カタリナ・カンパニーが独占契約を結ぶツヴァイクビールのエール酒を乾杯酒に迎え、ピドナホテル内で催された懇親会は実に華やかな様子で経過していった。
 ここでカタリナとトーマスは王宮近衛軍団の副団長マルセロから提言を受け、非公式ではあるがその場にて近衛軍団推薦企業として軍団への一定枠の優先取引と引き換えにピドナを通過する取引物量に応じた関税の減額措置と、流通量によるメッサーナ内陸海運を利用する場合の優先的輸送ラインの構築を約束した。
 これにより、後日正式にカタリナ・カンパニーはメッサーナにおいて名実ともに単年度純利益率ナンバーワンが確定する事となる。
 ここまでは、完全にトーマスの予測通りであった。
 これによりカンパニーは現政権下のピドナ内において活動の幅が大きく広がることとなり、これまでよりハイリスクであるかわりにハイリターンな手段をとっていくことが可能となる。
 一ベンチャー企業に過ぎないカタリナ・カンパニーがここまでの速度でこのような躍進を遂げることが出来たことの裏には、ピドナ独特の事情が絡んでいた。
 実のところピドナではクラウディウス家没落後は意外にもフルブライトやドフォーレのような世界に名立たる大商会の台頭が無く、今現在のところは陸のメッサーナキャラバン、そして海のアルフォンソ海運の二大運送が最も規模の大きな企業であった。
 全世界の流通の中心地であるこの土地であればこそ運送業の台頭というのは確かにあるのだが、しかしこの二社もこの五年の間に他企業の合併吸収等をして成長戦略を取る事は無かった。と言うよりは、彼らでは出来なかった、と表現した方が正しいだろうか。
 何しろこの企業成長という部分に釘を刺した者こそ、誰あろう現ピドナの最高指導者であるルートヴィッヒだったからだ。
 ルートヴィッヒがピドナ上陸後に採った政策は、民衆世論を味方につけるための実に見事なものであった。
 宮廷制圧を他騎士団によるクーデターという現実として民衆に押し付けるわけでは無く、これをメッサーナの救済と彼は言った。
 事実、彼がまず最初に発令したものは二十年近くも前のアルバート王の時代からあまり評判が良くなかった国の税率の緩和施策だった。それまでピドナ周辺を統治していたクレメンス=クラウディウスが過去に倣って規定していた税率より最大で二割程もの減税が為される事になる戦勝特別減税は二年前に名前を変えて今現在も続いており、これはピドナの住民からは諸手を挙げての歓迎を受けている。
 そしてその分マイナスとなる国庫の補充で割りを食ったのが、メッサーナ周辺の企業各社だ。
 五年前に幾つかのカテゴリに於いて法人税の導入をし、更にルートヴィッヒは主にピドナ港周りの関税をある程度の区分けで増額再設定して、立地による収益を最大限見込めるようにしていった。
 メッサーナの陸海運はそれでもまだ流通免税符の同時導入があったので大きな痛手ではなかったが、これで非常に苦しくなったのは諸外国の企業であった。
 地産地消の上を行く商売においては、この世界ではピドナを通した流通による売買が唯一に近い拡販経路なっている。となれば、そのルートの大元が関税を拡大してかけてきたのだから、流通における収益は当然落ち込む。
 そこで当然のように、免税符を用いて他よりは安価に運搬できるピドナの陸海運送業者にオーダーが集中する事になった。
 これによって最も力を持っていた運送二社が法人税のダメージを実質的に相殺された事で溜飲を下げ、それに他社は倣った。
 つまりこれは二大運送会社による実質的な市場独占であるのだが、しかしその運送会社自身はたいして収益が上がったわけではなく、あくまで法人税の相殺になっただけなのである。これにより二社は自らの畑のこれ以上の開拓そのものができない状態に誘導され、更には王無く情勢不安定な状況で追加法人税を背負ってまで新事業開拓に踏み切るという選択を採る事が、どうしても出来ずにいた。
 結果ピドナの企業各社はこの五年間で目立った変化もなく、今日を迎えている。

「現行の法人税は諸外国の基準から見たらどの業態に於いても新規参入するにはあまりに馬鹿らしい率で、うち以外に起業家が殆ど来なかったというのも大きな要因だよね。それはもちろんうちも同条件だったんだけど、その点はほんとフルブライト様様だってトムは言ってたわ」
「サラが何を言っているのか俺には全く分からないんだけど、エレン分かるん?」
「まぁ・・・ちょっとはね」

