「社内で話し合いを行った結果、是非とも我々をカタリナ•カンパニーの一員として迎えていただこうという結論に至りました」
「分かりました。会長のそのご英断に、カタリナ社長も喜ぶことでしょう。これからは共に、世界経済の発展に尽力してまいりましょう。つきましては、初期の協業補助資金は当社〆の都合上、翌月末にウィルミントン支社からランス陸送隊経由でお送りします。別途流通ラインは直ぐにでも構築を展開しますので、後ほどエージェントと相談しましょう」

 そこで一度言葉を締めると、トーマスは早急に書類作成を済ませて一通りの記入、押印を済ませ、その場を退出した。

「・・・ふぅ。これで北はポドールイとランス、ヤーマスを残すのみ、か」

 レンガ作りの大きな商館を出て大通りに立つと、トーマスは長時間に及んだ商談の疲れを空に逃がす様に、軽く背伸びをしながら呟いた。
 すると隣で似たような姿勢をしたサラが、後ろに手を組みながら横のトーマスを見上げる。

「ツヴァイクの中心商業群までほぼ占有なんて、なんだか凄い事になってきたね。現時点での年間予測流通売上指標は、明日までに纏めるね。初期から遠慮はせずに強気な数字でいいよね?」

 実に頼もしい秘書の言葉に、トーマスは頷いた。

「あぁ、それでいい。苦労をかけるが今回の遠征の最終の詰めだ、頼むよサラ。あとすまないが、明日の午後便ピドナ行きの客室手配と、その前にここのエージェントとランチの席をセッティングしておいてくれないか?ツヴァイク程の市場の潤滑には、彼をもう少し叩いておかないと不安だ」

 それに今度はサラが頷くと、トーマスはここ数日の習慣に習って書類関係をサラに預け、情報集めに繰り出す事にした。

 ピドナからツヴァイクに着いてより一週間程で、ユーステルム、キドラントと強行軍で回り、カタリナが話をつけてくれた企業の全てをうまく纏めて協業、傘下に加えたトーマスとサラは、今は北の一端の詰めとしてツヴァイク公国内の企業の買収に着手していた。
 しかしそれもつい先ほどにこの地の最大手と見ていいツヴァイク商会とその保有する物件を丸々傘下に収めた事で、一先ずはキリがいい頃合いだ。
 あとは此処までの回収案件に対してより効果的な流通経路の確保と売価設定を行い、ピドナを中心に世界に循環させていくことを優先せねばならない。
 そこが整えば、次の目標は各地の陸運や海運の買収による流通コストの大幅削減と、輸送護衛の自社配備による雇用拡大と安全対策になるだろう。
 そろそろ小国規模の都市国家に対してはかなりの発言力が出てきただろうと踏みつつ、トーマスは昼下がりのツヴァイクホールに足を踏み入れた。
 騒がしさはいつもと変わらないが、ホールのギャルソンは皆が一様にトーマスに会釈をする。ここも、今やカタリナカンパニーの所有物件となっていた。

「何か変わりはあるかい?」

 カウンターに座ると無言でグラスビールを差し出してくるマスターに、トーマスはそう声を掛けた。するとマスターは一拍置いて、肩を竦めながら視線をホールの隅に走らせる。
 それに習ってトーマスがさり気なくそちらを向くと、そこでは他の喧騒に紛れて俄かに剣呑な空気が漂っていた。
 恐らくはコロシアムでのトーナメント出場者であろう三人組の武装した男と、ローブに身を包んだ性別も分かりかねる二人の人物が対峙している。
 何やら口論を展開している様だが、トーマスの位置からではその内容は全く聞こえてこない。
 ローブの人物の一人と三人組の主格がヒートアップしている様で、あの様子ではこのまま口論では済まなそうな雰囲気だった。
 と、ついに三人組が己の得物に手を掛ける。
 そこですかさず騒ぎの絶えないこのホールの歴戦のギャルソン達が数人、眼光鋭くそこに歩み寄って仲裁に入った。
 騒ぎの五人はギャルソン達に誘導され、外へと出て行く。
 其処まではなんら珍しい光景でも無いので、トーマスもすぐに視線を戻そうとした。コロシアムが作られて以降は治安の悪化も目立っており、この様な事は日常的に散見されるのだ。
 だがローブの人物の一人が頭の部分を剥いだところで、トーマスの目はそこに釘付けになった。
 珍しいエメラルドの頭髪を湛えたその男は一度見た事があれば忘れるべくもなく、さらに長年連れ添っていた彼にしてみればなおの事だ。

