、シロクマは喉の張り裂けるような叫び声を上げて魔法式を展開していた。
その声に合わせて飛び掛かってくるモノクマに座標を合わせ、その全体を一瞬にして冷却・凍結させようと腕を伸ばす。
「ぶわぁ~ぁか!!」
「――なっ!?」
しかし、モノクマの動きはそれで停止はしなかった。
振り抜かれたロボットの拳は、庇うように腕を引いたシロクマの華奢な尺骨を砕き、彼女を洞窟の床に叩き付ける。
「ぐ、ああ、あああっ!?」
「何やってんだかねぇ~? ロボットであるボクを冷やしてくれるなんて、排熱の手間が減って万々歳だよ~。
キミお得意の精神凍結魔法もボクには効かないし、キミとボクはどんな甘く見てもダイヤグラム1:9で詰んでるんだよ実際さぁ。
相手の本質を見誤る素っ頓狂さはこれもうキミたちの遺伝かねぇ?」
「私の、干渉力をっ、なめるなと言っている――ッ!!」
せせら笑うモノクマの近くから弾けるように身を翻し、シロクマは一気に10メートルほどの距離を後方に跳び退った。
空中で既に構えられたその手元には、輝く文字列でできた起動式が展開されている。
「――エントロピー逆転ッ!」
空間を分断するように、ちょうどモノクマとシロクマの中間地点から分子の熱運動が一斉に書き換えられる。
シロクマのいるこちらの空間に漂う熱運動のエネルギーが一瞬にして奪われる。
モノクマのいる向こうの空間の全分子に、そのエネルギーが即座に上乗せされる。
「『氷炎地獄(インフェルノ)』――ッ!!」
空間を埋め尽くす灼熱の業火に包まれて、モノクマの姿は見えなくなった。
世界の修正力に抗いながらその炎の様子を数秒間見つめたシロクマは、何も動くもののない炎の向こうに安堵する。
そして彼女が、内出血で腫れ上がる左腕に目を落としたその時、狙いすましたかのように炎の中からロボットが飛び出してきた。
「『ほのおのパンチ』~!!」
「――な、があっ!?」
高熱を帯びたその拳を、今度は右腕でまともに喰らってしまい、シロクマは洞窟の床を転がる。
モノクマは余裕すら感じさせる動きで突っ伏す彼女の横に立ち、殴りつけたその右腕を、未だ高温の自分の脚でしたたかに踏みにじった。
「ぎゃっ、がっ、がっ、があああっ――!?」
「あのねぇ深雪ちゃ~ん、キミはボクのことをハンダとプラスチックの妖怪とでも思ってるわけぇ?
佐天涙子にも言ったけど、プラスマイナス3ケタぽっちの熱でボクをどうこう出来ると思ったら大間違いだよ?」
煙を上げて焦げてゆく自分の腕の痛みにシロクマが悶える中、更に彼女の周りを、いつの間にか出現した何十体ものモノクマロボットが取り囲んでいる。
それらはシロクマの体をがっちりと押さえつけ、特に頭部を重点的に取り囲んでいく。
もがくシロクマが、並み居るモノクマたちを魔法を組んで吹き飛ばそうとした時、彼女の頭は突如、鋭い痛みに襲われた。
「ぎゃあっ――!? がっ、なっ、なんでっ!? 魔法式が、組めない……!?」
「うぷぷぷぷ……。キミとお兄さんの使う魔法に関しては、親切なことに色々キミから聞かせてもらっていたからねぇ。たっぷり研究させてもらったよ?
