序章-第一幕- 大きな栗の木の上で
フーリンカと名の付く、避暑地に適した山の麓。
登山道の入口付近であると言ってもいい箇所である。
そんな道端を、やたらと小柄な少年が歩いている。
小柄な少年、というのはその年齢、十五に対しての体格である。
概ね五歳ほど下だと詐称したところで、恐らくは誰も気付くまい。
低身長に加え、過剰な童顔がそうさせると思われる。
茶色の髪の童顔の少年は何かを探して懸命に歩いていた。
しかし、少年は唐突に足を止めた。
単に探し物が見つかったからではない。
見慣れないものまでついでに見つけてしまったからである。
それは大きな栗の木であった。若干収穫期から外れているのか、
特にイガが痛そうな実は生っている様子が無さそうである。
しかしその上には彼の飼い猫が乗っている。
見るからにこれまた体格の小さな仔猫だ。
恐らく生後数ヶ月は経過してはいないだろう。
その横には何故か木の枝にしがみついている少女が一人。
年齢は不明だし、顔も遠くて見えないが、
とりあえず少女だという事はなんとなく分かる。
少年は大きな栗の木の下に駆け寄った。
そして、黙ったままその両の腕を優しく差し出す。
少女の方も少年の方に気が付いたようで、
その意図するところが理解出来ず、ただ呆然と眺めていた。
すると、仔猫は突如として木の枝から飛び降り、
少年の胸に抱かれるべく直行したのであった。
「えーっ!?」
無論驚いたのは少女である。恐らくこの少女は
仔猫が降りられなくなったと勘違いし、おせっかいから
助けに行ったのであろう。しかし何の事はなく、
ただ単に迷子になっていただけだったのである。
少年は優しく仔猫の頭を撫でてやると、仔猫の方も甘えてくる。
どうやら相当の信頼関係が成立しているようである。
そして少年は大きな栗の木の下を離れ――
「ちょちょちょっと、待ちなさいよ!」
ようとしたら、大きな栗の木の上の少女から
制止の声がかかったため、少年はやむなく振り向いたのであった。
「あ、あなた! これを見て何とも思わないの!?」
少女は怒り半分、恐れ半分で枝の上でぷるぷる震えていた。
金色の髪の少女はどうも高所恐怖症のようであったが、
良くも悪くも世間知らずなこの少年には
まったく意味が通じていない。
そればかりか首をかしげるばかりである。
それから十分、少年は未だにまったく口を開こうとしない。
「な、何か言いなさいよ!」
少女は脅えながらも口調を荒げるが、
まったく意味が理解出来ない少年に
業を煮やしたのか、遂に少女の目からは涙が溢れ始めた。
それにようやく救助を求めている事を理解した少年は、
仔猫を降ろし、愛猫を迎えた時と
同様に両の腕を差し出した。
つまりは『受け止めてやるから飛び込んできて』
と言いたいのだ。
瞬時にそれを察した少女に、不安の色が押し寄せた。
(助けてくれるの? でも、あの子
あんなに小っさいじゃないのよ……)
しかし、そこで下を再度凝視したのがマズかった。
クラッときた少女は危うく失神しかけ、
朦朧とした意識のまま、手を放してしまったのである。
「あっ……」
もはや時期を失したのか、自分の弱点を省みず、
仔猫などを心配した自分の愚を反省しつつ、
無抵抗に落下していく少女。
その時、少年の表情は一変した。
類稀なる勇気の資質と、人間離れした身体能力が
完全に噛み合い、まさに『神速』と言うべき速度で駆け出す。
恐らくはスピードガンで計測出来るか
どうか不明なほどだっただろう。
そして仰向けのままスライディングをかけつつ、
落下してきた少女を確実に、しかし優しく受け止める。
が、衝撃はそれほど甘くなく、
落下してきた少女を受け止めた際に、
激しく転がり、そこら辺の石ころに頭を痛打した少年であった。
流石の少年も、痛みと衝撃で軽く気を失った。
それからまた十五分ほど時間が経過しただろうか。
先に目を覚ましたのは、金色の髪の少女の方だった。
少年に比べると、いくらか身長も高く、
概ねその十七という年齢に対して標準より高いように思えた。
また顔立ちもやや大人びており、彼女から見れば、
まさに少年の方は『子供』と言っていい印象である。
しかし、助けられたのは間違いなく自分の方である。
しかもどうやら無茶をしでかしたらしい。
少年は頭から軽くではあるが出血している。
それを仔猫がじっと見つめている状態で目を覚ましたのだ。
(お世話になりっ放しじゃ申し訳なさ過ぎる……ッ!)
