この世界には、『聖王』と人々に語り継がれる一人の青年の願いが溢れていた。
 三百年の昔、異世界に君臨する災厄の象徴たる四魔貴族をこの世界からアビスへと追い返したその人は、遠い未来に再度の死蝕が訪れる事を、この時既に感じ取っていた。
 青年は幼い頃に心無い輩に攫われて奴隷となり、後に運命の女神の采配によって様々な人々と出会う為に冒険者として腕を磨きながら世界を旅し、やがて自らの宿星と宿命を知った。
 そこで同時に彼は、この世界のもつ宿命をも知ってしまった。
 後、世に蔓延る全ての四魔貴族を退けてから、彼はついに自らの宿命による役目がここまでであることを悟る。
 だが彼は、感じていた。
 星の宿命は、未だ混沌の渦中にあることを。
 それに自らが介入出来ぬことを悔みながらも、彼は足掻く為、未来の民へと幾つかのメッセージを残した。
 それは今の世にて広く多くの人々には『聖王記』として伝承され、又、後の世に現れるであろう彼と同じく、いや、彼より更に深く星の運命と関わるであろう者達には、頼もしき仲間が用意してくれた指輪にまず、自身の記憶と経験、そして希いを託した。
 そして後世にて聖王三傑と称されるパウルス、フェルディナント、ヴァッサールを始めとした多くの仲間に助けられた彼は、最後にその指輪にある仕掛けを施すことにした。
 遠い未来でこれを持つことになる者が、彼と同じく運命を共に歩む頼もしい仲間を正しく見つけられるように。そして、その宿命に抗えるように。

 世界では魔貴族討伐後に旧メッサーナ王国王宮にて開かれたコングレス(大会議)によって新しい世界の暦や爵位制度などが決められる一方、その指輪は彼の生まれの地であるランスに住む彼の姉に託され、聖王記の雛形は聖王三傑の一人パウルスによって編纂される。
 彼にできるのは、そこまでだった。

 彼は今も願う。星の救済を。そして、救済者たる者たちに、星の加護を。







「トーマス!」

 路上駐車は流石に危険だから、とピドナ港にある倉庫を借りて術戦車を格納していたカタリナは、丁度そこに到着していたらしいツヴァイクからの客船を出てきた見知った顔の青年を見かけて、手を振りながら声をかけた。
 それに振り向いて驚きの表情と共に笑顔を見せたのは、やはりトーマスだ。

「カタリナ様、やはりお帰りでしたか。しかしどうして港などに・・・ん、君は・・・。情報屋、か?」

 お互い早足で歩み寄りながら仕草でまずは再会を喜びつつ、ふとトーマスはカタリナの後ろにいたポールに目を留めた。するとどうした事かポールもトーマスを見て、まるで旧友と偶然の再会でもしたかのように目を丸くする。

「あっれ、誰かと思えばベントの旦那じゃないっすか。こりゃ久しぶりっすね」

 なにやらポールがまるで先輩に会ったみたいに軽く頭を下げながらそう言うものだから、カタリナはその様子に何事かという表情をする。
 するとトーマスも再会を喜びつつ、カタリナに向き直って説明しはじめた。

「彼は、以前よく世話になっていた情報屋でして。ほら、ミュルスで酒場にいったでしょう。あそこでよく彼から情報を買っていましてね」

 トーマスのその言葉に、カタリナはあぁと思い出した様子で頷いた。

「・・・なんか、意外な所で繋がりってあるのね。私もポールとは丁度ゴドウィンの変の時にロアーヌで知り合ったのだけど、ピドナからのツヴァイク行きの船で偶然再会して、まぁ色々あってね。今は旅に同行してもらっているの。その辺りも後で話しましょう」

 カタリナの言葉にコクリと頷き返したトーマスは、そこで珍しく多少意地悪い感じの笑みを浮かべながらピドナの商業地区の辺りに目をやった。

「私も丁度商談を終えて、ツヴァイクから帰ってきたのですがね。実は今回、とびきりのゲストを館にお招きしています。きっと、カタリナ様は驚きますよ」
「へぇ・・・? でもそんな事いって、またフルブライトさんみたいなのじゃあないでしょうね?」

 意外と根に持っているらしく、これ以上の厄介ごとは懲り懲りだといった表情で肩を竦めるカタリナに、しかしトーマスは笑みを崩さない。
 その真意を図りかねて目を細めたカタリナは、しかし早々に今ここで探っても暴けはしないだろうという結論に達した。