キミはどうせ、魔法師以外のヤツには意味はないとタカをくくっていたのかも知れないけど、サイオン情報体だって、キルリアン・フィルターを通せばボクらが感知できるほどには物理的性質を持っているんだ。
それを逆に通して、ボクが電気信号でキミの術式を乱すことくらい、触れさえしちゃえば簡単なんだよねぇ!」
「そ、そんな、バカなっ――!?」
信じられないモノクマの発言に、モノクマは驚愕して叫ぶ。
だが、彼女がどれだけ意識を集中しても、起動式や魔法式を組めないのは確かであり、その度に激しい頭痛が彼女を襲うだけだった。
「その気になればキミの、魔術回路だの魔法演算領域だのにまで干渉して、キミがもう二度と魔法を使えないようにしてやることだってできるんだよ~?」
「なっ――、そ、そんなの、不可能です!! 嘘に決まってます!!」
「それが嘘じゃないんだなこれが。キミ、自分が結界を張るために集めたサイオンの元の人間、把握してた?
衛宮切嗣って魔術師の武器は、魔法演算領域や魔術回路を破壊することに特化していたのさ!!
反乱までだーれも装備剥奪した倉庫の様子なんて見に来なかったから、研究し放題だったよ!!」
「――ひいっ!?」
モノクマの語る言葉に、シロクマは息を詰まらせる。
数多のモノクマに押さえつけられたまま、人気のない洞窟の陰に運び込まれた彼女の瞳は、ある恐ろしい事態の可能性に思い至って、ぶるぶると震えていた。
モノクマはその様子に、ニタリと笑みを深ませる。
「気付いたようだねぇ~? 解っちゃったねぇ~? 知りたくなかったねぇ~?」
「や、やめなさい!! 絶対にそれだけは、させないっ!!」
「……キミのお兄さんは、キミの思っているほど、完璧でも無敵でもないのさ。
彼の自動再生魔法も、起動プログラムを破壊してしまえばただの飾り!! すぐに死んで終わりだよ!!」
「うわあああああああっ!!!」
両腕や頭の痛みを無視して、シロクマはモノクマたちの押さえ込みから逃げようと渾身の力を振り絞る。
しかし、司波深雪の細い体は、ロボットたちの力に全く敵うことはなかった。
「無駄無駄無駄無駄無駄~♪ 所詮、裏切り者のキミなんかには、誰も力を貸してはくれないのさ」
「な、なんのことですか!!」
「解ってないのが、裏切りに拍車をかけてるよね!」
モノクマはシロクマに語り掛けながら、彼女の右手の人差し指を反り返らせ、何の躊躇もなく踏み負った。
脳天を貫く激痛の追加に、シロクマは喘ぐ。
「いぎぃ――!?」
「自分の同胞のことを、言うに事欠いて『畜生』だの『クズ』だの……。ひどいよね?
そんなこと言ってると、自分もただの『畜生』扱いになるってことに気づいてない。まだ自分が『人間』でいる気なんだもんねキミは。
『ヒグマ』でありながら、『ヒグマ』を汚らわしいものとして拒絶した、誰よりも獣らしいド畜生だよ深雪ちゃんは」
立て続けにモノクマは中指、薬指、小指と、白魚のような美しい司波深雪の指の骨を砕いてゆく。
気が狂いそうになるほどの責め苦に、シロクマは全身をそねくり返らせて悶えた。
「そんなんだから、キミを折角彼らの仲間入りさせてくれたHIGUMA細胞だって、力を出すわけないよね?
形態変化や精神異常を恐れて、調整だって名目ばかりの最小限度にしたんだろう、キミは。
最初っからヒグマなんて、お兄様のために利用するためだけの存在だったんだもんね?
でも、そのお兄様には今やすっかり忘れ去られて!
同胞のヒグマたちからは敵視されて!
もはやその身は人間にも戻れない!!
ヒグマにも人間にもなり切れない哀れな裏切り者のキミは、誰からも見捨てられて一人ぼっちなんだよ、浅はかちゃん♪」
「わ、私を、そうやって追い詰めて……! 何が目的なんですか江ノ島盾子!!
あなたが、他人を絶望に落とすことを得手にしてるのは把握してます!!
