既に密林での異変を察知していたメッサーナ王国海洋警備拠点であるエデッサ砦を中継して、密林地域北部から上陸した妖精族救助隊一行。彼らが密林探索に突入してから現時点で、凡そ二日程が経っていた。
 この時点でカタリナが切り飛ばしたアウナス術妖の数は、ともすれば三桁にも迫らんという勢いだ。
 以前にフェアリーとともに練り歩いた時とは、余りに密林全体の空気が一変していた。

(吐き気を催すような、陰鬱で体に纏わりつく瘴気・・・)

 ふと上を見上げれば天から降り注ぐ木漏れ日も、風に揺れ動く木々の騒めきも以前来た時と変わらないはずだ。だと言うのに、密林全体を覆う醜悪な瘴気が視界に映る全てを歪ませてしまっている。

(此処はもう私の知っている密林ではない・・・これじゃあまるで、噂に聞く腐海森林のよう・・・)

 止まぬ息苦しさに常時顔をしかめながら、カタリナはそんなことを思った。
 事実、ロアーヌ騎士団の精鋭を中心に構成されているこの救助隊の中であっても、倒れるほどまでは行かずとも体調の不良を訴えるものもぽつぽつと出始めている。
 あまり長いことこの森で過ごすことは出来ないだろうと考えた一行は、出来うる限り移動速度を上げていった。
 居ても立っても居られずピドナから風に乗って密林へ飛来したらしいフェアリーと念話を通じながらカタリナが先頭で案内役をしつつ、一行は間も無く妖精の里に辿り着かんとするところだ。
 だが既に先行して辿り着いているらしいフェアリーとこの数時間連絡が取れておらず、何事かあったのかとカタリナは内心気が気ではなかった。
 道に迷う心配はなかった。木々の間から漂ってくる、樹木の燃えた臭い。そして結界が消滅したことによるのだろう、半分以上崩れ落ちながらもその姿を遠くから視認することができる大樹の幹。
 その無残な姿に心を痛めながら、カタリナは後続メンバーを先導しつつ大樹を目指した。
 大樹に近付くにつれ、木々が少なくなって行く。それらの殆どは、燃え尽きたことにより倒れていた。そして倒れた木々のその中に、事切れた妖精族の亡骸が散見される。特に戦士として名高いアールヴと見受けられるものもある。
 カタリナはその姿を見て苦渋に顔を歪ませ、そして立ち止まった。

「どうしましたか、カタリナ様」

 彼女のすぐ後ろをついて来ていたフォックスが語りかけると、カタリナは言葉を発せず、代わりに口元に人差し指を当てる仕草で答えた。
 それを見たフォックスが後続を止まらせ、物音を立てぬようにと伝える。
 それが直ぐに伝わり足音も聞こえぬようになったところでカタリナが注意深く周囲の気配を探る。
 魔物の気配を感じるわけではない。それ以外の一縷の望みに賭けたのだ。

「・・・・・・」

 暫し息を殺して立ち尽くしていたカタリナは、突如弾かれたようにそれまでとは明後日の方向に走り出す。
 それを周囲が何事かと見ていると、カタリナは燃え尽きた倒木を持ち上げて脇に投げ捨てつつ、フォックスたちに向かって声を上げた。

「手伝って頂戴!まだ生きている!」

 その言葉に今度はその場の全員がカタリナのもとに駆け寄る。そこには全身に傷と火傷を負い息も絶え絶えの様子の妖精族の戦士の姿があった。
 直ぐ様周囲の倒木も退かされ、付き添った魔術師が生命の水を唱えている横でカタリナはその妖精族に語りかける。

「大丈夫よ、もう安心なさい」

 癒しの水が染み渡るのを感じたのか薄っすらとだが顔色に生気が戻ったその妖精族は、苦しそうにしながらも目を開いてカタリナを見た。

「・・・貴女は・・・長は、花の広場に・・・どうか・・・」

 カタリナを見た妖精族はそれだけ言うと、また直ぐに気を失った。
 カタリナが慌てた様子で隣の術師を見ると、気を失っただけで生きていると告げられ安堵する。
 そして立ち上がった彼女は、同行部隊の中からコリンズを呼んだ。