「・・・なんだか不気味ね。まぁいいわ。思いがけず二ヶ月くらいかかってしまったし、まず各々の現状から擦り合わせをしましょう」

 それにトーマスが同意すると、カタリナ達は港から歩き出した。
 港を出るまでの間にカタリナがエレンとハリードを連れてきたことを話すと、トーマスはまた驚いた様子で笑った。
 そのまま街に入るところで、ハリード達が宿を取りに離れているので合流してからハンス邸に向かうと言ってトーマスと一度別れたカタリナとポールは、中央通りでピドナの街並みを多少苦々しい表情で眺めるハリードと、対照的に都会にはしゃぐエレンを直ぐに見つける。
 無事に合流した四人は、寄り道したがるエレンを引っ張りながらピドナの中央通りを宮廷方面へと向かっていった。








 メインストリートを過ぎさって商業地区に入った辺りから、どうした事かカタリナは一向に押し黙っていた。
 暫くは三人で和気藹々と会話を展開していたハリード等がその様子に気が付いてカタリナの表情を窺ってみると、彼女の形の整った唇は硬く真一文字に結ばれ、更にはほんのり眉間に皺を寄せている。
 普段は全く見ない彼女のそんな表情に、周囲は途端にえらく心配した。

「・・・おい、大丈夫か? どこか気分でも優れないのか」

 堪らずハリードが声をかけると、それにワンテンポ遅れてカタリナが目の端を微かに震わせながら視線だけを寄越し、次いで口を開いた。

「・・・大丈夫。ただ・・・なんだか急に全身に違和感を感じてるのよ。何かが、身体の中で膨れ上がっていくの・・・。とても大きな・・・意思というか、光というか・・・。よく、分からないのだけど」

 そんな彼女の言葉にハリード達は全く理解が及ばず首を傾げるばかりだったが、抑も自分でも何を言っているのか、カタリナにすら良くわかっていなかった。
 だが確かに全身に得体の知れないものを感じながら、気付けばまるでそれに急かされるかのように、彼女の歩調は早まっていく。
 どうした訳か身体が訴えるその違和感は、トーマス達の待つ邸宅に近付くにつれて次第に大きくなっていった。
 それが何を意味するのか分からずに彼女は不安に駆られるが、しかし自分の中の何かは、なおも執拗に先を急かす。
 最早小走りに近い速度で進んで行くカタリナに、ハリード等は驚きながらも後を追った。
 そうしていよいよ目的地である邸宅の目の前に立った時には、彼女の中の何かは軽く目眩を感じさせる程に大きくなっていた。
 なんとか気を落ち着かせようと深く息を吐いて頭を少し強く振り、ひどく心配する周囲に身振りで問題ないことをアピールする。
 実際の所、何が問題なのかすら彼女にも分からないので、今は兎に角先に行こうと、何かに急かされるままに、そのままドアノブに手を掛けた。
 すると、どうした事だろうか。ひんやりと冷たいはずのドアノブが、確かな熱を持って彼女の手に訴えかけてきた。
 それに、カタリナは確信する。
 間違いなく、何かがこの先で待ち構えている。
 それに応じて体の中に先ほどから巣食う何かが一斉にざわつくが、しかし其れは、所謂警笛ではない。寧ろその真逆に感じられるような、そんな感覚だった。
 カラカラに乾いた喉で無理矢理唾を飲み込み、カタリナは意を決して扉を一気に引いて開く。

 その瞬間だった。
 まるでドアの向こうから強く眩い光に照らされたような強烈な錯覚に陥り、カタリナは思わず腕で目を庇って地面に跪く。

(・・・な、何が起こったの・・・)

 まるで地面に立っていないように、おぼつかない足元。
 そこが暑いのか寒いのかすら肌では感じ取れない、異質な空気。
 暗闇の中でそれだけをまず把握すると、次には気が付けば、先程まで体に感じていた不可思議な感覚はすっかり消え去っていた。
 一つ息を吐き、直前とは打って変わって体が解放されたような気持ちで、カタリナは薄っすらと瞼を開く。
 すると、そこはドアノブの先に期待していた見知ったピドナの邸宅の中ではなく、清廉とした厳かな静けさに包まれる、見知らぬ何処かの宮廷らしき建物の中だった。
 その視界は全体が多少霞がかった様子で、二度三度瞬きしたカタリナは、これが魔王殿の下層で見たものと同じような映像だと直ぐに思い当たる。