「ユリアン・・・!?」

 しかしトーマスがそう声に出した時には、彼らの姿はホールの外に消えていた。
 慌ててカウンターを立つと、即座にトーマスも外に出る。
 大通りに出ると、すぐ目の前で五人は対峙していた。
 既に三人組は得物を抜き放っており、其れに合わせてユリアンも腰の剣を抜かんとするところであった。
 トーマスは腰の定位置に折りたたみ式の槍がある事を確認すると、一呼吸置いてから即座に五人の間に割って入った。

「店内は元より、入り口前広場での揉め事も営業妨害です。歓迎しませんね」
「・・・んだ、てめぇは。これ以上邪魔されっと全員纏めて殺すぞ」

 割って入ったトーマスに、三人組の主格が多少酒気を帯びて殺気立った目を向ける。
 其れに対してトーマスはあくまで柔和な目線で応え、次にユリアンのほうを向く。
 ユリアンはといえば、突然登場した故郷の仲間に大きく目を見開いて驚いていたが、対するトーマスもユリアンのすぐ後ろに控えていたもう一人の顔をみて思わず目を見開いてしまった。
 そこに居たのは、数ヶ月前のゴドウィンの変にて偶然の出会いを果たした、ロアーヌの華ことモニカ=アウスバッハその人であったのだ。
 瞬時にトーマスの脳内にいくつかのここに至るパターンが浮かんでは消えたが、今はそこに時間を掛けている場合ではない。
 取り合えず三人組にはわからぬ様にユリアンにウィンクをし、トーマスは三人組に向き合った。ユリアンもそれをみて大分冷静さを取り戻したようで、無言で成り行きを見つめることにした。トーマスのこのウィンクは、「この場は任せろ」というシノンの四人組内での昔からのサインであったのだ。

「何やらご事情がお有りな様ですね。申し遅れましたが私、このツヴァイクホールを統括するカタリナカンパニーの取締役副社長をしております、トーマス=ベントと申します」

 相手のテンポをワザとずらしてゆっくりと名乗るトーマスに幾分か調子を崩された三人組は、彼の名乗った肩書きに目を細くした。

「突然の乱入にはさぞやご気分を害された事でしょうが、何分我々も細々と商売を営む身ですから、こういったことは死活問題なのです。そこはどうかご理解下さい。とは言え勿論、単に邪魔だけしにきたわけでも御座いません。見ればお三方は随分と腕が立つご様子ですから、どうにもこちらのお二人で敵うものでは無いかと思うのです。お三方も、無駄に得物を血糊で錆びつかせることも無いでしょう。そこでなのですが・・・」

 そう言ってトーマスは懐を探り、リブロフの有名ブランド品の財布を取り出すと、中から30オーラムを取り出した。

「事は店内での発端ですから、私共も黙っているのは道理ではありません。ですので手打ち金というほどの額でも御座いませんが、此方を飲み直し金にでもして頂いて、この場は私に免じて矛を納めては頂けませんでしょうか」

 そうして丁寧に差し出された30オーラムの札束に、三人組は面食らった様な顔をする。
 だが少しの間お互いに顔を見合わせたかと思うと、三人組の主格の男がその札束を受け取ってふんと鼻を鳴らした。

「・・・今回は取締役さんの顔を立てるが、てめぇら次はねえぞ」

 そうして捨て台詞を吐き、三人組はその場を北のコロシアム方面に去って行った。
 あくまで和やかにそれを見送ったトーマスは、その姿が見えなくなったところで軽く嘆息する。
 そして後ろに向き直り、口を真一文字に結んでいるユリアンと、困惑した様子のモニカを見た。

「二人とも此方へ」

 それだけ言うと、トーマスは再びツヴァイクホールの中に入っていった。なおも困惑していた二人だが、なす術もないので素直にそれについて行く。
 既に普段の喧騒を取り戻していたホール内を抜け、三人は階段を登って二階に用意されている無人のVIP席に向かう。
 上にいたギャルソンにトーマスが耳元で何かを言うと、そのギャルソンは一礼をしてその場を素早く去っていった。

