ミズキたちにとって、このタイミングでハクジャたちと出会えたことはまさしく僥倖といったところであった。

まず大前提として、皮下医院の崩壊があった。
チャチャとは違い、葉桜の過剰適応によって得た能力が物理的な干渉力を所持していたアオヌマ。
彼が這う這うの体で己の生存域を確保し、ドクロの角の墜落による即死を免れながらなんとか瓦礫から抜け出して、皮下と合流――した後すぐに鬼ヶ島にブチ込まれて雑用として働くハメになる――までの間。
それまでの間に、彼は現状を分かる範囲で仲間に報告していた。
チャチャが残していた電子回路自体は幸いまだ機能していたのもあって、災害時においても繋がる緊急用のホットラインが繋がったそれは、外にいる『虹花』の仲間たちへと緊急事態の共有を可能としていた。

『アイドル探してる場合じゃねえ。病院が丸ごと潰れちまった』
『さっきのアレで死んでなければとっとと戻って来い。あの人のことだからどうせキレねえだろ』

それはアオヌマの独断であったが、しかし皮下真という人物をよく理解しての発言でもあった。
皮下という男が、極論仲間の命はどうでもいいと思っていること。
それはそうと、手駒としての仲間を極力大事に思っているのも事実であること。
正直に言えば嫌がらせにすぎないアイドルにちょっかいを出すことと比べた際に、流石に自陣の被害が大きすぎたこと。
最後の一つに関しては皮下に限らない反応だろうが、ともあれ、それらの方針から導き出される答えは「一旦ちょっかい出すのはやめて自陣で状況を立て直すのを手伝った方が、有能な手駒が欲しい向こうも好き好んで消されたいわけじゃない自分たちも得をする」ということで。
したがって、ミズキもアイを伴って集合場所のアジトに直帰する、という結論に至っていた。
とはいえ、それでも車は使えない。元はと言えば自分たちの味方が引き起こした大規模災害は各種交通機関を致命的なまでに麻痺させるには十分であり、都心の交通量も手伝ってあっと言う間に整然とした大行列を形作る。
従って、ミズキは車を降りた後にアイの身体能力を借りて移動することを選んでいた。メンタル面を考慮し、ここではアイにはチャチャや仲の良い実験体の死亡については伏せて。

ここで、ひとつの偶然が発生した。
新宿の近隣を通るアジトへの道からそう遠くない場所で、ハクジャの反応があったのだ。
そしてそれは、情報収集した限りでは新宿での大戦争の余波を食らっている筈の場所でもあった。
彼女は幽谷霧子と共にいるはず。ならば霧子自身は死んでいるということもないだろうが、付き添っているハクジャの安否が不明であり、よしんば生きていても混乱によって取り逃したということも十分に有り得る。
そうした状況の整理も鑑みて、二人はハクジャの元へ立ち寄ることを選んだのだった。
つまるところ、ここに皮下の手下が集合したのは、ある程度運が味方したもの。
これがもう少し離れていれば彼等が立ち寄ることもなかっただろうし、ハクジャの側から安否を送っていただろう。間隙を縫うようにして、結果的に彼等は霧子を包囲することに成功していた。

「……成程……」

――ああ、それで?

「……だが、運がない」

此処に来たのが運だと知っていたのなら、それは悪運に他ならないと、そう黒死牟は断じていただろう。
折しも大災害の跡地の一角。この建物が己の剣によって奇跡的に死人を防いでいるとはいえ、後から検分でもしない限り誰が死んでいてもおかしくはない場所だ。
                    ・・・
ならばこそ、己のマスターをつけ狙う間諜を事故死に見せかけるのであれば、此処を置いて他にないくらいの絶好の瞬間。
殺し合いをただ生き残るためであっても、ここで殺すのは当然の選択といえるだろう。

そう。
その、筈なのに。

「……駄目、です……」

他ならぬ己のマスターがそれを庇い立てしているというのだから、黒死牟にとっては本気で意味が分からなかった。
ミズキとアイ、そしてハクジャが三人で集まるのをこれ幸いと一刀に伏そうとしたところで、この少女が己の腕を握ったのだ。
振り払うことは容易だが、先程令呪を使って己だけでなくハクジャを守ったことも考えれば、最悪ここでもう一画を使ってくる可能性もある。
今はもう二画となった、絶対命令権にして絶大な魔力リソースである令呪を、これ以上無駄にするという愚行をこれ以上犯されても困るのだ。
その一線が分かっているからこそ、黒死牟は一度剣を止めているが――それでも、間諜どもの出方によってはそれすら覚悟で一刀に伏さなければならないだろう。

