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 先に見たように、教育改革国民会議の提言と平行して、地方では教師への評価を取り入れようとしている動きが出てきている。鳥取県の事例を見てみよう。

21世紀鳥取県教育への提言概要
■教員の適職性の定期的な評価■
○  教師の定期的な面接試験や生徒からの信頼度調査を取り入れること。
○  教員としての適格性を欠き、教壇に立つことが好ましくない教員について、研修による改善がみられない場合は、学校現場に帰さないこと。
○  通学区域の弾力化(校区の廃止)により、魅力のない学校や先生を淘汰すること。
○  新採用から5年経った者について企業研修・大学でのリフレッシュ研修を実施し、年齢が35歳で再雇用制度を実施すること。
○  校長による勤務評定のみならず、保護者・生徒による評価をもとに昇給を決定するなど、賃金に格差を設けること。*29)http://www1.pref.tottori.jp/kyouiku/vison/teigenmatome.htm\#優秀な教員の確保と資質向上

 ここには「適性でない教師」の排除の方法がいくつも提起されている。
 研修、学校選択、再雇用制度、そして「評価」である。
 ただ、注目すべきなのは、「校長」による評価だけではなく、保護者や生徒による評価をもとにするとしていることである。これは実際に行うことは極めて難しいが、政策としても新しい考え方である。教師の評価は、まず「勤務評定」として、戦後日本では始まった。文部省と日教組の対立は、この「勤務評定」問題が最も大きな要因となっている。
 きっかけは、地方財政の再建のために、教師の給与を減らすために、賃銀カットをするための人を決めるために導入したことである。この間の事情は、石川達三『人間の壁』に描かれている。
 その後、極めて激しい政治的対立を経て、現在では、勤務評定が実施されているが、実質的な「評価」とは、ほど遠いものであることが多いと言われている。(県によって、大きな差がある。)
 ただ近年東京都が教師の評価を実施するようになり、その動向が注目される。
 教育界では教師の評価は、困難であるという「コンセンサス」のようなものがあるが、困難であることは事実として、必要ないという意見は教育界以外の世界ではむしろ少数であろう。特に、教師の質が問題にされている現在では、教師の評価がなされていないことに、多くの不満が蓄積している。
 教師評価の困難さは、教師の仕事の結果が明瞭には現れないことによる。
 生徒たちの成績そのものを評価するのか。それならば、もともと成績のよい生徒が集まっているクラスの担当者は有利になる。学習意欲の低い、学力もかけている生徒の担当者は教師としての高い評価を得ることは不可能であろう。
 では、生徒の成績の向上値を評価するのだろうか。しかしこの場合は前の事例とは逆になるかも知れない。もともと成績のよい生徒を受け持った場合には、成績向上の余地はあまりない。
 では、もともとのクラスを成績を平均的に揃えておくのがいいのだろうか。この場合に、学習効率の問題が生じるであろうし、また、成績で揃えても生活態度の問題を抱えた生徒がいた場合などの影響を無視することはできない。クラスの運営の評価にしても、単に静かで秩序が保たれていることが好ましいとも言えない。このように教師の評価は非常に難しいことは否定できない。
 教師評価には非常に異なったいくつかのパターンがある。
 第一は教師に限らず通常の職業評価の場合と同様、上司が部下の仕事ぶりを日常的に観察して評価するものである。前述した「勤務評定」も校長が評価するものであった。しかしこれには難点がある。教師は教室で生徒を相手にしているのであるが、校長はその仕事ぶりをそれほど把握しているわけではない。また、上記の困難さを校長が日常的に見れば把握できるものでもない。そして、上司の主観で左右される危惧がある。
 第二は、生徒や学生の評価に基づく形態である。アメリカの大学では通常学生の授業評価アンケートがなされ、その結果が昇給や昇格に影響を与える。大学の教師の場合には、研究者としての評価が付加されるので、論文などの評価もなされる。大学以外では、サドベリバレイ校では生徒が年度末に各教師について評価を行い、それによって、次年度の採用が決まる。
 第三は、学校選択制度そのものが評価となっている場合である。予備校の講師の評価もこれに近い。つまり、評価の高い学校には生徒がたくさん集まるから、生徒数によって予算等を差別化することが、評価によって待遇を決めることになるシステムである。アメリカで提起されているバウチャー制度やオランダの学校選択制度はこれに相当する。
最終更新:2008年08月04日 21:25