 立食形式をとられた懇親会場はそこかしこで様々な話が飛び交っている。そんな中で隅に控えて会場を見守りつつサラ、ユリアン、エレンのシノン組三人も会話に花を咲かせながら、注意深くある一点を観察していた。
 彼女らの視線の先には、一際人集りのあるスペースがある。
 その中心には社長であるカタリナと副社長のトーマス、協業筆頭のフルブライトがおり、その三人の周囲には他を寄せ付けぬ様な雰囲気で近衛軍団と神王教団の面々が陣取っていた。

「・・・あたしもお酒のみたいなー」
「ダメだよお姉ちゃん。ハリードやハーマンさんだって飲んでないんだから」

 周囲が談笑しながら杯を交わしている事を羨ましく思ってぽつりと呟くエレンに対し、辛辣にそれを切り捨てるサラ。
 そんな様子がシノンに居た頃のようで懐かしく思いながら聞いていたユリアンは、視線の先でカタリナが席を外して会場入り口に向かって行くのを確認した。

「お手洗いじゃないかしら」

 同じく気づいたエレンがいうが、サラはその隣で明後日の方向を向きながら小さく頷いていた。
 その視線の先には、カタリナが去ったあともピドナに君臨するお偉い様たちと談笑が絶えないトーマスの姿がある。彼は、一瞬だけサラに目配せをしていた。

「トムが、カタリナ様のあとを追って、って。多分あるとしたらここだよ。お姉ちゃんかユリアン、お願い出来る?」

 サラがそういうと、エレンが頷いて一歩前に出た。ユリアンも同行しようと名乗り出たが、エレンは一人で大丈夫だと彼を留めた。あまり動きすぎると目立ってしまうかもしれないからだろう。
 そのままカタリナが出て行ってからタイミングをずらしてエレンも会場を出ると、外で待機していたスタッフがすぐに気付き、化粧室は彼方ですと案内をしてくれた。
左手の奥を案内されたエレンは、軽く頭を下げてそちらに歩いていった。
 その背中を見送ったスタッフはほんの一瞬口の端を釣り上げたが、また元の無表情にもどり、周囲の観察に徹した。






 無神経に人を値踏みするかのように全身へと隈なく絡みつく視線に、カタリナは不快感を露わにしながら立ち止まった。
 彼女はスタッフに会場の階の化粧室が故障しているとの事で階下の場所を案内されたのだが、下りの階段に足をかけたところからずっとまとわりついているこの視線に、用を済ませる前にいよいよ誰何するべく止まって振り返った。
 そこには一見誰もいないのだが、隠すつもりもなく彼女に向けられた気配は疑い様がない。しかも、複数だ。
 カタリナは内心笑みを浮かべながら、しかし不機嫌な様子を崩さない。

「・・・用があるなら、早く出てきなさい」

 最も近い気配がある柱の影に向かってカタリナがいうと、そこからふっと小さく息を吐く音が聞こえた。
 そして悪びれもせずニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、見知らぬ男が彼女の視界に現れる。
 それと同時に、通路の向こうや階段の影など幾つかの場所からも人が現れ、その人数は合計で八人にもなった。

「何の用かしら?」

 カタリナが軽く首をかしげながらそう問うと、集団の中の一人が彼女の問いに対する答えだと言わんばかりに懐から大型の刀身が曲がったナイフのような武器を取り出した。それに呼応するように周囲の男たちも其々が同じような得物を取り出す。
 見た目は何処かのおっさんが使う曲刀のようだが、より小回りが効くように小型化された近接戦闘用のもののようだ。このような建物内では特に優位性が高いだろうことが伺える。
 少なくとも、この辺りの地域でメジャーな武具てはない。

「カタリナ=ラウラン。ついて来てもらおう」
「お断りよ。そういうお誘いは受けない事にしているの」

 にべもなく、即答する。
 それにより俄かに、フードに見え隠れする相手の表情に怒気が混じったのが分かる。
しかしカタリナはそんな事には御構い無しに胸の下で腕を組み、ニコリともせずに目を細めて続けた。

「レディを誘うのにそんな言葉では、誰も応じてくれないわよ。覚えておきなさい」
「・・・抵抗するようなら、生きて喋れさえすれば構わないと言われているんだ。後悔しても遅いぞ」

