学園都市
東京都西部を一気に開拓して作り上げられた科学都市。
230万人の人口を擁しながら、その8割は学生であり、内部も教育機関と研究機関、それに関わる施設によって占められている。独自の法律、独自の治安維持組織、独自の軍隊、通貨も日本円でありながら紙幣と硬貨は細部で異なっている。日本国内にありながら、日本からは確実に独立していると言っても過言ではないこの都市は、隔絶されていた。
交通は完全に遮断され、周囲が高さ5メートル・厚さ3メートルの壁で囲まれている上に街全体を9機の監視衛星が常に監視している。都市を囲む巨大な壁はまさしく空間の隔離であり、まるでその中だけ違う世界のように感じられる。外部とは20年以上も差を付けた科学技術を持つのだから、納得のいく警備体制ではある。
そんな学園都市の外壁にもゲートは存在する。陸路による物資輸送もあるからだ。ゲートということはそこは壁を突破する為の入り口であり、数多くの外敵がゲートを攻めてきた。そのため、ゲートの警備は厳重であり、今となっては「ゲートを突破しようなんて考えるのも馬鹿らしい」と言われるほどの絶対的な防御力を誇るようになった。
ゲートに設置された監視カメラの映像が大量の画面に映し出される警備室。そこで一人の若いガードマンがカメラの映像を眺めていた。ここの警備システムはほとんどが機械任せだ。しかし、ハッキングやクラッキングを受けた場合のことを想定して、ゲートを護れる程度の人間が常駐している。
「ふぁ~。暇だなぁ。」
椅子に座りながら大口を開けて欠伸する若いガードマン。今現在、警備室には彼一人しかいない。なぜなら、防御が鉄壁過ぎて誰もここから侵入しようと考えないからだ。それ故に正規の配送業者か酔っ払いぐらいしかゲートには近寄らない。監視カメラを眺めても延々と壁と床と動き回る警備ロボが映し出されるだけだ。
「おうおう。勤務中に欠伸とは、良い御身分だな。」
そう言って、無精ひげを生やした中年のガードマンが警備室に入って来た。両手には自動販売機で買ってきた缶コーヒーがある。おそらく、若いガードマンの分だろう。
彼に言われたことで若いガードマンは慌てて席から立ち上がり、「おっ、おはようございます。」と挨拶をする。
「まぁ、欠伸のことは気にするな。夜勤明けなんだろ?それにここは監視カメラの映像を眺めるだけの簡単なお仕事だからな。ちょっとぐらい居眠りしてもバレやしないさ。」
そう言って、中年のガードマンは笑って返した。
若いガードマンは「いや・・・居眠りはさすがにヤバいだろう。」と苦笑い。
「で?異常は無かったか?」
「大丈夫です。迷い込んできた酔っ払いが盛大にゲロをブチ撒けただけですよ。」
「はははっ。でも油断はするなよ。別のゲートじゃ9月の始め頃に変なゴスロリ女に突破されてるらしいからな。」
「ええっ!?」
ここが突破された事実に若いガードマンは驚いたが、そんな厳重な警備を突破した人間の格好がゴスロリなことに唖然とした。若いガードマンはゴスロリ姿の女が銃とナイフを持って、アクション映画の主人公のような戦いをする光景を思い浮かべる。
「監視カメラの映像とか残ってたら、映画化できそうですね。」
「それが映像記録は一つ残らず上の奴らに没収されちまってな。当時、現場にいた奴らも緘口令が出てるから、どんな方法で突破出来たか分からないんだよな。」
「そりゃあ、おかしいですね。同じ方法で別のゲートが突破されたら上はどう責任取るつもりなんですかねぇ?」
「さぁな。」
話し込んでいることに気が付き、若いガードマンは監視カメラの映像に目を向けた。
ゲートの入り口を映す監視カメラに一人の男が映し出されている。男は淡々とした足取りでゲートの中へと入って行く。時間帯や足取りからしても酔っ払いでは無く、完全に自らの意思でゲートを通ろうとしていた。
20代後半の東洋人の男だ。黒い髪に黒い瞳。顔立ちは整っており、二枚目の麗しさと大人の男としての渋さを併せ持っている。あと数年経てば素敵なオジサマになるだろう。髪形はワックスか何かで左側に靡くように寄せられており、整っているとも言えるが、何かとアクティブなイメージも持たせる。
グレーの高級スーツの上にベージュのロングコートを着こなし、完全にエリートサラリーマンの寒冷地仕様の格好だった。そして、キャスター付きのコントラバスのケースをズルズルと転がしていた。
