ベン・トー外伝 ステーキ弁当210円
需要と供給、これら二つは商売における絶対の要素である。
これら二つの要素が寄り添う流通バランスのクロスポイント……
その前後において必ず発生するかすかな、ずれ。
その僅かな領域に生きる者たちがいる。
己の資金、生活、そして誇りを懸けて
カオスと化す極狭領域を狩り場とする者たち。
――人は彼らを狼と呼んだ。
ホーキーマート、スーパーに僕はいた。
自動ドアを開ければ吹き込んでくる空調によって整備された清潔な風が頬を撫でる。
いつものように元気ハツラツにいらっしゃいませー!
と声をかけてくれるレジの店員さん達の前を横切り。
「うわっ」
思わず声を上げてしまうくらい立派な
ヒグマの剥製が腕組みをして直立していたのを後ろに。
それにしても立派な剥製だ。
父さんに訓練の一環と称して真冬の北海道の名だたる山脈の登山を敢行したさいに
追いかけられたという思い出がなかったら
怪物かと思ってしまっただろうほどに大きい。
おまけにこんな状況でヒグマの剥製を展示するなんてブラックジョークの一種だろうか?
誰かに見られている感じがして辺りを見回したが
こちらを視ているらしき人間はいなかった。
新鮮な彩り鮮やかな果物コーナーを目で楽しみ、
僕は惣菜コーナーを越えて弁当売場に辿り着いた。
「大変なことになったな、佐藤」
「佐藤さん」
背後から二つの女性ならではの柔らかな声に肩を叩かれた。
だが僕は振り返らず、弁当を凝視する。
僕達が立っているのは未来の戦場。
友達と生きあったからといってかしましくお喋りすることはできない。
「先輩、白粉」
激戦になるな、と僕の《狼》の直感が囁いた。
弁当コーナーに陳列されているのは僅か三つ。
「お前がここまで来られたのは喜ばしい。
だが…………」
「ええ、わかっています」
僕たちは今、殺し合いの場にいるらしい。
だがそんな時でも天下を取るのはいつだって食料を多く持っている者。
この光景、飽食の時代を象徴するかのような種々様々な商品が並んだ場所。
さながら物資のテーマパークと言ったところか。
横に僕と同じ《狼》、HPLT部の二人が並んでもなお。
背中に灼きつくビリビリとした視線は勢いをやまない。
それは、決して僕が片方は人外に等しいガチムチより這い寄りし混沌を超えた混沌であるとしても
外見は可愛い女の子を侍らせているという理由ではない。
《狼》がいつもに増して多い。
その数は10,いや15にもなるか。
倍率は単純に考えて5倍、もしも狙いの弁当が集中すれば激戦は更に混沌となる。
ところで侍らせているっていう響きのスケベな感じは良いよね。
決して直接的ではなく、なのにどこか淫らな印象があるっていう。
僕の僚友達も何度 『巨乳 メイド 侍らせる』
『猿でもわかる 妹 侍らせ方』 といった検索ワードを武器に
広大なネットというフィールドを探検したことか。
この単語に関して中学の頃の同級生、石岡君は彼にしては中々に興味深い考察を残して――
話が逸れた。いつもなら延々と語ってたけど
さすがに僕でも今の状況はやばいと思っているのだ。
とりあえず僕のに向けられた視線は男としての嫉妬ではなく、
好敵手へ向ける、未来の敵の動向を観察するという意味あいのものだ。
あ、でもどうかなあ。
僕、一応ハーレム系男子を目指しているから――尻を凝視されている――
やっぱりそういう出来る男のオーラってけっこう同性から見ても――僕のベルトをかちゃかちゃと――
……僕には優雅な妄想で舞うことすら許されないというのか。
にちゃぁ、という音ともに黙っていれば小動物的な可愛らしさを持っている白粉が
恐怖撒きちらす魔王と化して鼻息あらく僕のズボンごとパンツを下ろそうと奮闘していた。。
……とりあえず意図せずしてだろうが周りから見えないよう巧妙なポジショニングをとりながら
僕の尻の穴の具合を触診している白粉の後ろ髪を引っ張った。
「はぅっ!? す、すいません。
ここに来るまでにひょっとしてどこかのガチムチに
単一電池を尻の穴に入れられたんじゃないかと心配だったので具合を診ようと」
「単一電池は尻に入れるものじゃない!!」
いつも通り仰け反り、ぱたぱたと手を振り回す白粉、
ぱっと手を離した僕を先輩はクスクス笑う。
「まったく、こんな時でも変わらないな」
でも変わって欲しいこともあるんですよ先輩。
いや、白粉のことはもう諦めてますけども
こう……あなたが自分の気持に素直になって。
火照った体が静まらないんだ、とか。
女の子だってエッチになるんだよ?
