カタリナカンパニーが世界最大の企業となり、強制的に経済結束を主導してアビスリーグに対抗する。
 最早、絵空事にすら等しいようなトーマスのその発言に、ハンス邸の会議室に集まった全員がトーマスに向かい驚愕と疑問とを伴う視線を向けた。

「おいおい・・・ベントの旦那、今の今でその方針ってのは、流石に無理がないか・・・?」

 あまりに荒唐無稽と思われるその発言に、さしものカンパニー敏腕営業部長ポールも、薄らと冷や汗を浮かべながらトーマスに苦言を呈する。
 トーマスとほぼ等しい程にカンパニーの内部状況を理解していると言って間違いない彼から見ても、様々な側面からその方針は、今の段階で採るべきものではないと思えたからだ。
 周囲の皆も、彼ほどではないにせよその空気感はわかっているのか、それが集合した疑問符として現れている。
 しかし。
 突如そこに、トーマスの爆弾発言に大いに賛同する声が、予想外のところから聞こえてきた。

「めっちゃ面白そうじゃん。それ、ウチも混ぜてよ」

 その声に驚いたトーマス以外の一同が部屋の入り口へと振り替えると、そこには、右腕に愛用のクマちゃんを抱えながら精一杯胸を張って仁王立ちをしてみせる少女、キャンディの姿があった。
 彼女の後ろには、ローブを羽織ったロビンも控えている。

「キャンディ、帰ってたのかい!」

 ノーラが最初に声をかけると、キャンディは大きく手を上げながらノーラに視線を返し、そのまま会議室の空いた椅子に向かっていく。
 そしてその場に集まった一同を素早く確認し、当然の流れの様にブラックに視線を止めた。

「ってか、おっさん誰?」
「けっ、その台詞はいい加減聞き飽きたぜ」

 ハーマンの時の彼しか知らないキャンディが疑問に思うのは当然だが、当のブラックはあまりに聞かれ過ぎたその誰何に、真面に答える気がない様子であった。
 気を利かせたミューズが簡単に経緯と正体とを説明してやると、キャンディは暫し興味深そうにブラックの全身や左足あたりを見回した後、その場での疑問追及は諦めた様子で改めて椅子へと腰掛ける。

「・・・っと、遅くなっちゃってごめん。ちょっと仕込みに時間掛かっちゃった。でも今の話ってことなら、ちゃんと手紙の通りに準備はばっちしだよ」

 キャンディが腰を下ろしながらトーマスに向けたその言葉に、ポールは再び疑問符を頭に浮かべる。

「仕込み・・・? キャンディ、そりゃ一体なんのことだ?」

 昨年の暮れ。
 ドフォーレ商会の一連の事件以降、ヤーマスにて商会立て直しその他の事後処理等をしてもらっていたキャンディへと書簡を届けるようロビンに託したのは、誰あろうポールなのだ。
 これは丁度、昨年末のコングレスが開かれる直前のことであったので、その時点でのルートヴィッヒとの協調体制などの現状を伝えると共に、連動してヤーマス内での新たな調査を依頼するためのものであった。
 なので、今のピドナの状況を見越した類の依頼など、そこに記した覚えは彼には全くなかったのだ。

「あぁ・・・ポール。それは俺が、別でロビンに手紙を渡していたんだ」

 即座にトーマスが名乗り出ると、ポールは首を傾げながらその内容を問うた。
 だが、トーマスに先んじてそれに嬉々として応えたのは、テーブルに大きく身を乗り出してきたキャンディであった。

「そ、ポールからのとは別で、トーマスさんからの手紙があったの。中に書かれていたのはね・・・フルブライト商会への探りと、何個かの仕込みについてだよ」

 ニヤリと笑みを浮かべながらのキャンディのその言葉に、場の一同は改めてトーマスへと視線を向ける。
 特段その中でも、ポールの瞳は全く驚きを隠すつもりもないほど大きく見開かれたもので、これにはトーマスも思わず苦笑いを浮かべてしまうほどであった。

「おいおい、まさか旦那のいう世界最大って・・・。てかキャンディが既に仕込みをしているっつーことは、この展開まで・・・あんたは読んでたってのか・・・!?」
「・・・いや、全てを読んでいたなんてことはないさ。ただ、フルブライト二十三世様からの依頼を受けた時点で、我々が選択する可能性の一つ、としては考えていた。だからいざという時の為に、キャンディに幾つかお願いをしていたまでだよ」

 トーマスとポールの会話は、キャンディを除いたその場の面々には今一、内容の理解に苦しむものであった。そこで、キャンディと同じく空いた席に腰をかけたロビンが口を開く。

