(この短期間で失踪が騒がれている白瀬咲耶とは、何者なんだ?)
私……
峰津院大和はタブレットでニュースを確認している。
本戦開始後から、あらゆるメディアで白瀬咲耶という女の失踪が頻りに報道されていた。
各種SNSや動画サイトでも咲耶の話題で持ちきりとなり、ジプス内でも噂が広がっている。
(白瀬咲耶について調べてみたが、283プロダクションという事務所に所属するアイドルに過ぎない。だが、ここまで話題に挙がるのは異常事態だ)
しかし、白瀬咲耶という少女が社会に影響を与えるとは到底思えない。
アンティーカというユニットのメンバーとして歌やダンスを披露し、TVや雑誌などのメディアで顔を出す機会は多かった。アイドルの失踪が報道されれば世間の騒ぎになるが、それを踏まえてもこの広がり方は異常だ。
普段の私ならば歯牙にもかけなかったが、ここは聖杯戦争の舞台だ。白瀬咲耶の失踪と、それに関する炎上は何か裏があり、我々に泥を塗る連中が関与する可能性は充分にあった。
例えるなら、中央区にアジトを構えるクズどもや皮下医院、あるいは東京に糸を張り巡らせる蜘蛛だろう。
更に言えば、立て続けに起こる女性の失踪事件についても気がかりだ。聖杯戦争が始まって以来、若い女性が立て続けに行方不明となり、その中にはジプスの女性局員も何人か含まれている。彼女たちは既に殺害されているはずだ。
峰津院財閥を……ジプスを蝕む魔の手が増えていることだ。奴らは我々の影響力を知った上で、確実に牙を剝いている。しかも、死体はおろか毛根一つの痕跡すらも遺していない。
女性局員が消された今、近いうちに真琴も標的にされるはずだ。我々は莫大な影響力を誇るからこそ、連中から狙われやすい。
(……やはり、私自らがコンタクトを取らざるを得ないようだ。283プロの白瀬咲耶に関する情報を得るにはな)
私が意識を向けているのは、ジプスを狙うクズどもではなく白瀬咲耶と関係を持つアイドルたちだ。
咲耶の行方を探っているジプスの構成員もおり、彼女を最後に映し出した監視カメラの場所から、不審な点を洗い出していた。すると、白瀬咲耶を発見した監視カメラの近くに、不自然に荒れ果てている地区が存在した。
建物の一部は崩れ、粉々に砕け散った倉庫もいくつかあった。恐らく、このエリアで戦いを繰り広げていた主従がいて、それが白瀬咲耶である可能性は高い。
(この地区が破壊されたタイミングは、本戦開始前だ。白瀬咲耶はここで戦いを繰り広げたが、敗退し、死体は海に沈められたのだろう)
その推測と同時に、私が保有する電子端末に一通の電子メールが届く。
送り主は財閥の構成員だ。件名には『行方不明になった白瀬咲耶について』と書かれている。
(やはり、白瀬咲耶は聖杯戦争のマスターである可能性が高い。いかに忠実に再現された
NPCであれど、わざわざこのような文章を書くとは思えないからな)
メールを開いた瞬間、白瀬咲耶が遺したとされる遺書を警察が発見したとの文面が目に飛び込んできた。警察内部にもジプスの関係者はいるため、情報を聞き出す程度など造作もない。
自らの死に対する覚悟と、家族や友人に対するメッセージが白瀬咲耶の遺書に書かれていたらしい。
ならば、彼女の関係者と思われるアイドルの中に、聖杯戦争のマスターが含まれている可能性もゼロではなかった。本戦前に仕留めたマスターの中には、親族または友人といった縁者の繋がりを持つ奴らも含まれていたからだ。
連中は互いを庇い合ったが、私は容赦なく叩き潰す。最終的な勝者は一人に限られているのに、庇い合う姿が実に愚かしく見えた。
(明日に開かれるアイドルのライブは、我が財閥がスポンサーとなっている。その立場を使えば、接触自体は容易だ……迅速に接触しなければ、アイドルたちも失踪事件に巻き込まれるだろうな)
我々に歯向かうクズどもの対処に比べれば、リスクは遥かに低いものの……リターンも期待できない。
例えば、マスターとなったアイドルが聖杯を狙うのであれば、排除すればそれで済む。
だが、もしもアイドル側が頑なに口を割らなかった場合、このまま消してもいいのか? 無論、私の手元に置くメリットは皆無だが、白瀬咲耶との繋がりを持つ存在を放置するべきとも思えない。
