一年を通じて穏やかな気候であることから、ガーター半島の中でもウィルミントンは特段に住みやすい場所であるとして、古来より住居や観光地としての人気が高い地域だ。
街の東は波も穏やかな静海に面しており、西には聖王伝説に準えた巡礼地としても名高いデマンダ山脈が連なり、東西で素晴らしい景勝を成している。
かくして、そんなウィルミントンに一人、悩める青年がいた。
「アビスリーグとは、一体いつから経済界・・・いや、世界そのものに干渉してきていたというのだ・・・?」
見るからに長い歴史を彷彿とさせる、古式造りの外観をした建物。その二階にある、小さな窓から西日が差し込んだ、質素な調度品が幾つかあるだけの一室。
世界有数の港湾景観美を誇るとも言われるウィルミントン港から程近い港湾商業通りの一角に、その建物と部屋はあった。
そこは、他国と比べても群を抜いた量の歴史的建造物数を誇るウィルミントンの中でも、指折りとされる代表的な歴史的建築様式で建てられた老舗工房、すなわちチャールズ自由工房の区画内。
かの聖王その人に付き従い、三百年の昔に四魔貴族と熾烈な戦いに身を投じた英雄の一人であるチャールズ=フルブライトの名前を冠した、世界で最も有名だとすら言われる工房である。
「調べれば調べるほど、その痕跡は巧妙に隠されている・・・。我が商会における違和感に限れば早々探り出せるかと思っていたが・・・よもや、ここまで分からぬものだとはな・・・」
小さな部屋には不釣り合いなほどに広い机の上に、これでもかと積み上げられた書簡の山。
それらを脅威的な速度で読み解き、自らの手元にある手帳へと愛用の羽ペンで要点の記載を行いながらブツブツと独り言を呟き続ける。
フルブライト二十三世は、かれこれもう二ヶ月近く、短期間の間に幾つか場所を変えては籠るという生活を続けていた。
なぜ彼がこのような生活をしているのかといえば、これは完全に自衛の観点からだ。
フルブライト商会の内部に、アビスリーグの魔の手が伸びている。それは、最初は可能性の一つとして行き着いた推測でしかなかった。
世界各国で秘密裏に活動を行なっているアビスリーグが、世界一の商会を有する商都であるウィルミントンに潜んでいないわけはない。フルブライト二十三世はアビスリーグの存在を察知した直後には、当然の如く真っ先にそう考えたのである。
そして、もし実際にそうだとしたら。
なれば代々ウィルミントンの執政官も務めるフルブライト一族との接触を図るのが、この街で最も有効な内部崩壊の道筋だ。
簡単なことではないが、それでも目的のことを思えばこそ、そこを目指すことは火を見るよりも明らかであるだろう、と考えた。
もし、彼が現時点で商会の全権を握っているのならば。
そうだとしたら、自ら考えたその最悪の可能性について、即座に否と言い切ることができたのかもしれない。
だが実際の彼は、残念ながらこの商会を掌握してはいない。
確かに肩書きこそフルブライト家の当主にしてフルブライト商会の会長を務めるフルブライト二十三世だが、その実フルブライト商会を意のままに操るのは、先代当主であるフルブライト二十二世、つまり彼の父親であった。
その父の敷く院政による運営というのが、今のフルブライト商会の実態なのである。
フルブライト商会は、商会中興の祖にして聖王十二将の一人とも言われるフルブライト十二世の頃から、若い世代への継承を推し進める伝統があった。故にフルブライト二十三世は、若くして会長の座に就いたのである。
そして彼は、自分の若さ故の過ちを酷く後悔していた。
元々の彼は自他共に認める通りの、野心家だ。
商会お膝元であるウィルミントンの街中でも最近は耳に届くことがある、フルブライト商会の「落ち目である」という風潮。これを一掃し、近年業績を伸ばすドフォーレやラザイエフ、ナジュ地方の新興企業を相手に絶対的優位に立ち回り、フルブライト商会の名声を自らの代で最も歴史上大きく輝かせる。
そんな野望を、己の中に持っている。
しかしこの野望に強く突き動かされた彼は、父の院政という現実に直面した時、大いに空回りした。
当然院政を敷くならば、表向きの代表は操りやすいに越したことはない。それこそ、右も左もわからぬ幼子を王の座に据える摂政が如く、だ。
だが父から引き継いだ会長の就任直後に彼は、父の院政方針に反発して、実に小賢しく立ち回ってしまった。
それは下手に能力と野心があり、そして経験がなかったからこその大いなる過ちであったと、今の彼は過去の自分のことを酷く悔いている。
御せないならば、干す。院政を敷く父が実行した彼への対処は、至極当然のことであった。
血の繋がった親子の情けか、伝統を守ったが故か。彼は、会長職を辞するまでには至らならなかった。
だが彼の持つ権限はその殆どが削がれ、ウィルミントンにある本店の売上管理のみが主な彼の業務となり、それ以外の業務への干渉権限は基本的にはなくなった。
その状況に至り、彼は漸く己の行動を顧みた。そして今は雌伏の時であると察し、以後は父に対し挫折によって腐った息子を演じてきた。