(・・・これは、また・・・王家の指輪の記憶・・・? 今度は何だというの・・・)

 ふと気が付けば、視界の中には一人の青年が立っていた。それは魔王殿の下層で見た映像の中の青年と同じ顔で、しかしその姿はあの時よりも絢爛であり表情も凛々しく、纏う雰囲気も神々しい。
 青年は静かな動作で周囲を見渡すように眺めると、ゆっくりと口を開く。


「・・・いよいよ、同じ地に八なる光の半数以上が揃いましたね。これより皆さんには、私の知る限りの・・・この星の運命を伝えます」


 夢を見ているように身体が浮いた感覚だったが、青年のその緩やかながらも凛とした声によって意識は研ぎ澄まされ、そして周囲の景色が変貌していく。
 そうして間もなく全てが闇に包まれたかと思えば、次に気が付いた時にはカタリナは満天の星空の中に立っていた。
 先ほどの宮廷の中と同じく見つめる視線の先に立っている青年は、その視線を斜め下にやっている。釣られて其方を向けば、其処には淡く青く輝く大陸が浮いていた。
 薄く丸い輪郭に囲われたそれは、漆黒の砂漠の中のオアシスの様に暖かな光を絶やさない。


「・・・私たちの住む世界です。私たちが住んでいるのは、広大な星の海に漂う小さな小さな島に過ぎない。そして彼処は、我々が多くの苦難の末に手に入れた楽園。ですがその楽園もまた、三百年に一度の脅威にさらされています」


 そう言って青年は上を向くと、其処には遥か遠くから注がれる太陽の光でしかその輪郭が見えないような、黒く濁った丸い星が浮いていた。


「死・・・です。あ・・・も・・・私たち・・・した。・・・存を・・・アビスの・・・あの・・・・・・星へ・・・て・・・」


(何・・・声が途切れて全然聞こえないわ・・・)


 突然視界に広がる映像は乱れ、それに合わせて青年の声も断片的にしか聞こえない。
 蜃気楼のように揺らめく身体で青年はこちらに向き直ると、優しそうな、それでいて強く逞しい意思を感じる瞳をむけた。


「魔王の・・・数・・・目の死・・・世界には・・・まで・・・イレギュラーが・・・・・・れは世界を・・・救う・・・・・・分からない。ですが、貴方達は・・・世・・・救う・・・集った・・・楽園・・・アビスに・・・破壊の・・・造の・・・・・・」


 次第に激しく乱れていく映像の中、耳障りな雑音と共に断片的に耳に届く声にカタリナは近寄ろうと手を伸ばす。
 だが間も無くその映像は再び暗転し、先ほどの宮廷へと戻ってきてしまった。


「・・・私から伝えられるのは、ここまでです」


(・・・ちょっと、何も伝わってこなかったわよ・・・)


 青年の言葉に思わず頭の中で突っ込むカタリナだったが、青年には届かない。
 そして青年は最後に、自分の周囲を再びゆっくりと見渡した。


「ここに、一体何人が集まってこれを見ているのでしょうね。四人でしょうか・・・それともまさか、八人全員でしょうか。お顔を拝見出来ないのが残念ですが・・・、どうか、この星をよろしく頼みました」


 そうして頭を下げる青年を最後に、視界がぼやけ始める。


(・・・まって、一体何を伝えようとしたの、貴方は・・・)


「あ、ちょ・・・待ってくれ、もう少し伸ばせるか、ヴァッサール」


 カタリナの願いが通じたのか、青年は少し慌てた様子でわたわたと手を振った。


「なによアレックス、今ので神々しさが確実に半減したわ」


 視界の後ろから声が聞こえてくるが、カタリナは其方には振り向けない。
 しかしアレックスと呼ばれた青年はぽりぽりと頭を掻き、すまんと手を翳してジェスチャーした。


「・・・後一つだけ、私的な願いをさせて欲しい。きっと私が居なくなってから、私の友人の子供がルーブに残される。もしこれを見た皆様がそいつに会ったら、どうか仲良くしてやって欲しい。小難しいけど、根は良いやつなんだ」


 そう言って青年が再び手を翳すと、また後ろから今度は一つため息が聞こえたかと思ったら、視界が急速にぼやけていった。


(・・・う・・・・・・)