「侵入者か?」
「そうですね。この時間帯に業者は来ないはずですから。」
突然の来訪者に対して2人は淡々としていた。なぜなら、ここの警備システムが完全なものであることを知っていたからだ。それ故にシステムを信じ、男を脅威と判断しなかったのだ。
「アナウンスかけとけよ。」
「了解です。」
若いガードマンがスイッチを押すと、ゲートの方でアナウンスが響き渡った。
“ここから先は学園都市であり、関係者以外立ち入り禁止です。IDパスをお持ちでない方は速やかにゲートから退去してください。”
日本語のアナウンスが数回繰り返され、その後は英語、北京語、広東語、ロシア語、韓国語でアナウンスが繰り返される。
学園都市側が用意した全ての言語によるアナウンスの後、沈黙を貫きながらゆっくりと歩いていた男は口を開けた。
『どうしても学園都市でやりたいことがあるんだが、駄目か?』
男の問いかけはカメラのマイクを通してガードマンたちにも聞こえていた。若いガードマンは咄嗟にマイクを取って口元に持ってくる。
「申し訳ありませんが、いかなる理由があってもIDパスを持たない人は原則進入禁止となっております。」
『そうか・・・。残念だな。』
男がそう言った瞬間、全ての監視カメラが破壊され、警備室一面が真っ暗の画面でいっぱいになる。暇だ暇だと連呼して、悠々とコーヒーを飲んでいた2人は騒然した。
「クソッ!どうなってるんだ!?」
「警備システムを機動!警備ロボはアサルトモードに移行しろ!駆動鎧部隊も出せ!」
「了解!」
静寂そのもので2人の会話しか聞こえなかった警備室が侵入者を報告するアラームによってけたたましくなる。
監視カメラからの映像が途切れた今、侵入者がどのような手段で突入して来るか分からない。ならば、やり過ぎぐらいの万全の体制で挑まなければならないのだ。
学園都市・ゲート
警報が鳴り響く騒然としたゲート。100m近く長いゲート入り口を囲む鋼鉄の壁には8本の大きな傷跡が残されていた。まるで8匹の大きな蛇が壁を張ったかのように傷跡は蛇行し、鋼鉄の壁の表面を抉って、更にその下の層が露出していた。
男の手には長大な剣が握られていた。大量の刃が千羽鶴のように幾重にも折り重なって出来上がる8匹の刃の蛇が集まり、七支刀(ナナツサヤノタチ)のような形状になる。
辺り一面にはアサルトモードに移行した警備ロボが無残な姿で散らばっていた。
「やっぱり高性能AIが相手だと擬神付喪神が意思衝突を起こしてしまうか・・・。」
警備ロボを破壊しても鳴り止まない警報に男は鬱陶しさを感じ始めていた。
すると、今度はゲートの奥からガシャンガシャンと音を立てながら大量の駆動鎧が現れた。ドラム缶に手足を付けた様な容姿はとても滑稽に見えるが、れっきとした兵器であり、人間を相手にするには大袈裟な武装を持っていた。銃を構えずとも駆動鎧が弾き出すパワーは十分に凶器である。
銃を構える10体近い駆動鎧の部隊を前に男は一切物怖じしなかった。
『武器を捨てろ!背中のケースもだ!』
駆動鎧部隊の中心にいる色違いのリーダー格が侵入者の男にマイク越しで通告する。
「まぁ、さすがにこいつじゃ駆動鎧の相手は辛いか・・・」
そう呟きながら、男は持っていた剣を足元に落とし、背中にあるキャスター付きのコントラバスのケースも落とした。
リーダー格が先陣に立って銃を構えながらゆっくりと前進する。それに続いて他の駆動鎧も1歩下がった場所で前進する。相手の男は丸腰だが、一瞬にしてゲートを戦場に変えた男だ。どんな能力を持っているのか分からない故に慎重になる必要があった。
そして、リーダー格の駆動鎧があと数メートルまで迫って来た時だった。
男は機が熟したことで口元が少しニヤつくと、咄嗟に駆動鎧の元へと走って行った。
「貴様!?」
駆動鎧部隊が咄嗟に銃を構えるが、外部と接触するゲート用の駆動鎧が外部販売用の旧式なせいで男に照準を合わせるのに時間がかかる。
駆動鎧に触れられる距離まで男は詰めると、何か切り取った単語帳の様なものをリーダー格の駆動鎧のドラム缶部分に貼り付けた。
「貴様っ!何をした!?」
リーダー格の駆動鎧が銃の照準を侵入者の男に向けた。
ズドォン!!