しかしてその裏では放蕩外遊と見せかけて世界各地を回り、兎に角自分に圧倒的に足りなかった経験を積んだ。各地の商会を訪問しては独自の情報網を現地で築き、里帰りした際には本館内でも着実に味方を作り続け、彼が再び権勢を得る機会を虎視眈々と窺っていたのである。
しかしそうした活動をしていく最中にも、世界経済には常に所々で不穏な様子が見てとれた。
当然ながら、それを横目に徹底して腐った放蕩息子を演じることも、彼には出来たであろう。だがしかし、彼の正義感は経済界に蔓延る不正を、特段に許せなかった。
父に勘付かれる危険を犯しながらもピドナでトーマスとカタリナに接触したのは、そういった流れからだったのである。
思えば、あの時に旧クラウディウス商会系列企業に手を出していた怪しげな企業群というのも、アビスリーグだったのであろう。
カタリナカンパニーの設立とクラウディウス系企業群の併合の後、直ぐにそれら企業は手を引いたので、彼もそれ以上派手に動くのは難しいことから後追いをしなかったが、それも今となっては失策だったかもしれないと苦虫を噛み潰す思いであった。
「・・・私が現状使える手札では、内部から調べようにもこの辺りが限界か・・・。あとは最早・・・。うーん、出来れば避けたいところだがなー・・・」
ぶつぶつと一人呟き続けながら、大きく背伸びをするように椅子の背もたれに寄りかかる。そして、思い切り両腕を上に伸ばして背伸びをした。
すると窓から差し込んだ西陽が丁度いい具合に彼の顔を照らし、その眩さに思わず眉を顰めながら陽光の反対側へと顔を逸らす。
コンコンッ
果たして丁度そのタイミングにて、彼の視線の先にあるこの部屋の唯一の扉を叩く音が、唐突に室内に響きわたった。
「・・・・・・。どちら様かな?」
普段は使われることもなく、そこに人が寄り付くことは基本的にない。フルブライト二十三世がいる建物と部屋は、そういう場所だ。
付け加えるなら、この建物のこの部屋に彼がいるという事実を、建物の所有者であるチャールズ自由工房の人間は実は誰も知らない。
自分の中で信用がおける一部の者の伝だけを頼り、いくつも潜伏先を転々としていた彼の現在の居場所を知る者は、それこそ商会内には殆どいないはずなのだ。
そもそも、外面的には彼の予定は現在進行形で、いつもと同じ外遊ということにしている。
そのような状況でこの部屋にこのタイミングで訪れる者の存在など、通常ならばありえるはずもないのである。
通常、ならば。
さて、そんな状況からのこの展開であるからして流石に最悪のシナリオまで即座に考えつつ、フルブライト二十三世は椅子から静かに立ち上がり、扉の向こうへもう一度、誰何した。
すると、はたして彼の脳内シナリオがそのまま現実のものとなったかのように、返答の代わりに扉の取手が外側から、片手斧で叩き壊されたのであった。
バキッと派手な音と共に扉の鍵部分が破壊され、その後に不気味なほど静かに扉を開けて部屋に入ってきたのは、眼光鋭い三人の男であった。
三人とも黒を基調とした装束に身を包み、顔も目の周辺以外は覆い隠されている。日暮れ時のウィルミントンを歩くには、むしろ異様に目立ちそうな格好にも思えた。
そして当然ながら彼らのことを、フルブライト二十三世は全く知らない。だが、彼らの纏う空気が明らかに表の世界に生きる類のものではないことくらいは、切った張ったとは縁遠い彼にも流石に分かる。
「あー・・・何の用だか、一応聞いても?」
迅る動悸と、米神を流れる冷や汗。
それらを無理やり抑え込むように、フルブライト二十三世は努めて冷静を装いながら、落ち着いた調子で相手に声をかける。果たしてこれまで数々の商談で培ってきた交渉術が、この手の輩には通じるものだろうか、などと考えながら。
言葉を発すると同時、ジリジリと窓際へ距離を取るようにするフルブライト二十三世の問いかけに、しかし三人の男たちは何も答える様子はない。
この部屋の出入り口は彼らの背後にある壊された扉だけだからか、一々散開するような様子もなし。三人横並びでゆっくりと手にした得物を構えながら、獲物であるフルブライト二十三世へとにじり寄る。
「・・・見たところ君たちは、その筋のプロのようだね。下手に喋らないのは、君たちが間違いなく優秀な証拠だ。反面私は、どうにも喋らないと気が済まない性分でね。言いたいことを言わずにいられないんだ。そこで先ず聞くのだが・・・君たち、雇い主を変える気はないかな。その腕を見込んで、報酬は今の倍額で確約させていただくが」
先ずは、正攻法による交渉だ。
トレードとは即ち、聞こえのいい言葉を織り交ぜながら交渉をしつつも結局のところは、オーラム貨幣による殴り合いの物量戦が基本となる。その決着の大部分は、相手を上回る資金力で無慈悲に制圧することで成り立つのだ。
これこそが、トレードにおける基本中の基本。永遠のスタンダード。制圧の美学なのである。
「・・・・・・・・・」