「確かに私が書簡を渡したし、ヤーマスではキャンディさんに頼まれて色々と調べに動いたが・・・。あれらの調査には、一体どんな意図があったのだ・・・?」

 ロビンの言葉に今度こそトーマスが応えようとしたが、しかしそこに、やたら興奮気味のポールが割って入った。
 そんな彼の表情は、どこか呆れたような引き攣ったような、そんな表情だ。

「そんなん・・・もう決まってる。トーマスの旦那・・・あんた、フルブライト商会を『買う』つもりだな・・・?」
「な・・・フルブライト商会を!!?」

 とんでもないことを言い出したポールに、思わずシャールが驚きの声を上げた。それと同時に、ぱきり、と音がして彼の装着する銀の手が、持っていたティーカップのハンドルを割ってしまう。
 その声色が含むのは、単なる驚きの感情だけではない。お前たちは、なんたる不敬、なんたる畏れ多いことを口走るのか。その様な感情の方が、寧ろ一番に読み取れるような声だった。
 これは何も、シャールだけがそう感じるということではない。恐らくは世界中で大多数の人間が、彼と同じく感じることであろう。
 フルブライト商会という存在は、それだけこの世界にとって特別な存在なのだ。
 何しろ先ず、この世界で経済に関わる者ともなれば、フルブライト商会の名声とその偉大さを知らぬ等という不届き者は、まず間違いなく存在しないだろう。
 それどころか、例えば商い事とは全く無縁の、それもフルブライト商会の本拠地であるウィルミントンから遠く離れた貧しい農村に住まうような子供たち。その子供たちでさえ、酒場で謳う流れの吟遊詩人や聖王教会で教えられる数々の逸話の中で、その名前程度は耳にしている子供の方が圧倒的に多いはずだ。
 三百年の昔、人類が四魔貴族との死闘を繰り広げたその最中。様々な場面で宿命の子たる聖王を助け、時の世界経済を纏めあげ、聖王軍の勝利に貢献した偉大なる存在。
 それが、フルブライト商会なのである。
 その威光は今も全世界に届いており、この三百年、世界の経済界を常に牽引してきた存在。まさに、名実ともに世界一の企業とは即ち、フルブライト商会のことを指すのだ。
 そのフルブライトを、買収する。
 それが、トーマスの狙いであろうとポールは言ったのである。
 あまりに突拍子がなく、そして荒唐無稽に聞こえてしまうのも無理はないことであった。
 そしてそこに、今度はノーラが理解に苦しむ様な表情で声を上げた。

「ちょっと待っておくれよ。あたしにはその狙いとかあんま良く分からないんだけどさ・・・でも今は、兎に角ピドナの状況を何とかするのが先決なんじゃないかって感じるんだけど、違うのかい?」
「うむ・・・私もノーラ殿と同じ考えだ。単に優先順位として、今は一刻も早くアルフォンソ海運などへの融資などを起点に状況打開をするべきではないのか?」

 ノーラに続き、シャールも執事にティーカップを交換してもらいながらそう付け加えた。
 確かにこの流通の孤立状態を打開しなければ、ピドナの状況はどんどん悪くなるばかりだ。そこを先ずどうにかしなければならないと考えるのは、至極当然のことの様に思われた。
 だがしかし、それは実際には悪手である。
 そうトーマスは確信していた。そこをしっかりと説明せねば、この先の意図にも理解は示してもらえまい。
 トーマスはそう思い、テーブルの上で両手を組み直しながら腰を据えて解説を行おうとする。
 が、そこでミューズが他者とは少し様子の異なる視線で、自分のことをじっと見つめていることに気がついた。その瞳は他者と同じく疑問を持つというよりは、此方の考えを既に察しており、その答え合わせを待つというような色合いだ。
 なので思い直したトーマスは彼女に発言を促す様に、彼女に視線を合わせてから眉を上げ、薄く微笑んで見せる。
 勿論ここは自分から説明しても構わない場面だが、ミューズを介した方が話が早かろうと判断したからである。彼女の持つ魅力、言い換えれば生まれつきのカリスマ性というのは、本人が思う以上に大きいことを彼は知っていた。
 ミューズはトーマスの意図を汲み取り多少驚いた様子だったが、即座にそれに返す様に、浅く頷いた。

「では・・・私からご説明します。恐らく・・・トーマス様の狙いは、より大局を見据えたものです」

 ミューズの開口に皆の視線が集まると、彼女はその場の一人一人に視線を移しながら語り始めた。

「確かに現在のピドナは、流通の断絶によって一時的に外部から孤立しています。この状況は早急に打開しなければ、先の通り他国に侵攻の口実を与える様なもの。それは、紛れもない事実です。ですが、初手で流通改善への着手は根本解決どころか・・・一時凌ぎにすらならない可能性が高いのです」

