『ガムテ君ももちろんだが、彼の連れている"割れた子供達"の脅威度もまた非常に高い。
 彼らは単体でこそサーヴァントに及ばないものの、数と齢に合わない巧みな技巧(スキル)を兼ね備えている。
 死柄木弔には間違っても口に出来ない可能性だが――もしも我々の作戦行動が"転けた"時、手負いの我々にとって彼らの存在は恐ろしく大きくなる』

 悪の総帥、連合の頭脳。
 全てを己が物とする個性時代の魔王に代わり、破壊の御子を導いた数学者。
 ジェームズ・モリアーティは、出撃前の殺島飛露鬼に直接作戦を伝達していた。
 "割れた子供達"はガムテに限らず全員が脅威であり、故に可能な限りその数を削っておきたい。
 ――出来るなら、皆殺しにしてしまうのが望ましい。

『私は君の手の内を知り尽くしているわけではないのでネ。
 此処で問わせて貰うが、君個人でかの殺し屋集団を壊滅させることは可能かな?』
『……アイツがどの程度の戦力をオレ達に割くのか、にもよりますがね。
 全力で行くなら、十中八九問題ない。全滅は不可能でも、八割九割は削れますよ。鏡の世界に逃げられなきゃ、ですが』

 殺島のそんな返答は、モリアーティにとって想定以上の答えだった。
 同時に彼の聡明極まりない脳髄は、割れた子供達という"群体"の殲滅をその次元で可能とする宝具の輪郭を脳裏に描き上げた。
 軍勢展開宝具。それも、殺し屋の技や連携を数の暴力で押し潰せてしまう――圧倒的な物量。
 その推測は概ね当たっていたし、暴走師団聖華天が割れた子供達に対して有利を取れる理由までもを詳らかにしていた。

 割れた子供達は精鋭集団だが、忍者には及べない。
 そして彼らは少数だ。三桁前半が精々という人数では、十万に達する暴走族の爆走を止められないし凌げない。
 ましてこちらは、命すらも当たり前のように投げ捨てられる暴走(ユメ)に酔った悪童軍団。
 子供達の潜伏出来る余地も、逃げ場となり得る鏡も、その全てを物の序でに奪い去ることが出来る。
 その点で、殺島飛露鬼という札(カード)を加えられたことは間違いなく敵連合にとって幸運だったといえる。

『――では、割れた子供達の殲滅は君に一任しよう』
『……了解(りょ)。アイツとは殺し合う約束交わしちまいましたからね――丁度いいですワ』

 本来なら。
 出し惜しみなどせずに、初手から聖華天を招集(よ)ぶのが最適解だった。
 にも関わらず、最初は極道としてガムテ達と対決した。
 その不合理は、殺島なりにガムテという後輩に対する訣別の意味合いだったのか。
 本当のところはもはや、暴走族神として再び彼らと相対し始めた殺島自身にしか知る由はなかったが。
 暴走師団聖華天が引き起こした世界一傍迷惑な乱痴気騒ぎは、もう一方の戦場をも助けていた。


「――何だかよく分からねえけどよ~……子供達(ザコども)が大慌てしてんのを見るのは気分爽快だなァ~~!」

 聖華天の鉄騎馬の乱入が起こるまでの間、デンジは実に不自由な戦いを強いられていた。
 何故か。理由は簡単である、周りの子供達が露骨にしおとアイを狙う援護射撃を行ってくるからだ。
 そのためデンジは、彼女達に被害が及ばないよう目を配りながら眼前の"怪人"と戦わなければならなかった。
 幸い、武装をホーミーズ化されているのは割れた子供達の中でも主要メンバーに当たる強者だけで。
 彼ら彼女らは軒並み殺島の対処に向かっていたから、デンジとしても残りの連中が入れてくる茶々を捌くのはそこまで難しくなかったが。

「お前、自分の立場分かってる? マジでショッカーだぜ、今のお前。絵面も相俟って」
「不審者が人様の見た目に物申してんじゃねェ~よ。
 そういうお前はえと……何だっけな――あれだ。マキマさんに勧めてみようかと思ったけど断念したあの映画。え~っと……」

 問題は、この怪人――もとい、ヒーロー。
 アヴェンジャー・デッドプールであった。
 デンジのことを言えない程度には色物然とした見た目の、彼。
 しかしいざ実際に戦ってみれば、その強さは……紛れもなく本物で。

「当ててやるよ、"変態仮面"だろ」

 デンジは、有効打をまるで入れられない状態が続いていた。
 チェンソーの刃は空を切り、雑魚悪魔程度なら軽く封殺出来るチェーンでの拘束もするりと蛇みたいに抜け出される。
 大した武器も持っていない癖して、一撃一撃があまりにも的確で。
 なおかつ彼も彼で、後ろの非戦闘員。アイに対する射撃には躊躇がないものだから、デンジとしては大変にやりにくかった。

「……おお。それだった気がするぜ、ありがとよ変態仮面!」
「礼には及ばねえよ、Mr.電ノコ。どうしてもって言うんだったら、三つ指ついてジャパニーズ・土下座でもしててくれ」
「醜男に下げる頭はねえんだよ、バァカ。
 ――ていうかお前、何なんだよ。アイさんばっかり狙いやがってよお~……そんなにあっちで戦ってるヤクザ野郎が怖えのかよ?」