とかチェリーボーイズが言われたい言葉トップ3にランク・インすること言いながら
僕にこうにじり寄ってくれたり。
でも後者はちょっと先輩に似合わないな。
もっと、こう、恥じらいながらもちょっと拗ねて口を尖らせて
たまには後輩からせめて欲しいんだぞ☆っていやいや先輩は☆なんて使わないし。
考えろ、考えろ僕! 何が、何が先輩にベストフィットするかを!
「何を狙うか決めたか?」
「はい」
あ、はい。そうです。僕はこんなことを考えている場合ではないのです。
陳列されているのはいつもとは一風変わったものばかり。
やっぱりここが何時死ぬかわからない殺し合いというフィールドだからか
バリエーションを狙うことは難しいらしく、一品料理ばかりだった。
ステーキ、カレー、カツ丼。
肉、肉、肉。
胸焼けしそうな光景かもしれないけど僕みたいな育ち盛りには嬉しい。
順に
『~ヒグマに負けない脂身をあなたに~ 安富よ、見るがいい。これが肉汁だ!ステーキ弁当』
『殺し合いにこそスパイスだ! 君は見たか辛さと汗の力をカレー』
『こんな場所だから産まれるのさ。肉と肉の絆が。フローラルな肉をそっと包んだ僕らの衣、友情カツ丼』
となっている。相変わらず攻めたネーミングだ。
普通弁当に『~』とか使わないからね。
「『~ヒグマに負けない脂身をあなたに~ 安富よ、見るがいい。これが肉汁だ!ステーキ弁当』にします」
「そうか、私は『殺し合いにこそスパイスだ! 君は見たか辛さと汗の力をカレー』だ」
「えっと、私は
『こんな場所だから産まれるのさ。肉と肉の絆が。フローラルな肉をそっと包んだ僕らの衣、友情カツ丼』です」
「月桂冠は出ますかね」
「どうだろうな」
小声でささやき合いながら獲物を定めた僕たちは弁当コーナーから
お菓子売り場へと移動する。
僕達の力の源、腹の虫の加護は準備万端。
今か今かと解放の時を待ち構えている。
両の指先の末端まで臨戦態勢にし、
若干猫背になりながら僕は目の前のトップバリューのポップコーンを凝視した。
肩が触れ合うくらいに近くに先輩がいる。
彼女は堅揚げポテトコンソメ味を凝視していた。
先輩はコンソメ味派なのだろうか。
僕としてはコンソメの舌の上で転がる素朴ながらもコクのあるコンソメも捨て難いが
ゆず味の堅揚げポテトを選ぶ。単純に好みの問題だ。基本的にどれも好きだけどね。
好みの問題、重要なワードだ。
セガ信者だからマイノリティ気味なベクトルを好むというわけではない。
遠く果てしないセガ信者の道の入門したての人間はよく
自分は選ばれたセガ信者などと必要以上に他を貶める振る舞いをしがちだ。
だが違うのだ。セガが僕達を選んだのではない。僕達がセガを選んだのだ。
その時、スーパー内でどよめきが、
少し遅れて僕達の体が数センチ程浮かぶのではないかという振動が襲った。
音がした方を見ると剥製が動いていたのだ。
ヒグマの、剥製が。天井すれすれの頭が陳列棚の上に飛び出していた。
「何だ気づかなかったのか?」
「いやいや気づきませんよ。っていうか何でみんな冷静なんですか!?」
「そうか、あいつはここに来てからずっと直立不動だったからお前は見ていないのか。
