「あ・・・」
「・・・どうかしたんですか?」

 バンガードの宿で紅茶を飲みながらピドナへの定期連絡を認めていたカタリナの唐突な発声に、窓から身を乗り出して道端の猫と遊んでいたフェアリーが振り返った。

「いえ・・・そういえばポールやエレン達って、氷の剣探索に向かったのよねーって思って」
「あー。ミューズさんは、そう仰っていましたね。それがどうかしましたか?」

 花壇の世話が趣味であり、西の花の種が欲しいとシャールと共に買い物に出かけているミューズを思い浮かべながら、フェアリーがカタリナの言葉に答える。
 それに対してカタリナは羽ペンを持つ手で軽く頭を掻きながら、ぼそりと続けた。

「いや、前にフェアリーに教えてもらった『雪だるま族が氷の剣を守護している』っていうの、そう言えば誰にも伝えてなかった気がして」
「あーなるほどー・・・。うーん・・・・・・。まぁ、きっと大丈夫ですよ」

 空中で腰掛ける様な仕草をしながら腕を組んで考えていたフェアリーは、何かを察知してか、気楽な様子でそう断じた。カタリナが小さく首を傾げて続きを促すと、フェアリーは窓の外の空へと視線を向けながら微笑む。

「ノーヒントの方が、冒険は面白いものですし」
「え、まぁ・・・それはそうかも知れないけれど。それって大丈夫っていうのかしら・・・?」

 得心いかない様子で首を傾げるカタリナに、フェアリーは微笑み返しながらもう一度窓の外を見やる。
 注意深く意識を向ければ、遥か遠くで僅かに力の揺らぎを感じる。それは資格を持つ何者かが神器に近づく事で起こる気配である事を、彼女は知っているのだ。

「でも、ちょっぴり残念です。雪だるまさんには、是非ともお会いしてみたかったのですが」
「それなら私たちも、いつか北に行ってみましょう。その時に会いに行けばいいわ。エレン達が会えていれば、方法もわかるでしょうし」
「・・・はい!」

 ティーカップを片手に柔らかく微笑みながらそういうカタリナに、フェアリーは花のような笑みで返しながらカタリナの近くに置いてある自分用のハーブティーを手に取った。

「あら、なぁに?」
「いえ、なんでもないです」

 文書を書くカタリナのすぐ隣に、あるいは甘えているようにも見えるような近しい距離でちょこんと腰掛けるように浮かび、フェアリーはいつか会えるかもしれない雪だるまへと思いを馳せていた。








 四魔貴族討伐を聖王が為し遂げてから後、魔王殿を拝する市街地の丘の上に新市街建築の構想が立ち上がり勢いを増す王都ピドナを他所に、一組の男女が港から人知れずヨルド海を渡った。そうしてたどり着いた古都ロアーヌの地を開拓し、その地の初代侯爵として統治を行った聖王三傑たるフェルディナントと、その妻ヒルダ。
 この二人が実は世界地図上で最北の都市国家であるユーステルムの出身であるということは、思いの外広く知られていない事実である。
 そんな稀代の英雄二人を輩したこのユーステルムという都市国家は、商都ヤーマスとツヴァイク地方を結ぶ交易の拠点として、そしてその交易路に沿って聖都ランスへと巡礼する聖王教徒の宿泊地として、北の地に必要不可欠な都市として発展してきた。
 交易の街と巡礼地としての二面を抱えるこの街は、いざその中に入って見渡してみれば、北の地の厳しさと共に生きる実直な民の集まりであることを知ることができる。
 特に今は最もこの地で過酷な冬の時期であり、現地の民は狩りの季節に拵えた備蓄と共に息を潜め、じっと春の訪れを待つのだ。だが、この時期にこそ見ることができるこの地方独自の天体現象としてオーロラがあり、それを一目見ようとこの地を訪れる者も多いのだという。
 しかしそれもここ数年はオーロラ自体が何故か姿を現さなくなったことで観光客の足も遠のいていたのだが、どうやら今年はまたオーロラが出そうだ、というのが地元のハンターたちの空読みの結果なのだという。
 そしてその言葉を信じ、まさに今雪原を進行する者たちがあった。
 すっかり日も傾き夜が近づく一面銀世界の山間の雪原を進む五つの影は、時折強烈に吹き荒ぶ風に凍えながらも、しかし立ち止まることなく着実に歩を進めていた。