しかして、相手は此方の提案に対し、全く意に介する様子がない。フルブライト二十三世は、その様子に内心で大いにため息を吐くのであった。
偶にいるのだ。こういう、金をいくら積んだとしても頑として態度を曲げない、そんな物件始末屋並みの堅物商談相手が。
だが、それで大人しく諦めるほどウィルミントンの商人は甘くはないのである。
「・・・君が持っているその武具、よく手入れをされた三日月刀だ。曲刀は、ナジュ地方特産の武具だね。地肌の色から見ても、生まれが其方かとお見受けする。するとひょっとして君たちは、ハマールでの戦いに参加していたのかい?あれは酷い戦いだったね」
正攻法で駄目なら、搦め手だ。
黒装束で肌を隠した彼らの、目の周りの僅かに見える地肌。そこには、砂漠の民を思わせる褐色が見え隠れしていた。そして手に持つ得物の曲刀は、これまた砂漠の戦士の象徴たる武装だ。
トルネードと呼ばれる有名な同国出身傭兵もそうだが、砂漠の戦士が曲刀を持つことには、特別な意味がある。ゲッシア王朝の初代国王にして同国の絶対的英雄であるアル=アワドが用いたとされる曲刀カムシーンを起源とし、砂漠の戦士が曲刀を持つということは、正に国の誇りをその手に扱うということなのだ。
つまり、彼らは少なくともゲッシア王朝に連なる何らかの信仰を持っている可能性が高い、と読み取ることができる。
そして、砂漠の民に切っても切れない近年最大の事変が、ハマール湖の戦いだ。
凡そ十年前に起こったその戦で、建国から六百年近くもの歴史を誇ったゲッシア王朝は、滅亡した。
世界を襲った三度目の死蝕の後、故クレメンス=クラウディウスからの弾圧政策によりメッサーナを追われた神王教団が己の生存権を賭けてナジュで起こした「聖戦」の結果、敗走したゲッシアの戦士たちの多くは、無念のうちに国元を追われたのである。
そして戦に生きてきた戦士の多くは他国で傭兵や冒険者に転身し、また、少なくない者たちが野盗や暗殺稼業など裏の生業に身を落としたのだという。
当然そうして国を追われた戦士達には、神王教団への怨嗟、亡国への無念など、部外者には想像もつかないほどの負の感情が未だに渦巻いているのである。
砂漠の戦士たちにとって、このハマール湖の戦に纏わる話題は、正に禁句中の禁句であると言っていい。
「・・・黙れ。貴様ら商人風情が、あのことを語るな」
先頭に位置していた男が、明らかに殺気の増した眼光でフルブライト二十三世を睨みつけながら、短くそう発する。
当たりか、とフルブライト二十三世は内心でほくそ笑んだ。
どうやらまだ、この商談には勝ち筋が残っているらしい。
「・・・失礼、君たちの誇りを踏み躙るつもりは毛頭ないんだ。ただ、今ここで私が死ねば、ゲッシア再建の道が遠退く・・・いや、叶わぬことになるかもしれない。それは、誇り高き砂漠の戦士と見受けられる君たちにとっては、知り置くべき情報だと思ってね」
フルブライト二十三世のその言葉に三人の動きが、はたと止まった。
同時に先程まで殺気に満ち溢れていた眼光には、若干の戸惑いの色が混ざっている。どうやら、効果は抜群だ。
「・・・・・・。話を続けても?」
変わらず自分に差し向けられている三日月刀の切っ先に視線を移し、フルブライト二十三世が口を開く。すると、互いに視線を素早く交わした三人は、手にした得物を一旦下ろして話の催促を示したのだった。
カタリナカンパニーによるバンガードでのフルブライト商会おもてなしは、過去に類を見ないほどの大盛況のうちに幕を下ろした。
今回の宴席によりフルブライト商会からカタリナカンパニーへの印象は非常に良いものとなり、今後このトレードの結果がどのような着地をしたとしても、現場レベルでの面立ったいざこざは、確実に起こり辛くなったことだろう。
夜通し続いた宴席の間、特に親睦を深めたと思われる主催のラブ=ドフォーレとフルブライト商会のバイロンは翌日に改めて現地の商業ギルド会館にて固く握手を交わし、日を置いて再開される商談の着地地点へと大きな前進をみせたと思われた。
商業ギルド関係者の間ではこの日に一気に話が進むのではとの見方があったようだが、今回のトレードにおけるフルブライト側の決済者であるバイロンが、なんでも所用で一度ウィルミントンに戻らねばならぬ予定となっていたようなのである。
そのため彼がバンガードに戻る一週間後にトレードが再開されるとのことで、この日は双方一時解散となったのであった。
陸路ではなく小型で足の速い船を用い、急ぎ海路からウィルミントンに向かったフルブライト商会幹部一行は、宴席の二日後には早々とウィルミントン港へ到着していた。
そして足早に港から市街地へと向かった一行は、ウィルミントンの美しい眺めを一望できる小高い場所に位置するフルブライト商会の本館へと入っていった。
館内ですぐさま他の幹部らと一時別れたバイロンは、そのまま真っ直ぐ館内の奥まった場所に位置する会長室と書かれた部屋の前へ辿り着き、その扉を徐に開ける。
静かに開いた扉の先、部屋の中は一見して無人だ。