佐藤、彼の目をよく見てみるんだ」
先輩に諭されて僕はヒグマの目を見た。
その時、僕も周りの《狼》が逃げ惑ったりしない理由を悟った。
見るがいい。彼の瞳の気高さを「獣に押し倒されて尻の中を野生棒に蹂躙される佐藤さん。いいですよね」
そうじゃねえよ! 白粉の結った後ろの髪を例のごとく引っ張る。
それは飢えた者の眼だった。
しかし、決して己の意思に恥じることはしないという潔癖じみたプライドを湛えていた。
穴持たず、巣を持たない野生でありながら
僕達《狼》と穴持たずに共通するのは飢え、そこからの気高き勝利。
ヒグマもこのスーパーに来た時わかったのだろう。
ここには種族、身を置く場所が違えどが志を同じくする戦士たちがいるのだと。
穴持たずはじっくりと弁当を見渡す。
決して弁当に手を触れたりはしない。
それは、勝者となった時の感動を倍増させるためだろう。
指で弁当に触れようとせず、繊細な芸術を扱うようにジェントルマンに、ヒグマは接していた。
それで良いと誰もが頷いた。
僕達の心は勝手わからずとも相手の立場、自分の気持ちを慮るヒグマに
さながら慈母のような瞳を向けていた。
取りに行く弁当を決めたのかヒグマは背を向け僕達のいる方へと歩いてくる。
僕とヒグマの視線が交差した。
すでに覚悟は完了している。
僕達が《狼》以前に生命の危機に関わるこんなおっそろしい場所にいてもなお、
HLPT(ハーフプライスラベリングタイム)を待っているのはきっと、目の前の彼と同じ。
彼は今までどれほどの心細さを味わってきたのだろう。
それでも彼は穴持たずとして生きてきたのだ。
大多数がぬくぬくとした住処を選ぶというのに。
僕の魂に燃える熱さは、セガ信者がセガ信者と遭遇した際に抱く
一種の闘技者同士が感じるシンパシー。
アブラ神が店内に降臨した。
いつもの三倍近くの《狼》を前に、彼の足取りは堂々と。
弁当に丁寧に半額のシールを貼り、
最後のひとつに月桂冠シールを貼ると、
最後に野生から文明へとやって来てなお弁当を求めるヒグマへと敬意の一礼し、ドアは重々しく閉じられた。
息を潜めた《狼》が我先にと弁当へ駆け抜ける。
ヒグマと僕達も同じく走りだした。
弁当売場の前にて交わされる激闘、それに勝ったものだけが食せる
勝利の一味が付与された極上のディッシュ、半額弁当。
《狼》の中には名前を知らずとも強敵(とも)、戦友と言える絆で結ばれた
顎鬚、坊主、立派な果実をゆっさゆさと揺らす二つ名持ちの茶髪もいる。
誰もが知っていた。
今はこんなことしてる場合じゃないと。
だが僕たちは知っていた、ヒグマと同じく。
生命の危機だからこそ。
腹が減っては戦は出来ず。
真理だった。
顎鬚と坊主が大乱戦のただ中に突っ込む。
二人とも二つ名を持っているわけじゃないけど名の知れたハゲと顎鬚だ。
けれどそんな二人をして、呆気なく吹き飛ばされるあたり、
今日は強豪が集まっている。
それも恐らく全国からだ。
こんな状況においてもっとも有利に動けるのは
相手の隙を潜ってのステルスを得意とする白粉だが
今回は些か荷が重すぎるのだろう、入りあぐねている。
僕と先輩が背中合わせとなって乱戦に交じった。
