週刊新潮 2008年1月24日号が盗作疑惑を報道
週刊新潮 2008年1月24日号(2008/01/17発売)が
「ベルばら『池田理代子』の聖徳太子マンガに『盗作疑惑』」
という記事を掲載。池田理代子プロダクションは週刊新潮の取材を拒否。
週刊新潮記事の引用
「ベルサイユのばら」で知られ、近年は声楽の世界でも活躍中の漫画家・池田理代子氏(60)にナンと盗作疑惑が持ち上がっている。聖徳太子を主人公にした他人の作品を批判、自ら決定版を描いたはずが、「それ、元の作品と似すぎだよ」と指摘されてしまったのだ。
コトの発端は昨年5月14日付、朝日新聞夕刊だった。
創作の題材や研究対象として聖徳太子に挑んだ人々を紹介した記事中、ずばり『聖徳太子』という漫画を世に問うた池田氏が登場。作品執筆の動機を明かした、こんなくだりがあったのだ。
<ある漫画家が、聖徳太子と蘇我毛人との「霊的恋愛」を描いた。「違和感を覚えました」>
すなわち、ある漫画家の作品コンセプトに納得がいかなかったことが、自身も筆を執るきっかけとなった、というわけである。
これに対して外野は、即座に、かつ敏感に反応した。
「池田さんが“違和感を覚えた”のは聖徳太子の霊的恋愛を描いたという一文からしても山岸凉子作『日出処の天子』以外にない。少女漫画の金字塔と評されるこの作品に異議を表明なさったとなれば、漫画通は黙っていません。“ならば池田作品はどこまで独自性があるんだよ”と粗探しされるハメになったのです」(ある漫画ファン)
結果、ほどなくネット上で両作品を比較検証するサイトが開かれ、年末にはとうとう「盗作」の烙印が押されることに。
「と言うのも、80~84年に雑誌で連載され、全7巻で白泉社から文庫化されている『日出処の天子』と、91年~94年にハードカバー版が出て、99年に中央公論新社から文庫化された『聖徳太子』の類似点は、そのサイトによれば42カ所にも上ったからなのです」(同)
指摘された類似点とは、例えば以下の通りだ。
- 聖徳太子の髪型が酷似。両作品とも髪を垂らし、耳元に花飾りをつけている。
- 聖徳太子が超能力を発揮するシーン。山岸版では矢、池田版では槍が飛んで来ると、側近の男が「王子!」(池田版では「皇子…!!」)と声を発し、聖徳太子が振り向く。と、その目から光が発せられ、矢(槍)が粉砕される。絵柄も近似。効果音も「バシ!」(山岸版)「バシ…ッ!」(池田版)とそっくり。
- ともに聖徳太子が突如、硬直する場面がある。その時の側近の台詞も「目もあいている。呼吸もなさっている。う、動かぬのだ。生きる屍のごとく」(山岸版)。「お目はしっかりと見開いておられるのですが」「びくとも動かれない」「魂のぬけがらのように」(池田版)
- 山岸版のラストシーン。聖徳太子が「わたしには見える」と言って、波打つ海原を隋へ向かって船が渡っていく光景を思い描く。池田版でも「わたしには見えるぞ」と言って、同様の連想をする場面が見られる。
なるほど。この調子では、池田氏もさぞ分が悪かろう。
にわかに飛び出した盗作騒動に、当の池田氏は、
「そのような取材には一切お答えできません」(池田理代子プロダクション)
と、事実上の頬かむり。山岸版を発行する白泉社も、
「申し上げることは何もありません。山岸先生も何もおっしゃっていません」
と答えるのみだった。
漫画に詳しいコラムニストの唐沢俊一氏は言う。
「私も『聖徳太子』を見た当初、こりゃ似てるぞ、と思いました。けれど、漫画の歴史は盗作、パクリの歴史でもありましてね。漫画を描く時には大量の情報が必要なので、あらゆるものからネタを引っ張ってくるのが当然。節操なく何でも取り入れる闇雲さで進化してきたのが漫画であり、漫画の魅力なのです。池田さんも嫉妬を隠し、違和感などと言ったから拙かった。オマージュ(敬意)と言っておけばよかったんですよ」
無論、それでパクリが正当化されはしないけれど。
週刊新潮 2008年1月24日号から引用。

添付ファイル