ゴドウィンの変の後、カタリナがマスカレイド奪還の旅に出発したその日に、ロアーヌ侯爵ミカエルによってモニカ護衛のための新設部隊「プリンセスガード」の招集が成された。
 主に貴族から選出された隊員に混じってまず声をかけられたのが実はハリードだったのだが、彼は丁重にそれを辞退すると、なんとミカエルに対して自分の代わりにユリアンを推薦したのだった。
 元々剣の才能には非凡な所をポドールイまでの護衛の際に発現していたのを見ての事であり、そうしてユリアンがプリンセスガードに入隊するまではトーマスも知る所であった。
 そうしてそれぞれが別々に旅立ってから幾日かの後、モニカの遠乗りにユリアンが追従した際、逃げ延びていたゴドウィンの捨て身の罠に嵌って二人は捕縛されてしまう。しかしそれを二人のみで脱出、更にはゴドウィン撃退まで成したという。
 どうやらその辺りで元々お互いに惹かれあっていた二人の意識がいよいよ熱を持ち始めたらしく、捕まっている間のくだりは二人とも顔を赤らめながら話してくれた。

「ロマンス・・・身分の違う恋・・・ニヤニヤしちゃう!」

 途中からギャルソンに呼んでもらっていたサラも合流すると、彼女はまず此処までをそう表現した。彼女が身分違いの恋の逸話の顛末が大体悲恋であることを知っているのかは兎も角として、なおも事件は続く。
 元々がアビスの魔物による奸計であったゴドウィンの変の今回の顛末も手伝い、昨今のアビスの魔物の活性化による治安への影響は多大だとして安全面を考え、前々より話が度々にきていたモニカの婚姻の話が唐突に彼女の身に降りかかった。
 勿論、先代侯爵フランツの頃からモニカへの婚約の話自体は幾つもあったが、それらを全て撥ね退けていたモニカであった。しかし此度のミカエルからのものは最早勅令に近く、彼女も敬愛する兄のその言葉には従わざるを得なかった。
 更に悪いことに、なんとその相手というのがこのツヴァイクの公爵の御曹司であるという。
 現在のツヴァイク公爵は一代で無名から公爵の地位を手に入れた辣腕家にして娯楽狂いと呼ばれる人物であるが、その御曹司はそこから辣腕家を抜いて無能と傲慢を付けたしたという、ツヴァイク国に暮らす民からみても救いようのない有様であるそうだ。
 ここで話が決まってからは昼に夜にと嘆き続けるモニカを精神的に助け続けたのも、勿論ユリアンであった。
 だがそこで更に二人の距離は縮まり、お互いは胸中苦しくなるだけだった。
 そして現在から遡ること二週間ほど前、外部には内密にミュルスからモニカを乗せた船がひっそりとツヴァイクへ向けて出港した。
 嫁ぎ先でも護衛としてついて行くことになったユリアンだったが、一人で夜の海を見つめる余りに悲壮な面持ちのモニカを放っておけず、彼はここで遂に彼女に口づけをしてしまう。
 胸の内に喜びと悲しみが荒れ狂って涙を流すモニカを、彼は船室で一晩中抱きしめ続けた。
 そして翌日の日中、どのような運命の悪戯か船は突然に魔物に襲われ、ユリアン達の奮戦も虚しく呆気なく沈没してしまった。
 その際に脱出用のボートで命辛々に船から逃げ出したモニカとユリアンは、二日ほどの漂流を経て上手い事ヨルド海の西の潮流に乗り、メッサーナの東沿岸であるマイカン半島の付け根あたりに漂着した。
 モニカはそれを自分が兄の意思を守らずユリアンと口づけを交わしてしまった罰だと嘆き、ユリアンは又してもそんなモニカを抱きしめ、彼女に永遠の愛を誓った。
 自らの気持ちに整理をつけようと試みたモニカはその中でユリアンの言葉をしっかりと受け止め、二人は契りを交わしたという。
 このくだりはサラには刺激が強すぎたようで、赤面しながらわたわたと騒ぎまわった。
 そして二人は街を求めて当てもなく北上した先にツヴァイクに辿り着き、ホールでの騒ぎを経てこの場に至った。