 デンジの質問に、デッドプールはからからと笑って。

「その腹黒女には俺ちゃんもあさひも恨み骨髄なのさ。
 おたくも気を付けろよ、そいつとんでもねえクソ女だぜ。
 仲睦まじく愛を囁き合った後で、平然と財布抜いて逃げれるアバズレさ」

 そう言っておどけてみせたが、しかし彼は意図的に論点をすり替えている。
 何故アイばかり狙うのかというデンジの質問に、答えていない。
 そうだ。デッドプールは、今のところ神戸しおを殺そうとしていない。
 あさひのためを思ってそうしているわけではない――むしろ、しおは殺すべきだと考えてさえいる。

 ただ、デッドプールはあさひの手を汚させる気などなかった。
 神戸しおを殺す役目は、自分がやる。あさひの覚悟を聞いた時から、デッドプールはもう決めている。
 とはいえそれは今ではない。このサーヴァントを打ち倒し、あわよくば星野アイも殺した後。
 徹底的にしおの抱く夢を打ち砕いてから、その上で己が手を汚す。神戸しおを、殺す。それがデッドプールの結論だった。

「――なあ、電ノコ。お前さ、女運ねえだろ」
「あ? ……なんでそんなことが! 分かんだよお!?」
「見りゃ分かるわ。厄ネタのトップ2みたいな奴ら背にしてんじゃねえか、現在進行形でよ」

 ――デッドプールは、神戸しおという少女に対して。

 此処で対面を果たすまでは何処かで、不幸な被害者だと感じていた。
 松坂さとうという劇物に触れ、意図せずして歪んでしまった子ども。
 もう救うことは出来ないから、誰かが殺してやるしかない堕天の顛末。
 そう思っていた。だから、この手で殺すと決めたその一方である種の憐憫を抱いていたことは否定出来ない。
 しかしその手の感情は――あさひと話す彼女の姿を見た瞬間に、全て誤りだったのだと気が付いた。


 はあ、と。
 しおは、溜め息をついたのだ。
 愛する妹を殺す覚悟を決め、それでもと最後に対話を求めた肉親の言葉に。
 まるでひどく鬱陶しいものに対して出すような、そんな吐息を吐き出した。
 子供騙しのアニメを見るような。綺麗事しか言わない絵本を、無理やり読み聞かされているような。
 そんなとてもつまらなそうな、うんざりしたような顔と――行動。
 それを見た時、デッドプールは確信した。神戸しおは最早救えないし、その心が一時であれ神戸あさひに微笑むことはないのだと。


 確信すると同時に――心から、ムカついた。


 チェンソーと刀とが衝突する。
 回転する刃の歯は、長く触れ合えば刀身の破損に繋がるデッドプールにとって相性の悪い武器だ。
 故に接触時間は最小限に留めて、鋭い前蹴りでデンジを無理やり吹き飛ばし。
 そこに向けて拳銃を立て続けに数発発砲すれば、チェンソー頭の胴体に複数の穴が空く。

 出力ならば。瞬間の爆発力ならば。
 間違いなくデッドプールはデンジに劣っている。
 なのに何故、此処までデンジは一度として彼に届いていないのか。

「年季の差ともう一つさ。答えてみろよ、Mr.電ノコ。ゾンビ映画のヒーローくん。少なめの脳ミソでレッツシンキングだ」
「……あア~? 知らねえよそんなもん。事あるごとに問答をしたがるのは、おっさんの悪いクセだぜ」

 第一に、年季。
 デンジは支配の悪魔に勝利するまでの過程で、見違えるほどに強くなった。
 だが彼の場数の踏み方は、言うなれば短期集中型のそれ。
 がむしゃらに吸収と適応を繰り返して得た、勢いはあるが脆く柔軟さに乏しい強さ。
 その点で、デッドプールは彼にはない技巧と知恵を持っている。
 そこの点だけで、デンジ相手には十分優位に立ち回ることが可能だった――そして、第二は。

「楽だよな、ムチャクチャやるのって」

 チェーンを巻き付けられた腕を、あっさりと刀で切り落として。
 更にそこから一秒足らずで再生を完了させ、踏み込んでデンジの右腕をお返しとばかりに刎ね返す。
 突き出されたチェンソーに追撃は阻まれたが、構いやしない。
 宙にくるりと銃を投げ上げて、落下に合わせて地を蹴り、自ら作った拮抗勝負を崩しつつ。
 ヒット・アンド・アウェイの"アウェイ"の序でに、銃弾でデンジの肋骨を左右三本ずつ綺麗に撃ち抜いた。

「痛ッ……!? げほッ、ごほッ……!!」
「そう、楽なんだよ。常識の外にはみ出して戦えば、頭のお硬いいい子ちゃんはそれだけでガタガタに崩れてくれる」

 ――デッドプールが笑う。
 ヒーローなのか、悪魔なのか。
 その中間を取ったような、嗤いだった。

「だから、俺もよく使う」

 デッドプールは、異端の"ヒーロー"だ。
 英霊の座に眠る数多の"ヒーロー"を知る者ならば。
 彼はヒーローにあらじと、そう罵倒を浴びせかける者も居るだろう。
 何しろデッドプールには型がない。セオリー、常識、礼儀作法、果てには倫理に至るまで。
 彼は全て、チリ紙のように丸めて捨てる。あるいは笑いながら破き捨てる。
 その上で、彼にしか出来ないことを成し遂げる。成し遂げるのだ――ムチャクチャに。