「ちょっと・・・あとどのくらいなの!?」

 頭まですっぽりと被ったフードの下では鼻っ柱をすっかり赤くしながら、エレンは先頭を行く大男へと大声で問いかけた。その声量から推察する限り、まだまだ彼女らには十分な余力がありそうだ。

「あーと少しだって」
「それもう三回くらい聞いたわ!」

 エレンのその言葉に後ろの三人も全力で頷き返すと、先頭の大男は、がはははと豪快に笑いながら懐のスキットルを取り出した。

「なぁに、本当にあと少しなんだ。焦らず行こうじゃあないか。ほれ、お前たちもやるか?」

 中身は現地特有の度数の高い蒸留酒を入れているらしいスキットルを一口飲むと、大男はそれをエレンにも勧めてきた。

「いいわよ、自分で買ったのあるし」

 エレンは大男のものには目もくれず、特製の毛皮の外套の内側から丸い形のスキットルを取り出して、その中身を豪快に呷った。通常スキットルは四角い形が多いのだが、ユーステルムの露店で見つけた丸い形のスキットルが非常に可愛く見えたとのことで、彼女のお気に入りだ。

「おぉ、流石いい飲みっぷりだねぇ。ロアーヌの奴らは酒飲みが多いんだなぁ」
「あたしやカタリナさんと同じにみんなを見ちゃだめよ。ね、ユリアン」
「え、あ、おう」

 突然話を振られたユリアンは、モニカを気遣いながらも懸命に返事をする。しかしその返事を碌に聞きもせずにエレンは既に前方へと向き直っており、それに対してユリアンは特に構うことなく、相変わらず大声で笑う大男へと視線を向けた。
 この雪山において彼らを先導するこの大男は、名をウォードという。
 最北都市ユーステルムを拠点として活動するハンターだということだが、ユリアンらがユーステルムに着いた直後に現地案内として彼を雇ったのは、ポールだった。なんでも、以前もカタリナと共にこの地を訪れた時、彼と共にこの地で仕事をしたのだそうだ。

「まぁあのねーちゃんがいねぇのは残念だったが、今度はこうして俺の遠縁の一族に会えたんだ。これも何かのお導きってやつだぁな」
「んなお導きはどうでもいいから、ちゃっちゃと目的地に導いてよね!」
「はっはっは、間違いない。こりゃあ一本取られたな!」

 ウォードとエレンは先ほどから、ずっとこの調子なのである。因みに彼の遠縁というのはなんとモニカのことであり、彼の家系図を辿ると英雄フェルディナントの時代まで遡ってロアーヌ侯族と繋がっているのだそうだ。とはいえウォード自身は美男美女として有名なロアーヌのアウスバッハ兄妹とは似ても似つかない外見なので、普段はこれを話しても誰も信じないそうだが。
 そんな二人の他にこの場にいるのはユリアン、モニカと、あとはロビンだ。
 ユーステルムまで共に来たポールはといえば、どうやらカンパニー関連で厄介な状況が現地で発生しているらしいということを察知し、そちらの火消しに向かうこととなったのであった。なんでも、以前にトーマスらが来訪し商業協定を結んだ北の盟主とも言われる大手「エリック社」が、現地でカンパニーの物件に裏でちょっかいを出していたとのことなのである。
 ポールはこれをこの機に叩かなければならないと判断し、現場調査をエレン等に任せることとしたのであった。
 そして現地調査のリーダーを言付かったエレンは早速「先ずはオーロラを見に行こう!」との大号令を発し、今に至るというわけなのである。