私を活かさず殺さず絶望させて、一体何をさせるつもりですかッ!!」
精神と肉体を両面から苛む想像を絶する苦痛に、シロクマはただ最後に残った矜持と事前知識だけを以て、辛うじて耐えていた。
涙を零しながら睨み上げ、必死に抵抗するその少女の姿に、モノクマは上気したように甘い声を吹いて囁きかけてゆく。
「――なぁに、簡単なことさ。ヒグマ帝国で生まれる新規ヒグマが、どこから、どうやって生まれてくるのか……。深雪ちゃんには、その謎を教えて欲しい、だ、け♪」
「なっ――!?」
その言葉は、シロクマたち実行支配者が今まで入念に隠し通してきた、
穴持たず50・イソマの存在と、彼が潜んでヒグマたちを生み出している空間の事を、漏らせと語っているのだ。
歯噛みするシロクマに向けて、モノクマは彼女の緊張をほぐすかのように肩を揉む。
「大丈夫、大丈夫。どうせキミは裏切り者でしょ? ヒグマなんてキミからしたらただの畜生なんだから、彼らに対する義理なんて無いようなもんじゃん。ほら、YOU言っちゃいなYO!!」
シロクマの自尊心も、最後に残ったプライドも何もかもを破壊しつくして、絶望に陥れるための一言だった。
その言葉にシロクマは、意を決して首を横に振る。
「――言いません!! あなたなんかに絶対に屈するものですかッ――!!」
「へい、ご注文一丁!!」
瞬間、肩を揉んでいたモノクマたちの腕で、彼女の両の肩甲骨がめりめりと音を立てて剥ぎ取られた。
「ひぃいいいいいぃいぃいいぃぎゃああああああああああっ!!!???」
腱板の筋肉を断裂させて、鮮血を吹き出しながら肋骨の上に開かれた司波深雪の美しい肩甲骨が、天使の羽のようにモノクマの手でぱたぱたと弄られる。
モノクマたちは実に楽しそうな表情を湛えて、もがき苦しむ彼女の姿を見下ろしている。
「ま、こうして一回拒絶するごとにキミの体を壊していくから。何回目に死ぬかな~?
さっき言った通り、もうシバさんも怖くないから、別にキミ以外のヤツに聞いたってボクは構わないのさ。
でも、キミは困るだろう? 死んだら愛するお兄様と一緒にいられなくなるんだから。
ボクに教えてくれたら、キミとお兄様だけは助けてあげても良いよ? 勿論、魔法演算領域を壊して、だけどね。
でも、お兄様だけがキミの目的なんだろう? いいじゃないか、WIN-WINだよこの取引は。うぷぷぷぷ……」
シロクマは司波深雪の口から唾液を垂れ流し、頬を涙に塗れさせて、もはや前後不覚の態であえぐのみだった。
痛みに朦朧としてまともに集約できない思考の中で、それでも彼女は、辛うじて、最後の矜持を手放してはいなかった。
――騙されてはいけない。司波深雪。
江ノ島盾子は今、絶望に満ちた私の目の前に、一筋の希望を降らせたようにも思える。
しかし、その希望の将来が担保される保証がどこにある?
全てを話してしまったら、その瞬間に私は『用済み』と確定づけられ、殺されてしまうだろう。
一転して希望から絶望に突き落とす。それこそ彼女の好みそうなことだ。
まだ私に利用価値があるから、江ノ島盾子は私を生かしている。
それに、よく思い返してみろ。
モノクマは魔法演算領域を破壊できると言った。
しかしそれならば、なぜ魔法の行使妨害のみで、私にまだその破壊技術を使ってこない?
もしかすると今後破壊していく予定の部位に入っているのかも知れないが、だとしても、危険の芽を早期に摘んでおかないのはおかしい。
耳を傾けるな。
彼女の語る妄言を信じるな。
ただ、生き延びるための最善手を考えろ――!!