「……霧子さんがマスターである可能性については、既に伝えています。ここで我々をどうしたとしても、あなたたちは彼の捕捉の下にあると考えていただきたい」

そんな黒死牟の思考を更に逆撫でするかのように、ミズキは滔々と語る。
語り口は平坦なれど、そこに慢心もなければ虚勢もないことが、皮下が誇る陣営の強さに裏打ちされた事実であると伝えるかのようで。

「私としては、何も言わずに着いてきていただけると幸いなのですが。そちらが積極的に敵対さえしなければ害することはありません」
「何を……世迷言を……」

そんなミズキの言葉に対して、苦々し気に黒死牟は斬り捨てる。
その六つの目が三人を睥睨したかと思えば、苛立つように吐き捨てた。

「貴様等……恐らくは何等かの改造か薬を服した身であろう……既に人に在らぬ肉体で……何を語る……?」
「――ッ」

霧子が小さく息を吞む音。仮にも医術に興味を抱くものとして、感じ入るものもあったのだろうが、今はそれも本題ではない。
黒死牟の透き通る目は、ハクジャ、ミズキ、そしてアイの三者三様の肉体の構成を既に見抜いている。
本来の人間ではありえない構造をそれぞれ各部位に持つ彼らのそれは、自然界にはあり得ない。その上で医者だと言うのであれば、肉体改造、薬物投与、他にも諸々の処置を施していることは文字通り目に見えていた。

「……ハクジャの力も見られている以上、言い逃れはできませんか。おっしゃる通り私たちは皮下によって施術を受けている身です。
 本来なら何の力も持たなかった筈の存在ですが、この通り――あなた達サーヴァントには及ばずとも、ある程度のマスターと渡り合うだけの力はあると思っていただきたい」

こんなふうに、と言わんばかりにアイの頭を軽く撫でる。
ミズキを見上げすり寄ってくるその頭からぴょこんと伸びた獣耳。自然の人間にはあり得ないその変異も、なるほど非人道の医術によってなされたというなら理解は及ぶ。
物語の中にいるマッドサイエンティストさながらのその所業を見れば、常人なら忌避して当然。
未だに専門教育を受けていない学徒の身であっても、半端に医術を学んでいるならば猶更、そんな人間に近寄りたくはない。
一般人であるなら、今すぐ逃げて関わらないことを選んでもおかしくないだろう。

「ですから、信用されていないのは十二分に理解できています。
 ――そして、私たちはその上で、あなた達に話を持ち掛けている」

――けれど、元より皮下の陣営に身を置くものとしても、穏当に済ませられるラインはとうに超えている。

皮下医院、もとい主従を盤石にしていた陣地が表裏共に甚大なダメージを被った以上、悠長に小競り合いを仕掛けていられるラインは踏み越えられた。
ならば、可能性の器としてほぼ確定している相手に対して、ただ傍観し続けることは得策とは言えない。
即ち、ここに至っては敵と味方の線引きを明確にしておきたい、という訳だ。
この場で皮下の軍門に下り、傘下として戦うならば良し。
そうでなければ、今後二人は皮下の『敵』として認定される、ということ。

「ついでに――必要とあれば、283プロダクション自体を検めさせてもらうかもしれませんが」

そして、一般人である彼女に効くだろうダメ押しも忘れない。
身近な人間が攻撃されて戸惑わないものはいないし、よしんば彼女が他メンバーと不仲であったとしてもその仮定で他のマスターを潰すことができればそれでも十分。
もしも霧子を『敵』と認定したなら、その程度の所業をすることに皮下は一切の容赦をしないだろう。

「……下らぬ。貴様等を、ここで斬れば良い。ただそれだけの話だ」
「それで上手くいけば、良いわね」

黒死牟の身も蓋もない暴論に、今度はハクジャが言葉を返す。
事実として、それは可能だろう。
アイの攻撃、ハクジャの拘束、そしてミズキの毒――たとえ全員が持てる全ての力を振り絞ったとして、目の前のサーヴァントに傷一つ付けられない。
よしんば幽谷霧子に攻撃対象を絞ったとしても、それらが及ぶ前に斬って捨てられる。