 ミューズの語ったことは、こうだ。
 アルフォンソ海運やメッサーナキャラバンへの融資、若しくは買収という選択肢。これを現時点で行うことによって得られる効果は、流通の改善までには全く至らない。
 そもそも魔物に破壊された多くの荷馬車や船は直ぐに作り直せるわけではないし、人々に植え付けられた襲撃への恐怖心もまた、修復には相応の時間が掛かる。つまり融資か買収の何れかを行ったところで、即座に以前の状態に戻る、ということはないのだ。
 そして何より、仮に流通環境が以前と同様まで即座に整ったところで、結局のところ魔物に再度襲われるリスクそのものは、全く改善されていない。
 そうなると、作っては破壊されて、の圧倒的に不利な消耗戦を強いられる可能性が高く、襲撃を恐れた従業員の業務拒否も当然考慮せねばならず、それらへの対策が別途必要になってくる。
 単純に、これでは非効率極まりない結果が見えているという話なのであった。

「・・・対して、トーマス様の言うフルブライト商会へのトレードには、その困難さに比例した大きな利点が、三点ほど考えられます。先ず一点目は・・・アビスリーグの組織規模をより正確に読み取り、その正体に近づくこと。つまりは、事態の根本解決を確実に進められることです」

 これの根拠は単純だ。
 まず世界最大企業たるフルブライト商会の買収が仮に成功した場合、フルブライト傘下の世界各国企業をそのままカタリナカンパニーに組み込むこととなる。
 実のところ、複数地方を跨ぐ規模で企業運営をしている商会は数えるほどしかなく、直近ではフルブライト、ドフォーレ、ラザイエフ、そしてカタリナカンパニーがそれに該当する程度だった。
 このうちドフォーレは既にカタリナカンパニーが買収しており、事実上カタリナカンパニーは規模だけで言えば既に世界二位の企業規模となる。そこが更にフルブライトを買収するとなれば、世界に散らばる企業のかなり多くをグループに抱えるということになるのだ。
 そして現時点で、カタリナカンパニー内にアビスリーグからの接触がないことは内部監査済みである。
 これはフルブライト二十三世から話を聞いた直後にトーマスが全支店の昨年帳簿を直接隅から隅まで確認しているので、間違いないことだった。
 アビスリーグは世界各国で活動しつつ同盟範囲を広げておきながらも、世界第二位の規模にまで広がっているカタリナカンパニーと一切接触がない。これは、その事実に安堵する反面で、非常に不可解でもあった。
 それこそ「意図的に避けている」とでも考えない限りは。
 これは、トーマスは事実その通りなのだろうと踏んでいた。
 カタリナカンパニーに関われば、必ず尻尾を掴まれる。それを向こうが理解しているから、敢えて避けているのだ。
 これには思わず、敵ながらいい判断だ、とトーマスはほくそ笑んだものであった。
 トーマスが副社長として実質的に全権を握るカタリナカンパニーは、その内部規律と監査の精度において、他企業では全く比肩できないほどに高度精密化されている。
 元よりこれは、トーマスがフルブライト商会の歴史的な威光と世界に及ぼした影響に多大なる感銘を受け、企業という組織がその影響度からして持たざるを得ぬ「世界に対する社会的責任」を果たす上で絶対に必要であると考え、徹底して実行しているからに他ならなかった。
 経済という巨大な力を持つからこそ、それを統制するための仕組みと外部影響はしっかりと考えねばならない。その気概と実行の精度が、蓋を開ければ既にフルブライトのそれを凌駕していた。それだけの話なのであった。
 そのカタリナカンパニーがフルブライト商会を買収すれば、フルブライト商会の中にアビスリーグの手が伸びている場合、必ず買収の最中に分離するだろう。
 そうするとその分離企業を最優先調査対象としつつ、残りはラザイエフ商会関連企業と、各都市にある独立企業群、そして旧ナジュ王国領の企業群あたりまで絞ることが出来る。
 ここへの調査も買収と並行して行う事で、アビスリーグの本丸へと確実に迫ることができる筈なのだ。先ずはこれなくして、事態の根本的な解決には至らないのである。

「第二に、フルブライト商会の浄化救済を行うことができます。フルブライトとアビスリーグを切り離すことができれば、商会に残り内部調査をされているフルブライト二十三世様のご安全を確保することができるでしょう。最初にアビスリーグの存在を察知したあの方の安全を確保し、改めてその助力を得る事で、更なる迅速な真相解明が期待できるものと考えられます」