生命と精神の存亡が迫ったこの状況で、ここまで冷静な思考を司波深雪が為し得たのは、それこそが『シロクマ』として彼女が得た、ヒグマの力だったからなのかも知れない。
「ふ、ふふ……、ふふふふふ……!」
「お、どうした深雪ちゃん? 言う気になったかな?」
顔を上げた司波深雪は、ただひたすら華やかに、微笑んでいた。
自分を見下ろすモノクマたちに向けて、彼女はいたずらっぽく、小首を傾げてすらみせた。
「可愛そうな人ですね、あなたは……」
「……なに?」
「私よりよっぽど一人ぼっちじゃないですか。弱者、敗者のひがみ根性――。
哀れなものですね江ノ島盾子。この司波深雪も、お兄様も、ヒグマ帝国も、この程度のことであなたに敗北はしませんよ――!!」
血塗れになりながらも、地に押さえつけられながらも、シロクマは力強く笑った。
司波深雪は、シロクマの心を着て、牙を剥いて笑っていた。
モノクマはその司波深雪の様子で興が削がれたように、突然その表情をニュートラルに消した。
「……もういいや。じゃあ、せめて痛みに塗れ、苦しみながら死ねよ」
「い――っ……!? があああああああっ!?」
「モノクマ無情断腕拳~♪」
モノクマは、司波深雪の浮き上がった肩甲骨から、彼女の両方の腕を丸ごと引き抜いていた。
千切れた切断面の血管は、シロクマの体内のHIGUMA細胞のおかげか、比較的すぐに収縮して出血を止めていくも、それは司波深雪が苦痛にもがく時間を延ばすことにしか役立たないだろう。
痛みに耐えかねてか、彼女は足の爪先を洞窟の地面に激しく打ち付けていた。
ひぃひぃと喘ぎ声をあげながら、バタバタと脚で地を叩く司波深雪の苦悶の様子に、モノクマは再びその表情に嗜虐的な笑みを取り戻してゆく。
薄ぼんやりと周囲の苔が発光する中で、誰も来ないような辺鄙な洞穴の片隅に、それでも穴持たず46としての誇りは、司波深雪の口角に笑みを灯していた。
【C-4の地下 しろくまカフェの北の隅 日中】
【穴持たず46(シロクマさん)@魔法科高校の劣等生】
状態:ヒグマ化、頭部に裂傷、両腕欠損、大量出血、魔法使用不能、50体あまりのモノクマに押さえつけられている
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:シバさんを見守る
0:諦めない。
1:時間を稼ぐ。
2:江ノ島盾子には屈しない。
3:私はヒグマたちに対して、どう接すれば良かったのでしょうか……。
4:残念ですが、私はまだ、あなたが思うほど一人ぼっちではないようです。有り難いことに……。
[備考]
※ヒグマ帝国で喫茶店を経営しています
※突然変異と思われたシロクマさんの正体はヒグマ化した司馬深雪でした
※オーバーボディは筋力強化機能と魔法無効化コーティングが施された特注品でしたが、剥がれ落ちました。
※「
不明領域」で司馬達也を殺しかけた気がしますが、あれは兄である司馬達也の
絶対的な実力を信頼した上で行われた激しい愛情表現の一種です
※シロクマの手によって、しろくまカフェを襲撃していた約50体の艦これ勢が殺害されました。
※モノクマが本当に魔法演算領域を破壊する技術を有しているのかは、今のところ不明です。
艸艸艸艸艸艸艸艸艸艸
「……すげぇ……、これは……!」
「これが、先程のオリギナール……だと……!?」
「すっごいぴょん……! おっきいぴょん!」
「こんな超弩級のもんを擁してたのかよ、食糧班って……!」
『ああ……。収穫できるようになったのはごくごく最近だけどね』
100名あまりの艦これ勢たちが辿り着いた先に聳えていたのは、一本の巨木だった。