「でも、この道の先にオーロラがあると思うと、わくわくしますわね」

 ユリアンの手を取りながら歩を進めるモニカは、騒がしい前方の二人を微笑ましく思いながらも実のところは自分自身が一番楽しみであるかのような様子で、そう呟いた。
 なんでもこの山間の雪原を抜けた先には小高い丘があり、そこは空の果てまで続かんとするような氷原と、その向こうに北海を一望できる小さな崖があるのだという。ウォードが言うには地元のハンター仲間の中でも一部の人間しか知らない絶景スポットであるとのことで、モニカはまだ見ぬオーロラとその前評判に、密かに心躍らせていたのであった。

「おぉ、目印の大岩が見えてきた。あと少しだぞ」
「もう四回目よそれ!」

 あいも変わらずエレンとウォードは騒がしく歩を進めていく。
 そんな彼らに続いて三人も進んでいくと、ウォードが目印といった大岩を曲がった先には、確かに山間から広大な氷原を望む小さな崖が突き出していたのであった。

「もう間も無く、日が沈むな。こっからは長期戦を覚悟したほうがいい。オーロラは、いつ出るのかわからん気まぐれなやつだ。ここにテント張るから、男衆手伝ってくれー」

 背負っていた荷を下ろしながらウォードがそう言うと、ユリアンとロビンが彼を手伝っている間にエレンとモニカは崖からじっと空を見つめていた。
 陽が落ちたことで辺りは急激に冷え込んできており、張り詰めた空気の冷たさも肌に感じられる。
 白い息を規則正しく一定の間隔で吐き出しながら、エレンは遠く水平に向かって視線を向けていた。

「オーロラって、どんななのかな?」
「どんなものなのでしょうね。アンナ様は光の帯と仰っておりましたが、夜に光る虹のようなものなのでしょうか」

 氷原の先を見つめながらそう言うエレンに、モニカは少し上空へと顔を向けながら答えた。空には太陽に代わり星の輝きが現れ、既に広大な星の海を作り上げている。
 空から視線を下ろせば氷原はすっかり闇に覆われており、目を凝らしても下の様子はあまり伺えるものではなかった。
 この氷原の何処かに、氷の銀河とやらが有るのだろうか。
 モニカが暗い氷原をぼんやりと見つめながらそんなことを考えていると、彼女の背後から野太いウォードの声が上がった。

「おい・・・来たぞ!」

 その声にハッと我に返って、モニカが空を見上げる。するとその視界の端で空と海の境界のあたりに、小さく光り波打つ「何か」を捉えた。
 それは、青くて赤くて、または緑だったり白かったりして、小さな光だと思って居た矢先に、爆発的に空を侵食し薄暗い空を瞬く間に極彩色へと染め上げていく。そしてたった数度の瞬きの間に、遥か遠くからその「何か」は伸び上がる様にモニカ達の頭上に至るまで波打ちながら展開し、あっという間に彼女達のいる小さな崖をも空から包み込む様に広がった。
 それは、モニカが想像していた夜の虹などと言う様な可愛らしい表現に収まる代物ではなかった。
 例えるならばそれは、夜の闇に対して向けられる極彩色による容赦なき蹂躙。または夜が平伏す程の、天を跨ぐ長大な光の道筋。とにかく其れは、想像を絶する規模で紡がれる、偉大なる神の御業に他ならない。
 その息を呑む程の絶景に、しばしその場の面々は言葉を忘れて魅入った。

「・・・こいつは驚いたな。ここまで大きなのは、俺も初めてみる」

 ウォードが最初に我に返り、そう呟いた。
 モニカ達はこれ以外にオーロラというものを見たことが無いので比較のしようはないが、しかしこの光景は人生の中で二度同じものを拝める様な代物ではないであろうと言うことだけを、確信していた。
 そしてモニカらがそのまま言葉を忘れて魅入っていると、その極彩色の奇跡は更なる変容を遂げていく。
 畝り広がる光の帯はいよいよその高度を落とし、遂には小さな崖に立つ五人の男女を包み込んでしまった。