 そして奇しくもその在り方は、英雄(ヒーロー)像は、デンジの行くそれと同じだった。

 チェンソーマン。悪魔を狩る、ヒーロー。
 誰かに認められた経験の極端に乏しいデンジが、失意の底で見つけた無二の喜び。
 支配の悪魔に勝利してすぐを"参照"して召喚されている彼は、言うなればチェンソーマン・リリィ。
 そんな彼に対し、あらゆる面でデッドプールは先を行っていた。

 もしも――仮にデッドプールが、"ウェイド・ウィルソン"が。
 借金ばかり拵えるクソみたいな父親の元に産まれ、一匹の小さな悪魔のみを友にして育ったとしても。
 その先で悪魔みたいに微笑む、自分だけの光(デパス)に巡り合い……デビルハンターになっていたとしても。
 きっと彼の戦いは、デンジのそれと大意では変わらない。
 ムチャクチャで、イカれた、常識を蹴っ飛ばすようなものになっていたことだろう。
 彼らは根っこの部分が似た者同士。
 そしてそれだけに――

「いい具合にイカれてんな、チェンソー君。"俺ちゃんを見てるみたいだ"」

 格下(デンジ)は、格上(デッドプール)に決して勝てない。
 その上を行けない。デッドプールは全てをいなし、その上で手痛い反撃を確実に当ててくるから。
 ペッと血反吐を吐き捨てたデンジが、次に取った行動は突撃だった。
 力任せのそれはしかし、チェンソーというひたすら暴力的で突破力に富んだ得物を用いる都合を考えると意外にも最適解となり得る。
 膠着を崩す突撃の結果は実を結び、デンジの刃はデッドプールの胴体に盛大な血飛沫をあげながら突き刺さった。

「上から目線で教官ヅラしやがってよぉ~……師匠ポジはもう間に合ってんだよ、こちとらなア~……!!」

 そのまま、デンジはチェンソーで突き刺したままのデッドプールを天高く掲げた。
 まるでクワガタの喧嘩で、優位を取った方が相手を真上へ掲げるように。
 その上でデンジは鋭利に尖った歯が満たす悪魔の口をこれでもかと開き、咆哮する。

「起源主張野郎の派手な葬式だぜエエエエエ!!!」

 チェンソー、暴乱。
 デッドプールの肉体は、見るも無残に引き裂かれた。
 それどころではない、物理的に微塵切りにされてばら撒かれている。
 血飛沫そのものと化して舞い散る中で、デッドプールの声がした。


「――マジかよ……そこまでやるのか、お前。
 クソ……ハハ。俺ちゃんとしたことが、見誤ってたみたいだ……な……」


 ――なんともはや、白々しい辞世の句である。
 戦いをしおと並んで観覧していた星野アイは、既に数秒後の未来を想像し終えていた。
 そして結論から言うと、その通りになる。
 文字通り粉々になって散ったデッドプールの肉片が、ぼこぼこと有機的に膨れ上がり。
 やがて形を取り戻す。元あった形を、デッドプールとしての像を。
 再生後0.2秒の後には、デッドプールはデンジの背中を斬り上げていた。

「な……んだ、テメエ! 不死身かよ、このバケモンがア~~……!!」
「おう、そうさ。俺ちゃんマジで不死身なの。残念だったな後輩くん」

 ――デンジも当然、応戦しようとするが。
 その手首にデッドプールは鮮やかな早業で、銃弾を撃ち込んだ。
 その程度の痛みはデンジを止める障害には当然ならないが、被弾の衝撃による動作の遅れはどうしても生じてしまう。
 そしてそれだけの時間があれば、デッドプールがチェンソーマンから勝利を奪い取るのはとても簡単なことだった。

「んで、バケモンはお互い様だ。どうせおたくも同じだろ、不死身なのは」

 つまらなそうに言い放ちながら、刀を真横に一閃。
 デンジの首が胴体から離れ、ぼとりと地面に転がる。
 勢いの行き場を失った身体はずざざざざ、と地面を転がり――神戸しおの前で止まった。


 ……アヴェンジャー・デッドプールの第一宝具、『人生は試練の連続さ。幸せってのは合間にしかない(セクシー・マザーファッカー)』。

 それは、彼の肉体そのものだ。
 あるいは、彼を翻弄した運命そのものとも言えるか。
 人為的に製造された後天的ミュータント、ヒーリングファクターの適合者。
 霊核まで届く、単純な負傷の枠組みに収まらないダメージならばまだしも。
 単なる肉体の損傷であれば、デッドプールにとっては何の致命的結果ももたらさない。
 切り飛ばされた四肢も、ちぎれ飛んだ首も、ばら撒かれた内臓も――全てが、再生能力の範囲で無理なく覆せる事項となる。

 ――不死身。
 これもまた、奇しくも。
 デンジ/チェンソーマンと同じ性質だった。
 何処までも二人は似通っている。にも関わらずその共通点は片方の背中を押し、もう片方の足を引っ張り続けるのが皮肉であった。


「……らいだーくん」

 しおが、駆け寄る。
 その姿をデッドプールは、ただ見つめていた。
 少女の手が――デンジの胸元、そこにあるスターターロープへと伸びる。
 それを見てデッドプールが思ったのは、一つの確信。