見上げるほどの高さにまで太い枝を伸ばしたその緑の大木は、青々と茂った葉の隙間から、真っ赤な木の実をたわわに実らせて提げている。
それは、『トマト』の木である。
手のひらに余りそうなほどの艶やかで真っ赤なトマトが、房のように、見上げる限り数千、数万個ほども成っているように見えた。
物語に聞く世界樹のようなその光景に目を奪われた彼らは、そのまま暫し絶句してその場に立ち尽くしていた。
「キ、キングさん、これはどうやって育てたぴょん!? 魔法!? HIGUMA細胞!?」
『そんな余計な手は一切加えてないよ卯月提督。これは、このトマトが持っていた本来の潜在能力を引き出してやっただけ。
人間が発見したこの技術は、「ハイポニカ」と呼ばれているものだ』
隣のキングヒグマに、興奮交じりに問いかけてきた卯月押しのヒグマの言葉を受けて、彼は『見てごらん』、と地面を指さした。
トマトの巨木が枝を茂らせるその下には、それと同じくらいの範囲にまで、細かなトマトの根が不織布のマットのように張り巡らされている。
その根は、土の上にではなく、水の上に張っていた。
「す、水耕栽培なのか……!」
『勿論、後ろに見える通り、段々畑とかも作成してはいるよ。でも、私がいくら土壌を富栄養化させても、元々が火山岩の帝国では限界があるのさ。
それよりももっと、僅かな光と空気、そして水で、彼女たち自身の命の力を引き出してやれる方法を私は選んだ。艦娘みたいで親しみが湧くだろう?』
キングヒグマは艦これ勢たちを引き連れて、つい先ほどまでは『灰熊飯店』も存在していた田園地帯をさらに奥へと進んでいく。
そこでは、全身を真っ黒な長毛で覆った一頭のヒグマが、やはり数十体のヒグマを前にして彼らを遇しているところだった。
キングヒグマの期待通りの光景だった。
採れたてのメロンにかぶりついて、豊かな果汁を啜っている彼らの姿を見て、キングヒグマの顔が自然とほころぶ。
『やぁ、お疲れ様、クイーン。君なら、反乱したみんなも丸く収めてくれると思ってたよ』
「……キングの不在中を任されていた身だからね。まぁ、これくらいはしておかないとあなたに顔向けできないよ」
キングヒグマの声に振り向いた長毛のヒグマは、そう言って口元に微笑を浮かべた。
合流した艦これ勢は、今や150名近い巨大な集団になって、口々に快哉を叫んでいる。
「おー、みんな、待ってましたぁ! 今日は何の日~!?」
「ヒグマ帝国の新たな始まりの日ぴょん!?」
「にゃっほい☆ 癒されるメロンの日だよ~!」
「愛宕トマトの日じゃないの?」
「赤城ボーキサイト通商公司設立の日の間違いだろ?」
「食糧班に一万年の栄光がもたらされる日だろう、腰抜けめ」
彼らの様子に目をやりつつ、クイーンという漆黒のヒグマは、キングヒグマに向けて密やかに耳打ちをする。
「……それに、申し訳ないことなんだけど、ここ一帯の田園は何者かの襲撃を受けてね。
力のあるのが私だけじゃ、100ヘクタールもあるこの辺りを防衛し切れなかったようだよ」
『やっぱり……! 何か問題が発生したんじゃないかと思っていたよ。北じゃあ既にハニーちゃんが暴徒に殺されてる。
「彼の者」は食糧から切り崩しにかかってたんだろう……。被害状況は?』
「見る? ちょうど、艦これファンの子たちも働いてくれそうだから、一緒に連れて行こうか」
クイーンとキングヒグマは、艦これ勢の中から、各反乱部隊を率いていた主だった6名を引き連れて、何者かの襲撃を受けたという地点へ向かった。
その道々で見えるのは、先程のハイポニカトマトと同じように、大木として成長したメロンの木やカボチャ。そしてあぜ道の脇に一面繁る、水菜やにんじん、豆などの畑。