そしてそれは同時に、ハクジャたちを殺した下手人として、今度こそ霧子に『明確な敵』という烙印を押すこととなる。
皮下に対しても、『ハクジャの生死を確認しつつ、幽谷霧子の状態を確認する』という旨の連絡はすでに行っている。ハクジャの死だけなら新宿の戦争の余波で済むかもしれないが、ここでミズキたちも死んでしまえば言い逃れのしようもない。
野良のサーヴァントに襲われた可能性も勿論否定はできないが、それより可能性が高いものとして――『幽谷霧子のサーヴァントにこれ幸いと逃げられ、追ってくる自分もそこで死んだ』と解釈されるのが自然というものだろう。
もちろん、ただ逃げるとしても――どちらにせよ、皮下という男から「倒すべき相手」として標的に据えられる。

「……脅しのつもりなら、片腹痛い……」
「名の知れたアイドルである幽谷霧子の目撃情報くらいなら、集められるだけの情報網はこちらもありましてね」

正確には、電子ハッキングによって任意の人間の追跡をこなせるチャチャはもういない。だが――「それを所持していた」という事実で胸を張れる以上、ブラフとしては十分だ。
ついでに、チャチャが死んだ旨をまだ伝えていないアイが自信満々に胸を張っている。彼女の態度を利用するのは気乗りしないが、こういう時に演技のできない無垢さというのはそれなりに信憑性を持ってくれる。この笑顔を後に曇らせる感傷を今は無視して、楽しそうにしている彼女の頬を猫のように撫でながら再び黒死牟を見据えた。
それに、チャチャがいなくなったとしても、強者の相手さえ終わらせてしまえば百獣海賊団という物量での虱潰しが手段として解禁される。

大事なのは、皮下から敵視されることそのものがディスアドバンテージとなりうる状況である、という状況を認識させることだ。
自分たちが有利な状況にある、というカードが切れるうちは、交渉においても有利に立ち回れる。
最早、この場における主導権はミズキが完全に掌握していた。

「然らば最早……斬らぬ理由もなし……」

そして、ならばこそ是非もなし。
斬ろうが斬るまいが、どちらにせよ状況は同じだ。ならば、せめて少しでも後腐れなく処理をしておいた方がまだ目眩ましになるだろう。
その結果として周辺を幾ら突かれようと知ったことか。むしろ、鎬を削る機会が増えるのであれば上等だ。正面から戦うことこそ、黒死牟にとっての本懐のひとつであるのだから。
故にこそ、黒死牟は再び殺気を放ち。

「……ダメ……です……」

そしてそれを、やはり霧子が止める。

「皮下先生が……何をしたいのか……わたしには分からないし……」

霧子とて、皮下が何かを狙っていることくらいは理解している。
それが多くの願いを――命を簡単に踏み躙るものであるなら、止めるべきなのだろう。

「みんなに……危ない目に遭ってほしくも……ない……」

けれど、それで仲間が踏み躙られるのであれば――幽谷霧子にとっては、それを聞き逃す訳にはいかない。
咲耶だけでなく、摩美々や結華、恋鐘ですらも失われるということを、良しとできるほどに非情にはなれなかった。
それに、皮下という男についても霧子は何も知り得ない。彼が聖杯に願う祈りも、彼と道を同じくするサーヴァントも。ミズキとアイの存在ですら、今しがた知ったばかりの彼女には。

「……皮下先生の……お話を……聞かないと……」

せめて、皮下真という男が何を願って、戦うのか。
それを聞かなければ。ただここで道を違えるだけでは、彼の何もかもを知らずに敵対することになってしまうから。
それでは――彼の祈りも、知らないままになってしまうから。
だから、霧子はゆっくりとミズキの方に歩み寄る。

(……ならば……)

それこそが、黒死牟にとっての好機だった。
霧子の注意が三人に移った今こそ、三人を斬り捨てる唯一の好機。
これ以上の議論は無駄だ。
何となれば、主ごと斬ろうとも構わぬとばかりに、刀を一瞬の間に抜き放つ――。






「はい、そこまで」

されど、振り抜かれる前に、機先を制した声がひとつ。
皆が振り向けば、そこにいたのは一つの影。陽が落ちて薄ら暗がりになった世界で、尚鮮やかさを失わぬ華。
無双の剣客・新免武蔵、此処に参上。

「うんうん、タイミングピッタリ。……というわけで改めて再戦、といきたいのは山々なのだけれど――」

そして、それはあくまでお膳立て。鬼たる剣士を抑える為の、彼女が持っていたカードの一つ。
鬼札ならぬ魔女の札。今にも沸騰しそうな場を抑えるべく注がれた冷水が、傾きつつあった天秤を再び押し戻す。