 買収によりフルブライト内部に巣食うアビスリーグの手のものを切り離せられれば、これは可能であろう。
 フルブライト商会という存在は、今後も世界にとっては必ず必要になる。そしてそれを統率すべきは当然ながら自分などではなく、高潔なるフルブライト十二世の意志を継がんと奮闘するフルブライト二十三世でなければならない。そうトーマスは考えていた。彼を危険から救い出すことは、正に世界の今後を左右する一大事であるのだ。

「最後に・・・他国のピドナ侵攻判断を遅らせる効果、です。他国が攻め入るまでの猶予ですが・・・恐らくはあと一ヶ月もこの状況が続けば、何れかの都市の軍団が攻め上がってくる可能性はかなり高まるでしょう。ピドナの現在の異変状況は、あと一週間もしないうちに各国に広まります。若しくはアビスリーグが裏から手を引き、既に各都市国家に侵攻を煽っている可能性も考えられます。戦の準備には従来なら短くとも半年程の準備期間を要するとされますが、混乱を突いて各国家の常備軍と備蓄だけで攻め上げるなら、そこまで時間は掛からないでしょう。つまり、その前に彼らを思いとどまらせる何らかの『事件』が必要です。このトレードは、それも兼ねているのだと考えられますが・・・如何でしょうか」
「・・・全くその通りです。ミューズ様、流石のご慧眼ですね」

 こちらの狙いを細部に至り把握してみせたミューズに内心では舌を巻く思いだが、トーマスはそれを望外に嬉しく思いながら微笑み返した。
 三百年の間に渡り世界経済を牽引してきたフルブライト商会への、トレード勃発。これは、全世界が注目せざるを得ない一大事になることは間違いがない。
 そして今回特に重要なのは、それを行うのがピドナに本店を置くカタリナカンパニーである、という点だ。
 奇しくも昨年末のコングレスによってルートヴィッヒ軍団長と、世論に英雄視されるミューズの繋がりが大々的に世界へと示された。そしてその場に、一企業人に過ぎないはずのトーマスが立っていたことを知らぬ各国要人は、居ない。
 経済界においてはカンパニーとクラウディウス家の繋がりは元から判明していたことなので、そこに大きく疑問を抱く者はいなかったであろう。
 そしてそのカタリナカンパニーが、この世界からの孤立状態の渦中にあって、フルブライト商会へトレードを仕掛ける。
 これはつまり、それを実行するだけの余裕がピドナにはある、という事実を世界に知らしめることに他ならない。
 流通と経済の危機という客観的事実と大いに相反するこの事態が起これば、各国は否が応にも慎重に出方を探らざるを得なくなる、というわけである。
 更にいうならば、昨年末コングレスの場でトーマスはカンパニーとフルブライトの同盟破棄を宣言している。この宣言が、ここで予想外に外交思惑に響いてくる。
 コングレスの場では『特段この同盟破棄がカンパニーと近衛軍団との新たな蜜月を表すものではない』との補足を敢えて行っている。だが、ここに至ってカタリナカンパニー対フルブライトのトレードなどが起これば、あの補足が信ずるに値する、などと愚直に考える者の方が少ないのは、火を見るよりも明らかだ。
 これらの意味するところはつまり、この経済危機が『事実なのかフェイクなのか』を各国は何としても見極めなければならなくなる、ということだ。

「・・・旦那、狙いはわかった。だが、肝心のトレードに充てる資金は一体どうするつもりなんだ。ドフォーレ買収の影響はガッツリ残っている。即座に動かせるオーラムは、ぶっちゃけ殆どないはずだが・・・?」

 頭に被っている帽子の特徴的な突起部分を手で弄りながら話を食い入るように聞いていたポールは、一呼吸置いてからトーマスに向かい冷静に問うた。
 彼の指摘は、実に的確だ。なにしろトレードを行うには、ただでさえ莫大な資金が必要になる。そして今回のトレードで狙い通りの効果を目論み行うとなれば、前回ドフォーレの倍以上の稼働資金が必要になるのは間違いない。
 残念ながらカタリナカンパニーにそのような資金は、ない。それはカンパニー内部の情報を把握しているポールには、聞くまでもなく分かりきっていることだった。
 更には、唯一の隠し球であった旧クラウディウス家縁の者たちからの融資も、ドフォーレ戦で用いてしまったのでもう期待はできない。
 その上で、フルブライトに勝負を挑むだけの資金が確保できるとは、到底思えなかったのであった。