呑気に放置しては、白瀬咲耶と敵対者に関する情報を取りこぼすだろう。
白瀬咲耶の情報を得るなら、283プロダクションの関係者と話をするべきだ。
理想としてはアンティーカというユニットのメンバーだが、この世界に存在する
NPCの少女たちでは意味がない。マスターである確証を得られない以上、不用意に接触することは愚策だ。
もちろん、
プロデューサーや天井努社長といった人物も同様。彼らがNPCである可能性はある。警察曰く、
プロデューサーは体調不良で休暇が長引いているようだが、その程度で彼を疑うには不充分だ。
(先程、世田谷区の上空にて確認された少女と、等々力渓谷公園で発見された死体。そして、公園から離れた場所に設置された防犯カメラに映し出された、
櫻木真乃と謎の少女……)
ジプスの構成員はある画像を入手していた。
世田谷区の上空では、派手で煌びやかな髪型と格好をした謎の少女が跳躍している。その身体能力から考えて、間違いなくサーヴァントの一人だ。
構成員曰く、全くの偶然でこの画像を入手したようだが、外部に漏洩しないように指示をした。
また、数分後には公園に放置されていた少年の遺体が確認されている。顔にガムテープを貼り、手元に刃物が落ちていたため、私を襲撃したクズどもの一員だろう。
(時間から考えて、上空を飛んだ少女がクズを殺したはずだ。それ自体はなんてこともないが……公園から
櫻木真乃たちの発見地点までなら、サーヴァントの脚力があれば充分に移動可能だ)
櫻木真乃に同行する少女と、世田谷区上空で跳躍する少女。
姿自体は大きく違うが、背丈は非常に近い。声紋分析まではできていないものの、位置関係から考えて何らかの関係を持つ可能性は高いだろう。
その後、彼女たちは防犯カメラが設置されていない区域に移動したが、情報としては充分だ。
(……どうやら、接触対象として最も有力なのは、
櫻木真乃のようだな。同行する少女……恐らく、サーヴァントだろう)
『おい、この羽虫どもが降っている光る棒は一体なんだ!? この動きには何の意味がある!?』
私が思案を巡らせている一方、ランサーのサーヴァント・
ベルゼバブはタブレットで動画を見ていた。
『こ、この統率された動き……何なのだ!? 有象無象の羽虫どもが、ここまで連携しているだと!?』
ベルゼバブが見ているのは、アイドルのライブ動画だ。私はスポンサーになった関係上、アイドルのパフォーマンスを知ることになったのだが……何故か、
ベルゼバブは驚愕していた。
確か、この男の世界にはアイドル文化が存在しない。もしかしたら、異世界からアイドルが訪れたこともあったかもしれないが……それでも、
ベルゼバブにとってアイドルとは未知の存在だったようだ。
『ぬぅ……何故、羽虫たちはここまで表情を輝かせ、熱気を放っているのだ!? 一体、何者なのだこの羽虫は!?』
動画に熱中し、私の動きに口出ししないのは有り難いが、やはり喧しい。
だが、今に始まった事ではない。この男の興味がアイドルに向けられただけの話だ。
『おい、羽虫! 余も明日のライブに飛び入り参加をさせろ!』などと血迷ったことを言うかと思ったが、今のところその心配はない。
気を取り直して、私は情報収集を続ける。
(283プロダクションに謎の犯行予告……白瀬咲耶の失踪といい、何故この事務所に異変が立て続けに起こる? 何者かが故意で狙っているとしか考えられん)
これだけの騒ぎになれば、事務所の運営など休止せざるを得ない。
明日のライブにどのような影響を及ぼすかは不明だが、事務所が大打撃を受けることは確実だ。
元々、283プロダクションの運営体制はかなり杜撰だったようだが、沈みかかった泥船の行く末など私には関係ない。
ただ、このような異様かつ弱小な事務所の不手際で、我々の足元が掬われるのは御免だ。
(まさか、蜘蛛の仕業か? この事務所にマスターがいることを嗅ぎつけて、アイドルたちを動揺させるために白瀬咲耶の失踪を必要以上に煽り、仕留める……これは、私がスポンサーであることを知っての犯行なのか?)