「・・・何だろうな。先ずは言わせてもらうと・・・」

 一通りの話を聞き終えた後にトーマスが少しの間をおいてそう言うと、三人は固唾を飲んで次の言葉を待った。

「おめでとう。細やかながら、祝福の言葉を述べさせてもらうよ。二人の今後に、幸多からん事を!」
「うん!おめでとう、モニカ様!そしてユリアン!」

 ニヤリと笑ったトーマスにサラも元気良く続くと、二人はたいそう驚いた様子で目を見開き、次いでモニカはその瞳に涙を湛えた。
 彼女の胸中には誰より敬愛していた兄を裏切ってしまったという罪悪感が渦巻いており、それは彼女の持つ光をすら鈍らせていた。
 だが、トーマスはそんな彼女らを祝福した。
 如何な困難が今後にあろうとも、二人の愛は祝福されるべきものだと、トーマスは思ったのだ。
 契りを交わしてさえ自責の念に強く支配されていたモニカは、今此処で第三者に祝福された事で、その心の内に大きな誇りを持った。
 自分の選んだ道が正しいか間違っていたかでは無く、その道を選んだ自分を恥じてはならないと感じたのだ。少なくとも自分たち以外にこの道をこうして祝福してくれる人がいる以上、彼女らはたった二人ではないのである。

「ありがとう、トム・・・サラ・・・」

 涙を流すモニカの背中をさすっていたユリアンも、二人の言葉に涙ぐんだ。

「勿論これによる問題は山積みだろうが、めでたい事に変わりはない。先ずは宴だ。ピドナに戻ればもう少し人も多いが、先に此処で細やかに祝賀会としよう」

 そう言ってトーマスがパンパンと手を叩くと、先ほどのギャルソンが静かに近づいてきた。

「めでたい席を祝いたい。今日取れた一番新鮮な材料で、フルコースを頼むよ。アペリティフには、セラーにある最も高貴なスパークリングがいいな」

 その言葉に仰々しく一礼して去っていくギャルソンを見送ると、トーマスはユリアンとモニカに対して再度ウィンクをして見せる。
 その仕草に二人は笑顔を取り戻し、漸く涙を拭いた。





「それでは、カタリナはピドナにいたのですね。ふふ、安心しました」

 トーマスとサラが今のピドナの事を話すと、モニカは目を丸くしながらそう言った。
 自分たちの事もさて置き、モニカは突然に城を去ったカタリナのことがずっと気になっていたのだ。

「はい。今はちょっとした用事でランスに向かっていまして、今頃はピドナに帰っている頃かと思いますよ」
「カタリナ様ね、うちの会社の社長なの。因みに私、秘書なんだ。二人で写真もとって、新聞にも載ったの」

 サラがそう付け足すと、モニカは驚きながらも何かを思い出すようにあぁと呟いた。

「そういえば以前、珍しくお兄様がメッサーナジャーナルなんて読んでいらしたので何事かと思いましたが、そういうことでしたのね」

 納得したような表情のモニカに対し、トーマスは意外そうな顔をする。ミカエルのそんな姿の想像がつき辛かったのだ。

「スーツ姿のカタリナ様、きまってたからね。ミカエル様も見惚れたのかしら。まさか従者と君主の恋がここでも・・・!」

 サラは一人テンション高く喋り続けるが、それに合わせて久方ぶりに気を抜いていたユリアンも酒が入って饒舌になった。

「カタリナ様が美人なのは認めるが、モニカ様に敵う美貌はないぞ。お姿もそうだけど、心の美しさもさ。俺はあのシノンの酒場からポドールイに行くまでにきっと、既に恋に落ちていたんだ」
「まぁ・・・ユリアン様ったら・・・」

 思わず顔を赤らめるモニカに笑ってみせるユリアンに、対する二人はニヤニヤするばかりだった。

「・・・しかし、今後は越えるべき課題が山積みだなぁ・・・。まずロアーヌ宮廷のモニカ様に対する対応の状況を把握しつつ、何れにせよモニカ様の無事と今のお覚悟は、ミカエル侯にはお知らせしておくべきでしょうね」

 トーマスのその言葉に、モニカは若干表情を曇らせる。流石にすぐすぐで吹っ切ることは出来ないのだろう。
 それはもちろんトーマスにもわかっているのだが、それを踏まえた上で越えなければならない、と表現したのだ。

「外交上の問題でも、ロアーヌは今回のことでツヴァイクへの配慮をしなければならない。難儀な舵取りになりそうですが、ミカエル侯でしたらこれは上手く運ぶでしょう。むしろ問題なのは、二人の今後をどの様に持っていくかです」

 空になったメインディッシュをギャルソンが下げるのを見ながら、トーマスは膝の上で手を組んだ。

「暫くはピドナで匿えるでしょうが、お二人の今後をどう運ぼうとも、遠からずミカエル侯を相手にしながら退けなければならない。あのお方は間違いなく天才です。正直、私如きがいつまで欺けるか・・・」