「そうだね・・・ただそこは、一応は策があるんだ」

 トーマスは、どこか不敵に笑いながら言った。その表情が大層不気味に見えてしまい、ポールは思わず背筋に震えを感じながら、怖いもの見たさで次の言葉を所望した。

「・・・旦那、一体どうするつもりなんだ・・・?」
「・・・簡単なことさ。ドフォーレが敢えてやらなかった手段を、我々がやるだけだよ」

 そうしてトーマスが少し俯きながら微笑む様は、その場の誰もに等しく、恐ろしいもののように映ったのであった。




 三百年の昔、かの聖王三傑たる玄武術師ヴァッサールの発案から作り上げ、そこから二度に渡り魔海侯フォルネウス討伐という偉業を成し遂げた海上要塞都市バンガード。
 建造から三百年の時を経て、つい最近に再び大地の鎖を断ち切ったバンガードは、ルーブ地方とガーター半島を結ぶ要所兼、新たに内海と西太洋の海上直通路として、世界中から大いに注目される地となっていた。
 今宵、その海上都市の中でも最も高貴なホテルの宴会場にて、非常に豪奢な催しが開かれていた。

「ようこそおいで下さいました。誠に細やかなおもてなしではありますが、今宵は是非とも楽しんでいかれてください」

 ホテル前に到着した数台の馬車による一団を仰々しい一礼とともにエントランスで迎えたのは、その夜の催しを開いた主催の男だった。
 その男は、非常に肥えた身体をこれでもかと着飾っており、煌びやかな衣服と数々の宝飾品がその動きに合わせてジャラジャラと音を立てている。
 その装飾品だけで開拓民が一生暮らすに困らないであろうほどのものであるが、それらを全く惜しげのない様子でひけらかしながら、ゆっくりと顔を上げた男は馬車から降りてきた今宵のゲスト一団に改めて向き直る。

「・・・まさか、我々がこうして貴殿のおもてなしを受けることになろうとは。以前ならば、思いもしませんでしたな」

 馬車から降りてきたゲストの中で、明らかに周囲と異なる風格を漂わせた老紳士が、ホストの男に向かって軽い会釈をしながらそう告げる。
 この老紳士こそ、世界第一位の企業規模を誇るフルブライト商会の、営業本部長を任される人物であった。フルブライト商会の現会長の先代にあたるフルブライト二十二世の時代から長年辣腕を震ったとされる、業界内ではかなり名の通った大御所である。

「ははは、全く同感です。生前の父は、よく貴方のことを愛憎混じりに語っていましたよ。数奇な運命の末にこうして私が貴方に持て成しの場を用意できたこと、光栄に思います」
「それはそれは・・・ふふ、貴殿も随分と棘が抜けて、ご成長なされた様子。今宵この時ばかりは、日中の闘争を忘れて楽しませていただくとしよう」

 表面上の口上とは全く異なる剣呑な雰囲気を纏った両者は、しかし互いに固く握手を交わしながら微笑んだ。
 商業ギルドに申請された瞬間から世界を震撼させた、フルブライト商会とカタリナカンパニーによる、世紀の一大トレード。
 その実施会場として指定されたこの海上都市バンガードにて、本トレードのカタリナカンパニー側代表として挑む人物こそ、今宵のホストであった。

「・・・さぁ、どうぞお入りください」

 そう言いながらゲスト一団をホテル従業員に会場内へと案内させ、男は会場入りする一団の背中をじっと見ながら、やがて懐から葉巻を一本取り出す。
 彼の側に控えていた執事が慣れた手つきで葉巻の吸い口をシガーカッターで切り落とし、火をつけた。
 何度か吸って火のついた葉巻から、たっぷりの煙を鼻腔を通じて燻らせる。そうしながら男は、どこか憎らしげな表情を浮かべながら、一人その場で凄みをきかせた。

「・・・ったく、どいつもこいつもこの俺様を舐めくさりやがって。今に見てやがれよ・・・」

 世界で最も注目される史上最大のトレードを仕切る、カタリナカンパニー側の人物。
 今こうして葉巻を燻らせるその人物こそは、つい最近まで世界第二位規模の巨大企業を一手に率いていた経済界随一の剛腕、ラブ=ドフォーレその人であった。
 ラブは吐き捨てるようにそう言うと、その「剛腕」の名に似つかわしく実に含みのある笑みを浮かべながら、火をつけたばかりの葉巻を惜しげもなく地面に放り捨て、ゆっくりとした足取りで賑やかさを増す会場へと入っていった。







最終更新:2022年07月01日 17:30