この騒ぎに乗じて、スポンサーである我が財閥に関する情報でも手に入れるつもりか。
だが、それなら逆に好都合だ。もしも蜘蛛が純粋無垢なアイドルを餌にして私を釣るなら、あえて乗っかってやろう。餌もろとも、蜘蛛を我が前に引きずり出すちょうどいい機会だ。
私は、真琴に一通のメールを送る。
無論、脅迫や連行は論外であり、あくまで任意の事情聴取だ。
いくら強大なロールを誇るとはいえ、それを悪用しては腐敗した権力者どもと同じだ。ジプスに牙を向けるクズは屠るが、そうでない民間人に必要以上の干渉をするつもりはない。
また、真琴を向かわせたのも、
櫻木真乃が話しやすくするためだ。ジプスの女性局員も同行させているため、
櫻木真乃が怯えることもないはずだ。
もしも、
櫻木真乃が私に応じるのであれば……白瀬咲耶の情報を確実に得るため、どこか場所でも手配するべきだろう。
◆
街中を歩いている最中でした。
私、
櫻木真乃の前に見知らぬ女の人たちが現れたのは。
「
櫻木真乃さん、ですね?」
「ほわっ? あなたたちは、一体……?」
「私は迫真琴……峰津院財閥の使い、と言えばご理解頂けるでしょうか」
女の人から出てきた名前に、私はビックリして目を見開きます。
峰津院財閥。この東京に住んでいれば、誰でも一度は見聞きするであろう巨大な組織の名前です。その影響力はとても大きく、明日のライブのスポンサーにもなっている程にお金を持っています。
でも、迫真琴さんという背の高い女の人は、何だか目つきが鋭いです。私は思わず
星奈ひかるちゃんを庇うように立ちました。
「……峰津院財閥の人が、私に何の用ですか」
「我々は白瀬咲耶さんの件について、お話があって来ました」
「「さ、咲耶さん!?」」
私とひかるちゃんの声が重なります。
でも、街中というのもあって、周りの人が反応しちゃいました。いけない! 今は聖杯戦争聖杯の最中だから、騒ぎを起こしちゃダメでした。
私が焦りますが、真琴さんたちは落ち着いたままです。
「これは、立ち話で済ませていい話ではありません。私どもで場所を手配致しますので、お時間がございましたら面談をして頂いてもよろしいでしょうか」
「えっと、それってわたしは席を外した方がいい話……ですか?」
「あなたもご同行をして頂いても、問題ありません」
ひかるちゃんの疑問に、真琴さんはハッキリと答えました。
その態度と、真琴さんから漂うオーラに押されそうになりますが、私は後ずさりません。
「もちろん、急な話と存じておりますので、ご都合がつかなければ大丈夫です。ただ、応じて頂ける時に備えて、私の連絡先をお渡ししますね。日時は真乃さんの方で調整して頂いても大丈夫です」
「……どうして、私ですか? 私よりも、適任の人が他にもいると思いますし……」
「これは、私どもの意志です。
峰津院大和様が、直々に
櫻木真乃さんとの面談を希望しています」
「……ほ、峰津院……大和さん……!」
口から出てきた声の震えが、私の全身に広がります。
真琴さんから名刺を頂きますが、私は落とさないように気を付けました。たった一枚の名刺なのに、とても重く感じちゃいます。
もしも、少しでも汚してしまったら、それだけで何かが壊れてしまいそうで……とても不安でした。
「失礼します」
そうして、真琴さんたちは礼をしながら去っていきます。
私はひかるちゃんと一緒に礼をしますが、胸はバクバクと鼓動しています。
峰津院大和さんの名前を出されたプレッシャーで、思考がまとまりません。
「ま、真乃さん……」
私の体が震えちゃいますが、ひかるちゃんは支えてくれます。
暖かい感触がひかるちゃんの優しい手から伝わりますけど、吹雪の中に放り出されたみたいに震えています。真夏日なのに、コートを羽織りたくなりました。
『……ど、どうしよう! 峰津院、大和さんって、私たちだけで手に負える人じゃない……!』
周りに気付かれないよう、私は必死に念話を使います。
界聖杯の世界で過ごして一ヵ月が経ち、その間に峰津院財閥や
峰津院大和さんの名前は何度も耳にしました。
元の世界では聞いたことがない名前ですけど、とても偉いことは理解しています。それこそ、政府や大企業に関わるほどの影響力を持った人たちです。
その人たちが、どうして私に話を持ちかけてきたのか……真っ先に思いついたのは聖杯戦争でした。ひかるちゃんがサーヴァントと気付いたから、大和さんは私たちを倒すつもりでしょう。