 カタリナの挑発に殺気立った男たちは、それでも慎重にカタリナとの距離をジリジリと詰めにかかった。
 しかし、カタリナは腕を組んだ姿勢を崩さない。

「そう・・・奇遇ね。私もそのつもりよ」

 カタリナのその言葉に男が意味を理解しかねて眉を顰めると同時、何かが転げ落ちてくるような派手な転倒音がその場に響き渡った。
 突然の物音に驚いた男達がカタリナを逃さぬように気を使いながらも音の聞こえて来た後方を確認すると、そこではなんと階段の上からホテルの従業員らしき男が何者かに突き落とされていたのだった。

「ったく、どけっつーのに忠告を聞かないからだぞ」

 そう悪態をつきながら階段を下ってきたのは、スーツに身を包んだハリードだった。
 それをみた直後には最も階段に近い位置にいた賊が素早い反応を見せてハリードに襲いかかったが、しかし振りかぶった剣を難なく絡め取られ、抜刀すらしてもらえずにこれも階段から突き落とされる。
 その突然起こった一連の様相に集団に焦りの色が見えた瞬間、その機を逃さずカタリナも動いた。
 この中では首領格と見られる正面の男に丸腰で迫ると、男は苦虫を噛み潰したような表情をしながら手にした剣を横に薙ぐ。
 それをなんと相手の刀身根元近くまで踏み込んだカタリナは身を捻りながら白刃どりの要領で相手の刀身を両手で挟んで巻き取り、そのまま相手の体を軸として体を回転しつつ相手の後ろにすり抜けざま、重心が乗っていた男の後ろ足を切りつけた。

「ぎゃあぁ!?」

 男が血を流して叫びながら倒れる間に、カタリナは初めて持った曲刀でハリードの動きを真似るように半月を描くような刀身の軌道で眼前に迫ったもう一人の賊の得物を真っ二つに切り飛ばす。そしてその勢いを殺さぬままに更に体を半回転させ、遠心力とヒールの利いた回し蹴りを相手に見舞った。
 その間に、ハリードも静かに動く。その見た目はカタリナと同じような動きだが、彼はそこから更に衝撃波のような剣圧を相手の後方にまで発生させ、なんと三人纏めて切り倒してみせた。
 瞬く間に2人の常人離れした動きによって八人中の実に六人もの男が戦闘不能に陥り、この時点で残った2人は既に戦意などというものは持ち合わせていなかった。

「カタリナさーん!どこー!ってうわぁ!?」

 と、丁度そこにどたばたと音を立てながらエレンが階段の上から駆け込んでくる。そして階段の下に倒れこんでいる賊の集団をみて思わず声を上げ、次いで平然と立っているカタリナとハリード、そして見るからに戦意喪失した賊の姿をみて、大凡を察した。

「・・・あっれー、あたし、完全に出遅れた感じ?」
「そうだな。お前がそこの従業員の案内に沿って明後日の方に向かった時は、どうしたものかと思ったぞ」

 ハリードが突き落とした従業員に視線を這わせたあとに肩を竦めながらそういうと、エレンはため息を一つつきながら振り返って階段を登り始めた。

「取り敢えずふんじばる用に縄、もってくる。ついでにトムにも伝えてくるね」
「・・・ええ、お願い。あと、会場周辺の監視にも伝えて頂戴。外部に失敗を勘付かれるのを遅らせたいし、ね?」

 エレンに答える形でカチャリと曲刀を振りながら立ち尽くす賊2人に視線を向けてカタリナが言うと、為す術の無い賊達は唇を噛みながら呻いた。





「・・・では次回の定例会には、是非私共もお邪魔させていただきます」
「そうですな。私と、あとは我等が軍団長も次の例会には赴く予定です。マクシムス殿、それではその時に」
「・・・わかりました。お待ちしております」

 ピドナホテル前の通りでトーマスと近衛軍団副団長マルセロに軽く頭を下げながらそう答えたマクシムスは、何故かその場から逃れるように急ぎ足で後ろに待機していた教団専用の馬車に乗り込んだ。
 そのまま間を置かずに御者が馬にムチをいれて動き出していくのを見届けたトーマスは、すぐ隣のマルセロに向き直った。

「マルセロ様も、本日はわざわざお越しいただきましてまことに有難うございました。しかしまさかこの様なことになるとは思いもよらず・・・ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした」