 うーんと唸るトーマスに、ユリアンも続いた。

「ミカエル侯は本当に底が知れないからなぁ・・・。俺がプリンセスガードに任命された時は、それこそモニカ様に掠り傷一つ負わせたら斬首だ張りに冷徹に言ったものだけど、かと思えば裏庭で迷い猫にめっちゃクールな顔で餌をあげてたりするし・・・」
「ミカエル様かわゆっ!?」

 サラがティラミスをつついていた手を思わず止めてそう突っ込むが、それに合いの手を打てるほどの度胸の持ち主は此処にはいない。
 しかしモニカだけは、祈る様な手付きで口を開いた。

「・・・お兄様は、本当はとてもお優しいのです。でも、優しさだけで国は治められないことを知っています。特に私たちの立場は、そうなのです」

 意味深なその言葉に、他の三人は黙り込む。
 モニカとミカエルは確かに先代侯爵であるフランツの実子であるが、その生まれは実は平民出の側室の子であった。
 正室との間に子を成せなかったフランツは正式な跡取りとしてミカエルを幼い頃より育てたが、特に平民出を理由に二人を忌み嫌う風潮が昔から宮廷内にはあったという。
 モニカが九つの時には、二人の命を狙う刺客に襲われたこともあった。
 その際に暗殺者を傷だらけになりながらも撃退して無傷のモニカに無事を問うたミカエルのことを、モニカはこの世界の誰よりも敬愛して止まなかったのだ。
 その事件以後、珍しく大激怒したフランツにより他の血縁への爵位継承権はその一切が剥奪され、ミカエルは大々的に次期侯爵として国中に告知が為された。カタリナがモニカの侍女兼護衛としてつくことになったのも、この一年後のことである。
 告知の逸話はわりかしロアーヌの民の間では有名であり、トーマスやユリアン、サラも知るところであった。
 旧貴族派の国民にはまだミカエルを血筋のみで忌み嫌う者がいるのも、暗に知られることだ。

「・・・お兄様は君主として一切の油断を許されないお立場ですから、確かに周囲には冷徹に見られがちではあります。でも本当は、とても・・・誰よりもお優しいのです」

 言いながら、そんな兄を裏切ってしまったという自責が強く出てきたのだろう。モニカは再び俯きながら、自分の前で今か今かと食される時を待つデザートに目を落とした。

「・・・大丈夫ですよ、モニカ様!」

 空気が重くなりそうだったところに、サラの明るい声が響く。
 三人がサラに視線を向けると、サラは自信たっぷりにフォークを力強く握りながらモニカに視線を注いだ。

「ミカエル様はモニカ様をとても大事に思ってるし、お優しいのもそのままですよ。確かにお立場とか止むを得ない事とか沢山あるとは思うけれど、でも絶対にモニカ様の望む様にするのが一番だって考えて下さるわ。だから・・・今この譲れない部分でミカエル様に甘えたら、今度はもっと大きな恩返しをして差し上げればいいんだわ!」

 そう言ってぐっと親指をたてるサラにモニカは驚き、次にふわりと笑みを浮かべた。

「・・・そうですわ、お兄様はきっとわかって下さる・・・。だからこれで今生の別れなどでは無く、必ずやお兄様にお力添えをするという気持ちが、大切なのですね。ありがとうございます・・・サラ様」

 モニカが深々と頭を下げると、サラは何でもないという風に手を振った。
 トーマスとユリアンはそんなサラを見ながら、目を細める。
 恐らくサラは、モニカの姿に多少なりとも自分を重ね合わせたのだろう。姉のエレンに守られて育ち、姉が好きだった彼女が、ふとした拍子で喧嘩別れで今は姉妹が別々の道に居る。
 それは今のモニカの状況に、良く照らし合わせることができた。
 そんな彼女だからこそ、確信して言えるのだろう。
 姉も自分も、お互いが好きなのを分かっている。だからきっと今の状況からでも、ちゃんと心は通じ合っているのだ、と。
 それを人は、こういうのだ。

「だって絶対モニカ様はブラコンだし、ミカエル様も末期レベルのシスコンだもの!」
「そ、そうですわよ、ね・・・?」

 思わず珈琲を噴き出しそうになるトーマスと、意味がわからないながらも返事をしながらユリアンにそれと無く視線で問うモニカ。そして恐らくワケ知り顔で深く頷いているユリアンは、意味を欠片もわかっていない。

「・・・まぁ、兎に角明日の午後には二人も共にピドナに向かいましょう。きっとカタリナ様も着いている頃ですから」

 トーマスがそう締めくくると、その日は後は完全に飲みの席となった。
 ここでは意外にもモニカが酒に強いという事実が発覚したが、幸いなことに直ぐに酔っ払うユリアンはそれをあまり意識せずに済んだ。





最終更新:2012年04月20日 23:28