すぐに来るのは目の前の小太りの男からの正拳突き。
良いパンチだ、お腹が空いてなかったら鳩尾に決まっていた。
だが僕は素早く足払いをして難なく躱す。
先輩は最強の《狼》のひとりに数えられるだけあって頼もしい。
脚線美から繰り出される分厚い上げ底ブーツの蹴りは軌道が不規則で読み難く
一撃一撃は多少軽いが、それでも標準以上をキープしているのだ。
立て続けにもらえば足に力が入らなくなるだろう。
両サイドからの攻撃、
一方は肘に掌底をあて、もう一方には裏拳を。
「背中を借りるぞ、佐藤!!」
背後からの掛け声に僕は応じ、
背中に内本君ならこれだけで至福を得ただろうブーツの感触、
そして次の瞬間には僕の肩を発射台に先輩が飛び蹴りをお見舞いした。
「来るぞぉ!!」
全身に戦慄が走った。
父さんとの登山、ひょっとしたら天狗に会えるんじゃね?という無茶な、
オブラートに包めば冒険心にあふれた思いつきの果てにヒグマに追いかけられた僕だから察知できたのだろう。
全身に打撃を食らいながらも身を丸めて少しでもその場を離れようと藻掻く。
すぐ横を嵐が過ぎ去った。比喩抜きで。
天高々と、ではない。天井があるのだから一度天上にぶつかり、バウンドし、床にあたり、またバウンドし。
バスケットボールのように《狼》達がバウンドしながら吹き飛ばされていった。
天井からパラパラと瓦礫と粉が落ちる。
お惣菜は店員さん達の神フォローによってすでにラップにくるまれていた。
ここが本当のホンキーマートでなくてよかった・
まあ、そもそも普通ならヒグマはこんなとこまで来ないけど。
そんなことをぼんやり考えたが、事態はそうも言ってられない。
ヒグマがすでに弁当の前に立っている。
突進は余波ですら僕達を大きく退かせる威力を持っていたせいで、
全員がヒグマより離れた場所にいる。
しまった……!
そう思った僕の前でふわりと飛び上がるのは魔女。
そして、けしからん胸を揺らす《ガリートロット》の二つ名を関した茶髪。
「合わせろ!」
「オッケー!」
先輩が何回も宙で回転し遠心力を加えた飛び回し蹴り、
茶髪が大地を蹴ってバク宙する要領でお見舞いする下からの蹴り。
タイミングは申し分なしだったはず。
だが足りない。
二人の蹴撃は呆気なく弾かれ。
先輩はヒグマを逆に土台にしてすぐさま離れられたが、
茶髪は真正面からの打撃を腹部にもらい倒れた。
寸前に両腕でガードしていたから生命に別状はないだろう。
先輩は恐らくあの巨体なら上からの攻撃に弱いと思ったのだろう。
だがそれは間違いだ。奴は穴持たず。
つまり自然すら相手取って生き残ってきた生粋の猛者。
上方からの攻撃、それは嵐においてもっとも警戒すべき場所なのだ。
僕の父さん、自衛隊員が僕を囮に上方からのトラップで仕留めようという作戦を断念した理由はそこにある。
ならば弱点は何処かというと――難しい問題だ。
一度の突進で半分近くがダウンしている。
腹の虫の加護がなければすでに息絶えていただろう。
ヒグマの攻撃力はクレーン車並、
機動力はバイク、切断力は鉈。
どこを攻めればいいのか…………
「待てよ?」
僕はふと気がついた。
いったいどうしてヒグマは弁当をとらないのだろう?