箱のような建物の中に、棚状に仕切られた台の上で隙間なく育てられているのは、もやしやキノコの類だった。
一つ一つに感心して目を見張る艦これたちの前に、ついに問題の地点がさらけ出された。
「……こ、これは、ひどぉい……」
「な、なんて徹底してるぴょん……!」
「この偉大なる遺産が……ステュクスに飲まれたとでもいうのか!?」
水耕栽培と、通常の田畑における栽培を並行していたその空間は、地表のものがことごとく薙ぎ倒され、そして同時に、真っ白く粉を吹いていた。
キングヒグマは、一面に粉雪が降ったかのように絶望的な白に埋め尽くされたその一帯を、震えたまま見つめる。
『……塩害か!』
「そうよ。艦これファンのみんな、見た? これがあなたたちにまで十分な食糧を届けられなくなっていた主因。
この土地は、荒らされた上に超高濃度の海水で絨毯爆撃を浴びたみたい。無限に手に入る上に、除去困難で致命的な影響を土地に長い期間もたらし続ける、実に悪質で効果的な兵器よ」
クイーンが淡々と説明したその事項に、一同は背筋に怖気を覚えて震えた。
下手人の臭いを特定しようと思っても、その一帯には、奇妙なことにどんな動物の臭跡も捉えられない。
管理をしていたクイーンが移動するたびに、それをどこからか察知し狙いすましていたかのように、死角となったエリアが破壊され汚染されてゆく。
腹をくくったクイーンは、食糧班のメンバーと防衛する圏内を最小限度にとどめ、なんとか田園の中央部だけは守り抜いて今に至ったのである。
「その上……、地上から生えてきた何かの根が、猛烈な勢いでこの辺りの養分を吸い尽くしている。
キング、あなたの能力なら、土地を早く回復させることもできると思うけれど……。
たぶんこの反乱の様子じゃ、あなたはもっと全体を見渡すべきね。この子たちと、残存地帯だけは死守するから、早いところ主犯格を仕留めて来てもらえる?」
「うぅー……、そうだよっ! キングさん、みんなの生活を奪った真犯人を、捕まえて来て!!」
「あ、愛宕のタンクは、絶対に守りますから! こっちは任せてください!!」
「食糧防衛、張り切って行きましょう!!」
クイーンや艦これ勢の声援を受けて、キングヒグマは力強く頷く。
この損害を田園にもたらしたのは、明らかに『彼の者』の仕業だろう。それを帝国上層部の所業と騙って艦これ勢を煽った、この大規模な計略。
一筋縄ではいかない。
それでも、キングヒグマは帆のように胸を張って、総員を安心させるように声を張り上げた。
『分かった! これは君たちが生まれて初めて行う、大切な任務だ! 艦娘たちと君たちが幸せに暮らすための第一歩とでも、そう思って当たってくれ!』
「チュートリアルごときでつまづくかよ! ボーキを手に入れるまで、この国に無くなられちゃ困るんだ! キングさんこそ、頼むぞ!!」
「こちらにカメラードが攻め込んできたとしても、俺は勧誘を外さない」
「キングさんにぃ~、敬礼! ぴょん!」
卯月押しのヒグマの号令に合わせて、6名の艦これ勢は、一斉にキングヒグマに向けて敬礼をした。
笑ってしまいそうな様相だ。
彼らは一見無頼に見えて、こと刷り込まれた艦これに関連すれば途轍もない団結力を以て事態にあたることができた。
それを真っ先に利用したのが『彼の者』であり、それをより深く汲んでやって信頼を取り戻したのがキングヒグマだ。
――彼らも、自己を担保する他者という存在を、守りたかっただけだ。何も変わらない。
キングヒグマは、そう彼らに笑顔だけを返して、道を走った。
その時、彼の粘菌通信を担っている苔が発光する。
『タスケテC4キタカノモノオソフ』
その通信が再生したのは、たったそれだけの短いものだった。
――シロクマさん!?