部屋の中央には、応接用に用意されたテーブル。そしてそのテーブルの上にはフルブライト二十三世が愛用している、伝説の怪鳥ワンダーラストの羽を模したとされる飾りがあしらわれたグリーンの帽子が、ぽつりと置かれていた。
これはオーダーメイドの一点物で、世に二つと存在しないものだ。
「・・・・・・」
その一点物がここに置いてあるということはつまり、彼がここにきた目的は滞りなく達成された、ということの証左か。
彼は、これの確認をするためだけに態々このタイミングでウィルミントンへと戻ってきたのだった。
優秀な商売人とは誰しもが少なからずそうであろうが、バイロンもその例に漏れず、慎重な性格だ。
今現在行われているカタリナカンパニーとのトレードにおいて、フルブライト商会の、そして彼自身の今後を大きく左右する方針が定まる。そしてその方針を定めるにあたって、現会長であるフルブライト二十三世の存在は、邪魔でしかない。
バイロンは、彼がこそこそと内部事情を探っているらしいという事実について、早々に認識していた。
勿論、商会内部ですら大した力を持たないお飾り会長が何をしたところで、実際には大した障害とはならないだろう。
だが、それはあくまでも今の段階で、という話であって、今後もそうであるとは限らない。
加えて今後のフルブライト商会を円滑に掌握していくには、分かりやすい対外的な大義名分が必要だ。そのためには遅かれ早かれ、フルブライト二十三世には消えてもらわねばならない。
ならばいっそ、この機に退場してもらおうと考えた。それを今回の筋書きに足してしまったほうが、様々な面で話が早いのだ。
そう結論づけたバイロンは、フルブライト二十三世の暗殺を命じた。
トレード終結の際に思惑通りに話を進めるには、フルブライト二十三世が既にこの世に居ないことを確認しなければならない。
そのための万全を期す意味で、彼は自らの目で確認をするために戻ってきた。そして彼の前には今、その証左となり得る品が置かれている。
バイロンは薄らと目尻に笑みを浮かべ、テーブルに歩み寄ると卓上の帽子を掴み取ろうと腰を屈めて手を伸ばした。
「・・・おっと、それは私のお気に入りでしてね。いくら貴方と言えども、お譲りは出来ませんよ。バイロンおじ様」
「!!」
部屋の物陰から静かに姿を現したフルブライト二十三世の声かけに、びくりとバイロンは小さく身を震わせて動きを止める。
しかしながらそれはほんの一秒ほどで、バイロンはゆっくりと直立に姿勢を正すと、優雅に手を後ろに組み直しながらフルブライト二十三世へと向き直り、微笑んだ。
「ははは、流石に息子同然の子の物を貰おうとは思わんよ。久しぶりだね、元気そうで何よりだよ、ブライトJr」
「ふふ、僕のことをそう呼ぶのも、もうバイロンおじ様だけです。ところで、本日は会長室へ一体どの様な御用向きで?」
部屋の窓際に設置された会長専用の執務机に歩み寄り、その縁に軽く体重を預けながら、フルブライト二十三世が尋ねる。すると、バイロンは片手で自らの顎髭を撫で付ける様にしながら柔和に微笑んだ。
「ここに来る理由なんて、大抵は一つだよ。ブライトJrの元気な姿を偶にはみたくなった、というだけさ。我が子のように接してきた子の事を想うのに、そう大した理由はいるまい」
そう言いながらバイロンは応接用の机の脇を抜け、フルブライト二十三世へと近づく。
しかしその歩みは、二人の間に割って入った予期せぬ介入者によって、唐突に止められることとなった。
「・・・これは一体、どういうことかな」
バイロンとフルブライト二十三世の間に割って入ってきたのは、全身を黒基調とした装束で覆った一人の男だった。
先ほどのフルブライト二十三世と同じく物陰から音もなく現れた男は、全く無駄のない動きで鞘から引き抜いた三日月刀を、バイロンへと向けて構えている。
「どういうことか説明してほしいのは僕の方ですよ、バイロンおじ様。我が父と共にフルブライト商会を・・・いや、この自由都市ウィルミントンを長年支えてきてくださった貴方が、何故アビスリーグなどに加担しておられるのか・・・?」
フルブライト二十三世が眼光鋭くバイロンを睨みつけると、しかしそれに対して何ら怯んだ様子のないバイロンは、髭を撫で付ける手を止めた。そして、ふむ、と一つ息を吐く。
「・・・矢張り賊に任せるというのは、良くなかったな。多少の手間がかかるとしても、確実な手段で事を運ばねば、時としてこういうボロがでる。私もまだまだだね」
そう言って何事もなかったの如く後ろへ振り返り、なんとそのままバイロンは部屋を去ろうとした。
しかし部屋の扉の前にも二人、廊下から現れた黒装束を纏った男がバイロンの前に立ちはだかる。
「ここから逃すつもりはないです。教えてください、おじ様。何故アビスリーグと手を組んだのですか」
「・・・君に教えたところで、何も分かりはすまいよ。脛齧りっ子のJrにはね」
後ろ手に組んだ直立姿勢は崩さぬままバイロンは、さして興味のなさそうな瞳で、なんとも面倒臭そうな緩慢な動きでフルブライト二十三世に向き直った。