『そうだ! こういう時は、摩美々さんとアサシンさんに相談をしましょう! きっと、何か力になってくれるはずです!』
『そ、そうだね……このままだと、私たちだけじゃなく283プロのみんなも……何か大変なことに巻き込まれるかもしれないから!』
ひかるちゃんの言葉を受けて、私は必死にスマホを操作します。
不用意な接触は避けるべきと言われましたが、今回はそれどころじゃありません。私たちだけで大和さんに会いに行くのは無謀すぎますし、少しでも対応を間違えたら283プロにも大きな被害が及びます。
電話をかけている相手は
田中摩美々ちゃんで、数秒ほどの着信音の後……すぐに繋がりました。
『もしもーし? 真乃だよねー? どーしたのー?』
「ま、摩美々ちゃん! 大変なことになったの! 実は……」
人気のない場所に移動しながら、私は必死に話しました。
◆
峰津院大和。
わたし、
星奈ひかるだって界聖杯で過ごしているうちに何度も聞いた名前だね。
この東京で一番偉い人で、宇宙星空連合のトップ・トッパーさんみたいな人だよ。
大和さんの方から面会してくれるみたいだけど、どう考えてもわたしたちだけで進めていい話じゃない。
だから、
櫻木真乃さんと一緒にアサシンさんの知恵を借りることにしたよ。
『ひかるちゃん。これから、摩美々ちゃんたちが待っている場所に行くけど……慎重に行こう!』
『はい! もしかしたら、誰かに尾行されちゃうかもしれませんし、ここは変装をしますか?』
『う〜ん、最近の監視カメラは高性能だから、あんまり意味はないと思う。ひかるちゃんがキュアスターに変身すれば、別だと思うけど……』
『……そっか。真乃さんは変身できませんからね』
真乃さんは普通の地球人だ。
レインボー星人のユニみたいな変身能力はないし、プルルン星のへんしんじゅで変装することもできないよ。
注意を払いながら、人の中に紛れて向かうしかない。アサシンさんが注意してくれたみたいに、わたしたちを狙う人はどこに潜んでいるかわからないから。
『せっかく、人気ドーナツをたくさん買えたのに……残念ですね』
『うん。でも、これはみんなで食べようか! 大変な話をするから、ちょっとでも気を紛らわせたいからね』
わたしたちはドーナツを買いに行ってたよ。
東京23区でもトップ10に入るくらい人気で、口コミサイトでも『このドーナツはステキすぎる!』や『ワクワクもんだぁ!』みたいなキラやば〜! なレビューで溢れていたね。
だから、わたしたちもみんなへのお土産でドーナツを二箱ほど買った。その矢先に、白瀬咲耶さんの件で峰津院財閥の人から声をかけられたよ。
(……そういえば、まどかさんのお父さんもララたちの秘密を探ろうとしてたことがあったね)
私が信頼する先輩の香久矢まどかさんのお父さん・香久矢冬貴さんは政府の偉い人だね。
内閣府宇宙開発特別捜査局局長として、観星町で起きた宇宙人騒ぎの調査をしていた。香久矢の家は隠し事をしない主義で、まどかさんも一度はララやフワたちのことを話しそうになったけど……まどかさんは秘密を守ってくれたよ。
まどかさんのお父さんみたいに、迫真琴さんって女の人はわたしたちの秘密を探ろうとしている。秘密がバレたら何をされるかわからないから、慎重に行動しないと。
『待ち合わせ場所は、摩美々ちゃんたちから教えてもらったから……そこを案内するね。人が少ないから、気を付けないと』
真乃さんの念話にわたしは頷く。
蒸し暑いけど、緊張でそれどころじゃない。尾行してくる人や、隠れてわたしたちを狙ってくる人の気配はないけど、どうしても歩くペースが早くなっちゃう。
すると、坂を上った先に数階建てのビルが見えた。壁は薄汚れて、ほとんどの窓ガラスが割れちゃってる。どう見ても、危ないから勝手に入っちゃいけない廃ビルだった。
『待ち合わせ場所はこのビルですか?』
『うん! 摩美々ちゃんたち以外、誰もいないみたいだから大丈夫そうだよ』
でも、わたしたちは足を踏み入れる。
まだ283プロの炎上は続いているままだから、こういう場所でしか集まることはできない。わたしとしては、人間の真乃さんたちには涼しい場所で休ませたいけど……今は仕方ないよね。
ビルの通路の奥には、4つの人影が見えた。男の人と女の人が二人ずつで、あのアサシンさんがいたよ! アサシンさんの隣には、雑誌やTVでよく出てる
田中摩美々さんがいる。
でも、あとの二人は誰だろう? 知らない女の人の隣にいるのは、サーヴァントだけど……