「場所の見当はついたわ。私は数人連れてそちらに向かう。コリンズたちは、この周辺で生存者の救助作業をお願い」
「・・・分かった。無茶はするなよ」

 カタリナが直ぐ様数名を連れて走り出したのを見送り、コリンズはその場の全員に警戒と救助活動を命じた。




 揺蕩う木の葉を切り裂くかの如くに、いとも容易く一振りの度に槍が敵を討ち払っていく。
 槍は周囲の木々を避けるように、また周囲の木々も槍を避けるようにしなり、正確無比にその穂先は敵だけを貫き、打ち上げ、叩き落とす。
 その槍さばきは常人離れした威力と精度を持ち、それがあまつさえ少女の様な姿形のフェアリーから放たれているものであるからか、相対するアウナス術妖はその面妖な様子に慄き狼狽えた。
 だがそれでも、槍を操るフェアリーの表情は固い。其れもその筈で、今現在フェアリーは着実に戦線を圧されていた。周囲に感じられる同胞の気配は、刻一刻と消えていっていた。彼女よりも強く逞しいアールヴの戦士ですら、徐々に圧されている。最早百も残っていない妖精族の戦士に対して相手は此の期に及んで数千に迫る程の軍勢を継続して投入してきており、数の上で圧倒的に不利なのだ。
 彼女らの守る戦線は、いわば最終防衛線のようなものだ。この後ろには密林の中で大樹の次に最も彼女たちが力場を展開するのに適した清廉なる場所があり、そこに長が居る。そこは特に遮蔽物があるわけでもない、一面のひらけた花畑。緊急で結界を作り上げたが、それでどれだけ持つのかも不明だ。いや、「持つ」というのも楽観的な意見かもしれない。フェアリーらが相対するこの有象無象の奥には朱鳥の加護を受けた絡み合う三頭の巨大な大蛇が陣取っており、あれを相手にしては例え一流の戦士揃いのアールヴ族ですら、いくらも持たないであろう。
 視界全面にばら撒かれる発火性の砂を、槍の大回転で防ぐ。だがそれにより方々に散らばって燃えた砂に木々が巻き込まれ、側面から襲う熱にまた一歩後退を余儀なくされる。
 冷静に考えれば考えるほど、この状況は絶望的だった。
 だが、フェアリーは全く諦めるつもりなどない様子で槍を振るい続けた。彼女には、確かに感じられていたのだ。此方に近づいてくる最強の助っ人の気配が。奥に控える大蛇の影響なのか力場が乱れていて遠距離の念話が出来るような状況ではないが、気配だけは読み取ることができた。否、意識せずとも感じられたのだ。

(・・・圧倒的な存在感の塊・・・幾つもの聖王遺物を携えるというのは、ここまで強大な力を得るということ・・・)

 その気配は、真っ直ぐに此方へと向かってきている。
 だから、せめてそこまでは耐えなければならない。例えここで自分が倒れても、長を失わなければ妖精族は何とかなる。そうすればいつか自分はこの世界に渦巻く大いなる力の一部として解けた後、いつか再び別の形で再構成されてこの世に生まれ戻る。
 一際鋭い槍の一閃で三体を纏めて屠ると、フェアリーは歯を食いしばった。

(・・・でも、私は今ここで死にたくはない。もっといろんな・・・この世界のまだ見ぬ場所を私のこの目で見たいの・・・。だから、死にたくない・・・!)

 じりじりと後退する戦線を前にして一切を捨てぬ覚悟を新たに、フェアリーは槍を構えた。




「来るわよ、下がって!!」

 カタリナの号令とともに周囲の数人が一斉に後方へと走り、それと同時に巨大な三頭の大蛇が燃え盛る炎を周囲に吐き出す。途端に辺り一面が火の海となり、しかしただ一人その炎の中に残ったカタリナは太刀の一閃で炎を払いのけ、仁王立ちで大蛇と対峙した。
 同行者の一人であったフォックスは、そのあまりに人間離れした様相に普段の冷静な表情もすっかり忘れて魅入ってしまっていた。彼女とて幼い頃から長く荒事に身を置いてきた者として、幾人も「強い人間」には会ってきたつもりだ。そういう意味で言えば今所属しているロアーヌ騎士団の面々も非常に強いと感じたし、そこで将を務めるブラッドレーやコリンズなどは今まで見てきた中でも一流というに不足無い腕を兼ね備えていた。
 だが今彼女の目の前で異形の化け物と戦っている存在は、まるで彼女の知っている『人間』という存在とはかけ離れたものにしか見えなかった。少なくとも今まで彼女は人間が迫り来る炎を太刀の一振りで振り払う姿を見たこともないし、その胴回りだけで自分の身の丈ほどもあるような大蛇三頭に対峙してなお一歩も引かない人間など、それもまた見たことはなかった。あまつさえ彼女はこちらに助けを求めるどころか、危ないので引いていろと言う。確かに実際助けを求められたとしても自分たちでは何が出来るわけでも無いだろうとも思ってしまうが、それでも標的の分散程度にはなるはずだ。しかし、それすらもいらないと彼女はいっているのだ。