「ここは、私の相方の顔を立ててくれると嬉しいわね。という訳で、いける?」
「はいなのです。霧子、ここはちょっとだけ任せてほしいのですよ――にぱー」

そして、彼女が立ち上がる。
やはり、と目を細めるハクジャとミズキ。訳のわからぬままに瞠目する霧子とアイ。
それらの視線を一身に受けながら、百年の時を過ごした雛見沢の魔女は静かに言葉の海に躍り出た。


(……まさか、あれが霧子のサーヴァントだったなんて)
(聞いてる感じ、サーヴァントの独断って感じでしょうね。そうじゃなければあなたが聞いた通り、梨花ちゃんまで庇う必要はない)

時は僅かに遡り、ミズキが霧子たちへと声をかけた頃。
梨花が霧子とハクジャの陰に隠れつつ武蔵とつないだ念話で分かったのは、霧子を守ったサーヴァントが武蔵と相対していたものと同一であったことだった。
自分だけ離脱するのではなく、ハクジャや梨花も含めて守るような善性を持つマスターがあの幽鬼のごときサーヴァントを連れていることには、さしもの二人も内心で驚愕するしかなかった。

(もっとも、手綱を握れていない、ってのはマイナス要素だけれど。あの立ち辻、下手に引っかかってたら死人のひとりかふたり出てもおかしくなかったでしょう?)

しかし、善性があるからといってならばそれで全てが丸く収まるかと言われればそうでもない。
それだけの配慮の心がありながら、あのようなサーヴァントの全方位への敵対行動を許している。上手く取り入っている、という訳でもないとなると、律するという点においては不足があると言えるだろう。

(……ま、それはそれ。ひとまずは当座の問題をどうにかしないとね。という訳で、梨花ちゃんとしてはどうするのかしら?)
(……私は)

そんな霧子と、霧子を狙う間者たちが言葉を交わす中で、梨花はどうすべきか。
今のところは、「怯えて立てないただの少女」として取り繕えている……はずだ。ミズキと名乗った男が此方に一瞥をしたが、令呪は服で隠してある為に見えていないはず。
すぐに逃げていないという意味では怪しまれるのも道理だが、まだ言い逃れはできる程度。逆に言えば、下手な行動を起こしてしまえばすぐにマスターだと看破されるだろう。言い逃れをするのであれば、このまま徹底して少女を取り繕わなければならない。

(……少なくとも、手そのものはあるわ。上手くいけばここを切り抜けるという意味でも、将来的な敵を減らすという意味でも)

その上で。
ただ指をくわえてこの状況をやり過ごすのか、それとも何等かの形で打開して、霧子に助け船を出すのか。
策は、ないわけではない。これまでの話を聞いた上で、あの話を切り出せば、或いは――そんな想いも、確かにある。

(ただ、あいつらが「それ」で動いてくれるかどうかもわからないし……もし動いてくれなかったら、結局今度は私も含めて追われることになりかねない)

かといって、それは100%の説得を確約してくれるものでもない。
いいところ五分五分だし、彼等の方針によってはすげなく断られる可能性も高まる。そしてそうなれば、自分たちもまた霧子と同じく敵と見做されて彼等に追われることになるだろう。
にちか達の同盟に厄介事を持ち込む可能性も考慮に入れてまで、それをする意味はあるのか。
幽谷霧子の為に、そこまで命を張れるのか。

(……それは)

戦略的に考えれば、リスクは高い。
だからこそ、本当にここで踏み込んでいいのかに関しては熟慮せねばならない。
ただ霧子を皮下から遠ざけるにしても、戦力を整えて後から彼女を助けにいくとか、そもそも一緒に逃げるという手段だってあるのだ。
けれど、それは咲耶の。私たちを信じてくれた、あの少女の望む姿なのか――

(うん。それは正しいわ、梨花ちゃん。その選択は確かに間違ってない)

その煩悶を、武蔵はあえて否定しない。
武蔵自身、無闇に命を捨てることを肯定するような愚直さは持ち合わせていないのだ。鉄火場での斬り合いで死ぬことに異論こそないが、それで死ぬくらいなら躊躇なく遁走を選択する。最後に立って、生きていた方が勝ち――それが、戦場における当然の理なのだから。
だから、己の命惜しさにこの場をやり過ごすこともまたひとつの戦術。同意こそすれ、責める理由などどこにもないのだ。

(――だから、ここから先は現実の話です)

けれど、それもあくまで今この場面の梨花に限った話。
咲耶、霧子、そして自分。梨花の視点はあくまでそこ止まりだが、それら以外の大局を見れば、また違った版図が現れる。
それを示すのも、また相方として――曲がりなりにも鉄火場を生き延びてきた者としての武蔵の役目だろう。