「摩美々ちゃん! それに……にちかちゃん!?」
叫びながら真乃さんは走って、向こうもわたしたちに気付いた。
にちかって七草にちかさんのことかな? 確か、283プロから急にいなくなったアイドルだって、真乃さんから聞いたよ。マスクで顔を隠しているけど、この状況だから仕方ないよね。
「あっ、真乃〜! 来てくれたんだねー」
「……さ、櫻木……真乃、さん……」
摩美々さんは不敵な笑みで出迎えるけど、にちかさんは何だか戸惑っている。
にちかさん、283プロに起きたトラブルのせいで落ち着けてないのかな。ネットではまだ炎上したままだし。
「摩美々ちゃん、それににちかちゃん……二人とも、本当に良かった!」
けれど、真乃さんは嬉し涙と共に二人を抱きしめたよ。
ここに来るまで大変なことがたくさん起きて、そして今からまた大きなトラブルに巻き込まれるから、不安でたまらなかったはずだよ。でも、真乃さんはわたしのために気丈に振る舞ってくれた。
真乃さんの強さと、そんな真乃さんを支えてくれる283プロの絆が、とても輝いて見えて……わたしだって、心が温かくなったよ。
◆
283プロダクションに襲いかかる脅威を振り払い、またもう一人の七草にちかさんを守るサーヴァントとの交渉を終えて、僕はすぐに敬愛するマスター・
田中摩美々さんの元に帰還した。
しかし、一難去ってまた一難。283プロダクションにて別れたはずの
櫻木真乃さんとアーチャーさんとすぐに再会することとなった。
理由はたった一つ。峰津院財閥の使者である迫真琴と名乗った人物が、真乃さんたちに接触したからだ。
峰津院大和は白瀬咲耶さんの件で話があって、真乃さんとアーチャーさんを呼び出したらしい。
「ご、ごめんなさい。アサシンさん……私の不注意で、こんなことになって……」
「いえ、真乃さんたちに一切の非はありません。今回の炎上と彼らの影響力を考慮すれば、いずれは283プロの関係者に接触することは充分にありえましたから。
彼らは魔術に関する見識が高いからこそ、真乃さんがマスターである可能性に辿り着いて、接触を考えたのでしょう」
俯いている真乃さんを励ますも、廃ビルの中に重苦しい空気が漂っていく。
そう。今回の件についても、前々から僕は予想していた。今回の炎上によって、峰津院財閥にも283プロの存在を意識させ、マスターとなったアイドルをあぶり出すことが"もう一匹の蜘蛛"の目的だ。
僕がアサシンのサーヴァントとして活動してから、峰津院財閥と
峰津院大和の名は何度も耳にしている。この国内で莫大な権力を持つ財閥であり、その当主が
峰津院大和だ。
僕の時代で例えるなら、ヴィクトリア女王陛下に匹敵する人物だろう。それほどの権力者が、白瀬咲耶さん失踪や283プロの炎上に目を付けないはずがない。
恐らく、白瀬咲耶さんに関する情報を得るため、283プロを狙ったはずだ。
「ほ、峰津院、大和……って、あれですよね……? 早い話が、総理大臣や国務大臣とか、それくらい偉い人……でしたよね……」
「そーだよ、にちか〜! アサシンから聞いたけど、大和って人も聖杯戦争のマスターっぽいって……」
「……ズルすぎますよ! なんで、そんな偉い人が聖杯戦争のマスターになって、界聖杯でも好き放題できるんですか!? 私とアーチャーは贅沢できないのに〜!」
「……す、すまない……マスター……俺がふがいないせいで、君に不自由な生活をさせてしまって」
「えっ!? い、いや! アーチャーさんを責めている訳じゃありませんよ!? ただ、あの大和さんって人だけが、恵まれすぎててズルいって話をしているんです!」
うなだれるアーチャーさんに、にちかさんは慌ててしまう。
すると、マスターは見かねたようにため息をついた。
「私に八つ当たりされても困るけどー……そんなに困っているなら、しばらくはご飯を一緒に食べる〜? それくらいなら、大丈夫だしー」
「えっ!? ほ、本当ですか!? 本当に、本当ですか!?」
「本当に本当だよ〜? もしかしたら、ワサビやタバスコとか……隠し味が入ってるかもしれないけどー」
「むっ……そ、それでもありがたいです! ぜひとも、よろしくお願いします!」
「マスターへの気遣いを感謝する」
「ふふー、任せたー」
にちかさんたちを前に、マスターはいつもの得意げな笑みで応える。
「もちろん、真乃たちも一緒だよ〜」
「ほわっ……本当に、いいの? 摩美々ちゃん」