銃声と共にリーダー格の駆動鎧の隣にいた部下の駆動鎧が後ろに倒れ込む。リーダー格の駆動鎧は部下の駆動鎧に向けて銃弾を放ったのだ。
突然の行動に他の部下たちも騒然とする。運良く持っていたのが対人兵器であったため、撃たれた部下は駆動鎧が銃弾を受けた際の衝撃を受けるだけで済んだものの、もしこれが対装甲車兵装であれば、部下の命は無かった。
「隊長!どういうことですか!?」
「違う!俺じゃない!駆動鎧が勝手に!」
リーダーの言葉とは裏腹に彼の駆動鎧は銃の照準を別の駆動鎧に定める。
迅速な判断の元、部下たちがリーダーに銃口を向け、中の人間を傷つけないように駆動鎧の武器や手足に照準を定める。しかし、全ての弾丸がリーダーには放たれなかった。
部下たちの駆動鎧が仲間同士で撃ち始めたのだ。その部下たちの駆動鎧にも侵入者の男がリーダー格の駆動鎧に貼り付けた紙と同じものが張り付けられていた。
「くそっ!何がどうなっている!?」
「強制終了《シャットダウン》させろ!ハッキングなら止まるはずだ!」
「駄目です!強制終了させても止まりません!」
駆動鎧の暴走と鳴りやまぬ銃声の中で駆動鎧部隊の隊員たちはパニックになり、ただ味方を撃ち続ける駆動鎧の中で、味方から放たれる銃弾が装甲にぶつかった時の衝撃に耐えるしか無かった。
全ての銃弾が撃ち尽くされた頃には全ての隊員と隊長が駆動鎧の中で気絶していた。そして、侵入者の男の姿はゲートのどこにも見当たらなかった。
* * *
学園都市の第七学区、窓のないビルを一望できる高級ホテルの最上階、ワンフロアを丸々貸し切った豪華で贅沢なルームには所狭しと通信機器や武器弾薬、大量のモニターなど高級ホテルには不釣り合いな物品の数々が置かれていた。明らかに普通の客ではないことが分かる。
部屋には革のソファーにもたれ掛り、大量のモニターを座視し続ける男とその傍らで何かしらの薬品が入ったアンプルをケースに詰める少女の姿があった。
「第三次世界大戦の終結が予想より早くて助かったな。魔術師との戦いなんてもうゴメンだ。有給でも取ってハワイ辺りにでもバカンスと洒落込みたい。」
そう呟く男は室内であるにもかかわらずサングラスをかけ、ステージの上でギターかマイクを持っているのがお似合いなヴィジュアル系バンドのヴォーカルみたいな優男だった。染めたサラサラの金髪にホストが着てそうな高いスーツを着ている。赤いシャツに黒いジャケットを着こなし、 光を反射して輝くメタリックなアクセサリーが煌びやかだ。顔立ちもイケメンと言っても過言では無く、若さと大人の色気が見事にマッチングしていた。
外部の反学園都市組織の排除を目的とした暗部組織“
テキスト”のリーダーであり、「能力殺し《ブレインブレイカー》」の異名を持つ男だ。“自分だけの現実《パーソナルリアリティ》”を専門とした研究者であり、それを利用して、話術のみで対象の“自分だけの現実《パーソナルリアリティ》”の破壊を行うことから、能力殺しと呼ばれている。
「そう・・・ハワイね・・・。持蒲さん、私は水着持ってないわ。」
そう言い返す少女は全身が包帯に包まれていた。長い髪に小柄で痩せこけた体型が更にその痛々しさを感じさせる。その姿を見ているこっちが痛くなる気分だ。緑を基調とした
風輪学園のセーラー服を着ているが、彼女が風輪学園の生徒なのかどうかは定かではない。