(貴女が同盟を結んだ相手、七草にちか。覚えてるとは思うけど、彼女は283プロダクションのアイドルよ)

忘れてはならないのは、生き残るその最終目的がこの聖杯戦争の脱却であるということ。
そこからの逆算。天眼を持ち、勝ちにも負けにも至る道筋を考える武蔵だからこそ、とまでは言わずとも、この場の生死を超えたところで新たな戦いが始まっているというのなら彼女の戦への感はそれを見逃さない。
刃を交わす決闘ならまだしも、言葉の戦場で安易に飛びついてそのまま袋小路へ――というわけにはいかないのだ。

(それだけではありません。プロダクション近くで会った櫻木真乃だってそうだし、彼女たちが会おうとしていた人間もきっとそう。咲耶のユニットだってもしかしたらもっと仲間がいるかもしれない)

流石にそこまで言われれば、梨花にもその内実が理解できる。
同盟の基点、脱出を主導するあのライダーは、あくまで283プロダクション内の存在だ。梨花は咲耶との親交も、スタンスとして脱出を図っているのもあってそこに踏み入ったが、あの事務所内で今後いっそう一丸となるのであれば、自分達はそもそも外様の存在であることには変わらない。

(彼女達が、きちんと連携を密にした場合――幽谷霧子の行方不明、まして怪しさに溢れた病院の院長に連れ去られたのを、私がみすみす見逃していたら)
(ええ。当然のように信用は墜落、私たちの同盟はせっかく繋いだ縁ごとまるっとご破算でしょうね)

つまり、そういうことだ。
仲間の仲間、同盟相手にとって見知った相手と知りながら助けなかった行為が露見すれば、せっかく築いた絆がすべてお釈迦になる。
生き残る可能性も、知らない世界の中で掴んだ信頼も、すべてを無に返してしまう。そう考えれば、今すぐにでも霧子に加勢するべきか――と言われれば、またそれも異なる。

(そういう訳で、今は仁義を通すべき場面です。……とまあ長々と講釈垂れたけど、ぶっちゃけここで見過ごしたところでバレる可能性は少ないのもまた事実なのよね、残念ながら)

逆に言えば、「バレなければ問題ではない」というのもまた事実なのだから。
古手梨花がこの場所にいることを知っているのは、ここにいる面々だけ。自分の不義理が露見するのは、皮下の部下はともかくとしても、何らかの形で霧子が逃げおおせた上で自分の存在に言及された場合のみだ。
敵陣からなんとか霧子が逃亡できなければ、露見する確率もゼロだろう、と。
そうした現実的な見立てまで、相棒たるセイバーは整えて、その上で。

(……セイバー)
(選ぶのは貴女です、梨花。貴女が信じて行くと決めた道を、私は切り拓きます。
 あとは強いて言うなら、そうね。令呪一画とお命までいただいてしまった恩義、私なら返すかなあ、といったくらいでしょう)

そう委ねてくるのだから、まったく。
自分は人斬り包丁だと息巻いて、だからこそ正しい人間に委ねたい――そう言っておきながらこれになるとは、彼女も大概人がいい。
あるいはこれも、彼女を従えていた元の『マスター』の影響か。
ともあれ、それだけの言葉を寄せられて――それで自分の中でも、漸く腹を括ることができた。

(……ありがとう)

結局のところ、必要なのは理由だ。
ここで見逃してはいけない、誰も喪わせないことに合理性を与える理由。
感情で命を賭けるには、背負ってるものが多いけど――見捨てなくてもいいのなら、諦めて折れるのは間違いだから。
ああ、そうだ――諦めるな。信じろ。言葉を紡げ。そして、絶望を越えてみせろ。

だから、古手梨花はしかと立つ。
白瀬咲耶が生きた証として生きる――一度誓ったそれに、恥じることなき選択を。
そして何より、雛見沢の惨劇を一度越えた者として、運命に打ち勝って生き続けるために。


「まず、一つ確認したいことがあるのです」

さて。
根本的な問題として、古手梨花は知将ではない。
彼女の理知を支えているのは積み重ね続けた百年の経験であり、経験則と状況の分析――今置かれている状況が、発言が、『彼女の知る常識』からどれ程外れているのかという間違い探し。