 ……ああ。なんだよ。
 やっぱり、ただのガキなんじゃねえか。

「――っ、ぐぅううっ……!? あ、あ゛……っ……!!」

 伸ばされた手が、文字通り弾け飛んだ。
 手首から先。小さな手、細い指。
 それが血袋と化して、飛散する。
 目を見開いてその場に蹲り、呻き声を漏らすのは神戸しお。
 彼女を撃ち抜いたのは、当たり前の話だが――デッドプールだった。

「ガキらしく正直で助かるぜ。電ノコ怪人の再生条件は、胸のスターターロープを引かれることってわけね」

 デッドプールが、幼い子どもを撃った。
 その事実の重みが分かる人間はきっと、この場には居ない。
 恐らく神戸あさひですらも、正確にはその重さを理解し得ないだろう。

「――――ッ!!」
「おっと、ストップだ。お前らちゃんと止めとけよ、俺ちゃんからのマジなお願い」

 こればかりは、理屈ではないのだろう。
 しおを殺して聖杯を手に入れると、確かにあさひはそう覚悟を決めた。
 だが……目の前で最愛の妹が撃たれ、悶え苦しんでいる姿を前にして平静を保てるほど彼は大人ではなかった。
 そう、大人ではないのだ。だからそれは当然の反応。何もおかしくなどない。むしろ、その反応を堪えられる方が異常なのだ。
 そして、その点。もしもこの構図が逆だったなら。
 撃たれたのがあさひで、それを見ているのがしおだったなら。
 ――果たして彼女は、同じ反応をしただろうか?

「ちやほやされてよ、勘違いしちまったんだろ」

 デッドプールは、蹲る彼女に声をかける。
 今の一瞬で、いやこの瞬間になっても尚。
 彼は、神戸しおを問題なく射殺出来る状態にあった。
 手ではなく頭を撃っていれば、しおは間違いなく死んでいた。
 なのにわざわざ手を撃つに留めたのには、もちろん相応しいだけの理由がある。
 もっとも――結局は、不合理の賜物なのだったが。

「お前はただのガキなのに、周りの皆がお前のことをちやほやする。
 やれ天使だ、太陽だ、月だってな。どんな碌でもない奴に影響受けたんだか知らねえが、この世界でもそうだったんだよな」
「……ぁ、っ……!」
「"たまたま"誘拐されて、ンでそいつに心許して。
 御大層なラブストーリーだけどな、お前のそれはれっきとした精神病だよ。
 大人の世界じゃストックホルム症候群って呼ばれててなあ、古今東西の創作物で引っ張りだこさ」

 神戸しおを殺す。
 あさひのために、その妹を殺す。
 デッドプールは今更温情で手を鈍らせたりなどしない。

 だが――ただ殺すだけでは、駄目だと確信してもいた。
 それではあさひは闇を背負う。
 たとえそれが自分の手による殺人でなくとも、肉親が夢を砕かれ無念のままに死んでいく光景は彼の精神をひどく蝕むだろう。
 当然の痛みと切り捨てるのは簡単だ。確かにそれは正論だろう、デッドプールも理解は出来る。
 にも関わらず敢えて、余分を是とした理由は……その"余分"が、神戸あさひのためだけではないからだった。

「なあ、神戸しお。お前は、本当にそんなに特別な女の子なのか?」

 しおは、最初から悪だったわけではない。
 もしかしたら、そうなる素養は何処かにあったのかもしれないが。
 それを喚起したのは、間違いなく周りだ。
 松坂さとうであり、この世界で彼女と出会った"彼ら"であり――もしかしたら、神戸あさひもそうなのかもしれない。

 デッドプールは、しおを殺すと決めた時から。
 あさひの分の咎を背負うと決めた時から、既に考えていた。
 神戸しおという、自分の運命に翻弄され続けた哀れな少女。
 それを、不運にも"善し"と思うことが出来てしまった子どもに。
 せめて幸いな死を与えることは出来ないのか、と。
 あさひと、しお。兄妹としてこの世に産まれたふたりが、少しでも同等に救われる方法。

 デッドプールに考えついたのは、一つだけだった。
 神戸しおの"憑き物"を――全て落とす。


「違う。お前は、悪の親玉に見初められるような"器"でもなけりゃ――真実の愛だなんて胡散臭いものに目覚めた解脱者でもない。
 ただの、巡り合わせが悪かっただけの……誰より純粋な、一人のガキだろ?」


 しおの身体と、精神を穢していた全て。
 彼女が祝福だと信じてしまった呪いの全て。
 それを、此処で祓う。引き剥がして踏み躙って、無理やりにでも訣別させる。
 身の程を思い知らせて、漂白する。
 その上で――せめて少しでも、あさひの妹だった頃に戻してから。
 化物ではなく人として、殺す。それが、デッドプールの辿り着いた結論だった。

「――ちがうよ。わたしは……」
「いいや、違わない。"本物"ならさ、そもそも馬鹿正直に反応なんてしないもんなんだよ」

 頼む。
 もうそろそろ、起きてくれ。
 それが、デッドプールの思うことだった。
 神戸しおは酔っている。酔わされている。
 悪い人間に、夢を見せられて――狂った気になっているだけだと。
 そう思うからこそ、デッドプールはただただ目覚めを願うのだ。

「お前は"さとちゃん"となんて、会わなきゃ良かったのさ。
 そうすればお前は、悲しくても辛くても寂しくても、きっと家族と二人三脚で大人になれた」
「……さとちゃんのこと、悪く言わないで」
「そんな風には、ならなかったんだよ」