「温い。レッドドラゴンの炎の方が余程熱かったわよ?」

 地面で燃え盛る炎を避けるように一足飛びで相手の懐まで入り込み硬い外皮を物ともせず、迫ってきた一頭の大蛇の首を一刀のもとに刎ね飛ばす。そのまま切り離された胴体だけが暫く動き回りながらも次第に緩慢な動きとなり、やがて絶命した。その様子を尻目に半狂乱でカタリナに襲いかかる二頭を、彼女は全く意に介さぬ様子で身軽に駆け回り、避けていく。その様はまるで風を身に纏う精霊の如く、人間離れした光景であった。
 そのまま手にしていた月下美人を納刀したカタリナは懐からマスカレイドを抜き、迫る来る大蛇二頭に向かって少々だけ距離を取って腰を低く構えた。

「さぁ・・・いくわよ、マスカレイド!」

 その言葉と同時、端から見ていたフォックスたちの視界は周囲に燃え盛る炎よりも眩しく、そして赤く染まった。
 そして直後に巨大な何かが倒れる重苦しい地響きと落下音が周囲に響き渡ったかと思えば、先の者と同じく首を刎ねられた残り二頭の大蛇と周囲の燃える木々の上半分が炎ごと斬り飛ばされ、地に落とされていた。
 そして残されたのは、真紅の大剣を手に地面に立つ、カタリナだけだった。
 彼女たちが木陰から見守ってものの数分で、あの異形の化け物との勝負はついてしまったのだ。
 唖然とする周囲を尻目に、マスカレイドを携えたカタリナは周囲に燃え残る炎を忌々しげに一瞥した後、己が打ち倒した大蛇の先を真っ直ぐに見据えた。

(・・・この先にフェアリーも長もいる。月下美人の反応がそれは教えてくれる。あとは突っ切るだけか・・・状況がわからないし、どうしたものかしら・・・)

《カタリナさん!》

 突如として脳内に聞きたくて止まなかった声が響き渡り、カタリナははっとして中空を見上げる。漸くフェアリーからの念話が通じたようだ。状況からして恐らく、今の大蛇が障害となっていたのだろう。

《フェアリー、無事!?》

 恐らくフェアリー達がいるであろう方向を凝視しながらカタリナが思わず声に出しながらそう語りかけると、直ぐに返事は返ってきた。

《はい、長共々なんとか。カタリナさんのおかげで、周囲の敵が統制を失いました》
《そう・・・兎に角無事でよかった。丁度いいわ、今浮いてる?》
《え・・・あ、はい。浮かんでいますが・・・?》

 フェアリーのその念話を感じ取ると、カタリナは一呼吸置いてから手にしたマスカレイドを逆手に持ち直し、天高く掲げた。
 詩人が神王教団の軍勢に対して放ったようなもの程とはいかないだろうが、今のマスカレイドならば相応の威力は出せるはず。彼女はそう考えていた。
 手中のマスカレイドに語りかけるように刀身へと意識を向けると、それに応えるように赤い刀身に仄かな輝きが宿る。
 そのままカタリナは力強く、マスカレイドを地面に突き立てる。その動作は、彼女が神速の二段斬りと並んで十八番としている地を這う衝撃波だ。
 だがマスカレイドから放たれたそれは、これまでのものとは全くの別物だと感じられるほどに強大な衝撃波をその場に瞬時にして生み出した。
 剣の周囲数尺に渡り地面に無数の亀裂が走ったかと思えば、亀裂は轟く断裂音と衝撃波を伴って真っ直ぐ直線上に地を走っていく。