仕事柄、離さず持っている応急治療キットを取り出し、
とりあえず真っ先に消毒、その後速やかに止血、
最後に包帯を巻いて固定してやる。
呼吸、脈拍共に正常、時折唸っているが、鈍痛のためだろう。
そして、またしばらく時間が経つと、少年も目覚めた。
少年は特に言葉を発する事も無く、愛猫をまた抱き上げた。
どうやら生粋の猫好きというものらしい。
穏やかな笑顔をこちらに向けてはきたものの、
少女は未だ心配だった。
「大丈夫だったの? 君っ。どこか痛む?」
それに対する返答は無かったが、少年は輝く笑顔を向けてきた。
どうやら少女の言う事は充分に理解出来ているらしい。
「そう……ありがとう。その猫は君んちの子でしょ?」
こくこく、と少年は頷く。
「君みたいな小さい子が一人歩きとか
しちゃ駄目よ? 親御さんは?」
きょとん、と少年は無言のまま首をかしげ、
そして天に向け、指を差す。
(お空の上……? そう、もう亡くなっているっていうのね……)
少女は勘違いした。
「可哀想に……」
ちょっと泣きそうになるが、少女はそれをグッとこらえた?
またしても少年はキョトンと首をかしげる。
何故この少女は泣きそうになっているのだろう。
自分の親は今、宇宙に……他の惑星のコロニーにいるのに。
ともあれ、悪い娘ではないらしいと分かると、
安心し、再度素朴な疑問を少女に向けた。
すなわち。
(誰?)
金色の髪の少女はようやく自己紹介さえしていない
無礼に気付き、名乗ってくるのであった。
「私の名前はソニア。
ソニア=メーベルヴァーゲン。あなたは?」
その名前を心に刻みつけつつ、少年は文字をもって名乗る。
『ジルベルト』
それが少年の名前であった。
(この子、ひょっとして失語症か何かかしら?)
そんな疑問を抱きつつ、改めて少女は本題に入る。
「せっかく助けてもらったんだし、
何かお礼をしないといけないようね」
ふるふる、と少年は首を振る。必要ないという事らしい。
「こら、小さい子供が大人に対して
遠慮なんかしちゃ駄目。言う事聞きなさい」
なんだか微笑ましい光景が予想される中、突如としてそれは遮られた。
ごがんっ!
遠くに見えていた市街地の建造物の一つが、
突如として崩落したのだ。
いや、それは崩壊と言った方が正しいだろう。
少年はすぐさま異常事態を察知したのか、
仔猫を少女に押し付けた。
「ちょ、ちょっと! この子を置いてどこ行くのよ!」
少年はまたしても文字でもって応対してくる。
『この子はまだ名前も何も無い小さい子。巻き込めないから』
「巻き込めないから、ってあなたは
どこへ行くって言うの!?」
『僕は街へ戻らなきゃ。必ずここへ戻ってくるから、
この子と待ってて。お礼をしたいって言うなら、
それこそがそうなるから』
「待ちなさい!」
少年――ジルベルトはもう振り向かなかった。
仔猫はもがいて抜け出し、ジルベルトを追おうとする。
一度礼をすると言って、その上で頼まれた事なら
途中で放棄するのは信義に反する行為だ。
少女――ソニアは仔猫を再度とっ捕まえて離さない事に専念した。
(ありがとう)
ジルベルトは駆け出す。戦乱の最中へ。
もう戦いは始まっている。少なくとも彼の中では。
しかし、まだ戦いが始まってはいない。少なくとも彼女の中では。
最終更新:2011年02月18日 01:08