 その時、響いたのは一発の銃声だった。
 神戸あさひを明確に狙った、銃撃。
 しかしそれを、デッドプールは顔すら向けずに対応する。
 億劫そうに拳銃を抜き、一発撃ってビリヤード宛らに弾丸へ弾丸を当てるだけだ。
 それだけで、当人からすれば捨て身の想いでのそれだったろう横槍を無為に帰した。

「役者じゃねえんだ、黙って見てろよアイドルちゃん。
 最後に勝つのは自分ですみたいなツラして、競争相手に情でも湧いたか?」
「……ッ」

 更に一発、射撃。
 それは、横槍を入れた張本人……星野アイの腹に命中する。
 しかしその傷は致命傷になるどころか、すぐさま癒えて見えなくなった。
 見ればアイの目元には、"服用者"独特の紋様が浮かび上がっている。
 そういうことね、とデッドプールは白けたように肩を竦めたが。
 そんな彼に対してアイは、口元から垂れた血を拭いながら言った。

「別に……そういうわけじゃないよ。今更そんな、"まとも"なこと考えるわけないでしょ」
「だろうな。年下のガキ相手に、必死になってデマ広めて潰しにかかった女にしちゃ殊勝すぎるか」
「そゆこと。で、目的はちゃんと達成。クールでしょ。
 ――あーあ、お腹いったあ……。子どもに言うのも何だけど、貸し一つだからね」

 デッドプールから見た場合の星野アイは、とにかくいけ好かない女だった。
 画面の中では輝くような笑顔で踊ってファンサして、けれど実際は自分のためなら誰であれ平気で蹴落とす合理主義者。
 しかし、だ。アイがしたたかで、場合によっては幾らでも非常になれる人間だというその認識は正しいが。
 だからこそ、星野アイは"ここぞ"という状況で無駄なことなど決してしない。
 一見すると無謀か、情に絆されたかと思えるような突然の愚行も――もちろんちゃんと意味がある。

「……しおちゃん」 

 ぶうん、と音がした。
 瞬間的に反応して、デッドプールはしおに向けて再度の発砲をする。
 まだ殺す気はない。彼女の"憑き物"は、まだ落ちていないから。
 右肩を撃ち抜かれたしおは大きく仰け反って、地面に仰向けに倒れ込んだが。
 その目元には――アイと同じ、紋様が浮かび上がっていた。

「……いたいね。すごく、いたい――泣いちゃいそうなくらい、いたい。
 らいだーくんも、ごくどーのおじさんも……こういう思いをしながら、戦ってたんだね」
「……ヘルズ・クーポンか。何処の誰だか知らねえが、つくづくけったいなもん作ってくれたもんだ」


 アイも、しおも。
 彼女達のみに限らず、敵連合の構成員は全員……殺島飛露鬼から"地獄への回数券"を配給されていた。
 麻薬はアイの魔力によって生み出されるものであったが、一枚一枚の生産に必要な魔力は極小だ。
 大量生産ならぬ大量生成を行ってもアイの魔力プールがそこまで大きく揺さぶられることはなく、結果的に連合の自己防衛力は底上げされた。
 しおが蹲り地に伏せる体勢を取り続けていたのは、いざという時にデッドプールに気取られることなくクーポンを服用するためだった。
 とはいえ相手はデッドプール。意識の集中している状態では、なかなか隙など見せてはくれない。

 ――その苦境を悟り行動したのが、アイだった。
 それは功を奏し、しおは一瞬の隙を突いてクーポンを服用。
 経口摂取の紙麻薬というお手軽さのおかげで、一秒にも満たない間に彼女は"超人化"を果たし。
 肩を撃ち抜かれながらも、半ば強引に腕を伸ばして、スターターロープを引いた。

 そうして鳴り響いた、"ぶうん"の音。
 デッドプールは嘆息をする。
 出来るなら、これ以上はやりたくなかった。
 そう言いたげな、心胆の底からの溜息だった。

「……ねえ、らいだーくん。らいだーくんは私のこと、どう思う?」
「起きがけに何だよ、改まりやがって」

 デンジが、立ち上がる。
 彼は不死身だ。デッドプールとは違い、蘇生のプロセスにひと手間必要になる"格下"だが。
 それでもロープが引かれた以上は、彼は起き上がる。
 コキコキと首を鳴らしながら立ち上がるその目は、自分を殺してくれたデッドプールに向けられていたが。
 その意識は――いつになく静かな声色で問いかけてきた、しおの方へと向いていて。

「私って、どんな子に見える?」

 その問いに対して、デンジが持つ答えは一つだった。
 それだけは最初から今に至るまで、ずっと。ただの一度として変わっていない。
 神戸しおはイカれている。こいつはおかしい。恋は盲目を地で行くヤバい女だ。

 だから魔王の器は、彼女を指していずれ雌雄を決する相手と見做した。
 器を導く悪の大蜘蛛は、彼女を指して魔王に並び得る器と絶賛した。
 誰もに愛された偶像は異常性を嗅ぎ取り、彼女の知人である異常な女さえしおのことを特別視しているようだった。

 けれど――デンジは、周りのそんな認識にずっと心の中で疑問符を浮かべてきた。
 一ヶ月を共に過ごし、なんだかんだで本戦まで続く仲になった相手。神戸しお。
 狭い部屋で共に起き、飯を食べ。ゲームをし、テレビを見、話を聞き、あるいはこっちが話をし。
 そうして過ごしてきた、彼女のことを。デンジはずっと、こう思っていた。

「ただのガキだろ」

 そしてそれは、今も変わらない。

「そっか――そうだよね」

 その言葉を聞いたしおは、反発でも驚愕でもなく、納得していた。
 デンジはもう振り返らない。
 「よくも俺を殺しやがったなア~~! 百万回ブッ殺してやるぜ~~!!」と叫びながらデッドプールに突撃している。
 その背中を見送りながら、しおは思い出していた。

 誰も彼もに特別だと、抜きん出た存在だと言われ。
 必然そういう風に"適合(かわ)"ってきた少女は、今。
 この世界に来て初めて、他の誰でもない、自分自身と向き合う。


◆◆


 とむらくんは、どんな子だったの?