「・・・!!?」

 軍の核となる大蛇を失い統制が取れていなかったアウナス術妖らがその轟音に気付いて背後を振り返った時には、その命運は既に尽き果てていた。衝撃波は進行方向にある全てを飲み込んで燃え盛る密林を突き抜けていく。
 折り重なって響き渡る、幾つもの魔物の断末魔。根元から断絶され地響きと共に倒れる燃えかけの樹木。
 周囲に溢れる朱鳥、そして密林を漂う蒼龍の気を打ち消す様に白虎の力を発現させた衝撃波は、やがて魔物の軍勢を突き抜けた先で漸く止まった。
 宙に浮く自らの足元を走っていった衝撃波の威力をまじまじと見つめたフェアリーは、ふと我に帰って周囲の様子を探った。
 大蛇が討ち取られて以降、仲間に戦死者はいない。後方の長も無事。
 アウナス術妖は大蛇の欠損に加え突如として味方の三割ほどが巨大な衝撃波の餌食となったことに完全に戦意を喪失し、散り散りとなって逃げ始めている。
 それらを見て戦闘が終わった事を悟った彼女は、放心した様に槍を持つ腕をだらりと下げながら、炎ごと吹き飛ばしていった衝撃波の痕を見つめた。

(・・・生き残った。すごい・・・すごい)

 遠くからフェアリーを呼びつつ瓦礫の上を颯爽と走り寄って来たカタリナが彼女の元に辿り着いた時には、彼女はすっかり安心しきった様子でぱたりとカタリナの腕の中に倒れこんだ。






 明方から一向に太陽が顔を覗かせることなく分厚い雲に覆われ続けた薄暗い空を、ユリアンは一人で棒立ちのまま眺めていた。
 このヤーマスに滞在する様になってから気が付いたことだが、ここは天候の移ろい方が彼の故郷であるシノンと少し似ている。
 あるいは北方に聳える龍峰ルーブが、故郷のタフターン山と同じ様な役割を果たしているのかもしれない。
 だが、己が周囲の移ろい方はこうも予測の付かぬものになろうとは思いもよらなかった。シノンで同じ様な空をぼんやりと眺めていた時分には、まさかそう遠くない未来に自分がシノンから遠く離れた地でこの様な事をしているなどとは想像もつかなかったな、と思い返す。
 立ち姿勢を直そうと左足から右足に重心を変えると、腰に装着しているロングソードが音を立てる。
 それを目で追う様に剣の柄を見つめたユリアンは、今度は状況の変化と共に訪れている自分の中の変革に思いを馳せた。
 今の彼の中には、「彼の知らない記憶」が渦巻いている。
 最初は、戦いの記憶だった。それを最初に自覚したのは、ピドナでのいくつかの作戦行動の最中。
 クラウディウス家所縁の有力者への使者としてマイカン半島中を駆け巡ったり、神王教団ピドナ支部への潜入調査を行った際に戦った妖魔を相手取った時、最早自分の体は以前の自分とは全く変わってしまっていることに気が付いた。
 戦の術は己のこれまでのどの記憶よりも鮮明に自らの体に染み込んでおり、頭は目の前の妖魔がどのような特性を持っているのかを、長年携わってきた森の切り拓き方や農産物の育て方よりも遥かに熟知していた。そしてそれらを駆使し、手にしたロングソードは彼が初めて相対する脅威に対して、これまでに幾百とそうしてきたかのように淀みなく敵を屠った。これまでに無い過度に高度な動きに最初は肉体が大いに悲鳴を上げたが、それを圧倒的に凌駕する意志の力が体を動かした。
 先日ロビンとの戦いの最中に閃いた技こそ独自に編み出したものではあるが、しかしそれも彼の中に渦巻く記憶を元に昇華させた技術の結晶だ。以前の彼ならば、それこそ一生をかけても編み出せたかどうか分からないようなものだ。
斯様な激動の変化の中で、彼が何より恐ろしく感じることが一つある。
 それは、この変化に対し彼自身が不気味な程に冷静である、ということだった。

(・・・俺って、こんなものの見方をする奴だったか・・・?)