あくまでも、こちらの質問にまともに答える気はない様子だ。それであれば、本意ではないものの手荒な手段も致し方ないだろう。
そう覚悟を決めたフルブライト二十三世が右手を前に突き出すと、それを合図に黒装束の男たちがバイロンを拘束しようと躙り寄る。
「・・・いいのかね。私がすぐに港に戻らなければ、制御を失った魔物達ががこの館やウィルミントンの街中で暴れ回ることになるが」
「・・・なんだと?」
バイロンの言葉にフルブライト二十三世は怪訝な顔をしながら、突き出した手を気持ち、引き戻した。
「言葉の通りだよ。私はこの通り丸腰だし、今は護衛もいない。加えて言うなら、あのモンテロ=ドフォーレのように魔物が化てもいない。単なる生身の人間だ。・・・かと言って、全く自衛の策を持っていないというわけでもない。それだけの話だよ」
バイロンは、至極冷静な様子でフルブライト二十三世を見返す。
「私は拷問など受けたこともないから、きっと簡単に吐くかもしれないよ。ただそのための対価は、このウィルミントンの街の消滅だ。この商談、君は受けるかね?」
フルブライト二十三世は、迷わず即座に突き出していた右手を下げた。
それを確認した黒装束の男三人は、雇い主である彼の意思を汲み取り、バイロンから距離を取るように一歩離れる。
この男の言葉は、はったりなどではない。
紛れもなくその言葉が事実であろうと言うことを、フルブライト二十三世は知っている。
彼は、物心がつくかつかないかという幼少の頃から、それをよく知っているのだ。偉大なる父の横に常に立っていた、このバイロンという男のことを。
父であり、現在も商会の実質的な最高権力者である、フルブライト二十二世。その父の絶対的な右腕であり続け、数々の重要な商談を取り仕切ってきた、フルブライト商会きっての辣腕家。
それがこの、バイロンという男だ。
フルブライト商会は確かに、世界一の商会だ。だが、特に死蝕前後のここ数十年はドフォーレやクラウディウスなど勢いのある大きな商会が次々と台頭し、ポドールイ地方ではツヴァイク公爵が権勢を振るうことで独自経済圏を確立し始めていた。また、ゲッシア王朝の滅亡と神王教団の躍進によってナジュ経済圏にも結果として活性が起き、混沌としながらも大きく経済的な成長を成し遂げていった。
そうした激動の時代の最中で、変わらず世界一を維持すること。それは、想像するだけでも非常に困難を極めることであった。
世間では「最近のフルブライトはいまいちだ」などと揶揄されることもあるが、これだけの激動の中で変わらず世界一という立場を確立しているのは、間違いなくこのバイロンという男の手腕によるところが大きい。
残念ながら父だけでは、世界一という評価の維持は不可能だったであろう。
最も近くで父を見てきたフルブライト二十三世をして、そう思わせてしまうほどの確かな手腕。それが、このバイロンという男にはあった。
「・・・リターンが割に合わないトレードをするつもりは、ありません。こちらの準備不足でしたね」
「ふふ、多少は賢明になったようだね、ブライトJr。今回のトレードはノーゲームのようだ。・・・それでは私は、これで失礼するよ」
両手を後ろに組んだまま、バイロンは何事も無かったかのように颯爽と部屋を後にする。
部屋には、一時の沈黙が流れた。
バイロンの背中を苦虫を噛み潰したような表情で見送ったまま固まっていたフルブライト二十三世に対し、役目を終えた三日月刀を鞘に納めた黒装束の男の一人が話しかける。
「・・・いいのか。奴をこのまま逃しても」
「・・・仕方ない。アビスリーグが魔物を従えているのは、紛れもない事実。ああ言われては、迂闊に手は出せない。しかし・・・これはかなり分が悪くなったな・・・」
フルブライト二十三世にとって、ここでバイロンを確保できなかったのは、非常に手痛いことであった。
なにしろ、この身の危険がある事を承知で商会内に敢えて残り、自らを囮にしてまで掴んだ、千載一遇のチャンス。それが、この場面だったのだ。
それを、みすみす棒に振ってしまったのである。
「・・・別にここでなくとも、密かに後を追って何処かで拘束すればいいのではないか?」
黒装束の男が言う。
だが、それにもフルブライト二十三世は弱々しく首を横に振り、窓の外に見えるウィルミントンの街並みへと視線を向けた。
「いつ何処で彼を捕らえても、この街を盾に取られていることに変わりはない。つまり、彼の背後にいるアビスリーグそのものを先に潰さなければ、我々は彼に対して常に後手に回ったままということだ」
さて、こうなってしまったからには、この次の手をどうしたものかと思案する。
差し当たっては、自分の身を守る手法も新たに考えなければならない。その上で如何なる手段を取るべきかとフルブライト二十三世は腕を組み、ため息と共に口をへの字に曲げてみせた。
その様子を見て、黒装束の男達も雇い主の動向を待つかのように姿勢を緩ませる。
だが、そうした束の間の思考時間は、そう長く保つことはなかった。
ドンッッ!!!