持蒲と同様に暗部組織テキストのメンバーであり、彼と同様の古参メンバーであり、死人部隊《デッドマンズ》の管理責任者である。
死人部隊はテキスト傘下の武装部隊であり、彼女の“痛み”を意のままに操る能力である痛覚遮断《ペインキラー》によって痛覚を遮断され、薬物によって洗脳されている 死刑囚、実験で脳に障害を負った者、麻薬中毒者、暗部の裏切り者など、暗部にすら見捨てられた人間で構成されている。
「そりゃあ、お前は水着以前の問題だろうけどな。お前の全身の傷跡を消すぐらいここの技術じゃ楽勝だろ。何なら、優秀な整形外科医でも紹介しようか?」
そう言って、持蒲は包帯少女の返答聞く前にパソコンで条件に当てはまる医者をリストアップしようとする。だが、パソコンのキーを打つ手に一瞬だけ痛みが走り、持蒲はキーを打つのをやめる。超城が痛覚遮断を使って、持蒲の手に痛みを与えたのだ。
「いらない・・・この傷は、私のもの。私の消せない罪。」
「まぁ、無理にとは言わないさ。けど、少なくとも俺の傍にいる女には可愛く綺麗でいて欲しいものだ。超城。お前も例外じゃないんだぜ。」
「ありがとう・・・。言葉だけは・・・受け取っておく。」
包帯少女の超城は少し恥ずかしそうに持蒲から目線を逸らし、再び何かしらの薬品が入ったアンプルを整理する作業に戻る。
「ところで、さっきから弄っているそいつは何なんだ?」
持蒲は怪訝そうな表情で超城が弄っているアンプルに指をさす。彼とて現役の研究者であるのだから、薬品には慣れている。しかし、超城の包帯だらけの手がうっかりすべったりして薬品をホテルの部屋にぶちまけるのを嫌がっているのだ。
「これ・・・?これは私の能力で、半年近く無痛状態で、過ごした死人部隊の脳から分泌された物質を、水に溶かしたもの・・・。衿栖ちゃんに頼まれた。ちょっとした小遣い稼ぎ。」
「衿栖って・・・武装能力《カスタマイズ》計画の
組濱衿栖《クミハマ エリス》か。小遣い稼ぎは良いが、あまりあいつのことは信用するなよ。」
「分かってる・・・。」
「それで、何であいつはその分泌物を欲しがってるんだ?」
「欲しがってるのは・・・衿栖ちゃんじゃなくて、彼女の知り合いの、研究者。名前は教えてくれなかった・・・。」
それを聞いて、持蒲は頭を抱えて軽くため息を吐く。長いこと暗部で生きている超城の警戒心の薄さと考えの浅はかさがそうさせた。
「そういった目的の分からない物事に関わるのはやめておけと何度も言っているだろ。お前のその液体の提供がテキストにとって不利益を生みだすかもしれない。」
「それは・・・大丈夫。テキストを、亡命先に考えている、衿栖ちゃんに、テキストに不利益なことをする、メリットが、無い。」
持蒲は超城の言っていることが気にかかった。組濱がテキストを亡命先と考えていることは初耳だったからだ。
組濱衿栖とテキストの関係は深い。彼女はかつて抄訳演算《シンプリファイズ》計画に参加し、そして現在は武装能力計画に参加している。彼女の役割は実験の失敗作の処分であり、その失敗作の中で“使える失敗作”をテキストに売り込んで小遣い稼ぎをしているのだ。テキストは彼女が売り込んだ失敗作を格安で買い取り、消費の激しい死人部隊の人員を補填している。お互いにWINWINの関係なのだ。
(だが、組濱の奴がテキストを亡命先に考えているとはぁ・・・武装能力《カスタマイズ》計画の奴らを裏切る予定でもあるのか?)