 懇親会の終わり間際に、それは突然起こった。
 会場のドアを勢い良く開けた憲兵が周囲の客を退けながら副団長マルセロの元まで足早に歩み寄ると、マルセロは一瞬その柔和な表情を消し、鋭い眼光で何事かと兵に尋ねる。
 騒然とする会場内とロビーには武装した憲兵たちがおり、ホテルのエントランスには今しがた縛りあげられたばかりの様子の賊の集団と、両腕を抱きかかえながら憔悴し切った様子のカタリナが見えた。
 聞けば、なんと突然何処からか押し入ってきた賊の集団が近くの従業員を殴り倒し、丁度席を立っていたカタリナを攫おうとしたというのだ。
 しかしホテル内の警備員の活躍により最悪の事態は避けられ、また外にはマルセロの来訪もあって憲兵がしっかり控えており、あっけなく捕縛されて事なきを得たのだと言う。

「なに、噂に違わぬ美貌の社長殿に大事がなくてよかった。しかし・・・この様な白昼に堂々とこの近衛軍団の守護する王宮膝下において襲撃事件があるとはな・・・。なにやらこの事件、これだけでは終わらぬような気がする。しっかり調査をして行くつもりだよ」

 マルセロのその言葉に、トーマスはすっかり安心したような表情で頷いた。

「そう仰って頂けると、我々としても心強いです。弊社代表も今はショックが大きく奥で体を休めておりますが、そのお言葉を伝えれば何より安心するでしょう。この度は迅速な対応によって弊社代表を助けていただき、まことにありがとうございました。また今度、仕切り直しに近衛軍団の御歴々の方々も交えて軽い晩餐会など設けましょう。そこで皆様方の歴戦の武勇伝など、是非ともお伺いしたいものです」

 トーマスのその申し出に対して、マルセロはこれに上機嫌に頷きながら応えた。
 丁度そこに近衛軍団の団旗をはためかせた重装仕様の馬車がやってくると、マルセロは最後までにこやかにトーマスに会釈をしながら馬車の中へと消えていった。
そのまま馬車が走り去っていくのを暫くの間見送っていたトーマスは、背後に人の気配を感じてゆっくりと振り返る。
 そこには、なにやら満面の笑みを浮かべたフルブライト二十三世の姿があった。

「君たちは皆、よい舞台役者になれそうだね。どうだろう、カンパニーで歌劇など扱ってみては?」
「またご冗談を。あまりあの手の人物相手には、やりたくありませんね」

 対したトーマスは、漸く終わったといった表情で一息つきながらそう言った。

「とはいえまぁ、近衛軍団副団長マルセロ殿は予想に反して随分と柔和なお人柄だったね。流石に一筋縄とはいかなそうだが、今後良好な関係を築けそうだ」

 フルブライトの言葉に、トーマスは軽く頷きながらも眼鏡の位置を直しながら多少唸った。

「ええ・・・しかし、此方がミューズ様等と繋がっていることは、やはり存じておりましたね。まぁそれ自体は想定内ですが、その上であの物腰なのは、逆に少々気味が悪い気もしますね」

 トーマスがそういいながら肩を竦めると、フルブライトは鼻で笑いながら馬車が去って行った丘陵の上の王宮へと視線を向けた。

「・・・こうも考えられる。ルートヴィッヒ殿も、今の状態から更に進むための何かを多方面に模索しているのではないか、とね。えてして人は、上に立ったと感じた時は多かれ少なかれ傲慢になるものだ。だが上であるはずの相手の態度が下に対してそうでなかった時、それは二つのうちのどちらかだよ。その人物が賢人か、打算があるか、だ。因みに九割九分は後者だね、僕の経験則からいけば」

 そう言っておどけて見せるフルブライトにトーマスも思わず口の端を釣り上げて笑い返し、そしてホテルの控室へと踵を返した。

「そういえば今回のは随分と派手な演出だったが・・・そちらの別の目的は達成できたのかい?」

 すれ違い様、トーマスの背中に向かってフルブライトが声を掛ける。
 トーマスはその声に立ち止まると、肩越しにフルブライトを見ながらメガネの位置を直した。

「・・・そうですね。最終的な精査はこのあとなのですが・・・思いの外、大きな収穫になりそうです。これはまぁ、また後ほどお話ししますよ」

 それだけいうと、トーマスは再び歩き出した。






最終更新:2014年08月30日 03:25