 出撃の前に。
 窓際に佇む彼に、とてとてと小さな歩幅で近付いて。
 神戸しおは、そう質問をした。
 既にモリアーティや他の面々は出撃への準備を始めており。
 デンジは相変わらず、宛ら最後の晩餐とばかりに高そうな菓子パンや惣菜パンを詰め込んでハムスターみたいな顔をしている中。
 しおは、"もしかしたらこれが最後になるかも"という思いから、かねてから聞きたかったことを質問したのだった。

 死柄木弔。
 彼の存在は、しおにとって大きな指標だった。
 初めて出会った、自分以外のマスターで。
 そしてあの"崩壊"の時には――初めて、しおに"現実"の一端を感じさせた存在でもあった。

 見果てぬ彼方まで広がる、破壊の後。崩壊の景色。
 それを見た時、しおはほんの一瞬でこそあったものの、確かに思ってしまった。
 "らいだーくんには、こんなこと出来ないな"と。

 デッドプールの指摘は、きっと間違いではない。
 神戸しおは幼児的全能感の賜物だ。
 松坂さとうとの死別で覚醒し、この世界に来てからも更に育まれた異常性。
 けれどそれはあくまで後天的に獲得したものであって、本当の彼女はあくまで感受性が強いだけのただの子どもであると。
 そう認識することは決して間違いではないだろう。
 そして、しお自身。死柄木弔がもたらしたあの"崩壊"を目にした時には――ほんの僅かであれど、"現実"に気が付いていた。


 ――クソガキだったよ。自分を否定する家族を全員、欠片も残さずブッ殺すくらいにはな。


 そんな彼女だからこそ、その言葉を聞いた時に抱いたのはある種の実感だった。

 ――私は、とむらくんにはなれない。
 だって始まりから違いすぎる。結果はどうあれ愛を受けて育った自分と、拒まれて育った彼とでは。
 そう思うと同時に、彼女はとある命題へと直面する。

 ――さとちゃんには、なれるかな。
 捨てられ、行き場もなく、泣くしか出来なかったしお。
 それを攫ってくれた、掬って/救ってくれたあの人。
 しおのすべて。しおが帰りたいと願う、たった一つの日常。


 この世界に来てから、しおは本戦になるまで全てをデンジに委ねていた。
 そして本戦へ到達し、死柄木弔と彼を育てる蜘蛛、ジェームズ・モリアーティに出会った。 
 彼女が目指す理想像は松坂さとうだが。この聖杯戦争を勝つために、見据える相手は死柄木弔だった。
 弔はきっと聖杯戦争を制する。彼は、全てを壊すというその目的を果たす。
 最後の最後は自分と彼――"とむらくん"になるだろうから、という思考故の認識。

 でもそれは、あまりに甘すぎたのだと。
 今この時。デッドプールという"壁"との対面で、しおはようやく理解した。



「――お兄ちゃん」



 デンジと、デッドプール。
 ヒーローと、ヒーロー。
 二人の型破りが激突する中で、しおが呼んだのは兄であるあさひのことだった。
 デンジが止まる。デッドプールも、止まる。
 そんなことにはお構いなしで、しおはあさひのことを見つめていた。
 さっきは溜息一つで切り捨てた兄のことを、今のしおは確かに"必要と"していて。

「お兄ちゃんは、なんで私に……えーと……"しゅうちゃく"するの?」

 けれど、彼女は子どもだから。
 恥だとかなんだとか、そんな無駄なしがらみはそもそも認識すらしない。
 必要だと、そう思ったから。
 だから一度は拒んだ兄に、言葉をかける。
 そして神戸あさひには、その言葉を拒むという選択肢はなかった。
 どれだけ覚悟を固めても、現実を知っても――彼という少年は、あまりに優しすぎたから。

「……なんで、じゃない。当たり前のことだろ」

 あさひは、どんな姿になっても。
 殺すと決めても、覚悟を固めても、妹の言葉を拒めない。
 妹が自分を求めてくるのなら、どうしたって応えてしまう。
 それは紛れもなく彼の素朴な善性で、美点で。
 聖杯戦争に臨む上ではどうしようもなく足を引いてくる、重荷だった。

「お前は……しおは、俺の大事な家族だ。
 俺はお前を乗り越えると決めた。でも、その認識は今だって変わってない。
 殺すと決めた人間が言うのは、おかしいことかもしれないけど――俺にとってお前は、今も変わらず大事な妹なんだよ」
「……私の"こころ"は、もうお兄ちゃんのところにはないのに?」
「……っ。それでも――だよ」

 血風が、散っている。
 デッドプールのものか、はたまたデンジのものか。
 それを確かめる余裕は、どちらにもなかった。
 あさひには、本当の意味でその余裕がなくて。
 しおは、デンジが頑張ってくれているのだからと意図的に確かめる行動を排していた。