突然の衝撃音と、それに合わせて館全体が揺れるほどの大きな振動。
思わずそれによろめきながら、フルブライト二十三世は何事かと周囲を見渡す。
それと時を同じくして館のあちらこちらから悲鳴と怒号が一気に飛び交い、そして容赦のない幾重もの破壊音が鳴り響き始めた。
「おいおい・・・話が違うじゃないかッ!」
フルブライト二十三世は盛大に悪態を吐きながら、窓の外を慌てて確認する。
窓の外から見えるのは、街の中央及び港の方面。そちらには特段、騒ぎの兆候などが見えるわけではない。
「街に騒ぎが起こっているわけではない・・・この館だけを襲って私を始末するつもりか・・・!」
フルバライト二十三世は応接テーブルの上の帽子を慌てて取り上げ、次に部屋の出入り口ではなく、一見なんの変哲もない部屋の壁へと歩みを進めた。
フルブライト商会の保有する資産は、一介の都市国家のそれを軽く凌ぐ。それゆえ、様々な面で自衛の手段を欠かすことはない。有事に備えるという事は、商会の人間にとって必然であるのだ。
フルブライト二十三世が部屋の壁を無造作に押すと、はたしてカチリと開いた仕掛け扉の向こうには、狭い通路が続いていた。王侯貴族の居城にあるそれと同じような、緊急時の脱出路である。
だがフルブライト二十三世がそこから脱出を試みるより先に、彼に続こうとした黒装束の男の一人がその通路の奥にある強烈な違和感に気付き、慌ててフルブライト二十三世を部屋の中へと引き倒した。
「ぃだっ!?」
首根っこを引っ張られ、背中からひっくり返るように倒れ込んだフルブライト二十三世の、先ほどまで立っていた場所。そこを寸分違わず射抜くように隠し通路の奥から飛来した矢は、そのまま鋭い音を立てて部屋の反対側の壁に突き刺さった。
「ギギ・・・ギ・・・」
慌てて仕掛け扉から距離をとったフルブライト二十三世らを隠し通路の奥から睨みつつ、弓を構えた醜悪な小柄の獣人が数体部屋へと姿を表す。
道具を用いる獣人族は非常に知能が高く、そして残忍で狡猾だ。潜んで敵を狙うには、うってつけの配置だと言える。恐らくは、この館のことを知り尽くしたバイロンの差金であろう。
これは堪らぬと、慌てて部屋の入り口に一同が視線を向ける。しかしそこには既に、襲撃からここまで一直線に進んできたと思われる血塗れの大剣を携えたエルダークラスの大型獣人が数体、こちらも実に醜悪な顔を扉から覗かせていた。
「・・・!!」
それらを確認した黒装束の男たちの表情には、明らかな焦りの色が出ている。
当然彼らも戦士として、アビスの瘴気に侵された魔物と相対した経験は幾度もあった。だが、人と同じく武具を扱う程の非常に強力な魔獣と遭遇することなど、余程アビスの瘴気が濃い場所でもなければ普通は有り得ない。
これほど強力な魔獣を相手する場合、数体程度の群れの討伐でも騎士団一個小隊以上を派遣するのが常であると言えば、その困難さが窺えるというものだろうか。
つまり、人間四人で相手をするなど、あまりに馬鹿げた状態であるということだ。
「くっ・・・私はこんな所で死ぬわけにはいかないんだ・・・何か、何か手はないか・・・!?」
部屋からの脱出路は、正面も隠し通路も魔物に道が塞がれている。
そしてこの部屋の窓は外部からの侵入防止のため、はめ込み式になっている。体当たりした所で、そう簡単に突き抜けはしない。
そうなると矢張り、目の前の魔物を突破する以外に現状打開の方法はない、ということになる。
天術に属する太陽の術法を教養の一貫で学んだだけのフルブライト二十三世だが、それでも最大威力で放てば、多少の目眩しくらいにはなるかもしれない。その隙を突くくらいしか、有効な手段は思いつかなかった。
最早うだうだと悩んでいる時間はない。黒装束の戦士三人に対し、一か八かの一撃離脱を提案しようとフルブライト二十三世が口を開いた、その時だった。
突然、その場の全員が不可思議な耳鳴りに襲われたのである。
「グギャォォオオ!!??」
最初にその場に響いたのは、空間そのものを断絶するかのような、聞きなれない高音だった。それと同時に、凄まじい威力を伴う剣圧の一閃が部屋の外で迸る。
次には、その一閃により胴体を上下で真っ二つにされた大型の獣人たちが、赤黒い血潮を撒き散らしながら宙を舞った。
そして最後には聞くに耐えない醜い断末魔をその場に残し、会長室の入り口前に陣取っていた大型獣人数体だったものは、物言わぬ肉片となって廊下の反対方向へと吹き飛ばされていった。
「・・・!!?」
突然起こったその出来事に、その場にいた人も魔物も、一体何事かと部屋の入り口に注目する。
