ボランティアが人間の発達にとって意味するものは、明確であるように思われる。
そもそも、人が発達するのは、自分にとっての必要性を自覚した対象に、自発的に取り組むときであり、そのときもっとも大きな成果を期待できる。「好きこそものの上手なれ」という諺の通りである。
しかし、現実の「教育」は、強制されて行うことが多く、そのため、教育による発達も喜びではなく、むしろ苦痛になり、成果も小さいことが少なくない。ボランティアは強制されて行うものではなく、自分がやったそのこと自体に喜びを見いだすものであろう。
92年8月4日の朝日に次のような記事がある。
優しい人がボランティアするのでなく、しているうちに人は優しくなる
ようだ。
米英では、多くの医学部が合格の条件としてボランティア経験を重んじ
ている。経験者がこんなことを言った。「初めは受かりたい一心でホーム
レスのための奉仕を始めた。そのうちに、米国社会の抱えている問題に目
覚め、善意だけではこの人たちを救えないことを知った。医学部での勉強
では得られない貴重な経験だった」
ボランティア活動の普及に長く取り組んでいる福祉教育研究会は、機関
紙「わかるふくし」で「夏休みのボランティア、こんなアイデアはいかが
?」と提案している。
「老人ホームを訪ねるのではなく、老人をわが家に招待する」「老人た
ちがどんな事情で入所してきたかを調べ、家族と暮らすにはどういう方法
があるか考える」「お父さんは本職の腕を生かす。特技や趣味がなくても
運転免許があれば喜ばれる」
まず共感し、自主的に参加し、新しい発想でボランティアに取り組みた
い。
最終更新:2008年08月06日 00:27