だが、少なくとも今の話を聞いていた上で、そこから類推される推測をできないほどに馬鹿な訳でもない。

「皮下、という男の部下らしいあなた達は……NPC、可能性の器ではないのですね?」
「はい。あくまでこの界聖杯に再現された人格にすぎません」

きっかけは、ミズキが発した最初の台詞だった。
「可能性の器ではないが、聖杯戦争を知っている」。この台詞から考えられる可能性は、大別すれば二つ。「この界聖杯のNPCである」か、「サーヴァントの宝具で召喚された何等かの武器であるか」か、だ。
だが、皮下医院という病院の存在は梨花でも知っている。その上で、霧子が口にした皮下先生という言葉も含めて考えれば、彼等の主はサーヴァントではなくマスターとして医者の役割(ロール)を背負っている皮下その人に他ならないだろう。
そもそもサーヴァントの呼び出した存在であるのなら、自分たちを『サーヴァントそのものではないですが』と自己紹介するはず。マスターを指す言葉である可能性の器の側を否定している、ということも、そう考えれば辻褄が合う。

「……なら、分かっているのですか?皮下が優勝しても、あなた達は……」
「この世界や可能性喪失者と諸共に、消える。ええ、理解していますよ」

そしてそうであるなら、梨花としては僥倖だった。
最悪、ゼロから説得するつもりもあった。だが、そうであるなら――梨花にとっては、一つの切り札がある。

「……あえて、聞くのです。この世界が終われば消えてしまうと分かっていて、どうして皮下に味方をするのですか?」

思い出すのは、あの時――一度はレナを見捨て、それでも尚圭一の努力によって彼女を救うことを再び諦めずに選んだカケラのこと。
あの時だ。あの時こそ、自分は知った。自分が時間を戻しても
それまでの自分は――ああ。自分がいなくなった後のカケラのことを、気にしてなどいなかった。
どうせいつかは消えるのだからと、その後を顧みることなんて一切しなかったあの頃――今となっては
それは、今のこの状況とて変わらない。自分たちが脱出した上で、界聖杯と共に泡沫に消える存在のことを、深く考えはしていなかった。
だって彼らは、本当に消えるのだろうから。
可能性喪失者ごと、この世界は喪失する。そのルールが定められている以上、彼らはこの鳥籠の中で死にゆくしかない――それが、可能性の器たちが認識しているこの世界のルールで。

「それを知って、何をすると?」
「……あなた達が生き残る術。それを、示したいのです」

ここからだ。ここからが正念場――惨劇の中でひとつ磨いた、『生き残る』為の覚悟を括る。
……正直に言えば、不安要素もある。なにせ、ここから先は彼等にとっては荒唐無稽な話だろう。信じろという方が無理な話だし、そもそも信頼関係どころか敵対関係にある相手なのだから猶更だ。
だが、生半可な言い訳では結局のところ現状打破にもなりえないのもまた事実。持ちうるカードを突き詰め、真実を以て話さなければ、そこに可能性は産まれ得ない。
そして、何より――泡沫に消える運命だと、それを受け入れている彼らを、彼女は黙って見ていられない。
故にこそ、古手梨花はあえて真実を語る。

「私たちの目的は――聖杯戦争からの脱出なのです。にぱー」

古手梨花の最終目標、それそのものを。 
言い放ったその目標に、皮下の部下たちの反応は三者三様だった。
眉をぴくりと動かしながらも、静かにこちらを見据えたままのハクジャ。
こちらを訝しむように目を細め、緊張感をより高めたミズキ。
そして、男とは対照的に僅かに目を見開いた猫耳の少女。
その反応を目端に捉えつつも、梨花はここでは止まらない。

「私たちは、生きる為に戦うのです。その手段も、私たちはもう見つけているのですよ」

断言する。
手段――アッシュのそれが不完全である可能性は、ここでは考慮しても意味がない。
どちらにせよ、ここで丸め込まなければアッシュを含む自分たちの陣営そのものが皮下の陣営と対立するだろう。上手く騙くらかすのが成功して休戦関係を構築するか、失敗しても元の状況通りこちらが敵視されるのみだ。ハッタリだろうがなんだろうが、ここで貫き通さなければどうしようもない。

「ただ器ではない人形としてではなく、純粋に生き残りたいと願うのなら――私たちは、あなた達とも手を取り合いたい。それが私の、偽らざる本音なのです」

アッシュの脱出方法。
それは、界聖杯そのものに干渉し、これを破壊、あるいはルールの書き換えを行う宝具であるという。
だとするなら――可能性の器だけではない。ここで産まれた彼らを救うためのルールすらも、挿入することができるのではないか。
梨花が賭けたのは、その可能性だった。