「いいよ〜? でも、ひょっとしたら超刺激的なシュークリームも出すかもよ〜? それこそ、キラやば〜⭐︎ な味だからね〜?」
「あっ、それわたしのセリフ!」
「摩美々はとても悪い子なので、アーチャーちゃんのセリフを取りました〜!」
にちかさんたちはもちろん、真乃さんたちの緊張もほぐしてくれた。
いたずらをするとマスターは口にしたが、本心は正反対だ。本当に困ったいる人を前にしたら、きちんと助けるのが僕のマスターだ。
最大限のおもてなしでみんなを出迎えて、穏やかな時間を共有してくれる。
それはそれとして、いたずらは忘れない。
「……アサシンさん、本当に真乃たちは峰津院の人に会わないといけないのですかぁ?」
だからこそ、マスターは認めたくないはずだ。
櫻木真乃さんと、彼女のサーヴァントであるアーチャーさんが巨大の嵐の中に飲み込まれるなど、決して望まない。
マスターだけでなく、この廃ビルに集まった全員が同じ気持ちだ。
「なんか、強制じゃないみたいなのでー……断ることも、できますよねー?」
「私としても、このままお二人を向かわせることは断固として反対です。しかし、峰津院の誘いを断ってしまえば、真乃さんたちだけでなく……283プロダクション全体に、疑いの目が向けられるでしょう」
大和との面談には、真乃さんとアーチャーさんの参加が絶対条件となっている。
代理を立てることはできない。もしも、今回の面談に参加しなければ、峰津院はその権力で283プロの関係者にどんな行動を起こすか?
「う、疑いの目!? ま、まさか……283プロのみんなが捕まるってことですか!?」
「彼らの関係者には、各種省庁や役所が含まれています。そのため、法治国家としての体裁を整えるなら、不当な逮捕や拘束には走らないでしょう」
「えっ? じゃあ、真乃さんたちがわざわざ会いに行かなくても済みますよね?」
「いいえ。峰津院の力さえあれば、健康診断やワクチン接種など……財閥の方で283プロの関係者を一ヶ所に集め、合法的に調査することは造作もありません。そこでマスターを発見すれば、一網打尽にできるでしょう。
もちろん、逃走や潜伏も無意味です。東京23区から脱出できない現状、財閥が本気を出せば一日……早ければ、半日も経たずに発見されます」
狼狽するにちかさんに、僕は峰津院の影響力を伝える。
峰津院財閥は社会的に大きな影響力を持つからこそ、反社会的な行動に出ることはできない。誘拐や監禁、または暴力行為に及ぶことは不可能だ。あの『脅迫王』のような無法に及ぶこともない。
しかし、峰津院財閥は公に信用されている分、合法性のある行為をいくらでも選べる。例に挙げた健康診断の他にも、写真撮影や採寸の途中で令呪の有無を確認できるはずだ。
峰津院財閥の関係者が芸能界にいた場合、マスターたちは逃げられない。
「迫真琴から、日時の指定は真乃さんに任されている……この事を踏まえれば、今すぐに我々に害を与えることはないでしょう。先延ばしにすることも危険ですが」
「……まさか、さっきみたいにまた『話し合い』をするつもりですかぁ?」
「もちろん、我々が恭順を許されないことに変わりませんが……子供達の殺人集団に比べれば、まだ互いに妥協できる可能性はあるでしょう。
無論、人質や傘下といった要望は飲めませんし、また同盟自体も峰津院財閥は認めません。彼らは既に充分な程の戦力を持っているので、不穏分子と呼べる我々を加えるメリットは皆無です。
故に、
峰津院大和と交渉するために、私も真乃さんたちに同行します。
それでも、成功率は非常に低いですし、何か一つでも選択を誤ってしまえば……3人とも命を落とします」
最後の一言を強調するように、マスターに告げる。
竜巻や火山噴火などの自然災害へ飛び込むに等しく、危険を通り越してただの自殺だ。僕だけでなく、マスターの友人までも巻き込む。
当然ながら、
峰津院大和のサーヴァントも比類なき実力を誇る。本戦前に得た『ある人物』の情報から、そう推測していた。
僕が"もう一匹の蜘蛛"の存在を感じながら、この東京に糸を張り巡らせていた最中だった。
ある夜、人通りの少ない路地裏にて『栗木ロナウド』と名乗った男が僕の前に現れたのは。
元刑事にして、かつては
峰津院大和の部下だったらしい。しかし彼は
峰津院大和の思想に反発し、脱走して社会の影に身を隠しながら反抗の機会を伺っていたようだ。
何故、僕に接触をしたのか? そう訪ねてみると……