「・・・まぁ、座ってくれ」

 二人をソファー席に誘うと、トーマスは向かいの椅子に腰掛けた。

「・・・ああいう収め方は好きじゃ無いが、あんなのに時間をかけるのも勿体無い。それより早く、視線と耳の無い場所に移りたかったものでね。取り合えず・・・久しぶりだな、ユリアン。そして、まさかこの様な場所で再びお目にかかる事になるとは思いもいたしませんでしたよ、モニカ様」

 トーマスのその言葉で、二人はフードを取った。
 ユリアンは相変わらずエメラルドの天然ヘアだが、モニカは以前と同じく美しい長い金髪ではあるものの、それが掛かる整った顔立ちは、以前よりも光が鈍った様な印象だった。
 トーマスが二人をそんな風に思いながら見ていると、まずユリアンが口を開いた。

「・・・ト、トム~、助かった、すまない!」

 途端に情けない表情に崩れてそう言ったユリアンに、トーマスは笑みをこぼす。

「全く、後先考えないのは相変わらずだなぁ、ユリアン。どうせ彼奴らがモニカ様に目を留めてちょっかい出してきたのに、大袈裟に反応したとかだろう?」

 トーマスのその言葉に、ユリアンはなぜわかったのだと雄弁に語る表情で返す。相変わらず嘘のつけなさそうな友人だった。

「ってかトム、本当に此処の副社長なのか。それにさっき会社の名前・・・」
「真実だが、そこはあとで話そう。むしろ何故そちらが二人だけで此処にいるのかが問題だ。それ如何では、場所を移さなければならない」

 トーマスがそう言うと、ユリアンは一瞬だけ眉間にしわを寄せ、軽く俯いた。そして何かを言おうとした矢先に、ギャルソンがドリンクを運んできたのに反応して口を噤んでしまう。
 スマートな仕草で紅茶を置いたギャルソンにモニカが丁寧に一礼をすると、ギャルソンも屈強な体型に似合わず軽やかに頭を下げて去って行く。

「彼はここのリーダーで、信頼できる。気にしなくていい」

 トーマスがそう言葉を添えると、ユリアンは安心した様に一つ頷き、口を開いた。

「俺たちは・・・」

 しかし、ユリアンがそこから言葉を続けようとした所だった。
 それを遮る様にユリアンが膝に載せていた手に己の手を重ねると、モニカが先ほどよりも強く目に光を湛えながら口を開いた。

「・・・わたくし達、ロアーヌから亡命する事にしたのです」
「・・・・・・え?」

 モニカのいきなりのその告白に、トーマスは思考停止して素で返してしまった。

「わたくし、国を離れ・・・ユリアン様と共に暮らす事を決めたのです。もう、ロアーヌには戻れません・・・」

 そう言って俯くモニカと、場違いに恥ずかしそうな仕草で頭を掻くユリアン。
 トーマスはと言えば、ぽかんと口を開けたままだ。

「・・・い、え・・・マジなのですか、モニカ様・・・?」
「ま・・・まじ、ですわ・・・?」

 気が動転して口調が定まらないトーマスに、意味がいまいち理解できなかった様子ながらもそれっぽく返すモニカ。
 その瞬間、トーマスは大仰に頭を抱えて唸った。

「・・・どうなっているんだ、最近の俺の周りは・・・。これもあれか、アビスゲートの影響なのか・・・!」
「だ、大丈夫か、トム・・・?」

 頭を抱える元凶が心配そうに声を掛けてくると、トーマスはがばりと身を起こし、驚くユリアンを気にせずに眼鏡を外し、目元を抑えて深呼吸をした。

「クール。そうだトーマス、思考を冷静に行え。クールがお前の信条だぞトーマス。お爺様の教えを忘れるな・・・」
「いや、聞こえてる。思考が漏れ聞こえてるよ、トム」

 突っ込むユリアンをよそにトーマスは頭を一振りすると、紅茶を一口啜ってから二人にしっかりと向き合った。

「・・・まず状況の整理をさせてくれないか。我々がロアーヌで別れてからの事を、順序立てて話してほしい」

 その言葉に二人が頷くと、トーマスは本腰をいれて聞く体制に入った。





最終更新:2012年04月20日 23:13