Lyrics > Pikse Palve

Pikse Palve 「雷への祈り」

詞/不詳
曲/In Extremo
言語/エストニア語(ヴォロ語)

歌詞

Võta, Pikken, härja anname palvus
Kate sarve kaan ning nelja sõra kaan

Pikse palve - Künni pärast, külvi pärast
Pikse palve - Õlje vast, terra kuld

Tõuka mujale musta pilve, suure soo
Kõrgen kõnnu, laja lane pääle

Pikse palve - Künni pärast, külvi pärast
Pikse palve - Õlje vast, terra kuld

Võta, Pikken, härja anname palvus
Kate sarve kaan ning nelja sõra kaan

Pikse palve - Künni pärast, külvi pärast
Pikse palve - Õlje vast, terra kuld

Tõuka mujale musta pilve, suure soo
Kõrgen kõnnu, laja lane pääle

Pikse palve - Künni pärast, külvi pärast
Pikse palve - Õlje vast, terra kuld

※付属の歌詞カードの歌詞には「õ」と「ö」の混同と見られる箇所が複数あったため、修正を加えました。

日本語訳

雷よ、我らが捧げし牛を納め給え
二つの角と四つの蹄を持つ牛を

雷への祈り ― 耕すために、種蒔くために
雷への祈り ― 赤銅色の藁と黄金色の穀物を

黒き雲を追い立て給え、広き沼地の上に
荒れたる丘と大きなる森の上に

雷への祈り ― 耕すために、種蒔くために
雷への祈り ― 赤銅色の藁と黄金色の穀物を

雷よ、我らが捧げし牛を納め給え
二つの角と四つの蹄を持つ牛を

雷への祈り ― 耕すために、種蒔くために
雷への祈り ― 赤銅色の藁と黄金色の穀物を

黒き雲を追い立て給え、広き沼地の上に
荒れたる丘と大きなる森の上に

雷への祈り ― 耕すために、種蒔くために
雷への祈り ― 赤銅色の藁と黄金色の穀物を

補足・解説

テキストの出典は、17世紀のエストニア南部で活動した牧師・著述家、ヨハン・グーツラフ(Johann Gutslaff, ? -1657)が1644年に著した『リヴォニアにおいて誤って神聖なものとされた川、ヴハンドゥ川についての簡単な報告と講義(Kurtzer Bericht und Unterricht von der Falsch-heilig genandten Bäche in Lieffland Wöhhanda)』です。この本にはエストニア南部のヴハンドゥ川(Võhandu)周辺地域における当時の民間信仰や風習が記述されており、当地の歴史を知る上で貴重な史料となっています。

この曲の元になった「雷への祈り」は、エストニア南部の村エラストヴェレ(Erastvere)にて、老農夫ヴィフトラ・ユルゲン(Vihtla Jürgen)から聞き取ったもので、当地で「雷の司祭」として知られた彼が、雷の神に生贄として牛を捧げる際に唱えたものです。後述する原典を見ると、祈りには少し続きがあるようなので、原文と訳を載せておきます。

Simase ilm, mesiõhk meile kündjale, külvajale.
Püha Pikken, hoia meie põldu, hüva õle annan, ning hüva pää otsan, ning hüva terri sisen.

我ら耕す者と種蒔く者に、豊穣の季節と甘露の雨を与え給え
聖なる雷よ、我らの畑を守り給え、下には良き藁を、上には良き穂を、そして中には良き実りを生まんために

なお、この祈りからは後に作曲家ヴェリョ・トルミス(Veljo Tormis)と詩人・脚本家のアイン・カーレップ(Ain Kaalep)の手によって1974年に合唱曲「Pikse litaania(雷への連祷)」が作られています。日本でも歌っている合唱団があります。

原典・出典



最終更新:2020年04月29日 01:08
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