「・・・凄い、オーロラって凄い!!」

 その状況に至ってエレンは興奮の絶頂に達し、そう叫んだ。
 彼女達の周囲は最早薄暗い山間の崖ではなく、極彩色の渦の中。背後に来た道も、眼前に広がっていた氷原も、何も見えなくなっていた。

「・・・おいおい、こいつはなんかやべえぞ・・・!」

 この世のものとは思えないその光景に旅の四人が息を飲んでいる中、ただ一人妙に焦りを見せているのがウォードだった。

「これは、オーロラの現象とは何か異なるのか?」

 アイマスクが飛ばない様に手で眉間を抑えながら、ロビンが慌てた様子のウォードに問いかける。

「あぁ、こんなのは見た事ねぇ。つーか話にも聞いた事がねぇ・・・まるで婆様に聞かされた童話だ・・・!」
「童話・・・か。それは、好都合かもしれないな」

 ロビンがそう言いながらふっと笑みをこぼすのを見て、それどころではない様子のウォードは多少苛つきを見せながら言った。

「おいおい何が好都合だってんだよマスクマン・・・!」
「まぁ見ているといい」

 片手を上げてウォードを制しつつ、ロビンは上を見上げた。
 そこにもまた、極彩色の光が狂い飛ぶ様が見て取れる。

「とりあえず、身の危険は考えなくていいだろう。これが世界の奇跡であれば、我々に仇なす物ではないよ。なぜなら我々は、正義の心を持っているからだ。そしてこれが悪の為す事である事はないだろう。なぜならこの光景は、真に美しいからだ。つまり、我々に危険が及ぶ事はないという事だ」
「おいおいマスクマン、気でも触れたか・・・!?」

 自分の中にはない確信を語られ、ウォードは半ば混乱して頭を片手で抑えながら吐き捨てる様に言った。
 しかしどうした訳か、ロビン以外の三人も、何やら能天気な様子でこの状況に感嘆の声を上げているばかりだ。
 この異常な状態にいよいよ集団で気が触れてしまったのかとウォードが冷や汗をかいている、その矢先のことだった。

「見て、オーロラが・・・」
「解けていきますね・・・」

 エレンの後を追う様にモニカがそういうのとほとんど同時に、彼女らを覆っていた極彩色の光は、それまでの光景が嘘の様に呆気なく空間に溶け、消失していった。
 だが、どうしたことか空を覆う極彩色が消えてもなお、彼女らの周囲はうっすらと明るいままなのだ。
 空を見上げれば今にも雪が降り出しそうなどんよりとした空模様で、その分厚い雲の向こうの低い位置に、輝く太陽が透けて見えた。

「あれ、さっきまで夜だったよね・・・」
「あぁ、そうだ・・・。ってか、ここは何処なんだ・・・?」

 周囲の明るさに驚いて呟くエレンに応えながら、ユリアンは周囲を見渡す。
 彼らは今、先ほどまで立っていた山間の小さな崖ではない、別の何処かにいた。
 左をむけば切り立った崖が聳え立っており、その先は望むべくも無い。そして彼らの正面と右方向には、崖の中腹の空間と思われる一面が雪に覆われた場所で其処彼処に住居と思しき半円型の建築物が点在している。どうやら、其処は村の様だった。
 しかし、どうした訳か人のいる気配は全く感じられない。

