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 入学者の選抜は、おそらく世界中で常に悩んでいることではないだろうか。日本のように「受験地獄」の解消を模索する国もあれば、また、入学試験というシステムをもたないオランダでは、こんなことでは優秀な労働者が育たないという財界の苛立ちもある。
 社会に分業が存在すれば、人材をなんらかの手段で選抜、配置しなければならない。また、個人もまた自分の人生選択として、社会的分業の中に自分を位置つけなければならない。
 入学試験は、青年期までの学校を舞台とした選抜と選択の接点となる営為である。分業の配置と個々人の意志とが、調和しない限り、入学試験制度は、常に問題を抱えることになる。まして現代社会のように、変化の著しい時代ではその矛盾は顕著である。
 日本ではこれまで受験競争が激しく、「たった一日」の試験のために青春を受験勉強に費やすことの弊害が指摘されてきた。しかし、最近の調査では、日本の生徒は決して勉強時間が多い方ではなく、むしろ教育の盛んな国の中では勉強時間の少ない方に属しているとされている。これは大学教師としての実感ともあっている。既に200近い大学に対して、受験すれば必ず合格する「F大学」なるランクが与えられ、数年後には大学全体の定員が、希望者の数とほぼ一致し、大学を問わない限り、「全入」時代を迎える。
 したがって、日本の入試をめぐる問題は、これまでとは大きく変化しているのである。「ここは試験に出るぞ」という学習に対する動機付けはもはや意味をなさない。高校までの教育活動の根本的な見直しも必要となるだろう。
 簡単に見て来たように、競争試験としての学力試験を入学選抜に課す国は、欧米では極めて少ないことがわかった。ほとんどは資格試験であるが、アメリカのように基礎的な学力のみ試し、高校の成績と活動歴等を総合的に見る国と、高校教育のそう仕上げとして、極めて難しい試験を課すドイツ型がある。
 ふたつのタイプは多様な高校からの入学を可能にするか、あるいは大学入学を前提とする高校を特定していくかという、社会的な高校教育の位置づけの相違が根底にある。この点でも、日本は多様な高校類型がありながら、接続上の資格は同等になっており、これが競争試験が要請される原因でもある。
 日本が競争試験とならざるをえないもう一つの理由は、「定員」が厳格に決まっていることである。アメリカの州立大学やドイツ、フランス、オランダ型の国は、大学の定員が厳格には決まっていない。後者では、施設等の関係で選考が行われるとしても、大学への入学は確保され、基本的に大学間格差はあまり意識されない。
 しかし、近年のドイツの大学進学率の飛躍的な高まりで、授業料徴収や施設の不足等で大きなトラブルが起こったことでわかるように、ドイツ型の大学も大きな曲がり角に差しかかっていることは否定できない。また、アメリカでは、入学は容易でも卒業は極めて厳しく、入学時のストレスが低くても、大学生活ではアメリカの学生のストレスは日本よりずっと強い。「入学を易しく、卒業を厳しく」という改革案が政策的に出されることがあるが、私立大学の財政的あり方、また、文部省による定員管理の厳しさがある以上、それは実現がほとんど不可能である。したがって競争試験による入学選抜を厳格にせざるをえなくなっている。
 次に日本の入試問題が「考える要素」を欠落させるのは、大量の受験生を集めなければならないという私立大学の財政的要因がある。
 SATの受験料は、SATIが二四ドル。SATⅡが、作文11ドル、語学テスト8ドル、他の教科1科目6ドルで基本料金13ドルが加算される。すべて受験すると、学科5科目受験したとして、86ドル。一万円にも満たない。もちろん、高校卒業試験が入学試験となっている国では、受験のための特別の費用はほとんどかからない。
 日本では受験料だけで吸う大学受験すると20万円近くかかり、交通費宿泊代まで含めた受験費用だけで大きな負担となっている。
 日本の私立大学は受験料収入に大きく依存しているが、それは入試の問題内容に大きく影響を与えている。受験生を大量に集めなければならないために、受験科目を少なくし、大量の受験生の答案を短時間に処理するために、コンピュータ処理可能な選択式の問題になっていることである。
 これらは日本では教員のみが入試問題の作成・採点・決定等に係わることも影響している。SATⅡの作文の採点に高校教師が参加することに見られるように、欧米では高校教師が深く入学選考に関与している。そして、大学側の入学者選考は、専門のスタッフが行う。
 最近日本でも、AO(Admission Office)入試が話題になっているが、学力入試等によらない入試という意味で使用されることが多いが、欧米では入学選考を行うのがAOであり、大学の教員が選考過程に関与することはまずない。逆にいうと、日本の教員は入学試験という極めてデリケートな作業を強いられ、重い負担を負っている。このことが教育・研究活動に阻害要因になっている。
 大学に進学する際に必要な能力に関するメッセージを明確に示すような問題を作成すること、そしてそれを可能にするような財政的な条件を整えていくことが、「勉強しなくなった」高校生に対して、未来社会を担うに相応しい学習をさせるために必要なことである。
最終更新:2008年08月04日 21:40