「お前が、帰ってくると一言言ってくれれば……っ。
 俺は、全部投げ出してお前を抱きしめられるんだ。
 今までのこととか、そんなの……全部、どうだっていい!
 俺にとってお前は……俺と、母さんにとって! お前は――」
「……なら、さ。
 なんでお兄ちゃんは、さとちゃんをたたいたの?」

 ――しおは、覚えている。
 二人の"お城"を出て、遠い国でずっと一緒に暮らそうと。
 そう誓い夢見た未来を、他でもないあさひがその手で砕いた時のことを覚えている。
 今までは、別段彼に対してそのことを蒸し返すことはなかった。
 その理由は一つだ。永遠の愛を手にしたしおにとって、あさひは改めて興味を示すに値する存在ではなかったから。

 けれど。
 一つの限界と、身の丈を知らされたしおは……今になってあさひを、兄(かぞく)を求めた。
 知るために。自分という人間を、自分なりに理解するために。
 だからこそ湧いて出た感情。最愛の"彼女"とのハッピーシュガーライフを破壊した、神戸あさひという乱入者に対する詰問。

「今は、もうよくわからないけど――あの時の私にとって、お兄ちゃんたち"かぞく"はだいじなものだったのかもしれない。
 でも、さとちゃんだって私にとってだいじな人だったんだよ」
「ッ……あいつは――!」
「さとちゃんは、私においしいごはんを食べさせてくれた。
 おやつもおもちゃも、全部くれたし……私のことを、あいしてるって言ってくれたんだよ。
 お兄ちゃんは私のことがだいじなのに、どうして私のだいじな人のことは傷つけるの?」

 しおは確かに、幸せだったのだ。
 あの"お城"で過ごした時間は、幸せだった。
 だからこうして今も、あの頃の記憶を受け継いでそれを取り戻そうとしている。
 今度こそ、永遠に。誰にも穢されることのないハッピーシュガーライフを、と。
 なのにその幸せを、訳知り顔で貶して決めつけるあさひのことが――しおにはまず"分からない"。
 嫌悪とかそういう次元ですらない。それ以前の問題として、"分からない"のだ。

 自分が大事だと言った口で、自分を幸せにしてくれた人を否定する。
 それが分からないから、しおはあさひに答えを求めていた。

「……そんなの、当たり前だろ。
 どんな理由があれ、人の家族を奪っていいなんてことは――」

 答えかけて、そこで。
 あさひの脳裏に甦った言葉は、彼がこの世の誰より忌み嫌う女のものだった。


 ――私が最初にしおちゃんと会った時。あの子、どこでどうしてたと思う?


 なんで、お前が出てくる。
 あさひは苦い顔をする。振り払おうとする。
 けれど彼女の、"悪魔"の声は、まるで呪いのようにあさひに絡み付いていた。
 悪魔の、人殺しの戯言だと切り捨てればいいだけなのに。
 どういうわけか、それが出来ない。


 ――あなた達家族はどこまでも勝手。最初に手放したのは、捨てたのはあなた達の方なのに。


 その理由は、さっぱり分からない。
 つい先程までのあさひなら、間違いなくそうだったろう。
 あの女は狂っている。あの女のせいで、俺達の全てが狂った。
 その認識は、今でも間違ったものだとは思っていないが。
 それでも、今。声が届くぎりぎりの距離で、自分に向けて言葉を発するしおの姿を見ていると――ああ、と思った。
 そういうことか、と。ただの敵だと、犯罪者だと切り捨てられる相手の言葉があれほどまでに心へ深く突き刺さった理由。


 ――お兄ちゃんなんだったら、もう少ししおちゃんのことも考えてあげたら?


 それが、何となく。
 本当に何となくだけれど――分かった気がしたから。


「……、……いや。違う、な」

 あさひが絞り出したその言葉に。
 しおの眉が、ぴくりと動いた。
 狂気のその底にあった、"神戸しお"としての言葉。
 幼い彼女が確かに愛した女、松坂さとう。神戸あさひにとっての"悪魔"。
 あさひは未だにさとうのことを許せないし、許す気もない。
 だが。

「――しお。松坂さとうのことが、今でもそんなに好きなのか」
「すきだよ。この世界で、一番……だいすき」
「……そっか」

 だから、近付けないのだろうと。
 あさひは、しおの目を見て、言葉を聞いて、そう思った。
 自分達家族からしおを奪った悪魔。その行いは絶対に間違っていると、そう断言できるが。
 だとしても、だ。本当に見たくない、認めたくない事実だが――見ざるを、認めざるを得ない事実が一つだけある。

「幸せだったんだな、しおは」

 ――それは。
 しおは、幸せだったということ。
 それが間違っていたとしても、神戸家の人間にとっては許されざる形のものだったとしても。
 神戸しおは確かに幸せだった。
 あの悪魔の家で暮らした時間は、しおにとって他の何にも代えられないほど満たされたものだった。
 そして。そして、それは。

 ――自分と、母さんには……決して与えてやることの出来なかったものであるということ。

「うん。幸せだったよ、とっても」

 しおは当然、即答する。
 その答えが全てを物語っていた。
 ストックホルム症候群、誘拐犯と非誘拐児童の間に発生する精神構造の揺れ動きと切り捨てるのは確かに簡単で安易だが。
 それにだとて限度がある。一過性の熱病じみた愛情は、人に命までもを懸けさせることは出来ない。
 神戸しおは松坂さとうを愛している。そこには嘘も偽りも、この世のどんな法則でも語ることの出来ない"無二"がある。