 何度目かの視界の暗転にぐらりと体全体が揺れるような感覚に襲われ、屈んだ状態から徐々に平衡感覚が取り戻されていく。
 霞んでいた視界が少しずつはっきりしてくると、目の前には木目の綺麗に整えられた床があった。

「ちょっとあんたら、大丈夫かい!?」

 まず耳に届いたのは、聞き覚えのある力強い快活な声だった。
 直後にドタドタと足音が響き、カタリナは肩をつかまれる。
 それに顔をあげれば、目の前には心配そうにこちらを覗き込んでいるノーラの姿があった。恐らく自分たちが来るのを知って、ここで待っていてくれたのだろう。
 ノーラに何とか大丈夫だと応えながら、カタリナは眉間を指で押さえた。

「・・・ったく、いつもいきなりなんだから・・・」

 そんな悪態をつきながらゆっくりと立ち上がるカタリナの視界には、何が起きたのかという表情をしているノーラとポールの他に、つい今までの彼女と同じように地面に屈んでいる何人もの人影が飛び込んできた。
 そしてそれを何気なく見回したカタリナはその中に信じられない人物を発見し、そのあまりの驚きに、彼女は立ち上がりざまの中腰姿勢で思わず固まってしまった。

「う・・・今のは、なんだったの・・・」

 次に声をあげたのは、カタリナの背後にいたエレンだった。同じく頭を軽く振って立ち上がるハリードの肩につかまりながらなんとかバランスを取り戻した彼女は、その瞳に今だ地面に膝をついている最愛の妹の姿を見つけ、思わず叫んだ。

「サラ!」

 すぐさま駆け寄り、ふらつくサラを手を貸してやりながら起こし、優しく抱きしめる。

「・・・サラ、大丈夫・・・?」
「・・・お、姉ちゃん・・・?」

 まだ意識がはっきりしていない様子のサラは、抱きしめられた感覚でぼんやりとしながらエレンの背中をペタペタ触って確かめる。

「うぅん・・・、あ、モニカ様、大丈夫ですか!?」

 次に意識を取り戻したユリアンは、隣で屈みこんでいるモニカの肩を掴み、起こしてやる。それに反応して可愛らしい吐息を零しながら起き上がったモニカは、その視線の延長上に中腰で固まっているカタリナを見つけ、目を見開いて駆け寄った。

「カタリナ!」
「モ、モ、モ・・・モニカ様!!」

 モニカの声に合わせて直立になったカタリナは、その胸に飛び込んできたモニカを抱きしめながら目を瞬かせる。

「な、何故モニカ様がここに・・・?」

 思わず周囲を見渡して、ここがロアーヌ宮廷ではないことを確認するカタリナ。
 そこで丁度立ち上がったトーマスは、ずれた眼鏡を直しながらその光景をみて微笑みつつ頭を軽く振った。

「・・・何やら、思わぬ再会イベントでしたね・・・取り合えず皆さん、大丈夫ですか?」

 それに反応するように皆がトーマスに視線を向けると、トーマスは一息ついてから邸宅の奥に体を向けた。

「積もる話もそうですが・・・恐らくここにいるほとんどの方が見た今の現象についても、よく話し合わなければならない様です。兎に角、落ち着いて座れる場所へ行きましょう」

 先ずは皆がトーマスの言葉に従うことにして、ゾロゾロと奥の広間へと移動していった。
その途中、カタリナはそれとなく周囲を見渡す。
 この場にいるのはカタリナと共にきたハリード、エレン、ポール以外に、トーマスとモニカ、サラ、ユリアン、そしてノーラの九人だ。
 そのうち状況を感知していない様子だったのはノーラとポールのみであったので、恐らくそれ以外の全員が今の映像を見たという事だろう。

(・・・あれは、内容からしても八つの光が半数以上集まった事による王家の指輪の反応・・・と見て間違いなさそう。つまりはモニカ様達も、私と同様に八つの光・・・。という事は、魔王殿で出会ったあの少年以外の全員がこれで揃った事になる・・・。なんだか、今まで以上にとんでもない事に巻き込まれそうね・・・)

「・・・おーい、カタリナさん。行かないのかい?」

 気がつけばエントランスに一人佇んでいたカタリナは、皆が向かった扉から覗き込んできたポールの声で我に返った。それに生返事で答えると、その指にはめられた王家の指輪をチラリと見てから、足を前に踏み出した。





最終更新:2012年08月01日 00:48