するとそこから部屋に飛び込んできたのは、鮮やかな緑の髪を靡かせ、魔物の血に濡れた剣を携えた青年。
ユリアンだった。
「フルブライト様、ご無事ですか!?」
「ユ・・・ユリアン君!!」
ピドナで幾度か顔を合わせた覚えのある、一度見たら忘れなさそうな緑髪の青年、ユリアン。
フルブライト二十三世が大いなる驚きと共に彼の名を発した直後、そのユリアンの脇を、今度は一陣の金色の風が通り過ぎた。
「ギャヒッ・・・!?」
その風が部屋を吹き抜けると同時に、避難路から室内に侵入してきていた小型の獣人数体が、瞬く間に血飛沫を上げながら崩れ落ちる。
刹那の間に、なす術なく絶命した獣人らの亡骸。それらの中央に留まっていた金色の風の正体は、輝かんばかりに美しい金髪を靡かせた、可憐な容姿の女性だった。
「モ、モニカ様・・・!?」
「ご無事でなによりですわ、フルブライト二十三世様」
手慣れた手付きで素早く小剣の血振りをしつつ、モニカはこんな場面でも礼儀正しく一礼してみせながら、穏やかな口調でフルブライト二十三世に挨拶を返した。
「・・・よし。モニカ、こっちはもう大丈夫そうだ。そっちはどう?」
「はい、こちらも気配はもうありません。大丈夫そうですわ、ユリアン」
部屋の外を見渡しながら声を上げたユリアンに、部屋の隠し通路を覗き込みながらモニカが応える。
つい数秒前までは正に風前の灯といった様相であったフルブライト二十三世らは、どうやら寸でのところで、命拾いをしたようであった。
「た・・・助かった・・・」
一気に気が抜けたのか、フルブライト二十三世は真っ先にぽすんと床に座り込み、細く長く息を吐いた。
その様子に対し、黒装束の男三人は未だに状況がうまく飲み込めておらず、構えたままの三日月刀を所在なさげにふらつかせながら、突然現れた二人を交互に見ている。
「・・・ん? あぁ、安心してくれ。彼女らは味方だよ」
その様子に気がついたフルブライト二十三世がそう声をかけると、黒装束の男たちはまだ信じられないというような様子で、雇い主と二人を交互に見つめる。
「み、味方・・・?」
腕に覚えがある者たちだからこそ、わかるのだろう。
今、自分達の目の前で起こった光景。それが、どれだけ信じがたいものであるのか、ということを。
騎士団一個小隊を要するような討伐対象になりうる魔獣らを、ただの一撃で纏めて斬り飛ばしたなど、それは最早、およそ人類の行える所業とは思えない。
それこそ、彼らの信ずる中で最も強き猛き英雄であるアル=アワドなどでもないかぎり、そんな出鱈目なことは不可能なはずだ。
それを、今目の前にいる一見髪の色以外に特徴らしい特徴が見出せない青年が、何でもない様子で為してしまったたのである。
部屋の中に飛び込んできた女も、同様だ。
彼らの目を以ってして、その動きを確りと捉えることは出来なかった。精々、その残像が見えた程度だった。
だというのに、女の足元に転がる小型の獣人だったもの等は、その全てが身体中の急所と思われる場所を何箇所も貫かれて事切れている。
あの一瞬でそんな芸当が出来る者など、長く戦場に身を置いていた彼らでさえも全く聞いたことなどない。
つまり黒装束の男たちからしてみれば新たに現れたこの二人こそが、一歩間違えば絶対に逃れることのできない死を齎す得体の知れない存在にすら思えてしまったのである。
そんな黒装束の男たちの戦慄を他所に、フルブライト二十三世はゆっくりと起き上がり、モニカたちに向き直った。
「・・・しかし、どうしてモニカ様達が・・・って、聞くまでもないですかね。これはトーマス君の差金、ですね?」
フルブライト二十三世が腕を組んで片目を瞑りながらそう言うと、ユリアンはバツが悪そうに頭を掻き、モニカはお察し下さいとでも言わんばかりに華やかに微笑んでみせた。
「年が明けたあたりから既に、ウィルミントンには滞在しておりました。フルブライト二十三世様のお邪魔にならぬよう、有事以外は表だった動きはせぬようにお守りを、との指示で動いておりましたの」
「・・・さっきの魔物たち、俺たちがこの街に来た時には既に人間に化けて館の周辺をうろついたりしていました。俺、ピドナで化けている奴らを見てきたんで分かるんです。なので先手は打てなくても、何か起きたらすぐ駆けつけられるようにって、近くの宿でずっと張っていました」
モニカとユリアンが口々にそう答えると、フルブライト二十三世は全てを理解したかのように頷いてみせた。
「バイロンはここまで想定してハナから仕込んでいた、というわけか・・・ふふ、トーマス君に命を救われたな。この貸しは大きくなりそうだ。とはいえ・・・ここからどうしたものか」