すぐ後ろにある弁当に手を伸ばせばそれで勝ち抜けなのに。
よく観察してみるとすぐにわかった。
ヒグマの手ではよほどデリケートに扱わなければ弁当は呆気なく爆散する。
何という悲劇か。これが文明なき世界に生きる上での代償か。
このヒグマ、弁当を掴むのが苦手なのだ。
ならば勝機はあると確信する。
「先輩、ヒグマの弱点は鼻面です!」
「ああ、それくらいなら私も知っていたが」
「私もはじめの一歩で読みました!」
やっぱり知ってるよね。
今戦えるのは顎鬚、坊主と僕、先輩、白粉、知らない狼が二人か。
「僕に続け白粉!」
僕は穴持たずによって崩壊した乱戦をもう一度形成しようと
雄叫びを上げてヒグマに突撃する。
横殴りに襲いかかる一撃を僕は天井に跳んで、
魔導師がやったように天上を足がかりに大きく前方へ飛び込む。
白粉がその後ろでヒグマの一撃後の隙を難なく縫って躱した。
風のうわさでは僕より二つ名定着が早いのではないかとされる白粉。
戦闘スタイルから月桂冠の獲得には恵まれていないが単純な勝率なら僕を上回りかねない。
僕がステーキ弁当へ、
白粉がカツ丼へ同時に手を伸ばしかけるも背後に殺気を感知し素早く身を翻す。
僕達に触発されたのか他の狼も一斉に穴持たずが占拠している弁当売場になだれ込んだ。
勝負は一瞬。こんな怪物相手に消耗戦は自殺行為だ。
野生の超直感によって狼達の乱打をヒグマは急所被弾を避けて、
腕を大きくから小回りな、さながらフックのようにして振る。
その風圧は鎌鼬となって狼達の衣服を切り裂く。
これが茶髪とかならうふーん、なことになっていたが悲劇的にも
露わな肌を晒したのは男のみ。だが白粉先生には追い風だろう。
彼女は戦う男の筋肉と汗に芳醇な香りと荘厳な美しさを見出す腐った脳の持ち主。
僕は巧みにヒグマの攻撃を避けて彼の背後に回りこむ。
裸絞などをしようというのではない。
ヒグマは筋肉の塊、胴体と首の違いなんてわかったものじゃないのだ。
足を胴体に回し、腕を顔の下あたりで組み。
大きく深く息を吸い込んで、喉を震わせ僕は穴持たずの鼓膜を超高温で揺さぶった。
超音波攻撃なんていうスキルは持っていない。
あくまで声変わりした男の精一杯の高音だ。
穴持たずの動きが一瞬止まる。
これがヒグマの習性、
高く、大きな音を出されれば動きは一瞬止まる。
それは、大自然の脅威は騒音とともにやってくることが多い故の。
僕が生み出した間隙を我先に利用せんとする狼達。
顎鬚と坊主が周りの狼と取っ組み合いになり、押し合い圧し合いとなりたちまち膠着状態に。
しかし。その瞬間こそが白粉の好機だ。
一番に弁当を手に入れたのは白粉。
それに続いて手に入れたのは我らが槍水仙、僕らの先輩。
後に残るは月桂冠を冠した今日一番の弁当、ステーキ。
僕が穴持たずから離れれば穴持たずは真っ先に弁当へと突進していく。
膠着状態から反応が遅れたせいでその場にいた全員がヒグマの突進に吹き飛ばされる。
大猪とは比べ物にならない圧力だ。
一度でもくらえばそれでアウトだろう。
だが僕も背後からヒグマを追走していた。
狙うは、ヒグマが弁当を手にする一瞬!
爪、腕、全身が姫を招き入れる王子のように優しくなった瞬間こそ、
僕の付け入る隙がもっとも大きくなる!
古武術の嗜みがない僕に白粉の真似事は付け焼き刃にしかならないだろう。
だが、それしか手がない以上、僕は全力を出すのみ!
ヒグマの背後から側面に回り、手を全力で伸ばす。
その刹那、ヒグマの顔が達成感に満ちたように見えたのは気のせいだったろうか。
僕の視界をヒグマの腕が一面に覆う。
理解、した。彼もこの瞬間を望んでいたのだ。
考えてみれば穴持たずにとって最も厄介なのは
生き残りと一対一となった場合。
弁当をとるには不安すぎ、かといって倒すにも面倒。
だから、彼はあえて隙を生むことで火に入ってきた虫を焼くことを選んだ。
完敗、その言葉が僕の脳内を埋め尽くす。
そして僕の意識は途切れた。
スーパー前の公園で僕は目が覚めた。
先輩と白粉が運んでくれたのだろう。
ベンチの上で横たわった僕には二人分のカーディガンがかけられていた。
「起きたか、佐藤」
「先輩」
こちらを見て微笑むのはスーパーでチンしてもらったホカホカのカレー弁当を手にした先輩。