組濱本人のことは信用できないが、自分と超城の長い付き合いに免じて、ここは彼女のことを信用することに決めた。
「まぁ、俺とお前の長い付き合いだからな。お前の好きなようにしろ。」
「ありがとう・・・。」
持蒲は超城と会話しながらもこっそりとパソコンを操作し続けていた。昔、撮影した超城の写真、包帯でグルグル巻きにされて素顔の見えない彼女の顔から彼女の骨格や顔つきをCGで再現し、時折見える彼女の素肌の色や目を参考にして、専用のツールを使って超城の素顔を再現していた。そして、持蒲の独断で彼女の素顔に似合う髪形をセットした。
(この美少女の顔を拝めるのはまだまだ先のようだな・・・。)
持蒲は憂うような目でパソコン画面を眺めていた。
2人の静寂を破るかのように持蒲の携帯電話が鳴る。デフォルメ設定の無骨な着信音は仕事関連の電話だ。
「はいはい。こちらテキストの持蒲ですよ。」
持蒲の携帯の相手は初老の男性だ。テキストに仕事を持ち込む際は常に彼を経由しているが、持蒲を含めてテキストのメンバーは誰も彼の姿を見たことが無い。優しくて誠実そうな声だけが情報源だが、暗部と関わっている時点でそのイメージも嘘と考えられるかもしれない。
『何度も悪いねぇ。また仕事だよ。しかもかなり厄介だ。』
「悪いと思っているなら、別の組織に仕事を廻して貰えませんかねぇ。星嶋はここ数日はずっと働き詰めで、死人部隊の数も開戦前の半分以下ですよ。岬原は上条症候群の末期症状が再発しちゃってますし・・・」
『そうは言うのだがね、この案件は君たちにしか扱えないのだよ。』
「――-と言いますと・・・」
『学園都市に魔術師が侵入した。終戦後のこのタイミングでだ。』
初老の男からもたらされた情報は持蒲の頭を更に抱えさせた。第三次世界大戦の間、ずっと学園都市の外で魔術師の相手をし続けてきた。それは、第三次世界大戦の間でも学園都市の鉄壁の守りは健在であることを誇示するためであり、学園都市に魔術師が侵入したという事実が生じてしまえば、「第三次世界大戦で学園都市は疲弊した」という世論を生みだしてしまう。そうなれば、今まで学園都市の鉄壁の守りを前に侵攻を諦めてきた魔術師や組織が動き出すきっかけになってしまう。彼らに学園都市の守鉄壁の守りを突破する力量があっても無くても、その相手をするだけで厄介なのだ。そうならないために大戦時はずっと戦ってきたというのにこの有様だ。
持蒲は内心非常に怒っていた。ゲートの警備の甘さにも、魔術対策を施さなかった学園都市統括理事会にも、その怒りを携帯電話にぶつけてしまおうかと思った。
『怒りたい気持ちは分かるのだがね。私に言われても困るよ?』
「分かっていますよ。あなたはただの仲介者ですからね。それで?仕事とは?」
『引き受けてくれるのだね?』
「魔術師に対応できる暗部組織なんて、ウチぐらいでしょう。本音を言うと、グループのお子様どもにでも仕事を丸投げしたいんですけどね。」
『仕方ないだろう。グループに連絡がとれない今、君たちしか頼れない。仕事に関するデータはもう送った。早急に対応してくれ。』
「了解しました。報酬は幻想殺しもビックリ仰天レベルの俺様専用ハーレムで。」
そうジョークを言って、持蒲は電話を切り、複数のノートパソコンを使って電話の男から受け取ったデータを開く。
「また、仕事?」
「ああ。魔術師がゲートを突破した。そいつの始末だ。」
「雅紀が、また嘆きそうだね。」