キングヒグマは、一番怪しいと睨んだ地下階層への走行を転換して、一気に北北西へ向けて進路をとった。
誰から来たのかが書かれてはいなかったが、それは十中八九、北方を鎮圧しに行ったシロクマからの通信と見て間違いなかった。
『助けて』と文頭から連絡し、なおかつ余計な事項を送る時間がなかったとするならば、彼女は今、相当な危機に陥っていることが想像に難くない。
シーナーが東方の危機(恐らく
侵入者)を排除したこと。
ツルシインが現在、西で地上から侵入している何かに対応していること。
灰色熊が示現エンジンの階層で『彼の者』の本拠地と実験体を見つけたこと。
今のところキングヒグマの把握できている主要な情報はそんなところだ。
シーナーが果たして救援に向かえるほど万全な状態なのかは解らないし、灰色熊は恐らく直近のエンジンに、艦娘の龍田を援護しに行っているだろう。
ツルシインの言う西の危機は、状況から推察して、クイーンの報告した『養分を吸い尽くす根』のことだ。
さらに、グリズリーマザーと医療班のヤスミンは反乱のあおりを真っ先に喰らって地上に逃げ去っている。
彼らがシロクマを助けに行ける蓋然性はない。
この同時多発的な緊急事態の全てが『彼の者』の仕業であるなら、真に恐ろしい相手である。
手の空いている指導者クラスの者は自分と、そして穴持たず48・シバのみしか残ってはいない。
――そろそろ、ご自分を取り戻しても良いんじゃないですか、シバさん……!
シーナーと第一放送後に語り合ったように、いまいち最近のシバは精彩を欠いた行動ばかりしている。
しかし、ことこの案件に関しては、彼に期待をせざるを得ない。
シロクマほどの実力者が窮地に陥っている状態を、自分が操作する『苔』や『菌』で解消しきれるのか、全くわからないのだ。
生まれた時から、私の周りには幾億幾兆の命があった。
そして今この時も、私の周りは命に満ち溢れている。
――シロクマさん、シバさん。あなたたちの周りにだって、その命はあるんですよ!?
苔も菌も同胞も、自分たちを支えてくれる大切な味方だ。
その恵みを受ける自己と、その恵みを与える他者を、はっきりと捉えなければ、自分たちは『彼の者』に蹂躙し尽される。
敵を作ってはいけない。
――まずは自分という他者を、しっかり味方につけてください!!
シバのもとに、彼の肉親からの言葉が届いていることを祈りながら、キングヒグマは休まずにひた走った。
【D-6の地下 田園地帯 日中】
【穴持たず204(キングヒグマ)】
状態:健康
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:前主催の代わりに主催として振る舞う。
0:シロクマさんの救援に向かう。
1:島内の情報収集。
2:キングとしてヒグマの繁栄を目指す。
3:電子機器に頼り過ぎない運営維持を目指す。
4:モノクマ、ヒグマ提督らの情報を収集し、実効支配者たちと一丸となって問題解決に当たる。
5:ヒグマ製艦娘とやらの信頼性は、如何なるものか……?
6:シバさんとシロクマさん……大丈夫ですか? 色々な意味で。
[備考]
※菌類、藻類、苔類などを操る能力を持っています。
※帝国に君臨できる理由の大部分は、食糧生産の要となる畑・堆肥を作成した功績のおかげです。
※ミズクマの養殖、キノコ畑の管理なども、運営作業の隙間に行なっています。
※粘菌通信のシステム維持を担っています。
【穴持たず205(クイーンヒグマ)】
状態:健康
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:“キング”に代わり食糧班を統括する
0:反乱や障害から、田畑を総員で死守する。
1:塩害と、外来植物の侵食……。加えて反乱とはね。参ったよ。
2:艦これファンってのは、お気に入りの娘のためなら頑張れるんだろ?
3:じゃあ、ここの作物たちを自分の娘だと、そう思って気張りな。
[備考]
※何らかの能力を持っています。
※ヒグマ帝国のD-6エリアは、現在キングとクイーンが説得した約150体の艦これ勢で防衛されています。
最終更新:2014年08月19日 02:44