ーー俺は元刑事だ。職業病でね、ここ最近の東京で
峰津院大和との接触を企んだ奴らについて調べてみたが……あんたはそいつらとは無関係のようだ。
ーーもちろん、あいつらは俺からも峰津院について聞き出そうとしたが、どうもきな臭い。連中が
峰津院大和を倒しても、ロクなことにならないだろう。
ーーだから、あんたに忠告してやるのさ。もしも命が惜しかったら、
峰津院大和からは手を引け。
ーー奴は実力主義を掲げる男だ。世界に強者のみを残して、あらゆる弱者を切り捨てることを目的としている……その為に、悪魔の力すらも利用する男が
峰津院大和だ。
そう言い残して、栗木ロナウドは闇の中に消えた。
彼を信用していいかはともかく、言葉から察するに
峰津院大和も異能の力を持っている。
『悪魔』から察するに、現代科学では説明しきれない魔術系の力だろう。
聖杯戦争に関係なく、魔術に関する知識が深ければ、召喚したサーヴァントも相応の実力を持つ。
もちろん、ロナウドの件については話していない。
峰津院大和の脅威と隣り合わせになっている中で、不安を助長させる発言は避けるべきだ。
また、
プロデューサーの件や二人目のにちかさんについても、真乃さんたちにはまだ伝えていない。大和に狙われた以上、余計な心労をかけたくなかった。
「………………」
一方、マスターは表情を曇らせてしまう。
僕自身、過酷な選択を強いていることを理解している。国家自体が敵となり、逃走が許されない状況だ。
そして踏み込んでしまえば、大いなる災いをもたらすパンドラの匣を開けてしまう。その脅威に気付いたからこそ、"もう一匹の蜘蛛"も峰津院から手を引いた。
283プロに最悪の置き土産を残す形で。
「………………アサシンさん。真乃たちを、守ってくれますかー?」
「尽力いたします。ただし、現時点では絶対の保証ができないことを、認識してください。
引き返すのでしたら、今のうちです」
無論、同盟者が増えた後になれば、その分だけ峰津院財閥の攻撃範囲も増えてしまい、被害はより甚大になる。
界聖杯で甚大な権力を持つ峰津院財閥には、いずれ対処することは確かだが……明らかに分が悪すぎた。
「わ、私は……逃げません! 咲耶さんは聖杯戦争を止めるために戦っていましたし、摩美々ちゃんやにちかちゃんだって、頑張っていました! だから、今度は私が頑張らないと!」
「わたしも、真乃さんとアサシンさんは絶対に守りますよ! 何があっても、二人を傷つけさせたりなんかしません!」
真乃さんと、そして真乃さんと契約したアーチャーさんは、強く宣言する。
その瞳には不安や恐怖といった感情は微塵も見られない。ただ、強い決意がみなぎっていた。
まるで、この手を緋色で汚しつくした僕を追いかけ続けて、捕まえてくれた彼のように輝いて見えた。
「お二人の考えはわかりました。しかし、これから対峙する相手は、我々を遥かに凌駕する力を持ちます。アーチャーさんも、戦闘では私よりも有利に立ち回れるでしょうが……それでも、勝てる可能性は限りなく低いでしょう。
敵対サーヴァントが、マスターの意思を無視して攻撃を仕掛けることも、充分にあり得ます」
「……わたしの考えは、勇気じゃなくて無謀だってことはわかります。でも、ここで逃げても、峰津院の人たちに疑われたままです。なら、早いうちに行かないと!」
アーチャーさんも譲るつもりはない。
彼女の意見も尤もだ。既に峰津院財閥に存在を気付かれた今、一刻も早く行動を起こさなければ、283プロダクションに危機が迫る。
「本当に行くつもりならぁ、絶対に生きて帰ってくださいねー……」
「し、正直……めちゃめちゃ不安で、体が震えますけど……私は、みんなを信じます!」
「……アサシン、二人のことは俺に任せろ」
二人の少女を庇うように、にちかさんのアーチャーさんは立った。
当然、僕のマスターとにちかさんは同行させられないので、アーチャーさんに匿ってもらう形になる。
「よろしくお願いします……アサシンさん!」
真乃さんの言葉が答えだった。
◆
迫真琴さんの名刺に書いてある電話番号に、283プロのアイドル・
櫻木真乃として電話をかけました。
待ち合わせ場所は代々木公園前にしています。すると、私たち3人の前に大きなリムジンがやってきました。
ドアから現れたのは真琴さんと、見知らぬたれ目の女の人です。真琴さんと一緒にいる女の人は、白いチャイナドレスを着ていますが……中国人でしょうか?