超城の言葉に一切の反応を返さず、持蒲はじっくりとデータを眺めていた。ゲートの監視カメラの映像、侵入者に破壊されたゲートの画像、駆動鎧部隊の報告と駆動鎧に貼られていた紙、そのデータを元にもう一台のパソコンでテキストが保有する魔術師リストを照合する。
「ビンゴだ。」
侵入者が使った魔術の系統、監視カメラの映像から判断した性別、年齢、人種などを照合した結果、侵入者の魔術師は判別された。
「超城。これが今回のターゲットだ。」
持蒲がパソコンを操作して、部屋にある大画面モニターに監視カメラの映像の静止画を映し出す。まだ綺麗な状態だったゲートにいるスーツ姿の男が映った。
「
尼乃昂焚《アマノ タカヤ》。29歳。フリーの
日系魔術師だ。」
「持蒲さんと同じ年齢だね。」
「あまり俺の年齢には触れないでくれないか。最近、気にしているんだ。」
「ゴメン。」
その後、鋭盛は尼乃昂焚に関する説明を続けた。
彼が使う魔術、戦法、科学技術に対する見解、学園都市との関わり、刺突杭剣《スタブソード》の一件、
イルミナティとの関わり、学園都市が持つ彼に関わる情報を全て説明した。
「かなり・・・・厄介な敵、だね。」
「ああ。魔術師であり、尚且つ科学に抵抗が無いのは厄介だ。科学的知識があれば、こちらが打つ手もある程度は読まれる可能性があるからな。」
「大丈夫?」
「心配は無い。今回はイギリス清教から協力者たちが派遣されることになっている。俺たちに不足している魔術的知識に関してはこちらも問題は無い。それにここは俺たちのホームグラウンドだ。地の利はこちらにある。」
学園都市の衛星と監視システムを使って、持蒲は昂焚がどこにいるのかを探し当てる。
「尼乃の居場所を特定した。」
「死人部隊か、雅紀を向かわせる?・・・・鋭盛さんが使う衛星監視システム・・・・プクククッ・・・・・」
鋭盛と衛星をかけたダジャレに引っ掛かり、自ら勝手にツボに入った超城は必死に(笑)を堪えていた。だが、持蒲はそんな彼女を気にも留めず、話を続ける。これは持蒲が薄情なわけではなく、こんな状態の彼女でもちゃんと話を聞くと分かっているからだ。
「いや、まずは奴の力量を測らせてもらう。」
「?」
持蒲は再びパソコンを操作すると、リアルタイムで昂焚の行動を監視している衛星画像に最寄りの風紀委員の施設を割り出す。
「奴から一番近いのは風紀委員《ジャッジメント》一七六支部か。」
鋭盛の独り言から、超城は彼が何をしようとしているのか察した。彼は尼乃昂焚の戦闘力を測るために風紀委員を利用しようとしているのだ。下手を打てば、無関係な人間を巻き込むやり方でもある。表の人間が暗部に関わるのを好まない持蒲らしくない手段だ。
「雅紀にバレたら・・・・怒られそうだね。」
「黙ってておいてくれよ。あいつのヘッドロックは洒落にならない。それに・・・」
持蒲はテキストの権限を使って、一七六支部の名簿を開示し、それをモニターに映し出す。
「見てみろよ。このメンバー。」
持蒲が映し出す一七六支部のリストを見て、超城は「わぁ・・・」と静かに感嘆する。
「大能力者《レベル4》が4人、強能力者《レベル3》も4人。立ち回りを考えれば、そこらの暗部組織よりも強力だ。下手を打てば、俺らが負けるかもしれない。」
説明を続けながら、持蒲はパソコンのカーソルを1名の風紀委員に合わせ、クリックして彼の詳細なデータが乗っているページに移る。
「特にこいつ、“剣神”の異名を持つ一七六支部のエース“
神谷稜《カミヤ リョウ》”こいつは頭一つ飛び抜けている。戦闘能力だけで言えば、暗部でも十分にやっていけるだろうな。むしろ、暗部堕ちしたら率先してウチに引き入れたい。」