 以前の自分なら、今の自分になったらどう思うだろうか。
 そう、きっと先ずは、とても驚くに違いないだろう。そして、その力に自惚れ、はしゃぐこともあったかもしれない。
 今の自分ならば恐らく、世界屈指の精鋭とも謳われるロアーヌ騎士団の現役世代・・・カタリナと同世代の面々にも引けは取らない。いや、寧ろ勝つ自信がある。
 だからこそこんな力があったら、そう、もっと昔からこんな力があったら。次第に、そんな風に考えたかもしれない。

(・・・いや、ないなー。こんな事では変わらない・・・。だから多分、変に冷静なんだな)

 そう考えを改め、再び空を見上げる。
 どれだけ力を手に入れようとも、この空に手が届くことなどないのと同じなのだ。自分の中に巣食うこの無力感は、こんな事で克服されることはないのだろう。むしろ生半可に力を手に入れたからこそ、より一層に思い知らされるような気分だった。

「・・・来てくれたか」

 声に反応して振り返る。
 其処には先日会った時のままの、日中は逆に目立つのではないかと感じられるような格好でロビンが現れた。
 ユリアンが彼の言葉に小さく頷くと、ロビンは彼を促すような仕草をしながら身を翻した。

「既に奴らの動きは確認した。着いて来てくれ。向かいながら説明しよう」

 そう言って歩き始めるロビンについて歩き出しながら、ユリアンは気を引き締め直した。

(・・・流されるままではいけない。俺は、モニカを護る。今はその為に出来る事が、これなんだ)

 決意を新たにしながら倉庫群を屋根伝いに素早く移動するロビンについて行くと、人通りが殆どない倉庫群の一角を前にしてロビンは立ち止まり、身を屈めた。
 それに習ってユリアンが傍に身を屈めると、ロビンは視線で方向を示す。

「あそこだ。明け方の荷捌きの時間に紛れてルーブ山脈の方から運ばれてきたものが、あそこに収容されている。この時間は荷下ろしも何もないから人目につきにくい。取引は間も無くだろう」

 ロビンの言葉に無言で頷いたユリアンは、彼の指示に従い正面と裏手の屋根に飛び移り、双方から人の立ち入りがないかを見張った。
 すると程なくして、商人と思しき格好の人物が一人、裏口から倉庫内に入って行くのをユリアンが確認した。捕縛しに動くかをロビンに視線で問うが、ロビンはまだだと首を振る。それに従いユリアンもじっと待っていると、それから更に幾ばくかの後、水夫の格好をした男が正面から倉庫に入っていった。
 それを視認したロビンはユリアンに即座に立ち位置の合図を送り、慎重に内部へと侵入していった。
 天井の骨組み伝いにロビンが裏口方面から建物内部に消えたのを確認すると、ユリアンは正面入り口に回り込んで周囲に人の気配がないことを再度確認し、内部を覗き込んだ。
 そこには視認した通り二人だけが広い倉庫に積み上げられた荷物の前におり、そのうちの一つを見聞しながら話している様子がうかがえる。ユリアンはそっと聞き耳を立ててみた。

「今回の出荷量は凄いな。試作品だそうだが、一気にばら撒くつもりなのか・・・しかし、これだけ派手にやって大丈夫なのか? こりゃもう正真正銘の麻薬だぜ」
「そうらしいな。今までのものと此奴は、濃度が違う。普通はこんなもん港を通過できねえが、なに、心配するな。こいつはルーブの支配者のお墨付きだ。誰もみちゃいねえよ」
(・・・麻薬、だと・・・!?)

 彼らの会話は、ユリアンにはその大部分が理解できなかった。
 だが少なくとも彼らのそばにあるものが麻薬のようなものであろうと言うことだけは伝わった。
 この手の我慢比べはあまり得意でない事を自覚しているユリアンは、思わず自分が見ていると声高らかに叫びながら飛び出したい衝動に駆られた。
 が、どうやら彼の相方は自分よりもさらに我慢弱い方だった。

「ハハハハ!」
(!!?)


 突然倉庫内に響き渡る高らかなロビンの笑い声に、その場の男二人は心底驚いた様子で周囲に視線を走らせた。ついでに言えば、ユリアンも驚いていた。

「天知る 地知る ロビン知る! 麻薬で人々の体と心をむしばみながら、おのれはぬくぬくと大金を得ようとは、許せん!」
「くそっ、ロビンか!」

 華麗に天井から飛び降りながらロビンがそう言うと、その場の二人は驚いた様子で即座にロビンと反対方面の出口へ駆け出した。
 ここで漸く自分の出番かと物陰から飛び出したユリアンは、まるでユリアンが二人いるかのような残像が残るほど素早い斬り付けにて二人を即座に打ち倒した。

「安心しろ。剣の腹で叩いただけだ」

 崩れ落ちる帆足を尻目に、ふふん、とユリアンはそう言いながら剣を仕舞う。そしてすかさず二人を手近な柱に寄りかからせ、用意してあった縄を用い手慣れた様子で縛り上げた。

