憲法の人権条項は教育に関して、他にどのような関連しているだろうか。簡単に見ておこう。まず、関連すると思われる人権条項をあげておく。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、[[全体の奉仕者]]であつて、一部の奉仕者ではない。
○3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
第二十三条 学問の自由は、これを保障する。
「子どもの権利条約」で最も論争の対象となったのは、意見表明権の条項であった。子どもが意見を表明することに、日本政府は抵抗を示し、その保障のための十分な制度的保障を現在でも行っているとは言い難い。ヨーロッパの学校では、学校評議会が教師や親、生徒の意見を聴取し、それを運営に反映させていくためのものであるが、日本ではそうした学校評議会は法的に構想されていない。子どもはまだ未熟だから意見を表明する権利はないのだというのが、その根拠となっている。
しかし、まだ未熟であったとしても、あるいは未熟であるが故に意見を表明する機会を与えられる必要があるとも言える。日本の学生は自分の意見をもち、人の前で表明することが苦手であるとされるし、また、生活条件に不十分なところがあっても、それを改善するための提案などをすることが弱いと言われているが、それは学校において主体的な存在として認められず、意見を正当に取り扱われていないということの現れでもある。12条の「不断の努力によって」という内容は、将来を担う子どもにそうした努力をする力量を身につけさせる必要をも求めていると考えられる。
13条は近年教育の現場で非常に多くの関わりをもっている条項である。13条を根拠として様々な権利が導かれている。一例だけをあげておこう。
13条は幸福追求権と言われているが、重要なコロラリーとして「自己決定権」があるとされる。自分の人生については、他人の権利を侵害しない限り自分で決める権利があるとする内容で、教育についても重要な意味をもつ。特に中心的には自分の進路、進学先や就職先、あるいは進学するか就職するのかなどの進路に関わる自己決定権は最大限尊重される必要がある。その際重要になるのが進路決定の資料となる情報へのアクセス権である。特に受験の場合に提出される「調査書(内申書)」の開示について、複数の訴訟で争われてきた。判決は情報開示を認めるものと否定するものとに分かれているが、社会の趨勢として、特に問題のある部分を除いて、本人に開示すべきものであるとする認識が定着しつつある。
14条は極めて重要な条項である。本学も昨年度14条に関わって大きな出来事があった。
14条はすでに述べた「能力に応じて」という部分と微妙な関係にあるが、現時点では能力による差別的な扱いはそれ自体としては社会的に批判されるべき差別とは考えられていない。現在で大きな問題となるのは、障害をもっている場合や健康であろう。
15条は教育基本法の6条に関係する規定であり、これは後で触れる。
17条は教育においては、主に学校事故の損害に対する救済として意味があった。しかし、今ではこれに加えて様々なハラスメントに関わる原則として意味がある。学校事故及び懲戒の章で詳しく触れることになるだろう。
19条・20条は「思想信条の自由」に関わる条項である。これは公教育の基本に関わる重要な規定であると言える。実際に20条は教育基本法の9条としても関連条項をもっているが、規定の仕方は両者は異なっている。
教師と生徒にとって、多少「思想信条の自由」が意味するところは異なっていると考えられる。
教師は成人して、参政権をもっている存在であるから、当然個人としての思想や信条をもっているし、政治的な考え方ももっている。それを侵すことはできないのである。しかし、教師は成人でない子どもを相手にしているのであるから、自分自身の信条を子どもに対して表明することについては、ある程度の慎重さが必要であり、したがって制限もやむを得ないと考えられている。「
現代学校教育論」で扱った増田都子氏の実践は、この点に関わる問題をもっていた。また、伝習官訴訟などは直接教師の思想とその教育との関係が扱われたものである。
他方、生徒の場合はどうだろうか。これは「内申書訴訟」の事例がある。政治活動に参加して卒業式ボイコット運動などをしていた中学生が、内申書にその旨を記載され、ほとんどの学校の入学試験で不合格になったものである。現在では高校生までの生徒は、政治活動を制限されている。そのこと自体が妥当であるかは問題となるだろうが、それを学校側がどのように扱うかは、別の検討が必要である。
いずれにせよ、教師についてもまた生徒についても、基本的人権は厳格に守られなければならないのであって、それが形骸化することは、教育に関わる人の責任であるとともに、また、教育自体を貧しくしてしまうものであり、それは社会そのものを貧しくしてしまうことになる。したがって、教師になろうとする者は、憲法の基本的人権の条項は、単なる文章としてではなく、生きたルールとして学ぶ必要がある。
最終更新:2008年07月22日 21:43