「……あの」

そして、それに答えるように――ハクジャでもミズキでもない声が、小さく響く。
梨花がそちらを向けば、おずおずと手を上げるのは、ミズキの横で縮こまっていた影。先程霧子に対して胸を張っていた、確か、そう――アイという少女。
不安気に挙げたその顔で、小さく、彼女は言葉を紡ごうとして――

「もし、もしそのだっしゅつに、アイさんたちが――」
「アイさん」

か細い言葉を、ミズキの冷徹な声が断絶させる。
頭に添えられた手に僅かに力が籠ったかと思えば、アイがびくりと大きく震え――その後、目に見えて萎縮した。

「それは、彼への裏切りになります。やめておいた方がいいでしょう」

そう告げるミズキの目は、言葉通り冷徹に徹したそれ。
怯える彼女を抑え込んだ彼は、しかし苦々しく顔を歪めた。
――子供の態度は、分かりやすい。
その間隙を――確かに、梨花は見届けていて。

「……生きたいと願ってるのに、それを妨げるのですか」

そして、その間隙は、同時に。
梨花にとっても、絶対に見過ごせないものであった。
籠の鳥、囚われの身。そう産まれておきながら、それでも――生きたいという願い。
その痛みを、古手梨花はきっと、この世界の誰より強く強く知っている。

「運命が死ねというのであっても、生きたいのであればその為の道を探す。それが、最善の道ではないのですか――!」

だからこそ、やはり我慢がならないのだ。
消えたくないと願う祈りは、今確かにそこにある。それは決して恥ずべきものでも、まして抑圧されるべきでもないのだ。
自分とて、運命をただ受け入れるままになっていた頃もあった。一度や二度ではない、何度も繰り返す中で挫折すらも幾度となく経験した。
けれど、その先で手を差し伸べてくれる人間が、希望を示してくれたことがあったから。
だから自分も、そのように手を伸ばす。
そんな梨花を見つめ、対するミズキはあくまで冷静に自分たちの現状を語る。

「……まず、前提として。そもそも私たち、可能性の器ではない者たちは界聖杯が用意した『世界』の構成要素の一つです」

ミズキがそれを理解したのは、彼が虹花として己の権能を理解したその時点であった。
自分の存在が、より大きなものの一部である感覚。自らの身体を手で触れた時のように、自分が今経っている地面の側から、ミズキという個体と客観的に接触しているという感触が伝わっていること。
その感覚が自分だけではないことは、周囲の覚醒者と交流することでも確認できた。

――自分たちは、人間ではない。この世界を構築する舞台装置としての、人形の一つ。

それを実感として受け取れていたからこそ、界聖杯の真実を知った時もそういうものなのだと自然と理解できてしまっていた。

「ですから、根本的に――界聖杯から離れた時点で、私たちを構成している魔力を得ることはできなくなります」

そして、その実感がなくなれば――この世界そのものと分たれてしまえば、きっと自分たちは生きていられないであろうことを、明確に認識できてしまった。
葉桜の覚醒のみに留まらない。真実を認識することや、何らかの方法で力を手に入れるに至るなどによって自己を強く確立した時、大なり小なりそれは心のどこかで理解できてしまうのだ。
自分は、ただこの世界に置かれた、ただの張り子にすぎないのだと。

「それは……」
「――あなた達の能力からは、私たちほどではないにせよ魔力がある。それでも?」

想定していなかった情報に尻込みする梨花に、再び武蔵が助け船を入れた。
サーヴァントである身だからこそ、ある程度の魔力は探知できる。故にこそ、彼等が使っている異能は確かに魔力を経由して作り出されていることも看破できた。
ならばそれは、彼等の肉体を構成している魔力の代用品なり得ないのか。

「……ええ。その可能性は、確かにあります」

それも、また事実。
自分たち虹花のバイタルチェック結果と併せて、この事実を報告した際に、仮説としては産まれていた。
界聖杯の一部として構築されているのはほぼ確定。界聖杯から与えられた魔力によって肉体が構成されている可能性は、
だが、それと同時に、恐らく記憶や人格そのものは端末としての肉体に埋め込まれている。そうでなければ、葉桜で外部から刺激を加えたとしても元世界と同じく個人に由来する能力を行使するのは難しいはずだ。
そして、ソメイニンの適合率が100%を超過し、「開花」のレベルまで至っている虹花の面子であれば。

『界聖杯からのリンク切っても動く可能性は、ま、ゼロじゃねえな。
 できればそのリンクを利用して聖杯いただき……とかやれたらクッソ楽だったんだけど、流石にそれくらいは対策済みだろうなあ』