「廃村・・・なのか?」
「ううん、でもその割には雪で建物とか隠れてなくない?」

 小さな段差を飛び越えて建築物に近づきながら、ユリアンの疑問にエレンが答えた。
 その建物は触れれば冷たく、木や煉瓦で作られたものではない様だった。

「・・・こりゃあ、イグルーだな。雪で作る簡易住居みたいなもんだ」

 ここでやっと冷静さを取り戻したのか、ウォードがエレンの後に続いて建物に近づきながら言った。

「えーこれ雪で出来てるの!」
「そうだ。しかし、こんなにデカくてしっかりしたイグルーは俺も初めて見たなぁ」

 初めて目にするイグルーをパシパシと叩きながら感心した様子のエレンとウォードの脇で、今度はモニカが何かを見つけ駆け寄った。

「まぁ、見てくださいユリアン。これはひょっとして、雪だるまでは?」

 ユリアンが呼びかけに応じて振り向いた先では、モニカが二つ並んだ等身大程度の雪像らしきものを色々な角度から眺めているところであった。

「あー、確かに雪だるまだ。そういや昔作ったなー。シノンじゃそこまで雪は降らないから、こんな大きなのは作れないし土でばっちいのばっかだったけど」

 そう言いながら雪だるまに近づき、ぽんぽんと頭を叩きながら幼少の思い出に耽る。
 しかし、そこでふと疑問に感じた。
 果たしてこの雪だるまを作ったのは、一体誰なのか。
 その疑問が浮かんでからよくよく周囲をユリアンが見渡すと、この村と思しき場所には多くの同じ様な雪だるまが乱立しているではないか。
 しかも恐らくはその全てが、しっかりと形を保った状態だ。雪も余計に積もった様子がない。つまり、作られてからそう時間が経っていないという事になる。

「兎に角、ちょっと探索してみようではないか」

 ロビンの発声を機に、五人は雪だるまばかりが立ち並ぶ村の中を歩いて回った。
 矢張り何処にもこの村の住民は居らず、だがまるでイグルーの中はつい最近まで誰かが生活をしていたと思えるほど、全く風化の痕跡がない。
 まるで彼らが此処に来る直前に住民が突如として神隠しに遭ったのではないかと思えるほど奇妙な空間の中で更に彼らを混乱させたのは、なんとイグルーの中にまで設置されている雪だるまの数々だった。

「ユーステルム周辺では、雪だるまを聖人像か何かにでも見立てる習慣など有られるのです?」
「うんにゃ、祭り事ででかい雪の像を作ることならあるが、それくらいだぁな。ここまで並んでると、奇妙なもんだぜ・・・」

 モニカの問いに答えるウォードを先頭に、一行は村の中でも一等大きなイグルーへと侵入した。そこまで大きくない集落であったので、ここが探索できる最後の建物だ。
 雪で作られているとは思えないほど内装もしっかりした作りであり、イグルーの中には下へと向かう階段が掘られている。そしてその先は、なんと地下室まであるほどの広さを誇っていた。
 その階段を降りた先にも矢張り雪だるまが三体程有るだけで、矢張り人の気配はない。
 この場所で村の中は粗方見回ってしまったが、なんの発見もなく状況が変わる様子もない。
 さてどうしたものかと皆が顔を見合わせる中、エレンは部屋の奥に鎮座する雪だるまの一つに近づいて、先ほどモニカがしていた様に改めて雪だるまを観察していた。

「なんか分かったのか?」
「いやなーんにも。でもここの雪だるま、みんなちゃんと目と眉毛の飾りがついてるの可愛くない?」

 そう言いながらエレンが雪だるまを撫で回すのを見つつ、ユリアンは腕を組んだ。

「女子のそういう可愛いって感覚は、いまいち男には分かんないよな。なぁロビン」
「うむ・・・まあ恐らくは、『これは正義か悪か』というような二極化の意味合いで『可愛いか可愛くないか』という二者択一の判断を行なっているのではないだろうかと思うが・・・」
「・・・俺は男の感覚もわからなかったんだなぁ」