「……お時間を作って頂き、ありがとうございます。
櫻木真乃さん。しかし、そちらの男性は?」
「迫真琴さん、ですね? 私はこのお二人の護衛として、283プロダクションから雇われた者です。最近、連続女性失踪事件など、良からぬ事件が続いていますから……同行をお許しください」
怪訝な表情を浮かべる真琴さんに、アサシンさんはテキパキと答えました。
「ニュースを確認したところ、被害者は10代から30代と……若い女性に限定されています。その中には、峰津院財閥の関係者も含まれていると、TVの報道で知りました」
「……確かに、その通りです。我が財閥でも、失踪事件について調査を続けていますが、未だに手がかりは掴めていません」
「ひょっとしたら、みんなとっくに殺されてるんじゃないの?」
チャイナドレスの女の人は、自然にとんでもない発言をします。
真琴さんは睨みますが、彼女はまるで動じません。
「……こんな時に不謹慎な発言はやめろ」
「ごめんね、サコっち。でも、たった今、連絡が来たけど……生存は絶望的みたい。なら、そこのお兄さんが同行するのは懸命だと思うよ?」
「それについては、私も異論はないが……お三方、失礼しました。彼女は菅野史、我が財閥の構成員です」
「サコっちに護衛されているフミです〜」
菅野史さんと呼ばれた女の人は、何だかダルそうな様子で挨拶してくれます。
雰囲気は摩美々ちゃんに似ていますが、今の言葉は胸が重くのしかかりました。
巷では、連続女性失踪事件が騒がれているので、その護衛という理由でアサシンさんは同行してくれましたが……まるで私たちの心を抉っているみたいに聞こえちゃいました。
「それでは、ご同行を願います」
真琴さんは丁寧にリムジンに案内してくれます。
この中に入れば、私たちはもう後戻りできません。まるで、あの世への入り口みたいに見えましたが、私は足を止めませんでした。
だって私の隣には、頼りになる味方が二人もいますから。
◆
夕方の時間に差し掛かるが、季節の関係上で太陽は未だ沈まない。
コンクリートジャングルと呼ばれる程の立地もあって、外には異様なまでの熱気が漂うが、私には何の関係もなかった。この程度で悪態をついては、将としての示しがつかない。
ただ、真琴からの連絡を待っていた。
櫻木真乃がすぐに対応するならそれで良し。今すぐに時間を作れなければ、別の機会を用意すればいいだけの話だ。
財閥の権限さえあれば、283プロダクションの関係者を一か所に集め、その中でマスターと思われる人物を見つけるなど造作もない。事務所の修復だってほんの数時間さえあれば充分だ。
彼女たちが行方をくらますならそれで結構。この東京には蜘蛛やガムテープのクズども、更には女性連続失踪の犯人など多くの脅威が潜んでいる。社会の枠から外れた凡人など、我々が手を下す必要もない。
(……真琴から連絡が来たか。
櫻木真乃は……なるほど、応じるつもりか。そして、
櫻木真乃に同行する少女と男……やはり、予想通りか)
手元の端末に届いたメールを開き、私は笑みを浮かべる。
何もかも、私の読みが当たった。
櫻木真乃が面談に応じる際、蜘蛛に関連する人物が同行することは予想していた。
子蜘蛛か、あるいは蜘蛛の本体か……どちらにしても、こうして正面から乗り込んできたからには、余程の策があるのだろう。
「羽虫よ、蜘蛛を見つけたのか」
「奴らが我々の顔に泥を塗る蜘蛛とは、確定したわけではない。だが、私の前に現れるのであれば……出迎えてやるとも」
「フン……余が言ったことを、忘れてはおらぬようだな」
「当たり前だろう? 奴らが何を用意していようとも、不穏な動きを見せればすぐに叩き潰すさ。それまで、余計な手出しは無用だ」
ランサー・
ベルゼバブに念押しをする。
既にアイドルの動画を視聴しておらず、私と共に面談の場にいる。
渋谷の某パーティー会場を貸し切りにしており、この場所には私たちの他に誰もいない。奇遇にも、
櫻木真乃たちも渋谷区にいたようなので、到着まで時間は必要なかった。
唯一、注意するべきは、
ベルゼバブが先走って交渉相手を叩き潰すことだ。この男の過去に何があったか知らないが、策士に対して異様なまでの憎悪を燃やしている。
不穏分子を潰すことに変わりないが、それでも
ベルゼバブの動きにも警戒すべきだろう。
最終更新:2021年09月20日 22:13