「なるほど・・・・彼と尼乃昂焚を戦わせる、のね?」
「ああ。こいつなら死ぬ心配は無いだろう。むしろ、こいつが尼乃を逮捕してくれると仕事が楽になって助かる。」
「で?どうやって・・・・・2人を、戦わせるの?」
「一七六支部のタイムカードを見る限り、出勤しているのは神谷稜と斑孤月《マダラ コゲツ》、
葉原ゆかり《ハバラ ユカリ》の3人。葉原ゆかりはバックアップとオペレートが主だ。今ここで通報すれば、おそらく尼乃と戦うのは神谷と斑になるだろうな。」
「なら・・・・安心、だね。」
そう言うと、超城が携帯電話を取り出してボタンを操作して何者かに電話を掛ける。
「公衆電話に向かい、風紀委員一七六支部に『公園に不審な男がいる。』と通報。」
『了解《ラジャー》。』
携帯電話の向こうから聞こえる男の感情のこもっていない声が超城からの指令に応答した。
* * *
とある公園
朝日が燦々と降り注ぎながらも本格的に冬の到来を告げる寒さがある昼前、ゲートを突破して侵入した男、尼乃昂焚は自動販売機に小銭を入れて、ジュースを買おうとしていた。その仕草はあまりにも自然であり、誰もゲートを突破した侵入者とは思えないほど、緊張感が無かった。
「あれ?ジュースが出てこない。」
小銭を入れてボタンを押してもジュースが出てこない。昂焚は何度もボタンを押すが、自販機はジュースを出そうとしなかった。何故なら、この自販機は常盤台ではかの有名なお金を飲み込む自販機だからだ。
(おかしいな。札と小銭は学園都市のものに換えたはずなんだが・・・仕方ないか。)
昂焚は駆動鎧部隊に使った紙切れと同じ物を取り出して、自動販売機に貼り付けた。
すると、自動販売機はガタガタとその身を震わせながらジュースを捻り出した。昂焚が飲みたかったのはヤシの実サイダーなのだが、自販機は「バラの香りがする豆乳しゃぶしゃぶ味コーラ」というカオス極まりない缶ジュースが現れた。
流石の昂焚も怪訝そうな顔でジュースを見つめるが、出てきただけでも十分だと思ってそれを飲もうとした。
「失礼ですが、IDを確認できないでしょうか?」
背後から聞こえる硬そうな少年の声に昂焚は背を向けたまま、首を捻って視線だけ振り向いた。
そこには2人の少年がいた。2人ともこげ茶色のブレザーに赤いネクタイをしており、この辺りの人間ならば
映倫中学校の生徒だということが分かる。
一人は昂焚に話しかけてきた声の主だ。細身で180cm近い長身。黒髪短髪のオールバックで糸のように細いキツネ目、制服のボタンを一つ余さずキッチリと留めているところが彼の厳格な性格を表している。いかにもエリートといった感じだ。
彼の名は斑孤月。映倫中学三年生にして一七六支部の風紀委員であり、空力使い《エアロハンド》のレベル4だ。
そして、もう一人、映倫中学の制服を着崩して動きやすい格好をしており、機嫌の悪そうな眼で昂焚を見つめる少年だ。茶髪に10人中9人がイケメンだと言う顔立ちで制服の胸ポケットには数本の針が覗かせる。
彼こそが“剣神”の異名を持つ一七六支部のエース、神谷稜だ。
その2人を見て、昂焚は不敵な笑みを浮かべた。
「もし『嫌だ』と言ったら?」
学園都市の治安維持組織、風紀委員一七六支部の剣神“神谷稜”とエリート“斑孤月”
強欲を崇拝し、強欲の名の元に集った魔術結社、イルミナティの新たな幹部“尼乃昂焚”
科学と魔術が交差するとき、珍奇騒動《カーニバル》は開幕する。
最終更新:2012年10月10日 20:34