そう呟きながら、フルブライト二十三世は再び思案を始める。
ここで命が助かったとはいえ、それで状況がなんら好転したというわけではない。後手に回らざるを得ない状況そのものには、変わりなかった。
そして、そこに彼を悩ませる更なる厄介ごとが舞い込んでくるのも、ある意味では当然の流れと言えるのかもしれなかった。
「ひぃ!!?・・・い、一体これは何事だ・・・!!?」
慌てた様子で会長室へと走り寄り、道中にある魔物の死体に驚いた様子を隠さずに現れたのは、老いてなお有り余る精力を隠す気のない様子の、上品な格好に身を包んだ壮年の男。
男の名は、フルブライト二十二世。フルブライト二十三世の父にして、現在のフルブライト商会を陰から操る真のオーナーだった。
「・・・あぁー、やっぱりこの騒ぎですから、来ちゃいますよねぇ・・・」
余計な面倒事が増えたとでも言わんばかりに目元に手を当て天を仰いだのは、他でもないフルブライト二十三世である。
「ん、何なんだね君たちは一体・・・まぁいい、それよりジュニアよ、これは一体何事だ。お前、今度は何をやらかしたというのだ?」
フルブライト二十二世は直ぐ近くにいたユリアンを始めとした部外者らしき面々に一瞥をくれたあと、フルブライト二十三世へ向けて声を上げた。
「あー・・・お父様。これにはまぁ、なんというか色々と事情が・・・」
我ながら歯切れが悪いにも程があるなと思いながら、口を開く。
しかしその間にも、こちらの聞く耳など全く持たないといった様子で、フルブライト二十二世は集まってきた召使いたちに掃除を命じたりユリアンやモニカへ威圧的に詰問しだしたりと、大忙しだ。
「・・・あー、もう・・・こうなってしまっては、お終いだな・・・。まさか、トーマス君はここまで見通して・・・ふふ、だとしたら末恐ろしい話だ・・・」
独り言のようにそう呟いたフルブライト二十三世は、周囲の喧騒から逃避するかのように、数秒間目を閉じ、自らの額に拳を添える。
そして何かを決心したかのように、よし、と呟いて一つ息を吐いた。
とりあえずは、この場を納めなくてはなるまい。
「・・・済まないが君、その三日月刀、少し借りていいかな?」
「あ、あぁ・・・」
怒涛の展開に着いていけていない黒装束の男の一人から三日月刀を借りたフルブライト二十三世は、ガヤガヤと五月蝿い部屋の中で静かに、その三日月刀を振り上げた。
そしてなんと、それを目の前にあった応接用のテーブルに勢いよく叩き付けたのである。
ガンッ
大きな衝撃音と共に、薄く作られていたテーブルは衝撃に耐えきれずに真っ二つに折れてしまう。
そしてその突然の奇行に対し、周囲に喚き散らしていたフルブライト二十二世が驚いたように押し黙って自分の息子を見つめる。
「お静かにしていただいて、ありがとう」
叩きつけた反動で軽く痺れた手を振りながら三日月刀を持ち主に返しつつ、フルブライト二十三世はその場の全員に対して言い聞かせるように、静かに言葉を紡いだ。
「お父様、詳しいことは後ほど話をさせていただきます。ですが今は一刻も早く次の手を打たねば、世界経済を救うことが出来ません」
「な・・・一体何を言って・・・」
息子の言葉の意味が分からないと言った様子の父が何かを言おうとするのを無視し、フルブライト二十三世は部屋の外に控えていた召使いたちに向かって声をかけた。
そこに集まっていたのは、この館に古くから仕えている者たちだ。
「みんな。想定より大分早まるが、どうやら動き出す時が来たようだ」
フルブライト二十三世のその言葉に、館の召使い達は何かを察したかのように目の色を変えた。
それらの視線の先にいるフルブライト商会の放蕩息子、もとい現会長は、ニヤリと口角を上げてみせる。
「今すぐ各国各都市の商業ギルド会館を通じ、一般公開書面を発送してくれ」
言葉と共に、胸元の高さで両腕を軽く広げる。
それはまるで、全てを包み込み、そして掌握するジェスチャーであるかのように周囲の目には映った。
「文言は、当初から伝えておいた通りの一文だ」
他者が口を挟む余地をどこにも介在させない、ある種の特異な空間がそこには出来ていた。
まるでこの場所が、彼の独擅による演説会場であるかのように。
演説者以外は、何人たりとも発言を許されぬ雰囲気に包まれた中。場の中心にいるフルブライト二十三世は、まるで高らかに宣誓でもするかのように、その言葉を発した。
「・・・フルブライト二十三世を知るものきたれ、と」
最終更新:2023年01月16日 12:37