その隣で白粉が心配そうに僕の顔を覗きこんでいる。
「お前の分のどん兵衛とおにぎりだ」
渡されたどん兵衛が僕の手の上で暖かな温もりを提供してくれる。
気絶明けにはありがたかった。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
一斉に手を合わせた後、僕たちはそれぞれの食事にとりかかる。
一人で食べる食事もそれはそれで別の味わいがあるが
やはり、それだけでは飽きるというもの。
みんなで食べる食事も楽しいものだ。
誰だってそれだけでは満足できない。
たとえばソニックやカプコンVSSNK目当てでドリキャスを購入した人がいても
きっとそれだけで満足するということはないだろう。
SEGAハードが持つ脳をとろけさせる麻薬めいた面白さに一度とりつかれれば二度と戻れはしないのだから。
かき揚げがだしの効いたスープの上でぷかぷかと浮かんでいた。
箸でつつけば浮き沈みし、伝わる手応えが
僕に衣が良い具合にさくさくとしっとり感の黄金律が完成したことを教えてくれた。
ふと、僕はいつもと汁の色が違うのに気がついて首をひねる。
まるで、金色の月が蕎麦全体に溶けたような、そんな違和感。
「栄養が必要だと思ってな。卵を入れたんだ」
そう言った先輩の腕からはレジ袋に入った卵のパックが。
ああ、先輩、今のこの感動をあなたにわかってもらうにはどれほどの言葉が必要だろう。
さながら初めておっぱいを揉みしだいた男の子が甲高い声で
「ハハッ! なんて大いなる実りなんだろう! 離さないよ!!」
と世界中に夢と恐怖を与えてくれる鼠様めいた口調をするが如く。
それほどの感激だった。女の子が独断で料理に卵を混ぜてくれるというのは。
僕はリスが餌を頬張るように一心にかっこむ白粉を
珍しく微笑ましい気持ちで見やり、
そして視線を横にずらすとステーキ弁当を食べていた穴持たずを目にして絶句した。
「あれ、気づかなかったんですか?」
僕達と席を並べて行儀よく弁当にありつく穴持たず。
「そういえばそれ、熊肉ステーキだったそうですよ」
ブラックなことをいうなよ白粉!
横でそんなこと言われる穴持たずさんサイドの気持ちになれよ!
と言いたいのを懸命にこらえて僕は日本の技術が生んだ海苔の鮮味を保存するパッケージをピリピリと裂いた。
なんとはなしにヒグマの食べ方を見る。
まあ、美味しいそうに食す。と感心する。
人間、ヒグマ、文明、野生の垣根を超えた美味の共感。
僕たちは争いを無くす一つの手段に接しているのだという感動を受けた。
食べづらいだろうと思い、僕は箸でよく火が通った人参とじゃがいもを穴持たずの口へと運ぶ。
横で白粉がにちゃぁ、とおぞましい笑みを浮かべたがさすがに今は気にしない。
脂身を野菜で打ち消す、
ようでいながら旨みを倍増させるという食べ合わせマジックに
穴持たずの目が真ん丸になった。
「でも本当に食べたいのは別にあるんだぜ?」
「え?」
そう言ってヒグマは僕を押し倒して
僕の胴回りほどの太さの腕でベルトを器用に外すと両足を優しく広げて僕へと野生が入ってくる。
「あ、そんな……ちょっと、ダメだって。
ひとまえでこんな、ふぁっ……あっ……あっ……
Oh! Oh! Fuck Me!!」
快楽に負けた僕は食べ終わったどん兵衛とおにぎりの空を頭の横にして
まるでハリウッド女優のように大胆な喘ぎ声を――――」
僕は白粉の髪の後ろを引っ張った。
はぅっ!! と仰け反る白粉先生のPCではやったらとおっそろしい出来事に巻き込まれた僕が
何故かヒグマと痴態を繰り広げるという夢野久作先生も真っ青な光景が描写されている。
「ご、ごめんなさい。佐藤さん!
昨日すごくリアルな夢を見たので普段は絶対にやらないんですけど
いっちょ、そのまま打ち出してみようかなって」
「うん、それはわかったけど実名はやめろや」
部室にてドタバタ劇を繰り広げる僕は
PCのワードにて繰り広げられる様々な悲喜劇を見てため息をついた。
やっぱり、平和が一番――――「でもこの後無事、直腸内に着床した佐藤さんは妊娠して愛の結晶を世界に送り出すんですよ!」
前言撤回、誰かこの先生を止めてください。なんでもしますから。
最終更新:2015年01月18日 01:47