「・・・慣れているんだな」
「・・・あぁ、なんか最近、人を縛る機会が多くて」

 以前もピドナで神王教団の連中を縛り上げたことを思い出しながらそういうと、ロビンは何やら若干慌てた様子で自分の額に手を当てた。

「・・・そうか。すまない、少々個人的且つ立ち入ったことを聞いてしまったな」
「いや多分それ勘違いしてるよ、絶対違うよロビンさん」

 彼の人間性の根幹に及びそうな勘違いをしているかもしれないロビンに対して冷静に訂正をユリアンが促しているところで、倉庫の正面入り口から更なる人の気配がした。

「・・・誰だ!」
「おっと・・・まぁ待ってくれ、敵じゃあないよ」

 それにいち早く気付いたロビンが腰のレイピアを抜き放ちながら誰何すると、現れたその人物は敵意がないことを示すように言葉と共に両手を上げながら二人に近づいてきた。
 現れたのは、ポールだった。

「あれ・・・なんだポール、つけていたのか。言ってくれればいいのに、意地が悪いなぁ・・・。ロビンさん、安心してくれ。俺の仲間だ。チャラそうだけど悪い奴じゃない」
「もうね、確実に一言多いよねユリアン君」

 ユリアンの言葉にも警戒を解くことなく切っ先をポールに向けたままのロビンを横目にユリアンと軽口の応酬をしたポールは、そのまま彼らと捕縛された二人の脇にそびえる大量の荷物へと視線を走らせた。

「そう警戒しないでくれよ、ロビンさん。俺の名前はポール、キドラント出身の冒険者だ。ユリアンとは、ピドナから共にここにきた仲間でね。二人に黙ってたのは悪いが、ちと俺もこいつに用があってね。後をつけさせてもらった」

 その言葉に、ロビンも荷物の積まれた方を横目に見やる。

「・・・これがなんだというのだ。これはこやつらが言うには、麻薬だ。これを横取りでもしようというのか」
「はっ。昔の俺なら、そんな狡いことも考えたかもな」

 ポールのそんな軽口にいよいよロビンが警戒心を剥き出しにすると、ユリアンは二人の間を取り持とうとして立ち上がらんとした。
 しかしそれをポールは手で制止し、そのまま最も近くにあった荷物へと歩み寄った。
 荷物はその一つ一つが袋詰めにされており、口を紐で縛られている。
 ポールは徐に懐から小型のナイフを取り出し、一番手前の袋に突き立てた。すると中から、白い粉が流れ出てくる。
 そして彼は何を思ったかその粉をひとつまみし、舐めとった。
 その行動に二人が多少驚きながらも様子を見ていると、ポールは合点がいったようにふむと一つ頷き、そして二人に対してニヤリと笑ってみせた。

「これが麻薬・・・ねぇ。確かにそうなんだろうが、これは何も、麻薬を欲しがる奴のために用意された代物じゃあないようだぜ」

 ポールのその言葉に二人が首を傾げていると、ポールはそこから後退るように数歩離れ、腕を組んだ。

「ちっと舐めるだけなら何でもない。試しに一舐めしてみなよ」

 その様子にお互い顔を見合わせたロビンとユリアンは、一瞬迷った後に物は試しとポールの言葉に従うことにした。
 意を決して二人同時に粉を摘み上げ、ひょいと口に入れる。

「うげぇ、しょっぱ・・・!」
「これは・・・塩、か。いや、しかしなにかおかしいな・・・」

 二人の反応に、ポールは浅く頷く。
 そのまま二人の近くまで歩み寄り、そして積み上げられた荷物へと目をやった。

「その通り。此奴は、塩だ。いや・・・正確には塩に見せかけた麻薬、なんだろうな」
「・・・確かに、通常の塩とは思えない雑味というか、薄い感じがする。しかしこれでは、麻薬成分が入っているとしても、抑もの麻薬としての価値は・・・」

 ロビンがポールの言葉に反応しながら首を傾げていると、丁度そこで、気を失っていた二人が呻き声を上げながら目を覚ました。

「・・・さて、あとは彼らに色々と話を伺うこととしようか」

 囚われの二人に歩み寄ったポールは、懐から小型のナイフや小さなハンマーを取り出しながらにやりと笑ってみせた。









最終更新:2017年09月20日 13:44