要は、PCを主電源から切り離しても、バッテリーを内蔵して記録内容の読み込みさえできれば支障なく使えるのと同じ。
肉体を構成するだけの魔力を自己生成できれば、最低でも肉体の維持自体は行える可能性が高い。
そして、虹花の面々が持つ能力は、それを満たしているともいえた。
皮下が予想しているように、ただ単に覚醒するだけで情報量という界聖杯からの魔力の追加剰余が行われるのとはまた別だ。
葉桜の原材料そのものは界聖杯という世界で構成されている故に魔力を帯びているが、その製造技法とソメイニンに由来する神秘の力は紛れもなく皮下が開発した独自の事柄。
極論を言えば、彼等虹花のオリジナルがこの世界に存在した時、ソメイニンを由来とする魔力は彼等がサーヴァントを従える上で潤沢なリソース足りえただろう。そういう意味で、彼ら虹花は間違いなく魔力を自己生成していると言えた。

「それなら――」

ならば、可能性はやはりゼロではない。
勿論、問題は山ほどある。彼等がどのくらい界聖杯と同一の存在なのか。ルールの書き換えはどのように行えばいいのか。彼等は、どの世界に戻るべきなのか。
けれど、それでも――生き残る可能性自体は、ゼロではないのだ。
ならば、やはりそれを試す価値がある。
そう叫ぼうとした

「――確かに、そうね。私たちは、運命に縛られている」

その声を、冷たく遮るものが一つ。
振り返る梨花の視線の先で、薄く笑うのはハクジャだった。
その頬に浮かべた微笑を僅かに強張らせながら、彼女は朴訥と語り出す。

「……私たちが産まれたのは、こうして世界の真実を知った時。……でも、それだけで、私たちの過去までも否定したくはないのよ」

その頬に浮かべた微笑を僅かに強張らせながら、彼女は朴訥と、唐突に問いかけた。
記憶には、連続性がある。
自分が生きていたそれまでの積み重ね。ずっと歩んできた道筋。それは、NPCであろうと可能性の器であろうと等しく持ち得ていたものだ。

「私たちは、私たちの記憶の通りに生きていた。――その記憶は、たとえ縛りであり呪いなのだとしても――どうしても、嘘になれない」

だから、必然的に彼らも、その行動はその記憶に準じるものだ。
たとえ全てが虚像だと分かっていても、自分の在り方が人形だと認知していても――役割からは、逃げられない。
あてがわれた自分の役割、詰め込まれたその記憶を――自分がそういうもので、だからこうして生きるしかないのだという命題を裏切れない。
今、ミズキの手の下で震えてしまった彼女がそうだ。
             トラウマ
存在しない過去であろうと、心的外傷からは逃げられない。命を縛る鎖は、最早解けるもの足りえない。
――うたかたの記憶。可能性の器にあらぬ、元の世界の記憶を刷り込まれただけの木偶。

「だから、この記憶がある限り――私が生き残りたいと願ってしまう限り、同時に……いえ、だからこそ、過去にそれを叶えてくれた皮下さんは裏切れない」

そこから抜け出ることなど、出来ないのだ。……誰にも。
たとえそれが、全て張り子であると、分かっているとしても。

「……ああ」

それで、梨花にも理解が及んだ。
――彼らは、きっと諦めている。
さながら、井戸の中で空を眺める蛙――いや、蛙にすらなれなかった、鰓呼吸のままのオタマジャクシか。
実際、覚えはある。
信じた過去が空虚であるという、その可能性はとても苦しい。そうでなければ、あのカケラで鷹野のスクラップ帳にしがみついたレナがあそこまで苦しむものか。
まして、それが自分を構成していた全てというのなら――彼女達がそれに縛られることも、無理はない。

だとしたら。
だとしたら、己が言うべきことはなんだ。
あの時自分が、惨劇の中で欲しかった言葉――駄目だ。ただでさえこちらを信用していない相手に、「奇跡を信じろ」と謳って何になる。

なら。
なら、どうする?

(どうするのですか、圭一――)





「…………違う…………」

――その答えを、告げる声は。
梨花の背後から、響いてきた。

それまで、状況から置いていかれていた、一人の少女。
生還からも、聖杯戦争の勝利からも、この場で最も遠いと言えて。
超人的な力も、精神も、持ち得ることなどなくて。
ただ――この空間で最も優しいという、ただそれだけの少女が。
決然的な輝きを灯す菫の瞳で、世界を見据えていた。

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最終更新:2021年12月14日 23:42