 だからこそしおは、今も戦っているのだ。
 普通なら、この歳の児童が受ければ全てを投げ出してもおかしくないほどの苦痛を受けても。
 それでも、と。まだだよ、と。
 あがき続けているのだ。そしてその姿は、嫌でもあさひに理解させてくる。
 彼にとって、本当に。――本当に認めたくなかった、とある事実を。


「…………そんなに。
 そんなに――"さとちゃん"が、好きなんだな」
「――うんっ。ほんとに、だいすきなの」


 ……、
 …………、
 ………………此処まで。

 此処まで言われては、もう、仕方ない。
 それは神戸あさひにとって、明確な"挫折"で。
 そして、今までずっと脱ぐことの出来ない皮を一枚脱ぎ捨てた"成長"だった。
 あさひにとって一番認められなかったのは、自分達家族の元を去っていったしおではない。
 あの"悪魔"に染められ、穢れてしまったしおだったのだから。

 今、あさひの視線の先で微笑むしおの瞳はあの病室で見たそれのままで。
 だけど、そこに載る想いの真摯さと笑顔に宿る朗らかさは紛れもなく――彼女自身のそれであると、"兄"として理解出来てしまった。
 だからこれは、あさひの敗北。
 結局神戸あさひは、神戸家は、"家族"は――。一人の"悪魔"に勝てなかった。

「なら。……多分、俺も間違えたんだ」

 今でも覚えている。
 燃え盛る建物の中で、"あの人"を殺した悪魔に振り下ろしたバットの感触を。
 それを間違いだとは今でも思っていない。
 あの時、あの場所で、"あの人"を殺したあいつを殺そうとしたのが間違いだなんて思うわけもない。

 だけど――だけど。もしも、その前だったなら?
 その考えが頭を過ぎるのは、かつての神戸あさひにとってはあり得ざることで。
 決定的に断絶していた、否、現在進行形で断絶"している"神戸兄妹だったが。
 これが此処に来ての対面、そして言葉のぶつけ合いが生んだ結果であることだけは疑いようなく確かであった。

「もっと別な道があったかもしれなかった。
 そしたら、お前だって……」
「……そうだね。もしかしたら、私も――お兄ちゃんのこと、大事に思えてたかもしれない」
「――、やっぱり……もう、駄目か? 俺達家族のことは、振り返ってくれないのか」
「うん」

 あの時、神戸しおを拾ったのが警察だったなら。あるいは善意の一般人だったなら。
 しおとあさひの母は育児放棄の責任を取らされ、あさひとしおは結局引き離されていただろう。
 それならまだいい。邪な願望を持つ人間がしおを拾っていたならば最悪、彼女が生きて明日を迎えることすらなかったかもしれない。
 あの時。あの場所で、神戸しおを一番幸せに出来る人間は――松坂さとうを除いて他には居なかった。
 それは神戸あさひ、神戸しおの家族として無視することの出来ないひとつの現実で。
 事此処に至ってようやく、あさひはそれを"視る"ことが、出来たのだったが。

「もう、だめだよ。私はもう――お兄ちゃんとお母さんのところには、かえれないや」
「……そっか。ごめんな」
「あやまらないで。私は、後悔なんてしてないから」
「いや、謝らせてくれ。これは……こればっかりは、やっぱり"俺達"の責任だからさ」

 もう、何もかも遅かった。
 彼も、彼女も、他の誰も彼もが間に合わなかった。
 ハッピーシュガーライフの破綻。小鳥の末路、燃え盛るお城。
 すべてが揃ってしまった未来の今では、取り返しは既につかない。
 あさひの手は、しおには届かず。
 しおの足は、二度と踵を返さない。
 二人の、兄と妹の断絶は此処に来て改めて決定的なものとなり――それでいて二人ともが、一歩だけ前に進んだ。

 だからこそ。

「話は済んだかよ、あさひ」
「ああ。……色々と、噛み締めたいことはあるけどさ。
 だけど、もう大丈夫だ。俺は――もう、大丈夫だ」

「痴話喧嘩の聞き手役は引退させてくれって何度も言っただろうがよ、聞かされるこっちはクソ気まずいんだからな」
「ごめんね、らいだーくん。
 らいだーくんの言うこと、もっと早く聞いてればよかったや」

 ――その結末は、至るべき場所は揺るがすことなく。
 そこに至るまでの速度と熱意だけを、加速させていく。

「頼む――デッドプール。俺を……勝たせてくれ」
「でもね――おねがい、らいだーくん。私を、お兄ちゃんに勝たせて」

 家族が手を取り合うことはなく。
 けれど彼らは、少しだけ互いのことを理解した。
 それは、二人で並んだ未来には繋がらないけれど。
 確かに、停滞を崩すものではあって。
 そしてそれに応えるのは、彼が、彼女が――信頼し、全てを任せたサーヴァント。

「あいよ。大船乗ったつもりで任せとけ」
「言われるまでもねえんだよこっちは。この先輩ヅラ野郎はよ~……百万回! ブッ殺~す!!」

 騎馬の猛り狂う音をBGMにして、戦況は深まっていく。
 確かな崩壊の足音が、焦土の街へ静かに響いていた。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年12月02日 16:16