 ユリアンとロビンがそのような雑談に花を咲かせていたまさにその刹那、それは起こった。

「ウギャアアアアアアァァァァァァ!!!???」
「うわあああああぁぁぁぁ!!?」

 突如その場に巻き起こった二つの絶叫に、全員が声のした方へと振り返る。
 そこには、絶叫を発した一人であり、驚いた様子で尻餅をついているエレンがいた。
 そしてエレンの前には、呻き声と共に盛大に雪面をのたうち回る、大きな雪の塊があった。
 それは、先程までエレンが撫で回していた雪だるまだった。

「うぐううう・・・そ、そこを触っちゃダメなのだ!」

 そして有ろう事かエレンを始め他の四人も唖然としている中、どういう原理かむくりと起き上がった雪だるまは苦しそうに目を瞬かせながら言葉を発したのだった。

「雪だるまが、しゃべった!!」

 エレンは目の前の雪だるまに遅れて立ち上がると、臀部に付着した雪をはたき落とすのも忘れ、ただただ感嘆した様子だ。

「動いちゃダメじゃないか!」

 続いて何処からか発せられた声は、これもまたユリアンら一行のものではなかった。
 その声にいち早く反応してユリアンとロビンが振り返ると、奥の雪だるまから彼らを挟んで反対側、階段の方に鎮座していた二体の雪だるまが新たに動き出して顔(と思われる面)を奥の雪だるまへと向けていた。

「だって、目を指で突き刺されたのだ・・・流石に痛いのだ・・・」

 好奇心に駆られたエレンの惨たらしい仕打ちが度を過ぎていたのだと主張する雪だるまに対し、他の二体は流石に同情を隠せない様子だった。
 やがて、その間もあまりの出来事に身動きが出来ないでいるユリアンらに対し雪だるま達は向き直った。

「ばれてしまっては仕方がない」

 そう言って一歩(足らしきものが見当たらないので、この表現が妥当かどうかは議論の余地があるだろう)ユリアン等に対し距離を詰める雪だるま達。素早く臨戦態勢を整えるユリアン達。
 だが雪だるまから発せられた二の句は、ユリアン達に取っては大いに予想外のものであった。

「雪の町へようこそ!!」






 魔王生誕以前の遥かな昔、北海へと続く峠と極寒の境界の間に、その町は気が付けば存在していた。
 とは言え、少なくとも最初は町などというようなものではなく、只々意思ある力が漂う力場というだけだった。
 それがある時、人界から気まぐれなオーロラに導かれて人間の少女が一人、その力場へと迷い込んだのだという。
 力場に漂う意識体は、その思わぬ来客に好奇心から接触を図った。肉体を持たぬ意識体は思念を用い、その少女と意思の疎通に成功した。少女は、その場所で小さな雪だるまを作った。そして一体の勇気ある意識体が、その小さな雪だるまと自身の結合を試み、初めて意識体は物質としてその場に存在する事に成功した。
 物質となった事で子供と発声を介して意思疎通を行えるようになった意識体は、子供とともに幾つも雪だるまを作った。それに次々と意識体が宿り、雪だるまは瞬く間に増えていった。
 だが明くる日、雪だるまに囲まれて寝ていたはずの少女は、二度と起き上がらなかった。
 それから少女と同じように幾度か来訪した人間が同じ結末を辿るうち、それが凍死であるということに気がついた雪だるま達は、切り立った崖を削り、訪れた人間が凍えぬようにと暖炉を備えた部屋を一つ作ることにした。
 そうして幾百年の月日の間に、この雪の町が作り上げられ、今に至る。

「・・・という設定なのだ」
「設定かよ!」

 まるで古い童話を聞いているような面持ちでそれを聞いていたユリアンたちは、雪だるまのオチに盛大にツッコミを入れた。
 彼らは今、設定によれば人間を迎え入れるためにわざわざ作ったらしい暖炉のある部屋で、雪だるまとそんな話を繰り広げていた。
 因みにこの時点で、オーロラさえ出れば雪の町から帰ることは可能だということは雪だるまから確認出来たので、こうして寛いでいるというわけである。更に補足するならば、この部屋は非常に暖かいのだが雪だるまはこの場所では魔力行使によってか解けずに居られるのだという。

「幾人かが犠牲になるというさり気無く残酷な描写が、昔の童話という感じがしますわ」
「うん、それを狙っているのだ。あんまり来ようとする人が増えても、ここは人間が住み続けられる環境ではないので危険なのだ」
「へぇ、雪だるまってのも色々考えてんだぁなぁ」

 ウォードが何やらいたく感心した様子で雪だるまを見ている横で、エレンが挙手をする。

「はいそこのポニーテールの女の子」
「あたしはエレンよ。んで、今のが設定なら本当はどういうわけで雪だるまが動いてて、こんなところがあるの?」

 雪だるまは、その問いに対して表情だけで見事に考えを巡らす様子と、辿り着いたであろう思考結果を吟味する様子を表したのち、こう言い放った。

「わからないのだ」
「わかんねーのかよ!!」

 珍しくツッコミに回ったユリアンの横で、ロビンは何故か雪だるまのその言葉に感銘を受けたように頷いている。

「何故自分が存在するのか、それは確かに分からぬものだ。それは人も雪だるまも同じということなのだな」
「今はそんな話じゃねーよ!?」

 忙しそうなユリアンを尻目に、今度はモニカが挙手をする。

「はいそこの金髪の女の子」
「私はモニカと申しますの。雪だるま様は、氷の剣について何かご存知ですか?」

 ここでモニカが今回の遠征の核心に迫る問いを発すると、雪だるまは彼女らのいる暖炉の部屋の奥に視線を向けた。
 そこには、一見なんの変哲も無い扉が設置されている。

「氷の剣なら、あっちにあるのだ」
「隣の部屋にあんの!?」

 あまりの展開の早さにユリアンの対応力が追いつかなくなったところで、エレンが颯爽と立ち上がり扉の方へと歩いていく。
 そして徐に、その扉を開け放った。
 瞬間、まるで空気が凍りついたかと思われるほどに一気に冷気が広がり、暖炉の火が全く意味をなさなくなる。

「そこが、氷の銀河なのだ」

 扉を開けたその先は部屋ではなく、なんと氷原だった。そして氷原は視界の先で間も無く途絶えており、その向こうには広大な一面の湖が広がっていたのだ。
 雪だるまの町は夜だというのに明るかったが、その扉の先は見上げる先が薄暗く、夜のようだ。だが全方位から蒼く淡く発生している幾つもの光が、その空間を仄かに照らしている。
 そして蒼い光と同時に強烈な寒気がその空間を支配しており、そこは雪だるまの町以上に温度が低い場所であることが分かった。
 部屋の中にいる今でさえ相当の冷気を感じる事が出来、長くそのままでいると感覚が麻痺してくるのが容易に想像できる。

「うわぁ、本当に星みたい・・・」

 寒さも忘れた様子でエレンが扉から上半身を押し出して湖面を覗き込むと、どうやら空間に溢れる蒼い光は湖の中からも発せられているらしかった。

「成る程これは、氷銀河と名付けられたのも納得ですわね」

 両腕を抱き込むようにして寒さを凌ぎつつ、モニカもエレンの肩のあたりから顔を出してその光景に魅入った。

「早く扉を閉めて、こっちに戻るのだ。その格好では凍ってしまうのだ」

 扉の前で呼びかける雪だるまに従ってエレンとモニカが扉を閉めて暖炉に戻ると、確かに二人の衣服や髪には気づかぬ間に細かい氷の粒が短時間で幾つも付着していた。

「氷の銀河は、人がそのまま入っていられる場所では無いのだ。しっかり対策をしないと凍えて死んでしまうのだ」

 さらりと恐ろしいことを宣う雪だるまに一同が耳を傾けていると、続いて雪だるまはこう言った。

「氷の剣を取りに行くのだろう? 連れて行ってくれなのだ」








最終更新:2019年05月03日 21:42